ふわふわな「アレ」
星屑による星屑のような童話。よろしければ、お読みくださるとうれしいです。
ひだまり童話館 第2回企画「ふわふわな話」参加作品です!
ヒュイーン
ガタタン、ガタタン
ヒュイーン――
その列車は、恐ろしいほどの速さで窓の景色を引っ切り無しに変えながら、西へと突き進んでいた。
海が見える側の、窓側の席。
半袖のパステルピンクのパーカーに、ジーンズ生地のキュロットスカート。大きめの黒いデイパックを膝に抱えながら、小学六年生の女子「ヒナノ」は、少し気難しい顔をして、窓の外をにらんでいる。
真夏の蒼さをたたえた、海と空。ほとんど、見分けがつかない。
それらは、今にもくっついて一緒になってしまいそうになりながら、彼女の目の前にまで迫っていた。
(あーあ。どうして、私一人だけで、行かなきゃならないのよ)
そんな目の覚めるような「蒼」を前にしながら、ご機嫌斜めのヒナノが、ため息をつく。どこからしているのか、先ほどから車両の中をほんのりと満たす、甘い香り。いつものヒナノならば「心躍る」はずの匂いだけれど、今のヒナノには、それも鼻について仕方がない。
ヒナノが不機嫌なのも、無理はなかった。
今、この列車で向かっている先――それは父親の単身赴任先のアパートなのだから。
これから先起こるであろう、めんどくさいことを考えると、しきりとため息が出る。
(どうせ、私に部屋の片付けを手伝わせるんでしょ!)
仕事の都合で急に来れなくなったお母さんを恨めしく思う、ヒナノ。
「これ、お父さんに渡して」
自宅を出るときに彼女は、お母さんから、黒いデイパックを手渡されたのだ。
(何が入ってるんだろ……ま、軽いからいいか)
彼女は、かわいい膝小僧の上に置かれたバックを、その十本の細長い指でぎゅっと掴み直すと、散らかった部屋の中で「のうのう」と暮らす無頓着な父親を想像して、もう一度、今までで一番大きなため息をついた。
◇◆◇
(つ、着いたわ――やっと着いたッ!)
初めての一人旅――
当然、いろんなところに神経を使い、すり減らしてしまった、ヒナノ。道半ばながら、ミッションを一つやり遂げたような、そんな誇らしい気持ちを抱えて、インターホンのブザーを押す。
「ふあーい?」
その低く間の抜けた声を聞いた途端、誇らしい気分は、吹っ飛んでしまった。
「……ヒナノよ。開けて」
「おお、よく来たな。まあ、上がれ」
予想どおり――
部屋は、散らかり放題、やりたい放題。ヒナノは、部屋に一歩入っただけで、がっくりと肩を落とした。
「ははは! これじゃ、座るところもないよな……じゃ、一緒に片付けようか」
(やっぱり……)
仕方なくデイパックを部屋の隅に置き、散らかったゴミに手を付けようとした、そのときだった。
「あ、ヒナノはさ、そこの炊飯ジャーを、洗ってくれる?」
そんなに長くない人生で、たぶん一、二を争うほどの恐ろしい一言を、彼女のお父さんが発したのだ。
(す、炊飯ジャー……あ、洗ってくれるぅ――だとぉ?)
ヒナノは、身震いした。
台所にある、その炊飯ジャーの様子を、恐る恐る、覗き見る。
特に変わった様子は無い。だが、内に秘めた「真の実力」を覆い隠したような、その静かなたたずまい。
そんなものにだまされるものか、と彼女は意を決した。
「で、いつ頃使って、そのまま?」
「一か月前。いやー、ご飯炊いたこと、すっかり忘れちゃってさ」
お父さんは、今まで見たこともないほどの屈託のない笑顔で、ヒナノに笑いかけた。
一瞬、目の前が真っ暗になったヒナノ。けれど、気を取り直して炊飯ジャーの取っ手を握る。
「えいやっ!」
ヒナノが気合い一発、蓋を開けたジャーの、底にあったもの――
それは、まさに幻想の世界。
もこもこ、ふわふわ――
赤にピンクに白に青……そして、中心の聳える、こんもりとした黒い山。そこはまさに、色とりどりの「カビ」たちの楽園だった。
これぞ炊飯器の「底力」とばかり、真夏の花火のようにもわもわと湧きあがる、カラフルな煙。
古い地下室の奥によどんでいたような臭いのする空気をまともに吸ってしまったヒナノは、白目をむいてばったりと倒れた。
「ヒナノ! おい、ヒナノ! 大丈夫かっ!」
抱きかかえるようにして肩を揺さぶるお父さんの声を何処か遠くに感じながら、ヒナノは別世界へと、出かけてしまったのだ。
◇◆◇
「起きて! 起きてよ!」
体を、揺さぶられる、ヒナノ。良かった、生きてた――ヒナノは、神に感謝した。
「もぉ! お父さんが変なことさせるから、お陰で――」
そこで、ヒナノは絶句した。
自分の眼の前にいる――いや、「ある」と云った方が正確なのかもしれない――白くてでっかい綿ぼこりのような、マシュマロのかたまりのような物体。
……先ほどの声は、どうやらこの物体が発したらしい。彼女の体は、この物体から伸びる、不思議な二本の太い糸のような腕で、支えられていた。
(一体、これはナニ? もしかして、これはグータラな父さんの成れの果て?)
「良かったぁ! 起きてくれて」
もこもこの綿毛のようなものに覆われているせいか、彼?の表情はわかりづらかった。口調からすると、どうやら喜んでくれているらしい。
「あなた、お父さんなの?」
「んな、わけないじゃん!」
ぷりぷりと怒りを体全体で表す、白いかたまり。
「オイラは、カビの妖精『かっぴぃ』さ。キミのお父さんじゃないっ」
「かーっぴ?」
「ちがーう! アクセントは、前の方の『か』にあるの! かっぴぃ!」
「あ、そう。わかった、わかった……で、そのかーっぴが、私に何の用?」
「だから、かっぴぃだって……まあ、いいや……。で、でも、ナニ言ってるんだよ! キミが、オイラを呼んだんだろ?」
「へっ? 私がアンタを呼んだんですって?」
立ちあがってしきりと首を傾げるヒナノに、かっぴぃが細い両腕を組み、説明する。
「そう――オイラたち『カビの妖精』は、赤、白、青の三色のカビの煙を同時に吸い込んだ人間だけが呼べるという、とても貴重な存在なのさ」
「そ、それなら、呼びたくて呼んだわけじゃ――あ、いえいえ――そ、そうね! 私がアンタを呼びました!」
かっぴぃの、のっぴきならぬ雰囲気を察して、ついにかっぴぃを呼んだことを認める、ヒナノ。それを聞いたかっぴぃが、弾んだ声で、言った。
「さ、じゃあ、始めようか」
「は? 始めるって、何を?」
「え?」
かっぴぃが、どこにあるのかわからない肩をすくめた。
「だってキミ、ケーキを焼きたいんでしょう?」
◇◆◇
(わ、私がケーキを焼きたい気分ですって? そうだったかしら? そういえばそんな気もするけど、なんでだろう……思い出せない……)
ヒナノが、そうやって心の中で苦しんでいる間にも、かっぴぃは、ケーキを焼く準備を進めていく。お父さんの何故かいなくなったアパートの台所の抽斗や戸棚、はたまた冷蔵庫まで開けては、がちゃがちゃと、楽しそうにやっている。
「パウンドケーキでいいよね」
勝手に、メニューまで決めている、かっぴぃ。そんなの何でもいいわ――とばかり、ヒナノはぞんざいな感じで、うなづき返す。
と、そのとき、
「だめだぁ、ふくらし粉がない」
と、かっぴぃが、どこにあるのかよくわからないクビをうなだれた。
「じゃ、どうするのよ?」
ヒナノの質問に、かっぴぃが即座に答えた。
「ふふふ……そういうこともあろうかと、きちんと考えてあるのさ」
かっぴぃは、再び「ふっふっふ」と不気味な低い声を出しながら、ヒナノの目の前で、仁王立ちした。
「オイラの体を使って、焼けばいい。ほら、パンだって、イースト菌入れるだろ? こんな『ふわふわ』なオイラの体を使えば、きっと、めちゃめちゃふわふわなケーキが出来上がるさ」
◇◆◇
それから、何回、トライしたことだろう。
どうしてケーキを焼いているのか、目的も思い出せないままに、材料をこね、かっぴぃから体の一部をもらって混ぜて、オーブンで焼く。
しかし、できるモノは、すべて「べっしゃり」と平らなケーキ。
ふわふわなケーキは、一つもできなかった。
お父さんの部屋のオーブンレンジの周りには、焼きあがった得体の知れない物体が積み上がっていった。
「ダメじゃない! やっぱりカビじゃ、全然、ふわふわになんないよ!」
ヒナノは、「匙」ならぬ「泡だて器」を、床にぶん投げた。
べん、べべん、べん……
ばねのように跳ねながら、泡だて器が白い液体を床に撒き散らした。
そんな様子を、どこにあるのかわからないが淋しげな横顔で見送った、かっぴぃ。
実のところ、何回も体の一部を提供した「カビの妖精」かっぴぃは、最初に比べると、見るからにやせ細って、小さくなっていた。
「……もう、あと、一回しか焼けないよ。もう、オイラの体がもたないんだ」
そんなかっぴぃの言葉に、ヒナノは「泡だて器」を投げた自分が恥ずかしくなった。
「わかったわ――最後のチャンス、私にちょうだい!」
やる気を出し、曲がった針金を束ねたような泡だて器を、拾いに行った、ヒナノ。
「じゃ、これが最後――」
かっぴぃは、白い綿毛のようなかたまりをおなかの辺りからちぎり取ると、ヒナノの持つボウルの中に、それを放り込んだ。
「じゃ、後は任せたよ……成功を祈る!」
かっぴぃは、綿毛が邪魔して全然見えないけれど悲しげな目をして、ろうそくの火が消えるように、そこから去っていった。
「かっぴぃ! その気持ち、無駄にしないよ!」
勢いよく、ボウルの中味を混ぜだす、ヒナノ。
混ぜる……型に入れる……気持ちを込める……そして焼く。
「さあ、どおだぁ!」
オーブンをオープン!
……けれど、焼きあがったケーキは、ぺっちゃんこ。どう見てもまずそうなケーキだった。
「いーやあぁぁ」
ヒナノが、そう叫んだときだった。
天井の方から、聴きなれた声が騒ぎ出す。
「ヒナノ! おい、ヒナノ! 大丈夫かっ!」
ヒナノはまた、自分の体が揺すられるのを、感じた。
◇◆◇
「起きろ! 起きろってば!」
体を、揺さぶられる、ヒナノ。良かった、生きてた――ヒナノは、神に感謝した。
「もぉ! かっぴぃの体、全然ダメじゃないのぉ――」
そこで、ヒナノは絶句した。
自分の眼の前にある――いや、「いる」と云った方が正確なのかもしれない――ヒゲづらで、のほほんとしたその顔付きの物体。
……先ほどの声は、どうやらこの人間っぽい物体が発したらしい。彼女の体は、この物体から伸びる、二本の頑丈な腕で支えられていた。
(一体、これはナニ? もしかして、これは生まれ変わったカビの妖精?)
「良かった! 起きてくれて」
よほど慌てているせいか、彼?の表情はわかりづらかった。口調からすると、どうやら喜んでくれているらしい。
「あなた、かっぴぃなの?」
「は? そんな、わけないだろ!」
ぷりぷりと怒りを体全体で表す、ヒゲづらの男。
「俺は、お前の親父だ。かっぴぃなんて名前じゃない。忘れたのか!」
(何だ、夢だったのか……)
そう思ったヒナノだったが、手についたケーキの粉を見て、驚いた。
(え? じゃあ、あれは本当の出来事?)
そう思った矢先、お父さんが、ぽそりと言った。
「で、何で今日、ヒナノはここに来たんだっけ?」
……。
そういえば、どうしてだっけ――
ヒナノは、一所懸命に頭を働かせてみた。そしてついに、思い出した。
「だって今日、お父さんの誕生日じゃん」
「ああ、そうかぁ」
お父さんは、皿にした左手をグーに握った右手で、ぽん、と叩いた。
「忘れてた。これ、お母さんから」
ヒナノは、デイパックの中から、お母さんが入れてくれた紙の箱をとり出す。そこから、ヒナノの大好きな、あの、ケーキの甘い匂いがした。
(あ、列車でしたこの匂い、私の荷物からしてたんだ……)
ヒナノは、プンプンと怒っていたために、そんなことにも気付けなかった自分が、何だか恥ずかしくなった。
「きっと、母さんの手作りケーキだぞ」
そういうお父さんの声を耳にしながら、ヒナノが包みを開ける。
「あっ……」
開けた中身を見て、ヒナノはまたもや、絶句。
今度こそ、やっと「ふわふわ」なモノにたどり着けると思っていたのに、どうやら旅の途中にひっくり返してしまったらしく、生クリームのショートケーキが、ぺちゃんこにつぶれてしまっていた。
「ごめん……お父さん」
しゃくりあげるように泣いてしまったヒナノの肩を、お父さんがそっと抱いた。
ヒナノが顔をあげると、お父さんの眼も、涙で真っ赤になっていた。
「ありがとうな……ヒナノ。ありがとうな……母さん」
ケーキを素手で掴み、パクパクと美味そうに口へと運ぶ、お父さん。
「うん、美味しい――ありがとう。おかげで、心が『ふわふわ』になったよ」
そんなお父さんを見て、やっと本当に「ふわふわ」なモノを見つけられたような、そんな気のする、ヒナノだった。
〈おわり〉