第3夜
少し、昔話をしよう。
私が生まれたのは、まだ日本が髷を結い、腰に刀を下げ歩いていた頃。
私は、稲荷社の眷属である狐の一族として生を受けた。
そう、私は人間ではなく、狐である。
外見は人間でいう20代半ばだが、実際は200歳を優に超える。まぁ、祖母や母に比べれば、まだまだ"ひよっこ"なのだが。
ちなみに私は『妖』ではない。神に仕える『眷属』だ。
私の一族は京都・伏見稲荷大社の主祭神『宇迦之御魂神』に仕えている。そして私の祖母は命婦専女神と呼ばれ伏見稲荷大社の境内にある白狐社の祭神として祀られており、祖母は現在も宇迦之御魂神に仕えながら暮らしている。
つまり、私は由緒正しき家系のお嬢様なのである。
では、なぜ昼間は派遣社員のOLをしているのか。
それは単純に私が人間の生活に興味を持っているからだ。
私が生まれた頃の時代から飛躍的に発展していく様は、とても興味深い。
そして人間とは、とても打たれ強く、愚かで、残酷な生き物だ。
見ていて飽きなかった。
まだ小さい頃は自分が人間とどう違うのかよく理解しておらず、近所の子ども達と日が暮れるまで遊んだものだ。
そんな中、とある事件が勃発する。
よく遊んでいた子どもの一人が惨殺されたのだ。
それは、私を狙う妖が襲ってきたときに、その子どもが庇ったからであった。
怒り狂った私はその時に、自身の力を知った。そして、自分がどういった存在なのかをやっと理解したのである。
それからの私は、妖が人間をむやみに襲うことに疑問を抱いた。
妖には人間とは異なる『妖の世界』が存在する。
元来、妖が人間を襲う必要は無く、そもそも妖が人間の世界で脅威を振りまくのはおかしな話なのである。
また驚くことに、一部の妖は我ら眷属に対しても敵対を持っていることを知った。今まで大事にならなかったのは、ただ単に眷属が妖よりも力で勝っていただけだった。
そうして私は、いつしか妖が人間を襲う度に助けるようになった。
他の神々に仕える、私の一族とは別の眷属たちは、私のしていることにいい顔はしなかった。
もともと、人間に干渉することは良くないこととされていたからだ。
深く干渉すれば、平衡が崩れてしまうと考えていた。
だから私は言ってやったのだ。
妖が妖の世界から人間の世界に干渉していることは、平衡を崩しているのと何が違うんだ。
そもそも妖達は、私らの世界にも干渉してきているではないか。それを今まで見て見ぬ振りしてきたのは、あなた達だ、と。
ぐうの音も出ない眷属たちをみて、スカッとしたのをよく覚えている。
唯一いろいろと助言をしてくれていた祖母も、してやったりと微笑んでいた。
その後、その他の眷属たちの中でも理解をしてくれる仲間が少しずつ増えてゆき、だんだんとそれは規模が大きくなり、今ではひとつの大きな組織を築き上げている。
そして、いつの間にか私は狐の眷属が構成する組織のトップとなっていた。
これに関してだけは、いまだに納得はしていないのだけれど。私以外に誰がいるんだと持ち上げられ、あれよあれよという間に決まっていた。たぶん裏で祖母が動いていたと思われる。
そうして、私は悪事を働く妖を排除、または妖世界へ強制送還する日々を送っているのである。
****
同僚達へ、私が人間ではない事を伝えた。
しかし、それほど驚いた様子はない。寧ろ、人間でないのなら一体何なのだ、という顔だ。
その事について教えるつもりはないけれど(話すと長くなるし)一つだけ伝えるとするならば、
「人間ではないけれど、妖でもない」
納得いかない、といった顔である。
目は口ほどに物を言うとは良く言うなぁ、なんてどうでもいい事を考えながら、私は一つ気になっていたことを彼女達に質問した。
「さっきの質問の中に、"あの人達は、私達に何をしようとしたのか"って言ってたよね?」
「う、うん」
「私があの場に駆けつけた時、そこに居たのはあの老婆だけだった。それ以外に妖の気配は無かったんだけれど、あの人"達"ってどういう事?」
彼女達は、あの場にまだ別の何かが居たような言い方をしていた。
だが、間違いなく、私が駆けつけた時にあの老婆以外の気配は無かったのだ。
「あの家には、駅で困ってた時に声を掛けてくれたお爺さんに連れていかれたの」
「だからあのお爺さんも、その…妖ってことだよね?」
「連れていかれたのであれば、間違いなくそうね…」
私が着く前に、逃げたのか。
それにしても何だか引っかかる。
これは調べた方がいいかもしれない。
「そのお爺さんの特徴を教えて貰える?」
彼女達はコクリと頷くと、覚えている限りの特徴を教えてくれた。
粗方の内容を聞き終え、ふと壁掛け時計を見ると、なかなかいい時間になっていた。そろそろお開きにしましょう、と彼女達に声を掛け、後ろに控える葵へ駅まで送るようお願いした。
私が住む屋敷は、外から見るとごくごく一般的な稲荷神社である。伏見稲荷大社の分祀社であるこの神社を、私の住まいとして祖母から与えられた。
限られた者だけが、鳥居をくぐると屋敷としての姿を認識することが出来る。それ以外の、参拝者などには神社として認識される。
私は石段の手前まで彼女達を見送る為に、一緒に出てきた。
彼女達には先程、こっそりと今日の出来事を忘れるよう術を施してある。心做しかいつもより念を入れて。
「じゃあ、また。会社で」
そう言って彼女達は石段を下りて…と思いきや、危うく老婆に首を跳ねられそうになった一人が私の目の前まで小走りで戻ってきた。
「どうかした?忘れ物でもあった?」
「ううん、違う…」
彼女は下を向き上着の裾を強く握りしめながら、何か言いたそうに悩んでいた。
大人しく待っていると、漸く意を決したのか勢いよく顔を上げ、
「助けてくれて、本当にありがとう。あと、コソコソつけて回るようなことして、ごめんなさい」
しっかりと私の目を見て、お礼と謝罪を述べた。
改めて言われるとは思っていなかった私は驚いて目をパシパシさせていたが、
「どういたしまして」
と、微笑みながら返した。
彼女も少し照れくさそうな顔をして、じゃあまた、と今度こそ石段を下りて行った。
人間を助ける事を始めたのは、正直あの事件で犠牲となってしまった友人への贖罪であった部分が大きい。
それでもこうやってお礼を言われると、やって来たことは間違いではなかったのだと思える。
それと同時に、救うことが贖罪であったはずが、いつしか私が救われていたのだと改めて思い知らされる。
鳥居をくぐって行く彼女達の背中を眺めながら、これからも自分が一つでも多くの命を救えるよう精進せねばと、決意したのであった。
主人公の祖母について、名称をお借りしてはいますが、設定は独自のものを含んでいます。
ちなみに、お仕えする神様は普段人間世界にいません。神社の管理等はすべて祖母が行っています。