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結② キョウダイ

「着いた、のか?」


 ジャックポットプールを脱出して丸一日。何度かのワープをして、自動運転に任せているとパンジャンドラム号が動きを止めた。パンジャンドラム号のナビは、エイジが設定していた目的地に到着したことを知らせていた。


 しかし船の外を見ても、眼前には宇宙が拡がるばかりだった。


「はい、到着しました。ここがヤポン星です」


 イーグは道中にある程度回復し、座って会話をするぐらいには困らなくなっていた。


「マジでなんも見えねえ。こっからどうすればいいんんだ?」


「ここからは私が手動で運転します」


 イーグが操縦桿を握ると、右に左に曲がりながら船を進ませた。


「星が見えないってのは分かったが、知らないやつがぶつかったりとかしないのか」


「ええ、知覚できないということは、ぶつかることもできません。概念として隠蔽されているということは、そういうことなのです」


「ますますわかんねぇ」


「つまり大丈夫ということです。着きました」


 そういうと、イーグは何も無いところで船を止めた。


 数十秒後、突然無線の回線が開き、無機質な声が流れた。


『番号』


「はっ?」


 フットが訳も分からずイーグの方を見ると、イーグは無線のマイクを

とった。


「イーグ・K・ロー。7652624649。船の受け入れを」


『固体番号一致。声帯認証一致。にーそ?』


「はっ?」


「すくみず」


『合い言葉を確認』


「はっ?」


 そのとき、フットは薄い膜をくぐったような違和感を感じ、直後、暗幕を一気に取り払うようにして目の前に星が丸々一つ現われた。


「うおお?!本当に星が出てきやがった!」


「行きましょうかフット殿。ようこそ我らの故郷へ」


 そういうと、イーグはアクセルを踏み込んだ。


  ♢


 存在するはずのない星ヤポン星。そこには四季が存在し、様々な彩りを

魅せる。


 無事パンジャンドラム号が大気圏を抜けると、眼下には桃色の景色が敷き詰められていた。ヤポン星は現在、春真っ盛りである。


「すげえ……なんだこりゃ」


「あれは、桜という木です」


「あれ全部がか……キレイだな」


「ええ、本当に」


 脱出してからこっち、初めてイーグが頬を緩めた。


 そのまま桜並木の頭上を進んでいくと、ちらちらと軍事施設のようなものが見え始め、四季の彩りと科学が同居しているこの星の特徴が端的に見て取れる。それを横目にその中の一つの建物へイーグが船を着陸させた。



 そこでは、既に何人もの人間が、周りを取り囲んでいた。



「あんまり歓迎はされてねえみたいだな」


「フット殿はひとまず残ってください。私が話をつけてきます」


 言うとイーグは一人船を出て行った。


「シノビ、イーグ・K・ロー、ただいま帰還しました」


 すると取り囲んでいた人間の中で一番の老人が、イーグの前に出てきた。白い眉毛と髭が伸び放題になっており、仙人のような見た目をしている。


「ああ、よく戻ったな。お前たち兄弟との連絡が途絶え、もう駄目かと思っとったが」


 そういうと、老人はちらりとイーグの首に巻かれているマフラーを一瞥した。


「……お前だけでも、よく帰ってきた。……しかしじゃイーグ、何故外のものを招き入れた。それがどれほどの罪か分からないお前ではあるまいて」


「そのことについては、後にどんな処罰も受けます。しかし頭領!事態は一刻を争うのです!どうか彼に寛大な措置を!」


 老人は少し難しい顔をした後に一つ大きな溜息をついた。


「他ならぬお前が言うのじゃ。話を聞こう。しかし彼に監視は付けさせてもらうぞ」


「ありがとうございます!」


 フットはそこで取り囲んでいる人間達が武器を所持していないことに気付いた。どうやら最初から武力行使を考えていたわけではないらしく、イーグがどれだけ信頼されているか分かる。


 話はうまくいったらしく、イーグが船に戻って来るのを見届けてフットは胸をなで下ろした。


「うまくいきました、フット殿」


「みたいだな、サンキュー、イーグ」


 奇異の目で見られながらも、ここでようやくフットはヤポン星に降り立った。


 外ではオイルと花の香りが混じった匂いがした。


   ♢


 ヤポン星には三人の元老が存在し、それぞれが環境、科学、軍事のトッ

プを務めている。


 イーグが最初に話していた老人は軍事の長だったらしく、大層な椅子にちょこんと座っていた。


 イーグの話を聞いた元老たちは、すぐさま星の様々な代表を招集し会議の場を設けた。


 イーグとフットも包帯でぐるぐるになりながらも出席を許されたが、その場は重々しい雰囲気に包まれていた。


「まさかオレンジペコを使用できる存在がいようとはのう。MOEの存在が真実だと露見している以上、本物であることは間違いない」


「我々が長年守っていたものが全て台無しに……」


「実際、概念秘匿を暴かれては、我らにもう打つ手など……」


 話し合いはおおよそその体を成さず、話しては溜息をつく場になってい

た。     


「もう、星を捨てるしか……」


 誰かが言ったその言葉に、ざわめきが拡がった。だがそれを否定する声が上がることはなかった。


イーグは堪らず、その場で立ち上がった。


「お待ちを!この星には我らシノビがいます。この星のためなら、我らはいつでも命を投げ出す所存です!」


 環境の元老席に座っている着物を着流し簪を挿した初老の女性が、イーグの方へ顔を向ける。


「あなたたちの技量を疑っているわけではありません。ただオレンジペコという存在はそれほどまでにどうしようもないのです」


「しかし……」


 イーグは口ごもり、右手でマフラーに触れた。左手は固く握られている。


「……星を捨ててどうなるんだ?」


フットがそのとき声を上げ、イーグに並び立った。


「ちょ、フット殿!?まずいですよ!」


 イーグの制止も聞かず、フットはぐるりとその場を見渡した。


「星を捨てて、むざむざMOEとやらを渡したら、この宇宙が終わるんだろ。それまでせめて長生きしようって腹か?お前ら散々隠れてたんだろ。今だろ、いい加減覚悟決めるときがきたんだろうが。オレンジペコがなんだってんだ。お前らだってこの兄弟ぐらい根性みせやがれ!」


「フット殿……」


 会議場は一瞬静まりかえり、沸騰していく湯のように徐々に非難囂囂の嵐になった。


「よそ者に何が分かる!」


「口を慎み給え!」


「そもそも君には関係ないだろう!」


「静粛に!」


 そこで科学の元老席に座る丸眼鏡の男性が場を鎮めるために、木槌を机に何度か打った。


 そうして場が落ち着いたのを見届け、フットの方へ元老が向き直る。


「失礼、フット殿と言ったかな。正直君がここにいる理由が私には分からない。どうしてヤポン星と関係の無い君がそうまでするのかね」


フットは一瞬固まり、傍のイーグに小声で話しかける。


「おいイーグ、キレルのこと言ってないのか」


「すみません、さすがにフット殿の妹君が敵の司令であることは、言って良いものか分からず」


ごにょごよと二人で話していると、また声が飛んでくる。


「答えたまえ。話せないような内容なのか」


 フットは暫くの沈黙の後溜息をついた。


「まあ、今から共闘しようって時に隠し事しててもしょうがねえか」


 フットは胸を張り、場を見渡した。


「関係なら大ありなのさ。何故なら、オレンジペコを使って宇宙終わらせようとしてるバカは、おれの、妹だからな」


 その瞬間またもざわめきが拡がる。しかしそのざわめきはフットが想像していたものとはどうにも毛色が違っていた。


「妹?」


「妹?」


「強気な妹?」


「ツンデレ?」


「……萌え」


 よく分からないざわめきにフットが戸惑っていると、またも元老が問う。


「待ってくれ、妹?君の妹がオレンジペコの適合者なのか」


「あ、ああ。まあ妹つっても血は繋がってないんだけどよ」


「義理の!?」


「義理の妹!?」


「義理の妹!」


「萌え!?」


「萌え!」


「「「萌え!!」」」


 ざわめきは徐々に一つの渦となり、先ほどとは打って変わって、会議の場は熱く滾り一大ムーブメントとなっていた。


「諸君、我々がやることは決まった!これより星を挙げての緊急迎撃態勢に移行する!義理の妹と聞いて、何もしない我々か、否!これヤポン星人の本懐なり!」


「「「うおー!」」」


 フットが呆気にとられている間に話はどんどん進んでいき、フットへの惜しみない協力が確約された。


「……なんなんだ、この星は」



「お恥ずかしい……」


 イーグは頭をかきながら、ぐっとマフラーを握った。


   ♢


「……!」


「いかがいたしました?」


「いや、なんか悪寒が」


 キレルがぶるりと身を振るわせ、肩をさすった。   


「噂されてるんじゃないですか。キレル様すごく陰口言われそうなタイプですもんねえ」


 キレルがちろりと睨み付けていると、クルーから通信が入った。


「まもなく目標座標に到着いたします」


「本当に何も反応がない場所ですねえ」


 ディル・ザ・ハックがレーダーとモニターに映る目の前の宇宙を交互に見る。


「お前の目にはそう映っているだろうな」


 キレルは一つ背伸びをして、マイクをたぐり寄せた。


「主砲エネルギーのチャージを開始。座標x361010y082855

z216060に照準固定」


 艦橋には慌ただしさの中に緊張が張り詰め、エネルギーのパーセンテージが増えていく様に何人もの生唾を呑む音が聞こえる。


 数十秒後、モニターにチャージ完了の文字が現われる。


 ディル・ザ・ハックがニタリと笑い、クルー達が見守る中、キレルが一拍おいて喉を震わす。


「照射」


   ♢


 ポン星では全ての施設から機械の駆動音が響き、蒸気が上っている。先ほど話がまとまったばかりとは思えないスピードで兵器が量産されていた。


「ここにいたのか、イーグ」


 軍事施設から少し外れた桜の森の満開の下にイーグは膝をついていた。


「フット殿」


 立ち上がり振り返ったイーグの向こう側には簡素な卒塔婆と線香が上

がっていた。


「……あいつのか」


「ええ」


 二人は暫く黙って、頭上の桜に目を凝らしていた。


「……殴られると思っていました」


見上げたままイーグがぽつりと零した。


「ん?ああ。そのつもりだったんだけどな、殴らねえって約束させられちまったんだよ、一方的に」


 フットがぶすっとした顔になり顎で足下の盛り上がった土をクイと差した。


「……確かに何だかんだと譲らない所がありました」


「まったくだ」


 やれやれと首を振りながら、二人して肩をクックッと揺らした。


「これを返そうと思ったんですが」



 言いながら自分の首に巻かれているものをイーグが示した。


「今はまだ借りておこうと思います。全てに片を付けた暁に、ここに供えに戻ってきます」


 そう言うと、マフラーをぐいと鼻先まであげた。


 弟もそうやって己を鼓舞していたなとフットは思い出した。


「似合ってるじゃねえか」


 イーグは一瞬きょとんとしてから目を細めた。


「実はこれ、元は某のなのです」


 そのとき、星が揺れた。


 割れんばかりの轟音が、星があげた悲鳴のように轟き、立っているのも難しくフットはその場に膝をついた。その揺れが収まった頃に、警報が鳴り渡る。


『概念秘匿への干渉を確認!星の隠蔽機能が消失!』


 二人は顔を見合わせ、軍事施設に走り出した。


 そのとき一陣の風が桜を舞わせ、イーグの供えた一献に、花弁がひたりと一つ舞落ちた。


   ♢


「頭領!」


「おおイーグにフット殿。いよいよ奴さんらが来たようじゃ」


「星の隠蔽が剥がされたのですか」


「ああ、どうやらレーザー兵器の類いらしい。この星は今現在から存在することを暴かれた。最早戦うしか道はあるまい」


 ドックのような場所では何人ものシノビらしき人物達が宇宙船に乗り込んでいく。


 そこで一際目を引く刀をさげた人型の機体がパンジャンドラム号の隣に聳え立っていた。男二人がそれに目を輝かせる。


「頭領、これは」


「お前の為に作られた機体じゃ。抜刀決戦兵器、名を、陽炎イロハ零式。コックピットに乗る操縦者の動きに連動して動く、ヤポン星技術の粋よ。先ほどのレーザー兵器に対抗するにはこれしかない。今のお前なら」


 言いながら元老がまたイーグの首元に目を向ける。


「この刀を抜ききることもできよう」


「……必ず。しかし何故人型で?」


「かっこいいからじゃ」


「成る程!」


「おれにはこういうのないの?」


「では早速準備を」


「生きて帰ってくるのじゃぞ」


「御意」


「ねえ、おれもこういうの乗りたい」


 フットの言葉は誰の耳に届くこともなく、ふて腐れながら修理の終わったパンジャンドラム号に乗り込んだ。


   ♢


「敵の宇宙船との戦闘が開始されました」


 艦橋のモニターには敵味方の宇宙船が入り乱れ、次々と自陣の船が落ちていく。


「さすがはシノビの乗るヤポン星の船。何なんですかあの機動性」


「まあ、まともにやって勝てるのなら苦労はしない」


「しかし、この先の手も決まっているのでしょう?」


「まあな。今ジャックポットプールにいる客の数は?」


 ディル・ザ・ハックはその言葉の意味を一瞬で理解し、三日月型に口を歪ませる。


「七万と三千十七人ですねえ」


「一発分にはなるな」


 そう言うと、キレルはコンソールを操作し始めた。


   ♢


 開園以来昼夜灯りが消えたことのないジャックポットプールのそこかしこに、どこまでも黒いブラックボックスが突如として現われた。


 最初の犠牲者である酔っ払いが千鳥足で気付かぬままにそれへ近付いていき、ひとたび爪先が触れた瞬間、瞬く間にその闇に引きずり込まれた。一連の出来事が速すぎて自覚も無いままに意識が途切れた彼は、まだ救いがあったのかもしれない。


 しかしその後に引きずり込まれていった客達は、阿鼻叫喚の様相だった。


 一瞬で騒ぎは広まったが、出入り口は全て封鎖され、客達の意味を成さない怒号と命乞いが一つ一つ消えていくに比例してブラックボックスは体積を増していった。


 やがてカジノやシアターの底抜けに明るいBGM以外聞こえなくなった頃、巨大になった黒いそれは、ゆっくりと収縮していき、数十秒で最初のサイズに戻っていった。


『ジャックポットプールへようこそ!』と書かれた入り口の看板がガランと音を立てて落ち、暫くぐわんぐわんと揺れていたそれがぱたりと止んだとき、決して消えることのなかったジャックポットプール全域の灯りが落ちた。


   ♢


「これでようやく一発分か。お兄ちゃんがいたらなあ」


「いや、あの人が異常なんでしょう」


約七万人分の生命エネルギーが充填されていくのを横目にキレルが溜息をつく。


「次の一撃で中枢施設を叩く。それがすんだら、星に降りるぞ」


「了解しました~!」


 ビシッとディル・ザ・ハックが敬礼をきめたとき、ジャックポットプールとヤポン星との間に、一機の白い機体が躍り出た。


   ♢


 陽炎イロハ零式のコックピット内には操縦席や機器の類いは殆ど無く、立っているイーグの四肢と頭、そして刀にケーブルが繋がっており、イーグが手を握ると、機体も同様に拳を作った。


 顔を上げれば、三百六十度開けたモニターに巨大な戦艦が映り、それが砲門を構え、そこに光が収束されていく。


 背には剥き出しの故郷が浮かび、数秒後にそこへ先ほど結界を破ったレーザーが放たれようとしていた。


「異星の者よ、これ以上、我ら兄弟の故郷を荒らしてくれるな」


 パサリと体に巻かれていた包帯を落とす。


 ゆっくりと、携えた刀の柄に手を添えた。機体も同様に抜刀の構えをとる。しかし


「……重た過ぎませんか頭領……!」


 機体と連動している刀は予想以上に固く、がっちりと刀身が鞘に収まっていた。


「ぬ、おお……!」


 万力を込めるも、刀身が覗くことさえ叶わない。


 瞬間、モニターが眩い光に包まれたかと思うと、真っ直ぐに光線が放たれた。


 距離と速度から見て、それが数秒で背負う星に到達する事を、無慈悲な演算処理がたたき出す。


 呼吸は荒くなり、エラー音が騒がしい。焦るばかりで一向に刀は抜けない。目前に迫る光線に目を細め、思考は巡り、暗転しそうになる意識に縋り付く。


「……エイジ」


 イーグがヤポン星に戻ってから、決して口に出さないよう努めていた、その名を呼んだ。


 その刹那、イーグの脳内を記憶ログが駆け抜けた。半生を一瞬で追体験し、修行時代の仲間の顔や、様々な貌を魅せる里の山が脳裏に次々と映し出される。


 その全てはしかし、一人分のものではなく、覚えのないもう一つの視点が存在していた。


 四季を何度も巡り、景色と背丈が変わっていく中、変わらず一緒にそれらを二人で眺めていた。いつも隣で同じものを見ていた。背にある星で、それは昔日に、確かにあった。


 メモリに残された弟の名残はその内に、二つの視点は一つになった。

薄い薄い時間の中で、イーグは静かに息を吐く。機械系統の不具合か、はたまた生きていることの何よりの証左か、頬を一筋、雫が伝い、落ちた。


「……奪わせはしない、奪わせてなるものか!」


 筋繊維が切れる音の向こうにキンとした音が鳴る。レーザーはモニターを埋め尽くすほどに迫っていた。


「某は……」


 覗いた刀身から雷光が迸り、のたうつ何匹もの龍のように操縦席を走り、やがて纏う。髪は逆立ち、マフラーがはためいた。


「我らは、人に非ず。然りとて最早シノビに非ず。我らは水面にたゆたう一匹のカゲロウの翅の閃き。即ちただ一振りの刀なり。音は彼方に、光すら超えた先に、我らは稲妻を見たり……!」


 郷愁と慟哭と、覚悟に想い、全てを乗せたその足が、強く、強く踏み込まれた。


「雷速抜刀!」


  ♢


「エネルギーがチャージし終わったら直ぐに第二レーザーを照射しろ」


「了解しました!」


「キレル様~、なにかヤポン星の前にイカしたロボットがいるんですけど」


「一機だけか?まさか、あの兵器を単機でどうこうできるはずが」


 言いながらキレルがモニターを見ると、白い人型の機体がぽつんと宇宙に浮いていた。ゆっくりとその機体が、さげた刀に手を伸ばし構える。


 その瞬間ぞわりとしたものがキレルの背中を走った。


「まさか……、いやそんなバカをやるはずが……」


「チャージ完了!レーザー、照射します!」


「待て!」


 しかし、キレルの制止は一瞬遅く、光線がヤポン星に向かって放たれた。


「くそ!今すぐ緊急回避だ!右舷のブースターを展開しろ!急げ!」


「か、回避ですか?了解しました」


 クルーは首を傾げながらも素早くブースターを展開させ、ジャックポットプールが急激なGと共に左に逸れていく。


「あーれー!……ぐへぁっ!」


 ディル・ザ・ハックが床を滑っていき壁に叩きつけられたのを聞きながら、キレルは手すりにしがみつき、モニターから決して目を離さずにいた。


 レーザーが目前まで迫っても機体は微動だにせず、一瞬そのまま星もろとも貫かれるのではと思われた。


 しかし、雷光は抜き放たれた。


 目も眩むほどの稲光の後、レーザーは機体から向こう真っ二つに切り裂かれ、ヤポン星の横を二股に過ぎていく。それどころかその斬撃はまだ死なず、飛んだ。


 そのままレーザーを斬り分けながら、ジャックポットプールに迫り、今の今までジャックポットプールがいた座標を斬撃がかすめ飛んでいく。しかし、避けきることはできず、戦艦の右半分がスッパリと斬られ、爆発を起こした。


「主砲と操舵システムが停止!このままではジャックポットプールが、落ちます!」


「く……!思いついたところでやるか普通!?何なんだあの星は!」

キレルは油断しオレンジペコを飲まずに挑んだ己に憤り、爪を噛んだ。


「おい!ディル!」


 振り返りキレルが叫ぶとディル・ザ・ハックが笑みを浮かべて会釈した。


   ♢


「ハッハー!あの野郎、やりやがった!おいおい見たかよエイジ。お前の兄貴、カートゥーンなんかよりよっぽどやべえぜ!」


 イーグがレーザーを真っ二つにしたのを見届け、フットは拳を振り上げながら、アクセルを踏み込んだ。


「後はおれの仕事だな」


 ジャックポットプールに甚大な被害が出てから、目に見えて敵の宇宙船達は浮き足立っているのに対し、シノビ達は勢いを増し、戦局は決着しつつあった。


 しかしそのとき、突然シノビの船が何隻か同時に爆発した。


「なんだ!?」


 フットとシノビ達が事態を把握できないままに、次々と味方の船が撃墜されていく。


 パンジャンドラム号の近くにいた船が爆発したとき、その爆炎から一隻の宇宙船が飛び出した。


 それは紺色のデルタ翼をした戦闘機のような宇宙船だった。機動性はまるで他の船と違い、更に後ろに目がついているとしか思えない動きでシノビたちの猛攻を躱していた。


「……お前だな、キレル」


『私もいまーす!というか一応これ私の船なんですけどね』


 パンジャンドラム号の無線が勝手に開き、しゃくに障る声が船内に響く。


「ディル・ザ・ハック……!」


 ジャックポットプールでの事がフラッシュバックし、気付けばフットは拳を握りしめていた。


『お前はそもそも操縦ができないだろう。……ああ、お兄ちゃん、二日ぶりぐらいだな。元気にしてたか。まったくあのシノビにはしてやられたよ。もう少しスマートに事を済ませたかったんだがな。まさかジャックポットプールを失うことになるとは』


 無線で話している間にもキレルは次々に船を落としていった。


「キレル!もうお前のバカな企みもここまでだ、いい加減諦めろ!」


『何故?私は私が生きている以上何も失ってはいない。私には自分以外失うものなんてないからな。ジャックポットプールも所詮は楽に目的を達成するために利用していたに過ぎない。なあお兄ちゃん、分かってるだろう。こんなことで私は止まらない』


「だったら、おれが止めてやるよ……!」


 フットは魔法瓶に残っていた紅茶を飲み干し、パンジャンドラム号に用効果を拡げていった。その気配を察知したキレルも懐から試験管を一本取り出し、全能を飲み干す。


 決して相手の弾が当たらないもの同士のドッグファイトが始まった。


  ♢


「イーグ!無事か!」


 レーザーを斬った陽炎イロハ零式は、そのままヤポン星に不時着し、中から満身創痍のイーグが体を引きずるようにして出てきた。


「はい頭領、なんとか。戦局はどうなってますか」


「うむ、お前の働きで敵の戦艦も既に沈黙した。しかし、敵の総大将が単機で脱出したとの報告を受け取る。こちらの被害も甚大。オレンジペコが相手では我々にはもうフット殿を頼ることしかできん」


その言葉に驚き、並んで立っていたイーグは顔を向ける。


「頭領、フット殿の体のことを……」


「いいや、しかし分かるわい。あんなにも紅茶の香りがしてはな」


そう言うと、よく晴れた春の空を老人は見上げた。


「オレンジペコに適合した妹と紅茶に愛された兄とは、なんと数奇な兄妹よ」


 つられイーグも顔を上げると、昼にも関わらず二つの流星が飛び交っていた。


   ♢


「いい加減、当たりやがれ!」


 フットが後ろから機銃を掃射するも跳ねるような動きで悉くを躱される。デルタ翼はそのまま身をひねり、パンジャンドラム号の後ろに付ける。すかさずフットは急ブレーキを踏んで、船体ごとデルタ翼をすり抜け後ろに回り込み撃ち込むが、デルタ翼はロールして全てを回避した。


「きりがねえな」


 お互い決定打を持ち合わせないままにデルタ翼はただ避け、パンジャンドラム号はただ撃つことを繰り返した。


『そろそろじゃないか?』


 突然キレルの声が無線から聞こえ、フットが何のことか気付く前にパンジャンドラム号の適用効果が剥がれ始めた。


「やべっ……」


 ここ数日の連続使用により、フット自身の疲労から適用効果の時間が短くなっていた。


 フットが気付いた頃には、既に後ろにデルタ翼が回り込んでいた。


 回避する暇も無くパンジャンドラム号に機銃が放たれ、一瞬で蜂の巣になる。フット自身にかかる適用効果はギリギリ残っていたものの、船の計器類やエンジンが次々と破壊されていった。


『それじゃあな、お兄ちゃん』


「待てキレル!くそ!おい、動いてくれよ相棒!」


 操縦桿はピクリとも動かず、船内には煙が充満していく。


 キレルとディル・ザ・ハックを乗せた船はヤポン星に向きを変え、真っ直ぐに飛んでいった。


   ♢


「斥候から連絡が入った。フット殿が敗れたそうじゃ」


「そんな!」


「慌てるな、彼はまだ生きている。しかし、斥候がフット殿を救出している間にオレンジペコが先に来るじゃろう。イーグ、分かっておるな」


「……はい頭領。お供いたします」


   ♢


「はあ~、これがあのヤポン星ですか。思ったよりも自然が多いんですね」


「表面だけ見ればな。地下ではこれの三倍以上の施設が稼働している。今から向かうのもその内の一つだ」


 大気圏を抜けヤポン星に入ったキレル達は、オレンジペコが示すMOEの保管場所へ向かって宇宙船を飛ばしていた。


「それにしてもキレル様はお優しいですねえ」


「……何のことだ」


「まぁたまたぁ。あれだけ至近距離で機銃を撃っておきながら、爆発の一つもしないなんて偶然としてはできすぎていますよ」


「妙な勘ぐりはよせ。お兄ちゃんの悪運が強いのは今に始まったことじゃない」


「そういうことにしておきますかね」


「……着いたぞ」


 キレルは無視し、桜の森の拓けたところへ船を着陸させた。


 船を降りるとキレルは迷いのない足取りで一本の桜の木の前に向かう。しかしその木の前には白い髭の老人と刀をさげたシノビが既に立っていた。


「お前さんがオレンジペコのお嬢さんじゃな。隣のは喜劇王とお見受けする」


「これはこれは!お初にお目にかかります、名も知らぬ翁殿。随分とまた懐かしき名をご存じで!そしてそちらの赤いマフラーが似合うお方も、お元気そうで何よりです!」


 ディル・ザ・ハックは大袈裟に手を広げ頭をさげた。


「貴様……」


 イーグは殺気を隠すことなく刀の柄に手をやった。


「落ち着くのじゃイーグ、己を手放してはならん。……お嬢さんよ、あんたがやろうとしていることは聞かせてもらった。しかしそれを果たしてお前さんはどうなる。お前さんは一体何に取り憑かれておるのじゃ」


 キレルは奥にある桜に向けていた視線をそこでようやく正面に直した。


「……ヴィンター・メルト・サダルカーン。軍事の元老にしてシノビを纏める頭目。若かりし頃に武芸を極め、人の身でありながら果ての一端に手をかけた化け物だな。お前に敬意を表し答えよう」


 キレルは自嘲気味に鼻で笑い、一歩距離を詰めた。


「大した事じゃあない。私はこの世界に貸しがある。ただそれを取り返しに行くだけさ」


「……話し合うことはできぬのか」


「話し合いなんていうのは対等な相手とやるものだろう」


 キレルがもう一歩近寄り、イーグが刀を抜く。ディル・ザ・ハックは紅茶を取り出し、ヴィンターが拳を構えた。


   ♢


『フット様!ご無事ですか?』


 煙が充満するパンジャンドラム号の船内に斥候のシノビからの無線が響

いた。


「……ああ、なんとかな。ただ船がやられた」


 フット自身への適用効果は既に消え、煙に何度か咽せる。


『お待ちを、今から曳航してヤポン星に帰還します』


斥候の宇宙船からワイヤーが伸び、パンジャンドラム号に引っかけた。そのままヤポン星に向かって進んでいく。


「悪い。キレル達は?」


「……既に星へ侵入。MOE目前まで迫っているとのことです。それを防ぐために、頭領とイーグ様がお二人で……」


「何だと!?おい、すぐにその場所までとばしてくれ!」


「ぎょ、御意!」



 船は加速し、引かれるパンジャンドラム号の中で、フットは拳を握りしめた。


   ♢


一本の桜の木の前で、イーグは仇を前に立っていた。


「こうしてあなたと再会できて非常に嬉しく思っていますよ、ええ」


 ディル・ザ・ハックはティーカップを片手に、イーグへ語りかける。


「しかしなんだか随分と丸くなってしまわれたようで残念です。ジャックポットプールでのあなたは最高でした」


「黙れ!貴様のせいでエイジは……」


「間接的には、ね」


 その言葉を聞いた瞬間、イーグは右手で刀を構えたまま左手でもう一本の刀を引き抜いた。雷鳴が鳴り、地面を抉りながらその一刀は走る。ノータイムで逆手に引き抜かれたその抜刀術は見てから避けきれるものではなく、つまりディル・ザ・ハックはどこに斬撃が飛んでくるのか分かっているような動きでそれを躱した。


「紅茶の……」


 イーグは吐き捨てるように言い、ディル・ザ・ハックが持つ空になったティーカップを睨んだ。


「生身であなたの前に立つほど私は狂っちゃいませんとも」


 お互いがじりじりと間合いを計っていると、突然宇宙船の駆動音が上から響いてきた。


 見上げると、シノビの宇宙船がよく知る宇宙船を引いていた。繋げていたワイヤーが解かれそのままパンジャンドラム号は煙を上げながら半ば墜落するようにして着陸した。


「フット殿!よくぞご無事で!」


「お互いな。見たぜ、お前がレーザーぶった斬るところをよ。しびれたぜ」


 コックピットから煙で黒く煤けたフットが出てくる。


「私は残党の処理がございますので、お供することができません!イーグ

様もフット殿もどうかご武運を!」


パンジャンドラム号を引いてきたシノビは宇宙船の上から叫んだ。


「ああ、助かったぜ。任せろ」


 親指を立て宇宙船を見送ると、フットはディル・ザ・ハックに向き直った。


「本っ当にタフな人ですねえ」


 ディル・ザ・ハックは面白半分呆れ半分で呟いた。


「ディル・ザ・ハック、おれもそろそろお前の顔は見飽きてきてんだ。決着といこうや」


 フットは拳を鳴らしながらイーグの隣に立った。


「お待ちをフット殿、頭領とキレル殿が既にMOEに向かいました。フト殿はそちらを。ここは私に任せてくれませんか」


 そう言ってイーグは桜の木の根元に開かれた隠し扉を示した。


「あそこから地下に通じています」


「待てよイーグ、おれだってこいつには……」


「どうか」


「……分かったよ。負けんじゃねえぞ」


「無論です」


 そう言うとどちらからともなく拳をぶつけた。


「そういうことだピエロ野郎!精々ニヤニヤ笑ってやがれ!」


 ディル・ザ・ハックに啖呵を切るとフットは地下へ続く階段に駆けていった。


 イーグはディル・ザ・ハックが動いた瞬間に止められるよう身構えたが、ただ笑ってフットにハンカチを振って見送っていた。


「それにしても」


 フットが去った後、ディル・ザ・ハックはイーグに向き直り笑いをこらえるように口元を歪めた。


「キレル殿、ですか」


「……?」


「こちらの話でぇす、お気になさらず。では始めましょうか」



 ディル・ザ・ハックは懐から古い型の拳銃を取り出した。イーグは刀をまた鞘に戻し、大きく息を吸い、吐いた。


「エイジ、少し借りるぞ」


ディル・ザ・ハックが引き金を引き、撃鉄から火花が散った。

 

  ♢


 地下への階段は地獄へ通じているのではと思うほどに長く、暗い道は時間と距離の感覚を鈍らせた。

一抹の不安がフットの胸によぎった頃、ようやく光が見え、階段が終わる。地下は宇宙船の内部のようになっていた。機械類に囲まれた空間が広がり、通路が一本、奥まで伸びていた。


 道はそう長くなく、直ぐに通路から開けた空間に出る。そのだだっ広い空間の真ん中にはポツンと、しめ縄の巻かれた一本の巨木が立っており、その木に向かってキレルが立っていた。

傍の壁には血塗れのヴィンターがうなだれ凭れていた。


「じいさん!」


 駆け寄ると気を失っているだけらしく、微かに胸が上下していた。


「ああ、早かったなお兄ちゃん」


 キレルは木の方を向いたまま、フットに声をかけた。


「キレル……」


「そう構えるな、今更戦う気は無い。まあ座れ」


 そう言ってキレルが指を鳴らすと、どこからともなく猫足のテーブル一つと椅子が二脚現われた。机の上にはティーカップが二つ湯気を上げている。


 ようやく振り返ったキレルのこめかみからは血が一筋流れていた。


「まったく、ほんとにあのじいさん人間か?久しぶりに自分の血を見た」


 キレルが座り、紅茶を飲み始めたので、なんだか毒気が抜かれたような気分になりながらフットも席に着いた。


 手元のティーカップからは今までに嗅いだことのないような芳しい香りがした。しかし敵の出したものをそうほいほいと飲む気にはならず、何か入っているのではと、目を閉じて紅茶を飲んでいるキレルを盗み見しながら、フットは何度か鼻をひくつかせた。


「安心しろ、何も入れちゃいないさ。そもそもオレンジペコに毒なんかいれても一瞬でかき消されるからな」


「オレンジペコ!?」


 フットは慌ててティーカップから顔を離し、まじまじと手元の液体を眺める。しかし格式高い香りと忘れられた宝石のような輝き以外は普通の紅茶にしか見えなかった。


「オレンジペコ自体はどこでも採れる。そもそもあれは等級の名前だしな。けれど全能が宿るオレンジペコが採れる星は一つだけ」


 そう言うとキレルは目を伏せ、持ってるティーカップをさすった。半目に開かれた瞳は平時と違い、琥珀色に光っている。その瞳はどこか遠くを見ているようで、細波だつ夕暮れの海を思わせた。


「セレイン星だけだ」


「そいつは……」


「私たちからしたら故郷の味ってやつだな」


   ♢


 桜に囲まれた広場には多くの爆発による窪みができていた。しかし音は無く、静寂の中、一本の桜の木の前に男二人がいた。


「成る程……己の斬撃を、弟のホログラムで引き延ばし、それを見た相手は、脳の誤作動により死に至る。しかし、まさか物理的な干渉まで、引き起こすとは」


 血塗れになったディル・ザ・ハックは息も絶え絶えに仰向けで伏しながらも笑みを消すことなく、己を見下ろしている相手に目を向ける。


「ホログラムだった時とは違う。今なら確かな質量を、脳を持った相手になら与えられる。目を瞑っていようが最早関係無い。痛みとは、脳がそうだと思っているからこそ起こる。さすれば体がそれに追随し、当然皮膚は裂け、血も流れる」


 言いながらイーグは刀を逆手に持ち、ディル・ザ・ハックの胸の上に掲げた。


「エイジの仇、討たせてもらうぞ。せめてもの情けだ。何か最後に言い残すことはあるか」


 ディル・ザ・ハックはそれを聞き、喉の奥からひゅーひゅーと音を鳴らした。それは今際の際の笑い声だった。


「私の紅茶の、適用効果はですね、人の、感情が分かるのです。あなたの心は、素晴らしい。ジャックポットプールでのあなたは、美しかった。しかし、今もあのときの炎が、私には、視えています。青くて、黒い、綺麗な炎だ。まるで、あの人のように。仇を討とうというのに、その炎は未だ衰えていない。分かっているのでしょう?これで終わりではないことを。だからこそあなたは、囚われたままに燃えている」


 ディル・ザ・ハックからは逆光になってイーグの顔を窺うことはできなかった。


「言いたいことはそれだけか。ならば、逝け」


 掲げられた刀はそのまま、ディル・ザ・ハックの胸に振り下ろされた。


(そんなに退屈なら、私がとっておきを見せてやろう。代わりにお前の船をよこせ)


 ディル・ザ・ハックは常々死んでみたいと思っていた。故に、死に際に己がそんなことを思い出したことに驚いた。心残りなどというものが己にあるとは思ってもみなかった。出会ってからは目まぐるしく退屈は殺されていき、それからの年月を数えることも忘れていた。


「……あなたの世界を、見てみたかった」


 ストン、と、案外軽い音と共に刀は落ち、ディル・ザ・ハックは生まれて初めて悲しくなった。


 物言わなくなった骸から刀を引き抜き、血を飛ばすためにイーグはそれを一薙ぎ払った。


(これで終わりではない)


「……言われるまでもない」


 そう言ってイーグは地下に続く階段に目を向けた。


   ♢


「セレイン星……」


 忘れられる訳もない。フットが実験施設から逃げ出し流れ着いた星。キレルや仲間たちと出会い、そして全てが始まった星。


 キレルは皮肉そうに片眉をつり上げ、ティーカップを机に置いた。


「知りたいんだろ、お兄ちゃんは。どうして私がこんなことするのかを」


 そう言うとキレルは視線をフットの持つティーカップに向けた。


「飲めば分かる」


 つられフットも手元のティーカップに視線を落とした。あまりに澄んでいるその液体に畏怖さえ覚えながらも魔性のようなその輝きに引き寄せられ、ゆっくりとそれを口に運んでいく。


 その様子を見ていたキレルは不意に溜息をつき、通路からの入り口に目を向けた。


「空気の読めない男だな」


「は?」


 ティーカップに口をつける寸前だったフットも、キレルと同じく入り口の方を見た。


「イーグ……!」


 そこには既に刀を抜いたイーグが立っていた。


 無事だったことにひとまず安堵したフットだったが、それは彼の濃密な殺気を感じとるまでの話だった。


「そうか、あいつは逝ったか」


 キレルはそう言って目を瞑った。


「然り。そして次はお前だ。弟エイジの仇、キレル、その首もらい受ける」


 イーグは腕をもたげ、刀の切っ先を真っ直ぐにキレルへ向けた。


 エイジの仇という言葉にフットは胸に痛みを覚えた。フットもイーグも、言葉にしないよう努めていたがいずれこうなることを二人は理解していた。


「あまり図に乗るなよ、アンドロイド。私はもうお前相手に手を抜く気は無い」


 キレルはゆっくりと椅子から立ち上がった。その全能を見据える瞳は確かな適用効果をたたえ、金色に輝いていた。


「待ってくれ、イーグ!もう少し時間をくれ。こいつはおれが説得する。引きずってでもエイジに詫びを入れさせにいく。だからもう少し……」


 堪らずフットは二人の間に割って入った。


「申し訳ありません、フット殿。某は今、正気です。ジャックポットプールの時とは違う」


 そう言うイーグの声音は仇を討とうとするものとは思えないほどに静かだった。


「貴方には返しきれない恩があります。しかし某は正気のままそんな貴方の令妹を斬ろうとしているのです」


「イーグ……」


 どう声をかければいいか分からずフットが俯いたその瞬間、イーグは横に跳躍し、キレルを視界に収めると跳躍した姿勢のまま空中で刀を振った。


 エイジのホログラムで引き延ばされたそれは、壁や床を一切傷つけること無く、ただ生物を殺すことしかできない無能な斬撃としてキレル目がけて飛んでいった。


 しかしそれを上半身を反らし難なく躱したキレルは片足の一足飛びで間合いを詰め、回し蹴りを着地したばかりのイーグのこめかみへ向けて放つ。すんでのところでそれを刀の柄で受け、空いた左手で刀を振るが、後ろに大きく飛ばれそれも躱される。


「止せ!」


 お互いが再び衝突する瞬間にフットは飛び込み、義手で刀をいなし、左

手で踵落としを受け止めた。


 フットを挟んで一瞬硬直していた二人の時間はしかし直ぐに動き出す。


 キレルが身体を半回転させフットを躱し、その勢いそのままにイーグへ向けて蹴りを放つが、フットがそれに蹴りで合わせ軌道を逸らす。フットの意識が外れた瞬間を見逃さず、イーグが鋭くキレルの顔面に向けて突きを伸ばすも、すぐさまフットがそれを掌底で払いのけた。


 キレルとイーグはフットを躱し、その向こうの相手の急所目がけて必殺の一撃を放ち続ける。その都度フットはそれを阻止し、常に二人の間に陣どっていた。


 お互い討たなければいけない相手と見えながらも、その間には決して殺すことのできない人が立っていた。


「……お願いします、フット殿……!どうか止めないでください!」


 何度目かの刀と脚と義手の剣戟の後、三人が一定の距離をとるとイーグが叫んだ。


「あなたを……某に斬らせないでくれ……」


 地下に来てから、初めてイーグの決意に鈍りが生じた。刀をさげ訥々と懇願する。


「……おれだってそうさ、イーグ。おれにエイジとの約束を破らせないでくれよ」


 エイジの名が出ると、イーグがピクリと身じろいだ。


 しかし、フットの思いとは裏腹に、その名はイーグに今一度の覚悟を確かにさせるものだった。


 イーグは大きく息を吐くと左手の刀を収めマフラーを解き、右手と刀をそれで固定した。そうして懐から簡素な竹筒を取り出した。


「……面白い。ガルモデキニアサルバトロスが用意した紅茶だな。しかしそれを飲むということの意味を理解しているのか?」


 キレルは言いながら少しも面白くなさそうに、竹筒を一瞥した。


「エイジが渡したのか……」


 フットがスペース・コロッセオで手に入れ、エイジに持たせた茶葉だった。その能力は


「投影。相手の構造を理解し、自分へその能力を添付する。要はコピー

だ。だが今は私も範囲内にいる。ここで飲めばオレンジペコまでコピーす

ることになるぞ。バカか。常人に飲めるわけないだろう。自殺するつもり

か」


「イーグ」


 キレルの説明がなくともフットは直感で、あれは人が飲んで良いものではないと知っていた。


 イーグがゆっくりとフットへ顔を向ける。


「やめろ」


 するとイーグは、いつかの誰かのように微笑んだ。


「フット殿。あなたが思っているよりも、我ら兄弟は、頑固なのです」


 あまりにも静かなその微笑みは、フットが止めに入るのを数瞬遅らせた。


「御免」


 一息に竹筒を呷り、全てを飲み干した。


「あ、ぐ、……ごふっ」


 竹筒が床に落ちカラカラと音を立てる。イーグは頭を抑え苦悶した表情をしたかと思うと、至るところから血を噴き出した。


「イーグ!」


イーグはそのまま崩れこむようにしてその場に膝をついた。


「……死んだか。いくらアンドロイドといえど、あれを飲んで生きていられるはずが……ん?」


 しかしキレルの全能が弾き出した答えは、予想とは違うものだった。


 フットが堪らずイーグに駆け寄ろうとした瞬間、虫の羽音にも似た音と共に空気が震えた。


 そして突如としてイーグを包み込むように靄のような球体が出現した。


 その球体は徐々にイーグを中心として加速度的に肥大していき、それが全て斬撃で作られたものであるとフットが理解した頃に、イーグの全方位へそれが解き放たれた。


「バカな!?」


 部屋を埋め尽くすほどの斬撃は室内を飛び交い、空気を裂くその音は、雷鳥の鳴き声を思わせた。


 回避などできるはずも無く、フットはただ頭を守るように腕で庇った。しかし一向に痛みが走ることは無く、音が収まった頃に恐る恐る目を開けると、フットは傷一つ負っていなかった。


「イーグ、お前……」


 見遣ると、イーグは血塗れになりながらも立ち上がっていた。


「……ご無事で何より」


 イーグはちらとフットを見ると、直ぐに前を見据え、キレルの方へ脚を引きずりながら歩いて行く。


 キレルもさすがに全ての斬撃を躱すことはできず、全身を裂傷だらけにし血塗れになっていた。


「コピーする際に自己のスペックから逆算してある程度の劣化版としてオレンジペコをインプットしたってところか。だがその程度で」


 キレルは立つこともできないらしく、目の間に立ったイーグを忌々しげに睨みながらもそこから動くことはなかった。


「勿論それもありますが、某一人ではどのみち死んでいたでしょう。しかし生憎と某は今一人ではないのです、キレル殿」


 先ほどと比べ物腰が柔らかくなっているイーグにキレルは眉をひそめた。


「そして、一瞬だけですが果てを視たとき、失礼ながらあなたとフット殿を視ました」


それを聞き合点がいくと同時に、キレルは血が混じった唾を吐いた。


「それでどうしたというんだ。まさか同情したのか?私はお前の弟の仇だぞ」


「ええ、分かっています。しかし某があなたの首を落とす行為に、もう一つ、理由が増えました。某は、あなたを救うためにも首を落とすのです。……あなた達は、悲しすぎる」


 そう言うとイーグは介錯人のように刀を構えた。


 その様にキレルは一瞬目を瞠り、そのまま俯いた。それは首を差し出したようにも見て取れる所作だった。


「……所詮は劣化版か」


 イーグが刀を振り下ろし、キレルが呟いた瞬間、空気の弾ける乾いた音がした。


「それだけは、させねえ」


 キレルの首に刀が振れる寸前で、フットが義手でそれを掴んでいた。


 直後、先ほどまでフットが立っていた場所へ、空気が轟音と共に流れ込んだ。


 イーグは、記憶の奥でこの音と微かにする香りを知っていた。


 そしてゆっくりと振り向いたその瞳の色も。


 紅茶に愛された男。ヴィンターはそう言った。しかしオレンジペコでフットの過去を垣間見たイーグには、目の前に立つ琥珀の人が最早そんなものには見えなかった。


 これは呪いだと、そう思った。


 風が吹き荒れ、イーグの手に巻かれたマフラーがバタバタと躍る。 一足でイーグはフットから離れ、抜刀術の最大値が発揮される距離をとり、刀を鞘に収める。


 フットも拳を構え、腰を落とした。


 イーグが爪先に力を入れ踵を浮かせると、地面との間に青白い電光が走る。


 全身をバネにし、ただ一太刀のため、鞘のうちにエネルギーを収束させる。語る言葉は既に果たし、思考も尽きてその後に、男は二人、相対して立っていた。


 そうしてイーグが地を蹴り出そうとした瞬間、既にフットはイーグの横を通り過ぎていた。


 音は、随分と遅れてやってきた。


 右手の刀は鞘から覗かせていたところから折られ、フットを目で追おうと振り返る間もなく、イーグは左手に折れていない脇差しを握ったまま、意識を失った。


 空気が流れていく轟音の中で、イーグが倒れた音と共に、切断された義手がガチャリと床に落ちる。


「……ただでは転ばないってか」


 切断面を抑え、フットは倒れたイーグを見遣る。力加減がしにくい状態ではあるが、イーグなら死ぬことはあるまいと、刀を折ると同時に鳩尾に渾身の一撃をきめていたが、ほぼ同時にイーグは左にさげた脇差しを抜き、フットの義手を捉えていた。それはつまり、落とそうと思えば首も落とせたことになる。


「……悪いなエイジ、約束破っちまった」


 フットの身体からのぼる湯気は次第に収まり、瞳も平時の色に戻っていく。張り詰めていたものが緩み、フットは大きく息を吐いた。


 そのとき、自分以外の誰かが動く気配を感じ振り返ると、キレルが身体を引きずり、部屋の中央に置かれた巨木の前に這っていた。


「キレル?何を……」


「……私は、それを覚えている」


 キレルが腕を伸ばし木に触れ、呟いた。


 瞬間木は光を発し、幹を血管のようなものが迸った。フットが呆気にとられているうちにそれはキレルが触れている部分へ収束し、光が収まった頃に、その手には木の枝が握られていた。


「あれが、MOE、か?」


 キレルは仰向けになり枝を矯めつ眇めつ見つめると、懐からまた試験管を取り出しコルク栓を開け、目だけをフットへ向けた。


「じゃあな、お兄ちゃん。向こうで待ってる」


 そう言うとキレルはフットの返事も聞かず、中身を飲み干した。


 するとキレルの全身が一瞬で琥珀色の液体になり、パシャリと音を立ててその場に拡がった。  


「お、おい!キレル!?どうなっちまったんだこれ……」


 慌ててキレルがいた所へ行くもそこには紅茶の水たまりがあるだけだった。


「向こうで待ってるったって……」


 しかし、フットは直ぐにキレルに言われたことを思い出した。


「飲めば分かる、か」


 テーブルに目を向けると、いれてから時間が経ったにも関わらず、変わらずティーカップからは湯気がのぼっている。


 それを手に取ると湯気で視界がぼやけた。


「……ほんと、手のかかる妹だよ、お前は」


 一つ、悪態と溜息をつきながら覚悟を決めると、フットは、ぐいとそれを傾けた。


   ♢


 極彩色がひたすらに点滅している。上がどちらかも分からない。自分という存在さえフットには認識することができなくなっていた。


 同時に宇宙の全てを覗き、全ての場所に存在し、全ての感情を追体験した。自己の存在が分裂しては集合し、また直ぐにちぎれていく。


 泣き叫ぼうにも声は出ず、そもそも声の出し方などとうの昔に忘れてしまった。


 抽象的でありながらも決して夢ではない景色が、生物が、万物が視界を貫き続け、耳には悲鳴と産声がただ繰り返される。


全てを視るどころの話ではない。自分という存在は希釈され、全てが己の中に入り込み、全てに自分がなっていく。


 無数に星が生まれ、生物がついでのように増えては減って、最後に星もろとも燃え落ちた。




 もう充分だ。限界だ。許してくれ。分かったから。おれが間違っていた。こんなのはおかしい。




 この宇宙は、この世界は、まともじゃない。


 その感情を最後にフットの個体としての意識は吹き飛び、そのまま銀河の閨に溺れていった。


   ♢


『おいフット!酒がたんねえ、奥からとってこい』


 歌う鯨は常連の客達で賑わいを見せていた。オレンジ色のランタンが光を落している店内ではジョッキのぶつかる音が響き、誰かが調子っぱずれた歌を歌い続けている。遠耳にはホラムの鳴き声が聴こえてきた。


「……ん?」


 暫く呆けていたフットは、首を傾げ、自分の手の平を見つめた。いつも通りに生身の左手と義手の右手がそこにはあった。


「……んん~?」


 何かに違和感を覚えながらも、その正体が分からず、ますますフットは首を傾げた。


「なんか忘れてるような……」


『おいフット、聞こえてんのか!あんまりお客様を待たせるんじゃねえ!』


 しかし考えるよりも先にマスターの大声が飛んできた。


「あ、ああ聞こえ『聞こえてるよ、うっせーな!』」


 振り返りフットは返事をしようとしたが、それは別の声にかき消された。


「は?」


 声の方を向くとそこにはもう一人のフットが立っていた。現在のフットよりもいくらか若い。


『ったく、人使いがあらいぜ』


 ぶつくさ言いながら、もう一人のフットは店の奥に向かって歩いて行く。


「お、おい待て!お前は一体……」


 慌ててもう一人の自分の肩を掴もうとしたが、手応えはなく、そのまま手はすり抜け、つんのめる。


「うおっ!……何だってんだ」


 自分の手を見つめ、開いては握った。


 もう一人のフットはそのまま酒を保存している部屋に消えていった。


「夢にしたって妙な夢だな」


 フットは混乱しながらも自分の後を追い、扉をくぐった。


 しかし、フットが部屋に入った瞬間、背にあった店の喧噪は一様に全員が口を噤んだようにぱたりと止んだ。何事かとフットが振り返ると、たった今くぐった扉は、頑丈な鉄製のものに変わっていた。


「……頭がおかしくなりそうだ」


 しかしその扉自体には見覚えがあった。


「こいつはガレージの、だよな……」


『ったく、面倒なもん拾っちまったぜ』


 声が聞こえ振り返ると、ガレージの中央にはいつの間にかマスターが立っていた。


 マスターはこちらに背を向けており、その向こうには包帯だらけの片腕の少年が医療機器に囲まれ寝そべっていた。


「まさか……」


 そこにいたのはキレルと離ればなれになった直後、宇宙を放浪していた頃のフットだった。意識は無いらしく出血量も夥しい。


『作成シタ義手ヘノ拒絶反応ヲ確認』


 医療AIの無機質な声がガレージに響いた。


『こいつの妙な体質のせいだな。明らかにひとの手が加わってやがる。なんだこの馬鹿げた紅茶の反応は』


 そうしてる間に心音を告げるアラートは徐々にその波をさげていく。


 マスターは暫く考えこんだ後、一つ大きな溜息をついた。


『……素体がいるな』


 そう言うとマスターはやれやれと首をふった。


『こっちは生まれつき四本腕の出来損ないだってのによ』


 そこでフットは気付いた。マスターに腕が四本ある。


 本来ならばンシス星人の腕は六本だが、フットが出会ったときにはマスターの腕は三本だった。


 そこでようやくフットはマスターの言っていることを理解した。


 声を上げようとした瞬間、フットの周囲は溶け消えるように霧散し、今度は寝室に場面が変わる。

簡素なベッドの上で少年時代のフットが上体を起こし、キョロキョロとあたりを見渡していた。


『おお、起きたみてえだな』


 突然ドアが開かれ、マスターが部屋に入ってくる。


 少年のフットは飛び起き、ベッドを挟んで、マスターを睨みつけた。


『誰だお前』


『生意気なガキだな。おれはお前の命の恩人だぞ。死にかけのお前を偶然拾って、治療してやったのさ。拒絶反応はもうねえみたいだな』


 睨み続けていたフットはチラリと自分の右手に目を落した。少年の体躯には不釣り合いに大きい。


『……でかい』


『さっさと身体もでかくしてなじませやがれ』


 いつもの調子でマスターはガハハと笑った。


『……お前、なんていうんだ?』


『名前か、おれはマスターって呼ばれてる。生まれつき腕が三本しかねえ、出来損ないのンシス星人さ』


 それを眺めていたフットは無意識に義手を左手で掴んでいた。


 当時のフットは気付かなかった。マスターの脇腹に包帯が巻かれていたことも、その意味も、自分がどうやって生かされたのかも。


「ちょっとは恩着せがましくしろよばかやろう……」


 その瞬間、フットの周囲は消し飛び、またも全能の渦がフットを飲み込んだ。


 しかしその爆発は最初のものとは違っていた。


 ススキを駆けるヘラジカ、娘の額にキスをする母親、オーロラを目にした奴隷、夕日に燃えた金色の麦、山嶺をそのまま切り取った湖、廃墟で踊るバレリーナ、光芒の動きに合わせて飛ぶ羽虫、春風に攫われていく荼毘の灰、涙、涙、涙。


 炎と怨嗟が渦巻く世界の端に、恥ずかしそうに隠れている暖色の景色を、フットは確かに視た。 


「……あったんだなぁ」


 一度はもう沢山だと思った。充分だと思った。しかしその景色群を視てフットは、どうして見飽きる事があるのかと、思った。思えたのだ。


「うおっ!?」


 そんな景色に見惚れていると、突然フットの身体が見えない力に引っ張られた。


 そのままなされるがままにしていると、見えないスライダーのようなものに乗せられ、急降下していく。右に左に曲がりくねりながら滑っていくと、そのうちに扉のようなものにぶち当たり、速度そのままにフットは扉の中に転がり込んでいった。


「……いってぇ」


 フットが転がり込んだ部屋は、薄暗い研究施設のようだった。


 さすがに慣れてきたフットは、これも記憶の世界だと直ぐに気づき、あたりを見渡したが、自分らしき存在はいなかった。


 どころか人は誰もおらず、部屋にはただ円柱の水槽のようなものが所狭しと並んでいた。


 フットが近付いて覗き込むと、水槽の中には肉の塊が浮かんでいた。


「気味が悪りいな」


 いくつか水槽を覗いていくと中には明確にどこの内蔵か分かるものもあり、フットは過去の記憶であると理解しながらも身震いした。


 順繰りに端から見ていくと、最後に空っぽの水槽があった。しかし空っぽだと思ったのもつかの間、よく見ると小さな何かが中央にふよふよと浮かんでいた。


「んん?」


 フットはもっとよく見ようと、顔を近づけた。


「あまりジロジロ見るな」


「でゅおっほああ!」


 フットが驚き尻餅をつく。声は水槽からでなく、背後からのものだった。


「キレル!?」


 フットが慌てて立ち上がり振り返ると、そこには紅茶になってそれきり

だった妹が立っていた。 


「遅かったなお兄ちゃん、さては寄り道しただろう」


 キレル本人は何事も無かったようにすましてそこにいた。


 フットは聞きたいことが山ほどあったが、取りあえず最初の疑問を片付

けようと思った。


「ここは、どこなんだ?」


 キレルは一つ溜息をつくと、先ほどまでフットが覗き込んでいた水槽を指差した。


 フットがそちらに目をやると、水槽の端にプレートが付いていた。


『試験体906 呼称キレル』


「……はっ?どういうことだ?なんでここに、キレルの、名前が……」


 言いながら、フットは水槽の何かを凝視する。


 それは小指の爪ほどの胎児だった。


「それが私だ。質問に答えるとするなら、ここは私の生まれた場所、私たちがいた教会の地下だよ」


「教会の地下?こんな所の上でおれたちは、ずっと……?」


「いや、順番が逆だな。実験施設を隠すために、その上に教会を建てたんだ。お兄ちゃん以外の教会の子どもはみんなここで生まれた。いや、造られたか」


 そう言うとキレルは自嘲気味に鼻で笑った。 


「造られた?なんでそんな……」


「……もう少し先を視るか」


 そう言ってキレルが指を鳴らすと周囲が一瞬歪み、直ぐ元に戻る。


 途端人の気配が一斉に増え、研究員らしき格好をしたものがそこかしこに現われた。


 だがフットは突然現われた研究員に驚く暇は無かった。


 四方から延々と絶叫が響いていた。何人もの子どもが椅子やベッドに縛られながら、獣のような叫び声を上げている。異常なのはその中で大人達が気にもとめず黙々と働いているのだ。一心に計器の数字を書き写していたり、薬物を調合しているものもいた。


 叫び声は懇願しているのか呪っているのか、言葉を発しているのかも分からない。堪らずフットは耳を塞いだが、それでもキレルの声は聞こえてきた。


「私たちはオレンジペコに適合するために造られたホムンクルスだ。遺伝子レベルでただオレンジペコと適合するという目的のためにデザインされ、運悪く成長できてしまったものは適合の試験を延々とされる。その実験体を囲っていたのがあの教会だ」


「そんな、どうしておれは何も」


「お兄ちゃんが知る由はない。何故ならお兄ちゃんが来てこの研究はストップした。偶然この施設に拾われたお兄ちゃんが、オレンジペコと百パーセント適合すると分かった連中は、これ以上のホムンクルス量産に意味なしと判断した」


 フットが耳を押さえたままキレルの方を見ると、キレルは周囲の地獄絵図の中、慈しむように微笑んだ。


「お兄ちゃんが来てからは本当に楽しかった。私たちはもう実験体にされることなく初めて痛みの無い生活を送り、普通の子供としての尊厳を手に入れた」


 そんなキレルの表情を見るのはいつ以来だろうかと、フットは耳を塞ぐのを忘れ、ただその顔を眺めていた。


「しかしそれもそう長くは続かなかった」


 そう吐き捨てるとキレルの表情は一変し、憎々しげに唇を噛んだ。


「シスター達の話を偶然聞いた私は知ってしまった。お兄ちゃんが来たから私たちは救われたんだ、と。それなら次に地下の連中が何をするのかなんて考えればすぐ分かる」


 今まさにその答えがフットを取り囲んでいた。頭に穴を開けられるのか、薬漬けにされるのか、もしくは全てか、想像するだけでフットは心臓がざわつき、めまいを覚えた。


「でもおれは……」


フットの記憶において、教会に来てそんなことをされた覚えは一度として無かった。


「勿論私たちがそれを許すはずが無かった。初めてだったよ。大人に逆らおうとしたのは。お兄ちゃんが来るまで私たちは何も知らなかった。生まれたときからずっとこの中で生きてきたんだ。ここが私たちの世界だった」


 そのとき一際大きな悲鳴が響きフットがそちらに目を向けると、そこには押さえつけられ頭部に直接針を刺された、幼いキレルがいた。キレルも同様にそれを見ていた。


「……世界とは痛いもので、苦しいものだ。大人達にどれだけ身体と頭をぐちゃぐちゃにされようが、それが普通であり、日常だ。それをおかしいことだなんて考える暇も無かった」


 フットはただ幼いキレルが泣き叫ぶ様を見ていることしかできなかった。もうどうすることもできない過去のことと頭で分かっていながらも、握った拳からはいつの間にか血が滴っていた。


「そんな私たちにお兄ちゃんは感情をくれた。地下の天井にぶらさがっている電球だけがこの世の光じゃないと教えてくれた」


 そう言うとキレルは再度指を鳴らした。周囲の景色は一瞬で変わり、目の前に燃え上がる教会が現われた。


「こいつは……」


 今回の光景はフットにも見覚えがあった。組織が教会に突然やってきて、全てを奪われたあの日の炎そのままだった。


「そして私たちはお兄ちゃんを救う方法を考えた。幸い私たちには実験による高い知能があり答えは直ぐに出た」


 炎を隣で眺めていたキレルの言葉を、一瞬遅れてフットは理解した。


「まさか組織をこの場所に呼んだのは……!」


「私たちだ。オレンジペコを餌にして、奴らを呼んだ。その混乱に乗じてお兄ちゃんをこの星から脱出させた」


「……だからおれだけが、助かった。でもそのせいでお前達は……」


「それ以上先は言わせないぞ。元より用なしとなりいつ処分されるかも分からなかった私たちが最後に感情を知り、おまけに恩を返せる機会に恵まれた。あれは殆ど喜びだった。あの感情だけは私たちのものだ」


 燃える教会からはたまに木の爆ぜる音が聞こえた。火の粉は風に吹き上げられ、寄る辺なく飛び、直に夜闇に吸い込まれていった。


「しかしお兄ちゃんを脱出させて直ぐに、想定外のことが起こった」


 キレルはそう言うと自分のこめかみをトントンとついた。


「私がオレンジペコに適合したんだ。そして全能の目を手に入れた私は世界を知った」


 炎に背を向けキレルが歩き出した。つられフットが振り向くと、そこには扉だけが立っていた。キレルがドアノブに手をかけ開けると、そこに向こうの景色は無く、息を呑むような銀河が拡がっていた。 


「行こう」


 それだけ言うとキレルは足を踏み入れ、銀河に溶けた。フットは黙って、その扉をくぐっていった。


   ♢


 扉の先には模型のような天体がいくつも浮かんでおり、全能を手に入れたフットには、それらが極小の宇宙そのものだと直ぐに分かった。


「ここはお兄ちゃんと私しか踏み入ることができない。知覚することさえ本来は許されない。ここは世界そのもの。ここからMOEを使い、世界を紅茶という概念そのものに置き換える」


 キレルは手近にあった天体をひとつ、ぴんと指ではじき目を細めた。


「私はオレンジペコに適合して世界を知った。知ってしまった。紅茶なんてもののために無数の生命が弄ばれ蹂躙されている。こんなもののために」


 キレルは自分を指差すと、語気を強めた。


「そうして私は、この大っ嫌いな紅茶の力で復讐すると決めた。MOEという存在を知りそれが可能なことも分かった。後は奪うだけだ。そんなときに必要なエネルギーがお兄ちゃんだと分かったとき……」


 そこで言の葉を切ると、キレルはゆっくりとフットに向き直った。


「運命だと思った。紅茶が何よりも大事なんていうのなら、あいつらみんな紅茶になってしまえばいい。お兄ちゃんだってそうでしょ?こんなふざけた世界間違ってるって思ってるでしょ?誰よりも紅茶を憎んでる私たちには、復讐する権利がある」


 キレルは肩で息を切り、気付けば口調も幼い頃に戻っていた。


「お兄ちゃんだってオレンジペコで視てきたんでしょ。この宇宙は狂って

る。それなら一つにした方がずっとましよ」


「キレル……」


 数時間前のフットなら何を馬鹿なことをと言えただろう。しかし今のフットは全てを視た。一切合切を一瞬で感じ、果てに触れた。


 ひとときの適用効果でこれなのだから、ずっとあれを、目の前の華奢な妹が視ていたと思うと胸がどうしようもなく苦しくなった。


 だがしかし、妹の叫びを受け入れるべきだと思うたびに、フットにはちらつくものがあった。


 歌う鯨で見た客達の馬鹿騒ぎ、それを見つめていたマスターの横顔、お互いを深く思い合っていたアンドロイドの兄弟。それだけではない。全てを視たときに宇宙の端にあった暖色の景色。それらは確かにこの宇宙にあった。


 オレンジペコを飲んだ妹ならば、同じくあれも視たはずだ。


「キレル、お前は知ってるはずだ」


 その言葉だけでキレルに伝わることを、フットは知っていた。


「……その情景もいつかは燃え落ちる。今はそうでなくとも、この世界に存在する以上いずれ必ず悲しみを帯びる。だったらなにも感じなくしてやる方がきっと彼らも幸福なはずだ」


「それでお前はその退屈な世界を眺め続けるのか」


「お兄ちゃんがいてくれる。そうでしょ?」


 縋るような目で見つめられ、フットの意思が揺らぐ。


 しかしフットは、捨てるには鮮やかすぎたあの世界を視てしまった。


「……おれはその提案には乗れない。この馬鹿げた世界の中で、全能の目なんて持たずに明日を視てる連中がいる以上、キレル、おれたちがそれを踏みにじっちゃならない」


「……そう」


 一瞬キレルの表情が消えたかと思うと、懐から木の枝を取り出した。それが先ほど手に入れたMOEであることを全能の力がなくともフットは知っていた。枝の根元は鍵状になっており、キレルはそれを手近な天体に差し込んだ。


「キレル!」


「お兄ちゃんには他にも大事なものがあるからそんなことが言えるんだ!私には、他になんにもないのに!」


 差された鍵穴からは木々が異常な速度で生長し、天体を一瞬でのみ込むと、そのまま銀河全体に拡がっていった。直ぐに二人の周囲は木々に囲まれ、最早緑以外のものは見えなくなっていた。


「やめるんだ、キレル」


 フットはゆっくりとキレルに近付いていった。


「……やめたところで私はどうすればいいの?これ以外の生き方なんて私は知らない。私だけが取り残された。みんなでお兄ちゃんを助けるって決めたのに、私だけが助かった!……私だけが全能を得た。ならこれを使って復讐するしかない。それが生き残った私の義務なの!」


俯いて独白するように叫ぶキレルにフットはもう一歩近付いた。


「お兄ちゃんがどうにかしてくれるの……?」


「当たり前だ、おれは、お前の兄貴なんだから」


「嘘。この宇宙で私はひとりぼっち。だって私はひとりぼっちで生まれてきた」


「そんなさみしいこというなよ、お兄ちゃん悲しいじゃねえか」


「馬鹿みたい……」


 キレルは泣きそうな顔でふっ、と笑った。


 その瞬間うなだれていたキレルの肩を、フットが掴み、ぐいと自分の方へ向かせた。


「おれを視ろ。キレル。おれの、頭の中を視ろ」


 フットは先ほどキレルが自分の記憶を見せたように、キレルの意識に自分の記憶を干渉させた。咄嗟のことでキレルは強く拒絶できず、過たずして言われるがままに、キレルの全能は発動した。  


   ♢


半分まで身を沈めた夕日が辺りを照らし、町を橙に染めていた。家路を急ぐものがちらほらと、郊外にある教会からも遠目に見え、時間を知らせる鐘を聴きながら少年と少女は一緒にそれらを眺めていた。


「フットはこの時間になるといっつもここに来るけど、そんなに鐘の音が好きなの?」


 少女はつないでいた手をくいと引き、少年に尋ねた。


 少年は少し考えて、眼下の町へ目を向けた。


「うん、勿論それもあるんだけど、それ以上にこの時間の町が好きなんだ」


「町はいつ見ても町だよ?」


 少女が首を傾げていると、少年は笑って少女の頭を撫でた。


「この時間になるとさ、みんな家に帰るんだ。家族みんなで。それを眺めるのがきっとおれは好きなんだよ」


 ふうん、とだけいって少女もまた町に目をやる。


 町では、子どもに急かされる両親が笑いながら手を引かれていき、年老いた夫婦は木陰で夕日を見送っていた。


 少女がチラリと町を眺めている少年の横顔を盗み見ると、そこにどこか寂しさのようなものを見いだした。しかし感情を得たばかりの少女にはその表情の意味が理解しきれず、同時にその横顔を見たときに感じた胸の苦しさを言葉にすることも敵わなかった。


 なので少女はただ強く少年の手を握り、呼びかけた。


「……おにいちゃん」


「キレル?どうしたんだ急に……」


「おにいちゃん!フットはこれから私たちのおにいちゃんなの!だから大丈夫なの!」


 少女は目に涙を浮かべながら、握っていた手を両手に抱いた。


「お、おう」


 少年は半ば気圧されるようにしてただ頷いた。


 直に鐘の音が止み、辺りにも紺色の様相が降り始めた。


「……帰るか」


「うん、おにいちゃん!」


 なんだか少年はその響きがむず痒く、赤面した顔を見られないよう、ずんずんと妹の手を引いていく。


「おにいちゃん、おにいちゃん、おにいちゃーん!」


 少女はあははと笑いながら、何度も呼び、終いに少年もつられ、一緒に笑いながら家路を歩いて行った。


「……信じられるか?あの日おれに、家族ができた」


 先ほど少年と少女が立っていた数歩後ろでフットとキレルが丘の斜面に座っていた。勿論先ほどの二人にその姿は見えていない。


「この場所に来るまでのおれの記憶も見てきたんだろ?おれはずっと一人だった。ずっと憧れてたんだ、家族ってやつに。あの日、お前がおれのことをおにいちゃんって呼んでくれたとき、おれがどれだけ嬉しかったか。おれだってお前達に、返しきれないもんをもらったんだよ」


 夕日は既に沈み、町にはポツポツと灯りがともり始めていた。空を見れば、届きそうな程に星空が近い。


「お前だけでも生きててくれて嬉しかった。お前がいなくなったら、またおれはひとりぼっちに戻るところだった」


 隣でキレルは膝を抱え、ただ黙って聞いていた。その視線はずっと町に向けられていた。


「だからな、キレル、頼むよ」


 フットは立ち上がると、キレルの正面にまわり、膝をついた。


「生きていることを悪いことだなんて思わないでくれ。おれにはお前がいるし、お前にはおれがいる。お互いが生きてさえいれば、おれたちは一人にならない。生き方が分からないならおれも一緒に探してやる。だから……」


 キレルはそこでようやく兄と自分が泣いていることに気付いた。なんだか相手の涙を見ると余計に悲しくなって、そうしてまた互いに涙が溢れた。


 その内に二人は抱き合って泣いた。

やりきれない思いや決して戻せない時間のこと、今までに亡くしすぎたもの、二人が内に抱え続け、せき止めていたものはただ溢れ、全能の兄妹はその感情の前にただ無力だった。


 泣き慣れていない不器用な二人は、声をあげる事も無く、ただしゃくり上げながら相手の肩を濡らしていった。


   ♢


 どれほどの時間が経ったのか、気付けば二人は元の部屋に戻ってきており、周りは木々にとり囲まれていた。


「お兄ちゃん、そろそろ離してくれないか?」


「あ、ああ悪い」


 二人とも目は赤く腫れ、どちらともなく鼻を啜った。


「取りあえずこれをどうにかしなきゃな」


 フットは気恥ずかしさを誤魔化すように辺りを見回した。


「なに、簡単だ。さっきの手順を逆にやれば直ぐに元通りになる」


「そうか、じゃあ頼む」


「……ああ」


 キレルは木の中に手を突っ込み、がさがさと何かを探ったかと思うと、カチリとした音が聞こえ、凄まじい速度で木々が逆再生されるように縮んでいった。


 最後にはキレルの手に元通りになった枝が握られていた。


 周囲は何事も無かったように銀河が拡がっている。


「それじゃあお兄ちゃん」


「ん?」


 フットがキレルを見ると、その手には試験管が握られていた。


「お別れだ」


 何かをフットが言う暇も無く、キレルはそれを飲み干した。


 その瞬間キレルとフットとの距離が突然空間ごと遠のいた。


「おいキレル!何やってんだ!」


 フットがキレルの方へ走って行くも、その距離は一向に縮まらない。オレンジペコを更に飲んだキレルは更に高次元の存在になり、フットとの間には、次元的な相違が生まれ、知覚することが困難になっていた。


「私は罪を犯しすぎた。一緒にお兄ちゃんと戻っても、迷惑をかける。そんなのは嫌だ」


距離は更に遠のいていくが、声だけはしっかりとフットの耳に届いていた。


「まだそんなこと言ってやがんのか!お前がいないとおれだって戻る意味ないんだよ!」


 キレルはまたもMOEを手近な天体に差し込んだ。再び枝から木が成長を始め、キレルを取り囲んでいく。


「安心してお兄ちゃん。もう世界を紅茶に変えるようなことはしない」


 ぐんぐんとキレルとの距離は開いていき、フットは後ろ向きに遠ざけられていく。


「今までごめんね、ありがとう。私もお兄ちゃんが生きててくれて嬉しかった。約束は守るから。それと、言い忘れてたんだけど……」


 フットがどれだけ踏ん張ろうが勢いは止まらず、手を伸ばした先で木々はキレルを殆ど隠し、その照れるように笑った顔だけが、かろうじて最後に見えた。   



「大好き」



   ♢


「救護班!手当を急げ!動けるものは救護班を手伝うんだ!」


「おい、包帯余ってないか!?」


 フットが最初に意識を取り戻したときに聞いたのは、慌ただしい声だっ

た。

 目を開けずとも周囲に人が沢山いることが分かり、そこかしこから叫び

声が聞こえてくる。


「うっるせえな、静かにしてくれよ」


 ぼやきフットが重たい瞼を開けると、そこは野戦病院のようになってお

り、ベッドがずらりと横に並べられていた。

 傍にはパイプ椅子が置いてあり、そこに座った人物と目が合う。


「……ようイーグ」


「良かった、覚えていましたか」


 体のあちこちに包帯が巻かれ、管の差されたアンドロイドはどう見ても

絶対安静の病人のそれでありながらも、快活に笑った。


「おれの腕切り落とせるようなやろうを忘れるわけねえだろう」


まだ朦朧とした意識の中、フットはひらひらと手を振った。


「お互い様というやつです」


 軽口を叩いている内にフットの意識は徐々に鮮明になっていき、オレン

ジペコを飲んでからの記憶が一気に吹き返した。


「そうだキレル!…………!」


 がばりとフットは上体を起こし、その衝撃でフットの体には激痛が走り、またベッドに倒れ込んだ。


「絶対安静とのことですフット殿。折れた骨も一本二本では足りません」


「……お前が地下からおれを?」


「はい。しかしフット殿が戻ってきてからあの場所は現在も監視されていますが、依然キレル殿は戻ってきていません……」


「……そうだ、ジャックポットプール!おい、ジャックポットプールにオレンジペコのストックがあったはずだ!直ぐに持ってくるよう言ってくれ!」


 イーグは一瞬逡巡した後、懐から試験管を取り出した。


 まさかイーグが既に準備しているとは思わずフットは面食らう。少なくとも飲むことを許可されるとフットは思っていなかった。


「いいのか?」


 受け取りながらも、フットは逆にイーグに尋ねた。


「実際に飲んで確認してもらうのが一番早いかと」


 イーグの真意をはかりかねながらも、フットは栓を抜き、躊躇うことなく飲み干し、来る衝撃に備えた。しかし一向に世界の渦に呑まれることはなく、ゆっくり目を開けると、変わらずそこは白いベッドの上だった。


 イーグを見ると神妙な顔でフットを見ていた。


「どうでしたか?」


「どうでしたかってお前……これはなんだ?」


 最初は偽物を飲まされたのかとも考えたが、その味をフットが間違える

はずも無かった。


「これはなんなんだ?」


 味は完璧なるオレンジペコ、しかし適用効果は一向に現われない。


「やはりフット殿でも駄目ですか……」


「やはり?おれでも?」


「こちらを」


 そういって渡されたのは、フットオリジナルブレンドをいれた魔法瓶だった。長年使い込んできたため所々メッキが剥げている。


 今度は黙ってそれを受け取り、フットはいつも通りの香りを確認しそれを飲んだ。


 重たい腕を上げイーグの肩に触れようとする。


 しかしそれは慣れた感覚ではなかった。フットはオリジナルブレンドを飲んでもイーグの肩に触れる事ができてしまった。


「こいつはなんの冗談だ……」


 透過しない自分の腕をまじまじと見つめ、そのまま視線をイーグに向ける。


「なんの冗談でもありません……フット殿が戻ってから、全宇宙で紅茶の適用効果が確認されなくなりました。現在紅茶は、ただの飲み物です」


「…………」


 フットは全宇宙と聞いて直ぐに理解した。こんなことができる存在にフットは心当たりがあった。


「そういや最後に……」


 キレルが世界を紅茶に変えることはもうしないといいながらも、MOEを発動したことをフットは思い出した。


「やはりフット殿はこうなった原因をご存じなのですね」


「ああ、身内のわがままだ。迷惑かけて悪りいな」


 言いながらもフットの顔は笑っていた。


   ♢


 フットとイーグが絶対安静を言い渡された一ヶ月後、ようやく問題なしと判断され、フットは久々の外の空気に大きく背伸びをした。


 ヤポン星の優れた技術により幸いフットの義手もつなぎ止められ、肩をぐるぐると回す。


 桜は既に散り終わり、青くなった木々に囲まれて、二人はエイジの墓の前に立っていた。墓は石造りのしっかりとしたものが改めて建てられ、そこにはマフラーが巻かれていた。


 フットは最後まで遠慮したが最終的にフットも碑文を掘ることになり、家名の隣に


〈最モ幸福ナシノビ ココニ眠ル〉


 と刻まれた。


「行ってしまわれるのですね」


「ああ、やることもあるしな」


「みなが知ればきっとお見送りしたかったと思います」


「みんな忙しいだろ。船まで直してくれたんだ、充分だよ」


 それだけ言葉を交わすと二人は暫く黙ってその墓を眺めていた。


「本当にご迷惑をおかけしました」


不意にイーグが呟いた。


「謝るんならおれのほうさ」


 フットは墓から目を離さないまま、肩をすくめた。


「では」


 イーグは改めてフットに向き直ると折り目正しく頭をさげた。


「ありがとうございました。ヤポン星を代表して今一度御礼申し上げます。あなたには返しきれない恩があります。あなたが我らを必要とされたとき、我らはどこへなりともはせ参じましょう」


「……礼を言うのもおれの方だ。ありがとよ」


 フットは以前もこの折り目正しい姿勢をどこかで見たな、と思いだし目を細めた。


「そして、これは友人としてです。どうかまたこの星に顔を見せに来てください」


「もちろん」


 そう言うとフットは踵を返し、停めてあるパンジャンドラム号に乗り込んだ。


 エンジンをかけると低い駆動音が響き、風を吹かせ周囲の木々を揺らした。


「どうか、お達者で!」


「お前もなイーグ!」


 フットがアクセルを踏むと、瞬く間に船は上昇し、直ぐに見えなくなった。


「……お元気で」


 風にあおられ、墓に巻かれたマフラーがはためいた。


   ♢


 パンジャンドラム号が大気圏を抜けるとヤポン星の概念秘匿が発動し、直ぐに何も見えなくなる。しかしフットは確かにそこに大事な友人が二人いることをもう知っている。


 後ろ髪引かれる思いで更にアクセルを踏み針路をとる。


 フットはキレルの最後の言葉を思い出す。約束は守るからと彼女は言った。ならば必ず彼女はまだ生きているとフットは確信していた。


 フットを一人にしないため、キレルを一人にしないため、二人は必ず生きると決めた。


 紅茶の適用効果がなくなった今、オレンジペコでキレルに会うことはもう叶わない。


 しかしそれはフットにとって些細な事だった。


「待ってろよキレル。直ぐにまたおれが見つけてやる」


 キレルの最後の笑顔を思い出しフットは呟いた。


「言い逃げなんてさせねえよ」


 パンジャンドラム号はそのままワープゾーンに突入し、一人の男を乗せ、銀河の彼方へ消えていった。



                                   スペース紅茶ハンター 完

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