51
「問題はどうしていま伯爵の件が蒸し返されたか、ということだと思うけど」
なんとなく一件落着を迎えそうだったカフェテリアの空気が、ルチアーノの言葉で再度張りつめる。
「…そうだね。ルチアーノがそれを指摘するのはちょっと意外だったけれど」
「なぜ?レイラは私の婚約者だよ」
ルチアーノの発した言葉に動揺が広がる。それはレイラも同じだった。
「アドリアンだっておかしいと思ってるはずだ。近頃レイラを貶める話題が多すぎる」
「それもそうだね」
アドリアンが頷いて、ルチアーノは凪いだ瞳で御令嬢たちに訊ねた。
「先輩方。先程レイラに詰め寄っていた件ですが、どこから話を聞いたんですか?」
「ひっ!!?」
先輩令嬢が悲鳴を飲み込む。
ルチアーノがそのときどんな顔をしていたのか、彼の後ろ姿を眺めていたレイラは気づかなかった。
―――ルチアーノ様ってばなんでいまさら。
そう言ってしまわないよう、ただ口を閉ざして耐えていた。
「わ、我が家の使用人から聞いたの。使用人は出入りの職人が話してたって言ってたわ。学園に来たら他の方も話題にしていたから、それで…」
震える声で御令嬢が告げて、アドリアンは目を細める。
「噂の出所は使用人か。これは怪しいなぁ」
「アドリアン?」
ルチアーノは友人の言葉に首を傾げる。
そして今度はレイラの友人たちが、わあわあ騒ぎながらカフェテリアにやって来た。
「ちょっと!人の話ききなさいよ!」
「あのときマリーは怪我しているのよ、それが事実だわ」
「レイラを疑うなんてあなた正気?」
「だって!それにしたってやりすぎじゃないかしら!ブノワトは家族を失ったのよ!」
リーサ、エマ、イリスが、叫ぶハンナを追いかけるような形でカフェテリアに現れる。
「レイラ!」
ハンナはそしてそこにいるレイラの名を呼ぶと、すぐに視線をルチアーノに向けて駆け出した。
「ルチアーノ様、聞いてください!」
「いま噂になってる元伯爵のことだろ、知っているよ」
ルチアーノの腕を当然のように取るハンナに、レイラは顔を背ける。見ていられるはずがなかった。
「違います、ブノワトです!ルチアーノ様も彼女に会ってますよね?レイラはブノワトを追放したんです!!」
「!!?」
レイラは耳を疑った。
うそだ。そんなことはしていない。
レイラは意趣返しはしたが、きちんと帰りの馬車を手配している。
たしかにレイラは、ブノワトが実家である地方領に戻っていないことは報告を受けていた。
でも、だからどうしろというのだ。
ブノワトの人生はブノワトのものだし、そもそもレイラにとっては関わりたくない相手だ。
「わ、わたくしは…っ!」
「ルチアーノ様!」
ルチアーノに訴えかけ続けるハンナに、レイラは唇を噛み締めた。そして。
「レイラ!?」
レイラはその場から駆け出した。逃げたのだ。
責められているようなこの場から。
寄り添いあうルチアーノとハンナから。
「……っ!」
ルチアーノは飛び出していくレイラを見送ってしまった。
ちっ、と鋭い舌打ちが聞こえる。
従兄弟であり、友人であるアドリアンがきつい視線をこちらに向ける。
「どうして追いかけないんだ?ルチアーノ」
ああ、その瞳は最近よく向けられるものだ、とルチアーノは己の腕を見下ろした。
正確には、爪を立てるほど強く掴んでくるハンナの手を。
「ハンナ、離してくれないか」
「いや!」
「レイラは友人だろ?どうしてあんな風に…」
「でもブノワトはわたしの侍女なの!」
「!!?」
ルチアーノは息を飲んだ。
ブノワトがハンナの侍女だというのなら、物事の見方が変わってくるのではないか…?
「やっぱりレイラを貶めるようなことをしているのはブノワト本人なんじゃないのか。そしてハンナ嬢も」
「わたし!?違います!ブノワトだって!」
アドリアンに見据えられて、ハンナが慌てて否定する。
「ほら。レイラだっていまの君と同じ気持ちだったと思うよ」
アドリアンの言葉にはっとしたのは、ルチアーノだった。
―――そうだ。謂れのない非難や噂に傷ついているのはレイラも同じはず。
彼女には親身になって支えてくれる友人が男女関係なくいたとしても。
「っ!!」
ルチアーノはハンナの腕を振り払い、レイラを追いかけるべく走り出した。
その背中をアドリアンはまだ冷たいままの視線で見送る。
「…遅ぇんだよ」
***
「レイラ!!」
ルチアーノはすぐにレイラに追い付くことができた。
けれどレイラは俯いたまま、ルチアーノの顔を見ることもない。名を返すこともない。
ルチアーノは仕方なく、美しく整えられた大きなトピアリーの下のベンチまでレイラの手を引いて、そこに座らせた。
「レイラ」
レイラはぼんやりと辺りを見回して、そしてそのベンチがあの入学パーティーの日にハンナと出会った場所であることを知り、くすりと笑う。
「レイラ?」
ああ、なんて偶然。憎たらしいほどに。
「…ルチアーノ様」
あの日もレイラは悲しかった。悔しかった。
それでも令嬢の矜持をなんとか保っていた。いまもそれは同じだ。
「ルチアーノ様」
「レイラ?」
「ねえルチアーノ様、わたくしたち、こうやって二人でいるのっていつぶりかしら?」
レイラがふふっと笑う。
ルチアーノは彼女が泣くかと思った。
けれどそのブルーサファイアの瞳は、ガラス玉のようにつるりとしたまま。まるで人形のように無機質な色でルチアーノを見る。
「……!!」
いまさらよね。いまさらなのよ。
レイラはルチアーノのきれいな顔を眺めながら、淡く微笑んだ。美しく。穏やかに。
なのにルチアーノは言葉を失ったまま、どんどん血の気が引いていく。
ああだめよ。貴族なんだからなんでも顔に出しちゃだめ。まったく、ちっとも変わらないのね。
「ねえルチアーノ様、決断は、早い方がいいわ」
『ぼくはこんな婚約話認めていないんだからなっ!!』
レイラの耳の奥で幼い頃のルチアーノの言葉が甦る。
―――ああそうね。でも、それならこんなに先伸ばしにしないでほしかったわ。




