ひとりぼっちの夏休み ⑤
心を無にして勉強を始めて気が付けば二時間近く過ぎていた。顔を上げると絢が真剣な表情で問題を解いてる。
(はぁ……なんとか落ち着いたな)
余計なことを考えないように集中していたので少し疲れてきた。一息つく感じで前を向いていた。さっきは慌てて誤魔化すように少し強引に勉強を始めた。絢は焦っている俺を見て微笑みながら一緒に勉強を始めていた。思っていたより疲労感があったのか、無意識で何も考えず絢の顔を眺めていた。
「ねぇ、そんなに見つめられているとちょっと恥ずかしいな……」
すっかり気を抜いていた俺は我に返るとものすごく焦った。
「あっ、ご、ごめん……」
絢に何度も慌てる姿を見せたくないので余裕のある顔をして視線を逸らした。内心はもうヤバいくらい焦っていて、絢の顔を真面には見れない状態だ。何故か今日の絢を見ると動揺してしまう。
「ふふっ、そんな謝らなくていいのに……」
楽しそうな笑顔で絢は余裕ある雰囲気だで、一杯一杯の俺とは対照的だ。いつもと何が違うのかよく分からない。夏休みの間はかなりの時間で一緒だったので、もう気にすることなく過ごしてきた。なんでこんなに焦ってばかりなのか状況が掴めず困惑して俯いた。
(……やはり絢の部屋で二人きりの状況が焦りの原因なのか?)
いつもと違う状況はそれしかないと判断して、どうしようかと悩んでいると間近で気配を感じる。顔を上げるとすぐ側に絢の顔があって心配そうに俺の様子を窺っている。
「……どうしたの? 具合でも悪いの?」
「えっ、いや、だ、大丈夫だよ……まだちょっと緊張してるだけだから」
「ふふっ、なんでそんなに緊張するのかな?」
「ははは、なんでかな……」
絢は笑みを浮かべてさらに近づいてくる。
「ん……そうね。緊張しないおまじないしてあげる!」
そう言って絢は目を瞑って少し恥ずかしそうに俺の顔にキスしようと近づいてきた。もうちょっとで絢の唇が届きそうなタイミングでドアをノックする音がする。二人ともすぐに反応して絢は素早く元の体勢に戻り、俺も慌てて姿勢を正した。
「絢、入るわよ」
ドアが開くと絢のお母さんだった。絢に似て優しそうな雰囲気だ。
「もう、何? なんの用事?」
不機嫌そうに絢が開いたドアの方向を見ている。絢の拗ねた様子をお構いなしに絢のお母さんは俺を見て少し驚くような素振りをする。
「あら……大きくなったわね!」
「こ、こんにちわ。お邪魔しています」
「ふふふ、こんにちわ……うんうん、立派になったね。絢が嬉しいそうに話すのがよくわかるわね」
絢のお母さんは楽しそうな笑みを浮かべて、絢の様子を窺っている。
「もう、お母さん、何言ってるの!」
顔を赤くした絢は慌てて立ち上がりお母さんの所に向かい始めた。二人がドアの付近で何か話しているが、絢のお母さんは終始笑顔で絢本人はうろたえているみたいだ。
「そうだ、宮瀬くん。今晩は食べて帰りなさい」
「えっ⁉︎ で、でも……」
突然の絢のお母さんからの提案で返事を迷ってしまう。絢も振り返り俺の反応を気にしているみたいだ。
「ふふふ、心配しないでいいわよ、宮瀬くんの家には連絡しておいてあげるからね」
絢のお母さんは半ば強引な感じで断れる雰囲気ではなかった。
「は、はい……お願いします」
俺が頷いたのを確認して、絢のお母さんは笑顔で部屋を後にした。絢が疲れたような顔で戻ってきた。
「ごめんね……なんか無理矢理に……」
「ううん、そんなことないよ」
俺の返事を聞いた絢は落ち着いたみたいで機嫌も元に戻ったみたいだ。安心した絢とは正反対に俺の心の中はまた焦りまくっていた。
(どうしよう……予想外の展開になってしまった)
そのあとは、顔には出さないように気をつけて勉強を続けていたが、内心は不安な気持ちのままだった。結果、勉強は頭に入ってこない状態が続き時間が過ぎていった。
晩御飯の時間になり、絢と一緒にリビングへ移動した。リビングルームに入るとテーブルには四人分の食事の準備がしてあった。キッチンでは絢のお母さんがまだ準備をしている。
(ん……なんで四人なんだ?確か、絢のお姉さんは留守だったはず……)
すごくヤバい予感がする。リビングルームのドアが開くが怖くて見ることが出来ない。人が入ってくる気配がするので、あきらめて腹を括る。顔を上げると予想通り絢のお父さんだった。
「こ、こんばんわ」
「こんばんわ」
恐る恐る挨拶をすると想像していたよりも気さくに返してくれた。少しだけ気持ちが楽になった。俺は絢の隣に座り、テーブルを囲んで絢のお母さんとお父さんと食事をした。
「宮瀬くん、おかわりあるからたくさん食べてね」
「は、はい、ありがとうございます」
「ふふっ、男の子がどれくらい食べるのかよく分からないから……」
絢のお母さんはすごく気をつかってくれる。俺のおかずはあきらかに一番量が多かった。味付けはやはり絢が作ってくれた料理と一緒だったので美味しかったが、緊張してゆっくりと味わうことは出来なかった。でも思っていたより和やかな雰囲気で食事ができたのでひとまず安心した。
食べ終わってから俺はリビングのソファーに座っていた。食べ終わったから一安心とはいかない、斜め前に絢のお父さんが座っている状況だ。絢は絢のお母さんと一緒に片付けをしている。
(うぅ……何を話せばいいのか……)
気まずい空気が漂ってくるが絢はまだ戻ってくる気配はない。どんどん気持ちが焦ってきて、そろそろ限界が近づいてきた。
「宮瀬くんは、大学ではバスケットボールを続けるのかな?」
もう限界と思った瞬間、絢のお父さんが穏やかな雰囲気で口を開いた。
「えっ、あ、いや、多分、本格的には続けないと思います……」
あまり深く考えていなかったことなので一瞬焦ったがなんとか答えられた。でもなんでバスケのことを聞いてくるのだろうかと疑問に思う。
「そうか、残念だな。あれだけ絢が熱心に観戦しに行っていたから気になっていたんだ」
「そ、そうですか……でも先輩に声をかけられていて、草バスケ程度は続けるつもりです」
「そうなのかね、それは絢が喜ぶな……いつも君の試合の後は絢が興奮して私に試合の内容を話してくれていたからね、今日も宮瀬くんが凄かったって」
「なんか恥ずかしいですね……」
「ははは、絢は君のこと気に入っているからな」
笑顔で話す絢のお父さんの言葉になんて反応すればいいのか迷ってしまう。さすがに「はい」と返事をするのもおかしな感じだし、曖昧な返事も出来ない……だからと言ってそのまま聞き流すようなことは出来ない。
「……気持ちを裏切ることがないように大事にしたいです」
「そうか……頼んだよ」
俺の言った言葉が正解だったのかよく分からなかったが、絢のお父さんは納得した表情をして微笑んでいた。
「なんの話をしているの?」
片付けが終わったみたいで上機嫌で絢が俺の隣に座る。突然やって来たので慌てしまう。
「えっ、あ、えっと……」
「ははは、絢の小さい頃の話だよ」
絢のお父さんが慌ている俺を見て咄嗟にフォローしてくれた。逆に絢が慌てた感じになる。
「えっ、な、なにをいったい話したの?」
「ははは……」
笑っているお父さんを見て絢が困った顔をしていた。すぐに絢のお母さんも話に加わってきてさらに絢を困らさせていた。気が付けば知らないうちに穏やかな時間を過ごしていた。




