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2 まさか一行たりとも書けないとは思いもせなんだわ

 私は金縛りに遭っていた。

 パソコンの前でじっと固まったままの状態でいる私は、端から見ればまさに大仏様が鎮座ましましているように見えたに違いない。

 私は侮っていたのだ。まさか、小説を書くという行為が、これほどまでに困難なことだったとは思いもしていなかった――。




 小説を書く気になった旨を友人に伝えたところ大いに歓迎され、ユーザー登録の仕方や小説を書く際の作法、果ては投稿を行う際は何時頃に行うのが良いといった裏?情報まで、懇切丁寧に教えてくれた。

 彼はまさに日本の心、おもてなしの体現者であった。

 おかげで、私は実にスムーズに執筆活動を開始することができたのだが――残念なことにスムーズに事が運んだのはそこまでであった。

 いざ書くぞと意気込んてみたは良いものの、困ったことに私の指は全く動いてくれない。

 それもそのはずだ、書こうにも書くべき文章が全く頭に浮かんでこないのだから。


 書きたい内容は既に決まっている。

 いわゆるファンタジーの世界で、ひょんなことから聖痕という特別な力を手に入れた主人公が、仲間と共に動乱の世を駆け抜けて征く――という戦記ものにする予定だ。

 最初から戦記ものを書くのはハードルが高いかもしれないが、まあ何とかなるだろうと楽観的に考えている。

 ……何も考えていない、と言い換えることもできるかもしれない。

 ともかく、第1話の序盤は、ヘイワーナ村で平和に暮らしていた主人公セイ・クリッドの体に突然聖痕が宿る、といった展開を書く予定なのだが、ここで問題が発生した。


 はて、小説とは、いったいどういう風に書き出せばいいのだろう?

 やはりまずは地の文で物語の舞台となる世界の説明などから書き始めるのだろうか? その場合、書くのは国の説明から? もしくは主人公が住んでいる村の説明から? 村の説明をするとして、この村の人口は○○人、名物は○○です、とか書くのだろうか?

 仮にそれを書いたとして、次はどうするのか? 急に主人公が出てきて『オッス、オラ主人公』とか言わせるのだろうか? それとも、では、舞台の紹介が終わったところで主人公の登場です、なんて書くのだろうか?

 わからない、私にはさっぱりわからない。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、『オッス、オラ主人公』というセリフだけは絶対にない、ということだけだった。


 このままじっとしていても仕方がない、ともかく何か書かねばと思った私は、とりあえず『こんにちは』という文章を書いてみた。

 ……で? という言葉が頭に浮かんだ。


 深呼吸を二度、三度。

 オッケー、分かった。落ち着こう。

 残念なことに私の執筆活動は、始まった途端に問題が発生してしまったらしい。

 だが、逆に言えばそれだけだ。

 問題さえ取り除けば執筆活動を再開――いや、まだ一行たりとも書けていないのだが――できるはずだ。


 私は開発の仕事、いわゆるプログラマーと呼ばれる仕事に従事しているのだが、問題=プログラムの不具合だと考えてみれば、なんてことはない。会社では問題なんて毎日のように発生しているし、毎日のように解決している。

 今回も正しい手順にのっとって問題を解決すればいいだけの話。

 そう、今こそいままで培ってきた社会人としての経験をいかす時だ。


 私はもう一度深呼吸を行い、頭を切り換える。

 問題を解決するための基本手順は、まず問題の認識、次に原因の調査だ。

 問題の認識はできている。小説の書き出し方がわからないことだ。

 では次に原因の調査だが、何故小説の書き出し方がわからないのか?


 ……何故か?


 ふむ、何故だろうか?

 それがわかれば苦労しないというか、そもそもこの問題は発生していないのではないだろうか。


 …………。

 ……。


 問題の原因は判明しなかったが、とりあえず、私の社会人としての経験とやらは何の役にも立たないことが判明した。やったね。


 話が変な方向に向かっていっているので修正する。

 少し考え方を変えてみよう。

 思えば私の仕事であるアプリの開発。そして今回行おうとしている小説の執筆。両者はものは違えど何かを創作するという点においては共通しているはずだ。

 いつも行っている開発の手順を追っていけば、執筆のヒントになる何かが発見できるのではないだろうか。


 私は思い出す。いつもアプリ開発を行う際、どうやって作業を開始していたかを。

 まずは営業から仕様書が入稿されてくるからそれを受け取って――ん、仕様書? そう仕様書だ。私が仕事で開発を行う際は、必ず仕様書が必要になる。

 何故なら仕様書がないと何をどのように開発すればいいのかが全くわからないからだ。

 ならば小説も同じで、小説の仕様書が存在していないから書き出せないのではないだろうか。


 ……だが、小説の仕様書とはなんだ。プロットと呼ばれるものが仕様書に相当するのだろうか。

 しかし、プロットは既に存在している。

 今回の場合だと――ヘイワーナ村で平和に暮らしていた主人公セイ・クリッドの体に突然聖痕が宿る――これが第1話のプロットだと私は思っている。

 まあ私が思っているだけで、本職の方から見れば、そんなもんプロットじゃねーよ、と言われるかもしれないが。


 確かに改めてこのプロットもどきを見直してみると、内容が抽象的すぎて具体性がないのかもしれない。

 ならば、この内容をさらに煮詰めたものが仕様書となるのだろうか。

 だが、たとえば――ヘイワーナ村で平和に暮らしている主人公――この部分を具体的に表現してみるとして、これ以上どう具体的に表現すればいいのだろうか。

 そもそも、平和に暮らしている、とはいったいどういった状況なのか。

 なんとなく、花が咲き、蝶が舞う。主人公は歌い、そして踊る。そんなイメージが頭に浮かんできたのだが、おそらくこれは何かが違うと思われる。


 私はとにかく平和に関連しそうなイメージを無節操に連想していく。

 のどかな風景、お日様の匂い、走り回る子供、微笑む母親、暖かい家族。

 ……なるほど、なんとなくわかってきた。

 つまり、平和に暮らしている、とは日常のこと、なのではないだろうか。

 ならば――ヘイワーナ村で平和に暮らしている主人公――を具体的に表現するには、ヘイワーナ村での主人公の日常を描けばいいのだ。

 少しずつだが突破口が見えてきた。もしかしたら私は天才なのかもしれない。


 では、主人公の日常とはどういったものだろうか。

 朝起きて食事をする。学校――はないだろうから仕事、農作業? をして、夜になったら晩ご飯を食べて寝る。だいぶ端折ったので、まるで私の人生のように味気ないものになってしまったが、大筋はおよそこんな感じだろうか。悲しくなんて、ない。


 そうか、わかった。わかってしまった。

 小説とは、主人公が朝、目覚めるシーン、そこから書き出せばいいのだ!

 

 思えば、主人公が可愛い幼なじみや妹に起こされるところから物語が始まる、なんてのは割とありがちな展開ではないか。

 そうだ、妹もいいな。主人公には妹がいることにしよう。

 名前は何がいいだろうか。小さくて可愛い妹にしたいから……小さい、ミニマム、ミリア?

 うん、ミリアがいいな。主人公には妹のミリアがいることにしよう。やばい、物語の厚みが増していくのを感じる。

 以上を踏まえて、小説の冒頭部分を書いてみよう。私の執筆活動第一歩目の開始だ。




「おにーちゃん、朝だよ。おきてー」


 可愛い妹の声が聞こえる。本来であればもっと寝ていたいけど、可愛い妹にお願いされては仕方ない。俺、セイ・グリッドは渾身の力を振り絞り、まだ眠らせろと抵抗する身体を引きずり起こすことにした。


「おはよう。ミリア」


 セイは可愛い妹に朝の挨拶をした。




 ……書けた。

 主人公が朝、妹に起こされるシーンを書くと決めただけで、あれだけ悩んでいたのが嘘のようにスラスラと書けてしまった。

 そして私は、今回発生していた、小説の書き出し方がわからない、という問題の原因がなんだったのかを理解した。

 原因はやはり仕様書の不在だ。私は上辺だけの設定しか決めておらず、何を書きたいのか、という具体的なイメージ=仕様書を持っていなかったのだ。


 なるほど、考えてみれば当たり前の話だ。何故今までこんな簡単なことに気がつかなかったのか。

 書くべき場面がイメージできてないのに、それを文章化できるはずもないのだ。

 逆に言えば、書きたい場面のイメ-ジさえ出来ていれば何だって書けるということになる。

 なるほど、なるほど。小説の書き方というものが少しわかってきた気がする。

 最初はどうなることかと思ったが、何とかなるものだ。

 この調子で執筆活動を続けていこう。私の前途はHey yo!である。

 違った。前途は洋々である。


 なにぶん、初めての執筆活動でテンションが上がっているのだ。多少のおかしな言動はご容赦願いたい。

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