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伯母様との会食

 翌朝、扉をノックする音が響いた。ビクン。パージェの心臓が躍り上がる。作り笑顔で恐る恐る廊下を覗くと、そこに居たのは侍女だった。


「お館様からの御言づけです」


 侍女から白い封書が手渡される。ほっと息をついてパージェは封を開いた。そこには伯母がこの館を発つ日程と、その前に毎年行われている会食の予定が記されている。


「……来週までに、僕の新しい服を用意してくれないかい?」


 パージェはにこやかに侍女に命じた。




 体内に蟲を飼っているパージェは、怪我の治りが異様に早い。ほんの三日ほどで傷めた拳も手足もすっかり回復してしまった。動けるようになるとすぐ、彼女は伯母との会食の日に向けて準備を始めた。


 足が不自由な上に病弱な伯母は、毎年寒い冬を伯父の城で過ごすことにしている。出立の日に荘園全域を挙げて見送り式典が催され、その数日前には慣習として屋敷に残る家族との会食が行われるのだ。現在彼女が伯母との同席を許されるのは年に二回、実にこの機会だけであった。


「大丈夫、伯母様は僕の事をお忘れになんてなっていない。こうして御言付けを下さったんだもの。……良かった……!」


 パージェは使用人への指示を一通り済ませると、胸を押さえて目を閉じた。同じ屋敷に住んでいながら随分長いこと伯母の姿を見ていない。……あれは彼女が十歳の誕生日を迎えた頃だったろうか。何時の間にか、伯母が彼女を避けるようになっていた。


「髪を少し切った方がいいかな?」


 彼女は壁のカーテンを引くと、奥にある鏡を覗き込んだ。母親譲りのふわふわの髪が、貧相な体格を強調してしまっている。


「……いや、男物の服を着るんだもの、このまま結い上げた方がいいよね。伯母様はあんまり僕の巻き毛をお好きではないし……っ!?」


 次の瞬間、彼女は鏡から飛びすさっていた。まじまじと鏡を見直し、激しく躍る胸を押さえる。


 何で……ちゃんと僕が映ってるじゃないか! 全くどうかしてるよ……自分があいつに――あの生意気な下民に見えるだなんて!


 ジャッ。彼女は勢い良く、鏡を覆っていたカーテンを閉めた。


挿絵(By みてみん)



 当日の夜が訪れた。


 正装したパージェは数名の上級侍従を従えて本館のダイニングルームに入った。侍従たちは無表情のまま、礼儀正しく部屋を下がる。流石は伯母様にお仕えする上級使用人だね、僕付きの連中とは格が違うよ、とパージェは内心感心した。実は使用人にも階級がある。彼女にあてがわれているのは、下働きをも兼ねる下級使用人ばかりなのだ。


 やがて、コツン、コツンと杖をつく音が近付き、上級侍女が無表情で扉を開く。美しく着飾った荘園主ラルナアイニス――パージェの伯母が老侍女フェヌと執事、そして侍医を従えて現れた。


 亡き母に良く似た面差し。嬉しさが胸にじわじわ寄せてくる。


挿絵(By みてみん)


 パージェは膝を屈めて伯母を迎え、その白い冷たい手に軽く息を触れた。ゆっくりと顔を上げると、ほんの一瞬、夢の中で飢えと渇きに苛まれながら砂漠を迷う感覚に捕らわれる。


 だが苦痛に似た色が瞳に忍び込み、伯母はすぐに冷ややかな表情で顔を背けた。不自由な足を引きずって食卓に歩み寄る。フェヌがしずしずと椅子を引く。パージェが着席出来るのは主人が着席してからだ。家族の会食とは名ばかりの堅苦しい儀式である。この席上では笑うことも、無駄口を叩くことも許されない。


 やがて、無表情な「沈黙の侍女」たちが、豪勢な食事を運んでくる。パージェは食事の合間に、そっと空っぽの椅子に目をやった。


 ……そこはかつて母の席だった。目を閉じれば、白い霧に閉ざされた風景が蘇るような気がする。ぼんやりと揺れる記憶。おぼろげな母の姿、山のように聳え立つ影。耳に響く恐ろしい音、意味も分からぬままに刻まれた言葉たち――。



『家族を捨てて断頭台に消えたような男の子供』


『ゲゼントラーレア家を穢す存在』


『どうして死なないの!……何でこの子だけ生きてるのよ!』



 つと胸を突かれる感覚に、パージェは食器を持つ手を止めた。張りつめた食堂の静けさの中、先程の幻聴が谺する。


 急に視線を感じて彼女は顔を上げた。顔を背けたまま黙々と食事を続ける伯母、控える侍女たち。当然、誰も彼女を見てなどいない。なのにまだ肌は粟立ち、不安が胸の奥でとぐろを巻いている。


「ねえ伯母様。先日差し上げた毬はお気に召しましたか?」


 わざと笑顔を浮かべてパージェは口を開いた。レディ・ラアニはぴくりと手を止め、だが、何も言わずにすぐに食事に戻った。彼女の言葉などまるで耳に届かなかったように……。


「……そうですか。じゃあ、そこの老婆で毬をこしらえたら伯母様は喜んで下さいます? だってさぞかし歩くのにお困りになるでしょう?」


 黒く澱んだ不安が、喉の奥でくすくす笑いに変わる。パージェは老侍女フェヌを示し、金色の瞳で伯母の視線の行方を探った。


「そう。……あたくしが出掛けることはどうでも良いのね」


 ……だが、レディ・ラアニの銅色の瞳はパージェを避けた。代わりに伯母はぱんぱんと手を叩き、控えていた執事を呼び戻した。


「彼を部屋に連れ帰って頂戴。明日から二週間は食事を与えなくて良くってよ。どうせ何をしたって死なない子ですもの」




伯母様、伯母様……何をしたら僕を視界に入れて下さるの?


どうしたらあなたの瞳を捕まえられるの?




 体の芯が、ピシピシと音を立てて凍りついていく。


 パージェの中で、時間はその歩みを止めた……。

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