最終話
俺は物心ついた頃には、親父と二人だけで暮らしていた。
親父はシングルで、当然、仕事もしていたので、俺は割と長い時間、家で一人で過ごしていた。
近くに祖父母の家もあったから、いつでも食べ物にはありつけたし、近所に友達も多かったので寂しくはなかった。
寧ろ、親父が俺を子供扱いせず、一人のパートナーとして色々な事を任せてくれるのが誇らしかった。
だが、そんな男同士の生活が突然、終焉を迎えることになった。
俺が10歳の頃だ。
子煩悩で真面目だと思ってた親父が、突然、結婚すると言い出した
外見的には優男で、今思えば、割りとモテるタイプだったのかもしれない。
相手の女性は会社の新入社員で、上司として面倒見ている内にそういう関係になり、既に妊娠しているのだという。
早い話が、男の責任を取ることになったのだ。
親父と女性は、俺には突然、若い母さんと生まれたばかりの妹ができた。
変な気分だった。
新しいマンションに4人で暮らす事になったが、他人を寄せ集めたようなバラバラ感は、到底、家族だとは思えなかった。
二人を知る大半の人が予想していた通り、この結婚は上手くいかなかった。
俺は新しい母さんに全く懐かなかったし、母さんも生まれたばかりの自分の子供の育児だけで精一杯で俺には目もくれなかった。
子供のくせに妙に自立していた俺が、生意気に見えたのだろう。
俺とは常に一線を引いた態度で接し、俺の母親になろうという素振りは全く見せなかった。
親父と母さんは多分、そんなことから上手くいかなくなっていったんだと思う。
いつの間にか、若い母さんは生まれたばかりの妹を連れて実家に戻り、俺と親父はまた元の生活に戻った。
親父が翔の母親と再婚したのは、それからずっと後の話になる。
その期間は本当にあっという間だったから、俺もとっくに忘れていた。
だが、去年、親父が交通事故で突然亡くなった時、訃報を連絡する葉書を書いているうちに、突如、思い出したのだ。
親父の血を受け継いだ腹違いの妹の存在を。
正直、母さんにとっては、俺と親父の存在は人生から抹消したい黒歴史だろう。
親父が死んだって、連絡する必要すらないかもしれない。
だけど、血を分けた妹には、親父が死んだことを報告する義務があるような気がしたのだ。
それから俺は、親父の昔の手帳から年賀状からあらゆる文書を探し出し、なんとかかつての母さんの実家の連絡先に辿り着いた。
既に再婚していた彼女は実家を出て、奇しくも俺と翔が借りたアパートからそれほど遠くない町で暮らしているという。
早速、その再婚相手と住んでいるという家を訪問した。
玄関で俺を迎えたのは、当時、まだ若くて綺麗だった母さんとはかなりかけ離れた姿になった中年女性だった。
「伝えに来てくれたのは感謝するわ。でも、今更、由梨絵に本当の父親のことを話して何になるの? ただでさえ新しい父親と上手くいってなくて困ってるのに、あの子をこれ以上、混乱させたくないわ」
すっかりふくよかなお母さんのイメージが定着しているその女性は、俺を厄介者のように上目遣いで睨んで深い溜息をついた。
そこで、俺は妹の現状を聞かされる羽目になったのだ。
中学校から不登校で、高校も中退してから自傷行為を繰り返し、最近、近所の図書館でフラフラしていること。
「それは、由梨絵ちゃんに居場所がないからなんじゃないですか? 落ち着ける場所や信頼できる人が傍にいないから、そういう事してしまうんですよ」
俺は、かつての自分と、義理の弟の翔の事を思い出しながら、母さんの前で、思わず持論を展開してしまった。
だが、それが気に障ったらしい。
「何も知らないくせに偉そうに……!」と彼女は恨めしそうに呟いて、俺を玄関から追い出した。
何とかしてやりたい。
子供には安心できる居場所が必要なんだ。
仮にも兄である俺が一緒にいてやれたら一番良かっただろうが、その時既に、俺に残された時間が僅かだってことも分かっていた。
ああ、神様が何かの悪戯で、俺の弟と妹を引き合わせてくれたら……。
天使がいるのなら、何とかあの二人をいい方向に向かうように出会わせて欲しい。
だが、この世には神も天使もいやしない。
そう思った時、俺は自分が天使になることを思いついたのだ。
それからはとんとん拍子だった。
毎日、朝から晩まで図書館でうろうろしている由梨絵を見つけるのは簡単だった。
だが、この二人をいい方向になるように出会わせるには、どうしたらいいか……?
考えた末、俺は由梨絵と翔に同じ事を言ってやったのだ。
「明日、君は運命の人に出会うよ。君と同じ傷を持つ男を探してみて」
◇◇
「兄ちゃんが夢で見た通りだったよ。あの日、俺と由梨絵は図書館で奇跡の出会いをしたんだ。彼女も左腕に傷があって、俺と同じ境遇でさ。もう、運命だと思ったら、ほっとけなくて。あれから俺達は付き合いだして、今、彼女もすごく生き生きして人生に前向きなんだよ。俺も、しっかりしなきゃって、仕事にも責任感じて頑張ってるし。だから、兄ちゃんには一番初めに彼女に会って欲しいんだ。本当にいい子なんだから……って、おい!? 聞いてんのかよ!?」
既に目を閉じていた俺の耳に、翔の幸せそうな声が聞こえてくる。
返事の代わりに、俺は目を閉じたまま微笑んだ。
……神様って本当にいたんだな。
俺にしては、まあまあ上出来だ。
寂しかった二人の子供が巡り合って、一緒に居場所を作ることができたんだ。
もう、これで思い残すこともなくなったかな。
心の底から安堵した俺は、大きな荷物を背中から下したようなほっとした気分になって、ゆっくりと眠りに落ちていった。
Fim.