気絶、そして
……外からの式典の音が聞こえなくなってどれ位経っただろうか。
引き裂いた服の残骸にくるまったまま、自室でパージェは耳を澄ませた。時間の感覚が麻痺していて、今が何時頃かも、あれから何日経ったのかすら定かではない。屋敷中から人の気配が消えたような気がする。伯母様はもう馬車でここを離れてしまわれたんだろう。……なら、使用人達も居なくなって当たり前か。
彼女は身を起こした。立ってみると意外にふらつく。そう言えばあの会食の日以来、何も口にしていないのだ。
裏庭へ出たら鳥でも見つかるかな。そろそろ蟲に何か食べさせてやらないと、僕が食われるね。
彼女はふらふらと外套を着込み、部屋を出た。
一歩外へ出ると、驚くほど冷たい風が吹きつける。パージェは外套を体の前でかき寄せた。ここまで寒いと蟲が使いものにならない。温かい皮膚の下から出てこないのだ。とすると、僕に出来るのは飼っている蟲に食われるのを待つだけか……ふふ、それもいいや。母様とお揃いだ。
パージェは自嘲的に笑い――そして。
ぐらり。目の前に、冷たい地面が迫ってきた。
枯れ草が刺すような風に倒されてさらさらと悲鳴を上げる。裏庭から少し離れた、陽の射さぬ墓地。黒髪の少年はそこで白い墓石の前に佇んでいた。瞳を微かに翳らせ、石に刻まれた銘を指でゆっくりとなぞる。
『一族刑に処せられし逆賊アインスト・ラーベルトゥスの元妻、エルギューヌ・K・ゲゼントラーレア、ここに眠る』
風雨にさらされた白い墓石に刻まれているのは、荘園主と同じ姓。日付は処刑のほぼ半年後だ。
「……この書き方はあんまりだよね。ノエル侯の親族ってだけで処刑された人達は気の毒すぎるよ……事件そのものも疑わしいのにさ」
クーイは口の中で呟くと、視線をそのまま隣の墓石へ滑らせた。
「えっ?」
思わず彼は目を擦った。もう一度銘文を読み直す。
『エルギューヌの子、パイベルジェレア・R・ゲゼントラーレア、ここに眠る』
そこには、隣の墓銘と同じ十年前の日付が刻まれていた。
「どういうこと?……でも掘り起こして確かめる訳にはいかないし……」
クーイは腕を組み、二つの墓石を睨んだ。
「あ、いたいた。お~いクーイ、……お前こんなトコで何してんだよ?」
その時、遠くから聞き慣れた声が近付いてきた。医学生仲間のセール・ソロスコだ。背中の白い翼を羽ばたかせ、ふわりと墓地に滑空してくる。
「ん? お参り」
クーイは立ち上がり、にっこり微笑んでそう答えた。
「……へ?」
虚を衝かれたようにソロスコが聞き返す。
「お参りだってば。お墓に来たら普通そうするでしょ?」
「じゃなくって! 何で墓参りなんかしてんだよ?」
「えっ? でも、お参りしてバチが当たったって話は聞かないよ?」
「……違う。てゆーか、全っ然話が噛み合ってねえ~っ!」
ぼりぼりとソロスコは頭をかきむしった。
「つまりオレが言いたいのはだ、クーイ。お前、その服といい墓参りといい、ハッキリゆーが暗すぎるっ! 今から老け込んでどーすんだよ」
大袈裟な身振りで主張すると、ソロスコはびしっと人差し指をクーイに突きつけた。
「いいか、オレはお前を心・配・し・て、言ってんだぜ! 決っして賭ポーカーの人員が足んねーのとは関係ねーかんな。つーコトだ、こんな薄っ気味悪りぃトコ、さっさと出よう……ぜ……」
最後の方を急に尻すぼみに呟き、ソロスコはこわごわ周囲を見渡した。自然と墓地外れにある鉛色の壁の建物に目が留まる。
「ん? ああ、あの建物は高貴な方のためのお墓だよ。墓石が野ざらしなのは原則的に平民以下の階級だからね」
クーイは続いて反対側の方を手で示した。
「あっちの方に少し歩くと、遺体を安置しておくトコがあるよ。その奥は処刑場みたいな感じだったけど、まだざっと見ただけだから良く分かんないや。後で行ってみようと思ってるんだけどね」
にこにこしたまま、さらりとそんなことを言うクーイの様子に、ソロスコは金魚のように口をぱくつかせた。徐々に顔色が蒼ざめていく。
「色々探検してみると面白いよ、建物にも色々と仕掛けがあるし。そうだ、ソロスコもおいでよ。凄いよ、敷地内に町が丸ごと入ってるんだ。特に興味深いのはこの砦そのものの構造が普通と逆でね、中の人を外に出さないような造りに……どうしたの?」
クーイは目をぱちくりさせて友人を覗き込んだ。青い顔で震えているソロスコを、枝に止まった一羽の烏がじっと眺めている。
「……実はオレさぁ……チョー怖がりなんだよ~!……もぉ帰ろーぜ、クーイ~!……ううっ、どーしよう、膝がガクガクして来た……」
泣き出しそうな声でソロスコは呻いた。
「……ったくもう、お墓が怖いんなら来なければいいのに」
結局墓地の探索を諦めさせられ、クーイは唇を尖らせた。
「莫迦言え、お前を心配して来てやったんじゃねーか。大体ここのお貴族様はキチピーだって話だしさ……一人じゃあぶねーだろっ?」
そんな強がりを言いつつも、ソロスコの手はしっかりとクーイの外套の裾を握り締めている。
「ふーん。じゃあ賭ポーカーがどうとかって話は何?」
「うっ……ま、まあ、それも込みでだな……うわああ!」
墓地を囲む木々の中から烏が一羽、ギャアと不吉な声を上げて飛び立ち、ソロスコはびくっと背を丸めた。
「ただの烏だってば、もう。……あれ?」
烏をなぞったクーイの視界に、何かが飛び込んで来た。数日前まで藪に隠されていた、裏庭へ続く小道。その向こう、剥き出しの大地の上に、確かに誰かが倒れている。
次の瞬間クーイは走り出していた。背中からソロスコの声が追う。
「あっ、おい待てよ、いや、お待ちになってクーイ様っ、たた頼むからオレをこんなトコに置き去りにしないでくれよ~っ!」
だがクーイは真っ直ぐ人影に駆け寄り、驚いて思わず声を上げた。
「……パ……パージェ様!?」
「げっ!」
追いついて来たソロスコが弾かれたように後ろに飛びすさる。背中の翼をばたつかせて、今にも空へと逃げ出しそうな体勢だ。
「うっ、噂のイカれ姫さんかよ? オレやだよー、クーイ、なあ逃げようぜクーイ~!」
「でも放っておく訳にはいかないよ」
クーイは外套を脱ぐと倒れているパージェの体に被せた。冷たく細い手首に触れてみるが、脈が全く感じられない。
「……しし……ししし死んでるのか?」
がくがくしながらソロスコが肩越しに覗き込んだ。クーイは首を振る。
「ううん。少なくとも呼気は触れるし、胸も上下してる。生きてるよ。それより離れに一旦運んだ方がいいよね。悪いけど手伝ってもらえる?」
「良かった。あああ……生きてんならいーんだ、うん」
ソロスコは息を吐いた。どうやら死体が怖かったらしい。安心した彼はクーイの前に回ると、今度はしげしげとパージェを観察した。
貧民街の子供のように痩せ細った四肢、色の浅い赤茶けた髪、病的な肌の白さ――。
「なあ……人違いじゃねーの? だって仮にも貴族のお子様だろ? こりゃどう見たって精々スラムの……」
「御託はいいから、運ぶの手伝ってってば!」
「……ごめんなさい」
二人はパージェを抱え上げた。




