雪合戦
「危ないっ!」
咄嗟にクーイがパージェを引き倒して、雪玉から守った。雪玉は割れて、中に仕込まれていた石がそばの雪原にずぼっと埋まった。
「お兄ちゃんをあんなふうにしたこと、絶対に許さないんだから!」
ベフェ・ツィックが叫びながらもう一度石入りの雪玉を投げた。それを皮切りに、石入りの雪玉ばかりが次々とパージェ目掛けて投げつけられた。クーイは彼女を庇ってその殆どを自分の体に受けた。
「このバケモノめ、離れから出ていけよ!」
「なんでクーイがこんなやつ庇うんだよ! 邪魔すんな、どけよ!」
術医学生たちは口々に叫んだ。顔に雪玉が命中し、クーイの頬に大きくあざが出来た。
クーイは崩れかけた体勢を立て直し、あざの出来た頬をさすった。
頭に、血がのぼった。パージェは自分でも訳がわからないまま、感情に突き動かされて子供達の群れのほうへ突進しようとしていた。
が、目の前にクーイの腕がすっと伸びて、彼女を押し留めた。
「僕が、パージェ様と同じ思いをしてきたからだよ!」
クーイは、険悪にこちらを睨んでいる集団に向かって叫んだ。
「誰にも認められずに長いこと生かされてきたんだ。どんな感じがすると思うの? 荒むに決まってるじゃないか。僕だって荒んだよ。この施設に来るまでは、僕はパージェ様と同じだった。だから、庇うんだ。守りたいんだ。皆にはわからないかも知れないけれど、僕にはパージェ様のお気持ちがわかるんだよ!」
パージェの胸の奥が、瞼の奥が、熱くなった。彼女はぎゅっと少年の腕を握った。
『穢らわしい逆賊の血。幾ら責め立てても死なない化け物。裏切り者、お前が妹を殺したのよ』
レディ・ラアニの声がくるくると脳裏を回る。
僕は、伯母様に、認められていない……の?
……伯母様は、僕を杖で打ちのめすときだけ、僕を見てくださる。僕を瞳に映してくださる。僕はそれだけで嬉しくなって、痛みが渦を描く中、ただ伯母様の銅色の瞳を見つめている。打たれながら、自分を幸せだと思う。だから、微笑む。母様が笑みを絶やすなと仰ったから、どんな時でも笑っていた。……笑っていたのに。
認められていない。……存在を? 何を?
パージェが十歳になった頃から、伯母様は彼女を避けるようになった。食卓を囲むのも一年に二回だけ。会話も無く視線も交えず、ただ食事をするだけの夕食会。渡り廊下の先には、かたく閉ざされたままの新館への扉。
そう、確かに伯母様は彼女を無視しつづけていた。
伯母様に、認められていない。……本当はそうかも知れない。
でも。でも。クーイは、彼は、僕を必要としてくれるんだ。僕を認めてくれているんだ。理解してくれるんだ。気持ちを分け合える存在なんだ。
本当は伯母様から欲しかった言葉。だけど、何て気持ちになるんだろう。
パージェはクーイの腕に顔をうずめ、そして、滂沱と涙を流した。
守りたいんだ、パージェ様を。
つい口から出た言葉の奥の奥に有る秘密に、彼自身は気がつかなかった。
そこに潜む重要な意味に。
もう、ひき返せない自分に。
子供達は途方に暮れていた。タルヴァッカやベフェは、パージェにされた陰惨な事件を許せるはずがなかった。でも、目の前の弱弱しい姿を見て、そんな彼女を精一杯護ろうとするクーイを見て、更に追い討ちをかけてやろうとまでは思えなかった。あの沈着冷静な戦災孤児のクーイが、共感を覚えると言い切る相手。貴族や士族の子供達である彼等にはその意味するところは想像外だった。ゆえにクーイの言葉にどう反応していいか見当もつかなかった。だから彼等は固まった。固まるしかなかった。
「僕達のことは、そんなに気にしなくていいよ。いつもみたいに三人一組でゲリラ戦にして遊ぼうよ」
ざわざわと狼狽する集団を指揮するように、クーイの声が響き渡った。
「勿論、雪玉に石を仕込むのは禁止ってことで。パージェ様はもう絶対に誰にも危害を与えるような真似はしないと誓って下さったから、一緒に混ぜて貰ってもいいよね。貴族の誓いがどれだけ強いものかは皆知っている筈でしょう? 構わないよね?」
「……ど、どうする?」
ざわざわざわ。集団が揺れた。数え切れないほどの瞳がクーイにひっついている姫君を見つめ、そして互いをみつめあった。
クーイの黒水晶の瞳が、動揺しているソロスコを居抜いた。ソロスコは目を逸らそうとして失敗した。黒髪の少年の、人を信じきったような微笑にあえなく捕まる。
「な、何だよ……オレにお前らと組めってゆーのかよっ」
ソロスコは顔をくしゃくしゃっと歪ませてクーイに近付いた。パージェを警戒しながらゆるゆると近付く。
「そりゃーお前の言―たいことは分からねーでもネエけどさ。だけど……」
もごもごと口ごもる。
クーイは知らない。ソロスコがパージェに石を投げつけたことを。パージェが忘れてくれたとは思えない。そしてやっぱりパージェがタルヴァッカにしたことを今でも許せない。友人であるクーイを奪われた状態になっているのも何だか悔しい。
だけど、こんなに心細そうな、か弱い姿を見ていると、彼女はもうあんな風に蟲を使って暴れたりしないだろう、ということも何となく納得した。それに父の言によればパージェはタルヴァッカの手術を助けてくれたとか何とか……ああもう、頭の中がぐちゃぐちゃだ。
しっとりと濡れた金色の瞳が、ソロスコを一瞥した。ソロスコはドキッとして、自分でもわからないうちに後ろに下がっていた。風呂場で茫然としていた時のパージェを思い出す。捨てられて雨の中を彷徨っている子猫のような、あの時の彼女。
「わ……わあったよ。オ、オレが入りゃいーんだろー? 言っとっけど、オレ、羽根があるから、いい標的だぜ?」
にこっとクーイが笑った。
「助かるよ、ソロスコ。有難う。僕、パージェ様に雪合戦の面白さを教えてさしあげたいんだ。フォローよろしくね」
「ええ? フォ、フォローったって……どうすりゃ……」
慌てふためくソロスコ。クーイは微笑すると、ハンカチを取り出し、涙を堪えて震えていたパージェの顔をやさしく拭った。
「さ、パージェ様。雪玉と、それから雪濠を作りましょう」
雪合戦は、ぎこちなく始まったものの、すぐにいつも通りの熱気を取り戻した。最初のうちはパージェは雪濠に隠れているだけで、何もしなかったからだ。人前に姿すら現さなかった。雪で拵えた防壁の中で雪玉をせっせと作るだけだった。雪玉を投げるのは主にクーイとソロスコの役割だった。ソロスコは自分めがけて飛んでくる雪玉を、精一杯羽根を翻して躱した。藁の巻かれた木々や、建物の陰などをうまく利用して相手に近付き、死角から雪玉をぶつけて回る。
ここでもクーイは大活躍だった。白い雪原に黒ずくめの彼が目立たぬ筈が無い。のに、死角から死角へと器用に移動し、何時の間にか相手の背後を取っていた。
「イテッ」
かなり長い間逃げおおせていたソロスコが、遂に雪玉を食らって急降下してきた。
「チクショー、今回は結構うまくいってたと思ったのに」
ばたばたと羽根を振るわせて雪を払ってから、ソロスコはパージェの隠れている雪濠内に戻ってきた。一度雪玉を食らったものはもう攻撃できない。彼は姫君と共に、クーイのための雪玉を握る作業に入った。気まずい沈黙が続く。
「姫さんは行かねーのかよ? まだ一度も雪玉ぶつけられてねんだろ?」
堪えきれなくて、おずおずと聞いてみた。パージェは面食らった表情でソロスコを見つめ返した。
「僕なんかに、あんな凄いこと、出来る訳ないよ」
視線の先にはクーイがいる。ソロスコは肩を竦め、両手を開いてみせた。
「アイツは別格。オレだってあんな動き出来ねーって。初めてなんだから、すぐ墜とされたっていーじゃねーか、やってみろよ」
硬く握られた雪玉を手渡される。パージェは狼狽したまま、それを受け取った。
「何で……?」
パージェは渡された雪玉を見つめながら呟いた。
「何で君が僕にこれを渡すの……?」
戸惑って揺れる金色の瞳の中に、自分の姿。
「え? だ、だって、クーイが姫さんのフォローしろっつーから……」
ソロスコはもごもごと口の中で返事をした。パージェは訳がわからないといった表情でただひたすら雪玉を見つめている。
「君は僕のことが嫌いなんだろう? 屋敷に帰れって言って、石をぶつけたじゃないか」
続いて出た言葉に愕然とする。そうだ。姫さんはあのことを忘れてくれた訳じゃない。ぞくっと冷気が背中を這った。ソロスコは「あの、だから、それは……」ともごもご言いつつ、雪濠の中でパージェから離れようと努めた。
「……僕が、クーイに怪我を負わせてしまったからかい?」
パージェは雪玉を弄びながら誰にともなく呟いた。
「そうだよね。僕が屋根から落ちさえしなければ、クーイはあんな怪我をせずに済んだんだもの、君が僕を恨むのは仕方ないよね……」
「え……」
ソロスコは耳を疑い、おずおずと尋ね返した。
「姫さんがクーイを蟲で嬲ったんじゃねーのかよ?」
「そんなことしないよ! するもんか!」
パージェははっきりと否定した。雪玉を握り締める手に力が入る。
「だって、だって、クーイだけだもの。僕のことに気付いてくれたのは。僕を見つけてくれたのは」
きゅ。両腕で膝を抱いた。
「……僕は、……クーイが言うように、伯母様には認めて貰えていないのかも知れない。でも、そんな僕をクーイは認めてくれるから……」
『僕が、パージェ様と同じ思いをしてきたからだよ』
クーイが先程皆に向かって叫んだ言葉が、ソロスコの胸にぐるぐると渦を巻く。
『誰にも認められずに長いこと生かされてきたんだ。どんな感じがすると思うの? 荒むに決まってるじゃないか。僕だって荒んだよ。この施設に来るまでは、僕はパージェ様と同じだった。だから、庇うんだ。守りたいんだ。皆にはわからないかも知れないけれど、僕にはパージェ様のお気持ちがわかるんだよ!』
分からない。両親健在で、家に帰れば母と弟が待っているソロスコには、誰にも認められないという言葉の意味自体が、想像の範疇を超えている。帰ればあたたかい家がある。悪ふざけが出来る友が居る。それはソロスコにとって当たり前のことだった。
だから。彼は、残酷な一言を口にした。
「だけどよー。クーイには確かに誰もいねーけど、姫さんにゃあ伯母はんが居るじゃねーか」
俯く彼女に気付かず、ソロスコは畳みかける。
「第一こーんな広くてゴージャスなとこに住んでてさー。小遣いだってオレら庶民とは全然ケタが違うんだろ? クーイはさ、そりゃあ、テンガイコドクだし、センサイコジだし、しょーがねーなーって思うケドさ、姫さんは単にワガママゆってるだけじゃねーのかよっ?」
言い終えるか終えないかのところで、ソロスコは「ちべてっ」と悲鳴をあげた。何時の間にか背後に黒い少年が立っていて、彼の首筋に雪を詰め込んだのであった。
「何も知らないでいい加減なこといわないでよ、ソロスコ」
クーイは少し怒ったような口ぶりだった。
「な、なんだよ~。何にも知らなくてわりーかよっ。オレは思ったとーりに言っただけだぜっ」
「それが失礼だって言ってるんだよ。パージェ様にだって色々とご事情がおありなんだから」
「だけどよー、そんなの、本人が言ってくんなきゃワカンネーだろっ?」
暫く二人の会話を黙って聞いていたパージェだが、やがてぽつりと言葉を挟んだ。
「……僕の部屋、見に来るかい?……」
クーイとソロスコは言い合いを止めてパージェを見た。彼女は膝に顔を埋めたまま、もう一度繰り返した。
「旧館の僕の部屋、見るかい?……すごく寒くて、何もないよ」




