78
「ハンナのお母様が…!?」
先程と同じ部屋――王子殿下の執務室隣の応接間で、レイラは言葉を失った。
「逃げた侍女が白状したよ。そもそもブノワトに付けられた侍女はすべてクロフォード夫人が手配したものだ。彼女の息がかかっていて当然だな」
ソファーに足を組んで座ったアドリアンがため息をつく。
「夫人はすでにマルセルが衛兵団の詰め所に引き渡している。マルセルは今回お手柄だったな。あいつが見ていなかったら尻尾が掴めなかっただろう」
そしてレイラを見る。
「…襲撃犯の自供だけだったら、まず間違いなくレイラが主犯とされていた」
レイラはぐっと奥歯を噛み締めた。
「どうして…」
「『ハンナの母親は貴族を憎んでいる』から」
レイラの言葉にルチアーノが答える。
「レイラも聞いただろう?ハンナの母親は貴族を恨んでいる。貴族なら誰でも復讐相手になったのかもしれない。でも…」
ルチアーノは腕を組んで眉を寄せる。
「レイラの周りには、ぼくやアドリアンがいる。モンタールド侯爵家を陥れるのはメリットが大きかったのかもしれない」
「!!」
レイラは息を飲んだ。
そして青い顔で父親を振り仰ぐ。
「お父様、申し訳ございません…!それが現実になっていたらなんと恐ろしい…!」
「大丈夫だよ。私たちはレイラ嬢の味方だ。なにがあっても助けになる」
安心させるようにこりと微笑んでそう言ってくれたのは、サルヴァティーニ閣下だった。「そうだろう、ルチアーノ?」と息子に声をかけて、ルチアーノも力強く頷く。
レイラはほっとして、けれどまた頭を悩ませる。
「でも、ハンナの母親はブノワトがどうなってもよかったの…?養女に迎えようとしていたのに?」
「彼女の考えは供述を聞いてみない限りわからないけどね。でも十中八九、クロフォード夫人からすれば、ブノワトも駒のひとつだったんじゃないかな」
レイラの父、モンタールド侯爵が言う。
そして父はレイラに向けて、すこし眉を下げた情けない笑みを浮かべた。
「すまない、レイラ。せっかくの誕生日パーティーが台無しになってしまったね」
「そんな、お父様のせいではありません」
レイラは首を横に振る。
「夫人の不審な行動はこちらも把握していたんだ」
なのにごめん。
繰り返す父に、レイラも必死に首を横に振る。
「不審な行動?なんですか?」
ルチアーノが訝しげに訊いた。
「地方領の入出者記録にクロフォード夫人らしき女性の履歴があったんだ。はじめはこちらも元伯爵を訪ねているとばかり思っていたんだが、調べてみたらどうも違う。夫人と元伯爵夫妻は折り合いが悪かったようだよ。結局、クロフォード夫人が何の目的で地方領を訪れていたのか、不明なままだった」
「元伯爵が嘘をついている可能性は?」
「それはないんじゃないかな。彼らにしてみれば、実子であるブノワトを養女に迎えようとしている夫人は目の敵だ。…それが例え、肉親の情ではなく、ブノワトに入る給金目当てだったとしてもね」
「…………」
誰もなにも言えず、気まずい雰囲気が満ちる。
ブノワトも困った娘だが、元伯爵はそれ以上に非常識な親のようだ。
「とにかく。あとは夫人の取調べを待たないと進展がないな」
やれやれ、とアドリアンが両腕を上げて伸びをした。
それをきっかけに、まだやることがあるから、と父たちが部屋を出ていく。
「レイラも疲れただろう。せっかく招待してもらったのに、オレももう少しパーティーを楽しみたかったな」
「恐縮です、殿下。…ブノワトは大丈夫かしら?」
「平気さ。多少窮屈だろうが、クロフォード邸に戻るより安全だと思うよ」
レイラが「たしかに」と頷くと、頬杖をついたアドリアンはにまと笑った。
「ブノワトが心配なら、レイラも王宮に泊まっていく?」
「え…」
「断る」
急な申し出に戸惑うレイラよりも先にルチアーノが全力で拒否する。
「その必要はまっったくない」
「ちえ。つまんないの」
ふん、と悔しそうなアドリアンは空色の王子様姿。見た目の色が違っても、じつは中身はそう変わらない。
気づいてしまえば、レイラはなんだかおかしくって、くすくす笑ってしまった。
***
アドリアンに退出の礼をして、部屋を出たレイラは、ルチアーノに導かれるまま王宮を奥へと進んでいく。
「ルチアーノ様、どちらへ向かわれますの?門はあちらですよ?」
「うん」
レイラが問いかけてもルチアーノは生返事。
アドリアンの執務室を出て、その先の階段を下り、長い廊下を歩き続ける。
さりげなく飾られている絵画や美術品に目を奪われながら後を追いかけて、そしてついに重厚な両開きの扉に辿り着く。
ルチアーノはえいと重そうな扉を押し開けた。
「まあ!?」
レイラは思わず声を上げる。
そこは幼い頃の記憶にあるそのままだったから。
「はい、ただいま」
「うそ!ここサルヴァティーニ邸!?」
レイラはルチアーノの腕を揺すってきょろきょろする。間違いなく、以前訪れたことのある公爵邸だった。
濃緑色の髪の婚約者はいたずらが成功したようににこにこしている。
「えー!すごいすごい!本当に!?」
公爵邸と王宮は本当に繋がっていたんだ。
これはすごい。だって――。
「まあ、お父様の言っていた通り!」
「…え。」




