第9夜
「はふぅ〜…生き返る〜」
出された温かいお茶をゆっくり飲み干し、杵柄さんはなんとも気の抜けた声を出した。
応接室へと移動した私達は、前回と同じように向かいって座っていた。葵を含む仲間達は先に寝る、とそれぞれの部屋へ帰っている。
ぐぬぬ…羨ましい…
「それで?長時間も座ってた理由を聞きましょうか」
その言葉に杵柄さんは少し罰の悪い顔をした。
おそらく、岩松が何度も帰るよう言ったのに、頑として動かなかったことを気にしているのだろう。
「その…実は、そんな大した理由じゃないの」
「それでも、理由はあるんでしょ?」
「うん…」
理由の大小は関係ない。
わざわざこの神社まで来たのだ。私にしか話せない内容なのだろうと思っている。
少し躊躇う素振りを見せていたが、意を決して真剣な眼差しで私を見た。
「今日帰りの電車でね、動物の耳が生えてる人を何人も見たの。最初は私の見間違いだと思ってたんだけど、何回見ても生えてて…それ以外にも、不思議なものが付いてる人もいて…鬼の角のようなものとか、額に目があったり、尻尾が生えてたり。私、気がおかしくなったのかと思って、とにかく怖かった。でも狐守さんなら、何か知ってるんじゃないかって」
だから、来たの。
そう彼女は言った。
確かに、今まで無かったものが急に見えて怖かっただろう。
私は極力不安にならないように、優しく伝える事にした。
「それはね、先祖返りというものよ」
「先祖返り?」
「そう。話すと長くなるんだけど…」
それは、私ら眷属が妖を取り締まる以前に遡る。
かつて妖は人間の世界にたくさん入り込んでいた。咎める者も、取り締まる者もいなかった時代は、妖のやりたい放題だった。
しかし、全ての妖が人間を襲っていた訳では無い。
単純に人間に好意を持っていただけの妖も、それなりにいたのだ。それは正直、今でも変わらない。
私ら眷属はあくまでも、人間を襲い不要な力を得ようとする妖だけを取り締まっている。
まぁ全ての妖を管理する事が出来ない、というのもひとつの要因ではあるが。
兎にも角にも、人間に好意を持って近付いた妖が、人間として暮らすことは珍しい事ではなかった。
そして、一緒に暮らすことにより妖の血が人間の血に混ざっていったのだ。
特に混沌としていた古代・中世頃の日本では、妖が人間に恋をし、夫婦となるケースがたくさんあった。
そうして、現代にも妖の血が流れる人間が出来上がったのだ。
「その血が、本人の及び知らない所で現れているのが、杵柄さんの見たもの。本人は自分の頭に獣の耳が生えていたり、角が生えてることに気が付いていないことが殆ど。むしろ知っている人の方が珍しいわね」
私は掻い摘んで説明した。
その説明に、彼女は顎に手を当てて何やら考え込んでいる。
「じゃあ、私はどうして見えるんだろう」
「うーん。あくまで仮説だけれど、私と接触し妖に襲われた記憶が残っているせいじゃないかな」
「ふむ……でも、その人達に襲われることは無いんだよね?」
「そうね。あくまでもその人達は人間だから」
それを聞いて身体の力が抜けたのか、彼女はソファの背もたれに深く沈んだ。
「よかったぁ〜。目が合ったら襲われるんじゃないかってビクビクしてた」
「それは、そうでしょうね。急に見えたら不安にもなるよ」
だから、"大した理由"だよ、と笑って言ってやった。
その言葉に少し驚いていたようだけど、彼女も嬉しそうに笑う。
「そうそう。そういえば狐守さんは何処に行ってたの?私に声を掛けてくれた人が、当分戻らないって言ってたから」
「仕事よ。妖関連のね。だから、次からここに来る時は、事前に連絡して」
「え?」
「ん?」
何かおかしな事を言っただろうか。
彼女は驚いて固まってしまった。
「えっと…その…またここに来てもいいの?」
「いつでも来ていいわよ?」
私がいる時なら、と付け加える。
その言葉にまた彼女は固まってしまった。そんなに驚くことだろうか。
逆に私は首を傾げる。
その私の様子に、彼女は嬉しそうに笑った。
表情がクルクルとよく変わる子だなぁ。
「みんなの記憶を消したくらいだし、あんまり関わったらダメなのかと思ってた。じゃあ次からは連絡するね!」
「ああ、そういうこと。杵柄さんに関してはもう諦めたから気にしないで」
「言い方!でもちょっと嬉しい!」
「え、やっぱり杵柄さんって実は」
「違います」
ドM…と言いかけて、彼女に食い気味に否定された。
ふふっと、お互いに笑う。なんだかとても新鮮な気持ちだ。
こんな風に話すようになるとは、思ってもみなかった。
それは彼女も同じようで、嬉しそうにこちらを見ていた。
「今日はもう、泊まっていって」
「え、いいの?なんかごめん…」
「部屋ならたくさんあるから、気にしないで。それに、今からどうやって帰るつもりなの」
「あ、歩いて…?」
「また妖に襲われたいのなら止めないわよ」
「嫌です!泊めてください!」
はぁ、と呆れた溜息をつきながら、私は隣の控え室にいる岩松に部屋の準備をお願いする。
そろそろ私も疲れがピークだ。寝たい。お風呂はもう明日の朝でいいや。
「申し訳ないけど、私は先に部屋へ戻らせてもらうわ。明日は土曜日だし、ゆっくりしていって」
「何から何まで、本当にありがとう」
「どういたしまして。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
そう挨拶をすると、私は襲いくる睡魔と戦いながら部屋へと戻って行った。