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いくつかの店を覗いてから、レイラのおねだりに応え、公爵家専用のゴンドラで河をすこし下る。
船に乗っていたのは本当にわずかな時間だったのに、ゴンドラを降りた先では街の雰囲気が一変していた。
「この辺りは下町の住宅街近くだね。メイン通りに戻るには歩かないといけないんだけど」
「ええ、わかったわ」
「ここまで来ないと食べられないガレットの店があるから、そこで休憩しよう」
「うふふ、楽しみ!」
ルチアーノがスマートに誘導してくれるので、レイラはただ楽しみながら着いていくだけだった。ルチアーノもまた楽しんでいるレイラの姿に目を細める。
「あら、工事中かしら?」
路地裏の奥に作業員風の男たちが数名見えた。
思わずレイラが足を止めると、ルチアーノが「ああ」と頷く。
「道路の補修工事だろう。レイラ、あんまり奥に行っちゃだめだよ。迷ってしまうから」
ルチアーノの言葉に頷いたレイラは、次に作業員の男たちに近づく少女を見て「えっ!?」と声をあげた。
その少女が見覚えのある桃色の髪をしていたから。
「ル、ルチアーノ様!あれ!」
「あれって…ハンナ!?」
ルチアーノも驚いて、二人で「ハンナ!」と声をかけながら駆け寄る。
「っ!!?」
振り返った桃色の髪の少女はやはりハンナだった。
「ハンナ!どうしてここに…!」
「ふ、たりこそ、どうして?」
ハンナは持っていたお盆で顔を隠す。
お盆…?
「おいおい、お貴族様たちが嬢ちゃんになんの用だぁ?」
作業員たちの中で一際日に焼けて皺の深い年配の男性が言う。
「親方!ちがうの、レイラたちはとも…、あの、同じ学校で…」
「ハンナの友人よ」
レイラは胸を張って一歩前に出る。
「お茶をしていたってことは休憩中かしら?」
「おお。嬢ちゃんが持ってきてくれたんだぜ」
男は嬉しそうに手に持ったコップを掲げて、そしてハンナを見る。
「嬢ちゃんにも友達がいたか、安心したぞ。ほらあんた方、きれいな服が汚れちまうぜ。話なら家でしろよ」
「親方…」
しっしっと手で追い払われて、ハンナはレイラとルチアーノを促す。
「二人とも、こっちに」
「…レイラ、大丈夫だった?」
「平気よ」
ルチアーノにこそりと囁かれて頷く。
ああいう態度はうちの料理長で慣れているわ。
ハンナについていった先は小さな民家だった。
家に入るとすぐに小さなリビングがあり、小さなテーブルがある。
「これはなに、花瓶を置く台…?」
「ちがうわ、ルチアーノ様。一般市民のダイニングテーブルよ」
「これが…!?」
ルチアーノは本気で驚愕している。
ハンナに促されてレイラたちは椅子に腰を下ろした。ルチアーノはまだ「椅子が固い…!?」とか驚いている。この公爵子息め!…あら、悪口にならないわ。
「ハンナ、さっきの方は?」
「わたしのおじいちゃんよ」
「えっ!」
これにはさすがに驚いた。
ハンナは自ずからお茶を用意してくれた。この家にはいまハンナしかいないようだ。
ルチアーノはまた「ソーサーがないだと…?」とか驚いている。
「ここはおじいちゃんの家よ。うちは元々大工でね、引退してからもああやって仲間といろいろやってるの」
にゃーん、とかわいい声がして、ハンナの足元に白い猫がすり寄る。
パールとレースで出来た可愛らしい首輪をしていた。
「かわいい首輪ね」
レイラの言葉にひとつ微笑んで、ハンナは猫を膝の上に抱え上げる。
「あなたたちはどうしてここに?」
「あの、たまたまだったの。ゴンドラを降りてまた通りに戻る途中で…」
「ああ、デートだったのね」
ハンナの言葉にどことなく刺がある。
そう感じたのはレイラだけではないようで、ルチアーノは訝しげに問いかけた。
「ハンナ、どうして学園に来ないんだ?」
「あんなことがあって行けるわけないじゃない」
ハンナはぷいと顔を背ける。
それからレイラを見て、「ごめんなさい」と眉を下げる。
「ごめんなさい、レイラ。あのときはああするしかないと思っていて…でも間違ってたわ」
王子様に言われて気づいたの、と俯く。
「あのときブノワトとなにかあったの?」
「…………」
返事はない。レイラはルチアーノと視線をあわせて肩を竦めた。
「いまはこの家にいるの?」
「…ええ。ここでおじいちゃんの手伝いをしているわ」
レイラに続いてルチアーノが訊く。
「それはブノワトが理由か?例えば、ブノワトが義姉になるから、とか?」
「っ、どうしてそれを!?」
がたっ!とハンナが音を立てる。
にゃっ!と猫が逃げ出した。
その声に我に返ったのか、ハンナははっとして椅子に座り直した。
「ねえ、話を聞かせてくれないかしら?」




