52
レイラの言葉がショックだったのか、ルチアーノは真っ白になって固まってしまった。声をかけても、揺さぶってみても、反応がなく戻ってこない。
レイラは諦めてその日は屋敷に帰ってしまった。
ルチアーノを置き去りにして。
そしてモンタールド邸に着くや、父の書斎を訪ねる。たまたま在宅していて助かった。レイラはルチアーノとの婚約解消の意向を伝えた。
父はとても驚いていたが、サルヴァティーニ公爵に連絡をすることを了解してくれた。
『レイラがついに爆発したよ。ルチアーノくんとの婚約を解消するって。私も公爵との不名誉な噂を解消するいいきっかけになるかも。どうする?』――なんて。
レイラの決断に一番反応したのはトマだった。
本気か?と何度となく問い詰めてきて、レイラの意思が固いと見るや、そのまま早馬で駆けて行ってしまった。
レイラはその身軽さがすこし羨ましかった。
「大丈夫ですか?お嬢様」
マリーがあたたかいハーブティーをそっと差し出してくれる。
「ええ、平気よ」
それでもレイラのかわいい侍女は眉を下げて気遣わしげな表情をしている。
マリーはレイラの想いを知っているから、本人以上に胸を痛めているに違いない。
―――ああでも、やっぱり。
「いらいらする…!!」
「ストレス溜まってますね、お嬢様」
ルチアーノへ想いを抱く前ならいざ知らず。
レイラは彼への想いを認めてしまっていた。だから余計に愛憎が募る。
「ああもう、憎たらしいったらないわ」
***
レイラはルチアーノに別離を告げた翌日、学園を休んでしまった。ずる休みだ。そのまま休み続けてしまおうかしら、と思っていたレイラは父に注意された。
傷心も理解するが自分の決断に責任を持つように、と。
つまり、婚約破棄は自分で決めたことなんだから、登校拒否は違うだろ、と言うのだ。
父の意見も一理あるとしぶしぶレイラが学園へ行くと、ルチアーノは休みだった。ハンナも。
それから彼らはしばらく登校してこない。
二人で仲良く何をやっているのよ、とレイラはもやもやするばかり。
件の公爵家からの返事は『お願い、ちょっと待って』だった。
馬を走らせたトマから告げられたのも、『すこし待っててあげて』だった。
なんでまたレイラが待たないといけないのか。
さんざん待っていたのはこちらだというのに。
思えば、婚約期間中もルチアーノとの関係は建前ばかりだった。
当たらず触らず、付かず離れず。
分かりあえたと思ったのはほんの一瞬。
後半なんてレイラの存在を無視されているのも等しくて。…ああ恨めしや。
「そんな怖い顔しないでよ。あいつもあいつなりに足掻いているからさ」
そう言うのはアドリアン王子殿下だ。
王子の言葉なので、レイラは一応敬意をもって「そうですね」と答えるが、その表情を見ればどう考えているのかなんて一目瞭然。
「ぶは!」
「…なんで笑うんですか、殿下」
「そんな苦虫噛み潰したみたいな顔されちゃあね。ご令嬢もそんな表情できるんだ」
「嫌味ですか?」
「いいや、評価しているんだよ」
アドリアンはレイラの耳にそっと囁く。
「レイラの素の表情が見れてうれしいな」
「っ!!?」
レイラはかあっと頬を染めて、口をぱくぱくさせる。その様子にアドリアンはまた甘く微笑った。
カフェテリアでの一件以来、こんなやりとりが増えた。…いいや、その前からか。アドリアンはいつもレイラの近くにいて、さりげなく支えてくれる。
レイラも愚鈍ではない。『私』の記憶もあって、男女の機微には理解があるつもりだ。
アドリアンがレイラに、程度はどうあれ、好意を持ってくれているのは察していた。
レイラはアドリアンと目が合うや、はにかんでにこと微笑む。
「~~っ、その顔は反則だよ…」
「殿下?」
ぷいと背けてしまったアドリアンの耳が赤くなっているのに気づき、レイラはくすぐったい気持ちになった。
あの日以降、レイラの評判は手のひらを返したように一変した。
貴族の噂話は回るのが早い。王子の尽力もあったのだろう。レイラの名誉はみるみる回復していった。
その代わりハンナは、レイラ以上に悪意をもって噂されている。入学パーティーでの失態まであげつらわれて。
ルチアーノもそこまでひどくはないが――いいや、女子生徒からは結構こき下ろされている。仕方ない。自分も婚約者に同じことをされたらと思えば、心がざわめくものだ。
これでレイラとの婚約破棄が公表されたら、ルチアーノもハンナもますます衆目の的だろう。本来ならもっと早い段階でこうなっていたに違いない。
いい気味だわ、と思う反面、レイラの気持ちは沈んだまま。
レイラの周りは、ほんの一握りの信用できる人と、レイラを疎ましく見る人、レイラを利用しようとする人に分けられる。
だから正直なにを噂されようと、大切な人がレイラの真実をわかってくれていればそれでよかった。でも。
結局、ルチアーノ様はわたくしのことをどれだけ信じていてくれたのかしら…。
―――ああ。だからやっぱり。
「いらいらするのよ」
「ストレス溜まってるわねぇ、お嬢様」
ロイドが新しいアクセサリーを作りながら言う。
短期講師の仕事は、元の教師が戻って無事にお役御免となった。いまロイドは以前のように店と侯爵邸を行き来している。
「仕方ないわね。お嬢様ご要望のものもできているし、派手にやる?」
「え、ほんと!?」
レイラはぱあっと表情を明るくしてロイドを見上げた。
「ええ」
「よし!ならいつメンを招待しないとね!」
「イツメン?なにそれ?」
首を傾げるロイドに、レイラはふふっと笑う。
いつものメンバーと、それからアドリアンもお茶会に誘おうかしら、と考えていやいややっぱりと首を横に振る。
よくしてくれるし頼りにもなるけど、彼は高貴なる王子殿下だ。身分はしっかりわきまえなければ。




