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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
2章 〜去来/ドギィ・ワルツ〜
8/24

2-3 intertwine waltz (side B)

※本章は2-3 intertwine waltz(sideA)と同時刻に起こった出来事を別の人物、あるいは別の側面に主眼を置いて構成した記録(ログ)である。最終的に一つの事件を構成する要素であることに変わりはないが、現時刻における状況の差異に応じ、二つの側面に分けた方が把握しやすいと判断した上で分割した次第である。もしこれを読まれる諸兄がいたとしたら、この複雑に絡み合う事態の把握に貢献できることを期待する。






―1―






 辺りには制服警官と、いるだけで不穏な空気を醸し出す黒い防護服に身を包んだ兵士が多かった。


 背原真綾(ハイバラ・マアヤ)儀依航(ヨシイ・ワタル)は、西園区の中心にほど近い6区にいた。あまり目立たぬよう端の方を歩いてはいるものの、平日の午後に学生服の2人はどうしようもなく目立った。加えて背原の大きなバッグが不自然さを助長している。

 この物々しい人員は、何日か前に起きたギャング同士の抗争の影響のようだった。事後処理に追われているのか、警察も軍隊も至るところで見かける。そんな中を歩く2人は当然のごとく何度も呼び止められることになった。


 最初儀依はなんと言い逃れしようか悩んでいたが、背原は頭を抑え仮病を使って誤魔化すことにしたようだ。

「早退して帰ろうとしたんですが体がだるくて…1人では不安だったので、彼が付き添ってくれてます」

 本当に辛そうな演技をする背原の“彼”という言葉が、嫌でも儀依の気に止まる。



 それには当然といえる理由があった。

 儀依航はほんの少し前に、背原真綾に対し半ばなし崩し的な告白をしたばかりだったのだ。背原はここに至るまで、それに関して何も言わない。儀依からすればそのこともこの過敏な心情の一端だった。



 警察に寄り道せぬよう注意されて解放される。この面倒な工程を何度か経て、2人はようやく目的の店に辿りついた。両隣のコンクリート壁の店に挟まれた、シックな色合いの煉瓦風の外観。胴体の長い犬の看板を掲げた小さな店である。


「ここだよ……あれ?」

 開かないドア。その取っ手に掛かった小さなボードに、儀依は遅ればせながら気付いた。


〈グレイス・パピィ〉―準備中―


「…あちゃあ」

 なんとも間が悪い。いつもならこの時間には店主の(フセ)がとっくに店を開けているはずなのだ。そしてその伏こそが、2人が学校を抜け出してまで会いに来た人物でもある。

「悪い、あてが外れたみたいだ」

「ううん…裏口とかないのかな?」

 裏から入るつもりだろうか。

「あー…横の細い道にたしか勝手口が」

 2人は店と店の隙間の狭い道に入り、ぎりぎり開けれるかどうかというドアを見つけた。

「駄目だ、こっちも閉まってる」

「ここで待つからいいよ。ありがとうギイ君」  

 背原はその場に腰を下ろしながら言う。目立つ通り沿いではなく、気付かれにくいここで伏を待つつもりのようだ。どうやら話を聞くまでは、帰るつもりはないらしい。

 もうその目は儀依を見ておらず、口にはしないがその態度が「じゃあここで」と告げている。儀依の役目は終わりだと。


「あ…いや」

 そのまま勝手口の前に座り込んだ背原は、口ごもる儀依を見上げた。

「俺も付き合うよ。さっきも言ったけど、その方が話も早いだろうから」

 “付き合う”という言葉。いちいち意識している自分を馬鹿なんじゃないかと思った。儀依は向こうが何か言う前に、勢いをつけて隣に腰を下ろす。


 背原は何も言わないが少し横にを体をずらし、儀依の席を作った。そう大きくない敷石の上は、2人で座るともうそれでいっぱいになった。



 無言。



 居心地の悪い沈黙が続く。

 背原は何とも思っていないのだろうか?まるで自分の告白などなかったように保たれた平静。それどころか、背原は学校を出てからずっと表情がないままだった。刹那の一瞬に見られた無機質な顔が、今は表に出てきている。仮病を使う時の苦しそうな演技が唯一の例外と言えた。




「ギイ君ってさ」

 背原が突然呟くように喋ったのはそれから数分後のことだった。目は足下の地面を見つめ、顔に何の感情も表さないままで。


「何で“幽霊殺し”なの?」


「え?…ああ、俺のあだ名ね」

 それは特に意味のない暇潰しでしかなかったのかもしれない。しかし儀依にとって背原から自発的に問い掛けられたことはかなりありがたかった。儀依は正直この沈黙と所在なさに、そろそろ耐えられなくなってきたところだったのだ。


「なんか大層な名前に聞こえるけど、ほんとくだらない理由だよ。1年の時に行った校外学習、覚えてる?」

「…学年全部でキャンプ場に泊まった、あれ?」

「そうそう。あれがある頃にはさ、男子はみんな大体仲良くなってて、夜も馬鹿みたいな話で盛り上がってた。それで、どうせ興奮して眠れないなら肝試しでもやるかってことになったんだ」

「肝試し?」

 背原は無表情のままなので、楽しんで聞いているかどうかは分からない。だが少なくとも興味がないわけではないようだ。

「夏だったからな。それにキャンプ場の横に入るなって言われた林があったろ。あそこは昔から“出る”っていう噂があって、皆それを知ってた。それで噂が本当かどうか確かめようってことになって、クラスの男子全員でその林に入ったんだ」

「そんなことしてたんだ。気付かなかった」

 神遙学園にはクラス替えという制度がない。だから当然背原と儀依は1年の頃から同じクラスだった。

「俺も絶対先生にバレるだろうと思ったよ。後で叱られるんじゃないかってそっちの方が気になったな。でもバレなかった」

「運がよかったのかな」

「そういうわけでもなかったんだけどな」

「ふうん…それで、出たの?幽霊」

「うん。出た」

 儀依は思わず顔が綻んだ。その時の光景をまざまざと思い出したのだ。


「バラバラに林を捜索してて、しばらくすると悲鳴が聞こえた。それでみんなでその方向に行ったら、暗がりに髪の長い血まみれの服を着た女が立ってた」

「それが幽霊?」

「今思うとそうだったんだろうけど、俺はその時幽霊とは思わなかった。もともとそういうの信じない質だったからかな、なにか事件か事故があったんだと思って、違う意味で焦った」

 女はふらつきながら寄ってきた。その覚束無い足取りは頼りなく、顔からは大量に出血していた。それを見た儀依は単純に大怪我を負った女の身を心配したのだ。

「だから“大丈夫ですか”って聞いたけど相手は唸るだけで何も答えが帰ってこない。これは喋れないくらいの重傷かと思った。だけど周りの奴らはびびってて助けになりそうになかった。だから、俺は自分の携帯で救急車を呼んだ」

「ああ、そういうこと?」


 背原はどうやら顛末に気付いたようだ。

 そしてなぜか、とても久しぶりに彼女の笑う顔を見た気がした。


 儀依が電話を掛けるのに気付いた血まみれの女は、急に元気に走り出し通話中の儀依の手から携帯を奪った。儀依からするとその瞬間の方がよっぽど恐怖を感じる演出だったと思う。

「女は慌ててその電話に“すいません誤報です”って謝った。よーく見てみたら、その女は学園に来たばっかりの教育実習中の先生だったよ」

「へえ。あのおどおどしてた先生?」

「そうそう。電話越しに頭を下げるくらい平謝りだった」


 後から知った事実はありきたりだ。

 肝試しは最初から決められていたイベントで、教師側主催の伝統行事みたいなものだったのだ。毎年数人の生徒に協力を募り、丁度同じ時期に配置される教育実習生が、場に慣れる為の一貫として幽霊役を務めるのが恒例となっていたらしい。


「最初に肝試しを提案した奴が教師の協力者だったんだ。そいつに怒られたよ。救急車なんて呼ばれたら幽霊の存在意義が問われる、少しは怖がってやれって。知るかよって思ったけど、まあそれがこのあだ名の由来」

「ギイ君は幽霊の立場をなくしたってことだね。だから“幽霊殺し”」

「俺にとっては空気の読めない奴って馬鹿にされてる気しかしないけどね」


 そう言って、顔を見合わせて笑い合った。儀依はその顔が、初めて見た背原の笑顔ではないかと感じた。そう思える程には彼女は楽しそうだったし、この時間がとても希少価値の高いものだと思えた。



「ん?航じゃないか、どうした?」

 声に振り向くと脇道の入口辺りに、買い物袋を抱えた伏が立っていた。話し声に気付いたのだろう、覗き込むようにこちらを見ている。相変わらずマッチ棒のような見た目のせいで、両手に袋を持った姿はヤジロベエのようだった。

「悪い、ちょっと買い出しに行ってた。なんか用…」

 近付いてきた伏は隣に座る背原に気付き言葉を止め、儀依と背原を交互に見比べた。彼女はもう笑っていない。



「なんだ、ついに幸せな青春の始まりか?」



 伏は歯を見せて、意地悪そうに笑った。







―2―







 店内はダークブラウンが基調の落ち着いた雰囲気だった。所々に店名の由来である仔犬(パピィ)の写真が置いてあり、それは全て同じ犬の写真だった。それはハリアというイギリスの犬種で、彼はその仔犬を我が子のように溺愛していた。グレイスと名付けられたその犬は、儀依と背原と同じテーブルに座る主人の足下で昼食中だった。


「で、このお嬢さんはなんでまた屠殺集団(スローターズ)なんかのことが知りたいんだ?」

 一息ついて要件を聞いた伏は、当然ながら訝しんだ。

「確かにあいつらのことは調べた。今この街で一番ホットな話題だからな。それ聞いてどうするんだ?」

「実は背原の友達の宮崎ってやつが暴行事件にあった。もう大分前だけど、その事件にスローターズが関わってるらしい」

 勝手かと思ったが儀依は簡単な概要を説明した。言いながら気付いたが、儀依自身それくらいの事しか知らない。背原はまた表情を無くし、下を向いて何も言わなかった。

「つまりスローターズのメンバーが知りたいと。あとどこにいるかとか、そういった情報を警察に伝えてそいつらを逮捕してもらおうと。そういうことか」

 伏はコーヒーをすすりながらそう言った。

「まあ、そういうことかな」

「じゃあ駄目だ、教えられない」

「なんで?」

「まず第一に、それじゃ俺の身が危険だ。俺は自分が危ない目に逢わない為の防衛策として情報を集めてる。その情報で自分を危険に追い込むなんて馬鹿げてるからだ。それに情報の出処を聞かれたら俺のやってることが警察にバレちまうだろ」

「黙ってるに決まってるだろ」

「じゃあ警察は動かない。そんな不確かな情報で動くほど公権力は暇じゃない。それがこの街の税金泥棒であってもな」

「でも…」「第二に」

 伏はグレイスの背をなでながら儀依の反論を遮った。

「俺にはこのお嬢さんがそれで済ませる気には思えない。むしろそれを教えたら、直接そいつらに会いに行きそうに思えてならない」

「そんなことは…」

 グレイスは来客に喜んでいるのか、儀依と背原の周りで飛び回る。やがて下を向いている背原と目でも合ったのか、見上げるようにしてその横についた。無表情な背原が頭をなでるとグレイスの尻尾は忙しく左右に振られた。


 ない、とは言えない。儀依には今の背原がそんな無茶をしないと考えられる根拠を無くしていた。

「万が一教えたとして、それでなにかあったとしたらそれは俺の責任だ。とてもじゃないがそんなもん負えたもんじゃない。勘弁してくれ」

 いつも通りの飄々とした言い方だが、サングラスの奥の目は真剣だった。儀依はそんな伏の様子に、真っ当とは言い難い稼業の者の矜持を見た気がした。


「つまり教えて頂けない、ということですね」

 背原がグレイスの方を見たまま言った。

「悪いけどそういうことだ。悔しい気持ちも分かるが、仕返しなんてやるだけ損だぞ。それで得られるものなんて…」

「もし、この犬が同じ目に遭っても、同じことが言えますか?」

「…言うなあ、お嬢さん。でも…」

「わたしが今、グレイスを殺したとしても、伏さんは同じ事をわたしに言えますか」


 その言葉に儀依は耳を疑った。伏も向かいに座る背原の手元を覗き込むように立ち上がる。


 背原の右手には小振りのナイフが確かに握られていた。そして左手は、グレイスが逃げられないよう強く首輪を握り締めていた。


「おい背原…!」

「…やれやれだ。そんな気がしたんだよな。お嬢さん…いや、マヤちゃん、だったかな」

 伏は刺激しないようそっと立ち上がり、ゆっくりとした動きでテーブルを回る。

「その歳で結構こっち側を知ってるね。会った時からそんな雰囲気を醸し出してたもんな。航みたいな坊やを引っ掛けるのなんざ簡単だったろう?」

「質問の答えは?」

 伏は溜息とともに素直に答える。

「もちろん勘弁だ。そいつは俺の生きる唯一の楽しみなんだ、傷つけないでやって欲しい。OK、スローターズのことは、知ってる範囲で全部教えよう」

「有難うございます」


 その言葉とは裏腹に、背原はグレイスの首筋にナイフを押し当てた。伏が顔色を変えて狼狽した。儀依ももちろん慌てた。




 止める間もない一閃。




 切り落とされたグレイスの首輪が地に落ち、解放されたグレイスが店の奥へと駆けていった。背原は座ったまま、表情の無いままで、変わらぬ口調で伏に言った。



「室内で飼うなら、首輪をするのはかわいそうです」



 伏も儀依も彼女に呑まれ、しばらく何も言えなかった。






―3―







 伏は結局、戻ってからも店を開けなかった。


 3人は改めてテーブルに着く。そして背原の望んだ通り、伏はスローターズについて知る限りの情報開示を始めた。


「簡単に言うと、一般には受け入れられない嗜好を持つ人間の集まりだな。それがなんでザイオンなんて薬を扱うようになったかはよく分からん」

「ザイオンってなんだよ?」

「ドラッグ。ここ最近で一気にこの街で蔓延し出したアップ系の薬物だ。それを一手に捌いているのがスローターズの連中で、急に名前が知れ渡った理由でもある」

「最近名前が出てきた、ということは以前からスローターズ自体は存在してたんですね?」

 背原の質問。ナイフはいつの間にか彼女の手から消えていた。

 伏は頷く。

「昔は本当に単なる趣味仲間の集まりだったみたいだな。人に言えない秘密を共有して楽しむ“異常者の会員限定サイト“。それがスローターズの前身ってやつだ」

「そのサイトの名前は?」

 背原の空気が変わる。ただでさえ張り詰めていた緊張感に、背筋の凍るような冷たさが加わる。

「“フェム・スナブ“。マヤちゃんみたいな女の子にはとても見せられない闇サイトだ」

「女性や動物、昆虫に至るまで、ありとあらゆる生物の“死の過程”を記録した動画サイト。一番の特徴は、それら全てが実行者自らが撮影したオリジナルであるものしか掲載しないこと。わたしが知ってるのはそれくらいです」

「…見たのかい」

 背原が頷く。その顔はもう儀依の知っている背原とは別人だった。今の彼女は先程のナイフ以上に鋭い空気を放っていた。

「そのサイトの提供元がスローターズだ。そしてその創設者達が、今やギャンググループとなったスローターズの幹部でもある」

「メンバーの名前を」

 背原がQPDA端末を取り出した。

「待ってくれ、端末に入力するのはなしだ。悪いが俺はアナログ主義なんで…」

「大丈夫です。この端末はネットに繋がりません。何なら調べてもらっても構いませんが」

 背原は端末を伏に渡す。訝しんでそれを調べていた伏は、だんだんと目に驚きを表していった。

「…マヤちゃん、こりゃどういうつもりだ」

「わたしには、もういらないものでした。だから捨てただけです」


 伏はその言葉に衝撃を受けたようだった。しかし儀依にはその理由が全くわからなかった。


 端末を返しながら伏は言った。

「…失礼した。マヤちゃんが何をしようとしているにせよ、今後疑うような真似はしない。約束する」


 そしてメンバー全員の情報が開示された。と言っても正規メンバーと言えるのは幹部である4人しかいないらしい。その4人のプロフィールを、背原は一心不乱に入力していった。



 端末に。そして自分自身に刻み込むように。



「まずはリーダーの狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)。こいつはよく言う連続殺人鬼(シリアルキラー)って奴だ。“フェム・スナブ”の動画はこいつのアップしたものが一番人気で、実に22件もの殺人動画をアップしてる。いずれもかなり惨たらしい死に様だな。現在の行方なんかは不明、というかこいつは常に移動していて決まった住処を持っていないようだ」

「顔とかは分かりませんか?」

「不鮮明だが動画に映り込んだ画像がある。後でプリントアウトしてあげよう」

「助かります」

 背原が頭を下げる。

 伏の情報開示は全て口頭によって行われた。徹底したアナログ振りで、この場以外で自分の知ることが漏洩しない為の注意が払われていた。背原の持つ端末だけが特例として認められていた。

「あ。伏さん、そういやここの盗聴器は…」

「んなもん全部止めてるに決まってるだろ。自分で自分の首を絞めてどうすんだよ」

 確かにそうだ。自分の暴露を記録したところで伏にはなんのメリットもあるはずがなかった。

「次だ。ハンドルネーム“カマキリ”。本名は分からんが北嶺区を中心にザイオンを売ってる。自称スローターズの切り込み役で特異な刃物を持ち歩いてるらしい。問題事の発生した時に出てくるのがこいつだ。仲間の趣味の事後処理や目撃者の始末なんかが専門の解体屋だ。人体専門のな」

「…なあおい、ヤバすぎる奴ばっかじゃないか。なんで逮捕されてないんだよ、おかしいだろ」

「あのなあ」

 伏が呆れたように儀依を見る。

「本来裏社会(アンダーグラウンド)なんてそんな奴らの集まりみたいなもんだろうが。別にこいつらが飛び抜けてるわけじゃないぞ、もっと危険な口に出すのも恐ろしい奴らが大勢いる。“ロボス”のように開けっぴろげなグループが特殊なんだ、話の腰を折るなひよっこ」

 儀依はぐうの音も出ずに沈黙した。

「3人目、“風船“(バルーン)なんて呼ばれてるデブ。本名は樽馬秀雄(タルマ・ヒデオ)でロリコンだ。内容は自粛させてもらうがこいつの趣味が一番胸糞悪い。子供専門のイカレた奴だ。体型に比例して素行にも自己管理が行き届いてないから、こいつに関しちゃ情報が多い」

「じゃあ居場所も?」

「それどころか自宅まで割れてる。帰宅してはいないようだが…なぜこいつが捕まってないのか不思議に思えるほどの杜撰さだ。そしてその答えが4人目の“チャット”って奴にあった」

“雑談魔“(チャット)…」

「スローターズの連絡役兼金庫番、そして“フェム・スナブ”の管理人だ。こいつのPC技術は凄い。俺とは逆にネットに入り浸って情報を掻き集めるタイプだ」

「つまりこいつが情報を流して他のメンバーを逃がしたりしてるってこと?」

「または撹乱したりしてな。こいつは警察のネットワークにも易々と侵入するハッカーだ。バルーンはこいつの用意した巣がバレる度に渡り歩いてる。正しく風船のようにフラフラとな。一番チャットに依存してるのがこいつだ」

「つまりチャットは後方…主システム…」

 背原の呟き。

「言ってみりゃそうだな。もしも“チャット”をどうにかできれば、スローターズはただの異常者集団に成り下がるだろう。だが名前性別、居場所やアドレス、その他諸々全てが不明だ。こいつに関しちゃ人づてに聞いた話くらいに思ってくれ。すまんね」

「…この4人、だけですか?」

「ん?」

 背原の問いに伏が眉を寄せる。

「あくまで俺の知り得た範囲ではあるが、これで全部だと思うぞ?聞いた話でもスローターズは4人ってのはどこも変わらんし…」

切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)という名前はありませんか?」

「んー…いや、聞いたことないな。これでもアナログ主義者として記憶力に関しちゃ自信があるんだが…初めて聞く名前だ」



「そうですか…いえ、ありがとうございます」






―4―







 ひと通りの情報を伝え終わったあと、伏は代わりの飲物を運んできてくれた。そしてそのまま背原に渡す為の資料をプリントアウトしに外へ出て行った。おそらくそれも特例だろう、何故か端末を見た後の伏は、背原に対し俄然協力的な態度になった。

 気が付くと日は暮れかけており、時計を見ると17時を回っていた。音楽もかかっていない静かな店内で、儀依は再び背原と2人きりになった。


「気は済んだ?」

 気恥ずかしくなって明後日の方を見ながらした質問に、背原は端末から目を離さないまま答えた。

「ギイ君には感謝してる。ありがとう」

「礼なんて…ただ案内しただけだよ」

「ううん。それだけじゃなくて」


 儀依が背原を見ると、背原も顔を上げて儀依を見た。


 その顔に微笑み。


 それが貴重なものだという印象が、なぜかさらに強くなる。


「あだ名の“幽霊殺し”の話。とても面白かった。なんだか久しぶりにちゃんと笑った気がした」

「…そんなことよりさ、あんなやばい奴らの話聞いてどうするの?宮崎に関係してるにしても背原1人じゃどうにもならないだろ」

 背原は微笑んだまま答えない。儀依は何故か話し続けなければいけないという強迫観念に囚われる。

「それに伏さんが言ってたこと…こっち側ってどういう意味だ?もしかして背原の方こそ危ない事に手を出してるんじゃないか?」

 彼女の顔から微笑が消えていく。

 この話題はまずい。背原が“遠ざかる”という、不可思議だが確信的な思いが湧く。しかし一度口から出た疑問は吐き出した傍から膨れ上がり、儀依の口からまた溢れる。

「その顔が…感情が無くなったみたいな無表情がずっと気になってた。時々見せる、実は何も感じてないような背原の顔が」

「よく見てるね…」


 背原は少し俯いた後、再び笑顔を“造った”。


「本当にギイ君には助けてもらった。それに…まさか告白されるなんて、考えても見なかった」


 不意打ちのように切り出された話に儀依は言葉を詰まらせた。会話が噛み合っていない。儀依の問いに答える気がないことの無言の答え。その態度は、背原がただ自分の心情だけを伝えようとしているように儀依には感じられた。



 まるで最後の別れのように。



「そういうことに縁がないって思ってたから、本当に驚いたし、嬉しかった。何回言っても足りないくらい感謝してる。でもギイ君なら、もっと良い人がすぐ見つかると思うよ。わたしはやめておいたほうがいいかな」


 そう言って少し照れたような顔は、どこか寂しげではあるが言葉の通り嬉しそうに見えた。

 何か言葉を返さなければと焦燥感だけが募る。そう思っても胸が詰まり、言葉がまったく形を成さない。


 背原が立ち上がる。重そうなバッグを担ぐと、それだけで彼女の帰り支度は終わった。


「付き合わせておいて悪いんだけど、先に帰るね。ちょっと用事ができたから」

「でも伏さんが…」

「また明日来ますって伝えておいて」


 ついて行けと直感が叫んだ。取り返しがつかなくなるという思いが儀依を脅した。


 だが背原の笑顔は、その意思を拒絶していた。


 言葉もなく、身に纏う空気で語っていた。


「じゃあね」

「また…」


 背原は最後まで笑っていた。それが演技だったのか本物だったのか、儀依にはもう判断が付かなかった。


 ただ、閉まる扉の音と共に、“失った”という気持ちだけが心に残った。






「お待たせ…あれ?帰っちまったか」

 それから少しして、手に数枚のプリントされた用紙を持った伏が帰って来た。

「…明日また来るって」

「そっか。さっきの切宮って名前に関して、ちょっと分かったことがあったが…まあいいか」

「よくないだろ」

 儀依の抗議めいた返答。

「いや、多分サイトを見たんならもう知ってるんじゃないかな、“フェム・スナブ”のキリミヤって奴のこと。ついでにサイトを覗いてみたら、投稿者の中に名前があった。珍しい名前だからこいつのことだと思うんだが」

「サイトの会員だったのか?」

「ああ。投稿動画の数はダントツで多いな。だからマヤちゃんもメンバーだと思ったのかな」

「どんな動画を撮ってる?」

「まあ俺みたいな健全な人間にはどれも直視に耐えるもんじゃないってのは変わらないんだが」

 伏は手をひらつかせながら渋い顔で言う。

「満遍なくって感じだな。昆虫から人間まで分け隔てがない。それと特徴的なのが、こいつの動画は対象が死なない。どれも殺さずにぎりぎりの所で終わる。どうやらこのイカレ野郎は本当の意味で“死の過程”を楽しんでるようだ」


 死の淵まで追い込んだ相手を、命が終わる寸前で放置する。それはただ殺すよりもよほど残酷な行為である気がした。


 不意に脳裏に浮かぶ宮崎花菜(ミヤザキ・カナ)の惨たらしい姿。


 儀依がキリミヤの手口から連想したのは、病院のベッドの上で死の間際を彷徨う級友の姿だった。


「…伏さん、そのサイト今すぐ見れるか」

「駄目に決まってるだろ?何の為に俺がわざわざネットカフェまで行ったと…」

「じゃあ俺の端末で入る。それなら文句ないだろ?」

「…本当は店の外でと言いたいが、客が勝手に見る分にはしょうがないか」

 伏は儀依のただならぬ様子に気付き妥協してくれた。



 そのサイトの入口は真っ黒の背景にパスワードを入力する場所があるだけのページで始まった。説明も何もない、サイトの名前すらなかった。

「貸してみろ…ほれ、入れた」

 たった数秒で開いた鬼畜達の社交場の扉。画面上部に小さく“fem snub”の文字。予想していたよりも遥かに多い異常趣味のサムネイルの群れ。儀依は関係ないものには目もくれずキリミヤをキーワードに条件を絞った。

 再び整列し直されるプレビューの数はそれでも100件を超えた。動画の名前はどれもそのままアップしただけのようで、意味不明なアルファベットと数字の羅列だった。ただ、動画ごとに簡単なタグ付けがされている。儀依はその中の“human”を選び、再び検索をかけた。


 表示される更に絞り込まれたプレビュー。儀依はそのひとつひとつを食い入る様に見つめた。数十件に絞られた縮小画像はほとんどが女性だった。その画像に付された、アップされた日付を頼りに確認していく。なるべくなら目的以外の動画は見たくなかった。

「…何を探してるんだ?もしかして例の…」


「…見つけた」


 呟く儀依の端末を伏が覗き込む。小さな画像で判別しづらいが、そこに映っている少女が着ているのは、紛れもなく儀依の通う上座神遥学園の制服だった。


「航。見ない方がいい」


 伏の忠告が聞こえる。


 だが背原は“これ”を見たのだ。


 激しく鼓動する心臓を感じながら、儀依は動画を再生した。




 途端に流れる喘ぎ、呻き。画面一杯に映し出された宮崎花菜の姿は既に痣だらけだった。

 震える声で懇願する弱々しい制止の願いは、男のせせら笑う声で無視された。

 画像がぶれる。同時に誰か…キリミヤのものであろう血まみれの手が暴力を振るった。


 勢い良く振るわれる殴打、殴打、殴打。


 自身も殴り合いをする儀依には分かる。この男には躊躇というものが全くない。しかし自制されない暴力がこれほど狂ったものだと感じたことは初めてだった。

 殴られる度に宮崎の口から不明瞭な悲鳴が漏れる。男は両手を振り回している。カメラは首にでも掛けている端末なのか、時々画像は明後日の方向を向いたりした。


 しかしそんなことはどうでもいい。


「…やめろ、痛がってんだろ」

「航、もう止めとけ」伏が儀依の肩を掴む。


 やめて、嫌だ、許してという宮崎の声が響く。それはもはや言葉ではない絶叫だった。拘束された手足をめちゃくちゃに振り回しもがいていた。


『感じるだろう?』


 構わずに繰り返される殴打の音に、男の弾んだ声が割り込んで来る。


『きっとこれまでの人生でかつてなかったほどに。痛みという感覚に変換されて、命を感じてるはずだ』


 男の荒い息遣いと溌剌とした声が流れる。その間も途切れることのない拳による暴力の嵐。


 しばらくすると画像が動きを止めた。それは男の動きが止まったことも意味する。ぶれの収まった画像には先ほどよりも遥かに無惨な宮崎の姿。

 儀依は端末が壊れるほどに握りしめていた。そして全身に力を込めていたせいで汗をかいていた。そうしなければ見ていられなかった。


 途切れ途切れの嗚咽。喉が潰れたかのような掠れ声。涙と血と吐瀉物にまみれた顔が画面に大きく映し出された。



 その額に当てられる、鈍色の刃。


 ぬめった艶を放つ使い込まれた軍用の大きなナイフが、彼女から伝った血で濡れ更に妖しい輝きを増す。


 やめてという弱々しい懇願。


 同時に儀依もやめろと呟く。だがそれが聞き入れられなかったことを儀依は既に知っている。


 病院で見た、大きな十字傷。


 優しげな否定。そして宣言。 


『これは“しるし“だ』



 ゆっくりと刻まれる斜め十字の“刻印”。



 宮崎の声無き絶叫。



 店内に響く発狂したような怒号。


 代わりに儀依が叫んでいた。


 2人、いや3人分の怒りと憎悪と殺意を乗せて、体中の血が沸騰する感覚を喉から迸らせた。



 端末を叩きつけるようにテーブルに手を着く。視界が白濁するほどの怒りで息が乱れ、全身が汗で濡れる。


「おい落ち着け。大丈夫か」

 伏が心配そうに肩を揺すり、儀依の顔を覗き込んだ。

「こいつだ」

 荒い呼吸の中で儀依が言った。


 死にかけの宮崎花菜、背原の表情の欠落。そして儀依の暗く深いところから沸き上がる怒り、その全ての原因。



「こいつが、キリミヤが背原の“標敵“だ」







―5―







 時刻は18時を少し回ったところだが、外にはもう夜の闇が広がっていた。背原真綾は人気のない公園のトイレで着替えを済ませると、元々着ていた制服をバッグに入れ、ゴミ箱に押し込んだ。装備全てを詰め込んでいたバッグは無駄に大きく、まるで自分の抜け殻のようだった。





『ようやく電話に出たな』


 一週間前の通話の記憶。真綾がここまで自分を追い込んだ原因が去来する。だがそれもわがままを貫こうとする自分が招いた結果であり、誰が悪いわけでもなかった。


 その日、1人きりの寮の部屋にいる時に掛かってきた、登録のない番号からの着信。何気なく取った電話口で、橘は開口一番にそう言った。長い間避け続けていたせいで、その声はひどく懐かしく真綾の耳に届いた。


「お久しぶりです、ナオ兄」自分でも意外なほど平静な心で答えられたのが不思議だった。

『創祐に大分キツいことを言われたそうだな。俺が言うのもなんだが、あいつを恨まないでやってくれ。お前達を親身に思って出た言葉なのは間違いない』

「…恨むなんて」

 そんな資格は自分にはない。今でも創祐には感謝こそあり、恨むなどもってのほかだ。

「兄と一緒ですか?」

『ああ』

「みんな無事なんですね?」

『今のところはな』

 息を吐きそっと胸を撫で下ろす。その短いやりとりが真綾の聞きたかったことのすべてだった。

 あとは橘が言いたいことを言う番で、真綾にとっては耳の痛い時間がはじまる。


『本題だ。俺の言いたいことは分かっているだろう?』

「…はい。でもやめる気は…」

『駄目だ。状況が変わりすぎた。余市に装備をすべて返し、くだらん復讐のことは忘れろ』

「わたしは大丈夫です」

『いくらお前が榊に仕込まれた“生徒“でも相手が悪過ぎる。お前の追ってる切宮は物理的、精神的にも人間の域を越えた怪物だった』

 その言葉に耳を疑う。鼓動が跳ね上がった。

「もしかして分かったんですか…!?」

『ああ。都市が閉鎖した後、胡散臭いほどのタイミングで情報が沸き出した。だがお前には教えない』

「…どうして、ですか?」

 真綾はテーブルの上で手を握りしめた。

『普通の人間に切宮の相手は手に余るからだ。こいつは単なる異常者とはワケが違う』

 思わず力任せにテーブルを叩いた。 

「約束が違います!今更…」

『今更もなにも最初からそういう約束だろうが。俺が危険だと判断した時点でこの件は終わり、そう言ったはずだな?』

 体が震えるほどの苛立ち。怒りで言葉が出なくなるという感覚を真綾ははじめて体感した。

『この件は危険すぎる、だから終わりだ。それに約束というなら定期的に連絡するという約束を先に破ったのはお前の方だ』

 返す言葉がない。ただ子供のように黙って抵抗することしかできない。そもそも言葉で橘に勝てるわけがないのだ。

『…お前達兄妹とは榊がいた頃からの付き合いだ。できればお前達に嘘はつきたくないが、俺はお前のことについてずっと真琴に嘘をついてる』

 言葉が突き刺さる。一番痛いところを突かれた。

『俺は真琴に殺される覚悟でお前の共犯を務めているが、これ以上の嘘を重ねたくないというのが俺の本音だ。察してくれ』

 卑怯だった。それは背原真綾にとって、一番効果的な殺し文句だった。橘はそれを分かった上で兄の存在を利用していた。

『街の状況も不穏なままだ。こちらも落ち着かないが、一週間以内には余市を行かせる。それまでに心の整理をしておいてくれ』



 


 橘からの最後通告。

 その日以来執拗に鳴る着信は毎回番号が違った。だがそれが橘であるのはそのしつこさで明白だった。

 ああ見えて世話焼きである橘のお節介。それを煩わしいと思ったのは、真綾にとって今回が初めてだった。

 心の整理など不可能だ。もはや見返すまでもなく、頭の中で再生できる宮崎花菜の動画。それを思い出すだけで自分の心はいつでも最初の決意を思い出すことができた。許す気など、忘れる気など微塵もない。


 もうあとがなかった。橘が本気になれば、合法非合法問わずあらゆる手を使って自分の行為を妨害するだろう。それから逃れるにはどうすればいいか、真綾はその考えに取り憑かれた。

 それが妄執といえるものであることに真綾は気付いていなかった。正常な判断が偏った執念に支配されて狂っていた。

 この時既に、最後の手段といえる方法は頭にあった。しかしその取り返しのつかない方法をぎりぎりで留めおいたのは、単純にそれをしたところで切宮一狼を辿る道筋が見いだせないからだった。


 しかしその道筋は予想もしていなかったところから、降って湧いたように真綾に開かれた。それがローカルニュースで報じられたロボスとスローターズのギャング同士の抗争だった。橘の言っていた、都市が閉鎖されてから浮かんできた情報が真綾の目の前にも現われたのだ。


 その瞬間、背原真綾は“背原真綾“を終わらせることを決めた。


 電流が流れるように、一瞬でその手順(プロセス)が浮かんだ。それに従い橘の追跡を躱す最後の手段を速やかに実行した。端末のスリットから小さなカードを取り出し、それを寮の自分の机に無造作に放った。



 個人認証(QPDA)の放棄。すべてをQPDAに依存しているこの街で存在を消す一番の方法であり、真綾が思いつく、橘を撹乱する唯一の方法だった。



 そして級友を脅し、その好意までも利用し、スローターズに迫る手掛かりを手に入れた。そして今、公園のゴミ箱の中で“背原真綾”は終わったのだ。


 それがどんなに馬鹿げた行為で、どれだけの思いを裏切る行為であるかを、もう彼女は考えることはなかった。



 “切り裂き魔”(ザ・リッパー)は暗い夜の闇に紛れて公園を出た。まずは居場所の判明している“風船”(バルーン)から。



 全てを捨て怪物を追う怪人と化した少女の思考はかつてないほどクリアだった。


 それは妄執というプログラムに従う機械じみた無機質で構成された、単純(シンプル)思考回路(サーキット)だった。








 



 

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