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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
3章 〜明滅/クランプ〜
9/24

3-1 closers Krump

※「KRUMP」の語源は

Kingdom(神の国)

Radically(素晴らしい)

Uplifting(精神的高揚)

Mighty(偉大)

Praise(神への賞賛)

の各頭文字を取っている。

 KRUMPは、ストンプ(足を踏み付ける)・チェストポップ(胸を突き出す)・アームスイング(腕を振り下ろす)の3つの動きが基本で、仲間との高め合いの為のバトルやセッションがメインとされる。

 犯罪発生率も高く情勢不安定なロサンゼルス、サウスセントラルの過酷な状況の中で生きる若者達が、ドラッグやギャングの道から遠ざかり、犯罪に手を染めることなく、厳しい環境を生き抜くための手段として生み出された踊りである。







―1―






 基本的に人気のない遊南区は、夜になるとさらに人通りが無くなる。経年劣化により色褪せた壁の家々が建ち並ぶ寂しい景色だが、それもこの時間帯になると闇に覆い隠される。


 カマキリはその闇の一画にある貸し倉庫の中にいた。

 空き地を埋めて造られた大型の倉庫が連なるこの施設は、かつてこの区域の開発を請け負った工事業者の資材、機材を収納する為のものだった。しかしその開発が頓挫した今、この倉庫群は誰も利用することのない無用の長物と化し、誰に管理されるでもないまま放置され続けている。それは遊南区に点在する他の建造物と同じく、いつかまた開発が再開するかもしれないから、という曖昧な理由による保留措置の結果だった。


 その中の一つに、カマキリの“廃棄物処理場”がある。そこには今までカマキリが処理した“生ゴミ”が大量に投棄されている。その中には自分の趣味の残骸やその邪魔をした者、それに仲間の趣味の有後の残骸など、およそ普通に回収されると問題になるものを山のように詰め込んである。カマキリは勝手にその場所を拝借し、自分達の趣味に有効活用しているのだ。

 だが今そこは関係ない。カマキリがいるのはその大きな倉庫群の隅にある、遥かに小さい倉庫の方だった。


「お前の予想通り、俺の縄張りにも来たぜ。クソッタレの襲撃者が」

 カマキリは鼻を布で抑えながら、QPDAの向こうの相手に訴えた。どうやら折れてはいない。しかし骨にひびでも入ったのか鈍い痛みがいつまでも引かなかった。

『逃げ切れたか?』複数の合成音で作られた声が尋ねる。

「じゃなきゃ連絡なんてできねえだろ。しかしお前、相手が誰だか知ってたか?」

『いや?お前の知ってる顔か』

「とんでもねえ奴が出てきた。“死眼の鴉”(デッドアイ・レイブン)だ。あんな化けモンが相手とは聞いてねえぞ」

 カマキリは会話しながら、大きなボストンバックの中に様々な“仕事道具”を放り込んでいった。この倉庫はカマキリの武器庫である。生物を切り刻むことを無上の喜びとするカマキリの、趣味と実益を兼ねたコレクションの保管場所だ。間違いなく違法である大小様々な刃物を、カマキリは全て持ち出す勢いでバッグに詰め込む。

 少しの間キーボードを叩く音だけが響き、暫くすると雑談魔(チャット)の吹いた電子音の口笛が聞こえた。

『こりゃ凄いのが出てきたね。華々しい経歴を見るだけで規格外の人物だってことがよく分かる』

 チャットは死眼のキーワードだけで当の相手を探り当てたようだ。だがわざわざ調べるということは、チャットは死眼を知らなかったということでもある。

「お前やっぱりこの街の人間じゃねえな。ここの裏で生きてきた奴で死眼を知らないなんてモグリもいいとこだ」

『さあどうかな、本当にただのモグリかもしれねえぜ?別に知らなきゃネットに潜りゃいいだけなんだ、大したことじゃねえ。今の時代、物理的に経験することよりネット上で知り得た実のない知識の方が遥かに多いのが普通さ』

「お前の顔も実がないまんまだ、一度も拝んでねえからな」

 カマキリの耳に軽快な雑音(ノイズ)が煩く鳴る。チャットの上げる笑い声。

『謎は謎のままの方がいいこともあらぁな。もしかすると絶世の美女かも知れねえぜ?ほぉら、これでしばらく夜のネタに困らねぇ、せいぜい楽しく夢想してな』

 カマキリはその戯言に舌打ちで返す。

「美人は自分からそんなことは言わねえよ。んなことより、ひとつ気掛かりなことがある」

『チェックしたんでちゃあんと把握したさ。死眼が出てきたってことは“鴉の片割れ”も出て来るんじゃないかってことだろ?』

「さすが話が早え。で、どうなんだ?」

『待ってよ…ほい、画像見てみて』

「あん?」

 軽い音と共に通知が届く。それを開いたカマキリはそこに写る端正な顔立ちにはっきりと見覚えがあった。少年とも少女とも取れる中性的な顔は、女であれば上玉の部類に入るだろう。しかし勿体ないことに、こいつが男であることをカマキリは知っていた。

『この子だろ?』

「間違いねえ。“鴉ども”(クロウズ)の復活だ。こりゃあリアルタイムの画像か?」

『10分前だね。聞いて驚くなかれ、なんとこの子が、狗井の今回の“捕食対象”(スウィートハート)だ。どうやらこの子が狗井を狙ってきた襲撃者で、その時に一目惚れしたんだとさ。この画像は現在狩りの真っ最中の狗井から送られてきたもんだよ』

「けっ。相変わらず悪趣味な野郎だ」

 カマキリの感想はそれだけだった。狗井は“歯ごたえのある”相手にしか嗜好が向かない、相手に価値を求め、事前の過程を楽しむタイプだ。それはカマキリのような純粋な解体魔にしてみればただ面倒が増えるだけ。彼にとって肉はただの肉であり、そこに上等も下等もない。


 切り刻めればそれでいい。


 それがカマキリの嗜虐志向(プロペンシティ)だった。


 ずっしりと重くなったボストンバックを勢い良く閉める。



「準備完了だ。狗井の場所を教えな。過去の亡霊よろしく現われた悪童(ガキ)共を、俺らで棺桶にぶち込み返してやろうぜ、五体を十にも二十にも切り分けてな」







―2―






 つかず離れずの距離を保ちながら、狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)は獲物との駆け引きを続けていた。


 今や狗井は彼の虜になっていた。狩りを始めて約1時間が経過し、相手はすでに数度に渡る狗井の襲撃を凌いだ。物体ではなく五感で見る猟犬(ガンドッグ)の視界に写る彼は、至って平静を保ったままだ。それどころかこの獲物は、猟犬の一撃離脱の戦闘法(ヒットアンドアウェイ)に難なく適応していた。そしてこちらの攻撃を誘う様に、あえて人気の少ない場所を通っている。


 獲物は自らを餌に、逆にこの“猟犬”を狩ろうとしていた。


 その喜びがどれだけ望外のものか、それを狗井と共感できる人間は少ないだろう。例えるなら格闘技の達人が、自らに匹敵する実力者に出会った時の喜びに似ている。事実狗井には武術の心得があった。

 しかし狗井の場合、それは狩りの後に訪れる晩餐への過程に過ぎなかった。言ってみれば獲物の味を仕込む調理の時間である。獲物に手が掛かれば掛かった分だけ、その晩餐は至福の味を狗井に齎してくれるのだ。




 僅かの間だけ人が途切れた狭い路地。そこにマコトが入った瞬間、狗井は潜んでいたビルの窓から飛び降りた。

 真上から飛来した狗井の急襲にマコトは即座に対応した。大木でも薙ぎ倒せそうな足刀をぎりぎり横に躱す。その隙間はほんの数mmしかなかったが、マコトは瞬きすらせずに狗井の体勢から次の動きを探っている。

 しかし予測というなら猟犬の五感の方が鋭敏だった。狗井の突き出さんとする掌打の軌道。マコトが狗井の姿勢から先読みし左に動くが、その回避動作をも狗井は予測し、ほんのわずか未来にマコトの顔がくるはずの場所へと一撃を放った。


 猟犬(ガンドッグ)の視界では顔面の中心に命中。


 にも関わらず、その腕は空を切った。


 狗井の一撃はマコトの顔の側面から数mm横を通過した。予測よりほんの少し先に移動していたマコトの顔。そしてその時点で、もうマコトは攻撃に移っている。

 猟犬の予測視界には目前に相手の左脚。狗井は逆の手で相手の蹴擊を受け止める。反動のついた鋭い蹴りが狗井の動作を一瞬だけ止めた。

 互いに衝撃を分かち合う。しかしマコトはその反動を次の攻撃の予備動作とし、最大限に遅れ(ラグ)を軽減した連撃を生む。

 こうなると手がつけられない。一瞬出遅れた狗井はマコトの攻撃を捌き、防ぐだけで手一杯になり仕掛ける隙がない。息付く暇もない連撃の最中、狗井は相打ち覚悟のカウンターの右拳を放つ。もちろん猟犬の予測に則った上で。


 お互いの身体に〈加速機構〉(アクセラレータ)の伝導音。


 渾身の一撃は、やはりマコトに皮一枚で届かない。


 同時に狗井の脇腹をマコトの右足が捉えていた。


 この結果を予測していた狗井はその衝撃に逆らわずダメージを和らげた。

 相手との距離が随分離れる。向かい合い、自然と目が合った手強い獲物に狗井は睨みつつ笑みを送った。


「時間切れだ」


 そう言うやいなや狗井は路地のフェンスを飛び越えて逃走した。同時に数人の男女が路地に入ってくる。それは緊張などかけらもない、これから食事に向かう話題で楽しげな一般人の群れだった。



 通りには続々とその他大勢が入ってくる。残されたマコトはもう何度か繰り返した攻防に思わずため息をつき、キャスケット帽をかぶり直すと何事も無かったように彼らとすれ違った。

 もし彼らにたった今までここが“戦闘地帯”だったと言っても信じはしないだろう。それくらい痕跡も気配も残さない、計算された空白時間に狗井は襲って来ていた。


(めんどくさ…)


 マコトは路地を出て人混みに紛れる。すぐ裏は繁華街の主道で人が溢れていた。周囲に誰かいる限り、あの狗井という男が襲ってくることがないのは今までの繰り返しで分かっていた。


 マコトはタチバナと別れて以来適当に足の向く方に歩き続け、いつの間にか中央区の繁華街近くまで来ていた。途中人気のない場所にわざと入ると、予想通り狗井は襲って来た。しかし無関係の人間が近付くと姿が見られる前に退散する。その逃げ足は見事といってよかった。


(場所が必要だ…相手を誘い込めて、僕も好きに動けるような)


 歩きながら考える。マコトの結論は単純で、要はお互いが合意できる戦闘地帯に連れていけばいい、というものだ。真っ先に思い浮かぶのは室内。それも動けるスペースがあり誰もいない空間…と、考えはすぐに浮かぶものの具体例が全く出て来ない。そもそもマコトは街のスポットなどにあまり詳しくなかった。

 車の走る音が近い。気付けばすぐそこが大通りだ。そっちに出てしまうとあいつは襲って来れないだろうが、それはこっちとしてもよくない事態なのだ。マコトはできるだけ早く決着をつけてしまいたかった。


「どうしたの?」

 いつの間にか立ち止まって考え込んでいたマコトにスーツを着た男が声を掛けてきた。セミロングの茶髪をかき上げながら、意味不明の笑顔でマコトに近付く。すぐ横の店舗を見るときらびやかなネオンの眩しいホストクラブだった。

「お店探してるならちょうど今からオープンだよ。君、今日の一番のお客様かも。どう、寄ってかない?」

 キャッチの男の引き込み。

 …いい考えかもしれない。マコトは真剣にそこを戦闘場所にできないかと考える。

「お店、広い?」

「え?あー、まあ普通かな。何、大きいお店がいいの?」

「空き部屋とかある?何にも置いてない部屋」

「んー?どういう意味か分かんないけど、席なら空いてるよ?」

 マコトは少し考え、やはり駄目だと思った。第一ホストクラブでは狗井が入ってこれないだろう。もしかしたら全員皆殺しにして突入してくるかもしれない。別に真琴はそれでも構わなかったが、どのみち戦闘には不向きだろう。

「ね、どう?ウチサービスいいよ、あーちょっとちょっと…」

 興味を無くして立ち去りかけたところで、車が一台猛スピードで通りに入ってきた。耳障りなブレーキ音と共にこちらを向く車両。通行禁止の道を速度を上げて突っ走る車に、通りの人々が驚きながら避難する。


 強引に突入した車は、加速してマコトに向かってきた。


 その運転席には、笑う狗井の姿。


 マコトは反射的にその場で跳躍する。その体は助走もなしに1m以上も飛び上がり、体を水平に回転させることで車体のぎりぎり上を通り抜けた。それはこの状況でも目を瞑らなかったマコトの目測通り。


 コンマ数秒差での緊急回避。ほぼ同時に後ろのクラブに激突した車のひしゃげる音と、外壁の壊れる破砕音。


 横にいたホスト男の情けない悲鳴を聞きながらマコトは着地する。同時に背中に殺気を感じた。


 直前で車から飛び降りた狗井の追撃。

 大きく振り上げられた狗井の手。マコトが踊るように回避(ステップ)を踏み、再び跳躍した。振り下ろされた狗井の腕はマコトのいた空間を薙ぎ、噛み付くような音でアスファルトを抉った。


 それはまさに猛獣の鉤爪の痕跡。


 空中にいるマコトに更なる追撃。マコトは正確に追従してくる猟犬の顔を踏む。その顔を押すように蹴り退け距離を取った。


 空振りした横薙ぎの鉤爪が、周囲の一般人を巻き込む。声も無く倒れた数人の傷痕は、まるで喰い千切られたように歪な裂かれ方をしていた。マコトはその痕を回避しながら俯瞰でじっくり見ることになった。

 一瞬遅れて血が勢いよく溢れ出す。それを見ていた周りからまた悲鳴が上がる。


「凄まじい反射神経だな」

 手に付いた血を舐めながら狗井が言う。

 お互いの射程外に着地したマコトの応答。

「あんたは人に見られたくないんだと思ってた。だからあんなコソコソした戦い方なんだと。でも、違うみたいだね」

 狗井の足元に誰かの血だまりが広がって靴を濡らしていた。狗井はその巻き添えの人間を見もしない。

「こいつらは邪魔なだけだ。別に見られてもどうってことはない。ただ、通報されると面倒が増える」

「増えたんじゃない?」

 低い声で狗井が笑う。

「お前のせいだよ。あまりに手強いもんで形振り構う余裕がなくなってきた。それに主賓である獲物に退屈がられては猟犬(ガンドッグ)の沽券に関わる。だから手を替え品を替え、もてなしてやろうとしてるのさ」

「“猟犬”が、あんたの顕現能力(インカーネイト)の名前?」

「それどころかその名前は今や俺のミドルネームみたいなもんだ。もしかするとそっちが本当の名前なんじゃないかと錯覚するくらい自分に馴染んでる」

 狗井は昔からの友人に話す時のように朗らかだった。そこに外野から罵声が飛ぶ。

「おい、お前何考えてんだ!酔っ払いか!?」

「気をつけろ、刃物を持ってる!」

「サツ呼んだからな。諦めて大人しくしろ」

 店の人間らしきスーツ姿の男が数人で狗井を取り囲む。怒りを露わに警戒しながら近づいていく。狗井を逃走させないように取り押さえるつもりのようだ。その中の1人が頼みもしないのに、マコトを庇うように前に立った。マコトからすればただ邪魔なだけ。確かに狗井の言う通りだった。

「やっぱりこうなるか。やはり目立つのは良くないな。だが、少しでもお前と話せてよかったよ。獲物にこんな気分になったのは初めてだ」

「お前なに…」ホスト男の言葉を遮るように、狗井が無造作に両手を振るった。噛み付く牙の音と共に、さっきと同じく簡単に倒れ伏す男達。見る見るうちに血の池がさらに深く、濃くなった。マコトの前にいた男が恐怖で腰を抜かす。

「お前の顕現能力(インカーネイト)はなんて名だ?」

心象回路(サイコ・サーキット)らしいよ」

「…ぴったりの名だな。お前の魂の名に相応しい」

 妙に納得したように頷く狗井。その顔は再び猟犬のものに戻りつつある。

「お前の本当の凄さは、運動能力なんかよりその精神だ。俺の目から見れば、まるでお前1人の心だけが別世界のように独立してるのが分かる」

「ああ…前もそんなこと、誰かに言われた」

 肩を竦めるマコトに、穿ったような狗井の断定。

「お前、この世界に興味がないだろ?そこだけは俺も共感できるよ。俺にはお前みたいな自分だけの世界はないがな」


 サイレンの音が聞こえる。どうやら警察が近くまで到着したようだ。狗井は倒れた男の服で手に付着した血を拭った。

「俺は今までに“獲物”として22人の人間を殺している。実際はもっと多く殺したが、俺が本当の意味で殺したと言えるのはそれだけだ。それはそいつらに“獲物”としての価値があったということだ。他の奴らは生きてると言えるほど生きていないからな。この足元の奴らのように」

「よく喋るね。それに勝手な理屈」


「23番目はお前だ。お前には“殺すだけの価値”がある」

 狗井の宣言。綺麗になったその指でマコトを指しながらの、再びの殺害予告だった。それはこれからが本番であることを告げる、狗井なりの礼儀だった。


「それ聞いて喜ぶとでも?」

「喜んでいいさ」

 まあ伝わらないだろうとは思っていた。狗井は苦笑しながらマコトに背を向けた。集まりつつあった野次馬が下がり、自然と狗井の前には人垣を割って道が出来た。


「仕切り直しだ。次は必ず仕留める」


 その言葉を残して狗井が走り去る。空いた道を真っ直ぐ抜け、大通りの車を縫い交わし、あっという間に通りの向こうへと消えた。

「は、犯人が逃げたぞ!」

「警察は?まだ来てないの!?」

「それより救急車が先じゃないか!?」

 恐怖の対象がいなくなって、景色と化していた人間が動き出した。そして遅まきながら到着した警察への説明や、負傷者の応急処置などがようやく始まった。


 そして犯人と話していた少女がいた事を説明する頃には、マコトもとっくにその場から姿を消していた。






―3―






「明日の18時、明日の18時、明日の18時…」

 

 薄暗く狭い部屋。明かりは何かのアニメを映し出したテレビの光のみ。その中で円座を作り合唱を続ける死んだ目の薬物中毒者達。その真ん中に座る飾り餅のようなシルエットの樽馬秀雄(タルマ・ヒデオ)は、そんな彼らを無視してチャットからの情報を聞いていた。

「で、カマキリはどうしてるの?」宅配注文したチキンを頬ばりながらくぐもった声で話すバルーンへ、端末の向こうから電子音の合成された金切り声が届く。

『仕事道具一式担いで狗井に合流中。近くに着いたら本人に連絡するっつってたけど、狗井は嫌がると思うんだよなあ』

「ふうん、みんなお楽しみだね」

『他人事みたいに言ってるけどお前も当事者だぜ、風船男(バルーン)。なんてったって、向こうはスローターズ(オレら)を名指しで狙って来てるんだからな。むしろ俺らの中で居場所が一番バレバレなお前んとこに誰も来てねえのが不思議だよ』

「ええ、そうなの?」目を丸くするバルーン。

『だってお前、クスリ買いに来る奴らに住所教えちゃうじゃん。だだ漏れだっつの。その度住処を探す俺の苦労も考えろよな』

「だって動くと疲れるんだもん…ごめんよチャット、でも君のお陰でなんとかやれてるんだ、見捨てないでよ」

 申し訳なさそうに気弱な声で言い募る。少年のような喋り方だが、バルーンこと樽馬秀雄は30代半ばの肥った巨漢である。しかし膨れた頬の肉に陥没したような小さな目は、無垢な子供らしさを失っていなかった。 

『ほんと甘えん坊だぜあんた。ま、その素直な愛嬌があんたの取り柄だからなあ。バックアップはしてやるから、身の回りには気を付けろよ。最近名が知れて俺らも敵が増えてきたからな』

 真面目な顔で頷くバルーン。その動きに贅肉が少し遅れて揺れ、まるで別の生き物のように動く。

“切り裂き魔”(リッパー)だったっけ?その、死眼って奴も切り裂き魔の仲間なのかな?」

『今の所繋がりは不明。でもザイオンとロボスのお陰で、俺らの名が知れ渡っちまったのは確かだ。なんせ地方新聞(ローカル)の一面を飾っちまったんだからな。切り裂き魔どころか誰に知られてもおかしくねえのさ』

「俺達と切宮さんの繋がりを知ってるかもしれないんだよね?ほんとにこのまま、切宮さんに報告しないでいいのかな」

『主人の手を煩わせるまでもないって狗井なら言うだろうな。その為に俺らがいるんだろってよ』

「まあそうだけど…」

 バルーンは話しながら部屋にいる客にザイオンを配り出した。引き換えに端末に集金していく。客もバルーンも慣れたもので、金と物品を交換した者から順番に部屋を出て行く。

『おそらく切り裂き魔は単独だって俺の見立ては変わらねえ。やたらと頻繁に出没する割にその範囲は狭い、未だ俺らの居場所を探してる位だからそんなにこの世界に詳しいわけでもない。効率も悪い。何よりやり方が“幼稚”すぎる』

「ふんふん…あ、次の奴らに入って来いって伝えて。合言葉を確認したらこれを渡してね」

 最後の客に伝言を託し、メモを渡す。次の連中はここから少し離れた公園に集まっているはずだ。そしてそこに隠してあるザイオンの“サービス品”ですっかり出来上がっている頃合だろう。この販売手法はチャットが考案したもので、少しでも場所の発覚を防ぐのと客の管理を効率良く行うため、そして万が一の予防線を張るための措置だった。

『背格好の情報から見て、おそらくガキの仕業だ。無闇に敵を作りながら突っ走る馬鹿な野郎さ。復讐とかそんな感じだろうな。その内とばっちりを食ったどっかの組織に、逆に復讐されておっ死ぬのがオチだろうよ。“死眼”や“跳人”(リーパー)と比べりゃ気にする程じゃねえさ』

「まあ、邪魔が減るのはいいことだよね」



 そんな言葉を聞きながら最後の客の男はバルーンの部屋を後にした。2階建ての古いアパートの階段をふらつきながら降りる。その心は足取りが表すように柔らかな酩酊感に包まれていた。

 考える事を放棄した男は、最後に言われた言葉通りさっきまで自分もいた公園へと向かっていた。夢の中を歩いているような状態で、途中何度か道を間違いつつもようやく男は公園にたどり着いた。

 もうすっかり陽は落ち、公園は闇に包まれている。少ない街灯の下に人影を見つけた彼は、迷うことなくその人影に近づいて聞いた。

「…“楽園の入口”を探してるのか…?」


 その小柄な人影は全身を黒で覆っていた。黒いフードを目深に被り、丈長のコートの前をしっかり閉じ、黒い厚手のパンツに黒の重厚なブーツを履いていた。もしも街灯の下にいなければ、闇に紛れてきっと気付かなかっただろう。その足下には十数人の男女が倒れていたが、男はそれを不審に思う思考を既に失っていた。

 相手は決められた合言葉に応答しない。“楽園の入口”に対応する答えがない時、あるいは違っていた時は、男は目の前の相手を排除するよう仕込まれている。

 頭の中でカウントを開始した。時間は10秒、それを過ぎれば相手が行動不能になるまで攻撃を継続する。


 目の前の人物は短いナイフを握っていたが男にそれは関係ない。重要なのは言葉だけ。そして相手が首を傾げながらした発言だけが男の次の行動を決定した理由だった。


「あなたはスローターズの使い?」


 背原真綾は単刀直入にそれだけを聞いた。

 声は見た目に反した少女の声だったが、男にはそれも関係なかった。


 違う。


 それが決められた言葉とは違うことだけが男の体を動かす理由となった。

 前置きなく振るわれた男の右腕を黒ずくめの少女が躱す。特に何の運動経験もない男は、バランスを崩しながらも無理矢理体を動かして追い打ちをかけた。おそらく筋肉が悲鳴を上げているが、今の男は幸福感に包まれていてそれを感じることはない。

 真綾はそれも難なく躱して背後を取ると、握っていたナイフの柄を男の首筋に当てた。途端に体中に流れる電流により男はあっさりと昏倒する。


 黒ずくめの少女はナイフを仕舞うと男の体を探り、QPDA端末とザイオンの薬包を見つけた。そして握り締めた男の手からはみ出たメモ用紙を発見した。それを開き、書かれていた住所を見た。


「見つけた」


 切り裂き魔(ザ・リッパー)、背原真綾は確認するようにそれだけ呟くと、倒れた者達を一顧だにせず、先程男が通ってきた道を何の躊躇いもなく逆に向っていった。







―4―






 ようやく乗り込めた霊柩車(ザ・ハース)で中央区を移動しながら、タチバナは息を整えていた。

 尋問に使ったアパートはマコトの予想通り、通報を受けた警察がすぐに駆け込んできた。倒れて気を失った甲斐を担ぎ、間一髪で部屋から逃げ、迎えに来た霊柩車と落ち合うまでの間に、タチバナはすっかり全身汗まみれになってしまった。

「だ、大丈夫ですか?」

「…大丈夫だ、自分の体力の無さにムカついてるだけだ」

 そう言うタチバナの眼光は荒い息遣いと相まって人でも殺しそうなほどの迫力だ。少なくとも霊柩車を運転する甲斐の部下はその威圧感に怯えていた。

「今、何時だ」

「えと…20時になるところです」

「…くそ、2時間近くも無駄にしたのか」

 タチバナは手で頭を抱える。

「す、すいません!」

「別にお前のせいじゃないだろうが。黙ってろ、気が散る」

「はい…!」甲斐の部下は怖くなり、前を向いて運転に専念することに決めた。実際この場で彼に出来ることは免許のない大型車両の運転をなんとかやってのけることくらいだった。


 タチバナは端末を見る。履歴にはマコトから1回、アオイから6回の着信があった。それを確認して目を閉じる。そして次に開いた時には“赤色錯視”(レッド・インサイト)を発現させていた。


 端末で発信を掛けながら、その電波をバイパスにして視界を繋ぐ。アオイの端末に着信したと同時に、タチバナの眼はアオイの視界に同調(シンクロ)していた。


『やっと繋がった、タチバナさんか?』

「すまない、ちょっと立て込んでいた」

 荒い息を抑えながら言う。話しながら道路を走るアオイの視界も一緒に観る。風景から車で中央区へと移動中であるのが分かり、タチバナは口の端を上げた。

「いい判断だ、車をどこで手に入れた?」

『さすがよく“見てる”な。車はタチバナに教わった通り、この端末(ミミック)で借りただけだ。とにかく中央区にいれば、その後どこに行くにしろ楽だと思ってさ』

 よく使いこなしている。ミミック端末は他人のIDを偽装し、認証機器を欺くことが出来る。その認証機器から使用履歴を探知し、そのIDになりすますことが出来た。

『それで、尋問の成果は?』

「スローターズのザイオン拡散の目的が分かった。それから管理者の次の行動も大まかには掴めた。そっちの方は俺に少し心当たりというか、伝手があるんで任せてくれ。実はその過程で今まさにスローターズから襲撃の返礼を受けていたところだ」

『何?』アオイの狼狽が伝わる。

「今はマコトが狗井の標的になっている。何故かは知らんが狗井の方がマコトにご執心だ。一対一なら問題ないだろうが、カマキリやバルーンが乱入してくる可能性もないとは言えない。お前はマコトの加勢に行け、“昔”のようにな」

『タチバナさんは問題ないのか?スローターズに狙われたりしてんじゃないのか?』

「ちょうどそれを切り抜けたとこだから心配無用だ。俺はまた後方支援(バックアップ)に戻る。慣れない前線になど出るもんじゃないな、お陰で“肩”が痛い」

『ジジイかよ』

 アオイが軽く笑う。タチバナは狗井に捻じられて本当に肩が痛かったが、それを言ってどうなるものではないので黙っておく。

 アオイの視界は少し斜めだったのが、背筋を伸ばしたように真っ直ぐになった。人は気持ちを切り替えた時、あるいは真剣になる時に自然と背筋が伸びるものだ。何度も他人の視界を覗いてきたタチバナはそのことを知っている。

「マコトは中央区にいる。すぐに正確な位置を端末に送るから待ってろ。俺達はもうスローターズに聞く事は無い。跡形もなく潰して構わん、遠慮なくやれ」

『了解、とりあえずマコトに連絡してみる』


 アオイとの通話の終わり。そう、スローターズは今潰しておくのが一番いい。そうなれば真綾の方は手詰まりになるだろう。もうそろそろ危険な遊びからは撤退させた方がいいのだ。


 タチバナはそう考えていた。


 しかしこの時、背原真綾が既にスローターズの目前に迫っていることに、自分が背原真綾の兄譲りの行動力を見誤っていることに、全てを見抜く眼を持つ男は不覚にも気付いていなかった。



 少女が既に自分を捨てたことに、気付くことはなかった。


  

 


 










 

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