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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
2章 〜去来/ドギィ・ワルツ〜
7/24

2-3 intertwine waltz (side A)

 







―1―







「明日の夕方。いいか、明日の夕方に中央区の文化会館(カルチャー・ホール)に集合だ。裏口を開けとくからそこから控え室に入れ。日が落ちる前だ、分かったな?」




 上座市で一番の店舗数を誇るファストフードショップ〈マグ・マグ〉のS1エリア店の中で、カマキリは目の前の薬中相手に延々と同じ文句を繰り返していた。


 まだ日の高い午後の時間帯だが、店内はカマキリの周囲以外誰もいない。従業員までもが彼の周りで命令を聞いていた。

 未開発地区である遊南に先を見越して出店されたこの店舗には、今のところまず客が来ることはない。あまりに先見の明が良すぎたといえるかどうかは未来のことなのでなんとも言えない。だが少なくとも今の周囲の住民は立ち退きを拒否する年配者が多く、ファストフードなどあまり好まなかった。


 店にいる約20名ほどの若者達はカマキリの常連客だった。実はこの店に来る客のほとんどはハンバーガーではなくザイオンというドラッグ目当てに集まる薬物中毒者(ジャンキー)ばかりだった。

 スローターズを結成してからというもの、彼ら幹部の収入源は専らこのザイオンによるものが主となっていた。ザイオンがまだあまり知られていなかった頃は、“チャット“と呼ばれる幹部の1人がその担当だった。しかし徐々に名が知れ渡るに連れ1人では手が回らなくなってしまい、結果幹部全員でディーラーの役割を分担する羽目になったのだ。


 彼らは虚ろな顔でカマキリの言葉を復唱する。その覇気のない合唱を聞きながら、カマキリは心底うんざりしていた。

 自分にはこういう役目は向いていない。そもそも自分は“切り込み役”なのだ。憂さ晴らしに作った“趣味を同じくする愛好家グループ“のはずが、そこで憂さを溜めては意味がないではないか。


 こんな光景をもし外から覗く奴がいたらさぞ気味悪がるだろう。通り側は全面ガラス張りなので丸見えだ。しかし通りを歩く人間すら珍しいこの地域ではそんな心配もほぼ皆無。S1の意味は“一番廃れた“のイニシャルに違いない。


 伸ばしっぱなしの長髪をかきあげ、ついでに外の様子を一応見る。


「ん?」




 そして店の入口の内側に、いつの間にか男が1人立っていることに気が付いた。




「不用心だな。お前が“カマキリ“?」

 男が喋った。まるで気付くのを待っていたような落ち着いた態度。コートのポケットに手を突っ込んだままでの質問。その顔は目深に被ったハンチング帽のせいでカマキリからは見えなかった。


 警戒しながら乗っていたテーブルから飛び降りる。


「なんだてめえは?」

 カマキリは元々大きい目を片方だけさらに広げ、男を睨む。


 カマキリの殺気にも応じず、男は動かないままだった。グレーで統一されたコートとパンツ、そして少し濃い灰色のハンチング帽を着こなす男は、ただ立っているだけにも関わらずやけに見栄えよく映った。


「スローターズの4人の幹部の1人か?」

「ああ?なんで知ってやがる…さてはてめえ…」


 カマキリはスローターズの連絡役も兼ねる“チャット“からの報告を思い出す。昨日自分達のリーダーである狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)が、仕事中に襲撃を受けたという一報があった。


「つまり俺達に喧嘩を吹っかけた奴の仲間か」


 カマキリは背中に仕込んだ武器を抜く。

 それは刃渡り30cmはあるであろう細身のナイフだった。どのような用途で作られたものか一見では分からない奇形のナイフを構えながら、必要以上に大きい眼球で男を睨む。


「どうやら間違いなさそうだな」


 男が無造作に動く。同時にカマキリも動いた。周囲を認識していないザイオンの奴隷達はいまだに合唱を繰り返している。そのすぐそばで2人の戦闘が始まった。


 鋭い呼気を吐きながらナイフを振るうカマキリ。ハンチングの男はそれを少ない動きで躱した。カマキリは慣れた手つきでナイフを操り追撃をかける。

 上下に振り分けられる隙の少ないコンビネーション。撹乱の意味と単なる癖で、カマキリは手中のナイフを器用に旋回させながら攻撃を繰り出し続けた。

 だが、ハンチング帽にはすべてわずかの差で届かない。その測ったような距離感がハンチング帽の余裕のように感じられ、カマキリは歯を軋ませる。


「なんだあ、遊んでるつもりか!?」


 叫びながらの大振りは当然躱される。カマキリは尚も同じような大袈裟なスイングを繰り返し、苛立って無鉄砲な攻撃に出たと見せかける。するとハンチング帽が待っていたように前に出た。

(掛かりやがった!)

 横に大きくナイフを振るったせいでがら空きの正面に、右手を構えたハンチング帽が迫る。

 その時カマキリの素手の方の手に、服の裾から飛び出た同じ形状のナイフが握られる。


 それをまっすぐ突き出しながら、カマキリは自分の攻撃が相手の頭部に命中するのを確信した。顔には相手を侮蔑する嘲笑が浮かんだ。

 

 しかし次の瞬間、電子の弾ける軽い音と共に光が瞬く。男の肩と肘から発した火花のような光に後押しされ、その動作が間を飛ばしたように加速した。


 カマキリの顔面に拳がめり込む。かなり遅れたナイフは外れ、男の帽子を引っ掛けただけで空を切った。ズタズタになった帽子とカマキリの体が宙を舞う。


 盛大に客用テーブルを破壊して地を滑るカマキリ。

「…っばぁは!」

 素手とは思えない威力に意識を失いかけたが、激突の痛みで踏みとどまる。

「グッ…ヒッ…!」

 態勢を立て直したカマキリの目の前に男の右足。避けきれず強かに顔面を蹴られる。再び無様に転がされ、奥の壁に激突する。


 鼻に違和感。息がしづらく、吸い込んでもあまり酸素が入ってこない。苦しさに呻きながら顔を上げると、男は先程引っ掛けた帽子を拾ったところだった。


「ちょっと触れただけでボロボロか。どうやらそれ、ただのナイフじゃないな」

「い゛ま…今の光は…狗井と同じ…」

 男はもはや細切れと化した帽子を放ると、カマキリに近づいてきた。カマキリは激しい怒りで素顔の男を睨む。


 そしてその顔、いや“目”を見て、再度自らの目を剥いた。


「でっ…〈死眼〉(デッドアイ)…!?」

 その言葉に男が僅かに反応する。


「久し振りに呼ばれたな。昔どこかで会ったっけ?」


 カマキリは痛みも忘れ、男から可能な限り距離を取る。手に持ったナイフを突き出し、それ以上の接近を避けるかのように虚しい行為をする。


 怯えていた。


 駄目だ、こんな怪物とやり合うには準備が足りない。そう判断したカマキリはなりふり構わず逃走することに決めた。


「お前らあ!“客の相手“しろぉ!」


 その言葉を聞いた店内の常連客がゆるりと“死眼”と呼ばれた男に向いた。それはカマキリが過去に繰り返し仕込んだキーワードのひとつで、こういう非常事態に備えての防衛策だった。


「イぃいらっシャァイ、まぁせえ!」

「うわっ…何だ?」

 店内にいた複数の人間が一斉に奇声を上げる。キーワードに呼応した証拠となる答えの言葉。付近にいる知らない顔を無差別に攻撃する暗示の実行。店内の人間達は一斉に自分の知らない顔、即ち“死眼”を目掛けて襲い掛かる。


「おいおい…!」

 群がるザイオンの奴隷達に“死眼“が対応する。それを確認してからカマキリは後先を無視した逃走に及んだ。


 ガラス張りの壁面にナイフを掲げた姿勢で突っ込む。


 刃先の触れた瞬間に、そのすべてが耳障りな音を立てて粉々になった。


「…振動か!?くそ、待て!」


 破片をコートの裾で避けながら追いかけようとする“死眼”の前には十数人の意思なき暴漢が立ち塞がる。


「ゴチゅぅうもおんワぁ!?」


「ああ、ちょっと黙ってろ!」

 言いながらその耳元のピアスを外す。一瞬で感覚が戻り、迫り来るジャンキー達の周囲が青白い粒子に包まれた。


 店内を覆った粒子は収縮、精錬、硬化の過程を一瞬で辿り、“死眼”以外の人間すべての自由を奪う枷を形成した。


 連なって響く、金属が噛み付いたような施錠音。


 蒼く燃えるような拘束具を生み出す〈精神具象〉(スピリット・シェイプ)〈拘束〉(リストレイント)の発現。中毒者達は不規則に絡み合う鎖と、お互いの首を連結する〈首輪〉(チョーカー)により動きを封じられた。更に収縮を続ける拘束が次々と意識を奪っていった。




 全員が無力化したのを確認し、“死眼”ことアオイは入り口が大幅に広がった風景を見た。先程のカマキリとかいう変なあだ名の男は影も形もない。今から追い掛けても徒労でしかないだろう。


「くっそ…いざとなるとやっぱり躊躇うな」

 懐の銃を見やりながらため息をつく。完全に自分の甘さが原因だった。あの男が自分を知っていたことに驚き、少しペースを乱されたことも理由のひとつかもしれない。もう3年も前の恥ずかしい自分を覚えている人間がいるとは。


 当時の自分の悪行が想起される。

 今思い返せば、その時当然のように行っていたことは、やはり悪行以外の何ものでもなかったと分かる。


 冷えきった死人のような目つき。死んだ魚の目のように濁って、何も見ようとしなかった自分の目。それを揶揄した悪名。


 カマキリが逃げると気付いた時、“死んだ目”(デッドアイ)の自分なら躊躇いなく撃っていただろう。



 きっと今の自分は、あの頃より弱い。


 身体的にではなく、精神的に。



 偽装端末(ミミック)からのコール音が響く。追憶を振り払うように相手より先に一気に喋る。

「悪い取り逃がした、でもその男の情報は確かだ。幹部の奴と接触、ザイオンの中毒者もたんまりいたよ」

 相手はその違和感に敏感に気付く。

『何を苛付いてる。相手を逃がしたにしろお前らしくない感じだな』

「…幹部の奴が、俺の昔を知ってる様子だった。久し振りに懐かしい名で呼ばれたよ」

『そうか。自業自得だ、諦めろ。例え何を捨てようが、過去ってやつはずっと自分に付きまとうもんだ』

 タチバナは特に気も遣わずに一蹴した。

「簡単に言ってくれるよ」

 アオイは溜息と共に気持ちを切り替える。タチバナのその言葉は、反論しようのない正論だった。

「ともかく、残りの人間にまともな奴は1人もいないかな。こりゃ追加情報はちょっと…いや待て」


 気を失った従業員の1人の譫言。年齢から見ておそらくここの店長。多分1番長い間ザイオンによる暗示を掛けられ続けた男は、感情の籠らない言葉を断片的に紡いでいた。


 その男の側に端末を置く。


「明日の夕方…中央区の…文化、会館に」

「聞こえてるか、タチバナさん」

『ああ』



「集まる…2つの巨頭が潰し合う…〈舞踏会〉(マスカレード)に参加して…」


「だそうだ。今ので何か掴めるか?」

 タチバナからの応答。



『上出来だ。奴らの次の行動、それ以外にも情報が山盛りの寝言だな。裏取りは俺達に任せてすぐそこを離れろ。俺達もその舞踏会とやらに出席させてもらおう』







―2―

 






 背原真琴(ハイバラ・マコト)はタチバナから少し離れたソファに座って読書中だった。アオイに状況確認をするタチバナの言葉を聞くともなく聞きながら。


 今いる場所は中央区のどこかだが、マコトはよく道を見ていなかった。ここまで霊柩車(ザ・ハース)を運転してきた余市は「あれこれやれって言われてんだあ。ほんと人使い荒いんだから」という言葉を残し、降りることなく走り去っていった。

 残されたマコトとタチバナ、そして少し前に同盟したという協力者達とともに、ザイオンの販売に関与していた店の店主を隠れ家(セイフハウス)の中に運んだ。それから2日間ずっとここでタチバナの“尋問”が行われていた。


 このアパートはタチバナの所有物件ではないという。だが長年に渡り誰も住んでおらず、管理会社の人間が来ることもまずないという。曰く、「この部屋は管理会社のデータ上では存在しないことになってる幽霊物件(ゴーストルーム)だ。問題は鍵だが、最近はほとんどが認証式(パーソナルロック)だから簡単になったもんだ」ということらしい。きっとデータベースを細工したのもタチバナだろう。

 認証式(パーソナルロック)とはQPDA内の個人資格を用いて開錠を行うユピテルの技術のひとつだった。部屋の主でなければ開閉できない、安全とプライバシーを重視したシステムといえるものだったはずだが「ナオ兄と一緒にいると、なんだかむしろ脆弱なシステムに思える」というのがマコトの素直な感想だった。


 それに対するタチバナの回答。

「恐らくはそれも狙いだろうな。一見して強固なプロテクトを施していると見せかけ、実際は自分達でいいように改竄できるシステムに置き換えているんだ」

 そしてマコトへの指摘。

「それから、呼ぶ時は“タチバナ”だ。お前もアオイも癖が抜けてないぞ。気をつけろ。お前はこの“名前付け”の意味を分かってると思ったが?」

 それに対するマコトの回答。

「それこそ、デジタルに依らない自分達だけの“認証”を増やすためでしょ」

「そうだ。後々きっと重要になってくる。徹底しろ」

 じゃあ最初からそう言っておけばいいのに。マコトにはそうしないタチバナの意図が不明だった。




「聞いた通りだ、甲斐さん」

「はい。明日の文化会館の予定ですね」


 通話を終えたタチバナの指示に淀みなく応える甲斐は、既にPCを起動して情報収集を開始していた。


 狭いアパートの部屋でマコト達は2日間を過ごしていた。その間マコトは、タチバナと甲斐が捕らえた男を尋問するのをただ見ていただけだ。

 男は目隠しをされ、椅子に固定されて丸1日同じ質問を繰り返し行われた。質問をしない時はヘッドフォンを装着され、外界と完全に遮断された。男は思いの外尋問に耐えたが、つい先程自分の知っている幹部の情報をタチバナに吐いたところだ。その時には名前も知らないままの男は発狂寸前のような有様だった。


「ねえ、僕なんでここにいるの?」

 本当に何もしていないマコトの疑問。

「護衛だよ。もしここにケルビムがやって来たら、俺と甲斐さんだけじゃ一網打尽だ」

「つまり万が一の為の予防措置ってこと?」

「悪いが、そうだな」

 苦笑いで答えるタチバナと退屈げなマコト。さすがに疲れたのかタチバナは何もせず、足を投げだして煙草を吸っていた。

「最近のマヤの様子、知ってる?」

 何気ない質問のふりをして聞いてみる。しかしそれは最近のマコトの意識の半分を占めた質問と言っても過言ではない。

「俺がそれを知ってると?」

「ナオ兄…タチバナは自分の身近な人間に執着するから。多分マヤのこともこっそり見ていると思う」

「執着って意味ではお前も同じだろ?…まあ、一応毎日“確認”はしている。心配しなくても、あいつはあいつの日常をちゃんと送ってるよ」

「…そう。ならいい」



 タチバナは完全なポーカーフェイスを貫き通した。


 マヤの“日常”。それが変質しようとしていることを隠し通した。


 タチバナはこの街が閉鎖した直後、マヤに対して“犯人探し”の即時中止を通告した。そして、そのままそれがマヤとの最後の会話となった。以来彼女がタチバナからの着信に応じたことはない。


 そもそもタチバナがザイオンに注意を惹かれた切っ掛けは、背原真綾に頼まれた調査が発端だった。今までいくら調べても出てこなかった屠殺集団(スローターズ)の存在、それが都市閉鎖とほぼ同時期に表面に浮かんできたことにもっと違和感を持つべきだった。


 スローターズは管理者(エグゼキュータ)の子飼いだ。それは今まで得た情報からほとんど確定的となった。そうなってくると〈キリミヤ〉というもうひとつの名前(キーワード)も管理者に絡んでいる可能性が大きい。最悪なのはマヤの最終目標であるキリミヤが〈顕現能力者〉(インカーネイター)である場合だ。


 そいつと接触する前にあいつを止めなければならない。兄に負けず劣らずのわがまま、その事に自分で気付かない馬鹿な妹の暴走を。


 学校に向かった余市には、誘拐してでも捕まえろと言い含めてある。調べれば調べるほど危険な状況に、最早悠長な事をしている余裕はなかった。


(俺がマヤの事件に加担していること…何よりそれをお前に黙っていることを知ったら、お前はどうするかな)

 すぐそこに座るマコトの顔を見ながら考える。もしかすると殺されるかもしれない、という発想が自然と浮かぶ。


 それでも兄には言わない、という取り決めはマヤからの一生のお願いだった。それを破る気は今もない。



「全く、お前ら兄妹には手を焼く」

「なにが?」



 本当に自分には似合わない世話を焼いていると思う。だがそれが今の自分にとって、生きる理由の多くを占めているのも事実だった。



「タチバナさん、おそらくこれだと思えるものが」

 隣の部屋で裏付けをしていた甲斐がドアを開けて部屋に入ってきた。

「悪い甲斐さん、任せっぱなしだった」

「いえ、大したことでは…それよりこれを」


 甲斐が持ってきたタブレットには上座中央文化会館のスケジュールが記載されていた。こんな慌ただしい情勢の中でもちゃんと予定は更新されており、そこには明日の日付の館の利用状況が表示されていた。


「この文化会館(カルチャーホール)という建物は名前の通りこの街の有形文化財や歴史を記した資料などが展示された場所なんですが、会議などに使われる広い部屋や、市の主催するイベントが行われる屋外フリースペースがあります。ご存知ですか?」

「いや。さすがに詳しいな」

 甲斐は少し照れたように微笑む。

「なんせ元“公務員”ですから。こういう地味に活動している公共施設なら多少知識があります。それで明日の日程の中にあったのが…これです」


 甲斐がスクロールした画面の中央に現れたのは〈18:00 地方物流会議〉という予定だった。明日の日程の最後に予定されている。


「なんでこれだと思ったの?」

 マコトにはそれが何の会議かも分からない。

「上座市にはその特性上、本当に多くの地元企業があります。しかも全国屈指といえる大企業が、今では首都に次いで本社を置いている都市となっています。その中には当然最近問題視されている商会(ファーム)も多数あります」

「元指定暴力団なんかが自らの隠れ蓑として企業と合併した組合だな。最近この街でも敵対する組合間で襲撃事件があった」

「まさにその犬猿の仲の二つの組合が、明日の会議に出席します。私がいた頃は両組合が同席しないよう市が配慮していたんです。同時に参加するのは、第一回以来なかった」


「“2つの巨頭”ってのはそれか」

「おそらく」

 タチバナが甲斐の肩を叩く。

「完璧な裏付けだ。やはりあんたは有能だ」

「本当に舞踏会があるわけじゃないんだね」

「おそらく隠語のつもりだ。だが会議とは名ばかりの馬鹿騒ぎが起こるのは…」



 突然の破壊音。丁度部屋の正面、入口の前に立つ格好になっていた甲斐に、そのドアが飛んできた。

 甲斐は悲鳴を上げる間もなくドアと激突して、ついでに奥の部屋のドアまで破って倒れた。


 マコトとタチバナが入口を見る。そこには悠然と立つ獰猛な獣が1匹。




「いつかのお返しだぜ、お嬢様」






―3―







 部屋の様子を確認した狗井勇吾が場にそぐわぬ陽気な声で言う。

「ありゃあ、外れちまったか。まあいい、邪魔者は少ないに越したことはないからな」


 反射的に銃を抜くマコトとタチバナだったが、狗井はその前に室内に飛び込んでいる。そして狗井の野生じみた嗅覚で弱いほう…即ちタチバナの腕を掴み捻り上げた。

「ぐぅ…!」

 容赦なく捻られる腕は有り得ない向きをしていた。

「貴様…!」我知らずやってしまった電子加速による身体強化は、「がぁ!」というタチバナ自身の叫びで発動することなく終わった。膝をつき項垂れるその顔は冷や汗でびっしりとなり、腕ではなく、その頭を抑えていた。


「…んん?お前もしかして“植刑者“(インセプター)か?」

「…!?なんで、わかる…!」

 タチバナの驚愕の表情。一瞬だけタチバナに興味を移したその隙をマコトは逃さなかった。


 躊躇いなく放たれた銃弾。予測していた狗井は首を捻って躱す。その時には急接近したマコトの回し蹴りがすぐ間近にあった。狗井はそれも予測していたものの、タチバナを拘束したまま回避するのは諦める。蹴りを受け止めつつ、後方に飛び退いた。


 一瞬の交錯。


 お互いに状況を捌いた後、再び同じように距離が空いた。


「こりゃ驚いた。昔の俺とおんなじ境遇の奴に初めて会ったよ」

「お前も…頭にチップをぶち込まれたクチか」

 まだ立ち上がれないで膝立ちのタチバナの質問。対して狗井は朗らかとさえいえる調子で、自分の頭を指しながら答える。


「俺の頭にもかつて監察補助(プロペイト)チップがあった。そいつは厄介なことに俺達インカーネイターの反射運動…管理者の連中が加速機構(アクセラレータ)と呼ぶ運動を阻害する。今のように激しい苦痛を神経に与えてな」

 

「施術されてから気付いたが…やはりこいつは犯罪者の管理省力化の為でなく、“犯罪を犯したインカーネイター“の抑制装置だったんだな」


「その通りだ。幸い個別に構成因子の違う顕現能力は抑制できないっていう本末転倒な代物だがな。だが肉体的にインカーネイターを常人以下に留めおくことには成功してる。難儀だな」


 肩をすくめて目を閉じるタチバナ。

「長年の疑問が解けてすっきりしたよ。で、お前は管理者の犬に成り下がることで頭の首輪を外してもらったってとこか?」


 再び目を開けた時、タチバナの“眼“は赤く染まっていた。


 血塗れの視界〈赤色錯視〉(レッド・インサイト)の発現。


 狗井の低い笑い。

「安い挑発だな。まあ、そういうことだ」


「タチバナ、もういい?」

 横に並ぶマコトが断りを入れる。ハートのあしらわれた制御装置(ピアス)は、既に外されていた。

「ああ、任せる」


 〈心象回路〉(サイコ・サーキット)の発現。

 マコトの偏った認識で可視化された、精神の象徴たる“集積回路“(サーキット)が顕れる。相変わらずその回線は、どこにも繋がらず途切れたままだった。



「殺しても?」表情を伴わないただの確認。


「飽き足らないくらいだ。バックアップは引き受けた」

 口元に笑みを浮かべた許可。



 狗井が楽しげな哄笑と共にマコトに飛びかかる。その姿は一心不乱に獲物を狙う肉食獣を想起させた。

 しかしマコトの戦闘に防御という選択肢はない。回避運動と攻撃動作が連なる舞踏(ダンス)の始まり。



 両者の発する粒子がぶつかり合って舞い散った。



 両手を鉤爪のように振るった狗井の攻撃は宙を薙ぐ。マコトは潜るように旋回しながら脇に抜け、その勢いのまま相手の背に向けて蹴りを放つ。


 しかし猟犬(ガンドッグ)の予測に狂いはない。


 マコトの攻撃を事前察知していた狗井は止まらず前進し、店主の拘束されている部屋に入って振り返る。その足元には気を失った甲斐がいる。

 マコトが銃を構える。その一瞬前に室内の壁に隠れた狗井は、相手を驚かせる悪ふざけを思いついた。にやついたまま身を屈めて壁に突貫し、盛大な破壊音を奏でて突き抜ける。狗井には壁越しでも“マコトの姿が見えている“。視界から外れた自分を追って監禁部屋に入ろうとしたマコトの背後を取る形になった狗井は、その襟首を掴んで壁に叩きつけるつもりだった。


 しかし一瞬早く予測したマコトの姿は、こちらを向いて既に攻撃動作に入っている。狗井の伸ばした手がギクリと止まる。

 現実の視界の中のマコトもしっかりとこちらを見ていた。そして真下から掬いあげるように振り抜かれた予測範囲内の足が、現実の狗井の顎を捉えた。


 驚愕する。予測していたはずの動きに狗井が付いていけなかった。まるで躊躇のないマコトの即応に、狗井の予測と現実の時間差が極端に短過ぎるのだ。


 更なる予測された姿。足を振り抜いた勢いで、頭が地面を擦るほどに下がった姿勢。


 そこから振り子のように起き上がりながら振るわれる右手。その右手から伸びる、幾重もの白光の回線(ライン)


 本能的に極大の危険を感じ取った狗井は、その予測との時間差で離れられる限り離れた。そうして伸びてくる回線をギリギリで逃れた狗井に、今度はマコトの方が不思議そうな顔をする。


「やっぱり予知能力なんじゃない?どう考えてもこっちの動く前に回避してる」


「いや、あくまで予測行動だ。だがお前に限定して見れば予知と言って過言じゃないかもな」

 マコトの疑問に答えるタチバナは、その赤い眼で狗井を凝視している。

「奴の眼に侵入しているが、なかなか想像を絶する視界だ。この男、お前に相当なご執心だぞ…獲物としてな」

「獲物?」


 狗井がタチバナの落とした銃を拾いながら言った。

「俺の視界を覗いてるのか?…なるほど、それがお前の能力か。だったらそこのお嬢様の事が、手に取るように分かるだろ?」

「ああ、ちょっと引くくらいにな」


 狗井と重なった視界の中で、タチバナはマコトの身体状況が細部に渡って観測されているのを視た。自分には視覚しか得られないが、狗井は五感の全てでマコトを観測していると推測された。


「まずいな。こいつの追跡能力は距離に関係ない。こいつがここを探り当てたのはマコト、お前の居場所を辿ってきた結果だ」


「そうさ。ああそうだ、まずはついでの仕事から片付けよう」

 狗井はタチバナの銃を構え、マコトとタチバナから見ると明後日の方向に狙いを定める。


 乾いた破裂音が響き、縛られていた店主の男が頭から血を噴いた。男は僅かの間痙攣すると二度と動くことはなくなった。


「管理者からの指示か」

「そういうことだ。残念ながら俺が犬だってのは当たりだ。主人の言う事に従ってるから俺はこうして生きていられる。だがな…」


 そう言って狗井はマコトを舐めるように見た。その顔には獰猛な獣が様子を伺うような慎重さと、隠しきれない興奮が窺い知れた。


「それが終わればあとは俺の自由時間だ。予告しよう。明日の18時を迎える前に、お嬢様、お前は俺が殺している」

 そう言って銃を放ると、狗井は脱兎の如く部屋から飛び出し、二度とその部屋に戻ることはなかった。




 残された2人は少しの間警戒し、戻って来る気配がないのを確信してから話し始めた。


「面倒だな。おそらくあいつは不意打ちでお前を仕留める気だ。なんせお前の居場所は常にあいつに把握されている。四六時中尾け回し隙を付く戦法に出るだろう。まさに狩り(ハンティング)だな。あの目を見た時から異常者だろうとは思っていたが、まさかここまでとは…」

 タチバナは煙草に火を点ける。


「あいつに居場所を知られるから、なんとかしないとセメタリーにも帰れないね。了解、あいつを倒してから明日の18時までに文化会館(カルチャーホール)で合流する」

 マコトはコンビニに行くような気軽さで請け負う。 

「できそうか?」

 そう言うタチバナの口から煙草を奪うと、マコトはそれを踏み消した。

「多分ね。タチバナは早くここを離れたら?銃声、死体、荒らされた部屋。見つかったら間違いなく犯人だよ」

 そう言ってマコトは先に部屋から出て行く。再びピアスを装着し、出る寸前でタチバナに問い掛けた。

「そういえば、ピアスを付けててもあいつは追跡できたってことだよね?影の奴の方にもバレてる可能性は?」

「はっきりしたことは言えないが、おそらく大丈夫だ。狗井の能力は執着心の顕在化だ。その執着対象に集約される分、強力な力なんだろう。だが、影の奴には主体がない。おそらくそれが街全体を自分の領域にできる理由だ」

「なら、そいつの邪魔は気にしなくていいってことだね」


 マコトはじゃあ明日、と言ってドアのない入口から出て行った。拍子抜けするくらいのいつもの調子がマコトらしかった。


 タチバナは時計を見る。


 明日の18時まで、あと丁度24時間程だった。


 








 


 




 

 


 





 

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