表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
機械少女と獣のロンド  作者: Noyory
1章 〜表裏/フォックストロット〜
2/24

1-1 slowly foxtrot

 





ー1ー

 





 その都市は幾つもの名で呼ばれた。


 それは変転を繰り返したこの街の価値の遍歴でもある。





 首都圏郊外の一都市、上座(カミザ)市。


 その最初の変転は光と電子によって齎された。


 近年世界各地で多発する、“光災”と呼ばれる原因不明の災害。当時まだ平凡な小都市に過ぎなかった上座市で発生したそれは、前例を覆す大規模なものだった。


 突如街に出現した、天を突く光の渦。


 それは神の御業か、悪戯か。


 神々しいと表現しても差し支えない輝きの洪水。それが去った後に残されたのは、取り返しのつかない破壊の傷痕だった。


 注釈:それは物理的な側面に過ぎず、光の本質は主に精神面で多大な影響を及ぼしていた。


 その惨たらしい惨状は、上座市に“超自然災害の被災地”、もしくは自力復興不可能の“死んだ街”という名を刻みつけた。




 次なる変転は一人の男が口火を切った代価を伴う救済によって始まった。


 男は匙を投げて動かない政府に代わり、その饒舌で得た世論を味方にして外部に援助の手を求めることを認めさせた。


 特定支援共同体〈ユピテル・コミュニティ〉への支援委託。途方もない規模の慈善団体にその復興を願い出る。


 “特定復興支援都市”としてユピテルの庇護下に入った上座市に、次々と送り込まれる物資と技術。その代替として支払われるものは情報と記録だった。


 その復興の過程、人々の暮らし、新しく試みられた技術の成果。都市の全てはモニタリングされ、細大洩らさずデータ化され、ユピテルと世界の共有する貴重な実績として提供され続けた。


 その非人道的な交換条件は賛否両論を巻き起こし、都市の置かれた状況を批判する意味で“実験都市”と囁かれた。



 それを黙らせたのは、劇的な好転。


 ユピテルの支援規模は誰の予想も超えて莫大だった。それは一都市の復興どころか、都市をまるごと作り替えてしまうのに十分過ぎるものだった。


 注釈:ユピテルとその介入を成した男は、この時既にこの都市の将来的にあるべき形を見据えていた節がある。


 急速な復興。復興を飛び越えためざましい発展。


 わずか数年での劇的な回復。いつしか技術提供の目的は、復興の為ではなく、人類の技術の進歩という目的に移行した。


 “最先端技術のデジタル都市”の誕生。かつての災害の原因だった電子は、人々の生活の基礎となった。電子の網の中に次々と詰め込まれる経済、経歴、資格、すなわち個々人の価値がオンラインの中に収められ、管理されていった。人々の払う物理的なコストは減っていき、その分電子の世界に広がりをもたらした。都市は常に最適な環境を求め、そのデザインを書き換えていった。


 結果、都市はいつの間にか世界の先端に進んでいた。


 “人類の先進都市”、“理想都市”と称賛され、その情報は常に注目を持って利用された。世界の要求に応じ、都市はその記録を公開し続けた。


 注釈;後付けにならざるを得ないが、都市の目指す形態と現在置かれた状況の奇妙な合致は、まるでこの時の為に行われた都市計画なのではないかという推測に至る。



 そして急転。


 “光災”の再来。


 しかし二度目のそれは、契機に過ぎなかった。


 


 次々と発生する事故や不可解な事件。


 その首謀とされる組織の前代未聞の破壊行為。


 物理的に、電子的に都市全体を隔離する試み。


 始まったのは、光災を遠因とする“人災”だった。




 都市はまたひとつ、新たな呼び名を冠せられた。



 “閉じられた理想都市(ユートピア)”と。






―2―


 




 穏やかな陽光に包まれた日中の街並み。そのアウトライン。

 縦横に走る都市高速(フリーウェイ)に連なる車の群れ。

 流れを少し緩慢にしているのは、日用品や食糧を山ほど積んだ配送のトラックが何台も走っているせいだ。

 超高層のビルやマンションが所狭しと建てられた足元では、スーツに身を包んだ人々が忙しく歩き回っている。仕事に追われ、取引先と会社を往復する会社員達。それは何の変哲もない、この都市の平日の風景だった。


 その中に混じる、密やかな違和感。 


 立体的に伸びる都市高速の終点、上座市と隣接する都市を連結する都市間連結道路(ランドフリーウェイ)の間に設けられた、何かを隠すような簡易フェンス。

 その先には唐突な空洞。本来なら都市と市外とを繋ぐはずの道路が、10m程度の隙間によって途切れていた。その不自然さを誤魔化すように断面を修繕され、まるで最初からそうだったというように見た目だけは整えられていた。それは一箇所だけでなく、すべての外部への道でも同様だった。袋小路となった道の上を走るのはこの都市に住まい、この都市の中を移動する住人だけ。それ以外の者が入ることも、また逆に中の者が出ていくこともできない、今では自由な道(フリーウェイ)とは名ばかりのものとなっていた。


 地上では市の境目に門番のように兵士が配置されている。即席で建てられた簡易な詰所。何十箇所にも及ぶ街の出入口、その全てに同じ光景が見られた。付近には地中から爆破したような、めくれ上がった破壊の跡が出来上がっていた。今も修繕中で、軍服姿の作業員が瓦礫や土砂を取り除いている姿が見られる。明らかにこの国の人間ではない異国の顔ぶれ。彼らはこの国では目にすることすら稀な、銃器によって武装していた。様々な国籍の人間が混合した一個小隊。その姿はただそこにいるだけでそこが通行不可能であると雄弁に語っていた。

 しかしそれは、この街の住人達の日々の生活や仕事を営むのに何の差し障りもなかった。物資は充分に“自給自足”され、収入源である仕事に関しても、人々は今まで通りに行えていた。



 ただこの都市から出られないだけで。



 現在の上座市の状況を一言で言い表すなら、陸の孤島という言葉がぴったり当てはまるだろう。

 ほんの1ヶ月程前、都市は混乱の極みだった。災害後、市の復興を担った特定支援共同体〈ユピテル・コミュニティ〉の在り方に反旗を翻した〈シルエット・オブ・シルエット〉、略的にSOSと呼ばれる対抗組織の標的にされた為だ。


 得体の知れない謎の組織の行動は上座市と世界を切り離した。電子回線の妨害工作、それと同時に行われた街の要所での破壊工作。市外にアクセスする全ての道を爆破することで、SOSは一夜にして上座市の外との繋がりを物理的、電子的に絶つことに成功した。


 SOSの代表を名乗る者の言葉。

「我々はあなた達の影。背後と闇から支援する」


 この街の人間すべてがその言葉を聞いた。すべての市民が持つ携帯端末(QPDA)を通して。

 そして見た。人々の影から立ち上ったように現れた、無数の仮面の男の姿を。その不可解で気味の悪い演出が、このSOSなる組織も閉じられた街の内側に、もしかすると常に背後にいることを強烈に印象付けた。


 それきりSOSは沈黙を続けている。しかし市民は不安に怯えた。社会に反する集団が同じ街にいれば当然だろう。何をしでかすかわからない上、自分達も出ることは叶わないのだ。

 報道による一説では、街の人口の一割に上る人数がその組織の構成員だと噂されもした。人々は恐怖と疑心暗鬼に陥り、一時的に外出する者が極端に減った。



 その渦中で発信された管理者―この街の市政を司る者をそう呼ぶ―の側からの声明。それはやはり市民全員が所持を義務付けられた携帯端末(QPDA)にアップロードされた。



 その内容は、状況の“肯定”だった。



『我々は何も恐れることはない。確かにこれほどの大規模テロによる不意打ちは予想を超えたものであったことは認めざるを得ない。しかしこの状況も、ユピテルと我々管理者が築き上げたこの都市、上座市のシステムの許容範囲を超えるものではない』


 そう前置きして始まった、市長である四条巽(シジョウ・タツミ)の名で発信された声文。その要点は抜粋すると次のようなものである。


『反対組織の暴挙は遺憾であるが、そもそもこの都市を外部から隔離する措置は、上座市の目指す形態(コンセプト)を前進させるものであり、決して後退とはならない。実際に生活を送る皆様は既に承知のことだろうが、どうやらSOSなる集団はその事には無知だったようだ。ここがただのハイテク技術の進んだ都市ではなく、一都市にして完結する万能都市(ユニバーサルシティ)として設計されている事実を』


 それはこの都市に掲げられた理想を述べていた。

 

 孤立無援(スタンドアローン)の状態で自律できる〈万能都市〉(ユニバーサルシティ)


 それが再建不可能とまで言われた災害を踏襲した、上座市の理想とする形態(コンセプトモデル)だった。最新鋭の技術もそれを実現する要素の一つでしかない。一都市にして完結するよう設計されたライフプランは、さながら国家の縮図だった。

 事実、外部との接点を失っても市民は目立った損害を受けていなかった。この街の東側、東雲(シノノメ)区と呼ばれる商業地域には、およそ生活に必要となるあらゆる産業が詰め込まれている。食品、衣料、日用品、最新の電化製品。その全てがこの上座市で生まれた新規企業で製造、加工され、ユピテルの技術委託を得ていずれも大手に匹敵する利益を誇っている。

 その注目すべき点は、いずれもローカルの域を越えていないことにある。業績は全国に名を連ね、その実どのメーカも上座市の外に取引先を持たない独占企業ばかりなのである。当然就業者も100%に限りなく近く市民で構成され、仕事にあぶれる者が出ることもない。


 つまり市外への道が閉ざされても、市民は今までと変わらない生活が営める骨子を、上座市は既に創っていたというわけだ。それが四条ら管理者とユピテル・コミュニティが求める新しい都市の形、半国家としての理想像(エイドロン)だった。


『これから先も皆さんが生活に困窮することは有り得ないと約束しましょう。我々が普段通りの暮らしをしている間に、頼もしい外国からの“友軍”がすべての問題を解決してくれると確信しています。彼等は一個師団、約3万名もの人員でこの問題に臨んでくれるそうです。次世代のシステムを闇雲に否定する、時代に取り残された集団など造作もなく排除してくれるでしょう』


 四条の誘導。

 危機、危険といった言葉をわざと避けた言い回し。事態はそんなに大したことじゃない、すべて我々の掌中に収まっていると言いたげな語りかけだった。


 ユピテルの軍事共同体。普段は自国の軍に所属し、有事の報せを受けた場合にそこから分離され、最優先でユピテルの為に動く軍隊の中の義勇軍(ボランティア)。世界中に散らばり、いつでも集結できるその一個師団が、SOS対策の為、都市の中に駐屯していた。その途方もない動員数は、不安がる市民に説得力を持って受け取られた。


『このテロリスト達が外部に逃走できぬよう、現在軍による包囲作戦が行われています。その為外部への出入りは一時的に制限されます。しかし、これは“無償”で最先端技術の提供を受ける我々の負うべき“責任”と言えます。何故なら彼等の狙いは、この都市とユピテルの持つシステム、つまり我々自身なのですから』


 四条の誘導。

 “無償”で得た今の満足のいく生活。それがあたかも罪であるかのように、市民に“責任”という言葉で植え付ける。


 そして長い声文は、最後にこう結んだ。


『どうか、今まで通りの暮らしを。皆様の平穏な生活こそが我々の存在価値の指標となる。そうやって得られたこの都市の記録(ログ)こそが、人類を次の段階(グレード)へと導く財産となるのです』


 希望と、義務を押し付けて声文は終わった。


 半信半疑だった人々も、日々の変わらぬ生活を送るうちに現状に慣れてしまった。そして閉鎖から1ヶ月が過ぎる頃には、現実と仕事に追われるいつもの毎日にすっかり戻っていった。






―3― 






 義依航(ヨシイ・ワタル)はずっと一人の女を目で追っていた。


 上座神遙学園カミザシンヨウガクエンの中等部は、午後の最初の授業である体育でグラウンドにいた。生徒達はグラウンドを規定の周回ランニングした後、グループに分かれ自分達で種目を決める。

 こういう場合、率先して動く者がいないグループはなかなか種目が決まらない。義依のグループもまとまりがなく、いまだ数人でだらだらと何か話し込んでいる。その他の周りの多くは興味を持たず、仲のいい者同士で談笑していた。


 義依はその輪の中に入らず、少し離れて隣のグラウンドを見ていた。神遙学園にはグラウンドが二つ並ぶように造られ、主に中高等部や男子女子などに分かれて使用することが多い。

 隣ではすでに運動を始めた女子のグループが多かった。こういう場合女子の方がまとまりがいいのかもしれない。義依はその中の一人を、何気なくずっと見ている。


 色白で細身、大きな瞳は伏し目がちのため切れ長のように見える。身長は学年でもかなり前の方だろう、同年代ではどちらかと言うと幼く見えるほうだ。前は平凡なセミロングだったが、最近髪を切った。前髪を目の上で切りそろえ、後ろも肩に届かない長さに揃えられている。その髪型は、彼女に前より細くなったような、よりシャープな印象を与えていた。

 彼女は友人達数人と、グラウンドの端の方で楽しそうに走り回っている。お互い追いかけ合っているような様子から、どうやら鬼ごっこをしているようだ。それがはたして体育の種目と言えるかはともかく、彼女らは楽しそうではあった。

 義依から見ると、彼女は人との間の取り方が上手い印象を受ける。浅く広く交友関係を持つ彼女は、大体同性の友人と一緒にいることが多かった。

 控えめで、誰かの後ろで隠れるように笑う、あまり目立たない女と言うのが目で追っている相手、背原真綾(ハイバラ・マアヤ)に対する義依の印象だった。


 しかし最近になって、その彼女が別人のように違和感を放つ瞬間があることに気付いた。

 同じクラスになって約半年、それなりに会話をする機会もあるが、特に親しいというわけでもない。近くにいれば話しかけることもあるという程度だ。

 しかし逆に、その一歩距離を置いたような、彼女の全体を捉えられる立ち位置だからこそ、自分がその些細な変化に気付いた理由かもしれない。


 その違和感は、彼女の表情に起因する。


 今も、また。


 周囲の視線が外れたその一瞬。


 スイッチをオフにしたように表情がなくなる。


 その、真に迫る無表情。


 それに比べると、さっきまでの笑顔のほうがむしろ偽物なんじゃないかと思える。本当は笑ってなどいないのではないかと疑いたくなる。その顔は演技じゃないのかと。でも、そんなことをする理由は思いつかない。


 背原に周囲の目が戻った時には、再び造られた笑顔が無表情を覆い隠し、他愛ない友人との会話に戻る。



「ギイ、お前また背原見てんの?」


 言われて振り返ると、自分の友人達のにやけた顔。茶化す気が満々のその顔に、義依はばつの悪い気持ちで言い返した。


「そんなんじゃない」

「まぁた、今さら隠すなって。いっつも見てんの皆知ってんだから。さっさと声掛けりゃいいじゃん」

「らしくないよなあ、“幽霊殺し”(ゴーストハント)のギイ君がこっそり覗いてるだけなんて」

「だからそんなんじゃ…はあ、もういいや」


 中途半端に伸ばした茶色い髪をかきながら諦める。言い返すのが面倒で義依は目をそらし、好奇の視線から逃れようと友人から遠ざかる。本当にそういうつもりではないのだが、こういう場合説明すればするほど被害が拡散するのは目に見えている。


「ああ、そう言えばまた来てたぞ、あの怖い人。今日は西園の方に来るよう伝えろって」

 義依は手を振って了解の合図を送る。

「なあ、あの人なんでメールとかしないの?わざわざ学校まで伝言とか、面倒じゃない?」

「アナログな人なんだよ」


 そして人一倍用心深い人だ。

 このネット環境が進んだ上座市で、そこに痕跡を残すことがどれだけ思慮の浅いことかを知っている男だ。おかげで義依は、情報化社会の名の元に行われる搾取の実態を嫌というほど知っていた。その男の生きる世界は、それが命取りになる危険を孕んでいるからこその、染み付いた用心だった。


 そんな男と毎日付き合いのある自分は、それこそ思慮が浅いんじゃないかと思いながら、義依は友人達の口笛から逃れるように授業の輪に戻って行った。







―4―






 上座中央警察署。

 街の人間から見れば“役立たず”の代名詞が集められた詰所。


 その署長室の前には軍服を着た男達がずらりと並び、中へ入ることができないように見張っている。都市の各地に配置された兵士の着るものではなく、式典などで着る礼装である。男達の胸を飾る勲章の多さから、それなりの立場の者達なのは何となく察しはつくが、ただの一刑事に過ぎない早鷹にはその価値など分かるはずもなかった。


レット・ミー・スルー(通してくれ)

 屈強な体の外国の軍人が居並ぶ前で、短髪を逆立てた頭をかきながらぶしつけにそう言った。軍服の男達が何事か言葉を返してきたが、生憎と英語ではなかったので早鷹には意味が分からなかった。

「キャン・ユー・スピーク・イングリッシュ?」

 辛抱強く英語で尋ねるが軍服は首を捻り動こうとはせず、短く聞き取れない単語を返してきた。

 しかし早鷹は、端にいる軍人がぼそりと呟くのを聞き逃さなかった。それは英語で、汚い表現で鬱陶しい日本人を侮辱するものだった。早鷹の地獄耳がそれをしっかり確認した。


「なんだ通じてるんじゃないか。通るぞ」

 そう言ってドアへと進む早鷹の進路を素早く軍人達が埋めた。手をポケットに突っ込んだまま構わず進むと、軍人達が彼の腕と肩を掴んで力を込めた。早鷹も日本人にしては背の高い方だが、軍人達の体格は厚みが違った。

 しかし早鷹は造作もなく腕を動かし、掴まれたままドアノブに手を掛ける。軍人達の表情が変わる。ほとんど全力で両手を拘束しているのに、この男が何の影響も感じていないことに驚愕していた。早鷹は腕に軍人をくっつけたままドアを開いた。


「おいきみ、何のつもりかね!」


 その姿に仰天して署長がわめく。無駄に豪華なデスクの手前の、こちらも贅を尽くした造りのソファに腰掛けて狼狽している。テーブルを挟んで向かいに座る軍服の男もこちらに顔を向けた。

意外なほど若い。


「あんたがこの街の軍隊の最高責任者?」

「そうだが、あなたは?」

 あまり自分と歳も離れていないだろう男。おそらく年下。短く刈り上げた軍ではありふれた金髪。表情の変化に乏しく、冷ややかな目をした、まだ青年と言っていい男。この男が約3万名を任された軍の指揮官であるという事実に軽い驚きを覚える。


早鷹(ハヤタカ)さん!」

 背後から忙しない足音。そして相棒の女の声が聞こえるが、署長共々無視する。腕を掴んだ奴らもそのままに早鷹は尋ねる。


「質問だ。聞いたところによると、今後俺達の仕事に茶々を入れるつもりらしいが、それは本当か?」

「そう。今日ここへ来たのも、この街の公権力を担う君達との分担を協議するためだ。主にどういった事件に我々が介入するか、といったことを」

「それで、あんたらの言い分は?」

「当然だがSOSが絡んでいると思われる事件、その全てだ。たとえ僅かな痕跡でも、その可能性があればいつでも我々が捜査権を主導できるよう取り計らってもらいたい」

 早鷹は“刑事というよりむしろ犯人”とまで同僚に囁かれる凶悪な目で若き将校を睨みつける。

「軍人が事件の捜査をする、と?」

 早鷹はしつこく腕を引っ張る男達に対し、力を抜いていなした。軍服の男達が肩透かしを食らってバランスを崩す。その隙に早鷹は滑らかに拘束から逃れていた。

「それは協議じゃなくて脅迫のように聞こえるな」

 ムキになって尚も早鷹に掴みかかろうとする男達を、ソファの男が手で諌める。

「お互いの組織規模の差を考えればそうならざるを得ない。現時点では明らかに我々の方が強力な法執行が可能だ」

「軍隊が法を執行するのか。まるで戦時下の特措法だな。ここが戦場のような言い草だ」

「ある意味ではそうだと認識している」

 流暢なこの国の言葉。その冷徹な目は、ただ事実を告げているだけという感じしかしない。


「署長?」早鷹に渋い顔を向ける上司の返答。

「レビン少将の言う通り、それが一番早い対応手段だろう。他の署からの応援も見込めない現状では、ケルビム師団との連携は絶対に必要だ。第一、これは市の管理者側からの要請でもある。我々に拒否する権利はない」

「他所からの応援を邪魔してるのもこいつらでは?」

「それは違う。これは相手の交通隔離工作を利用した包囲作戦だ。相手の戦略を踏まえた上で作戦を練るのは軍隊では常識だ」

 挑発も無駄。どこまでも冷徹な目がまっすぐに見つめ返してくるだけ。


「もうよしてください早鷹さん、これじゃただの因縁です」

 相棒の芦名の声がすぐ後ろで聞こえる。小声だが強い制止の意思。このでしゃばりな真面目女は処罰を受ける覚悟で自分を止める気だ。


 それを理解して溜息。無限に吹き出すこのレビンとかいう指揮官への不満を抑え、一番聞きたかったことだけを尋ねる。


「なぜ俺の追ってる通り魔事件が軍の管轄に入る?まさかこの事件もSOS絡みだと思ってるわけじゃあるまい」


 感情を容れないレビンの応答。

「わずかでも可能性があるなら、と言ったはずだ。関連が少しでも疑われるなら我々が関与することを認めてもらいたい」

「SOSが出てくる半年も前から始まった事件が、テロに関連していると?」

「そうだ。それ以上は機密事項で返答しかねるが」

 その言葉で溜息と共に納得する。共同捜査など望むべくもない。軍は自分達の握った事件から警察を閉め出す気だ。


「やはり対等な協力関係でないことは了解したよ」

 そう言って出ていこうとする早鷹にレビンの声。

「失礼だが、君の名前は?」


「機密事項で答えられんな」

 子供じみた反抗。分かっているが言わずにはいられなかった。


 腹の中の苛立ちを抑えながら、誰とも目を合わせずに早鷹は署長室を後にした。心の中では権力にひれ伏す署長にあらゆる罵倒をぶつけながら。




「早鷹さん!なんて無茶するんですか!」

 署内の喫煙所に相棒の芦名瑞季(アシナ・ミズキ)が乗り込んできた。その顔には怒りより驚きの方が色濃く表れていた。

「うるせえ」

 せっかくニコチンで収まりつつあったストレスを無闇にかきたてる甲高い声に早鷹は顔を顰める。

「もうこの街の軍隊との共同捜査は決まったことなんですよ?それを今更どうこう言っても何も変わりませんよ」

「だからうるせえって。俺だって最初からわかってんだよ」

 そう言って憎たらしいインテリ臭い眼鏡のレンズに指を押し付け、わざとこね回した。

「ちょっ…やめてください!指紋が付くじゃないですか!」

「煙草の方じゃなくてありがたいと思え。だがお前だって不満だろ。どう考えても俺達の事件がSOSと結びつくとは思えない。奴らに横取りされる理由が見えてこない」

「…確かにそうですけど、でも」

「だがさっきの様子だといくら無関係だといっても奴らに聞く気は無いな。むしろ自分らが指定した事件は一切合切全て頂くという感じだった」


 早鷹は別に因縁をつけたかったわけではない。相手の反応が見てみたくて少し煽っただけだ。

 共同捜査という名目で軍が自ら扱うと選別した現行の案件。その中にはおよそテロとは無関係と思われる事件がいくつも混じっていた。早鷹の担当する連続通り魔事件もそのひとつだ。

 早鷹はその捜査権に対する軍の執着を知りたかった。署長の言った通り警察への軍の介入は、市の管理者からの要請によるものだ。ひょっとすると軍の方は嫌々引き受けたという可能性もあったのだが、あの若い指揮官はむしろ率先して捜査権を欲している様子だ。そしてこちらの要請に対しては“交渉の余地なし”だ。機密事項という言葉がそれを物語っている。全ての抗言を片付ける魔法の言葉だ。


「でも本当になんででしょう。いくら人員が十分といっても、テロ関連以外に人手を割くのは無駄としか思えませんね」

「あのレビンとかいう指揮官の様子だと適当に選んだ案件ってわけじゃなさそうだ。間違いなく何か明確な目的があって選別している。テロとは関係のない何かに」

「SOS以外で……軍の目に止まる何かがあったと?」

「もしくは市の管理者にな」


 あるいは両方に関係する何か。そもそも早鷹は市の管理者と軍隊が思った以上に上手く手を取り合っていることに違和感を感じていた。


「何だろうな、この段取りの良さは……まるでこの状況が訪れる事を事前に知っていたような」

「まさか…」


 早鷹は答えの出ない思考をやめて煙草の火を消した。判断材料が少なすぎる。まだ頭で考える段階ではない。その材料を集めるのが今の自分に出来ることで、その為に何をするかは分かりきっている。つまり、いつも通り自分の仕事をするのだ。


「芦名、お前は通り魔事件の被害者をもう一度当たれ。ただし今度は質問の角度を少し変えてみろ」

 怪訝な顔を向ける芦名が聞いてくる。

「角度?…というか捜査、続けるんですか?署長や軍隊にばれたらきっと大変ですよ?」

 そう言う芦名にも先程のような必死さはない。止める気など最初からないのだ。意外と長い付き合いのこの女が、見た目よりずっと粘り強い性格であることを早鷹は知っている。

「あくまで共同捜査なんだ、文句は言えんだろう。独自に捜査するなとは言われなかったからな。いいか、考え方を変えれば、あの通り魔事件にはわざわざ軍が捜査するだけの何かはあるってことだ」

「つまりまだ私達が気付いてない何か、ですね」

「それか軍の連中に“切り裂き魔”(リッパー)、もしくは切り裂き魔の探してる相手に心当たりがあるかだ」

 言われて芦名ははっとなった。

「なるほど…そっちの繋がりの線ですか」


「今までの被害者に、軍の関係者と接触した奴がいたかどうか聞いてみろ。ただの思いつきだが調べておいて損はない。もしかしたらいくら調べても出てこなかった“キリミヤイチロウ”が、ひょっこり浮かび上がって来るかもな」






―5―






 運が悪かった。


 ほとんど素人同然の相手の、力任せに振り回した右拳が義依の顔面を捉えた。前方の照明の加減で全く見えなかった一発は、不意打ちされたに等しい衝撃を与えた。意識が飛びかけ、視界が回る。


 観衆(ギャラリー)が一斉に歓声をあげる。ほとんどワンサイドゲームだった試合が俄然熱を帯びてくる。


 そう大して広くない屋内を埋め尽くす柄の悪い連中。彼らは円形に輪を作り、中央の空間にいる二人の一挙手一投足に歓声や罵倒をぶつけ、熱狂していた。


 上座市の西部、西園(ニシゾノ)区の外れの廃工場。その中に作られた特設ブースの中。ここには街の至るところに存在する、生活の記録(ログ)を収集するカメラもない。

 二人の男の殴り合いに金を賭け、その興奮を楽しむ為に作られた秘密の娯楽施設だった。


 中央の賭けの対象者、その内の一人である義依はぐらつく視界の中で、相手の次の動きに備え身構えていた。

 しかしその次が来ない。徐々に戻ってきた視界に映ったのは、自分の拳が当たったことに戸惑う対戦相手の姿。その顔はこれまでの義依の打撃により歪んでいて、既にほとんど戦意を喪失し、足が前に出るのを拒んでいる感じだ。

 拍子抜けと同時に怒りが込み上げてくる。この相手にではなく、照明のせいとはいえあんなテレフォンパンチをもらった自分にだ。その怒りのままに突進し、形だけ構えた相手の顔面にフルスイングの右を放つ。


 瞬間、駆動する関節に電気の走る感触。後押しされるようにありえない速度に乗った拳は、叩き込んだ相手を空中で一回転させて、ギャラリーの目の前に落とした。


 今日一番の歓声が上がる。倒れた対戦相手は起き上がることなく、完全に意識を失っていた。

 飛び交い続ける歓声と怒号。義依は自分にすっきりしないものを抱えたまま円形の輪から出た。入れ替わりに次の二人が入場する。試合はやりたくなった者が進み出て、ランダムにマッチングする自由参加制である。それを見たギャラリーが、早くも新たな賭けを開始していた。



「油断大敵だな。お疲れさん」

 脱いでいた上着を差し出しながら、この闇賭博の運営者である(フセ)が寄ってくる。学園で義依に伝言を残した張本人でもある。長身だが線の細い彼は、きれいに剃り上げたスキンヘッドに、常にニット帽と縁の丸いサングラスを着用している。まさしく不審者といえるその様相は義依にマッチ棒を連想させた。別に帽子が赤いわけではないが、雰囲気というやつだろう。

「照明のせいだよ。正面にあると眩しくてろくに相手が見えやしない」

「おいおい、大手の格闘大会じゃないんだぞ。ここはただの喧嘩賭博場(ファイト・クラブ)だ。照明係のスタッフなんかいやしないし、そもそもあれも工事現場用のライトだ」

「どうりでやたら熱いと思ったよ」

 軽口を聞くうちに、少しずつ苛立ちが収まってくる。


 言いながら義依は自分の端末を確認し、送金の通知を見る。その数字は予想よりかなり少ない額だった。

「あれ、こんなもん?」

「しょうがないな、連戦連勝でオッズが偏ると、お前の相手に賭ける奴も減る。もう皆お前の強さを十分知ってるからな。まあ、もうガキだと思って馬鹿にする奴もいなくなったってことだ、喜べ」


 このクラブの賭けの方法は少し変わっている。中央の2人のどちらかにギャラリーが参加料と決まった金額(ベット)を賭ける。全員一定の金額で、その額は一試合毎に運営が決める。当てた側が外れた側の金額(ベット)の半分を均等に配当として得る。対戦者は敗者はゼロ、勝者は敗者に賭けられた額の残り半分を頂く。勝者に賭けられた金額は全額戻しだ。

 裏の賭け事としては安全な方だろう。一律の額しか払わないので大負けはないが、オッズが極端に偏らない限り大勝ちもない。玄人にはつまらない賭けだろうが、ここに集まる大半の若者達には、手軽に楽しめて刺激も得られる、一石二鳥の人気娯楽だ。そのルールを考案した伏は、“お手軽さとリピート率に重きを置いたガキどもの社交場”のルールだと自負している。


「なんか複雑だな。だいたいファイトマネーがオッズによって変わるんなら、普通勝ち続けると増えるのが当然じゃない?」

 痛いところを突いたのか、伏は少し呻いてから言った。

「ウチはお客様優先だ」「俺は客じゃないのかよ」

 即座に突っ込むと伏はニヤリとして、

「お前はウチの人気看板だよ、“幽霊殺し”」と言った。


 義依は本気で不満だったわけではないのでそれ以上追求しなかった。実際こうやって認められた暴力の場があるだけで満足だった。だから義依はこの秘密クラブで賭けに参加したことは一度もない。自分の体を思う存分動かせるだけで十分なのだ。

「しかし相変わらずすごいな、お前の瞬発力は。関節にバネでも仕込んでるんじゃないか?」

「コツがあるんだよ、コツが」


 本気を出せばもっと凄いことになるぞという言葉を呑み込む。もしそんなことをすれば気味悪がられること請け合いだ。

 義依は上着を着ながらふと思いついて言った。


「なあ、伏さん。やっぱ学校にわざわざ来るのはまずいよ。あの不審者は誰だって毎回先生に質問されてるぜ。ダチ連中の間じゃ伏さんもう有名人になってるし」

「親戚の叔父さんって言っとけ」

 笑いながら言う伏だったが、その声音とは裏腹に強い緊張を感じた。サングラスの奥の目は笑ってはいなかった。

「なんかただ事じゃない感じだな…ここ、警察にバレそうとか?」

「サツ程度ならまだいいんだけどな。ちょっと今の状況でネットに接続するのは叔父さんには怖くて無理だ」

「え、そんなヤバイの?」

「この街が出入り禁止になってから、ちょっと俺らみたいな人種には危険な状態だな。まあその原因はロボスの馬鹿どもと、のぼせ上がったスローターズの抗争のせいだろうが」


 白の悪戯小僧(ロボス)

 一昔前のカラーギャングのように、白を基調とした服に身を包んだ無軌道集団。善行も悪行もこなす自分達の欲求を満たすことが第一の無法者。義依も何度か暴れているのを見たことがあるくらいにはよく知られた集団だった。噂では裏社会の序列を無視して、相手が誰だろうが構わずに敵対する秩序破壊集団(ルールブレイカー)だ。


 対する屠殺(とさつ)集団を意味するスローターズは最近名前が上がり出したグループで、伏も大した情報は持っていなかった。最近ロボスの連中を街で見ることがないのは、裏でこのスローターズとやり合っているというのが伏の見解だった。


「こいつらが暴れてるせいで、警察や裏の連中が街ログを見張ってるんだ。街のカメラ、メールや、下手すりゃ電話まで。管理者がその気になりゃこの街だと簡単にできちまうからな。しかもこの街に居座った軍隊が警察の捜査に介入するってもっぱらの噂だ。そんな状況でネット上に足跡付けてみろ。とばっちりを食ってこっちの手が後ろに回ったら目も当てられん」


 そう言って溜息をつく伏は心底迷惑そうだった。


 伏は“ピット・カンパニィ”という自称企画会社の社長だ。今日のような喧嘩賭博(イベント)を企画し、不定の場所、日程で開催している。もちろん真っ当な職業ではない闇会社だ。

 二人は工場の裏口を出て、缶のコーヒーを飲みながら夜の外気を吸った。義依はその静けさと闇に、今聞いた場合ばかりの裏の事情を重ねた。

 夜はすべての喧騒を覆い隠す。しかしその静けさの中には昼の喧騒が内包されているのだ。けしてなくなったりはしない。そして太陽の下とはまた違った、暗闇ならではの馬鹿騒ぎが繰り広げられる。もしかすると闇の中での方が一層やかましく、活き活きと。


「そういえば航、お前“インカーネイター”って知ってるか?」

「インカーネイター?なにそれ」

 初めて聞く単語。伏も思い出したついでのように発した質問で、義依が知っているとは思ってはいなかったようだ。


「最近ちらほらと聞くようになったんだがな。主に軍人連中が喋ってるのを。それがグループなのか、個人名を指すのかは分からんのだよなあ」

「伏さん、まだ客の盗み聞きしてるの?」

 悪びれた様子もなく、伏は口元を上げる。

「最近ケルビムの兵隊さんがご来店され出してな。かなりいい情報源になってる。まさか普通のカフェに盗聴器が仕掛けられてるとは思わんだろ」


 伏は本業で日中はカフェをやっている。そしてその店内の至るところに盗聴器を仕掛けて会話を盗む情報魔だ。伏曰く、徹底的な情報管理都市に抗う、そのささやかな対抗措置だそうだ。


「バレたら銃殺されるかもだぜ」

「そうはいうがな、この街で安心などできんぞ。ここは呪われてるんじゃないかと疑いたくなる悪運が続き過ぎだ。二度の災害、テロの横行、街の閉鎖。閉鎖だぞ?街を爆破するような連中がすぐ近くにいるんだ、情報くらい持ってなくちゃあ、落ち着いて商売もできない」


「悪い大人は大変だな。ま、俺には関係ないことばっかりだ」

 そう言って義依は立ち上がり、ジーンズの尻を払った。


「俺はやりたいことができればそれでいいや」


「それが喧嘩ってのが子供らしくていいね。あとは少し女っ気がありゃあ幸せな青春だ。帰るか、未成年?」

「またやる時は連絡してよ」

「その時は叔父さんが学校訪問するさ」

 二人はそんな冗談めかした言葉で別れた。





 今日の開催地である廃工場は繁華街からかなり離れていた。その帰り道は薄暗く、人通りもほとんどない静かな通り。

 大都市ならではの空白。群衆の集合と集合の間に生まれる隙間のような通り。神経質な伏の指定した、できるだけ人とモニタに遭遇しないルート。

 きっとその薄皮一枚程度の向こうには、悪徳にまみれた者たちが利益を求めて蠢いていることだろう。義依の暴力への渇望など及びもつかない、もっと義務的な、それでいて自己欲の塊でもある醜悪な衝動に駆られた者達が。


 義依にはまだその脇道に入る覚悟はなかった。だからこの隙間の抜け道をまっすぐに抜ける。足早に。振り返らずに。それは結局、自分がまだ子供だというだけのことかもしれない。


 微かに、その道の先から悲鳴が聞こえた気がした。義依は思わず足を止めて耳をすました。


(喧嘩か?こんな暗闇で?)


 また悲鳴が上がった。今度ははっきりと、複数の男の苦痛に満ちた声が聞こえる。義依の心臓が大きく鼓動する。


 道の先から銃声としか思えない音と怒号、そして悲鳴。


 沈黙。長い沈黙。


(銃はやばいだろ…死んだ、のかな)


 義依は恐る恐る音の方向へ進んだ。こういう時に恐怖よりも好奇心が勝ってしまうのが義依の悪いくせだった。それが友人から幽霊殺しなどと呼ばれる所以でもある。

 路地の脇道からくぐもった声が微かに聞こえる。音を立てないように壁に張り付き、少しだけ顔を出しその路地を覗きこんだ。


 暗闇でよく見えないが数人の男達が倒れているのが見える。立っているのはただ一人。


 まるで暗闇に同化するように全身を黒で統一した人物。


 背後から見た姿は少し前、都市が閉鎖するきっかけとなった事件の日に見た黒い道化の姿を連想させた。目深にフードを被り、足まで届きそうなロングコートを着た姿は、闇に沈んだ都市に特化した迷彩効果を発揮している。よく見るとかなり小柄だ。手には短めの両刃のナイフ。大分目が慣れてきたようで足元に黒い拳銃が見えた。どうやら撃ったのは男達の方のようだ。


『スローターズを知っているか?』


(なんだこの声…音声変換?いや)

 よく見るともう片方の手には携帯端末(QPDA)が握られていた。どうやら機械的な声は端末で合成して作り出した電子音声を再生したものだった。


(スローターズって、さっき伏さんが言ってた連中のことか?)


 相手の男は何も知らないようで、ただ首を横に振るばかりだった。恐怖で口が聞けないのかもしれない。額からは溢れる血が零れて男の顔を濡らしていた。


(まさか殺しはしないよな…)

 そうなった場合助けに入るか、それとも先に警察を呼ぶか。義依が真剣に考え出した時、再び電子音声が聞こえた。


『宮崎花奈を知っているか?』


 耳を疑った。それは学校のクラスメイトの名前そのままだった。傷害事件に巻き込まれ、長期入院中の級友の名がなぜこんな場面で出てくるのか。


 思わず身を乗り出した拍子に何かを蹴飛ばした。鳴り響く音にコートの人物が素早く振り返った。


 その顔にも黒い覆面。それだけしか確認できなかった。完全な自分の過失に動揺が走る。

 黒い怪人は振り返ると同時にその手のナイフを投げていた。精確すぎるその投擲をよけられないと判断し、義依は左手で顔面を庇った。


「がぁっ…!!」


 予想外。痛みと共に体中に衝撃が走る。思わず漏れた声と共に全身から感覚がなくなる。


 路地に倒れ込み動かない体。近づいてくる足音を聞きながら義依は思い出していた。以前、やはり伏から聞いた裏社会の怪人のことを。


 こいつは“切り裂き魔”(ロバー・ザ・リッパー)だ。


 裏社会の人間専門の通り魔。ナイフと電撃を武器にギャングを襲撃して回る都市伝説の怪人物。


 義依は頭の中に鳴り続ける警報を聞きながら、まったく別の疑問に思考を奪われていた。


 なぜその怪人から宮崎花奈の名が出てくる?


 義依にはまったく繋がりが分からないまま、地に這いつくばった顔の前に黒いブーツが到着した。


 顎を掴まれて、顔を上に向けられた。片方の手に先程投げたナイフを握り、義依の額に翳していた。


 思わず目を瞑る。しかしいつまでもその時は来ない。


 目を開ける。黒い覆面を見る。


 怪人は静止したまま動かない。



「いっ…!」

 突然腕のナイフが引き抜かれる。次の瞬間には黒い怪人は走り去り、すぐに視界から外れる。まるで闇の中に溶け込んだかのように足音も跡形も無く消え去った。



 義依は虚ろな意識の中で、自分が見逃されたのを悟ったのはかなり時間が経った後だった。


 体はまだ痺れたままで、ろくに動かない。それでも無理矢理に身を転がし、仰向けになった。


 黒い空を見る。星も見えない、一面の黒。


 空なのかすら分からない混濁した黒。



 まるで自分の頭の中だと義依は思った。

 






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ