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7話

◇◇




「……と、言う訳なんだ。やっと俺にも彼女ができたから、是非、兄ちゃんにも会って欲しいと思ってさ」


 狭い病院の個室で、翔は折り畳み式パイプ椅子に座って、ベッドで横になっている俺の顔を覗き込んだ。

 生まれつきの茶髪と、性格のキツさを表しているかのような細い目の弟は、初めて出会った時から全然変わっていない。

 猫みたいに目を細めて、翔は照れ臭そうに笑って言った。


「俺、これでも兄ちゃんには感謝してるんだ。今、何とか真っ当な人生送れてるのは兄ちゃんがいつも俺の傍にいて助けてくれたからだと思ってる。だから、兄ちゃんには一番初めに彼女に会って欲しいんだ」

「そうか……、お前も女の子と付き合う年齢になってたんだな。勿論、喜んで会わせてもらうよ。その時、俺が生きてればの話だけど」

「何言ってんだよ。白血病なんて風邪みたいなもんだろ。気弱な事言ってないで、気合で治しちまえよ」

「無茶言うなよ、まったく……」


 このヤンチャな弟の物言いに、俺は苦笑した。

 この集中治療室に移ってから一週間にもなるだろうか。

 3カ月くらい前はまだ何とか外出もできたのに、今ではもう起き上がるのも難しい状態になっている。

 半年前、職場で突然倒れた俺は救急車でこの病院に搬送されて、そのまま入院する事になった。

 そして、その日の内に急性白血病だと診断され、残された時間がそれほど残っていないことを告げられた。

 独身だった俺は、特にやり残した事もなかったし、未練もないと思ってた。

 死生観については達観してたつもりだったけど、いざ余命宣告されてみると、突如、俺の脳内に、残される家族の事が浮かんだ。


 一人はこのやんちゃな弟だ。

 翔は俺の親父の再婚相手の連れ子だった。

 翔から見れば、俺の方が連れ子なんだろうけど、とにかく俺達は再婚カップルの連れ子同士という義理の兄弟になったのだ。

 当時、まだ中学生だった翔は、思春期の反抗期と重なって、親父達の再婚に猛反対していた。

 母一人子一人で暮らしていた翔にとって、母親が他の男のものになるなんて、許せる事ではなかったんだろう。

 家の中で暴れてみたり、中学校にも行かず引き籠って自殺未遂してみたり、今思えば、バカバカしい程に子供らしい反抗だった。

 翔自身も子供っぽい真似だと自覚はあったようだけど、あの頃は無我夢中で、親父と自分の母親を困らせる為なら何でもやった。

 翔は思春期真っ盛りだったが、俺はもう成人していたから、親父の再婚には寧ろ賛成だった。

 最初の奥さんと別れてから、親父は長男だった俺を引き取り、シングルファーザーとして必死で育ててくれたのだ。

 だけど、子供って、いつまでも親と一緒にいる訳じゃない。

 いつか俺が出て行った時に、最期を看取ってくれるような女性が親父の傍にいてくれたら、お互い、これほど安心できることはないのだ。

 だから、自分の事ばかり最優先させて、母親の幸せなど考えようともしない翔を見ている内に、だんだん腹が立ってきた。


「いつまでもママにくっついてんじゃねー!」


 翔が何度目かのわざとらしい自殺未遂をした時、俺はとうとう腹に据えかねて、翔の頬に渾身のパンチをお見舞いした。

 手首からポタポタ血を流しながら、いきなり殴られた翔は鳩が豆鉄砲を食らったかのようなアホ面で、ポカンと俺を見上げた。

 それはそうだろう。

 母親に大事に育てられてきた翔は、同性からこんな風に殴られた事などなかった筈だ。

「父さんにも殴られたことないのに」とでも言いたげな顔で俺を見ている。

 俺はその襟首を掴むと、乱暴に引き摺り上げた。


「いいか!? 中学生にもなればお前はもう一端の男だ。いつまでママに甘えてるつもりだ? お前がいくらママが好きだからって、一生くっついて生きていくつもりじゃねえだろ? どこまで心配掛けりゃ気が済むんだ!?」


 そう怒鳴った俺を見上げて、翔は唇を噛み締めて、声も出さずに泣いた。


「だっ、だって、俺……」

「だってもクソもねーんだよ! お前、ママが見知らぬオヤジに横取りされたと思ってんだろ? それでいいんだよ。俺の親父もお前のママもシングル同士で苦労してきたんだ。子供の俺達が邪魔する権利はないし、する必要もないんだ。俺達は俺達の居場所を自力で作ればいいんだよ」

「俺達の居場所?」

「そうだよ。この家に居たくないなら、俺と一緒にアパート借りて兄弟で暮らそうぜ」

「……マジかよ」


 俺の提案に、翔は茫然とした後、嬉しそうに頷いた。

 それが功を奏したのか、翔はパッタリと反抗するのを辞めた。

 そして、翔の中学校の学区内に安アパートを借りて、俺達は二人で暮らし始めたのだ。



 そんな昔の事を思い出し、俺はすっかり大人になった翔の顔を感慨深く眺めた。

 贔屓目もあるが、俺から見ても翔は普通に男前だ。

 だけど、その内面は、完璧なブラザーコンプレックスで、俺がいないと一人で生きていけるのか心配なくらいだった。

 もうすぐ俺にはお迎えが来る。

 その時、アパートに一人残された翔は、どうやって立ち直るんだろう?

 翔には、いつも一緒にいてくれる人間が絶対に必要なんだ。

 そうしないと、また自傷行為を始めるかもしれない。

 そう考えた時に、俺の脳裏にもう一人の身内の存在が浮上した。

 俺にはずっと昔に生き別れた、母親の違う妹がもう一人いる筈だった。

  

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