1-2 quickly foxtrot
―1―
上座中央のメインモールであるパラメントシティは今日も人で溢れかえっていた。
たった数ヶ月の間に災害とテロとを経験したこの場所は、それをものともせずに営業を続けていた。当初数えるほどしかなかった開店している店も、ひとつ、またひとつと増え続け、今ではほとんどの店が通常営業に戻っていた。
唯一どうしようもないのは地下の鉄道だけだろう。トンネルの中程で爆破され、塞がったままの路線は、軍の包囲作戦でより厳重に塞がれた。今では瓦礫を利用して造られた壁で完璧に断絶されている。そこを除けば二度目の光災以前と遜色ない賑わいといえるだろう。それくらいここパラメントシティは、上座市の中心繁華街としての機能をすっかり取り戻しているといえた。
「美味いな。だけど平凡な味だ…。多分、それはチェーン店の宿命だろうな。どんなに美味しいものを作っても、皆がそれを食べだしたらその味が一般化して、いつの間にか普通になるんだ」
地上1階にある全国チェーンのレストラン。どこにでもあるこのレストランは、上座市にも例外なく市内に数店舗を構えていた。現在は外からの食材調達ができないため、すべての食材を現地調達に切り替えている。
料理の感想を述べた男は、皿の上のハンバーグにフォークを突き刺し、目の前に座る相手に掲げて見せた。
「お前、前にこの店に来たことは?」
「覚えてない」
目深にキャスケット帽を被り、サングラスをかけた小柄な人物は、コーヒーを飲みながら高い声でぽつりと返した。一見して女性特有の柔らかな物腰の人物は、なんとサングラスのまま読書をしている。
「俺は前にも来たことがある。その時もハンバーグセットを頼んだ。このハンバーグはその時の味と何も変わらない。ただ、調達先は変わってる。この上座市の食品加工会社にだ。俺が何を言いたいか分かるか?」
「知らない」
「大きく分けると二つだ。ひとつ目は、チェーン店の味は食材に左右されないってことだ。大衆に受けやすい濃いめのソースや調味料が、どこで食べても同じ味に仕上げてるんだ」
キャスケット帽の人物はハンバーグを見もしない。対する喋り続ける男もサングラスのまま食事をしていた。わざと癖を付けて整えられた髪は少し茶色がかっている。男はハンバーグを食べると味わうようにゆっくり噛み、飲み込んだ。
「二つ目は、この街の“クローン技術”は素晴らしいってことだ。この牛肉は上手い。多分誰も牛の肉だと疑わないだろう。でもそれは牛じゃない。なぜならこの街では、牛肉は“牛肉”のまま生まれてくるからだ」
「知ってるよ、覚えてるから」
「開始当初は相当な反発があったな。遺伝子配合によって試験管で量産される食物を口に入れることを、大多数の人は嫌悪したんだ。俺もそうだった。でも被災地の食生活を手っ取り早く豊かにするにはこの方法が最も理にかなっていた。結果、しょうがなく人々はその食物の複製品を口にした。そのポテトも、もちろん模造品だ」
空になったフォークで、キャスケット帽が口にしようとしたポテトを指す。キャスケット帽は気にせず口に運んだ。
「美味しいと思うか?」
「普通にね」
「当時もみんなそう思った。倫理に背くと喚いてた奴も、その味に納得した。そして一気にこの街に普及し、今もこうやって食べ続けてる」
「別に食べてお腹を壊さないなら何でもいい」
「気持ち悪くならないか?」
「なにが?」
「だよな。俺もまったく気にならない。それだけ俺達がこの街に毒されてるってことだ」
男は音を立ててフォークを投げ置いた。その様子を一瞬だけ見てキャスケット帽が呟く。
「少なくともこの街で、食べる為に牛が殺されることは無い。そう考えると別に悪いことじゃないとは思う」
「その通り。これはただの気持ちの問題だ。考えたらメリットしかない話なのかも……っと。動いたぞ」
少し離れたテーブルの男達が立ち上がるのを見て、茶髪は立ち上がりハンチング帽を被った。キャスケット帽も本を閉じ、尻のポケットに収める。二人ともダークグレイの地味な服装で、その左耳には揃いのデザインのピアスが光っていた。
合計で6人の男達は、それぞれがこの街のQPDAと呼ばれる専用端末をレジにかざし、会計を済ませていく。
会計を待つ振りをしてさりげなく後ろからその様子を見ていたハンチング帽は、最後の一人が端末をかざしながら、レジの下に小さな機器を取り付けるのを見た。
「ビンゴだ」小声でキャスケット帽に伝えると、「じゃ、先に行ってる」と言い残し、キャスケット帽はその男達の後にそれとなく付いて出た。
ハンチング帽は二人分の会計を済ませながら、その機器をそっと外し顔の近くで確認する。間違いなかった。
「目的はでっかくても、やってることは小狡いな」
そう口元を上げながら言って、証拠の品をポケットに入れると、先行したキャスケット帽の後を追った。
パラメントシティを出た男達はすぐ向かいの路地裏に入って行った。少し距離を置いて追うキャスケット帽も付いていく。時刻は夕刻で、すでに周囲は薄暗かった。
(なんでこの手の連中は路地裏が好きなんだろう…)
そんなどうでもいいことを考えながら、キャスケット帽は路地裏の曲がり角で立ち止まる。男達が止まったのが気配で分かったからだ。どうやら尾行はばれていたらしい。しかし不意を付くつもりの待ち伏せは、反対にキャスケット帽にばれていた。
「出てきたら。どうもお互いばればれだから」
溜め息と共に声を掛けてみると、そろそろと警戒しながら姿を見せる男達。顔には緊張の色が見て取れた。一番奥の男の手が懐にあるのを横目で確認する。
「女か。警官じゃないな、ガキすぎる」
「女でもないけどね」
「なに?」
「もう一人ここに来るから、詳しいことはそいつから聞いて」
「一体、なんの……」
会話を割って、奥の男が動いた。
手に拳銃を確認。不意打ちのつもりだろうが、その動きを予測していたキャスケット帽はすでに地面にいない。銃を抜いた男は構えた先に相手がいないことに戸惑う。
「何処へ行っ…!?」
その頭上に、壁を利用して跳躍したキャスケット帽が降ってきた。同時に勢いの乗った踵が男の脳天を強打する。
遅れて残りの男も動く。着地しながら回転して振り返り、二人が銃を取り出すのを確認した。残りの二人は素手のまま…二人?
「もうひとりは…?」
構えて発砲しようとした男が、後方からの一撃でキャスケット帽の前で倒れる。男達の狼狽。
「なんで乱闘になってるんだよ」
呆れ顔のハンチング帽の男。挟み撃ちの格好に男達が警戒の色合いを濃くする。
「“アオイ”、一人逃げてる。多分リーダーだ」
「なに?」
至近距離のハンチング帽、アオイと呼ばれた男に銃口が向く。手を伸ばせば届く距離。
だからアオイは手を伸ばした。
超高速。一瞬光が瞬いたかと思うと、銃はアオイの手に握られていた。銃を持っていた男の混乱。自分達の戦力があっという間に奪われて、わけがわからずに男達は動揺した。
「そこまで。あんた達、もう何もするな。別に警察につき出そうってんじゃないんだ」
「あ、あんたら、じゃあ一体何の用があるって…」
キャスケット帽の端末が鳴り出す。
「ナオ兄からだ。ちょっと行ってくる」
「乱暴はなしだぞ“マコト”」
「相手次第だよ」
マコトは着信を受けると「位置は?」と短く聞いた。わずかな通話で端末を切ると、次の瞬間には空中にいた。壁面の凹凸に足をかけながら、あっという間に建物を飛び越え、向こう側へ消えた。
呆然として見送る男達。残ったハンチング帽の男を見やると、恐る恐る質問した。
「あ、あんた達、本当に何者なんだ…?」
「反抗勢力だよ、あんたらと同じ」
そう言ってポケットから先程店で回収してきた小さな機器を取り出す。
「こいつはよく出来てる。一種の記録改竄装置だな。直前の会計履歴を残したまま、実際の支払いを無かったことにするキャッシング詐欺の道具だ。俺達の調べじゃここ一ヶ月の間で、同様の原因で違算を出した店舗が50件近くある」
「我々は詐欺を働きたい訳じゃない!我々は…!」
男の一人が誤解されるのは我慢ならないという感じで怒鳴った。アオイはそれを手で制しながら続ける。
「分かってるよ。あんたらの目的は“電子通貨のセキュリティの脆弱さを世に知らしめる”ことだろ?あと、“QPDAによって漏洩する個人の尊厳の保護”だ」
「わ、我々のサイトを見たのか…?」
「一応一通りは。でもそんな違法行為を高らかとサイトで公開してるなんて自殺行為に等しい馬鹿どもだ、というのがウチのボスの見解だ」
その言葉に男達は何も言えず黙り込む。本人達もそれを承知で行っていたのだろう。唇を噛みしめながら、男達の一人が呻くように言う。
「じゃあどうすればよかったんだ…!実証するのが一番だと思ったんだ、だから何度も繰り返しやった。でもいくら繰り返しても無能な警察すら動こうとしなかった。だから…!」
「だからサイトを作り、自分らの主張を公表した、と。本当に玉砕覚悟だったってわけだ」
振り絞るように発言した男が泣き崩れる。ほかの二人も沈痛な表情で涙をこぼす男を宥める。
「あんたらは実際その被害にあったんだな。電子通貨詐欺や、資格乗っ取りなんかの」
アオイの言葉に一層泣き出す男。その慟哭が推測の正しさを物語っていた。男達は全員30代半ば程だろう。もしかすると財産だけでなく、家族や家庭も失ったのかもしれない。
アオイは失意に沈む男達に聞いた。
「まだやる気、あるか?」
「…元々牢屋に入るくらいなら死ぬ覚悟で始めたことだ。もし見逃してくれるなら、私達全員が最後の時まで続けるだろう」
「なら、俺達と協力しないか?」
「え…?」
意外な言葉に男達が顔を上げる。
「最初に言ったけど、俺達もこの街の反抗勢力だ。あんた達と目的は違うし、多分もっと危険な目に遭う可能性が高い。ただ、相手は同じだ」
言葉もなく、考えがまとまらない様子の男達。その前にアオイはしゃがんで、男の目を見ながらその肩を掴んだ。
「一緒にこの街の管理者を気取る奴らに教えてやろう。この街のシステム、その被害者が、黙さず語るってことを」
「……黙さずに」
反芻するように繰り返す男にアオイは頷く。
「まあ、話はもっと落ち着いたところで。多分もうすぐあんたらの逃げたリーダーも……」
その時、アオイの背後の脇から、物凄い勢いで男が飛ばされてきた。男は2、3度バウンドしながら路地のゴミ置き場に突っ込み、そのまま失神して動かない。
「リーダー!」男達の驚愕の声が揃う。
「確保したよ」
男が飛んできた先から出てくるマコトと気絶した男を交互に見やり、アオイは溜め息をついて男達に向き直る。
「悪い、不器用な奴で悪気はないんだ。とりあえず移動するから、倒れた二人とあんたらのリーダーを運ぶのを手伝ってくれ。話はそれからにしよう」
―2―
上座中央署刑事課に所属する刑事、早鷹はおよそ場違いな場所にいた。時刻は17時を回る頃。目の前にそびえる中高一貫の大きな校舎を眺め、早鷹は通り魔事件の最新の被害者が出てくるのを待ち構えていた。
QPDA端末を操作し、相手の顔を表示する。最近の子供の顔など早鷹にはあまり区別がつかないが、それが事件に関係する人物なら別だ。
(しかし14のガキが賭けボクサーとはね)
まだ幼さの残る顔を見る限りではそういった悪事に手を染める人間特有の雰囲気は感じられない。気の抜けたような顔と鮮やかに脱色された、無造作を装って整えられた髪型。典型的な今どきの若者だ。
この少年が切り裂き通り魔事件の最新の被害者であり、警察に通報した張本人である。そして今までで唯一事件のセオリーから外れた例外だった。
彼、義依航は“切り裂き魔の刻印”から逃れた初めての人間である。
切り裂き魔は襲撃した相手の額に、必ず十字の傷を残した。それが怨恨によるものか自己顕示欲なのかは曖昧だが、襲撃時にある人物の名を尋ねていることから怨恨の線が強いと見られている。しかし早鷹は、それにはもう一つ別の意味合いが込められていると直感していた。
チャイムの音が鳴り、しばらくすると上座神遙学園の校門から学生達がパラパラと現れ始めた。放校の時間だった。
こうして生徒達の普段と変わらないだろう様子を見ていると、今のこの街の閉鎖やテロリストの横行など本当に起きているのかと疑いたくなる。それくらいには生徒達の解放感と活気が早鷹にも伝わってきた。
自分の生活や仕事も、大まかにいえば特に変わっていないなと思った。あんな大事件が起きた後も警察は蚊帳の外に置かれ、その対処は専ら市の管理者と、“ケルビム師団“と呼ばれるユピテル管轄の駐屯軍に委ねられていた。事件の時警察がやったことと言えば避難の誘導と呼び掛け、その後の苦情の聞き役くらいだ。
そして今も警察は蚊帳の外。市の管理者の権限が異常に大きいこの街では、本来警察の仕事であるはずの職務を半ば市が代行していた。それが自分達が“役立たず”と呼ばれる所以だ。
(そのうえ追ってた事件まで横取りされたら本当に立つ瀬がないってもんだ)
校門に足を運びながら気を入れ直す。早鷹はこの事件を軍に譲る気などなかった。それは早鷹の刑事としての意地でもあり、単純に一番長くこの事件に携わる自分の方が、より早く解決に導けるのではないかという判断でもある。
「中等部2年6組、義依航だな」
道を塞ぐように現れた背の高い男を一目見て、義依はすぐに警察の人間だと分かった。それくらい男からは公権力の持つ威圧感が放たれていた。
「話せることは制服のお巡りさんに全部話したけど」
「話が早いな。ちょっと追加で聞きたいことがあるだけだ。時間は取らせん」
「警察には同じ事を何度も聞かれるって本当なんだな。悪いけど付き合う気はないね」
男は見下ろすように義依を見ながら言った。
「これは強制聴取だ。断ればお前が“ピット・カンパニィ”の違法賭博に絡んでることを上に報告する」
物凄く凶悪な目に睨まれる。有無を言わせる気などないらしい。しかも自分が賭け試合に関係していることを知っている。
「言う事を聞いた方がいい。少し補足をしてくれるだけで知らん振りをしといてやる。悪くない取引だと思うが?」
義依は早々に抵抗することを諦めた。この手馴れた周到さは、過去何度もそういう類の連中とやり合ってきた感じだ。自分のような半端者は眼中になく、狙っている獲物、つまり“切り裂き魔”だけを目的に動いているのだろう。
ここは言う事を聞く方が無難だ。それに“切り裂き魔”については義依にも聞きたいことがあるのだ。
「病院に行った後でいい?お巡りさん。今日一応これの検診なんだけど」
左手の包帯を見せながら言った。刑事は頷きながら返答する。
「家まで送ってやる。車の中なら話しやすい。遅れたが、一応見せておく。義務だからな」
こちらに向けたQPDA端末に目の前の男の資格証明が表示される。予想通り刑事だった。
「珍しい名前だな。なんて読むの?」
「ハヤタカだ」
刑事は聞かれるのを予測していたのだろう。即答で返事をして学園の向かいの病院へ歩き出した。どうやらついて来る気らしい。
義依はひっそりと溜息をついた。
―3―
薄暗い事務所の中で、切宮一狼とデミトリィ・サン・ボルツはここのボスが出てくるのを待っていた。
その周りには暴力に慣れた感じの強面がずらりと並んでいた。皆ソファに腰掛ける二人を見張っているのだ。彼らからすれば最大限の警戒で。
奥のドアが重い音を立てて開いた。出てきたのはこの会社の社長の男だが、切宮は名前を忘れてしまった。顔だけはついさっき画像で見たので覚えている。
「…随分と態度の悪い使い走りだな。足を下ろさねえか、クソガキが」
切宮はソファに寄り掛かり、丁度いい高さのテーブルに足を投げ出していた。その顔は落ち着いているがどこか品の無い微笑を浮かべている。
「いやあ、待たされたよ組長。おっと、今の時代たしかもう組長とか言わないんだっけ?」
「俺が知るか、お前の国だろ」
横に座るボルツに聞く切宮に、ボルツは笑って返した。違いねえと言って二人して笑った。
「…呉羽の商会の使いだそうだが、なんでまたいがみ合ってるウチにお前らを寄越した?」
その言葉に切宮は手を鳴らし、「それだ!」と言った。
「それそれ、“ファーム”だ。大変だなあんたらも。厳しい管理者の目を誤魔化すために、わざわざ自分らを合法の会社に見せかけてんだってな。隠れる傘が大きくなると、その維持費も大変だそうで」
突然切宮の顔に茶色の液体が飛んできた。それは目の前の社長が自分のテーブルに置いていたグラスの中身をぶちまけたものだった。
「さっさと用件を言え!それと足を下ろせ!」
酒を浴びてアルコール臭くなった切宮は目をぱちくりさせた。その様子を見てボルツが爆笑した。社長はボルツに「黙れ!」と怒鳴り、懐から拳銃を取り出した。
「この外人は用心棒かなにかか?こんな木偶の坊に守ってもらって強くなった気分か!?」
「オイオイ、最近の日本人のマナーはなってねえな」
態度を崩さないボルツの言葉。周りの男達を見回しながら同意を求めるように言った。
「お前ら一体何しに来やがった。まさか抗争でも始めようってのか!」
いきり立つ社長が言って、拳銃を切宮に向ける。
切宮は再び手を鳴らし、「そう、それだ」と言って社長を指さした。
その顔は一転して、凶悪な殺気の籠った笑みを浮かべていた。
「ヒッ……っ!」
その顔を見た瞬間、社長は物凄い危機感に駆られ、思わず反射的に引金を引いていた。
乾いた破裂音。跳ね上がる腕。だがそれだけだった。
この近距離で外れるはずのない弾丸は、しかしどこにも痕を残さなかった。周囲の壁にも、切宮の体にも。
弾丸は何処かへと消え去った。
そしてそれを放った社長の腕も。
社長が自分の二の腕から先が無くなっている事に気付いたのは、遅れてきた激痛をようやく感じ始めてからだった。
目を見開いた絶叫。
顔に浴びた酒を拭って舐めた切宮は、それを呆然と眺める周囲の取り巻きに言った。
「おい、言ったろ。これは“呉羽商工会”の宣戦布告だ。その“使い走り”の俺達がてめえらに引導を渡しに来た。ぼやぼやしてると死んじまうぜ」
その言葉を聞いて我に返ったように、突っ立っていた男達が慌てて銃や刃物を取り出した。
「ようやく喧嘩か」
立ち上がる巨漢。それが開始の合図のように、ファームの構成員達は照準も定まらぬ内から中央の二人に銃撃を始めた。
約10秒程の猛烈な射撃音。
室内は締め切られており、あっという間に硝煙の煙で満たされていった。やがて全員が撃ち尽くした後に、荒い息遣いだけが聞こえる静寂が訪れた。
「お、おい、誰か窓を…」
「その必要はねえ」
突然物凄い大きさの何かを“齧った”ような音。
それと同時に室内の煙が一瞬でなくなった。一気に晴れる視界。そして変わらずそこにいる無傷の“使い走り”の二人。
標的の二人どころか、何百発と発射された銃弾は事務所のどこにも穴を空けることなく消滅していた。
「鉛、腕、煙…。今日のランチは最悪の組み合わせだ」
軽く咳き込みながら切宮が言った。
「よし、ここからが喧嘩だぜ」
口が開いたままの構成員の一人の前に立つ巨漢。
男が反応する前にボルツの拳が襲った。
爆光。先程の銃の火線が花火に思えるほどの圧倒的な爆ぜる光。
それはまさに爆撃のような威力で、殴った相手の上半身を粉々にした。
弾ける恐怖の悲鳴の合唱。逃げ出す男達の退路をボルツの巨体が阻み、渋い笑みを浮かべながら告げた。
「悪いがお前らは見せしめだ。観念しな」
そう言って一番近くにいた男を右手で薙いだ。それだけで男は宙を舞い、窓ガラスを破って階下へと落ちていった。
「さあ、あとは殺すだけだ。ちょっとはこの“人狼”と“不死人”を楽しませてくれよ、元ヤクザ共」
そう言ってやっと立ち上がった切宮の目は、“人狼”の異名通り野獣の輝きを帯びていた。
―4―
夕刻の上座中央病院は空いていた。基本的に外来の診療を午前で終えてしまう為、今の時刻は見舞いの者や入院患者がまばらにいる程度だ。学園の生徒はその立地から夕刻の診療が許可されている。授業の消化と通院を円滑にする為の特別措置だった。
しかしここも災害直後や洗脳事件、そしてテロの後の騒ぎ方は尋常ではなかった。まるで戦火の最中か疫病でも発生したかのように、終わりが見えない長蛇の列が出来ていたのを義依はまだはっきりと覚えている。それに比べれば今は落ち着いたものだ。
簡単に傷の経過を見てもらい、もうほとんど塞がっているとの診断を受けた。包帯も不要らしい。あれから3日でほとんど完治していることから、もともとそんなに深く刺さったわけではないことがわかる。筋肉や神経も無事だ。
しかしあの時腕を出していなかったら、間違いなく心臓付近に命中していた。そしたら自分は病院に通うまでもなく死んでいたかもしれない。
病室を出ると、腕を組んだ刑事が待っていた。
「腕は?」
「もう大丈夫だって」
「なら良かった。じゃあ送りがてら話を聞かせてくれ」
その時刑事の後ろに同じ学園の制服が通るのが見えた。広い白襟と黒のブレザーとスカートの女子制服。その顔が見知った顔であることに驚き、思わず口から名前が出た。
「背原?」
その声に向こうも振り向く。そしてその伏し目がちな目が大きく開かれるのを見た。
「ギイ君?」
背原真綾も驚いたように義依のあだ名を口にした。刑事に断りを入れて小走りに近寄る。
「お前も怪我でもしたのか?」
「ううん、わたしはお見舞い。…そっか、腕、包帯巻いてたね…大丈夫だったの?」
「ああ、もう治ったようなもんだよ」
「そう。…よかったね」
そう言って、本当に嬉しそうに笑った。まるで自分のことのように安心した顔がやけに深く心に残る。
(…ほんと、何なんだろうな俺ってやつは)
散々作ったような顔とか思っておいてこれだ。むず痒いような照れ臭い気持ちを隠すように話題を探す。
「あ、そういや背原お見舞いって言った?誰のだよ」
その話を変える為だけにした質問に背原の顔が曇る。
「……うん、花菜ちゃんの…」
「……ああ…そうか」
一気に空気が重くなった。忘れていたが長期入院中の同級生、宮崎花菜は背原の一番仲の良かった友人で、寮でも同室だった。そして先日“切り裂き魔”の質問に出てきた名前の主でもある。
黙ってしまった背原に対し、無理矢理会話を引き伸ばす為の会話を続ける。
「…あー、最近どうなの?宮崎、大分良くなったのか?もう結構長いよな」
「…もう、半年過ぎたかな。それがね、全然良くならないの。意識もないままだし、機械を外すと呼吸も危ういんだって」
「…そんなに悪かったのか」
義依は自分の級友がそんな死の淵にいた事に衝撃を覚えた。何よりそれを全く知らなかった自分自身に。その質問の軽率さに。
「お医者さんが言うにはね…花菜ちゃんの身体は、もう死にたがってるような状態なんだって。それをお母様がまだ受け入れられなくて、無理に生きててもらってる感じ」
そう言って背原は今にも泣きそうな笑顔を作った。それは誰が見ても分かる、作り物の笑顔だった。
「邪魔して悪いが、君は……」
さすがに何も言えず黙り込んだ義依の後ろにいつの間にか来ていた刑事が言った。
「…あ、あの時の刑事さん、ですよね」
「やっぱり背原君だね。その節は」
「こちらこそお世話になりました」
そう言って二人揃って頭を下げた。
「え、知り合い?」
頭を上げた刑事は、その状況に付いていけない義依に補足を入れてくれた。
「彼女の寮生の宮崎花菜さん。その暴行事件の担当をしたのは俺で、通報をくれたのが彼女だ。残念ながら事件は今も未解決のままだが、捜査はまだ続いている」
そう言って背原に視線を送る刑事の目は、まだ希望を捨てていない様子だ。背原もその視線を受け、頷いた。
「せっかくだ。花菜さんのお見舞い、俺も付き合って構わないか?…無礼だが、事件直後に一度見舞っただけだ。もちろん面会謝絶とかなら無理は言わないが」
「いいえ、花菜ちゃんも喜ぶと思います」
「あ、俺も…」
突然の刑事の提案を背原は快諾する。それに続くように義依もまた後ろめたさが拭えないまま申し出る。
背原は少し間を置いて考え、了承してくれた。
「花菜ちゃん、もしかしたらクラスの子に今の姿を見られたくないかもしれないけど…人が多い方が、花菜ちゃんのお母様も気が安らぐと思う。ありがとうギイ君」
そうして三人は上階の集中治療室に向かった。その途中刑事が身を寄せて耳打ちをしてきた。
「悪いな、急に別の用を挟んで」
「…いや、一応知った仲だし構わないけど」
背原の背後で聞こえないように話す刑事は、義依の肩に手を置くと囁くように念を押した。
「通り魔事件の話はするな。特に宮崎花菜の名を切り裂き魔が出したことは禁句だ」
思わず刑事の顔を見返した。背原の心情を考え、無駄に心配を抱かせないよう配慮しているのか。元よりそれを言う気は義依にはなかった。そもそも同姓同名の別人という可能性も十分有りうるのだから言わない方が賢明だろう。
看護師に挨拶をし、準備を済ませて連れだって集中治療室に入る。そこに入った瞬間、義依は空気が一変したのを感じた。
時が止まったような、澄んで凝った空気。
そこには機械と器具が繋がるベッドと、その横に座る一人の女性の姿。背原はその女性に声を掛け、二人の客を連れてきた事と、その見舞いの許可を頼んだ。その女性、おそらく宮崎花菜の母親は弱々しい笑顔で承諾するとこちらに頭を下げる。上げた顔には、もうずっとできているのだろう目の隈が濃く現れている。
「どうぞ、こちらへ」
誘われてベッドの横へ。義依は久し振りに宮崎花菜の姿を見た。記憶に残る快活な印象と、目の前の痣と包帯に装飾されたような姿はまったく重なることはなかった。
「…宮、崎」
背原の“体が死にたがってる”という言葉が思い出される。宮崎の体は半分程が包帯で覆われ、わずかに露出した肌から見える痣はどす黒く変色している。打撲が未だに治らず悪化し続けた結果らしく、体に黒い斑点模様を作っていた。土気色と、黒の斑。
やせ細り折れそうな四肢からは、それが動くところが想像できないほど力がない。むしろ僅かな呼吸で上下している胸の動きがあることが義依には信じられなかった。
「刑事さん、わざわざどうも…」
「いえ。お力になれず恥じ入るばかりです」
消えそうな声の母親と刑事の会話。刑事は頭を下げたまま上げることなく謝罪を述べ続けた。
「義依くんもありがとうございます」
何も言えなかった。義依は宮崎の姿に呑まれていた。それほどの徹底した暴力の跡が、宮崎の体に刻まれていた。それは義依の持つスポーツ感覚の暴力とは決して相容れない所業だった。
母親は刑事と名も知らぬ同級生の見舞いを喜んで、お茶の用意をしてくると言って外へ出ていった。背原も手伝いについて出た。その間刑事はずっと頭を下げたままだった。
「胸糞悪い…こんなことする奴はまともじゃない」
二人だけになり、義依は呟く。別に刑事に聞かせる気もない独白だった。
刑事は頭を上げるとベッドに歩み寄りその顔に手を当てた。そして頭を浮かせると慎重に、だが素早い手つきで包帯を解き始めたのを見て義依は驚いた。
「おい、何やってんだよ!」
「黙ってろ」
義依が止める間もなくすぐに包帯は解かれ、宮崎花菜の顔の全体が露わになる。自然と義依の視線はその顔に注がれた。
「やはり違う…だが」
宮崎の額には凄まじい十字の傷跡が額に刻まれていた。相当に深く、荒々しく付けられた刻印のようなそれを見て、義依に自分でも予期しないほどの怒りが湧き上がった。
「女の顔にこんな傷を…!」
「多分、これが“切り裂き魔”の刻印のオリジナルだ」
刑事の確信めいた呟き。
「これをやったのがこの間の“切り裂き魔”だって?」
「いや。今の“切り裂き魔”の刻印はもっと鋭いし鮮やかだ。ただ形状と位置はほぼ同じ。少なくともこの傷を知ってる奴が好んで使ってるのは間違いないようだ」
早鷹は元通りに包帯を戻しながらそう説明した。
「“切り裂き魔の刻印”を、俺はずっとどこかで見た気がしていた。それがさっき背原君を見て急に思い出してな。それを見たのがこの子、宮崎花菜の額じゃなかったかと。まさかそれが“切り裂き魔”の現れるずっと前の被害者のものだとは思わなかったよ。見逃していた」
「…つまりどういう意味だよ?」
前後関係を知らない義依にはまったく要領を得ない話である。早鷹は自分の考えを整理するついでに、ほとんど独り言のように言葉を紡いだ。
「もう半年以上前に起きた宮崎花菜の事件が、通り魔事件の始まる契機となった可能性が高い。正確にはこの十字の傷が。おそらく“切り裂き魔”は、この傷を敢えて模倣している。やはり考えられるのは“餌まき”か…」
「えさ?」
意味が分からず怪訝な義依に向き直る。
「今見たことは忘れろ。ついでに今の内に聴取開始だ。お前に聞きたいことはそう多くない」
早鷹は質問に答えず逆に義依に尋ねる。
「お前の裏社会の知り合いに、“切り裂き魔”の背丈に合いそうな奴はいるか?」
「は?いや…多分いない。そもそもそんなに知り合いがいないし、あんな小柄な奴は知らない」
「なら学校でお前があっちの世界に出入りしてるのを知ってるのは?もしくはあっち側の友人がいるか?」
「自分から言ったことはない。ただ、一緒にいる所を見られたり、伝言に使われた友達はいる。賭け試合で同年代の奴は見たことがない」
「じゃあ最後の質問だ。お前にケルビム師団と関わりのある友人はいるか?」
「…一人だけ。高等部の転校生の先輩。この街が出禁になるギリギリで転入してきた。両親が軍人だって言ってた」
「名前は?」
「フーフェイ。凜虎飛」
早鷹はその名を頭で素早く3回復唱した。いつもの忘れない為の呪いめいた習慣だった。
「協力に感謝する」
「ちょっと、まだ二人が…」
「急用ができたと言っとけ」
そう言って早鷹は集中治療室から出て行った。
「送ってくれるんじゃなかったのかよ…」
一人残された義依は刑事の去っていったドアに向かって毒づいた。そして戻って来る背原と宮崎の母親の相手をどうするかを考えた。
ふと宮崎花菜の姿に視線を落とす。頭の中に元気だった頃の宮崎の笑顔が再生された。
「…くそ…ごめんな」
義依は何が悪いかも分からないまま謝罪をせずにはいられなかった。同時にこの暴行に及んだ相手に、生まれて初めてと言っていい本当の殺意を覚えた。
―5―
上座市の北部、市民の主な居住地区である北嶺区のほぼ中央。そこは夜間に見ると真っ黒い穴ができたように暗闇で覆われている。しかしそこにはこの街の中枢を司る施設が存在していた。
通称“黒い箱”。全てが黒で覆われた、光を一切外部に漏らさない構造の建物が、この街の市庁舎だった。その中身は都市の運営を電子化する為に必要な数多の設備が敷きつめられ、一般人にとって真の意味での“謎の建造物”と化している。
四条巽はそれに並び立つ、もうひとつの黒い箱の中にいた。市庁舎と垂直に建てられ、L字型を形成する同色の建物は、四条の経営するWISE.opt社という名の会社だった。人々の大半はそれも市庁舎の一部と捉えていることだろうし、今では事実そうだ。四条は機械とケーブルが内部を埋め尽くす市庁舎に代えて、自らの会社に市長室を設けていた。
自らのPCで都市の現状報告を目で追う。そしてその推移を数値化し、予測値との差異をグラフ化したものと見比べる。
おそらく市庁舎にいる技術者、その誰かがとっくの昔に行ったであろう確認作業である。四条はそれにもうひとつ、目に見えないこれからの構想を加えて照らし合わせていた。この上座市の“都市計画”と現状を照会する行為は四条ほか数人しか出来ない。
その名前のない都市計画は、この街に常駐する4人の管理者、その頭の中の概念としてしか存在しないのだ。それが最大の漏洩防止になるというのが4人の一致した判断だった。
正直、四条は漏洩しても構わないと思っていた。その時はそれに基づき、然るべき者達が状況に応じた行動に出るだろう。しかしそれもこの都市を築く記録のひとつとなるだけだ。
どんな状況も、この街の価値を創る糧となる。
我々は基盤だけを提供する。それをどうするかは、この都市に暮らす人々が考えて構築していくだろう。
本当に、計画とも呼べない夢想の詰め合わせ。
だが、それが現実になろうとしているのも事実だ。
ふとディスプレイから顔を上げる。無駄に広いと言われる市長室の中央に、いつの間にか1人の男が立っていた。
「まるで本当の影のような訪問だな」
特に驚きもなく、苦笑いで四条は男を迎える。
「失礼。集中してらしたので、声を掛けそびれてしまいました」
黒いスーツの男は夜中だというのにサングラスをかけたままだった。黒い長髪はポニーテールのように後ろでまとめられている。その口元に張り付いた微笑が軽薄な印象を男に与えていた。
「君が来たということは、どこかに進展があったかな?」
「ええ。そろそろ仕掛けた張本人が来ますよ」
「それは楽しみだな」
四条は子供のように笑顔を浮かべ、待ちきれぬようにデスクを立った。ほぼ同時に市長室のドアが開き、真っ赤な赤毛の若者が入ってきた。
「四条、それに九龍も。ちょうど良かった、この街の表と裏の担い手が揃い踏みとは」
精悍な顔つきの若者は、その赤毛同様の熱意を発露するかのように勢い込んでいた。その顔は四条と同じくこれから先の展開に心を逸らせているのが見て取れた。
「やはり君かルカ。先陣を切るのは絶対に君だと思っていたよ。ということは西園の地下世界が次の段階への舞台というわけだ。確かに一番早く手を打つべき人々だな」
言われてルカは笑みを強くし、その燃え上がらんばかりの心情を言葉に変換した。
「その通り。SOSの協力を得て本日より状況を開始した。俺の専門分野を駆使し、経済と娯楽、その影の立役者達のアップグレードを促す」
引き継ぐように九龍隼人が補足で説明を入れる。
「ある事務所のひとつに切宮とボルツを派遣、呉羽商工会という元指定暴力団の会社の人間として、元々因縁関係にあった蔵人協同組合の構成員23名をその場で殺害。1名を伝言役として生還させました」
ルカは四条のデスクに手を乗せ、その激情を表すように前のめりの体勢で報告する。それは報告というよりも宣誓だった。
「まず最初に人が死んだ。きっとこれからもっと死ぬ。これは促進剤だ。やがて地下世界を大きな変動に導く為の小さな火種を、最もその効果が見込める場所に投下した」
四条は目を爛々と輝かせ、ただひとつだけ質問した。
「その効果がどんな作用を生む?」
「決まっている!個々人の進化だ、その助長だ!裏側には裏側なりの理想像がある!俺はそれを知っている!彼ら社会の外れ者が血を欲し、刺激を欲し、快楽を欲するのにどれほど正直かを知っている!」
ルカはその手を宙に大きく広げ、精悍な顔に満面の笑顔で宣言した。
「きっと物凄いパーティになる。汚辱と悪徳に満ちた非公式の舞踏祭だ。それが終わる頃にはこの都市の裏側は、すっかり綺麗な真っ黒になっていることだろうさ」
「…素晴らしい。黒はより黒く」
四条は子供のように心弾ませながらルカの宣誓を聞いた。
彼らにとって善悪など、目的である進化の助長の前では何の価値もなかった。