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起 スペース紅茶ハンター

単語:「紅茶」


著・M

 中々に面白い光景が繰り広げられていると思う。


 薬莢から解き放たれた高速の銃弾だろうがアルジウム粒子の高熱のレーザー照射だろうが例のニルバリウム星を滅ぼしたと言われるホーミングデストロ弾頭だろうが、ことごとくすべてを防いでみせると噂のめちゃくちゃに頑丈な防性ガラスのその奥に、多種多様すぎてもはや雑多とも呼べる観客たちが、思うざまにやいのやいのと囃し立てたり野次を飛ばしたりぼかすかと隣の奴と殴り合ったりしている。


 フットは目を凝らす。


 カメリ星人は目が一つという身体的特徴に加えて残虐無比な性格で、アシネ星人は緑色の肌にお似合いの菜食主義という性質で、ンシス星人は腕が六本もあることからその肉弾戦においての脅威には計り知れないところがある。さらに目を凝らす。身長十五センチのバキツ星人までもがいて、彼らはそれぞれの特徴を活かして喧嘩をしたりそれをいさめたりしている。


 こんな光景、「スペースコロッセオ」というこの場所をおいては、おいそれと拝むことができないに決まっていた。


 種族を問わず、集まる彼らには一つの娯楽に向かう共通目的があった。


 この場所は、スペースコロッセオの名の示す通りの宇宙随一の闘技場で、トーナメント形式の勝ち抜き戦で、勝ちの定義は目の前の弱者を殺すこと。宇宙法に抵触どころか深触までしているこの場所での行為は、しかし、一人の権力者によってわかりやすいほどにスルーされてきた。


 首を上に向ける。


 反重力作用でシャボン玉のような防性ガラスが浮いている。中にはまるで玉座にでも置いてありそうな高価そうな椅子があって、その傍には蟻の顔の二足歩行の侍女二人がいて、その手にはクジャクの羽根のでっかい団扇があって、団扇の扇がれる先には三メートルぐらいの肥え太ったダンゴムシみたいなやつが鎮座している。例の権力者で名前はガルモデキニアサルバトロスという。彼はスペースコロッセオの支配人であり、人身売買に麻薬取引に紅茶独占の裏社会の重鎮だった。


 そんな彼は、スペースコロッセオの優勝賞品にとある茶葉を設定した。


 等級はもちろん一級、適用効果はまるで不明。


 しかし等級の最上級茶葉というだけで、各宇宙のティーハンターである腕自慢どもが参加しないわけもない。


 フットも、もちろんティーハンターの一人でしかも優勝候補の一人でもあった。


 そして、今が、決勝戦。



「どこを見てやがるこのひ弱そうな義手野郎」



 上に向けていた首を元に戻した。


 筋肉ダルマが目に入る。伸縮性のありそうなスポーツウェアがその筋肉により膨れ上がり、露出している肌にはそこかしこに隆々とした青筋が脈うっている。その眉間には山脈みたいな皺がある。その口元には嘲るような笑みがある。なるほど、彼に比べるとどんなやつでもひ弱に成り下がるに違いない。


 大げさに仰け反るフットは、両の手のひらを見せつけて、


「いやあ悪い悪い。気を悪くしたのなら謝るよ。だけどこんなの些細なことだろ? これから殺されるやつなんてこの足下の砂みたいなもんさ。そこにあるとはわかっていてもいつまでもそこに砂があるだなんて意識はしない。要は、視界にあろうがそれが取るに足らないものだと脳が勝手に判断しちまう。俺にとっての対戦相手なんて所詮はその程度、その例にあんたも漏れていなかった。ただそれだけの話さ」


 あからさまに苛立つ筋肉ダルマは口元の笑みを消す。鼻の穴は膨らんでトマトみたいに顔は赤らむ。


「てめえは決めた。俺が決めた。コロッセオ史上でもっともむごたらしくお前を殺す。優勝賞品はてめえの死体の前で貪り食ってやる。そして言ってやる。砂にくれてやるもんは何もねえってなあ」


 指を突き付けて筋肉ダルマが言う。


 それに対して、あごの無精ひげをフットは触る。


 そして一言、


「やべっ、髭を剃り忘れちまった」


 筋肉ダルマは人の言葉を忘れて怒鳴り散らす。


 観衆の野次にも負けてない大音量だった。


 

 試合はまだ、始まっていない。



 試合前のティータイムがまだで、主催者のガルモデキニアサルバトロスの宣言でそれは始まる。


 観客席の有象無象はガルモデキニアサルバトロスのいるシャボン玉みたいな防性ガラスに目を向ける。


のっそりとした動作でガルモデキニアサルバトロスが腕を上げ、砂利でも喉に詰まらせているんじゃないかというぐらいのしわがれた声をあげた。



『紅茶をキメろ』



 観客席のボルテージはやり過ぎなんじゃないかというぐらいに飽和する。


 いい飲みっぷりをみせろ、いつものあれをやってやれ、限界なんてぶち破るためのもんだ、生意気なフットの野郎に目にものをみせてやれ、俺も飲みてえなあちくしょお。多くの声は、観客席の防性ガラス越しではなくて、闘技場のスピーカーから聞こえてくる。音すらも通さない防性ガラスでは燃えるような観客席の熱気を感じることができない。それゆえに配慮されたスピーカーで、それに向かって芯からの雄叫びを返す筋肉ダルマはパフォーマンスは一流であるらしい。


 闘技場の一部の壁が長方形に切り取られる。


 サービスワゴンが出てくる。


 ソーサーにティーカップにポットが乗っている。


 自動操縦でフットの元までサービスワゴンはやってくる。筋肉ダルマの元にも同じようにサービスワゴンはやってきて、しかし様子が違う。違うところはサービスワゴンの形ではなくて隙間を埋めるように乗せられているポットの数だった。フットは当然のようにポットの数は一つだし、それに付随するソーサーもティーカップも一つである。筋肉ダルマのポットはしかし遠目に重なってわかりづらいが、おそらく五つ。それは筋肉ダルマが給仕に用意させた紅茶の種類の数を指している。


「おい、びびってんじゃねえぞ惰弱が。でも今回だけは許す。びびることを許してやる。だってびびるのも当然だもんなあ。どれだけ紅茶慣れしてるやつでも三つも飲んじまえばぶっ飛んじまう。そこを俺は五つも飲めちまう」


 くいとあげた顎、馬鹿にしたような口調でフットは煽る。


「本当に飲めんのかあ」


 筋肉ダルマは、今度は余裕たっぷりといった様子で答える。


「そうやって今までに俺の自滅する姿を望むやつはごまんと見てきた。だが見てろ。お前の目でしっかり見てろ。これらを飲み切った時の対戦相手の絶望の顔も、俺はそれこそごまんと見てきた。さあ、楽しいティータイムの始まりだ」


 筋肉ダルマのポットが細かく振動を始めたかと思うと足が生えた。蜘蛛みたいな足で、その数は八本で、機械の動きですぐさま自律移動を始めた。ポットはソーサーに乗せられているティーカップに器用に紅茶を注ぐ。筋肉ダルマの口元はそそり立つ湯気を見てあからさまに歪んだ。


 一気に紅茶を呷る筋肉ダルマ。


 五つのポットは、赤い液体で代わるがわるにティーカップを満たしていく。


 それらもすべて、筋肉ダルマの胃に流し込まれる。


 筋肉ダルマの手からティーカップが離れてティーカップの破片が地面に散らばってうめき声をあげながら筋肉ダルマが頭を抑えはじめる。明らかにキマっている。適用効果が筋肉ダルマの体に現れはじめて、スポーツウェアは弾けて青筋はさらに隆々としてその目は充血している。肩甲骨の辺りとわき腹の辺りからまるで草木が異常成長するみたいに何かが生えてくる。


 腕だった。


 ンシス星人みたいな六本の腕。


 見た目からでも判別できる紅茶の適用効果を、フットは推量する。


 膨れ上がる筋肉はアッサムとニルギリのブレンドに加えての他のブレンドの筋力増加の重ねがけだし、盛り上がる青筋はヌワラエリヤのストレートによる血流促進の感覚強化だし、その目の充血はラプサンスーチョンを基本とした複雑なブレンドの視覚鋭敏の未来予知だろう。腕の数が増えたのは一等級のウバによる身体増加の効果だが、さすがにこれほどまでに腕の数を増やしてくるとは予想外だった。しかしそれ以外はまったくの予想の範疇だった。事前に取得した、情報の通りだった。


 フットはサービスワゴンからティーカップを手に取り、中身を嚥下する。


 もちろんこれと決めた一杯だけだ。


 息を荒げてよだれを垂らしている筋肉ダルマはその様子を見て、


「おいおい一杯だけでいいのか? なんなら俺の紅茶を分けてやってもいいんだぜ」


 もちろんそんなものはいらない。


「お断りだね。男なら、これと決めた一杯を楽しむもんだ。お前みたいな下品な男にはじゃぶじゃぶと何杯も飲むのがおあつらえ向きだろうがな」


「へへ。減らず口っていうのはこういうことなんだなあ。楽しみだぜ。今までになく楽しみだぜ。その口が開かないぐらいにボコボコになったお前の顔を見るのはよお」


「言ってろ雑魚」


 誰の目からも、その勝敗は明らかだった。


 始まる試合はおよそ数秒をくだらない時間で終わると思った。


 実際のところ、試合の時間は三秒にも満たない時間で終わった。



『試合開始』



 しわがれた声で唐突に試合は始まった。

 



 筋肉ダルマはフットから向かって左側を半身に逸らし、それから様子見など一切する気のない三つ腕の拳骨を放つ。フットにとって防御不可の攻撃は避ける以外の選択肢はない。問題は、暴風のような拳圧をともなうこの攻撃をどの方向に避けるかである。右に左に後ろというスタンダードな三つの選択肢は、しかし筋肉ダルマの腕のリーチに加えて、その腕の数によって避けきることができないと判断できる。——ならばその腕のリーチを逆に利用してみせる。つまり、避ける方向は、前。


 フットは力強く一歩を踏み出した。


 懐に潜り込む。


 もう片側の三つ腕は、すでにこの近さでは当たらない。


 ガラ空き——っ——違う。遠のいた。


 これは足による移動ではない。向かって、右側の、筋肉ダルマの腕の一本が、その手が、強化された握力のみで抉るように地面を掴んで、鈍重そうな筋肉ダルマの体を後方に動かした。誘われた、その思考に至った瞬間、見上げ、筋肉ダルマの嫌らしい笑みを見た。


 残りの二つの拳は、固く握りしめてある。


 引き絞るように動いた拳が、バネが弾けたみたいに飛んでくる。



 

 それに対してさらなる一歩を踏み出したフットは、まるで獲物を仕留める寸前の猛獣。




 筋肉ダルマはその姿に慄いた。未来予知で奴が死ぬように誘引した、自らの拳で奴を死の淵にまで追いつめた、確信してとびっきりの勝利の笑みを浮かべた。しかし筋肉ダルマは、まるで鏡映しの自分を見ているようだった。まさか追いつめているのは自分ではなくて奴のほうではないかと思った。疑心暗鬼に陥る。だけどもう、自分の動きを制することはできないし、する気もない。とにかく払拭したかった。不安が鎌首をもたげ、未来予知は大丈夫だと言い聞かせてくる。気持ちが悪かった。はやく結果を見たかった。


 二つの拳はめちゃくちゃな速度で飛んでいき、それを迎え入れるように突っ込んでくるフットがいて。そのまま頭蓋骨を砕きそのままの勢いで脳を破壊し、フットの上半身は一秒と経たぬ間にミンチになるに違いなかった。未来予知は少なくともそうなるように教えてくれるし、筋肉ダルマの予感はそんなことにはならずにお前は死ぬのだと告げる。


 予感が勝った。


 未来予知など、いわゆる研ぎ澄まされた洞察力による脳のシミュレーション映像に過ぎず、最もありえそうな未来を取捨選択して一つに絞ることしかできない。一撃粉砕の二つの拳は捉えたはずのフットの体をすり抜ける。常識ではおよそありえないことも紅茶の効果だと思えば納得もする。フットはさらなる踏み込みと共にねじり込むような掌底を叩きこもうとしてくる。


 一撃ぐらい難なく耐える。


 いや無理だ。


 錯綜する思考の中、稲妻のように脳裏を駆け巡るものがあった。


 今にも死に絶えそうな弟の顔だった。


 小動物かと思うぐらいに気が弱い弟、生まれた時からの病に蝕まれた弟、たった一人の血を分けた大切な弟。人の強さは、生まれた時から決している。貧困にあえぎ、病魔に蝕まれ、理不尽な暴力に頭を垂れる。負の連鎖はどこまでも断ち切ることはできない。強くなることはただの理想でしかなかった。だけど、選ばれた人間には必ず転機が訪れる。


 まだ、筋肉のついていない自分の細腕の中、頬のこけている弟がいまわの際に言葉を残そうとしていた。自分の弱さを恨んだ。弟を守れるだけの強さが欲しかった。とにかく死んでほしくはなかった。泣くことしかできない。叫ぶことしかできない。


 あんちゃんは僕と違って健康な体を持っているから、本当は僕のことなんてはやく見捨てればよかったんだ。そうすれば、街のやつらになんか負けないもっと強くてでっかいやつになれたんだ。でも、今からでも遅くないよ。強くなってねあんちゃん。だけど心配だな。だってあんちゃんは


 ああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 喉から絞り出すように解き放たれた咆哮は、まざまざと脳裏に甦る弟の声をかき消した。


 強ければ失わない。


 強ければ負けない。


 強ければ、死ぬことなんてない。


 六本の腕はすべてが総動員されていて目の前の男に届かない。だからどうした。筋肉ダルマは空を仰ぐように額を逸らして、そのまま掌底を打ち込んでくるフットに標準を定めて、杭でも打つかのように頭突きを叩きこもうとする。もう弱者ではない。目の前の障害は排除する。それだけの力を持っている。フットは恐れることなく突き進んでくる。フットの右腕の義手は、なにも感触を残すことなく筋肉ダルマの胸を貫いた。


 違和感を覚える前に死んだ。


 まぶたの裏には、誰もいない。


 だけど耳に残る言葉はあった。


 ——だけど心配だな。だってあんちゃんは泣き虫だからさ。強くなったら、その泣き虫がなおるといいね。




 筋肉ダルマの巨体が、うつ伏せになって倒れ込む。




 観客席は、けたたましさの権化みたいな様相を引っ込めて、無音の静寂に包まれる。隣のやつと顔を合わせてすでに試合が終わっていることを確認する。終わったよなあ、ああ終わったなあ、あっけねえなあ、でもすごかったな、ああすごかったなあ、あんな化け物みたいなの倒しちまうのか、ありえねえ。ざわめきは波のように広がり、やがては大波へと変じる。


 どでかい歓声だった。


 拍手だって鳴りやまない。


 フットはそれらを全身に浴びて、ふと、自分の頬の雫に気づく。


「涙?」


 自分のではない。


 血にまみれた義手で軽く拭ってみると、血に紛れて雫は赤く染まった。


『いい見世物であった。少々の物足りなさはあったがな』


 シャボン玉みたいな防性ガラスが降りてくる。


 すぐ目の前にきた。


 ガラス一枚を隔ててガルモデキニアサルバトロスがそこにいる。でっかいケツが絢爛豪華の椅子の上にパズルみたいに収まっている。絢爛豪華の椅子の横に宝物の入ってそうな箱があって、フットはおそらくはあの中に優勝賞品の茶葉が入っているのだと予想した。その茶葉は、今までにフットの探し求めている「全知全能」の効果を含んでいるかもしれなかった。


『優勝おめでとう。優勝賞品は、使いの者にあとで渡しておこう。受賞の時にでも受け取るがいい。しかし、どうやってあの男を倒した? 私の目では、あたかもお前の体がやつの体をすり抜けたようにしか見えなんだ。さっさと教えるがいい。もどかしさは私の嫌う感情であるぞ。さあ、申してみい』


 フットは待ってましたと言わんばかりの表情で、


「なあに、実に簡単なことですよ」


 歩き出し、


「ティータイムの時に飲んだ紅茶は、自分のオリジナルブレンドでその適用効果はこの宇宙広しといえどもそうお目にかかれるものじゃない」


 シャボン玉みたいな防性ガラスに近づいて、


「なんならここで実演でもしてみせましょうか?」


『は?』


 薬莢から解き放たれた高速の銃弾だろうがアルジウム粒子の高熱のレーザー照射だろうが例のニルバリウム星を滅ぼしたと言われるホーミングデストロ弾頭だろうが、その防性ガラスを破ることなどできやしない。フットはしかし破るのではなくてすり抜けた。フットの飲んだ紅茶の効果は任意のものをすり抜けることのできる「物質透過」。


「お邪魔しますっと」


 傍付きの二人の侍女は、持っている団扇を投げ出して思いがけない事態に叫んだ。腰をぬかしてかわいそうなぐらいに震えている。蟻の顔もこうなってみると可愛く思える。


「だいじょうぶ、君たちには手を出さないよ」


『まて、いったいなにをする気——え?』


 フットの腕が、幾重にも重なる脂肪の塊をすり抜ける。その手はいつでも心臓を握りつぶせる位置にある。


「ちゃんと調べてきたんだよ。お前が優勝賞品を渡した後に、それを受け取った奴はお前の放った刺客に殺されるってことをさ。そんな間抜けなことにはなりたくないんでね」


『つ、つまりは、その刺客を退かせることを条件に、私の命を助けるということだな』


 土気色の表情は、わずかな生への希望を見つけて緩む。


 それもしかし一瞬のことだった。


「いやいやいや、お前は殺すよ。刺客ぐらいは別にどうとでもなるしな。それよりも聞きたいことがある。キレル。俺の妹の名前だ。憶えはないか? お前の組織が、俺の妹をさらった奴らに関わりがあるっぽくてな。全知全能の力があれば、あいつらの居所なんてすぐにでもわかるんだが、ないのなら地道に聞き込みを続けるしかなくてさ」


『そんな名前など知らん。組織だって私一人ではとても管理しきれんし、そのほとんどの管理は別の者たちに任せておる。だからそのキレルとやらは私には何の関係もない。私を殺したところでなにも解決はし——』


 言葉の継ぎ目にいきなりガルモデキニアサルバトロスが殴りかかる。当然のようにフットの体をすり抜けて、後方の防性ガラスにぶつかって、無駄だとわかっていてもみっともなく爪を立てて脱出を試みる。防性ガラスはもはや彼を守るための防壁ではなく、彼を逃がさないための檻だ。フットは憐れに思う心もなくその背中を透過して、心臓を握りつぶした。手にはぶよぶよとした気持ちの悪い感触が残る。目の前にはでっかいダンゴムシみたいなやつの死体がある。フットは反重力装置のコントロールパネルを見つけ、操り、そのまま観客席に入り込む。


 スペースコロッセオは、混乱の坩堝と言うにふさわしい舞台となった。


 人殺しが傍にいて、逃げまどわない奴なんてそうそういるわけもない。


 フットは、そのまま観客に紛れてスペースコロッセオの脱出を図る。


 脱出した。


 パニックの観客はスペースコロッセオ周囲の警備員の目を引き、フットはそれに乗じて駐船場までの道のりを進む。停められている船はグランドピアノ型にバナナ型にペットボトル型にとそれぞれが個性豊かな形をしていて、その内で大きな車輪に挟まれたボビン状の船がある。フットの宇宙船。名前は「パンジャンドラム号」という。進む方向はまったく安定しないし積まれたサイファー燃料はいつ爆発してもおかしくないぐらいに不安定。じゃじゃ馬もいいところの宇宙船だが、こいつとは十年の付き合いになると思えば愛着だって湧いてくる。


 フットは、刺客に追いつかれる前にさっさとパンジャンドラム号に乗り込む。


 船室の椅子にどっかりと腰を落ち着けて、コントロールパネル下の差込口に懐から取り出した起動キーをぶち込む。ライトの点いた船内は実家に帰って来たような安心感さえある。ただいまと一言告げて船外を映すカメラモニターにこちらにやってくる黒服の男たちを見て、ぐずぐずしている暇はないと早々にパンジャンドラム号を発進させる。バックモニターには、手を振り上げて待てえみたいなことをこちらに叫んでいる黒服たちがいた。


「誰が待つかよ。俺は止まらないぜ。……少なくとも、俺の目的を達するまではな」


 不安定なジグザグ走行で、パンジャンドラム号は大気圏を突破した。


 スペースティーハンターのフットの旅は、まだまだ続く。


 まだ見ぬ紅茶を味わうために。そして、生き別れた妹を見つけるために。

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