血の季節
残酷描写あり。ご注意ください。
使われていない部屋が幾つも並ぶ寂しい廊下の奥。パージェはいつも、この屋敷の果ての薄暗い部屋で召使が食事を運んで来るのを待っていた。
「パージェ様。お食事をお持ちしました……」
レアンがおずおずとノックすると、魔法のように扉が開いた。彼の持つ蝋燭の光が暗い部屋に忍び込む。
「どうもありがとう。悪いね、テーブルに並べてくれないか」
迎え出た彼女の人懐こそうな微笑みに、レアンは緊張していた表情を和らげた。
「かしこまりました」
注意深く田舎訛りを抑えつつ彼は手早くテーブルの支度を整え、パージェのために椅子を引いた。
「ありがとう。もう下がっていいよ」
パージェは上品に腰を下ろした。だがレアンは彼女の背中を見つめた。
「いえ、お一人ではお寂しいでしょうから、お食事が終わるまで、ここでお待ちしております」
「ふうん、そう。じゃあ好きにするがいいさ」
興味すら抱かないまま彼女は食事を続けた。レアンはその後ろでひっそりと待った。薄闇に目が慣れると、あまりにも殺風景な部屋の様子に彼は驚いた。ただの広い部屋に小さなベッドがあるだけで、他の部屋や廊下を飾る美しい調度品も装飾もない。裏返しに掛けられた壁の絵が妙に気になった。
貴族の子の部屋とはこんなものなんだろうか? レアンは内心首をひねった。これならよっぽど使用人の部屋の方が華やかだ。背を向けたまま黙々と食事を続ける細い背中が、レアンには何だか寂しそうに見えた。
「……パージェ様……。あのう、こんなお部屋にいらっして、寂しくおなりにはならないんですか?」
だがパージェは答えず、ゆっくりとフォークを口に運んだ。
「ああすみません、もしあたしの話が五月蠅いとお思いならおっしゃって下さりゃあすぐに黙りますんで。けどこんな方角じゃ窓から陽も入りゃしないし……よくもまあ平気でおひとりでいらっしゃれるもんだ。あたしならすぐに滅入っちまいまさ!」
ひとたび口をついて出ると、言葉も田舎訛りももう止まらなかった。レアンは不躾な視線を部屋中に流し、何度と無く溜息をついた。
「……そう言や、パージェ様。離れのお客様とはお会いになりましたか、医学生の。みんな礼儀正しい良い子ばっかりですよ。あたしの余計なおせっかいですがね、パージェ様はもっと年の近い方と遊ばれたらよろしいと思いまさ。大勢で遊ぶのはそりゃあ楽しいもんですよ」
かちゃり。パージェの手が止まった。ゆっくりと食器を置き、彼女はレアンに向き直り、そしてにっこりと微笑った。
「……誰が君をここへよこしたのかい? 随分と厚かましい下男だね」
母に駆け寄る幼子を思わせるあどけない笑顔と、放たれた言葉とのギャップにレアンはたじろいだ。それまで笑顔だと信じていたものが、実は表情筋に刷り込まれた形状に過ぎないのだと気付いた時、彼は思わず後じさった。レアンの背中に閉ざされたままの冷たい扉が触れる。
にこやかなパージェの金色の瞳の奥に、残忍な火が灯った。
「僕が五月蠅いと言えば黙るんだったよね……クスッ。じゃあ、永遠に黙っていてよ」
次の瞬間、白い鞭が閃いた。そして二度、三度。パージェの笑顔にぴしゃりと赤い飛沫が掛かる。続いてぷちぷちと繊維の千切れる音。
やがて静けさが戻った。絨毯の上をのろのろと海が広がる。耳の奥に響くほどの静寂と強い臭いの中、パージェは満足そうに弾まぬ毬をひょいと拾い上げた。
「この毬は伯母様に献上しよう。きっと喜んで下さるよね」
パージェは嬉しくてくすくすと笑った。ゴミ同然に転がっている胴体に蟲を一匹取り付かせ、彼女は小さい子に言い含めるように命令した。
「いいかい、伯母様のお部屋の入り口へこれを運ぶんだよ」
ゆらり。体はぎこちなく起き上がり、自分の毬を抱えると廊下を歩き出した。パージェはにこにこと手を振って見送った。そして何事もなかったように部屋へ戻ると、不躾な使用人が訪れた時にだけ鳴らす特別なベルを叩いた。