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6話

 高村翔と名乗った男性は、一通り私に質問をし終えると、自分の事をポツポツと話し出した。

 運送会社で働いていること、唯一の理解者だったお兄さんが入院していて、今日はお見舞いの為に休みを取っていたこと、お兄さんの為に本を借りに来ていたこと……。

 不思議だった。

 初めて会った人なのに、一緒にいるだけで安堵感があった。

 よく見れば、顔だって悪くない。

 こんなにいい人なのに、今まで彼女もいなかったなんて信じられなかった。


「そりゃ、いた時期もあったよ。でも、今の会社で働き始めてからはいないな。出会いもないし」


 言い訳がましく、彼はそんな事を歯切れ悪く言った。

 それはもちろん、私にとってはいい事だった。

 だって、私には生まれてこのかた、ボーイフレンドがいたことなどなかったのだから。


 私達はその日、ホットサンドとコーヒーで奇跡の出会いに乾杯し、お互いの電話番号とメールアドレスを交換して別れた。

 

「俺、休みが不定期だから、シフトが決まったら電話するよ。来週あたりドライブでも行こう」


 お兄さんのお見舞いに行く予定だったという高村さんは、そう言って大きく手を振り、銀杏並木を歩いて去っていった。

 私はその後ろ姿を茫然と見つめながら、今日の不思議な出来事に思いを巡らせていた。



◇◇◇



 世の中とは不思議なものだ。

 高村さんに出会ったその日から、中学校から止まっていた私の人生が一気に動き出した。

 まるで、今まで止まっていた時計がネジを巻かれていきなり動き出したかのように。

 運送会社のドライバーだという高村さんには定休日がなく、平日に突然休みができたりする。

 その都度、メールで連絡をしてくれるのだが、自宅に引き籠って何もしていない私には、何の問題もなかった。


「今日はどこに行こうか?」


 彼が運転する軽自動車の助手席で、私は少し考えてから、いつも同じ返事をする。


「どこでもいいです。高村さんと一緒なら……」


 彼は茶髪を掻きながら「俺、女の子が行きたいとこって分かんないんだよ」などと言って、タウン情報誌を片手に目的地を検索してくれる。

 でも、出掛ける事よりも、車の中で二人で行先を考えているその時間が、私は一番好きだった。

 地図を見ながらルート検索していると、二人で未来の道しるべを探しているような、そんな楽しさがあった。

 ショッピングモールで何を買う訳でもなく歩き回ったり、流行りのアニメ映画を見に行ったり。

 中学校からまともに人付き合いをしたことがない私にとって、彼と一緒に出掛ける全ての場所が未体験で新鮮に感じられた。

 そして、あんなに嫌だったこの世の中が、高村さんと一緒にいるだけでとても輝いて美しく思えるようになってきたのだ。

 薄暗い部屋でリストカットをしながら、この世の終わりを夢見ていたあの頃の自分が、まるで別人だったように思われる。

 彼が連れて行ってくれる場所ならどこでも満足で、到着するなり歓声を上げて飛び跳ねて喜んだ。


「由梨絵ちゃん、最近、すごく変わったね」


 二人で海を見に行った時、砂浜で走り回る私を見て彼は言った。

 どこまでも続く水平線を見た途端に、私は感動して、思わず走り出してしまったのだ。

 ちょっと恥ずかしくなった私は、舌をペロリと出して肩を竦めた。


「そうかな? だって、高村さんといると、すっごく楽しいんだもん。家に引き籠って本ばっかり読んでた頃が夢みたいなの」

「そっちの方が信じられないよ。こんなに生き生きして元気なのに。本当に死にたかったの?」


 潮風に煽られた茶髪を掻き上げながら、高村さんは苦笑した。

 言われてみて、私はちょっとだけ考えた。

 私は家の中で引き籠って、一体、何をしたかったんだろう?


「……本当は死にたくなかったのよ。ただ、居場所が欲しかっただけ。あの家に私はいるべきじゃないって思ってた。でも、他に行くところもなくって。ずっとどこかに消えてしまいたかったんだわ」

「じゃあ、もう居場所は見つかっただろ?」


 高村さんはふいに私の肩を抱き寄せて、頬にキスをした。

 一瞬、何が起こったのか分からなかった私は、反射的に彼の顔を見上げる。

 猫みたいに目を細めて笑う彼の顔がそこにあった。


「由梨絵ちゃん、付き合い始めてまだ3カ月くらいで、こんな事お願いするのは時期尚早なのかもしれないけど、一度、俺の家族に会ってくれないかな?」

「ええっ!? 高村さんのご家族に?」


 確かにまだ3カ月しか経っていない。

 お互いの事も探り合っているような状況の私達だ。

 家族に紹介するということは、結婚とか、先を見据えてのお付き合いをしたいということに他ならない。

 恋愛経験値など皆無な私には、どうするべきなのか返答に困った。


「あの、言っとくけど、俺の家族に会わせたいのは結納の為じゃないから!」


 硬直してしまった私を見て、高村さんは真っ赤になって両手をバタバタ振った。

 

「俺もさ、死にたかった時期があって、社会復帰するまでに時間掛かったから、家族に、俺はもう大丈夫だってところを見せて安心させてやりたいんだ。一応、仕事にも就いて、かわいい彼女ができたって言えば、きっとすごく安心してくれると思うから……」


 赤面した顔で、彼は一通り説明した。

 同じ境遇だった私には、彼や、彼の家族の気持ちが痛いほどわかった。

 家族の他にも信頼できる人が傍にいる。

 それを見せてあげるだけで、高村さんのご家族はどれほど安心するだろう。

 そんな大役に私を選んでくれたのだ。

 私は嬉しくなって、快く返事をした。


「そういう事なら協力するわ。でも、私でいいの? 私なんか見たら、ご家族の方々はもっと心配するかもしれないよ?」

「君がいいんだよ。今回は勿論、家族を安心させるのが目的なんだけど、由梨絵ちゃんさえ良ければ、これをきっかけに本当に結婚を前提にしたお付き合いをしたいと思ってる」


 手の先まで真っ赤に染まった高村さんは、緊張のあまりギクシャクした動きで私にそう言った。

 それでも、私を見つめる茶色の瞳は揺ぎ無く、強い光を放っている。


 ああ、この人だ。

 世界のどこを探しても、この人しかいない。

 あの日、透が予言した『運命の男』は高村さんだったんだ。 


「……ありがとう。私なんかで良ければ、ご家族に会わせて下さい」


 熱くなってきた目頭を押さえてながら、私はそれだけ必死で答えた。

 高村さんは嬉しそうに笑って、無言のまま私を抱きしめた。



 あの日から、私の人生は大きく変わった。

 悔しいけど、全てが透の言う通りになったのだ。

 今の幸せな自分を見せたくて、そして、一言お礼を言いたくて、私はあれから何度も夕暮れの図書館に足を運んだ。

 だが、不思議なことに、あの日以来、透の姿を見る事はなかった。

 自称『未来から来た男』の透の正体は、とうとう分からないままになった。

 もしかしたら、本当に未来に帰ったのかもしれない。

 できるなら、最後に一度だけ会いたかった。

 私を変えてくれたお礼を一言でも言えたら良かったのに。

 そう思いながら、私は図書館の銀杏並木を歩いた。 




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