第伍話 英雄
瓦礫と化した天幕の一部が動いた。
「ぐへぇ......」
瓦礫の中から、情けない声を出しつつ、コウが出てくる。
どれだけ、気絶していたのだろうか。
空に浮かぶ月の位置はほとんど変わっていなかった。軽く安堵し視線を落とすと、そこには人の住む天幕に比べて、明らかに小さい天幕があった。
「?なんだ、あれ」
寄ってみようと、一歩踏み出そうとした。
しかし。
足元に銛のような矢が飛んできたせいで、その行動は叶わなかった。
「これは......タマノヲの!」
「クソガキィ!そこで止まレェ!」
そこには、豹変したルリシビの姿があった。
手には、タマノヲが使っていた大弓を持ち、腰に巨大な矢を数本携えて。
ルリシビの腰から矢が抜かれ、コウに向かって放たれる。
「どわっ!」
すんでのところで回避したコウは、応戦しようと腰に手を伸ばすが......短刀がないことに気がついた。
「しまッ......!」
そこで油断してしまったのが運の尽きだった。
飛んできた矢が、脇腹に突き刺さる。
「あ......ぐ」
急に重くなった体が、雪の上に倒れる。肺を満たした血の塊が、口から吐き出された。
ルリシビがとどめをささんと矢をつがえる。
朦朧とする意識のなか、手は周囲を探っていた。
何か、ないものか。
せめて、一矢報いるような何かが。
半ば諦めていたが、しかし。
その手は......一本の短刀を。
かつて己を貫いた、タマノヲの短刀を握っていた。
(この際、一か八か)
倒れたまま、その短刀を強く握りしめる。
「シ......」
ルリシビの、やけに遅い怒鳴り声の断片が耳に届く。
(つら......ぬけ)
一度目は、変化がなかった。
(つらぬけ)
気がつくと立ち上がっていた。
腹の異物感はなかった。
「つらぬけ......」
そう口から出ると、短刀の周りを稲妻がほとばしる。
「......ネッ‼︎」
「貫けぇッ!」
同時に叫んだ。
放たれた矢と、電撃の槍が空中でぶつかり......矢を灰に変え、ルリシビを後ろへとばす。
それが地面につくのも確認しないで、駆け出した。ルリシビが地面につく頃には、もうすでに、コウは小さな天幕に飛び込んでいた。
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「タマノヲ......いるんだろう、タマノヲ!」
大声で叫んだ。
黒で満たされた天幕の中が、月明かりで青白く染まる。
そこの......奥。
長い黒髪に、傷まみれながらも、ボロボロの服がかかってる程度の身体は女のように細く。
目隠しと猿轡もされていて、顔もわからず、容姿も全く違ったけれど......一瞬でタマノヲだとわかった。
「おい......おいタマノヲ!」
すぐさま駆け寄り、拘束具を外してゆく。
明らかに軽くなった身体は、力なくうなだれていた。
「返事をしろ、タマノヲ!」
唐突に、背筋が強張った。
強烈な、殺気。
「罪人がァ......」
絞り出すような声の主はルリシビ。
弓をこちらに向け、矢に手を伸ばす。
「またかよ......!」
タマノヲを雪の上に横たえ、短刀を向ける。
その時、タマノヲの目がゆっくりと......開いた。
虚ろな目は、ぼんやりとコウを見つめていた。
「われ......ジンキに......」
呟くように言うと......ルリシビの手にある弓が光を放ち始める。
この場でそのことに気がついたのは、コウだけであった。
「タマノヲ......!」
「術者を......たまのを、かたきを......として」
「......我、ジンキに求む!」
見てられなかった。
彼は無意識に戦おうとしている。
対象は......オレかもしれない。
それでも、助けようとした人に射られても。
彼を、助けたかった。
「術者をコウ!対象をルリシビとして......」
「うが、て」
「ブチ抜け!」
短刀から伸びた雷の槍が、ルリシビを貫き、膝をつかす。
彼の手からこぼれ落ちた弓の周りに、光の矢が展開する。それは真っ直ぐに......術者であるタマノヲへと飛んだ。
「な......!」
それがタマノヲに降り注ぎ、雪が舞い上がる。
周囲の天幕が一瞬で瓦礫と化した。
瓦礫はそのまま塵になり、巻き上げられた雪とともに降り注いだ。
その中から、手に大弓を持った一人の人間が顔を出す。
「さて、と」
コウが歓喜に頬を紅潮させ、ルリシビが驚きに息をのむ。
「そのままお返しするぞ、ルリシビ......絶望を受け入れる準備はできたか?このタマノヲ、ジンキを持ってお相手致す」
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予想外の結果になった。
まさか、コウまでジンキ使いになるとは。
我が子には歩ませまいとしてきた道に、彼自身が踏み込んでいった、その瞬間を見た。
(血は争えない、か)
ほう、と白い息を吐き出す。
「カイよ、感傷に浸るのはまだはやい」
後ろから、聞き慣れた老人の声がした。
「長老......」
「おぬし、暴れ足りないのではないかのう?」
かかか、と笑う老人。
「やめてくださいよ......息子の華々しい門出に首を突っ込むほど、自惚れてません」
「なら、長老の命令じゃ。ついてこい」
一瞬、呆気にとられた顔になり......ふ、と笑う。
「わかりましたよ......気づかれない程度には」
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右の手を、開いて閉じる。気がつくと、光の剣が握られていた。
タマノヲの目は、ルリシビに向いていたが、意識は敵へ。
「なぁ!横の奴、隠れてないで出てこい」
瓦礫の陰から、息を呑む音が聞こえた。
自然と口角が上がる。師匠と同じ、罪人の性だった。
「コウ、くるぞ。準備しとけ」
「は?」
突然、バチィ!、と音がなり、タマノヲの剣が振られる。残っと炭を見て、矢をはたき落したのだと知った。
「だから準備しとけと言っただろう」
「......はぁ!?」
時間差を乗り越え、やっと理解した矢先。
「警戒、真逆〜」
「!?」
振り向くと、目の前に矢が差し迫っていた。
「どわッ!」
反射的に放たれた稲妻が、矢を撃ち落とす。
「うん、そこまでできれば十分」
「なにが十分だ畜生!死ぬかと思ったぞ、おい!」
「はは!」
タマノヲが手に持った剣を放り投げる。すると、それは二叉に分かれ、二人の狩人の目の前に落下した。衝撃で、砕かれた氷と大人の体が後ろへ跳ぶ。
「直撃させなかっただけでも感謝しろ」
放り投げたまま開かれた手をまた、握りしめる。今度握られたものは、光の銛であった。
くるり、と振り返り、囲まれた壁に向かって矢をつがえる。
引く矢がキリキリと音を立てて......解き放たれた矢が壁に大穴を開けた。
「罪人が逃げるぞォ!」
誰かがそう叫ぶと、タマノヲにその場の男たちが殺到する。
それを見向きもせず......タマノヲはコウに問うた。
「............ここから先に進むと後戻りはできない」
タマノヲの目には、神の森が写っていた。
「お前は、どうする?今なら戻ることも......」
「馬鹿野郎!ここまできた時点で道は一つしかねぇよ!オレは全てを捨ててここにきたんだ!」
楽しそうに......そう、楽しそうに彼は言った。
「そうか」
タマノヲも、それに応えるように微笑んだ。
「罪人め!死ねェ!」
誰かがタマノヲに刀を突き刺そうとして......それは、何者かの介入によって遮られた。
「......親父!」
放たれた矢も、突如現れた雪の壁に突き刺さる。
「長老!」
「若き英雄たちよ、進め」
長老はそう、告げた。
「征け、我が息子たちよ!」
三人の男を一本の刀で遇らうカイも、叫んだ。
「......礼を言う、我らが育ての親たちよ!」
呼応するように、大声で叫んだ。
「コウ、行くぞ!」
「ああ、タマノヲ!」
少年二人の影が、森に吸い込まれていった。
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全力で駆けるうちに、すでにムラは見えなくなっていた。
肩で息をしつつ、ようやく足を止めた。
ムラがあった方角へと頭を向ける。
「............」
「後悔、しているのか。自分がムラを裏切ったことを」
「いや。......親父は言っていた。征け、と。後悔など、ないさ」
コウは、頼るように、手の短刀を強く握りしめた。
「コウ、そのジンキ、お前にやるよ」
「は?それはまた、どうして」
「ジンキは、主人を渡り継ぐ。そのジンキは俺ではない主人を......新しい主人を見つけた」
それがお前だ、と締めくくった。
「それは、俺はもう碌に使えない......お前が持ってるべきだ」
「オレの、ジンキ......」
コウは自分のジンキを、深く、見つめた。
「さてと、移動するか」
「......おう」
「いつまでも感傷に浸ってんな、罪人二号」
「ざっ、罪人二号!?」
抗議の声を軽く聞き流し、話を続ける。
「ちょっとした、いい場所を知ってるんだ。今までの罪人から奪ってきたものを、溜め込んであったりするから......いつまでも武器を剥き身で持ってるわけにはいかないだろ?」
「ああ、それは」
「それに、ずっと半裸だと、寒くてしょうがない」
なぜか女らしくなったその体の胸元を、指先で突く。
「なぁ、タマノヲ。その姿、どうしたんだ」
「?そんなに変か?」
「いや、そうじゃなくてだな......」
無駄に色っぽいから、どうにか隠してほしい、なんて言えるはずもなかった。
今回はここまで