どんなに求めても
ゆっくりと時間が過ぎていく。湯を使い終わったパージェは部屋を替えてベッドに横たわっていた。隣の部屋から、専属の掃除夫らが部屋を洗浄している音が聞こえてくる。
絨毯を張り替える音が掃除の終了が近いことを告げた。
「……伯母様がそろそろあれを見つけた頃だね。喜んで下さったかな。それとも驚いた?……もしかしたら怒ったり悲しんだりなさったかも知れないね。伯母様、どんなお顔をなさったろう」
弾む心を抑えてパージェは天井を見上げた。
「……もう、随分長いこと伯母様のお姿を拝見していないや……伯母様は僕の事まさかお忘れになったりしていないよね」
隣室の音が止んだ。廊下を複数の足音が遠のいていく。
パージェはそのまま天井を見つめ続けた。研ぎ澄まされた静寂が、彼女の浮き立つような気分を徐々に沈ませていく。
そのまま朝が訪れ、日が落ち、やがて再び夜が来た。パージェは自分の二つの部屋を行き来しては伯母を待った。翌日も、翌々日も、ただ時間だけが過ぎていった。
遂にある日。パージェは苛立ちを抑え切れず、部屋を出た。
久しぶりに歩く裏庭は、晩秋の午後の色に染まっていた。冬に備えて収穫した穀物が干してある。それを狙う小鳥達が頭上を横切った。ぼんやりと空を眺めると雲の灰色が寒々しい。
……豆でも持ってくれば良かった。――そうだ、無邪気な野鼠でもつかまえに行こう。まだ冬眠するには早いもの、すぐに見つかるさ。
歩きながらパージェは何気なく思った。
そう言えば昔、野鼠に自分の体を無理やり食わせて殺したことがあったっけ。あれは少し面白かったね。他の生き物ではどうだろう。……ああ、少し勿体ないことをしたかも知れない。あの不作法な下男で試してみれば良かったんだ。
心は水のように冷めているのに、考える事は残酷な気晴らしばかりだ。行き場のない苛々した気持ちが全身を血の代わりに巡っている。
――どうして伯母様は何もおっしゃって来ないんだろう。あの毬、届いてないのかな。それとも伯母様は僕のこと……。
いつしかパージェの足は無意識に新館へと向かっていた。そこは彼女が近付くことを決して許されぬ場所であり、伯母ラアニの住む聖域であった。
新館の廊下は豪奢に飾られていて、まるで別の世界にさ迷い込んだようだ。伯母の姿を探してパージェはずんずんと奥へ入り込んだ。
「パ……パージェ様? どうしてこちらに……」
そんな彼女の姿を伯母付きの老侍女フェヌが見つけた。フェヌは遠くからパージェにそっと抑えた声を掛けた。
「お戻り下さいまし、パージェ様」
フェヌの声に、彼女は虚ろな瞳を動かした。だがフェヌがここに居るということは、伯母はこの近くにいるということだ。
「ここにいらっしゃってはなりません。お館様のご命令です」
「……伯母様は何処だい?」
フェヌは目を剥いた。女主人が長年姪をどう扱って来たのか、この老侍女はよく見知っていたのだ。
「早くお戻り下さいまし、パージェ様。お館様にまた昔のように酷くぶたれてしまいますよ」
ぼんやりと、パージェの脳裏に白い光がよぎった。
『穢らわしい、逆賊の子。お前の父親は処刑されたのですよ』
伯母様がいつものようにそう怒鳴って杖を振り上げ、僕は眩し気にそれを見上げる。僕の目と伯母様の目が交わるほんの一瞬。それがとても嬉しくって頬が緩み――気が付くと僕はひとり、ぽつんと冷たい床に寝ている。体も頭も麻痺していて、ただ痛みだけが渦を描くけど――でも、僕は自分を幸せだと思うんだ――。
「パージェ様。どうかお館様がいらっしゃる前に、早く」
心配そうなフェヌの声が幻のように遠く響く。パージェは呆然と立ち尽くしていた。
……目の奥が痛い。息が苦しい……
その時、フェヌの老いた手がそっと彼女に触れた。
――パシッ!
刹那、我に返ったパージェがフェヌを振り払った。
……何をしているんだ、僕は。こんなところで。
彼女は踵を返した。徐々に歩く速度が上がり、いつしか豪奢な廊下を走っていた。廊下を駆け抜けて旧館に辿り着いたパージェは力任せにそばの壁を殴りつけた。拳に痛みが走ったが、壁には跡すら残らない。その非力が悔しくて腹立たしくて、彼女は何度も何度も壁を殴った。拳が赤紫色に熟しても殴り続けた。
音を聞きつけて下男が数人とんで来たが、パージェの姿を見ると皆おののいて遠巻きに巻いた。パージェはあの凍りついた笑みを浮かべ、苛立ちに金の瞳を燃やして下男逹を睨みつけた。彼女が歩くとさっと人波が割れた。
「何もかも気に入らないよ」
パージェは再び裏庭に出た。そして人気のない小道で、つと走った小鼠を蟲に引き裂かせた。