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機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
2章 〜去来/ドギィ・ワルツ〜
6/24

2-2 smoothie waltz

 







 

―1―






 ロボスとスローターズの市街戦は、ケルビムの小隊が鎮圧に乗り出した時点で唐突に幕を下ろされた。

 ケルビムの黒い兵装の2個小隊は数十人の乱闘者を確保した。彼らの小銃は暴動鎮圧用のリキッド弾と呼ばれる非殺傷弾である、90%の素材が液状のジェルで出来た弾丸であり、貫通力は皆無である。しかし痛覚を刺激する特殊なジェルによって、多くの乱闘者を行動不能に至らしめた。

 しかし捕らえたそのほとんどは両グループの構成員ではなかった。捕まった者の大半はスローターズの販売する薬物、ザイオンを求めた顧客であり、程度の差はあれど皆薬物中毒者だった。

 ケルビムの小隊が介入した途端、ロボスのメンバーは散り散りになって逃走した。その逃げ方はさすがに慣れたもので、鮮やかな引き際を見たケルビムの兵士達は追討作戦を早々に諦めた。その代わり、目覚めるとまた暴れる可能性のあるザイオン中毒者の拘束に重点を置き、更なる被害の拡大防止に注力した。


 終わってみればロボス側の逮捕者はたった1名、スローターズ側に至ってはグループ構成員は皆無だった。そもそもスローターズの構成員が誰で何名ほどいるかすら、ケルビムは把握していなかった。


 主演のいない舞踏会の幕引き。

 その断音符(スタッカート)となったケルビムの小隊は、警察に事後報告を終えると、確保した者達を引き渡すことなく、自分達の駐屯地へと戻って行った。






 それから2日後の朝、早鷹ハヤタカはテーブルにビール缶がピラミッドのように積まれた自宅の寝室で目を覚ました。

 目を開けてまず飛び込んできたピラミッドを見て、早鷹は毎度のことながら自分に感心した。

 いつもなのだ。早鷹自身に覚えはないが、酔って目が覚めた後には必ずこうやって何かが積まれている。もしくは組み上げている。意識も焦点もぼやけた状態でなぜこんなことをするのかよく分からないが、マナーの悪い酔い方ではないと思うので、早鷹は気にしないことにしている。


 だがこのオブジェがあるということは、自分はアルコールを摂ったということだ。それも耐え難いほどの頭痛と、それまでの経緯をすっかり忘れるほど大量に。


「あ、起きられました?」

 リビングの方から、同僚の芦名瑞希(アシナ・ミズキ)が顔を出した。狭い2LDKで、寝室とリビングの境目は引戸があるだけだ。その女性特有の高い声は、今の早鷹の頭にはまるで怪音波のように響いた。


 早鷹は老衰しかけた象並みの鈍さでベッドから這い出ると、揺れる体を手で支えながらリビングに入った。

 自分がなぜここまで深酒をしたのか、その理由が一向に思い出せない。

「あれから全部飲んじゃったんですか?」

 芦名はキッチンで朝食の準備をしていた。コーヒーの香りと、目玉焼きの乗ったトーストとサラダがテーブルに並んでいた。しかしまず一番欲しいのは水だ。

 芦名の言うあれからがいつのことを指すのかすら思い出せない。彼女が注いでくれたコップの水を一気に飲み干す。横でゆっくり、と訴える彼女にコップを突き返し「もう一杯」と声に出して頼んだ。ようやく絞り出したその声は、自分のものとは思えないほど嗄れていた。

 芦名は何も言わず再び注いだ水を早鷹に渡した。それも一気に飲み干すと、ようやく少し落ち着いた気がした。


「大丈夫ですか?ヤケ酒は体が悲しみますよ?」

「…ヤケ酒?そもそも俺はなんで…」

 そこまで言って、向かいに座る芦名が私服であることにようやく気付いた。ゆったりとした薄いピンクのセーター。時計を見ると10時に迫る時間であり、完全に遅刻だ。しかし芦名は呑気にコーヒーを飲んでいる。それをぼうっと見つめていると、早鷹にもようやくこうなる前の記憶が戻ってきた。


「…そうか、謹慎だったな」

「はい」何故かにっこり笑って芦名が言う。

「…そのわりにやけに機嫌が良いじゃないか。何かいい事でもあったのか?」

「そうですね。例えば、今のこの状況とか」

 満面の笑みで答える芦名に早鷹は呆れた。


「前向きだな、おまえ」




 原因は早鷹の暴挙にあった。

 2日前、ギャング抗争の尖端を追って中央区に入った早鷹は、その現場で同じく北嶺から急行したケルビムの小隊と鉢合わせた。


 それがまずかった。


 ケルビムの連中はサイレンを鳴らす車から降りた自分を見もしない。だがそれは早鷹も同じだった。何故ならその視線の先には両ギャングが今まさに争っている現場があったからだ。両グループは交差点の中央付近で激突しており、その周囲を動きの取れなくなった一般車両が囲むように立ち往生していた。そして早鷹が馬鹿呼ばわりする、目的の人物もそこにいた。


三城威織!(ミキ・イオリ)

 喧しく鳴らされるクラクションの音をかき消すほどの大声で怒鳴る。その名を呼ばれて振り返った爆発したような髪型の少年は、早鷹の姿を認めて目を丸くした。


「そこを動くな!」

 言い終える前に走り出す。しかし対する三城威織の動きも早かった。周囲にいたスローターズの雑魚どもを瞬く間に倒すと、他の白い悪童と共に退散を始めた。

 停車中の車の間を縫って、或いは飛び越えて建物の隙間へバラバラと消えて行くメンバー達。彼らを無視し、三城威織ただ1人の逃げる先を見据える早鷹の前進を、何故かケルビムの1人がその身で阻んだ。


ステイバック!(下がれ)

 そしてあろうことか照準の先に早鷹を捉え言い放った。


 意味不明だ。これが奴らの協力関係か。


 早鷹は歩を止めず、逆に一気に踏み込んで銃口を潜った。そしてその勢いのままに邪魔な兵士を殴り飛ばした。


 爆音と言っていい音が轟く。


 宙に舞った兵士を見ることなく走り抜ける早鷹は、他の兵士が気付きこちらへ近づくのを見た。それを無視して入った路地には誰の姿もない。


 駆ける足音は聞こえた。しかしそれは早鷹の頭上、それもかなり上方からだった。


 見上げるとゆうに50mはあろうかというビルを垂直に駆け上る三城威織が見えた。彼はまるでビルの壁が平地であるかのように二本の足で駆け上っていた。


「威織!」

 呼んだ相手は振り返ることなくビルの屋上から、横に“落ちる“ように視界から消える。早鷹は舌打ちし、その方向に向かおうとした。ビルの残り三方のどこから逃げるか、いや、ひょっとすると中に入ってやり過ごす可能性もある。


ホールドアップ(手を上げろ)


 しかしその追跡は背後からの警告で叶わなかった。同時に銃を構えるいくつもの金属音。振り向くと黒いボディアーマーとマスクを装着したケルビムの小隊が早鷹に銃を向けていた。


「悪ガキ共を追わなくていいのか」

 振り返り、手を挙げながら早鷹が言う。連中は自分が到着した時に車のランプとサイレンに気づいただろうが、念の為QPDAに資格を表示し、相手によく見えるよう掲げた。

「別の小隊が追跡している。それよりも今はお前の方が驚異だ。一体何をした?素手で重武装の兵士が宙を舞うなど考えにくい」

 意外にもこの国の言葉で返された答え。

「ちょっと仕事の邪魔だったから退いてもらっただけだ。お前らこそ協力関係の相手に銃を向けるとはどういう了見だ」

 後ろで銃を構える兵士達が小声で囁き合うのが聞こえる。早口な英語ではあるが、早鷹にも部分的に聞き取れた。その中の一つに聞き慣れない単語が混じる。

「この男、例の“インカーネイター“なのでは…?」

「その呼称は出すな」

 短く、だが鋭い叱責で内輪の会話を終えると、隊長と呼ばれた兵士は早鷹に向き直り、掲げたQPDAを見ながら告げた。

「ともかくこの妨害行為はお前の上司に報告させてもらう。所属と名前を教えろ。それでこの場は引き下がる。確かに警察官に銃を向けたことは我々の失点でもある。」

「…好きにしろ」


 早鷹はケルビムの隊長に端末を投げ渡した。既に三城威織は遥か彼方に逃げ去っているだろう。その時点で早鷹はこの状況への関心を失っていた。


 早鷹のIDを確認した隊長から端末を受け取ると、両者は無言で別れた。ケルビムの小隊は早鷹が車に乗り込むまでずっと照準を外すことはなかった。その姿はまるで自分に怯えているように早鷹には感じられた。


 …インカーネイターってのはなんだ?


 それは自分のこの常軌を逸した“能力“と密接に関係があるだろうと思ったが、聞いたところであいつらが教えてくれるとは思えなかった。


 結果単なる徒労に終わったギャング抗争の翌日、早々に早鷹は上司に呼び出され散々に叱責を受けた後、無期限の謹慎処分を言い渡された。資格IDを停止され、署を出たのはまだ午後にすらなっていない時間だった。ユピテルのハイテク技術のお陰でたった数秒で早鷹の肩書きは凍結された。


 帰り道にいつものビールを2ケース買い込んだあと、早鷹は素直に帰宅した。処分の理不尽さと、軍に対する警察の隷従とさえ言える弱腰加減に、怒りのあまり言葉もなかった。まだ日も高い時間から缶のふたを開いた早鷹は、それから気を失うように眠るまで、ずっと飲み続けた。 



 …そうだった。早鷹は自分が酔いつぶれるまでの経緯を鮮明に思い出した。そうやってアルコールに頼って忘れ去ってしまうくらいしか出来ることがなかったのだ。


 なのに、わざわざ思い出すとは。


 結局早鷹が得たものは無駄に有り余る時間とアルコールによる頭痛、そしてアルコールによらない気分の悪さだけだった。






―2―






 芦名は正直いって早鷹の謹慎を喜んでいた。


 彼女は知らないうちに歌を口ずさみながら2人分の洗濯物を畳んでいた。まともに休みを取らない人間、その2人分である。その量は一般家庭の一週間分くらいは間違いなくあった。


 その作業が苦にならない自分が本当に不思議だった。1人で暮らしている時は、家事など拷問以外の何物でもなかったはずだ。


 仕事上のパートナーになって2年。そしてプライベートなパートナーとなって半年くらい。この家で一緒に暮らし始めて、1ヶ月と少し。


 これが好意のなせる技というものだろうか。


 そんなことを考える自分に気恥ずかしい気持ちを抱きつつ、芦名は今そのくすぐったいような内心を存分に楽しんでいた。


「そういえばこうして2人で家にいるってなかったですね。というかお互い、ここにいる時間が極端に少なすぎました」

「そうだな…」

 早鷹はテーブルに突っ伏したまま無気力そうに答える。その目は久しく使った覚えのないテレビの画面をぼんやりと見ていた。午後に入ったばかりの今の時刻は大半の局でワイドショーをやっていた。やっている内容はどこも大差はない。最近話題になった事件や(ゴシップ)を時には真剣な面持ちで、時に面白おかしく話し合う著名人の姿を延々と流し続けるだけだ。そしてそこにこの街で起こった大規模なギャング抗争が取り上げられることはなかった。


「なんか不思議ですね。あんなメディアが大喜びしそうな事件があっても取り上げられないなんて」

「そりゃそうだ。こいつらはそのことを知りもしないんだから」


 上座市が閉鎖された後もテレビは問題なく視聴できた。映らなくなったチャンネルが出てきたりもしていない。SOSの声明にあった通り、受信する分には何の影響もないのだ。だがその逆は完全に遮断されている。今この街では人間だけでなく、情報すら外へ出ていくことを禁じられているのだ。


「でもSOSはどうやって“情報の片道通行“を可能にしたんでしょうか。あまり明るくない分野なんでチンプンカンプンです」

「管理者の発表によると〈ルミナス〉の補助サーバである〈フォトン〉に細工された可能性が最も高いらしい。要は今までルミナスに頼りすぎたしっぺ返しをくらってるんだ」


 閉鎖の騒動が落ち着いて、まずはじめに精査されたのがルミナスだった。上座市のシステム、そのすべてを担う都市独立型サーバはケルビムの情報局とWISE.opt(ワイズオプト)社の人間達で隅々まで確認作業が行われた。その結果判明したのは外部接続用の付随サーバ〈フォトン〉のクラックが原因であるというものだった。


「そのフォトンって、つまり何をするものなんですか?」

「ルミナスはあくまでこの都市を管理する主システムだ。機密性保持の為…他のPCなんかから弄ったりできないように完全独立化された上座市限定のサーバなんだよ。だから本来他とは繋がらず、独自のネットワークを築いているんだ。分かるか?」

「…ええ、なんとか」

 こめかみを押さえながら頭の中の整理をする。しかしテレビの配線すら理解できない芦名にはもう厳しかった。

「それを他のネットワークと互換させてたのがフォトンだ。内側にいる俺達には必要ないが、外側の奴らには記録(ログ)を送る必要があるからな。ともかく他のサーバと繋がる時は必ずすべての情報が一度フォトンを経由する。そしてその情報を検査する。まあ言ってみれば外交と検閲を同時にこなすパイプ役だ。そいつがクラッキングでやられたって事だ」

「え?え?でも今もネットに普通に繋がるじゃないですか。つまりまだそのクラックされたフォトンを経由させてるってことですか?」

 早鷹は芦名を睨む。確かに周りの言うように警官にはまったく見えない、と芦名は思った。

「お前本当に何も調べてないな、それでも刑事か伊達メガネ」

「だ、伊達じゃないです!意地悪言わないで教えてください、ちゃんと覚えますから」


 ため息をつきながら煙草に火をつけると、早鷹は本当に嫌そうに説明をはじめた。

「いいか、一度しか説明しないからな。簡単に言えばフォトンってのはルミナスの3つ子だ」

「3つ子?…それは3つあるってことですか」

「その3つ子はそれぞれ違う仕事を母であるルミナスの為に行っている。外の様子を母に伝える者、逆に母の言葉を外に伝えに行く者、そして最後の者はその2人が危ない目に逢わないように見張りをする。それぞれが役割を分担し、母の外との関係を調整していた」

「親思いの子供達ですね」


「そうだ。なぜなら母親は目が見えない。ルミナスは自分のよく知る家の中、つまりこの街のことなら何でも知っていて、盲目でも完璧に家事をこなせる。しかし外の事となるとそうはいかない。そこで子供であるフォトンは母の為に外に出て見たことを伝え、母の言葉を届け、そこに嘘や間違いがないかを確認する。3人の子供はそれを分担して行い、盲目の母を支えていた」


「すごい、童話みたいですね。それ今作ってるんですか」

「分かりやすいだろ。幼稚園児でも理解できるようにわざわざ絵本のような物語にしてやってるからな。感謝しろ」

「…はい、ありがとうございます」

 耐えろ、ここは己を殺すのだ。洗濯物を片付け終わり、早鷹の向かいに座りながら芦名は自分にそう念じた。


「ここからが本番だ。ある日その子供の1人が悪い狼に誑かされた。さて、その1人とは3人のうちの誰だと思う?」

 芦名は現状に照らし合わせて考える。頭の中にはあの気味の悪い仮面を付けた、妙に可愛らしい狼が浮かんでいる。

「えー、中からの発信ができなくなったんですよね?だったら…母親の伝言役の子じゃないんですか?」

「そこがSOSの絶妙な狙い所だった」

 煙草を取り出しながら早鷹は言う。


「実際に誑かされたのは間違いを正す役目を持つ、母に一番信頼されている子供だ。狼ことSOSはそいつに“嘘”を教え込むことで、フォトン全体の判断基準を狂わせた」

「嘘?」

「そう。母が間違っている、あるいは危険であるという“認識“を植え付けた。するとどうなったと思う?」

「えっと…騙されたのは見張り番の子ですね。母親が間違っていると思い込んでるなら……あ!そういうことですか」

 

「やっと分かったか。見張り役の子供は母親がおかしいと信じ込んでる。だから入ってくる外の情報は問題なく、今まで検閲を通る。だが母親であるルミナス側から出る方は駄目だ。刷り込まれた嘘の認識によって、すべてフォトンで止められる。これが今の状態ってわけだ」

 早鷹はちょうどそこで煙草を一本吸い終わった。

「つまり故障じゃないってことですか」

「そうなるな。おかしくなったのは検閲する基準だけ。フォトンはそれに従って処理してるに過ぎない。そのせいでせっかくの外部接続機構を取り外す決断がなかなかできないんだ。一番の謎は、その痕跡がまったく見当たらないらしいって所か」

 芦名は2人分のコーヒーを入れテーブルに運んだ。


「まあ、私達でどうなるものじゃないですね。ユピテルのノウハウを持ってるケルビムとワイズオプト社…ここに任せるしかないってことですか」

「その通り。まったく、なんでこんな話になったんだ?」

「ほんとですね。せっかくのお休みに…あっち」


 芦名も同感だった。まだ熱いコーヒーに迂闊にも口をつけ、芦名は舌を火傷した。







―3―

 

  


 


『ここでお別れしよう。それが一番いい』



 あの日の葵創祐(アオイ・ソウスケ)の言葉が蘇る。


 日常の隙間のような何でもない時間、そんな時に大抵頭を占めるのは、あの閉鎖の日の別れの記憶だった。


 学校の教室に、背原真綾(ハイバラ・マアヤ)は1人きりだった。


 晴天の昼休み、その心地よさにほとんどの生徒は校舎の外での昼食を選んでいた。上座神遙学園の中等部と高等部、その校舎の間には緑の多い中庭がある。生徒の多くがそこに集まっているのが真綾のいる2階の教室からも見えた。

 学園内の様子からは、街に閉じ込められているという窮屈な印象は感じない。むしろその状態を楽しんでいる生徒の方が多いだろう。それだけ彼ら彼女らの毎日が平和な証拠だった。



『本当にごめん。こんな訳の分からないことに巻き込んだ責任は俺にある。もっと早く言うべきだったんだ』



 ボロボロになった葵創祐のマンションのリビングで気を失った兄、背原真琴(ハイバラ・マコト)を抱えた創祐が最初に言った言葉がそれだった。


 覚えている。一言一句。自分は多分記憶力がいいのだ。最近になってそう思うようになった。


『シュウとその仲間は俺と真琴を狙っているらしい。俺達のような“怪物“を。今街で起きていることもそれに関係している。…ごめん、詳しいことは言えない』


 怪物と表現した意味はなんとなく分かった。真綾は兄と、自分達がシュウと呼ぶ先生の戦いを見ていた。人間離れした運動能力、そして光の粒子を操る2人の姿。つまり創祐も同じような能力を持っているということだろうか。


『もう迷惑はかけたくない。マヤちゃんは学園の寮に戻った方がいい。あと、後見人も名義を変えた方がいいと思うから、それはナオ兄に頼んで何とかしてもらおうと思う』


『…創祐さん、何の話を?』



 そうして告げられた、唐突な別れの言葉。珍しく自分の喋った言葉まで記憶している。それを少し離れた所から、まるで他人事のように見ている感覚。





 それも今では、ああ、そうだったと思うだけ。


 おかしなもので、記憶の中では自分の背中まで見えている。






「…あ。背原、1人か?」


 最近よく聞く声で現在に戻る。自動的に形成された笑顔で振り返ると、クラスメイトの儀依航(ヨシイ・ワタル)が教室の入口に立っていた。


 予想していた通り。


「お昼、忘れたの?」

「そうそう、よく分かったな。あれ、机の上に置いたと思ったんだけどな…」

「これのこと?」 

 笑顔のままで手に持った儀依の昼食を見せる。

「誰のだろうって思ってたんだ」

 空々しい言葉が空っぽの教室に響く。真綾は彼がランチボックスを忘れて行ったのに気付いたからこそ、友人の誘いを断りここにいたのだ。

「お、ありがとな」

 窓際にいる真綾の所まで儀依が来る。しかし昼食を受け取ろうと伸ばした手に渡すことはしない。


 こうして2人だけで話をしたかったのだ。きっとその方が彼も話しやすいだろうから。


「背原?」

「儀依くんってさ。ひょっとして危ないことしてたりしない?」

「…え?」



 暗い路地裏で顔を合わせた時から思っていた。儀依は裏側の社会の一員、少なくともそこに出入りする人間なのではないかと。

 そもそもあんな時間、あんな場所にいることがおかしいのだ。


「あー…誰に聞いた?凛さんか?それともあの刑事?」

 ばつが悪そうに頭をかく。どうやら当たりのようだ。

「そう、刑事さんから。なんかすごいね」

「いや、別に…ただ俺のやりたいことをしてるのがそういうとこだったってだけなんだけど」

 適当に話を合わせる。


 ここからが本題。


「じゃあもしかして、今ニュースに出てるギャングの人達とか知ってたりするの?」

「ああ、ロボスとスローターズ?まあ、多少は。背原もロボスは聞いたことくらいあるだろ」


 その名前をQPDA端末の地域通信(ローカル)で見た時の衝撃。あれほど聞き回っても見つからなかったスローターズの名前を、まさか公共の配信で見ることになるとは思わなかった。


「ううん、知らない。有名なの?」

「結構夜はよく見る。街がこんなになる前から割と有名な奴らだったから。でもなんか意外だな。背原、なんでそんなことに興味あるの?」


「もうひとつの、スローターズは?」

 儀依の質問を無視して尋ねる。顔はインプットされたように変わらない笑顔のまま。

「…いや、そっちはあんまり知らないな。なんか最近名が知られるようになったグループだって言ってたな」

「誰が?」

 それが一番重要なのだ。

「どうしたんだ?なんか変だぞ背原…」

 真綾の笑顔と質問のちぐはぐさに違和感を感じたのだろう。儀依は心配そうな顔でこちらを窺うように見ていた。


 唇を噛む。



 じれったい。



 真綾は何気なく接近し、儀依の襟を掴み、一瞬で体を入れ替える。


「ちょっ…!」


 相手の重心を利用した簡単な体勢の入れ替え。そのまま窓際に儀依を押し付け、空いている手でその首を掴んだ。まだ力は込めない。“いつも“と同じ、相手に対する説得力の行使。


「お願い、教えて。そのスローターズを知っている人のこと。そうしたらギイくんがしてることは黙ってるって約束する」


 考えていた通りの取り引きを持ち掛ける。笑顔はもう消えて、隠していた無表情が現れているだろう。


 もういいのだ。


 それが分かればもうこの“お芝居“は必要ない。



 どうせもうここにはいられないのだから。



「…やっぱり“そっち”の顔が本物か」


 意外な言葉。まるでこの無表情を知っているかのような儀依の口ぶり。じっと真綾の顔を見て、呟くように言葉を続ける。


「宮崎の事件に関係してることか?」


 驚いた。彼の頭の中でどう結論付けたのか分からないが、彼は自分の目的に見当がついているようだ。


 ゆっくりと頷く。


「俺が顔を出してるのは〈ピット・カンパニィ〉っていうファイトクラブ。スローターズのことはそこの主催者から聞いた。情報通だから、今頃は色々知ってるかもしれない。一緒に行って聞いてみるか」


「…一緒に?」

「宮崎の事件の犯人探しだろ?そんな危ないことを、女1人に任せられない。それに俺が間に入った方が話が早いと思う」


「手伝う気なの?どうして?」

 意味が分からない。自分も花菜も儀依と特に親しかった訳ではない。それこそそんな危険に付き合う必要はないはずだ。

 

「…見ちゃったからかな、宮崎の額の傷を。あれを見た時、これをやった奴は許せないって思った。それと…」

 儀依は真っ直ぐに真綾の目を見ながら言う。


「それと?」




「俺は多分、お前のことが好きだから」







―4― 






 儀依は頭の中ではかなり動転していた。


 とても素人とは思えない身のこなしで押さえつけられ、恐喝でもされているように喋らされている。しかも相手は大人しいと思っていたクラスメイトだ。状況に頭が付いていけていない。


 しかし、背原真綾の仮面を脱ぎ捨てたような無表情を見て、儀依は自分の違和感が間違っていなかったことを確信した。


 いつも遠くから見ていたその顔が、今は自分の目の前にある。そしてその顔が隠されていた理由に、儀依は妙に納得した。



 機械人形のような無機質さ。



 日常とは決して相容れない異質さ。それは彼女の神経が恐ろしいほどに研ぎ澄まされているせいだと思えた。

 その空気は儀依のように娯楽的に暴力を振るう者では決して放てない、本当の危険を知っている者の空気だ。もし学校でこの雰囲気を放っていたら怖くて誰も近づけないだろう。おそらく教師でさえ。


 首に当てられた細い手に恐怖が芽生える。


 しかしそれよりも、至近距離にある背原真綾の無表情な顔を、綺麗だと感じる気持ちが儀依の中で優っていた。




「何言ってるの?」

 少しも揺るがない表情で質問を続ける背原。

「思ったことをそのまま。ずっと気になってたんだ、時々見せるその顔が。なんか隠してるなって感じで、普段の顔は見せかけなんじゃないかなって」

 儀依は素直に答えた。こういう場面であるほど自分はどんどん踏み込んで行ってしまう。それが恐れを知らない幽霊殺し(ゴーストハント)という渾名の由来だ。


 背原は儀依を拘束していた手を離した。少し距離を取り、窺うようにこちらを見上げる。お互いに普通に立つと身長の差で自然とそうなった。

「ロボスとスローターズ…いや、スローターズの方か?そいつらが宮崎にあんな事をした犯人?」

「ただの手掛かり、かもしれないだけ」

 間断ない背原の返答。

「なんで警察に…あの刑事に頼らないんだ?」

 宮崎の事件の担当もしていたというあの目つきの悪い刑事は進展がないと言っていた。背原はスローターズという手掛かりの情報をあの刑事に伝えていないのか。


「信じてくれない。根拠がないし、子供の言うことなんて本気で聞いてないから。信じてもらうにはもっと“刺激“のある真実がいるの」

「刺激、か」


 背原は儀依から目を逸らさない。お互いに見合ったままだ。その目を見て、彼女が自分の言葉に重きを置いていないことに気付いた。まるでスキャンでもしているように、声の調子や体の微動から嘘や誤魔化しがないかを判断しようとしている。


 なぜだろう。あの身のこなしやこの疑い深さ。とても同年代とは思えない危険に慣れた感じ。

 勢い余って言ってしまった告白はむしろ逆効果だったかもしれない。背原からすれば自分など単なるクラスメイトの1人にしか思っていなかったに違いないし、それほど親しい付き合いでもなかったのだ。

 そう、顔を合わせれば話をすることがある程度の関係。


「案内するよ。学校が終わってからそこに」

「今からじゃ駄目?」

 躊躇いなく返ってくる応答。予めインプットされていたテキストを読み上げているような無味乾燥。

「今から?」

「時間が無いの。お願い」


 時間が無い?儀依にはそれが何に対しての言葉か分からない。

 

「連れて行って」


「…その人のやってるカフェに行こう。夜以外はそこにいるはずだから」


 背原は頷いて「帰る準備するから」と言うと儀依のランチボックスをようやく返した。荷物を持って行くということは今日はもう学校に戻るつもりはないようだ。


 背原はやたら大きな黒いバッグを肩に掛け、手に鞄を持った。その姿は家出でもするかのように見えた。

 出て行こうとする途中で、背原は教室を一度振り返った。そしてしばらく、いつもと何も変わらない教室を見ていた。


「背原?」



「うん。行こう」


 2人は教室を出た。校舎を出た。校門を出た。中庭に生徒が集まっている為、反対になる校門まで誰とも会うことはなかった。


 その間、ずっと無言。横を見ると背原は表情のない顔のままだった。


 ふと思う。


 もしかしたら彼女が笑顔になることは二度とないのかもしれない、と。







―5―







 どこに行っても人がいる。


 溢れる人々はまるで身体を駆け巡る血液だった。冷たいソフトドリンクを飲みながら、自分の前を数多くの人間が通り抜けるのを眺める。都市のメインモールである上座パラメントシティ、そのオープンカフェの席からはそれがよく見渡せた。中へと入り、そしてまた出ていく人々。

 さながらこのモールは都市の心臓といったところか。散々街の毛細血管を駆け回る毎日(サイクル)を経て、束の間の娯楽を求めてこの場所を訪れる。そしてわずかな活力を得ると、またそれぞれの通る血管(みち)へと戻っていく。それは確かに街全体を生物とした循環と言えた。


 たとえ新たに代謝をすることがなくとも。


切宮一狼(キリミヤ・イチロウ)はその人混みを見ながらそんなことを考えた。

 彼はこういう人波を眺めるのが好きだ。群れで行動する人間がいかに画一化された動きをするのかよくわかる。結局は単なる獣の一種なのだと実感する。その中から自分の“獲物“を見出すことは、切宮の趣味でありライフワークでもあった。


 最近になって持て囃される“個性”という概念が聞いて呆れる。個が重視されるようになっても、この腐る一方の血液共は“流行“という圧力に逆らえないのだ。

 同じブランドの服と似たような髪型、そして誰かの広めた食事やデザートを口にして充足を得る、飼い慣らされた人々。


 その主である“流行”とは、すなわち“情報”だった。


 人間は形ある主を崇めるのをやめて、不定形の神に隷従していることに気付いているのだろうか。



「待たせたな」

 後ろから掛けられた声にそちらを向くと、歪んだ笑みを浮かべる狗井勇吾(イヌイ・ユウゴ)の姿があった。オープンカフェのひとつ奥の席に着く。それ以上は近寄らない。代わりにQPDAを取り出し、切宮の端末を鳴らした。

 普段の寡黙な表情が一変した顔を見て、切宮は敏感に狗井の能力の発現を察した。それはつまり、彼が獲物を見つけたということと同義だ。


「だぁれに目を付けたんだ?」

 着信を取ってすぐに、嬉しくなって問い掛ける。この自分の趣味の同好者が、どんな獲物を狙っているのかにそそられた。

「わかるか?」

「お前の場合顔に出やすいからな。条件が揃っててお前が気に入る奴なんてそうそういないと思ってたよ、“猟犬”(ガンドック)

「俺もだ。運命としか思えん」


 狗井の顕現能力は他のインカーネイターと顕れ方が少し異なる。彼の能力は“嗜好”、あるいは“執着“の拡大と言えるもので、彼の抱える殺人衝動を遂行する為の能力である。


「今も彼が“見える“。彼は今捕まえた男の“事情聴取”に付き合っているようだ。もっとも彼は興味なさそうに暇をしているようだが」

 狗井は片方の口の端を吊り上げたままそう伝える。


「な、この仕事を受けて良かっただろ。趣味と実益を兼ねて楽しくお金も稼げる。俺らにとっちゃ一石二鳥だ」

「まったくその通りだ。もしも彼を捕らえる事ができれば、久し振りに“フェム・スナブ”を更新することになるぞ」

「よっぽどご執心だな、何よりだ」


 お互いしか理解不能の“趣味の話”で盛り上がる2人に、100m離れた所からでも発見できそうな巨躯の男が近づく。巨躯と言っても立派な体格という訳ではない。成人男性2人分の横幅はあるその肥満体は、パンケーキをうず高く積み上げたように重厚だった。剃り上げた丸い頭は小さく、その目は頬に食いこむサングラスでどの方向からも見えない。本来ゆったりした作りの紺色のコートが張り詰めた状態で身体を覆っていた。


「なんでこんな明るいとこで待ち合わせるんだよ。それもこんなに歩かないと行けないとこで」

 切宮をちらりと見て通り過ぎ、奥の席に座る狗井の前で立ち止まった異形の男の不満。

「警察の裏をかいてるんだよ。久し振りだな“風船男“(バルーン)

 文句を吐き出すその腹を小突いて狗井が答える。バルーンと呼ばれた肥満はすでに息が上がっていた。

「まだその辺に警察がいっぱいいるよ。黒い兵隊とかも。俺は大丈夫だけど、カマキリとチャットは来れないって」

 風船の渾名に相応しくない重そうな身体を揺らし訴える。30代半ばの外見と裏腹に、その喋り方はどこか子供じみていた。そしてその手に埋もれるように隠れていた端末を差し出す。

「はい、チャットだよ」


『悪い、俺もカマキリもまだザイオンを捌き終わってねえ。まあカマキリはいつものごとく“歩く銃刀法違反”だからしょうがねえが。こんなに在庫抱えてたら職質された時言い逃れできねえ』

 スピーカにされた端末から出る金切り声。その声は幾重にも合成された電子音で、性別年齢すべてが不正確だった。


「まあお前に半分以上任せてしまった俺も悪いな。でも売り手の方は食い付いてるんだろ?」


『当たり前よ。もうすぐ大口の客が続けざまに来る予定だ。切宮さんに言われた通り、呉羽と蔵人に売り捌く。そうすりゃ俺達のやってるママゴトみたいな戦争じゃなく、マジもんの戦争が始まるぜ』

「よし。段取りを話してくれ」


 狗井は詳細を聞くと通話を切った。そしてもう一方の自分の端末を取ると、繋いだままの切宮に対して言った。


「明日には準備が整う。そうしたらあんた達の望む、裏社会の下卑た舞踏会(マスカレード)が本格的に幕を開けることになるだろう」




「ご苦労さん。お前らも楽しめ」




 切宮はそう伝えると、用済みとなった端末を“平らげた“。そして席を立つと、待っている間に目を付けた自分の獲物の方に向かった。


 腐った血液の流れから外れた、自分の目を引いた長い黒髪の女へと。だがきっと、ご馳走というほどの価値はない。


「前菜ってところか」


 そう呟いた“人狼”は女の横に立つと、澄ました顔を被って話し掛けた。






 



   


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