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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.2 ~ナナ編~
9/46

第六話「西の暴風」

   第六話「西の暴風」



『ナナ・リカントロープの記憶が戻りかけてる?』

 最悪の事件からまったく連絡を取っていなかった父親、六会忠が怪訝そうな声で唸る。

「それしか考えらない。でもそれってさ、結構マズくね?」

『ああ。下手をすれば、彼女の行動や言動一つで大スキャンダルだ』

 もし誰かがこの場にいれば、親子が揃って何を恐れているのやら、と思われるかもしれない。勿論、誰にも聞かれたくない話だったので、タケシはいま砂浜から離れた森林で一人っきりなのだが。

『こっちでも少し調べてみた。どうやらナナはお前が思ってる以上に酷い環境で育てられ、そして見捨てられたようだ』

「けったくそ悪い話だ。虫唾が走るぜ」

『とにかく、お前は引き続きナナを見張っていろ』

「ああ」

 簡潔なやり取りを最後に、タケシは<アステルドライバー>の通話モードを終了すると、生い茂る木々の一本に背を預ける。

「……盗み聞きか? 趣味が悪いな」

「ありゃ、バレちったか」

 意外でもなんでもなく、近くの木陰からナユタが姿を見せた。

「森林での隠密行動は得意だったんだがなー」

「お前の行動なんざ丸分かりだ」

 ナユタの場合は考えてる事がよく分からん割に、行動自体はかなり単純なのである。目的がわからなくても、こちらの話を盗み聞きするくらいの事は平気でやりそうではある。

 ナユタが適当な木に背を預けて言った。

「ナナちゃんのご家族は一体何をやらかしたのかな?」

「察しはついてるんだな?」

「薄々は」

「直に分かる日が来るとは思うが、いまはトップシークレットだ」

 ナユタの事は信頼しているとはいえ、これはもう信用とか信頼の外にある問題である。ナユタもそれについてはよく分かっているようで、これ以上しつこく追求するような真似はしなかった。

 だが、代わりにこんな事を訊いてきた。

「で、結局あのドラゴンは何なの?」

「あれは元々、リカントロープ家が家宝にしていた<星獣>の一体だが、気難しい事で有名な奴だったそうだ。だがアレを手懐けられる唯一の人間が一族の中に存在した。それがナナだ」

 リカントロープ家は<トランサー>という種族が大半を占める一族で、ナナ自身もその一人だった。<トランサー>とは<星獣>と心を通じ合わせ、それらを鎧として纏う事で高次元の戦闘能力を発揮する、召喚士とも違う一風変わった魔法使いなのだ。

「あのドラゴンは<光龍>と呼ばれる種族と、<装龍>と呼ばれる種族のミックスさ。<光龍>は光子だけで構成されたようなブリリアントな体を持ってて、<装龍>は鋼鉄っぽい装備を体中に備えたガッチガチの武装ジャンキーさ」

「どこ情報だ、ソレ?」

「さあな。んな事より、いま俺が話した事は他言無用だぞ。いいな」

 まだ聞きたい事は少なからずあるだろうが、ここは知的好奇心を抑えて我慢してもらおう。ナユタに情報を与えすぎると、後々余計な事まで察する可能性すらあるからだ。

 タケシは気分を切り替えるように言った。

「さーて、ナナの様子を見に行きますかね」

「……ああ」

 何か釈然としない様子のナユタを引き連れ、タケシはあの白い砂浜に戻った。


   ●


 いま自分の周囲にいる友人達一人ずつに対して、何かしらのモヤモヤを抱えるハメになってしまった九条ナユタからすれば、良い気分転換になりそうなイベントがそこにはあった。

 海で一通り遊んでいる間に論文の採点が終了し、生徒達全員は島の中央にある<星獣ファーム>に集められていた。深緑の大自然に囲まれた、まさに牧場といった風情の光景を、生徒達全員は物珍しそうに眺め回している。

 ファーム内には牛や豚や馬などの家畜型、あるいは大鷲やアルマジロなどの猛禽類やその他珍獣を模した大型の<星獣>が飼育されている。ちなみにさっきのキララは気性の難しさから、普段はファームの外に設置されている別のゲージで隔離されているのだが、ナナが近くにいると凄く大人しくなるという理由から、今回に限り他の<星獣>達同様にファームの枠内で呑気に昼寝をぶっこいている。

 島の管理人である橋良職員が、少し疲れたような顔で生徒たちに告げる。

「えー、さっき皆さんに書いていただいた論文の採点が終わりました。いまから全員にシートを返しますので、点数と他の職員の感想などには目を通しておいてください」

 こんな調子で評価付きの論文が全員に返却される。生徒達の中にはお互いの論文の点数などを見せ合って互いの力を誇示、あるいは脚色し合うといったパワーゲームを繰り広げている者達も大勢いたが、そんな事をしても後の人生には全くの無意味だと思う。

 期末テスト前に「俺全然勉強してねーわー」とかのたまいながら、返却された答案用紙に高得点が刻まれているのを周囲の友人などに見せて自分の力を誇示するのと、やっている事は大差無い。勉強してないなら補習の覚悟を持って、悲壮な顔でテストに挑むだろう。

 閑話休題。自身の答案用紙に与えられた点数を見て、ナユタが「おやまぁ」と目を瞠る。

「ナユタ君は何点だったんですか?」

「ちなみにあたしは百点だったよー!」

「それ以前に、コイツが読み書き出来るとでも?」

 自分の点数に興味津々なサツキ、ナナ、冷やかし目的でやってきたタケシが、ナユタの答案用紙を覗き込んできた。

 すると、ナナはともかく、サツキとタケシの顔から一気に血の気が引いた。

「百点中……百点……!」

「おお、あたしと同じじゃん!」

「お前、どんなイカサマを打ったんだ……?」

 特にタケシの顔が真っ青である。ざまぁみろってんだ、バーカ。

「つーか、ナナも百点か」

「こないだフェンリルの<星獣>に強制<ビーストランス>させられた時の事を書いたー」

「なるほど」

 ナナがどうして、あの時強制憑依してきた<星獣>の種類なんぞを覚えているだろうか、とはあえて訊かないでおく。タケシとの約束もある。

「ナユタは何書いたの?」

「西の戦争時代で見た事を、ちょっとな」

 自分でも忘れがちだが、ナユタは<星獣>の繁殖地であり、いまでも人間と<星獣>の対立が激しい戦争区域出身の元・少年兵である。だから<星獣>と接する機会なんぞ、そこらの下手な大人達の二倍も三倍も多い。もしかしたら、星の都学園では一番かもしれない。

 とはいえ、かつて所属していたウェスト防衛軍の男連中には負けるが。

「で、またもやイチルの姿が見えないが?」

「もう放っておいてあげましょうよ……」

 何かにつけてイチルの姿を探すナユタに、サツキが疲れたように言った。どうやら彼女もイチルのいまの心理状態については、図り兼ねるところがあるらしい。

「さっきから私とナナさんにすら目を合わせてくれなくて。タケシ君とナナさんのように、撮影シーンが過激な訳でも無いというのに」

「だから余計に気になるんだよ」

「そこー! お喋りしない!」

 喧騒の中でケイトに注意され、一応は黙る事にした。

 全員が静かになったところで、橋良が咳払いして語り始める。

「今回テストを受けていただいたのは、明日のオリエンテーションで開催する予定の<星獣レース>における出場選手を選抜する為です。各クラスから男女一名ずつ、成績最優秀の生徒が出場選手の対象になります」

 星の都学園中等部第一学年の総クラス数はAからEの五つ。各クラスから男女一名ずつで、計二名。それが五組なので、出場選手は男女五人ずつの計十人である。

 Dクラスを例にとってみれば、今回の論文で満点を獲得したナユタとナナが対象である。

「勘が良い方はって、そういう意味だったのか……」

 あの時のセリフの意味がようやく掴めてきた。たしかに総合学習での事前打ち合わせなどでそのようなイベントがあるとは聞いていたが、まさか出場選手をテストで決めさせるとは。

「これから出場選手の十人を発表します。Aクラス――」

 橋良が出場選手を発表している間、ナユタはふとある事に思い至った。

 <星獣レース>の詳しいルールはまだ知らないが、少なくともファーム、または島の中で飼育されている<星獣>による徒競走みたいなものだろう。だがよく考えてみれば、その競技自体は既に出来レースの可能性すらある。

 何故なら、ナナが出場選手に選ばれてしまったからである。

「? ナユタ、どったの? あたしの顔に何かついてる?」

 ナナが出場――つまり、あのドラゴンも一緒である。

 リカントロープ家の家宝と呼ばれる、最強のドラゴンと!

「終わった。始まる前から、終わった」

「?」

 この後、レースに使う<星獣>を選定するまで、ナユタの心が早くも諦めモードに突入してしまったのは、考えなくても当然の話なのであった。

 そんなナユタの心境を知る由も無い橋良職員は、ぱんぱんと手を叩いて言った。

「はいはい、それでは出場選手はレースで使う<星獣>の選定に当たるように。他の生徒の方も、この島の<星獣>達と、是非とも親交を深めてください」

 その言葉を最後にすると、橋良職員や他の教職員達が生徒達にファーム内には入るように促す。生徒側も最初は未知の体験におどおどするような仕草を見せるが、ナナが昼寝しているキララの所まで駆け寄ると、すぐに我先と木柵の中へとエントリーする。

 さて、ナナはレースに使う<星獣>が最初から決まってるとして、自分はどんな奴に乗れば良いんだろう。

「出来るだけ強い奴がいいな」

「いいや、ここはバランスを取って可愛い奴にすれば良いんじゃね?」

 タケシがからかうように言うが、案外それもアリかもしれない。

「いいえ、ナユタ君は雄々しくて勇壮な――そう、言うなればライオンのような気高き獣の王者に乗るべきだと私は提言致しますわ。ちょうど髪型もたてがみっぽいですし」

「いや、むしろ鳥の巣じゃね?」

「だーれの頭が鳥の巣だコノヤロー」

 サツキよ、お前は一体俺に何を求めているんだ? そしてタケシ。お前はもう黙れ。

「あ……あたしはナユタには虫みたいなのが似合うと思う。ゴキブリとか」

 いつの間に近くに来ていたイチルが、しどろもどろになって意見を出してきた。

 ……って、うぉい!

「うお、びっくりした! お前いつの間に」

「何か悪い?」

「いや……別に」

 あの写真の一件から、自分と彼女の間には妙な空気が流れていたとはいえ、彼女の方からまた歩み寄ってくるのなら、少しは羞恥心みたいなものを克服出来ているようだ。

 凄い恥ずかしかっただろうに、本当に強いな、この子は。

「……そんなにジロジロ見ないでくれる?」

「ああ……ごめん」

 しおらしく顔を赤らめているイチルが、すごく可愛く見え……いや、待て。ちょっと待て。

「そんな事よりだ。お前いま、ゴキブリみたいな奴とか言ったか? 何で俺がドラゴン相手にゴキブリで戦わなきゃいかんのだ!?」

「まだ正式にルールの発表がされてないし、もしかしたら意外な<星獣>をバディーに選ぶと良い事があるんじゃないかなー? ……みたいな?」

 もういつものイチルである。良かったのやら良くなかったのやら。

「いっそナユタがゴキブリの格好で出場すればイイんじゃね?」

 タケシがこれまた余計な事を口走る。というか、アイデアが既に支離滅裂だ。

「ナユタ君、こっちこっち」

 イチルとタケシの『ナユタ弄り』が一段落したと見るや、サツキがナユタの腕をくいくい引いて、ファームの端っこを指差してみせた。

「あんな所に小さな湖がありますわ」

「本当だ。<水棲星獣>でもおるんかね?」

 ナユタにとって唯一の心の味方であるサツキが見つけた湖は、見た目小規模ながらファーム内に配置されてるにしては広く、何より水の色がほどよく澄んでいた。体が全てアステライトで生成された<星獣>の中にも、水中の不純物などを食べる連中が数多く存在するので、もしかしたらその辺りのありがたい連中が放り込まれてるのかもしれない。

 純粋に興味をそそられたナユタが、湖の近くまで歩み寄って、水面を覗き込む。

「思ったより深そうだな。……ん?」

 水族館の水槽並に深そうな湖の中に、何やら成人男性を一回り以上大きくしたような、灰色の何かが蠢いている。全体的に流線型のフォルムで、見た目魚みたいな生物のようだが、先ほど海に秋刀魚などを狩りに行った時には見なかった種類だ。

「初めて見る生き物だな」

「イルカ型の<星獣>ですわね」

「イルカ?」

 サツキが答えた名前を反芻し、ナユタが首を捻る。

 ナユタ自身、生まれや育ちだけに、水の生き物というものをあまり見た事がない。見たといえばせいぜい食卓の上に乗っている焼き上がった魚介類か、父親が友人から借りていた料理本などに載っていた調理前の写真程度のものである。

 なので当然の事ながら、イルカという名前もその姿も、見るのはこれが初めてである。

「しかし、変わった形の魚だな」

「厳密には魚ではなく、哺乳類なのですよ」

「哺乳類? 人間と似たようなモンなのか?」

「海の中に生息しているからって、全てが魚介類という訳ではありませんわ。このイルカが特にそうでして、とても賢く、さらにはエコーロケーションという特殊な力を使えるのです」

 エコーロケーションとは、自身が発した音を反響させて受信し、対象物の形や大きさなどを把握する能力の事である。反響定位とも呼ばれており、主に一部のクジラ類やコウモリなどが使用すると言われている。

 つまり、このイルカなる生き物は、自分自身がソナーとなる力を持っているのだ。

「たしかに凄いが……<星獣>レースで使うフィールドすら教えられてないのに、下手に水中専門の<星獣>を選ぶのはリスクが高い気がするぞ。普通に空飛べる奴のが……」

 ナユタが現実的見解を述べていると、水中のイルカがようやくこちらに気づいて接近し、水面からひょっこり顔を出してきた。

 早速、ナユタとイルカの視線が、ぴったりと重なり合う。

「…………」

「…………」

 元・<星獣>狩りのスペシャリストVS温室(?)育ちのイルカ型<星獣>のにらめっこである。

「……お前、可愛いな」

「きゅいっ!」

 ナユタが試しに話しかけてみると、イルカ型<星獣>が甲高い声で鳴き、体を控えめにぴょこぴょこと上下させた。多分、可愛いと褒められた事に喜んでいるのだろう。なんて可愛らしい仕草だろう。つぶらな瞳も相まって、挙動の一つ一つで愛らしさ倍増である。

 やばい。俺いま、このイルカに新しい感情が芽生え始めている。

「俺、コイツとレース出る」

「え? さっき空を飛べるのが良いって……」

「いいや、今日からコイツは俺の相棒じゃ!」

 後にして思えば、この時の自分は本当にどうかしていた。

 まさか服も脱がなければ腕に装着したままの<アステルドライバー>も外さずに湖の中に身を投げ、自分のハートを射抜いたイルカ型<星獣>とじゃれ合い始めたのだから。

 一連のナユタの奇行を見て、さすがのイチルもドン引きしたようだが、そんな事などもう関係無い。恥も外聞も知ったこっちゃない。

 認めよう。俺の負けだ。このイルカの魅力に射抜かれた俺の圧倒的完敗である。

「よーしよし、良い子だ良い子。そーいや、お前の名前は何て言うんだ?」

「チャービルですね」

 いつの間にか湖の傍まで来ていた橋良職員が穏やかな笑みで告げた。

「料理の香り付けに使用されるハーブの名前から取りました。可愛いでしょう?」

「おお、ありがとうございます!」

「きゅぅ! きゅいっ!」

 好機嫌を通り越した異常なテンションで、ナユタとチャービルが頬ずりし合う。ナユタからは勿論の事だが、チャービル側もどうやらナユタに好意を持っているらしい。多分、これが運命の出会いという奴なのだろう。

 ナユタとチャービルの交友を見守るタケシが、苦笑いしてから言った。

「まあ、どんなルールやフィールドを使うにしても、そもそもレースに使えない<星獣>ならこの場から隔離されてる筈だし、何選んでも基本は問題無いんだよな」

「言われてみればそうだな。良かったな、チャービル」

 ナユタが頭を撫でてやると、チャービルも機嫌良さそうに唸り、身を捩らせる。

 彼らのそんなやり取りを眺めてから、橋良職員が手に持ったボードに何かを記述する。

「じゃあ、九条君がレースで使うのはチャービルに決定……っと」

 かくして、元・<星獣>狩りのスペシャリストと、アイドル性抜群のイルカ型<星獣>という異色のタッグが、ここに期間限定で誕生したのである。


   ●


「……はぁ」

 寝巻き姿のイチルが、宿泊用コテージのラウンジで一人、重苦しいため息をつく。

 タケシが悪ふざけだか先月の仕返しだかで撮影した、ナユタとイチルの仲睦まじいにも程があるツーショット写真の絵面が、どうしても脳裏からこびりついて離れてくれない。

 単純に恥ずかしいというのもある。だが、何よりも自分の横で眠っていたナユタの、あのリラックスした寝顔ときたら。いつもは呑気で、一度口を開けばあらゆる人間の緊張感を台無しにしてくれるアルティメットバカだというのに、あんな可愛い寝顔は反則中の反則である。

 たしかにナユタの事は好きだ。でも、それはあくまで「意識している」程度のモノでしかない。

 いまもこの先もずっとそれは変わらない。その筈だったのに。

「もうまともに直視できねーですよー……」

「何が?」

「のぉおおおっ!?」

 音も無く自分の真横に現れたナナを見て、イチルが素っ頓狂な声を上げる。

「い……いつの間に……びっくりするじゃん!」

「イチルちゃんこそどしたの? 何かお悩み中?」

「まあ、些末の問題ですよ、ええ」

 などと嘘を吐いてみる。大丈夫、ナナにはこの虚言と虚勢は見破られまい。

「嘘こけー。顔に出てるよー」

 ナナをバカにした自分がバカだった。

「……まあ、とにかく何でもないという事にしといてよ。代わりに、ちょっと変わった身の上話があるんだけど、消灯時間までの暇つぶしに聞いてみる?」

「おー、聞きたい聞きたい」

 ナナが興味津々のご様子である。とにかくこれで、先ほどの一件からは話題が逸らせそうで助かった。

 イチルはゆっくりと口を開いた。

「星の都学園初等部時代のお話。当時小学六年生だったあたしには、連続して二つの事件が起きていた訳ですよ」

 自分でもここまで口が回った事は、未だかつて無かっただろう。だがそれを不思議とも思わず、イチルは何も気負わずに語り出した。

 まず、六年生に進級した直後に母親が死去した事である。当時ライセンスバスターだった母親がウェスト区の難民キャンプを訪れて奉仕活動をした際に、学会でも未だ解明されていない奇病に感染し、四十前半という若さでこの世を去ったのである。しかも話はそれだけでは終わらない。

 母の治療に携わった医師の話だと、彼女は日々の多忙さから、母親らしい事をイチルにしてあげられないまま死んでいくのを許容出来なかったそうだ。だから彼女は死期を前に最後のあがきとして、自身を<アステルジョーカー>に変貌させ、イチルをデッキケースから見守るという選択をしたのだ。

 だが、彼女の願いも虚しく、<アステルジョーカー>の生成は失敗に終わった。

「<アステルジョーカー>を作れる確率は二分の一なんだって。本当はタケシが持ってる<アステルジョーカー>よりも先に№5になる予定だったんだけど、お母さんは運悪く選ばれなかった」

 イチルはデッキケースから、絵柄が汚く滲んだカードを一枚抜き出し、ナナに手渡した。

「お母さんは出来損ないの<アステルジョーカー>になって死んだって訳」

「……そうなんだ」

 ナナが寂しそうな目でカードの絵柄をしばらく眺めてから、イチルにそっと返す。

「これが身の上話の一つ目。もう一つは……恋愛の事でちょっとね」

「恋愛?」

「そ。初等部時代の五年生からね、好きな人がいたんだ」

「そーなの?」

 いままでの話と打って変わるような話を始め、ナナが目を丸くする。

「うん。優しい人でね。お母さんが死んじゃった時も、無理していつも通りに務めようとするあたしを、温かく慰めてくれたっけな」

 イチルがくすりと笑う。その仕草も、ナナからすれば寂しく見えるのだろうか?

「その子とは別に、あたしには親友だった女の子がいてね。その子も彼の事が好きで、知らない間にあたしとその子で彼を取り合ってるような状況でさ」

「三角関係ってやつ?」

「そうそう。でね、あたしも初等部が終わるまでには必ずその彼に告白しようって心に決めてたんだけどさ、お母さんが死んじゃってからそんな気が起きなくなってね。恋愛どころの話じゃなくなってきたから、彼を諦めようと思ったの。でもさ、お母さんが死んでから三ヶ月ぐらい後になって、彼の方から告白されちゃったんだ」

「なんか……タイミングが悪いっていうか……何て言えばいんだろ……?」

 ナナが上手いコメントが無いかと、必死に意識を言語中枢に巡らせているようだが、やっぱり何も浮かばなかったようで、結局はしどろもどろな反応になってしまった。

 まあ、ナナに限らず、誰だってそうなるだろう。

「変な話だよね。勿論、心の準備が足らなかった私は彼の告白を断っちゃったんだけど。でも、話はそれだけじゃ終わらなかったんだ」

「最後にはどーなったの?」

 ナナが純粋な目をこちらに向けて問う。だから、こちらも簡単に答えた。

「……あたしと彼の恋愛関係が終わったのを好機と見た親友の女の子が、彼に告白した。でも、彼はその告白を断った」

 ナナの表情と、イチルの声がさらに暗くなる。

「それからだよ。あたし達三人の関係が崩れていったのは。彼が親の都合だかなんだかでどっか遠くに転校しちゃうわ、親友だって信じてた子がその日から口を聞いてくれなくなって、初等部を修了した途端、これまたどっか遠くへ行っちゃったんだもん」

「その二人が何処へいったか、本当に知らないの?」

「先生とか、聞けそうな人には可能な限り聞いたけど、結局は分からず終い」

 一通り話し終えると、イチルが手すりから背中を離してコテージ内の部屋に歩き出し、首だけで振り返って言った。

「少しは暇つぶしになったかな?」

「正直、面白くなかった」

 ナナが少し不貞腐れた顔になる。親が死んだとか人間関係が崩壊したとかいう話に、面白かったという感想を述べる人間はまずおらなんだ。

「そろそろ消灯時間だし、早く寝よう。無駄な事に気を使ったから疲れちゃった」

「……うん」

 少し寂しそうにナナが頷いたすぐ後に、遠雷のような重く鈍い爆音が、少し遠くから聞こえてきた。

 こんな夜中に何の騒ぎだろうか。イチルとナナが同時に音がした方角へと振り返る。

「? 何だろう?」

「さあ……」

 二人は顔を見合わせ、同時に小首を傾げた。


   ●


 爆発音の根源は、サツキがタケシを一撃KOに至らしめた<バトルカード>戦術最強の攻撃だった。

「サツキお前……強すぎるだろ……!」

「あら、これぐらいはどうという事も無くてよ」

 島の中央にある総合管理棟の地下は広大なバトルフィールドとなっている。ナユタ、タケシ、サツキの三人はそこで、先日自分達に与えられた新兵器のテストプレイを実施していた。

 勿論中学一年の生徒達だけで施設の広大な一室を貸し切るのは無理な話なので、いまはケイトが監督に付いている。

「<カード・アライアンス>まで使えるとか聞いてねぇぞ」

「ええ。中等部に昇格してからは一度も使っていないですもの」

「六会君。泣き言漏らしている間に、君の黒星がドンドン増えていくぞ?」

 彼らの様子をフィールドの外で眺めていたケイトがからから笑う。

 彼の言う通り、このテストプレイでタケシがした事と言えば、せいぜい<アステルドライバー>の性能を確認したついでに、<バトル>でサツキ相手に黒星を飾る程度である。ちなみにナユタ達と知り合ってからサツキがタケシを相手に放課後の演習で戦っている姿を何度か見ているが、事実を言うとタケシは一度も彼女に勝てた事が無い。

「あなたは前衛に出て戦うのに向いていないのですよ。中衛か後衛で、その無駄に優れた頭脳をフル回転させながら味方の指揮に当たる方が余程有意義ですわ」

「カードも大体そんなんばっかだしな」

 サツキの言葉に乗っかり、ナユタも頷く。

 タケシとサツキのタイプは、戦闘においては全くの正反対である。体術や優れたカードの技巧を駆使して戦うパワー型のサツキに対し、タケシは操作の難しいカードを使いこなし、戦局を最初から最後まで優位に運ぶコントロール型である。

 一見すると優位性はどっこいのようにも見えるが、それはあくまで敵味方が入り混じる複数戦闘の場合に限る。一対一なら、明らかにサツキの方が有利だ。

「さて、今度はナユタ君の番ですわよ」

「おし。じゃあ、二人纏めてかかってこい」

「「は?」」

 ナユタの明らかに舐めているとしか思えない発言に、サツキとタケシが眉をひそめる。

「ん? どーした? 何か変な事でも言ったか、俺?」

「お前、正気か?」

「私とタケシ君を同時に相手する? いくらナユタ君でも、それでは勝負になりませんわ」

 パワー型のサツキとコントロール型のタケシが組んだら無敵である。

 しかし、そんな彼らも、ナユタからすれば敵ですらない。

「一瞬で片付けるのもいいが、<アステルドライバー>の使い心地も知りたいしな。じっくり相手して、性能に納得が行ったら纏めて始末してやる」

「言いましたわね?」

「上等だコノヤロー」

 二人が臨戦態勢に入ったのを見て、ナユタもフィールド内に入り、二人と対峙する。タケシもサツキもさっきの演習で体が温まっているようなので、相手としては不足無しである。

 ナユタが腰のデッキケースに引っ掛けていた<アステルドライバー>を腕に装着する。

「纏めて月まで吹っ飛ばしてやる」

 デッキケースからドライブキーを抜き、ドライバーの右側面に差し込むと、例によって『バトルモード・セットアップ』という音声が流れる。

 これで準備完了だ。

「いくぜ。<メインアームズカード>、アンロック!」

 ドライバーのディスプレイに、『UN LOCK』と表示されると、一瞬でナユタの右手に、鋭く美しい一振りの日本刀が出現する。

 A級<メインアームズカード>・<蒼月>。紺色の柄と淡くも眩しい青の光を放つ刃が特徴の、まさに水色髪のナユタにぴったりなカラーリングが施されている大太刀である。

「ほお。新しいカードの方も、中々の芸術品じゃないか」

 何回か振って調子を確かめてみる。重さも手の馴染み具合もぴったりしっくり、これなら前回まで使っていた違法改造品でも不可能だったような技が使える。

 ナユタが悦に入っていると、タケシとサツキもそれぞれ己の武器を展開する。

 タケシの新しいA級武装<クロムヴァンガード>は、鈍く光るクロムカラーの装甲が施された、シャープなデザインのグローブ型だった。アレに殴られるとかなり痛そうだが、実際は防御と魔法能力に特化した武装で、相手に直接的な格闘を挑む為に設計されている訳ではない。いかにもタケシに合わせて開発された特注品みたいな武装である。

 サツキの場合はいつも通りの、宝石や彫刻などが豪奢に施された金色の大剣が相棒である。

「あれ? サツキにも新しいA級アームズが届いてたよな? 使わないの?」

「アレについてはあまり触れないでいただけると助かるのですが」

 サツキが珍しく控えめに言った。何だ? ちょっと様子が変だぞ?

「……まあ、いいか。先生!」

「はいはい。無痛覚フィールド、展開」

 ケイトが苦笑してから、自らのAデバイスを操作し、この部屋全体を無痛覚フィールドに変換する。教職員用のAデバイスとナユタの<アステルドライバー>には、任意のタイミングで無痛覚フィールドを展開出来る機能が備わっており、一般販売されているAデバイスやタケシとサツキの<アステルドライバー>には搭載されていない。

 では何故ナユタの<アステルドライバー>にのみこの機能が搭載されているかというと、また別の話になるのでここでは敢えて記述しない。

「じゃ、先攻もーらい!」

 ナユタが駆け出し、戦いの火蓋が切って落とされた。

「タケシ君は援護を。私が迎え撃ちます」

「正面から戦っても勝ち目は無いぞ。気をつけろ」

 タケシが全てを言い切らないうちに、サツキがナユタに向かって正面切っての突進を仕掛ける。疾駆する中で彼女が剣を一閃。剣の軌道が単純過ぎるので、多分これは囮の一撃か何かだ。

 しかし避けないといけない事には変わりない。だからナユタはまず、かわした上でサツキが振りぬいた剣の上を踏み台にしてタケシへと飛び掛る。

 上を取った。まずは試しに、タケシの脳天を狙って縦に一閃してみる。

 だが、驚いた事に、振り下ろした剣はタケシの体をすり抜けてしまった。

「<ホロウドール>か……!」

「こっちだバーカ!」

 剣を振り下ろした直後の不安定な体勢を狙い済ましたかのように、離れた真横のところでタケシが右拳を腰だめに構えているのが見えた。

 これは少しヤバいかもしれん。

「<バトルカード>・<ハードブレイズ><ハードフリーズ><ハードリーフ><ハードボルト>、フォースアンロック!」

 一気に四枚の<バトルカード>を発動すると、彼の右拳に七色の陽炎が揺らめく。

「<カード・アライアンス>!」

 <カード・アライアンス>とは、<バトルカード>同士の特定の組み合わせにより発動する特殊技である。未だに発動する原理が解明されていないにも関わらず、その突き抜けた破壊力などから人気が高い。特に使用カードのランクから、威力の制限が厳しい中学生には救いようのあるシステムなので、この技を血眼になって探す者も少なくは無いとか。

 いまタケシが発動したのは、その中でも取り分け高威力な大技である。

「喰らえ! <エレメンタルバースト>!」

 名前の通り、四つの属性を持った虹色の極太レーザーが、タケシの拳から打ち出される。 超高速レーザー攻撃でも直線軌道なら回避は簡単だが、いまは斬撃直後で体勢が崩れている。このままでは、次の一秒後にはオーバーキル確定だ。

 まあいいだろう。それならこちらにも打つ手はある。

「<蒼月>!」

 叫ぶや、<蒼月>の刃から、青い光が火炎放射器のように噴出される。

 すると、ナユタが次の一瞬で、既に<カード・アライアンス>の準備をしていたらしきサツキの背後に回りこんでいた。

 タケシが放った<エレメンタルバースト>とやらが無痛覚フィールドと化していた演習場の壁に直撃。凄まじい爆音を奏でた直後、サツキがようやく反応する。

「いつの間に……!」

「ほいっとな」

 一閃。ギリギリで振り返ったサツキは、大剣の刃を盾にこちらの剣を防ぎ、素早く後退する。

 さすがに一筋縄じゃいかないか。

「もう一回……<ブースト>!」

 今度は剣の先を背後に向けて、再び刃から光を噴射。背後に勢い良く噴き出す光がそのまま推進力となり、たったいまナユタは地上の流星と化した。

 フィールド内を高速で駆け巡るナユタを、サツキとタケシが忙しなく肉眼で追おうとする。

「なんつー速さだ、これじゃあ捉えきれない!」

「剣そのものがブースターの役割を果たす……これが<蒼月>の能力という事ですか」

 サツキの言う通り、ナユタの<蒼月>は刀身からアステライトを噴射する事により、斬撃の攻撃力を上げたり、いまのように刀をブースター代わりにしての高速移動を可能にする。ナユタはその力を常に最大出力にして発動し、いまこうして誰の目にも止まらない速さで動いているのだ。

 しかし、当然ながらブーストの稼働時間にも限界がある。

「タケシ君、来ますわ!」

「っ……!」

 ブーストの稼働時間が限界を迎えたので、一旦光の放出を止め、自分の足で踏み込み、通り過ぎ様に斬撃を一発加えてやる。しかしいまの硬い手応えだと、どうやらサツキが反応して剣で防いだらしい。一度ならず二度までも、大した反応速度だ。

 彼らから一定距離まで離れると、再びブーストを発動。同じように周囲を飛び回る。

「っ……目が回りますわ!」

「だったらこいつだ。<バトルカード>・<フワライダー>、アンロック!」

 タケシは唱えるや、自分の右手に綿みたいな物体を出現させる。彼がそれを宙に放ると、綿は小さな毛玉として分裂し、一気にフィールド全体に拡散される。

 一体何のつもりだと、加速中のナユタが周囲の綿に視線を巡らせた直後、肩に毛玉の一個が当たり、破裂する。

「!?」

 肩に鈍い衝撃が走った時点で、ナユタはすぐに悟った。

 この毛玉は超低速飛行の機雷だ。毛玉一個の威力は低いが、これに何発か触れれば、それだけで全身に大ダメージを被る事になる。

 ナユタは舌打ちしつつ、止むを得ずブーストを取りやめる。

「なる程な。これじゃあ迂闊には動けない。だが、そいつはお前らも同じだ」

 動きを封じられたのはナユタだけではない。空間全てに無数の機雷を仕込んだ時点で、タケシとサツキも迂闊には動けない。これでは膠着状態も良い所だ。

「策士策に溺れる。墓穴を掘ったな」

「そいつはどうかな?」

 タケシがにやりと笑い、彼女の傍から大きく離れて頭を低くする。

「サツキ!」

「<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」

 サツキがお馴染みの、風属性の斬撃を相手にぶちかます技を発動。彼女が持つ大剣の刃を中心に、白い風の奔流が巻き起こる。

 と同時に、周囲の毛玉が彼女の剣に、一挙に吸い寄せられる。

「嘘だろオイ……!」

 百戦錬磨のナユタもこれにはさすがに焦り出す。空間に浮かぶ全ての毛玉を引き寄せるという事は、必然的にナユタの背後にも浮かんでいる全ての機雷を巻き込む。よって、さっきまで宙に停滞しているだけだった無数の機雷が、高速の弾丸となって背後からこちらに襲い掛かってくるのだ。

 こんなトリッキーな戦術は、西の戦争時代でも経験した事がない。

「ちっ……<バトルカード>・<ブレードパペット>、アンロック!」

 <ブレードパペット>は、ナユタとサツキが初めて対戦した時にサツキが使用した<バトルカード>で、視線一つでありとあらゆる場所から大きな刃を出現させる事が可能な、攻撃に使うのも良し、防御に使うのも良しという万能技である。

 ナユタはこれを自分の背後に出現させ、襲いかかる機雷を防御。何発もの機雷が爆発し、盾となってくれた刃は無残に砕け散る。

 だが、これで何とかやり過ごす事は出来た。あとはブーストでカタを付ければ――

「まだですわ!」

 サツキが叫び、剣を振りかぶる。

 忘れていた。<ストームブレード>が周囲の大気を巻き込むのはただの初期動作であり、本来の効果はまだ終わってなんかいない。あれは巻き込んだ大気をドリル状の刃にして、敵に向かって飛ばす遠距離攻撃である。

 まさかとは思うが、サツキの奴、巻き込んだ機雷ごと風の刃を発射するつもりじゃないだろうな!?

「ぶちかませ、サツキ!」

「イッツ、オーバー!」

 これまたお馴染みの決めセリフ。どうやら、本当にアレでカタを付ける腹積もりらしい。

 思った通り、サツキが剣を振り抜き、重量級の暴風を発射してきた。撃ち出されたドリル状の暴風の中を毛玉が舞い踊る様は何とも形容しがたいものがある。

 だがどのような形であれ、超A級の危険物であるのには変わりない。<ストームブレード>単体なら刀で防御ぐらいは出来るのだが、あれが爆発物を含んでいるというのなら防御という行為自体が愚かしい。普通に考えれば、爆発に巻き込まれてこちらがノックアウトするだけである。

 防御不可能な技なら回避すればいい? いやいや。タケシなら、自分が回避した後の事も計算に入れて、次の手を打っている筈だろう。

 ならば、こちらがやる事は一つだ。

「試しに一発、撃ってみるかね」

 風の刃が迫る中、ナユタはゆったりと腰を落とし、居合の姿勢を取る。

「? あいつ、何を……」

 身を縮ませて固まるタケシが何かを怪しみ始めたようだが、もう遅い。

 ブースト時よりも更に大きく激しい光が、<蒼月>の刃から放出される。

「月火烽閃」

 一閃。<蒼月>に纏っていた青い光が、三日月のような形になり、風の刃へ向かって飛翔する。

 青い三日月の刃は機雷ごと暴風の刃を突き破り、サツキの銅を真っ二つにぶった斬る。

「う……そ……!?」

 サツキがばしゅんっ! と姿を消し、フィールドの外へとワープする。彼女のヒットポイントがゼロになり、自動的にフィールド外へと強制退去させられたのだ。

 一人残されたタケシが、ぽかんと棒立ちになる。

「……あれ?」

「後ろガラ空き」

 ブーストで忍び寄り、背後からタケシの首を一閃。彼もフィールド外へと追い出される。

 この戦いは、ナユタの勝利に終わった。

「……本当に一人で二人共片付けたな。エレナが対等に見る訳だ」

 ケイトが目を丸くして感嘆を漏らす。

 一方で、タケシとサツキの二人は、尻餅をついた姿勢のまま呟いた。

「え? いま、何が起こったんですか?」

「いまのも<蒼月>の特殊能力か」

 いち早く頭を切り替えて復活したタケシが立ち上がり、サツキに手を貸して彼女を立ち上がらせる。

 タケシの質問に、ナユタが首を縦に振る。

「これが本来の力さね。<蒼月>は使用者の意思でアステライトを増幅して、斬撃そのものを拡張させる。さっきのブーストもその応用技さね」

「意思だと? それじゃあまるで……」

「<アステルジョーカー>と<輝操術>の力だな。こいつはA級カードなんかじゃねぇ。擬似的な<アステルジョーカー>だ」

 人の意思が力になった結果が<アステルジョーカー>であると考えるなら、何となく合点は行く話である。

 だが、この中で唯一しまらない顔をしていたサツキが首をかしげる。

「<輝操術?> 何ですか、それは?」

「<アステルカード>を作る為に必要になった、四つの魔術の事さ」

 当惑して尋ねるサツキを見かねたのか、ケイトが柔らかく答える。

「<アステルカード>は科学の力だけで作られた訳じゃない。この力の源になったのは、まさしくタネも仕掛けも掛け値も無い魔法の力だ。しかし、園田さんが知らないのは意外だったね」

「何度も言うようですが、カードの使い方には詳しくても、原初を知らないのです。というか、知らない人の方が多いと思われますが」

「そりゃそうさ。<ウラヌス機関>の機密区分だからね」

 ケイトがしれっと言って退けた。

「この事を知っている方が異常なのさ。九条君が何でこの事を知ってるのかはさておき、八坂さんや六会君あたりならよく知ってるよ」

「タケシ君とイチルさんが?」

 困り顔のサツキが、さらに眉根を寄せて唸る。

「どういう事ですの?」

「八坂さんはお母さんがライセンスバスターで、<輝操術>の達人だったからね。それに六会君も話だけなら聞いてると思うが、<トランサー>の力だって元々は<輝操術>の一つさ」

 ケイトがいま述べた通り、<トランサー>が<星獣>を鎧のように纏う事が出来るのは、あくまでその<輝操術>が究極の域に達した時に得られる技能の一つである。だから、ナナが<輝操術>の一つである<流火速>を使えた事に関しては何の不思議も無い話なのだ。

 閑話休題、ナユタは<アステルドライバー>の電源を落とし、軽く伸びをして言った。

「さ、もう消灯時間だ。さっさと帰ろうぜ」

「そうだな。あ、まだ風呂にも入ってねぇ」

「私も喉渇いたし汗だくですわ。この時間、まだ浴場空いてるかしら?」

 三人がそれぞれだらーっと歩き出すと、ケイトがタケシの肩を掴んでその動きを止めた。

「? どーしたんすか?」

「あ、いや。そういえば君に渡すものがあったんだが」

 ケイトが何やら中身がぎっしりつまっているA4サイズの茶封筒をタケシに手渡す。タケシは不思議そうな顔で封筒の封を切っている間、ケイトが少し困ったように言った。

「さっき伝書鳩型の<星獣>が速達でこれを持ってきてね。僕の元・上司からだ」

「なるほど。親父か」

 タケシが納得したように封筒の中身に入っていた資料を取り出し、おもむろに中を読み始めた。本当なら部屋に戻って読むべきだろうにと思って、ナユタが少し遠くからタケシに手を振って言った。

「なあ、何の資料か知らんけど、後でにしよーぜー。早く部屋を施錠しなきゃだし」

「少し流し読みしたらすぐいくさ。ちょっと待って……」

 気軽に言ったタケシの顔が、突然曇り始める。何だろう、様子がおかしくないか?

「? タケシ?」

「……なあ、ナユタ」

 タケシが声を震わして言った。

「俺達、人、殺しちゃったらしいぜ?」

「はあ? 何の話?」

「はは……悪夢だ。こいつは何かの悪夢に決まってる……」

 放心状態の時に似た調子で、タケシが視線を宙に泳がせる。だから、お前は一体何の話をしているんだ?

 少し気になったので、ナユタがタケシの手元にあった分厚い資料を取り上げ、中身をざっと斜め読みしてみる。

 資料の内容は、主にリカントロープ家についての記述が大半だった。

「何だ? 好きな女の子の家庭事情を覗き見か? いくらなんでも行き過ぎだろ」

「いま俺が読んでたページを見てみろ。軽口の一つも叩けなくなるぞ」

 タケシがもはや世界なんぞぶっ壊れてしまえというようなテンションで吐き捨てる。

 そこまで言われるとさすがに気になるので、いまタケシの中で問題となっている文章を探してみる。

 存外、見つけるのにはそう時間は掛からなかった。

「……何だよ、これ」

 目に止まったのは、丁度いまから二ヶ月前の記事である。

 かつてリカントロープ家に仕えていた見習い給仕のアイリスという十七歳の女性は、同家の末裔であるナナ・リカントロープと友好関係にあった。遊ぶ事を許されず他の<トランサー>一族の男と婚約させる為だけの教育を閉鎖環境で受けさせられていたナナにとって、アイリスは自身にとって唯一の安らぎとも言える存在だったのだとか。

 だがある日、一族の一部の人間によって、アイリスがナナを懐柔する事で一族の実権を握ろうとしているのではないのか? という噂が立つようになる。そして、彼女とナナが親しくなる事で、ナナに余計な感情を芽生えさせる事を良しとしなかった人物達により、アイリスはあらぬ疑いをかけられ、処刑されてしまったのだという。

 言い方は悪いと思うが、ここまでは正直な話、他人事の領域でしかない。

 だがここでの問題は、何を隠そうその処刑方法である。

「ある戦争屋達の手によってアイリスはシャダマハル市街へと連れ去られ、シャダマハルファミリアの傘下にあった下級マフィアの連中によって輪姦され、薬物投与によって精神を崩壊させられ、最終的には見せしめの意味合いを込めて、ナナが見ている前でアンプル型の<獣化因子>が投与され……何じゃこりゃ!?」

 もはやふざけているとしか思えない文面に、ナユタが目を剥いた。気づけばサツキやケイトも自分の後ろに立って資料を覗き見ていたが、いまは気にしている場合ではない。

 まだ、この記事には続きがあるからだ。

「<獣化因子>のアンプルを投与されたアイリスは一瞬で<獣化>した直後、目の前にいたナナに襲いかかって強制トランスし、彼女に寄生した……って事は、まさか」

 以前、ナナが<獣化>した事件の後に聞いた話だと、<トランス>の訓練中の事故が原因で彼女が<獣化因子>に寄生されたという事だったが、あれは一族がついた真っ赤な嘘である。

「そうなると、ナナがあん時装備してた<獣化>の鎧は……」

「そのアイリスというメイドさんだね。君達は知らない間に、リカントロープ家が行った処刑の後始末を請け負うハメになった訳だ」

 ケイトが難しい顔で頷く。

「しかし九条君と六会君に罪は無い。そうだろう?」

「人を殺したんだぞ? そうだろうって言われて、頷けるか!」

 とうとうタケシが逆上し、声を張り上げた。

「知らなかったから? そんな事が言い訳になるか! ナナには何て言えば……」

「少し落ち着きなさい。大体、君こそ何でそんな事を調べたんだ?」

「……ナナとナユタの後見人から怪しい噂を聞いたからです」

 ケイトに窘められて少しは冷静になったか、タケシが務めて抑え目に言った。

「西の富民街、シャダマハル市街の巨大マフィア・シャダマハルファミリアの大ボスにして、<ウラヌス機関>ライセンスバスター部門相談役。通称『ヤマタの老師』。ナユタは知ってる筈だ」

「まあ、俺を拾って星の都学園に編入させたジジイだからな」

 禿頭に極めて近い胡麻頭にアロハシャツという明るいナリの初老だが、実際はウェスト区においては強大な実権を握り、スカイアステルとのコネを持つ、この世界の影の支配者である。

「そのジジイから話を聞いたんだよ。リカントロープ家に送り込んだスパイの何人かが、何ヶ月か前を最後に連絡が途絶してるって。いまお前が持ってる資料だって、先月再び送り込んだとかいうジジイのスパイが記述したモンさ」

 その最新のスパイも、またぞろ連絡が途絶しているのだろう。理由は言わずもがなだ。

「ナナと接する際にはその辺りにも警戒しろってな。だから気になって、親父に頼んで資料を寄越してもらう事にしたんだ」

「いまのタイミングでこの資料が届いたのは? 学校行事の最中に送る事も無いのに」

 いままで沈黙を保っていたサツキが、落ち着いた口調で尋ねる。いまの話はサツキにとっても相当堪えるだろうに、よくそんな冷静でいられるものだ。少し関心する。

 タケシが少し考える素振りをしてから、彼女の問いに答える。

「……俺が可能な限り急げって頼んだからだ」

「それはまた、どうして?」

「ナナがキララと再会したからだ」

「なるほどな。そういう事かい」

 きっぱりと告げられた事実と、いままでのタケシの不可解な言動が、ようやくナユタの頭の中で繋がってきた。

「あいつがキララと触れ合って過去の記憶が蘇りでもしたら、そりゃ大変な事になるだろうな。あいつの証言一つで、明日の朝のトップニュースが一族のスキャンダルで確定する」

「それだけじゃねぇ。親友を殺された事実を知ったナナが自分を保てる訳が無い。下手すりゃ、俺やお前まで復讐の対象って事になる」

「いっそいまからナナをどっかへ軟禁するか? もう記憶が戻りかけてるんだろ?」

「ナンセンスですわ」

 サツキが険しい顔をして、孕んだ怒気を押し殺すような声音でナユタの提案を一蹴する。

「アオイさんが何故死んだか、もうお忘れですか? この醜い世の中に絶望したからですよ。彼女が残した希望であるナナさんにも、同じ気持ちを味わわせるおつもりですか?」

「同感だ。冗談でも君の言ってる事は許されない」

 ケイトが腕を組んでナユタを睨みつけてから、切り替えるように言った。

「とにかくこの話は他言無用だ。対処法は僕の方で考えておこう」

「万が一、行事の真っ最中に記憶が戻って、全ての真相を知ったナナが暴走した場合は?」

「…………」

 別にケイトに許可を求める事でもないが、一応は聞いてみる。場合によっては、ナユタかタケシのどちらかが、トランス状態のナナと再び戦うハメになるからだ。

 彼はしばらく黙考し、やがてゆっくりと口を開く。

「すまない。少しの間だけ、回答を待って欲しい」

 気づけばテストプレイ終了から三十分も経っていたので、彼らはひとまず解散し、それぞれの部屋へと戻っていった。サツキは勿論、タケシと自分は違う部屋なので、その後の彼らがどんな態度でいるのかは分からないが、大体想像がつく。

 多分、必要な受け答え以外は、ずっと無言なのだろう。

「……酷い世の中だ。アオイが逃げたくなるのも頷ける」

「んあ? 九条、何か言った?」

「いや、何も」

 同じ部屋の男子に怪訝そうに問われるが、気分が気分なので、無愛想に返してしまった。


   ●


 陰鬱な気分とは裏腹に憎々しい程の快晴を見せた空の下、スタート地点となる砂浜にて、<星獣>レースの出場選手達は集合し、ルールの説明を受けていた。

 ついさっきファームから水槽に移され、トラックで移動してから海の中へと放たれたチャービルが、ナユタの気を引こうとしているのか、さっきから綺麗なアーチを描いてジャンプしまくっている。元気なのは良い事だが、どうせならその体力はレース本番で役立てて欲しいものだ。

 ナユタがチャービルに適当に手を振ってから、橋良職員がルールの説明を開始する。

「スタート地点とゴール地点はこの砂浜に置かれた赤いロープとさせて頂きます」

 橋良職員が波打ち際のあたりに設置された赤くて丈夫そうなロープを指差した。

「そこからスタートして、一キロ離れた海上に浮かぶ中間地点の餌場まで直行し、<星獣>に餌を食べさせてあげてください。そしたらまたこちらへ折り返し、先に赤いロープを越えた順に順位が記録されます。行って帰ってくるだけの単純なルールのように思われますが、行きも帰りも我々が用意した<人工星獣>が障害物として出現します。人間に対する攻撃力を持たず、C級のカードでも倒せるように設計されておりますので、適当に撃退しながらゴールを目指して下さい。あと、<メインアームズカード>による相手選手、及び騎乗する<星獣>への妨害は無しです」

「うむうむ。チャービルに傷が付いたら大変ですもんね」

 実はつい前日までドラゴンを本気でスレイヤーしようとしていたくせして、我ながら見事な手のひら返しである。

 橋良が苦笑すると、説明を再開する。

「レース開始時刻は十一時ぴったりとします。ちなみに優勝したからといって何か賞品が出たり、あるいは内申に影響する訳ではないので、是非存分に楽しんでください」

『はーい!』

 全員が機嫌よく返事すると、出場選手はそれぞれ自分の<星獣>へと向かい、コンディションなどを確かめようとした。

 ダイビングスーツ姿のナユタも海の中に飛び込み、気持ちよさそうに泳ぐチャービルに抱きついた。ナユタとチャービルの場合は砂浜のロープではなく海からのスタートなので、他の選手達が自分らを追い越した後に泳ぎ始めるというハンデが付く。

 ちなみに他の<星獣>は牛型、ライオン型、チーター型と、比較的陸地に生息する動物がモチーフの連中ばかりだが、<星獣>自体が特殊な訓練で<流火速>を使える為、海の上でも楽に走行が可能なのである。

 勿論、<流火速>の原理を知っているのはごく一部の人間だけなのだが。

「チャービル。海はお前のステージだ。陸地の連中なんかに負けるなよ? <水棲星獣>のプライドを見せてやれ」

「きゅいっ!」

「最大の宿敵はキララだ。俺達の力、見せてやろうぜ」

「きゅいきゅい!」

「ただし無茶は厳禁! 楽しんで行こうぜ」

「きゅいぃぃぃぃ!」

「……可愛い」

 昨晩に荒んだ心すらも癒されそうだ。

 ナユタは<星獣>殺しのプロだが、同時に殺人のプロでもある。これまでに殺した人の数は軽く三桁にも昇る。だから誰が死のうが、あるいは自分が誰を殺そうが、そのメンタルはきっと揺らぐ事なんて無いだろう。

 だが、知らない間に自分が誰かを殺していたという事実だけは、いかんせん堪えるものがある。「ふーん、あっそ、知らなかった」だけでは済まされない罪悪感が、心情を纏わりついて離れてくれない。

 ナユタはチャービルの頭をゆっくりと撫でて呟いた。

「俺は本当、こんな所で何やってんだろうな……」

「きゅい?」

「いやな、本当は俺、こんな平和な所に居ちゃいけないんじゃないかなって」

 ナユタが自虐混じりに笑って言うと、チャービルが突然、自分の頭をぶるんぶるんと激しく横に振り始めた。あまりにも予想外の仕草だったので、思わずナユタが体を離してしまう。

「お……おお、どうした?」

「きゅいっ! きゅいきゅい! きゅい!」

「何だ? 『そんな事ないよ』って言ってくれてんのか?」

「きゅい」

 チャービルが頭を縦に振る。このイルカ型<星獣>、賢いとは聞いていたが、まさか本当にこちらの言葉が分かるのだろうか?

 だとしたら、素直に嬉しい反応だった。

「そっか。ありがとな」

「きゅいきゅいー」

「おーい九条君! ハートフルな交流も良いが、そろそろ開始時間ですよー!」

 橋良職員が波打ち際の所で、大きく手を振ってこちらに呼びかけてきた。<アステルドライバー>の(ちなみに防水・防塵・防弾)時計機能で時刻を確認してみたら、レース開始時間まで後十分を切っていた。

 ナユタはチャービルに引っ張られる形で、スタート地点となる座標へと泳いでいった。


   ●


 砂浜から大きく離れた森の中の広場に集められた出場選手以外の全生徒達の視線が、斜め上に表示された大型のホログラムモニターに釘付けになっている間、タケシはずっと俯きながら考えていた。

 生まれて初めて、人を殺してしまった。

 いや、アイリスという給仕見習いが<獣化因子>を投与された時点で、人としての彼女は既に死んでいた。だから、タケシとナユタが殺してしまったのは人ではない。常日頃相手にしては討伐している<星獣>だ。

 けれど、命を一つ奪った事には変わりない。

 あの資料に書かれていた事によると、リカントロープ家は自分達が戦闘用に育成していた<星獣>をアンプル化し、人体に流し込む実験を常日頃から行っていたらしい。いままでは死刑が確定していた重罪人のみを実験台にしていたが、最近になって一族に仇を為す反逆者にも同様の実験を行うようになってしまったらしい。

 その中に、無実の人間が含まれているという事実を知ってしまった。

 更に言えば、もしかしたら元は人間だった<星獣>が、既に野に放たれている可能性だって無きにしもあらずだ。

 だとすると、もしこの先、元は人間だった<星獣>を相手にする機会があったとしたら?

「その時俺は、戦えるのか……?」

「どったのタケシ? 顔青いよ?」

 隣に腰を下ろしていたイチルが心配そうに尋ねてくる。ああ、そういえばイチルはあの場にいなかったから、この事を知らないんだったか。

「いや、何でもない」

「具合悪いなら無理しない方がいいよ?」

「お前の見間違えだ。気にするな」

 とは言いつつも、実際は精神的にかなり参ってる。意外と高い洞察力を誇るイチルにバレないよう、せめていまは平静に振舞っていよう。悩むのは来週だ。

 いま出場選手以外の生徒が集められているのは、『星獣レース』の観戦スペースである。鳥型の<星獣>が持ったカメラの映像を、前述の大型ホログラムモニターによって映し出す事で、リアルタイムでレースが楽しめるようになっているのだ。

 たったいま選手達のスタンバイが完了したらしい。モニターから橋良職員の声がした。

『えー、各自準備が完了しましたね。では、私の空砲を合図にスタートしてください。なお、他の皆より前でスタンバイしている九条君は空砲の音に反応しないように』

『ういー』

 ナユタが適当な調子で返事をする。通常のスタートラインは波打ち際の砂浜に敷かれた赤いロープからだが、ナユタの場合は既に使役しているチャービルが先行して海面に浸かっているので、ハンデとしてスタートは他の全員が通り過ぎた後になる。

 当のナユタの様子といえば、実に楽しそうである。昨晩、あんな事実を思い知らされたというのに、よくあんな平然としてられるものだ。

 多分、これが九条ナユタと六会タケシの差である。

 人の生死が交差する世界において、一流の腕前を誇る元・少年兵だったナユタと、父がライセンスバスター部門の長官であるという以外は、至って平凡な中学生の自分。殺した数も殺されそうになった数も、ナユタと比べれば歴然とした差があるのだ。

 だからこその、あのメンタリティーなのだろうか。

「或いは、無理矢理楽しんでないとやってらんないとか……な」

「お? また独り言?」

 イチルがまたも細かく拾ってくる。これはしくじったか?

「何でも無い」

「ホントに? さっきからマジで変だよ?」

「イチルさん、おせっかいも時には罪ですわよ」

 イチルの追求に対し、サツキがやんわりとこちらに助け舟を出してくれた。気をつけようと思った矢先にこれとは、我ながら酷い心理状態だ。

 イチルは難しい顔で呟いた。

「……まあ、何でも無いなら、別にいいけど」

「そろそろレースも始まる事だしな」

 再び見上げたモニターの画面からは、もう余計な音がしなくなっていた。


   ●


「それではこれより、星の都学園中等部・宿泊学習伝統行事、『星獣レース』を開催します」

 橋良職員が宣言し、片方の手の指を耳の穴に突っ込み、もう片方の手に持った空砲銃を天高く突き上げた。

 各選手達の間に緊張感が走る。

「三、二、一――」

 ナユタはちらっとナナを見る。彼女は小さく舌なめずりして、キララに取り付けた手綱をぐっと握る。

「GO!」

 発砲。渇いた破裂音が空に反響した。

 チャービル以外の<星獣>達が一斉に駆け出し、海の上を駆けるなり飛ぶなりしてナユタ達の横を通り過ぎた。

「チャービル!」

「きゅい!」

 特別ルールにより、少し遅れてチャービルが発進。海を滑るように泳ぐチャービルは、すぐに他の選手達を追い抜かしてしまった。

 いまトップを張っているのは、案の定ナナとキララのコンビだった。いまこいつらを追い抜けば、すぐにでも一位に踊り出る事が出来る。

 だが、現実はままならないものである。ミーティングの内容通り、最初の障害物が現れる。

「キララ、止まって!」

 最初の障害物が現れるや、ナナがキララを急停止させた。

「ほお。そう来るか」

 選手達が目にしたのは、空中でこちらの行く手を阻もうとする、プテラノドン型の<星獣>だった。全身が骨みたいな外見で、まるで化石でも見ているかのようだ。

 丁度ナユタ達の目の前にも同じ<星獣>が現れる。

「チャービル! 急速潜行!」

「きゅいきゅいー!」

 他の生徒達が自分の<メインアームズカード>で<星獣>の対処に当たっている間、チャービルはナユタの指示通り、減速もせずに海に沈み、<星獣>の下を潜って浮上する。

 これを見た他の生徒達が、目を剥いてブーイングを垂れてきた。

「あ、九条の野郎、きたねぇ!」

「反則よ、あんなの!」

「うるせー! 悔しかったら<星獣>の性能を引き出す努力をしやがれってんだ!」

 ダイビングスーツ姿じゃなければケツをまくっておしーりペンペンだなんて真似も出来たのだろうが、さすがにこの年になって猥褻物陳列罪を犯すつもりはカケラも無い。

 ノータッチノーダメージで<星獣>をすり抜けたナユタがトップに躍り出る。

「よし、このまま突っ切……うおおおおおおっ!?」

 今度は急にチャービルの体が沈み込む。一体何事かと思って、海中に引きずり下ろされたついでに、こちらの邪魔をする不届き者の存在を確認する。

 蟹だ。巨大な蟹型の<星獣>が、海中でチャービルの尻尾を挟んでやがる!

「きゅい! きゅうううううっ!」

 チャービルも強引に蟹の腕を振り解こうと尻尾を乱暴に振るうが、一向に解放してくれる気配がしない。

 何て真似してくれやがんだ。これじゃあチャービルが怪我するじゃねぇか!

「ふぇふぃんうあーふずふぁーほ、ふぁふふぉっふ!(<メインアームズカード>、アンロック!)」

 あらかじめ手に持っていた<蒼月>のカードを解放し、右手に青い剣を召喚(ケイトに命じられて<アステルドライバー>の使用を禁じられた為、普通にカードから発動)。能力で刀全体を強化してから、蟹の腕を刃で触れて斬り落とし、どうにか海上への脱出を果たした。

 酸素を求めて激しく喘いでから、ナユタが毒づいた。

「あっぶねーな! 溺死したらどーする気だ!?」

 さっきのプテラノドンはともかく、いまのは本気で危なかった。とはいえ、ここで障害物として使われている<人工星獣>に攻撃力は無いようで、現に大きな鋏で尻尾を挟まれたチャービルは無傷である。

 そうこうしている間に、ナナどころか他の生徒達にも先を越されてしまったらしい。いまのところ、こちらが最下位だ。

 すぐに挽回せねば……!

「ちょっとチート臭いが……」

 ナユタが剣の先を背後に向けて、チャービルの手綱をしっかり握りこむ。

「いくぞ、ブースト!」

 刃から放出された光が推進力となり、ナユタごとチャービルのスピードをアップさせる。元々チャービルも泳ぎがとても速いので、この程度の加速ならすぐに慣れてくれるだろう。

 予想もドンピシャ、チャービルの速力とブーストの推進力が相乗効果を発揮し、ほんの数秒後には首位を独占するキララの真下を通り過ぎていた。

 ナナがキララの上からこちらを見下ろして驚嘆する。

「うそぉ!? そんなのアリ!?」

「HAHAHA! さーらばー!」

 再びナユタとチャービルがトップである。他にも妨害用の<星獣>が何体か現れるが、中学生のレベルでも一撃で倒せる程度の雑魚など、こちらからすればあってないようなものだった。一瞬で斬り払い、最高速力を維持して突き進む。

 ナナも負けじと、キララのテールスイングで<星獣>達をぶっ飛ばしてこちらへと迫ってきた。しかもブーストの稼働を例によって停止した隙に、ナナとキララが三度自分の上を通り過ぎてしまった。

 これ以上はどう足掻いても結果は同じだ。ブーストを何回使おうが、地力で下回るこちらは一瞬追い抜かしてはしばらく追い抜かされるの繰り返しである。

「くそ……! やっぱドラゴンは反則だろ!」

「きゅぅ……」

「あぁ……お前のせいじゃないからな? むしろよくやったな、偉いぞ」

 チャービルのやたら残念そうな唸り声を聞いて、ナユタがふっと気を緩めた。

「とにかく、キララを追い抜かすのは諦めよう。無理はしないって約束だしな」

「きゅい」

 何で自分はこう、チャービルに甘いんだろうかと思った時、タケシがナナにやたら甘い理由も何となく理解出来た気がした。多分それ違うからと言われても気にしない。

 ナユタとチャービルは、遠くなっていくキララとナナの背中をゆったりと見送った。


   ●


 ナユタが<メインアームズカード>の力を利用して加速してくる戦略を使用してきたのは予想外だったが、ナナとキララの敵ではない。

 向かってくる<人工星獣>は最低能力値のC級カードを一回当てるだけで倒せるレベルだし、キララの豪腕と長大な尻尾がどんな邪魔者も薙ぎ払ってくれる。飛行速度はチャービルのスピードとどっこいだし、スタミナは全出場<星獣>の中ではナンバーワンだ。

 現にいま、こうして一番乗りで餌場まで辿り着いている。

「何でキララの餌だけこんなに多いんだろう……?」

 餌場はコンクリートの床だけのフロートで、その上にはたくさんの茶色い餌が乗った白い皿が、今回のレースに出場している<星獣>の数だけ用意されている。皿の端にはそれぞれ<星獣>の名前が書いてあり、ナナも早速キララと書かれた皿を発見したのだが――

「直径……三メートルぐらい?」

 適当な目測から見ても、大きい事に変わりはない。他の皿は大体直径五十センチ程度なのに、何故かキララの分だけは六倍前後の直径と餌の量である。

 しかしキララにはあまり大きさなど関係無かったらしく、ナナが他の皿を見ている間に、ぺろりと全ての餌を平らげてしまった。さすがはドラゴン、食いっぷりも規格外である。

「キララ、お腹いっぱい?」

 お腹を撫でながら尋ねると、キララが首をこくりと振る。キララは昔から無口で、出会ってからは咆哮を上げるどころか、小さく鳴く場面すら見た事が無い。ただこちらの指示に頭を上下させたり、無言実行で応える程度である。

「……? あれ? 何で覚えてるんだろう……?」

 さっきもそうだったが、本来ならこちらの体験に無い映像や情報が、何故か時々頭の中に流れ込んでくるのだ。

 これが、前回の事件で失った記憶だというのだろうか?

 タケシによって<獣化因子>の脅威から救われた際、医者からは『ショックによる一時的な記憶の混濁』と説明を受けていた。だから、長い年月をかければ記憶が徐々に戻り、スカイアステルでの社会復帰も可能になるだろう、とは聞かされていた。

 これがもしかしたら、そうなのだろうか?

 ナナが深く考え込んだが、一瞬遅れて、その逡巡が仇となって返ってきた。

 突然、空から燃える何かが無数に降り注いできた事に、全く気付かなかったのだから。


   ●


 あと五十メートルで餌場に到達すると思っていたところに、災害は巻き起こった。

 餌場であるコンクリートのフロート目掛けて、空から無数の隕石が降り注いできたのだ。

「あれは……!」

 ナユタが災害の正体を瞬時に察した直後、全ての隕石がフロートを殴りつけて爆発四散する。海上の餌場は一瞬にして黒い煙幕とオレンジ色の炎で構成された山と化してしまった。

 激しい爆発の余波が吹きすさび、少し遅れてこちらにも降りかかってくる。

「……っ! まずい、餌場にはもうナナが……!」

「きゅい!」

 ナユタが指示を出す前に、チャービルが速度を上げ、フロートまで急ごうと必死にヒレを動かしてくれた。

 周囲の景色が高速で流れる中、ナユタはチャービルに新たな指示を下す。

「チャービル、お前は俺をフロートまで送ったら、すぐに後方の出場選手達を誘導してスタート地点まで戻れ! あと、俺を心配して、決して戻ってくるんじゃねーぞ! 絶対だ!」

「きゅい!」

 チャービルも切迫したかのような声音で応じる。ここまで言っておけば、少なくとも他の選手や<星獣>、チャービルには決して危険は及ばない。

「それにしても、いまの攻撃はまさか……!」

 懐かしいなんて思わない。それどころか、嫌な予感しかしない。

 あんな攻撃を仕掛けてくる奴は、この世広しといえど一人しかいない。だが、その一人は過去にナユタ自身の手で葬ったので、本来ならこの世にすらいない筈だ。

 まさか生きていたのか? あの状況で?

 過去の記憶が頭の中で激しく巡っている間に、燃え上がるフロートの端に到達する。幸い端に近ければ近い程、床の燃え方も控えめになっているようだ。

 陽炎と黒い煙が激しく視界を脅かす中、黄色くドーム状に光る何かを発見する。謎の発光体はどうやら半透明だったようで、中でうずくまっているナナの様子もしっかり確認出来た。

「ナナ! 無事か!」

「な……ナユタ……」

 彼女は完全に怯え切った様子で頭を抱えてしゃがみこんでいた。彼女が無傷なところを見ると、この発光体は多分、アステライトにより生まれた強固なシールドなのだろう。

 やがて発光体は限界を迎えたのか、ナナの頭上で収束し、元の形に戻る。

 その正体は輝く体に、頭や両翼、尻尾の先を鎧で覆った、見覚えのあるドラゴンだった。

「キララ、お前がナナを守ったのか!」

 ナユタが尋ねても、ナナの頭上を浮かぶキララからの返事は何も無かった。さっきの隕石のダメージからか、全身の至る箇所がスパークしているのだから、頷く事さえ難しいのだろう。

 とりあえず、いまは一刻も早くこの窮状から脱しなければならない。ナナのメンタルはともかく、このままではキララの命が危ない。

 ナユタが<アステルドライバー>を抜き出す。

「とにかくここをすぐ離れ――」

「逃がすかよ、バーカ」

 どこからか声が聞こえてきた直後だった。キララの体が不安定な形に歪んだかと思えば、ある一点に吸い寄せられ、この空間から完全に消失してしまう。

「「……え?」」

 あまりにも一瞬の出来事に呆然とするナユタとナナが、声がした方へと目線を移す。

「……バカな」

「キララ!」

 この時二人は、それぞれ違う意味で驚いていた。

 ナナの場合は、キララが吸い寄せられた先が、声の主である男が持っていた、たった一枚のカードであった事だろう。あの正体不明のカードの中に、キララが囚われているのだ、きっと。

 だが、ナユタが驚いたのは、声の主である男の正体である。

 短い髪をオールバックにし、彫りの深い顔立ちに邪悪な笑みを浮かべ、精悍な体つきの上に黒いビジネススーツを纏った大男――ナユタはこの男の事を知っていた。

 男の方もナユタの姿を見つけ、鋭い目を少し丸くしてから楽しそうに言った。

「よぉ、ナユタくーん。ご無沙汰だねぇ。元気だったかな?」

「何で……お前がここに……」

 自然と心拍数が上がり、頭に熱が入り、視界が揺らぐ。ナナが二人のやりとりを見て呆気に取られているようだが、いまは他人の目なんぞどうでもいい。

 死んだ筈の人間が生きている。殺した筈の人間が生きている。

 何より、父親を奸計に嵌めて<星獣>に殺害させた男が、いま目の前で踏ん反り返っている。

 許せなかった。

 あの男が未だこの世に残っている事も、あの男を殺しきれなかった自分自身も。

 自分の意思とは無関係に歯を食いしばる。

 感情の激流が、一気に臨界点を越えた。

「何故こんな所にいる……バリスタッ!」

 喉を壊す勢いで叫んだナユタに、バリスタはただ邪悪な笑みで返してみせた。

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