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「そうね、見ていないわね」
友人の言葉にレイラはがっかりと肩を落とす。
ハンナに今日のパーティーに来てもらおうと思って、何度もお茶会で練習を繰り返したのだ。
眉を下げたレイラを見て、友人たちはそれぞれ顔を見合わせる。
―――どうしたのかしら、ハンナ。やっぱり嫌になっちゃった…?学園で会ったときなんだか元気がなかったものね。もしかしたらあの日断ろうとしてたのかしら。でも…。
脳裏にハンナの母親の存在が思い浮かぶ。
なにかあったのかしら?まさかね…。
レイラの胸に不穏なものが去来する。
そのときカランカランとベルが鳴って、来客の知らせが告げられた。
「ベル…?」
侯爵が眉を寄せる。
今日はレイラの誕生日パーティーであって、招待客には招待状が配られている。
本来、ベルを鳴らすような来客はないはずだ。
「クロフォード家の馬車がご到着です」
ベルを鳴らしたのは、モンタールド邸の家令の息子であり、トマの侍従であるノアだった。
「お嬢様!!」
血相変えたマリーとロイドが駆けてくる。
「どうしたの?クロフォード家の馬車ってことは、ハンナが来たのかしら?」
「いいえ、違うのよ」
ロイドが首を横に振って、藤色の長い髪が揺れる。
「――ずいぶん久しぶりなのに変わってないわね、このお屋敷も」
かつんと音を立てる紫のヒール。
「やって来たのはブノワトよ!」
その言葉と同時に、黒髪の美しい令嬢がレイラの元へと辿り着いた。
「ごきげんよう、レイラ嬢。本日はお招きいただきありがとうございます」
「…あなたを招いた覚えはないけれど」
レイラの視線がきつく眇められる。
ブノワトはくっと強く笑った。
「私の妹が急に都合が悪くなってしまったから、代理でお伺いしたのよ」
「妹…ハンナが…?」
レイラは訝しげに顔を顰める。
周囲では招かれた貴族たちがざわめきだす。
ざわざわ
なんだ、なにかあったのか?
あれは誰だ?クロフォード家の娘?
あそこはたしか一人娘だっただろう、どういうことだ?
ざわざわ
不安になったレイラは上座の両親と公爵を窺い見る。彼らは渋い顔をしたまま、ただ黙っていた。
…そうね。ブノワトは気に入らないけど、社交界でなにか問題を起こしたわけではないわ。ここで騒げば、責任はクロフォード家に向かう。
だったら…。
レイラは改めてブノワトを眺めて、そしてどっと疲れてしまった。
「ちょっと、あなたなによその格好…」
「あら、あなたのデザインを新調したのよ」
「わたくしの?冗談でしょう?」
美しい黒髪に勝ち気なオレンジの瞳をしたブノワトは整った顔立ちをしており、すこしきついが間違いなく美しい。
それなのに彼女のドレスはなんだ。
マゼンダピンクのそれは、立襟で、肩がぽこりと丸いパフスリーブで、コルセットでも仕込まれているのか細い腰に、逆に大きくていびつな腰のライン。そして極めつけは膝で極端に絞られた直線的なスカートだ。
膝上が一番細くて、そこから裾に向けて僅かに広がっているから辛うじて歩けるようではあるが…いいや無理だろう。
「なにこのピンクのモンスター。まるで…ううん、言えないわ」
レイラの脳裏には『私』が子供の頃、理科の授業で習った花の断面図が過る。
「あのレイラにそんなこと言わせるなんて、むしろすごいな…」
トマがなにやら感嘆している。
「あんたたちねぇ…!!」
ブノワトはわなわなと震えて一喝した。
「このドレスはあんたのデザインだって言ってるでしょ!私だってこんな斬新通り越して意味不明なドレス見たとき目を疑ったわよ!!」
「ええ…?わたくしこんな変なドレス、デザインしてないわよ?」
訝しげなレイラにブノワトはますます目を吊り上げる。
「だから…!あんたのお抱えだった職人に注文してるのよ、あんたのデザインでしょ!?」
「え、もしかしてそれって、あの人魚の…?」
「ほらごらんなさい、お嬢様。デザインを流用されて悪用されるどころか、こんな風に改悪されて」
下手な職人を雇うからよ、とロイドが渋い顔で腕を組む。
ええー…と困った顔をするレイラの隣で「あ」とルチアーノが声を上げた。
「その靴…」
「あ!ハンナの靴!?」
レイラはブノワトの足元を指差した。
さすが足フェチ、よく気づいたわね。
内心でルチアーノを称える。
それはあの日、学園でハンナが履いていたのと同じ紫のヒールだった。けれどその靴はブノワトにはぴったりのサイズのようだった。
「ハンナのじゃないわよ、これは元々私の靴なの。ていうかレイラ、あなた入学パーティーでピンクのヒール壊したわよね!?ハンナから聞いてるわよ!あれも私のものなの、弁償しなさいよ!」
「ええ…?」
興奮するブノワトにレイラは戸惑う。
どうしてハンナがブノワトの靴を履くのよ。
大体、パーティーでサイズの合わない靴を履くなんて失敗するのが当然よね。侍女のくせになにを考えているのかしら。
「ハンナのものは私のものよ。サイズだって私に合わせるのが当然でしょ?…ああ、喉乾いちゃったわ」
ブノワトは側にあったテーブルからグラスを手に取った。
「なにこの濁った…ジュースなの?」
「ラズベリースムージーよ!いちいち失礼ね、呼んでもいないのに!」
「スムージー?なにそれ意味わかんない」




