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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.2 ~ナナ編~
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第五話「竜が棲む島」


   第五話「竜が棲む島」



 恋。それは、お互いを想い合い、愛し合う事である。

 恋。それは、人間の生理的欲求の一つにおける初期衝動である。

 恋。それは――

「電子マネーに翼が生えるなんて聞いた事がねぇんだよ、畜生め」

 六会タケシの電子マネーの残高が底を尽き始める現象の事を指す。

 星の都学園中等部、一年Dクラスの教室の一角でげっそりと首を項垂れさせている六会タケシを、九条ナユタは正面からのほほんと眺めていた。

「まあまあ、タケシ君や。これが恋する男女間における自然の摂理さ。受け入れなさい」

「俺はまだアレとはそういう関係になってないから」

 言いつつ、タケシの目線が少し離れた席に座る、一際目立つ人物に向けられる。

 ふわふわの質感を誇る長い金髪と、良好な発育が特徴の女子生徒が、十代女子向けのファッション雑誌なんぞをキラキラした目で読んでいる。

 彼女が「アレ」こと、ナナ・リカントロープである。

「『ヤマタの老師』から正式にアレの世話係に任命されて以降、俺の休日と財布の中身が日増しに削られていくのがよーく分かった。ナユタ、お前にはこの気持ち、理解出来るか? 分からないだろうな。このアホ、バカ、●ンカス、イン●テンツ」

「俺にそんな事を言われてもなぁ……」

 ナユタが水色の天然パーマをくしゃくしゃ掻いて困惑する。

 目の前でげっそりしている六会タケシはある事情から、このクラスに転校してきたナナのお世話係として任命されていた。といっても、転校生に対してしばらく学校の事に関しての面倒を見るといった、短期的サポートの役割だけを仰せつかってる訳ではない。

 なんと、他の生活面での面倒も見なければならなくなったのだ。

「むしろ羨ましいわ。スタイル抜群の美少女に懐かれて、しかも合法的にストーキングする権利を与えられたんだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いは無い」

「お前の言う事は大体間違ってるのに、たまに正論に聞こえるのは何でだろうな。ていうか、ストーキング言うな! お前は俺を何だと思ってるんだ!?」

「天然の性犯罪者?」

「よし分かった表出ろぶっ殺してやる」

 どうやら誤って何かの地雷を踏んでしまったらしい。席を立ったタケシが腰のデッキケースから<アステルカード>を一枚抜き出して臨戦態勢に入る。

「ねぇねぇ、タケシ! ナユタ! こっち来てー!」

 いきなりナナから声を掛けられて、男二人はびくっと彼女に目線を移す。

 いまの一声で毒気を抜かれたタケシは、めんどくさそうに彼女のもとへと歩み寄る。一応自分も呼ばれたみたいなので、ナユタもタケシの背を追って歩き出す。

「何だー? 俺はもうATMとしては機能しねぇぞー」

「電子マネーの時代になってからは、男は全員ATMみたいなもんだよなぁ……」

 タケシのぼやきに小さくコメントを入れるナユタは、育ての親から聞いた事がある歴史の話を思い返した。

 いまでこそ全国一律で電子マネーが物流の対価となり、現金を急場で供給出来るATMというシステム及びツールは撤廃されている。だが千年以上前は貨幣や硬貨による物流が盛んだったので、上記の機械は当時においては重要な役割を果たしていたと言える。

 もっと言えば、いまタケシがぼやいたジョークは、その当時における現代風刺でもある。当時もいまも、女子は旦那や彼氏に経済力を強く求める傾向があった為、「男=ATM」というスラングがネットワーク界隈では長い事流行っている。しかも電子マネーシステムになってからは、ワイヤレスで銀行口座から手持ちの携帯端末にお金をダウンロード出来るようになった為、その概念の説得力にも拍車が掛かるようになってしまったのだ。

 ちなみにこれは余談だが、お金の供給にしろ何にしろ、過度なスピードアップも良くないな、というのがナユタの実直な感想である。

 閑話休題。要求通り、自称・ATMとナユタはナナの背後に立った。

「これ見て! イチルちゃんが載ってる!」

「いつもの事だろうが」

「奴の仕事はファッションモデルだ」

 ナナがいま開いているページの所々に、見覚えのある小柄な美少女の写真が、可愛らしいグラフィックデザインと共に掲載されていた。

 ショートボブで、向かって右端の前髪だけが少し長く、そしてどこか小動物を思わせるような小顔が特徴のモデルは、クラスメートの八坂イチルである。ナユタが中等部に編入された当初に変な出会い方をして以降、タケシを含めた三人でよくつるんでいる仲でもある。

 ナナがキラキラしたままの目をこちらに向けて言った。

「あたし、この服着たい!」

「ナナ。言えば人が何でも買ってくれると思ったら大間違いだぞ? この前のデートでいくら使ったのか、その金が誰の物だったのか、ついでに金という物がどうやって稼がれるのか、忘れた訳じゃないだろう?」

「うっ……」

 タケシに正論で諭され、ナナが途端にしゅんと大人しくなる。

 まだ義務教育過程の下にある中学生が、親の小遣い以外で収入を得る方法は限りなくゼロに近い。イチルのようにファッションモデルとして活躍していたとしても、そこで得た収入のコントロールが保護者の手元にあると考えたら、そう無駄遣い出来る状況にはなり得ない。

 タケシにしたって自身が持つ「ある特殊な力」によって稼ぎを出しているとはいえ、頻繁にデートに駆り出されていれば、あっという間にその分も消えていってしまう。

 このあたりの常識的な事情から、中学生がお金を得る方法、そして減らせる限度がどの程度かというボーダーがはっきりしてくる。

「色々あって大変だったのは分かるが、贅沢言う子に与える慈悲はありません」

「……ごめんなさい」

 ナナが椅子の上で器用に正座し、深々と頭を下げる。

 なんというか、恋人同士というよりは、兄と妹といった感じである。

「……しかし、イチルもイチルだよな。調子に乗ってナナにこんな本を与えやがって」

 ナユタは机上に置かれた雑誌を手に取り、ぱらぱらと適当にページをめくった。

「女の子からすれば夢の入口といったところだろうが、ナナに貸し与えるとコイツが禁断の魔導書に見えて仕方ない」

「全くだ。帰ってきたら説教だな」

 タケシが鼻を鳴らしたところでチャイムが鳴る。あまりにもあっという間で忘れていたが、さっきまでお昼休みの真っ最中だったのだ。

 周りの生徒達が自分の席に向かって歩き始めるのを見て、ナユタが次に教室の扉を見ると、丁度イチルが友人の園田サツキを引き連れて戻ってきたのが見えた。さっきまでイチルは図書室におり、モデル業で遅れた分の勉強をサツキに見てもらっていたのだ。

 彼女らの帰還を確認してからナユタも自分の席に着くと、続いて教壇側の扉から担任の若い男性教師――ケイト・ブローニンが入ってきた。

 彼は教壇に立つなり、こんな事を言った。

「……いま、何の時間だっけ?」

 授業の内容を忘れて教室にやってきたのか、アンタは。

「というのは冗談として。えー、コマの上では総合学習の時間になってるようだが? 今回は二週間後に控えた『龍牙島』への宿泊学習の宿泊班、あと海上バスの座席を決めようと思う」

「「「宿泊学習? そんなのありましたっけ?」」」

 ナユタ、タケシ、イチルの三人が頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げた。

 ケイトはあまりにも予想外の質問に、眉と頬の筋肉を引きつらせた。

「え……あの、君達? 前からそういう行事があるって知らせていた筈なんだけど……?」

「「「いいえ、知りませんけど?」」」

「君達は人の話を聞いていなかったのか!?」

「グランドアステルの全区域を飛び回っていたもんで……」

「あたしはモデルの仕事以外にも所用が最近増えまして」

「俺なんて最近病院から帰ってきたばっかりですし」

 タケシ、イチル、ナユタの順で口々に言われ、ケイトが酷く呆れたような顔を作る。

 先から二人は主に『お仕事』の事情で学校を空ける事が多くなってしまい、ナユタに至っては一ヶ月前に起きた『とある事件』のせいでセントラル区のとある研究機関に目を付けられ、身体検査とメンタルカウンセリングの為に一週間に渡り病院に幽閉されてしまい、つい先日復学したばかりなのである。

 よって、最近はそんな事を考えていられる余裕が、この三人には微塵も無かったりする。

 ケイトも彼ら三人の事情を思い出したのか、頭を振って咳払いをして、改めて説明する。

「中等部一年の生徒は必ず行く事になってる離れ小島、それが『龍牙島』だ。そこでは無害な<星獣>が特別に飼育されていてね。二泊三日という期間の間で学年内の生徒達の交流をより深めつつ、<星獣>達と接しながら、それにまつわる歴史を学ぶという目的の宿泊学習に、これより二週間後に向かう事になってる」

「「「おお」」」

 ようやく得心が行った三人が、同時にぽんと手の平を叩く。

 徐々に調子を取り戻し始めたのか、ケイトが朗々と説明を続ける。

「実は君達三人が居ない間に、行動班やその行動日程だけは勝手に決めちゃっていてね。あとは宿泊班を男女別に決めて、海上バスの座席を適当に割り振るだけの作業が残ってる状況なんだよ」

「ほぉ……で、その宿泊班やらなんやらは、どーやって決めるんですか?」

「ふふ……九条君、良い質問だ」

 ケイトは目をきらりと光らせると、

「カモン! クレイジーランダムボーックス!」

 教壇の下から、星型やハート型などに切り抜かれた折り紙で装飾された立方体のダンボール箱を二つ召喚した。箱の上部には大人の腕が一本通せるくらいの大きさの穴が開いている。二つあるのは、宿泊班を男女別で決める為だろう。

「仲の良い子だけで固まるのも良くないからね。こういう場合の一番効果的な方法は、やっぱりくじ引きに限る」

「…………」

 何から何まで安っぽいとはあえて言うまい。

「いやー、僕も昔はぼっちだったからねー。「好きな子とペア組んでー」みたいな事を言われるのがすっごい苦痛でしょうがなかったんだよー。でもくじ引き形式だったら誰と組んでも恨みっこ無しでしょ? だから結構気が楽なんだよねー」

「先生……そんな悲しい過去を暴露しなくていいですから」

「体育の授業で卓球とかやる時、相手探すのに凄い迷ったりして、結局誰とも組まずに外側から一人寂しく授業の様子を眺めていた時は、もう本当に賢者タイム……」

「アカン! ケイト先生のテンションが下がり始めてる!」

「大学時代なんか僕と研究室が一緒ってだけで罰ゲー」

「もういいもういいもういい! さっさと授業進めて、お互いハッピーと行きましょうよ!」

「はっ……! そ……そうだね。うん。すまない。じゃあ、始めようか」

 ダークサイドに堕ちかけたケイトがナユタによって現実に引き戻された事で、ようやく宿泊班の班決めが始まったのである。ケイトが箱を持って生徒達の席をそれぞれ周り、ナユタも青いくじを引いて中を開き、記載された番号を確認する。

 ナユタの番号は「五」。クラス全員がきっかり男女二○人ずつで、宿泊班は各五人。つまり各四つの班に別れる事になっているので、ナユタはその五番目の班に配属される事になる。

 やがて八坂イチルに、くじ引きの順番が回ってくる。

 普通はすぐボックスの中に手を突っ込むだろう――だが、イチルは何故か箱が目の前にやってくるなり、じーっと見つめたまま固まっていた。

 さすがに不審と思ったか、ケイトが怪訝そうな顔をする。

「あのー、八坂さん?」

「…………」

 ケイトに呼びかけられてきっかり三秒後。イチルは何故か深呼吸し、次の一コマから信じられない行動に出た。


「……臨・兵・闘・者・皆・陣・烈・在・前」


「へ? あのー、八坂さーん?」

 彼女は何を思ったのか、いきなり九字護身法の印を結び始めた。これにはさすがにクラスメート全員がドン引きして、表情を凍りつかせてしまう。

 イチルは一連の精神統一らしき行為を終えると、箱の穴にずばっと手を伸ばし、勢いよくくじを引いて、中を開いてからリラックスする。

 はて……奴は一瞬、何と戦っていたのだろうか。

「……八坂さん。宿泊班なんだから、いくら祈ったって好きな男子と一緒にはなれないんだよ」

「え? そうなんですか?」

「普通は男女別だからね? 君も中学生なら、いい加減分かるだろう? 何の為にこの学校の寮が男女に分かれているか、分からない訳じゃないよね? 大体、君は誰とお泊りしようと思ったんだい?」

「乙女のヒ・ミ・ツ★」

「この期に及んでそんな反応を得られるとは思わなかったよ」

 最初から分かっていた事だが、イチルは本当に頭がおかしいんじゃなかろうか。現役のファッションモデルに言えるセリフじゃないのは重々承知だが、人生のどこかで大切なネジを何本か落としてきたとしか思えない。

 この後も海上バスの座席決めなんぞをくじ引きで決めたのだが、


「オン・アニチヤ・マリシエイ・ソワカァァァァァ!」


 今度は摩利支天隠形術の印を結び始めたイチルなのであった。

 いやだから、お前は一体何と戦ってるんだ?


   ●


「駄目だ……イチルの「ソワカァァァァ!」が頭から離れない……!」

「やめろナユタ! 思い出し笑いが……!」

 星の都学園中等部・職員室の片隅。

 総合学習の名を騙った話し合いの時間を終え、ナユタ、タケシ、サツキ、イチル、ナナの五人はケイトの命令により職員室にお呼ばれしていた。何の用で呼び出されたのかはこの時点ではまだ知らされておらず、彼ら五人は軽い所用を終えて戻ってくるというケイトを待ち構えていた。

 未だに笑いを押し殺そうと努力するナユタとタケシに、イチルがムキになって反論する。

「笑うな! あたしは至って真面目にお祈りしたんだもん! マネージャーさんが「これやっておけば大抵の事は全て上手く行く」って言ってたんだもん!」

「あなたそれ、マネージャーさんに遊ばれてるだけではなくて?」

 サツキが整った顔立ちを曇らせて言った。

「あなたの奇行は毎度の事でしょうが、最近はもっと酷くなってますわ。少しは改善しなさいな。じゃないと、いつかゲテモノ有名人として後世に名を語り継がれますわよ」

「サツキまで酷いっ! あたし、ちゃんとした常識人だもん!」

「職員室で騒ぐ子に、常識とやかく言う筋合いは無いと思うが?」

 丁度良いタイミングで帰ってくるなり背後から鋭く突っ込みを入れたケイトが、ナユタ達の前をさっさと回り込んで、手近なテーブルの上に置いてあった大きなダンボール箱から、きっかり五つのアイテムを取り出した。全て黒いトランクケースだが、そのうちの二つは妙にサイズが小さい。

 ケイトが改めて向き直って言った。

「いやー、待たせてすまないね。今日君達を呼んだのは、申請していた物がそれぞれ届いたからなんだ。いまから軽く説明するから、よーく聞いておいてね」

「申請してた物?」

 なんだろう、まるで身に覚えが無い。強いて言うなら、以前ナユタがケイトに頼まれて、何故か自分の<メインアームズカード>を彼に預けた事ぐらいである。

 ナユタが首を捻っている間に、ケイトが五つのトランクを机の上に整列させる。

「まず、八坂さんからだね」

「お、待ってましたー!」

 どうやらイチルのみ、おおよその事情は理解しているらしい。

 ケイトは机の上に置かれた五つの物体の一つ――小さい方のトランクを開いてみせた。中に入っているのは銀色のデッキケースと、一枚の<メインアームズカード>だった。

「八坂さん、B級昇格試験の合格、改めておめでとう」

「ありがとうございますっ!」

 イチルは喜々としてトランクのカードとオフィシャルデザインのデッキケースを手に取り、さっきのナナよりも目を輝かせてはしゃぎ始めた。

 ああ、そーいやそんな話があったかな。

「イチルの奴、最近エレナの姐さんに推薦された上に稽古されて、B級の昇格試験を受けたんだっけかな。普通ならB級昇格は高校になってからの話だけど」

「現職のライセンスバスターが推薦したんだから文句言えねぇよ。聞いた話だと、かなり才能があるらしいぜ、あのバカイン」

 バカヒロイン、略してバカイン。新ジャンルである。

 だがそれはあくまで言動や行動だけの話である。モデル業で勉強が遅れてるにも関わらず、学業における成績は確実に平均点以上を叩き出したり、初等部から中等部に昇格する間に行われた『戦闘演習入試』での成績も悪くないらしい。

 しかし、それだけで『あの』人類最強が目を付けるのだろうか。不思議な話である。

「いま渡した<メインアームズカード>は知っての通り、君のC級カードをそのままB級仕様にアップデートしたモノになる。元から高性能なカードだったし、君の腕前ならA級レベルの力を発揮する筈だ。実技と筆記で総合一位だからね」

「すげぇ! いつの間にそんなパワーアップしたんだ、お前!?」

 ナユタが素で驚いて、目をくわっと見開いた。

 外見も含めてイチルがハイスペックなのは知っているが、<バトル>の授業だと言う程目立つような成績を叩き出している訳ではない。戦闘のプロであるナユタから見ても、ちょっと出来が良い素人、程度の認識でしかない。

 イチルが照れ笑いして言った

「この前は何の力にもなれなかったし、これでちょっとは誰かの力になるかな」

「そりゃ、強いに越した事は無いが――あの姐さんの稽古……どんなんだろ」

 ナユタの実力すら超えかねない最強の女による特別稽古――あまり考えたくはない。

 いや、そもそもよくエレナもそんな気になったものだ。あの人も自分の仕事があって、おまけに現役の女子大生で忙しい身空だというのに。

 一通りイチルがはしゃぎ終わったのを見届けると、ケイトはナナに目を向けた。

「次はリカントロープさんだね。ほら、デッキケースとC級カード」

「わーい、あたしのカードだー!」

 ケイトは残り四つのうち、もう一つの小さいトランクを開いて、中のデッキケースと<メインアームズカード>を公開する。イチルのトランクと中身は全く同じように思えるが、実際は大きく違う。

 ナナの場合、元々はこのグランドアステルの上空に浮かぶ天空都市――スカイアステルの住人である。だが、以前起きたとある事故により記憶を失ってしまったナナはグランドアステルに移送され、元の出身地で社会復帰が出来なくなったが為にここに留まっているのだ。

 だからナナがスカイアステルで使用していたA級の<メインアームズカード>は使用できなくなり、C級のライセンスからリスタートする事となってしまったのだ。

 だからナナに向けて送られた小さなトランクに収まっているのは、C級の<メインアームズカード>と、星の都学園の学生証代わりとなる特別デザインのデッキケースなのである。

「<銘刀・星影>。市販品のカードだが、この刀は九条君のお下がりでね。まあ、安心したまえ。九条君が施した違法改造はきちんと修正してあるから」

 『違法改造』のあたりを強調して、ナユタをギロっと睨むケイトなのであった。ナユタは後ろめたさ全開で顔を背けて、顔面にびっちりと脂汗を浮かべて固まった。

 ナナが二人のやりとりを見て、不思議そうな顔をする。

「? いほーかいぞー?」

「この九条君は事もあろうに、振った剣が折れないように勝手に刀身の強度を上げたり、自動修復機能を付け加えたり――とにかく、バレたら普通は罰金モノの改造を施してくれちゃったんだよねー」

「悪い事なんですか?」

「ああ。かなり」

「…………」

 ケイトがよりにもよって自分なんぞのカードを欲しがっていた理由が、いまになってようやく判明した。

 まさか、最初から俺の違法改造品を取り上げるつもりだったのか!

「……ま、まあ、いいじゃないっすか。俺ぐらいの達人になると……ね?」

『…………』

 一同の白眼視を受けて、ナユタがさらに気まずい顔をする。

 くっ……くそ! ここは話題を変えねば!

「そ……そーだ! 残り三つのトランクは何ですか? 気になるなー!」

「ああ、この三つは九条君、六会君、園田さんに贈る新兵器さ」

 ケイトもいい加減『ナユタ弄り』を止める気になったらしい、これまでとは一回り大きい三つのトランクに手を向ける。

「この三つは君達で開けたまえ」

「ほうほう。では早速」

 三人はそれぞれのトランクに手を伸ばし、中を無造作に開ける。

 中に入っていた、これまで見た事の無いような物体を前に、ナユタ達は息を飲んだ。

「新型汎用端末、<アステルドライバー>と、専用のデッキケースだ」

 ケイトが短く説明を添えた後、受領者の三人が、物珍しさを隠そうともせずに例の端末を凝視する。

 <アステルドライバー>なる端末は、一見したら煙草のボックスみたいなサイズをしており、画面の枠や外側の装飾が鏡のような銀色で光り、これまでの端末よりもより重厚さが際立っていた。携帯端末としては小さい方だが、いざ手に持ってみるとずっしりとした重みがある。

 それぞれ端末のベースカラーが違っており、ナユタはダークブルー、タケシはクロムカラー、サツキがパッションレッドである。

「先生、何でこの端末を俺達に?」

「無論、戦闘に重きを置いているからさ。試しに電源を入れて、腕にあてがってみなさい」

「? はあ……」

 三人は怪訝な顔をしつつ、左側に施された電源スイッチを押し込む。起動画面が表示され、いかにも近未来的な動きをする文字やら絵柄などが一通り流れ、最終的にはホーム画面みたいな表示に移行する。

 そして言われた通り、端末の裏側を腕にあてがう。

 すると、端末の側面部から光子で構成されたベルトが伸びて腕に巻き付き、

『オペレーションモード・セットアップ』

 女性の声を模した機械音声が、何かしらの機能が発動した旨を宣告する。

 予想外のギミックに、ナユタ達がぎょっと目を剥いた。

「な、なんぞっ!? 一体何が起きた!?」

「いまオペレーションモードっつったか?」

「何が始まるのでしょうか……?」

 もちろん、驚いているのは装着者三人だけではない。ナナとイチルも、よく子供向けのSFモノとかで見るような近未来的ガジェットを目にして、年不相応に目を輝かせて感嘆の音を上げている。少なくとも、思春期真っ盛りの中学生女子が見せる反応ではない気がする。

 ケイトが彼らの反応を見て満足するや、次はデッキケースを指差す。

「次は<アステルドライバー>と連動するデッキケースについてだ。ケースの横に装着された<ドライブキー>を取り外して、ドライバーの右に開いた穴に通してみなさい」

 これも言われた通り、デッキケースの側面に備え付けられた鍵のような細い物体を取り外す。これが<ドライブキー>と呼ばれるアイテムである。

「これを……こうか?」

 次はドライバーの右側面に開いた四角い穴に、例の<ドライブキー>を奥までしっかりと差し込んだ。鍵の頭だけが飛び出した形になるが、格好としてはあまり気にならない。

『バトルモード・セットアップ』

 今度はドライバーから物騒なメッセージが聞こえてきた。

「この状態は?」

「聞いての通りだ。これでデッキケースとのペアリングが完了して、中のカードの情報とか見られたり、音声入力だけで戦闘用のカードが使えるようになる」

「それってハンズフリーでって事ですか? そりゃ凄いですね……」

 <アステルカード>というアイテムは基本的に、手に持ってから音声入力で機能を発動させなければならない。カード型という携帯に便利な形をしている反面、発動するには手間と時間が掛かるのである。戦闘中であるなら、なおの事厳しいデメリットである。

 だが、この<アステルドライバー>を使えば、いちいちカードを取り出す手間が省ける。これは大きなプラス要素である。

 一回発動してみようか――などと出来心が芽生え始めたところで、ケイトが釘を刺すような事を言ってきた。

「そうそう。<アステルドライバー>の受領諸君。せっかくだからこの後、ニューアイテムを使ってみたいと思うだろうが、龍牙島に行くまでは<バトルモード>での試験運用を控えていただこう」

「何故?」

「あまり君たちを特別扱いしても、周りがうるさそうだしね。そもそもこの<アステルドライバー>は、<ウラヌス機関>が君達を完全に管理下に置く為に拵えた、いわば『番犬の鎖』だ。特に九条君と六会君。君達に<アステルジョーカー>をポンポン発動させる訳にはいかない」

 <アステルジョーカー>とは、人間一人分を原料に作られる、禁断にして究極の<メインアームズカード>である。ナユタの場合は育ての親が、タケシの場合は初恋の相手がそれぞれ生贄となっている。

 当然の事ながら絶大な力を誇っており、少なくとも一枚あれば、星の都学園を中枢に置くセントラル区域は一瞬で壊滅するだろう。政府も飼い犬にしたいと思う訳だ。

「ちなみに、九条君と六会君の新しいデッキケースの中に一枚だけ、これまた新しい<メインアームズカード>が入ってる。これは最近頑張ってる君達への、『ヤマタの老師』からのささやかなプレゼントだ」

 <アステルドライバー>でデッキ内のカードを検索してみた結果、ケース内に一枚だけ、本当に新しいカードが入ってる事が発覚した。

 ナユタがふむふむと、目を凝らしてステータスを確認し、

「おい……これって……」

 すぐに戦慄した。

 与えられたカードの名は<蒼月>。日本刀型のA級アームズだった。


   ●


 <アステルカード>にはランクというものが存在し、それぞれA・B・Cの三つに分かれている。

 特にランクの特徴が出やすい戦闘用カードの場合は性能の差が歴然としており、例えばC級の<メインアームズカード>・および<バトルカード>は、人間への殺傷能力が皆無であり、<星獣>に与えるダメージも微々たるものなのである。これがB級以上になると能力が格段に上昇し、対人戦闘にも使えるようになってくる。

 中学生であるナユタ達は、本来ならば高校生にならないとB級カードの使用許可が降りない。だが、幾分か例外が存在する。

「まさか、あのイチルがねぇ……」

 星の都学園・第一アリーナ。普段は体育や<バトル>などで使用される広大な屋内の片隅で、ナユタは感慨深そうに唸った。

「ま、ナナ共々、お手並み拝見と行こうじゃないか」

「ナナは冗談抜きで強いぞ? イチルなんぞ一瞬だ」

「いやいや、うちのイチルも姐さんの修行に耐えたんだ。侮ると足元掬われるぜ? 多分」

「いやいやいや、うちのナナには勝てんよ」

「子供を自慢し合う親バカですか、あなた達は」

 妙なところで口論を始めたナユタとタケシを、サツキが呆れたように諌める。

 そんな彼らから少し離れたところで、ナナとイチルは距離を置いて対峙していた。

「イチルちゃん、よろしくお願いしますっ」

「お手柔らかにね。……割とマジで」

 ナナがハキハキと挨拶して頭を下げる一方で、イチルは少々戦慄気味である。

 新アイテム受領後、五人はそれらの性能を確かめるべく、コンピューター室で<バトルカード>をダウンロードしてから、すぐにこのアリーナへと赴いた。<アステルドライバー>を得たナユタ達三人のテスト演習は龍牙島に設置されている演習ホールで秘密裏に行われるのだが、ナナとイチルだけは早めに新カードの試験運用をこなさなければならない。

 受け取ったのは自身の命を守るアイテムだ。試すなら早いに越したことはない。

「んじゃ、無痛覚フィールドを作動させるぞ。二人共、準備はいいか?」

「おっけー!」

「ナユタ、お願い」

 二人が<メインアームズカード>を構えたのを確認し、ナユタが<アステルドライバー>でいまイチル達が立っている座標を指定し、青いドーム上の演習フィールドを展開する。

 これが<バトル>の要、<無痛覚フィールド>である。中にいる人間の全ダメージを、フィールドそのものが肩代わりしてくれる。

「ナナ。忘れちゃいないと思うが、こいつは対<星獣>用の訓練だ。対人戦だと思うなよ」

「がってんだー!」

 こちらの忠告に元気良く返事するナナに、ナユタは一抹の不安を覚えていた。無邪気で調子の良いだけの人間程、小さな罠に気づかず嵌り易い。そこからは自身の荷重で、自動的に底なし沼に飲み込まれていくだけである。

 中途半端に記憶を失くした状態の彼女は、特に危うい。

「……スリーカウントで始める。レディー……」

 対戦者二人の面持ちに緊張が走る。

 スリー、トゥー、ワン――

「――バトルスタート!」


「「<メインアームズカード>・アンロック!」」


 二人のカードが、絵柄通りの姿に変形する。

 ナナのカードはこれといって変哲の無い、一振りの大太刀だ。市販品なので、これといって驚くようなギミックが搭載されている訳ではない。

 しかし、イチルのカードだけは違った。

 彼女のカードは白い光となるや、様々な武装がセットされた革のベルトになって腰に巻き付いた。ベルトの右側には銃身が短く銃口が縦に広いハンドガン型の武装、左側には丸みを帯びたシンプルな白い盾、後ろには手榴弾やナイフなどの副次的な武装が装着されている。

 <アステルドライバー>に表示されたステータスを見て、サツキが興味深そうに述べる。

「B級アームズ・<ギミックバスター>。総合的な能力で良好なバランスを有するイチルさんの為に開発された、特注品の<メインアームズカード>ですわ」

 特注品というと、なんとなく誰かに贔屓されたおかげで作られたイメージがあるのだが、実際は違う。これはイチル自身が努力と実力で勝ち取った物である。

「――いくよ」

 イチルが目つきを変え、右の腰に収めていた近未来的なデザインのハンドガンを抜き、ナナに向けて発砲、連射。青い光の弾丸が、立て続けにナナを襲う。

「わ……わわわわっ!」

 ナナちゃん、早速大ピーンチ。

 反応が大きく遅れたせいで、イチルの放った弾丸が全弾命中。<アステルドライバー>に表示されているナナのヒットポイントメーターが、一気に半分まで削られる。

 だが、これで黙ってやられる程、ナナも雑魚ではない。

「やったなー! うりゃ!」

 ナナが大太刀を構え、真っ直ぐ突進。捻りも無い、単純な踏み込みである。普通なら回避出来るだろう――が、案外そうでもなかった。

 瞬く間にイチルの懐に潜り込み、残像が残る速さで、ナナが剣を一閃。

「うそっ……!?」

 イチルがギリギリで反応して後退。なんとか銀光の弧を逃れ、首を狩られずに済んだ。

 一連の動作を見て、ナユタがぽかんと間の抜けた表情になる。

「……いまの、速くね? 下手すりゃ、エレナの姐さん以上じゃん」

「エレナさんの訓練で鍛えられなきゃ、さしものイチルも一撃でノックアウトだったな」

 タケシのコメントから分かる通り、いまの斬撃を反応して回避出来るのは、精々あのスピードに慣れたイチルかナユタ、あるいはウェスト区の戦争屋くらいである。

 以前交戦した時も感じた事だが、身体能力だけで言うなら、もしかしたら西の戦争で慣らした自分よりもナナが上かもしれない。

 二人の攻防はなおも続く。

 ナナが逃げるイチルに追い縋り、立て続けに斬撃を見舞ったかと思えば、イチルも負ける事なく左腰から白い盾を抜いて防御し、ハンドガンできっちり反撃している。

「それにしてもイチルの奴、本当に強くなったな」

 以前は戦闘に関して通じるところが無かったイチルが、あのナナに対抗している――この事実には、さすがのナユタも賞賛しない訳にはいかなかった。

 ここでまた、勝負が動いた。

「<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」

 ナナが市販品の<バトルカード>を発動し、大太刀に白い風圧をまとわせる。

 さすがにこれは危険と踏んだか、イチルも対抗して<バトルカード>を抜き出した。

「<バトルカード>・<ハンドキャノン>、アンロック!」

 <ハンドキャノン>はガンナー型の<メインアームズカード>の力を引き出す市販品の<バトルカード>である。これといった特徴は無いが、どんなに小さな銃でも強力な砲弾をぶっ放せるという汎用性が魅力のカードなのだ。

 ナナが剣を振ると、纏った風がドリル上に変化して飛翔。

 イチルがその「飛ぶ斬撃」に合わせ、白い光の砲弾を発射。

 互いの技がぶつかり合い、爆発し、激しい衝撃を伴って消滅する。

「っ……!」

「<ギアチェンジ>・<ブレードモード>!」

 イチルが爆風に怯む事なく詠唱すると、握っていた得物の銃身が持ち上がり、グリップに対して垂直になる。

 続いて、縦に広い銃口から伸びた白い光が、片刃の形へと姿を変える。

「<バトルカード>・<ブレードランス>、アンロック!」

 発動。いましがた伸びた刃がさらに刀身を三倍近くにまで延長させ、

「これでっ!」

 柄を両手で握って力を込め、

「終わりだっ!」

 大振りの一閃。巨大な刃が横薙ぎに、隙だらけのナナに襲い掛かる。

 決まった――イチルが勝利を確信した、次の瞬間。

 ナナの姿が、イチルの視界から消えていた。

「え……」

 ナナは既にイチルの背後で逆さまの姿勢で滞空しており、いままさに刀を振りかぶっていたところだった。

 ナナが首狩りの一閃を放ち、その勢いで再び体を反転させ、見事に着地。

 すると首を切り裂かれたイチルの姿が霞み、次の一秒後には、彼女はナユタ達の横で尻餅をついていた。これは<無痛覚フィールド>の仕組みであり、フィールド内で戦闘不能になると、このようにあらかじめ設定した場所へと敗退者が強制送還されるようになっているのだ。

 つまり。

「あれ……? あたし、勝った……の?」

 フィールド内で呆然と突っ立っているナナが、半ば無自覚っぽく呟いた。

 ナユタも改めて、<アステルドライバー>に表記されたイチルのヒットポイントがゼロになったのを確認した。

「……勝者、ナナ・リカントロープ」

 にわか信じがたいが、ナナの奴、あの状況から一発逆転しやがった。

 しかし、いまの瞬間移動は――

「ナナ! よくやったな! お前はやれば出来る子だと信じていた!」

「わーい、タケシに褒められたー!」

 戦闘が終わって自動でフィールドが解除されるや、タケシはナナの所まで駆け寄って、執拗に彼女を可愛がり始めた。さっきあの二人を兄と妹という風に形容したが、やっぱりあの二人はもうバカップルで良いと思う。

 いや、そんな事よりも。

「イチル、大丈夫か?」

「うん。平気」

 ナユタはいまだ呆然と尻餅をついていたイチルに手を貸して、彼女を立ち上がらせる。

「それにしても、いまの技」

「ああ。<流火速>だな」

「何でナナちゃんが使えたんだろう?」

「分からん」

「お二人はさっきから何を話しているのですか?」

 ナユタとイチルの会話に、サツキが怪訝そうな顔で割って入ってきた。

「二人して、彼女のいまの動きについて、何かご存知の様子で」

「あんまり人に言えたもんじゃない」

「そうなのですか?」

「元々は<アステルカード>を作るのに必要だった魔法さ。お前だったらよーく分かってるもんだと思ったが?」

「う……うるさいですわね。そういった教育を、お父様から受けていないだけですわ」

 サツキが機嫌を損ねて顔を背けるが、ナユタからすればかなり滑稽に見える。

 園田サツキの父は、<アステルカード>事業においてカード開発の仕事に就いており、サツキはそのテストプレイヤーとして度々試作品の戦闘用カードを操っている。だからナユタらより先んじてA級ライセンスを所持していたり、戦闘能力がこの学校の女子の中では異常に高かったりするのである。

 そんな彼女が、<アステルカード>の根幹を成す『魔法の技術』を知らないのが、少々不思議に思えてならない。

「いいですか? 私はあくまで戦闘用カードのテストプレイヤーであり、技術職とはまるで無縁の世界で生きているのですよ? そんな私に技術云々説明なんて出来る訳――」

 サツキお嬢様、言い訳全開である。

 可愛いので、もう少しからかってみようか。

「はいはい、分かった分かった。そうムキにならんでもええんじゃよ?」

「そうそう。人間誰にでも知ってる事と知らない事があるのですよ、サツキお嬢様」

 イチルがナユタの陰に隠れて腹の立つ顔で付け加えるように言うと、サツキが殺気立った目をイチルに向けて、デッキケースの<ドライブキー>に手を伸ばす。

「イチルさん? 今度は私とも<バトル>しましょう。この新兵器<アステルドライバー>で、見事二連敗を飾って差し上げますわ」

「え? やだ、疲れた」

「人を挑発しておいて背を向けるとは。モデルとは名ばかりの負けチワワですわ」

「何と言われても嫌なモンは嫌。ナユタ、代わりに相手してやって」

「女の醜い争いに俺を巻き込むな。それからサツキ。お前は人の話を聞いてなかったのか? 俺達が<アステルドライバー>で<バトル>出来るのは、龍牙島に着いて以降だ」

 イチルとサツキは仲が良いんだか悪いんだか、時々分からなくなるから扱いに困る。こいつらみたいなのを何て言ったか……そうそう思い出した、喧嘩友達だ。

 何はともあれ、これでイチルとナナが持つカードの試験運用が終わった訳だ。残りはナユタらが受領した<アステルドライバー>のみだが、ここでまた一つ疑問が浮かぶ。

 どうせ龍牙島での試験運用以降は自由に使えるようになって、学園全体にこのドライバーの存在が露見するのは明白なのに、何故いま学校で『バトルモード』を使用しちゃいけないんだろう? 使っていい場所や時間を指定するにしても、ドライバーの存在がバレるのが早いか遅いか、それだけの話だろうに。

 何か、この時だけ隠し通さねばならんような事情があるとしか思えない。

「わーい、今日は抱きつき放題だー!」

「そうだ、どーんと来い」

「…………」

 前から思っていた事だが、タケシは何故かナナに異様に甘い気がする。しかも、自分が主体となってお世話しているから愛着が湧いているとか、そんな事情から来る甘さではない。あれは一体何なんだろうか?

 それらを含めても色々分からない事だらけだが、一つはっきりしている事がある。

「タケシが日に日に気持ち悪くなっていく……あの朴念仁が、どんどんキャラ崩壊を起こしている……!」

 タケシの知られざる一面が、徐々に覚醒しつつある。

 ナユタにはそれが、異様に不吉なモノに思えて仕方が無かった。


   ●


 九条ナユタが莫大な量の不安を抱え始めたその頃――

 黒崎修一はユミ・テレサを連れ、西とセントラルの中域に栄える富民街――シャダマハル市街のストリップバー『emitting』にて待ち合わせの席を見つけるや、既に揃っていた三人の男女に嫌悪感丸出しの顔で尋ねる。

「……この店、誰が選んだの?」

「俺だよ、俺。常連さんだからな」

 大柄な四十代くらいの、たくましい外見をしたスーツ姿の男がさらりと答える。

 修一の眉間のシワが一層増える。

「バリスタ。俺とユミはまだ十三歳だぞ。なのに、何て所まで呼び出してくれてんだ」

 見ての通り、修一とユミは外見的には、この場所においてかなり浮いている。

 修一も女に見間違われるくらいにはベビーフェイスで、腰まで届く長い黒髪を持つユミも似たりよったりの顔をしている。二人共、温室育ちの優等生みたいなナリをしているので、普通は周囲から色物として扱われるのも仕方ないというものだ。

 いまでも、ステージの上でボンテージらしき衣装を纏うスタイル抜群の白人女性が、中央に立てられたポールを中心に官能的なうねりを見せつけ、時には下半身の恥部を露出させるといったパフォーマンスを演じている。

「こんな場所を待ち合わせ場所に指定しやがって。一回誰かさんにぶっ殺されただけじゃ、まだ足りないみてぇだな、オイ」

「そーだそーだ! もっかい死んでまえー!」

 修一の尻馬に乗っかる形で、ユミが頬を膨らませてバリスタを糾弾する。

 肝心のバリスタは、ごつくて大きな肩を竦めて返した。

「そりゃストリッパーに失礼ってもんだろう。現代の風営法でも許可された公的なお仕事だぜ? それにダンスそのものはエロティックよりも先に芸術的という感想さえ口をついて出てくる程さ。単にお前らの年齢さえ考慮しなければ……の話だが」

「そこ、一番大事なトコだろうが」

「一刻も早くこんな場所をオサラバしたけりゃ、文句言わずにさっさと席につけ」

 めんどくさそうに諭され、修一とユミはしぶしぶ、バリスタの対面のソファーに腰を下ろす。それからいまここに揃っているメンバーの顔を、再度確認する。

 まず、対面にはバリスタと、その隣には二十代前半の黒く露出が多めのドレスを着た長身の女性が座っている。本名不詳だが、彼女はこの業界ではヒメカラスと呼ばれている。

 そしてお誕生日席には、真っ白な髪をした、修一と全く同い年の少年が一人。

 彼こそが、今回の仕事におけるクライアントである。

「さあ、揃ったね。それじゃ、打ち合わせを始めよう」

「いや、色々おかしいだろ。何でお前もココにいるんだよ」

 すまし顔で会議の開始を宣言した白い髪の少年――一ノ瀬ヒナタに、修一がごく当たり前であるかのように突っ込んだ。

「仮にもお前は俺と同い年だろ。バリスタが指定した待ち合わせ場所に文句を言わなかったのか? あ、まさか、お前もこの手の風俗が好み――」

 修一の頬に一筋、小さな切り傷が刻まれた。言うまでもなく、ヒナタの仕業である。

「…………毎回思うけど、音声入力無しで、どーやってカード発動してんの?」

「教えると思うのかい? それと、次は首を狙うから。軽率は控えてくれたまえ」

「へいへい」

 頬に濡れた感触が伝わり始めたのと同じくして、ユミが店に入る少し前に貰った風俗店の広告が詰められたポケットティッシュを使い、修一の頬の血を拭い、絆創膏を貼り付けてくれた。気が利く相棒がいるのといないのとでは、どんな人生も大きく違ってくるんだなぁ……と、しみじみ思わされる。

 修一は適当なノリで話を振った。

「で、今回の獲物は?」

「この二つさ」

 短く答え、ヒナタが懐から二枚の写真を取り出し、テーブルの真ん中にそっと置いた。

 一枚は高い位置から撮影したのだろうか、強固な柵で覆われた陣地の中で退屈そうに眠っているドラゴン型の<星獣>が、俯瞰視点でぼんやりと写っていた。写真の解像度が低くてあまり鮮明ではないが、これが衛星写真で、しかもドラゴン自体が発光している事も考慮すれば、よく撮れていると言えるだろう。

 もう一枚の写真には、都会っ子でなくても名前ぐらいは聞いた事があるレベルの有名人が写っていた。年頃は自分達と全く同じで、いまは星の都学園中等部の一年生だ。

「ドラゴンの方はともかくとして……」

「修ちゃん。これ、八坂イチルじゃね?」

「あらー、ホントだわー?」

 写真の顔を覗き込み、ヒメカラスがようやく口を開いた。

「ねぇえ、ヒナタ君? まさかこの子を誘拐して、貴方の前まで引っ張り出せってのが今回の任務ー? 結構な大事にならなーい?」

「話は最後まで聞いておくものですよ、ミス」

 ヒナタはグラスに注がれたジンジャエールを一口飲んで、中の氷を優雅に揺らす。

「今回はこのドラゴンと八坂イチルを、セットで僕の所まで連れてきて欲しい」

「このドラゴン、たしか龍牙島に管理されてるっていうレア<星獣>だろ?」

 修一がドラゴンの写真を手に取って言った。

「見るからに怠惰な生活を送ってそうだ。ドラゴンの威厳は何処へやら」

「そのドラゴン型<星獣>は、元々<トランサー>が<ビーストランス>に使う為に、リカントロープ家で管理していた一族の家宝って奴さ。だが、そいつを手懐けられる唯一の人間がある日突然死亡したらしくてね。一族の他の連中では手の付けようが無いってんで、龍牙島に預けられてるという話だ。自分の家宝の管理も出来ないとは、呆れた華族もあったもんさ」

「いーや、その情報は古いぜ」

 バリスタがやおら真剣そうな顔で口を挟んできた。

「ヒナタ。いまお前、そいつを手懐けられる人間がある日突然死んだって言ってたな。そいつは真っ赤な誤情報だ」

「何?」

 ヒナタがすまし顔を捨てて、途端に真剣な目つきになる。自分の情報収集のミスを手痛く指摘されていたたまれないというよりは、純粋にバリスタが得た新情報に興味があるといった態度だった。

 バリスタはジム・ビームを一口飲んでから言った。

「死んだんじゃねーよ。死亡扱いされたのさ、その<トランサー>は」

「死亡扱い? 一体何があってそうなった?」

「美月アオイっていう、星の都学園の生徒だったメスガキの事件を覚えてっか?」

 突然バリスタの口から飛び出した意外な言葉に、修一もヒナタも目を丸くした。ユミとヒメカラスといえば、呑気にドリンク(もちろんノンアルコール)をお酌し合ってるだけだったが。

「メスガキは<獣化因子>に寄生され、体内に強大な爆弾を抱えるハメになった。その危険性に恐怖した政府側からも秘密裏に抹殺処分が検討されてな、本来なら秘密裏に<アステルジョーカー>の生贄になる予定だったんだが――そいつのクラスメートが関わったせいで、事情が大きく変わっちまった」

「その話なら知ってる。で、どうこの話に繋がってくる?」

 いまのところ、件の<獣化因子>の寄生患者と、今回のターゲットであるドラゴンとの関係性はまだ見えてこない。もちろん、その事件に関しての事情を全く知らない修一からすれば、どこまで話が飛躍するものかなんて予想もつかない。

「当然ながら、美月アオイ以外にも<獣化因子>に寄生された患者ってのが大量にいる訳だ。その中に、本来ならスカイアステルで死亡扱いになっていた筈の奴が居たんだよ」

「それがさっきの<トランサー>か。そいつの名前は?」

「ナナ・リカントロープ。スカイアステル最強の<トランサー>だ」

「最強の……ね」

 <トランサー>という種族の事は、知識としてはちゃんと備えてある。だが、誰が一番強いかという話はまるで聞いた事が無い。

 いま告げられたナナとかいう名前も、正直聞かされてピンと来るものは無い。

「とにかくだ。そのナナ・リカントロープって奴が、写真のドラゴンを唯一手懐けられるっていう奴さ」

 まとめるようにバリスタが言った。

 だが、ここまでの事を聞かされても、ヒナタはどこか物足りなさそうな顔を浮かべていた。

「事情は何となく分かったが――肝心のナナって人物は、いまどうしてるんだい?」

「良い質問だ」

 バリスタは人が悪そうに笑った。

「さっきの美月アオイの話にも繋がってくる事さ。ナナ・リカントロープは深刻な<獣化>症状にあった訳だが、セントラルの病院に移送された後、いくばかの月日をその中で過ごした。だが、美月アオイが<アステルジョーカー>として生まれ変わったその日に、その力を用いてナナ・リカントロープは<獣化因子>を取り除かれ、いまは星の都学園の一年生として平和に暮らしてるってシナリオよ」

「…………」

 機嫌よく語るバリスタではあるが、コイツは一体、どこからそんな情報を仕入れて来るんだろう? 修一やユミならともかく、ヒナタでさえ知らない事まで知っているとは。

「ちなみに余談だが、ナナ・リカントロープを救った<アステルジョーカー>を操ってるのは、なんと美月アオイの初恋の男なんだと。名前は六会タケシっつったか?」

「……なるほど。説明ご苦労」

 これまでの話を整理して自分の中に取り込んだヒナタは、すぐに次の話を切り出した。

「まあ、ちょっとした情報の変更があった訳だが、僕からの基本的な依頼は変わらない。要はこのドラゴンと八坂イチルを僕の前に引っ張り出して欲しいって事さ」

「そこがよく分からんな」

 修一は怪訝な顔で尋ねる。

「お前が何でいきなり有名な雑誌モデルを誘拐したいのかとか、そんな事はどうでもいい。だが、ドラゴンとセットで連れてこいってのは、一体全体どういう事だ? 菓子のオマケじゃねーんだぞ?」

「星の都学園中等部一年生の連中は、この二週間後に龍牙島への宿泊学習を控えている。八坂イチルもドラゴンも、僕が必要としているものはそこで一気に揃う」

「そういう事じゃねぇ。本当にそれが同時に必要なのかを……やっぱいいや」

 教えろと言う直前で思い直し、修一が咳払いする。

 依頼者に詮索など、傭兵である身の上からすれば愚の骨頂だからである。

「作戦は君達、西の戦争屋――百戦錬磨のプロにお任せするよ」

「化物みてぇな強さをしたキ●ガイがよく言うぜ」

「最近は鉄火場に出てなくてね。腕が鈍ってるのさ」

 修一が毒づいたのを見て、ヒナタが肩を竦めながら返した。

 なにはともあれ、これで話す事はもうほとんど無い。あとはユミを連れて、この毒々しさを煮詰めて作られたエロスの鍋からオサラバするだけである。

 修一がユミの手を引いて立ち上がると、バリスタは未だ座ったまま、鷹揚な態度で話しかけてきた。

「そういやよ、修一」

「あん?」

「さっき美月アオイの話をしてて思い出した事がある」

 ドンペリの瓶を片手で振って、気分が良さそうな顔をしているが――バリスタの目は、決して笑っていなかった。

「ナナ・リカントロープはただ助かった訳じゃねぇ。取り憑かれた獣に為すがまま操られ、ライセンスバスター複数人を一人でなぎ倒すぐらいの大立ち回りを演じた。だが、そんな化物を取り押さえたのは、中学生の男子二人って話だ」

「それがどうした?」

「一人は六会タケシ。もう一人ってのが……聞いて驚くなよ?」

 もったいぶったような言い方をするバリスタに多少の苛立ちを覚えるも、修一は辛抱強く、数秒ぐらいは待ってやった。

 やがて頃合になったと踏んだか、バリスタが再び口を開いた。

「なんとあの、九条ナユタ君なのでしたー!」

「!?」

 ナユタ? いま奴は、ナユタと言ったか?

 何でここで、アイツの名前が出てくる?

「お前、ナユタの居場所を……!」

「おっと? 君はたしか、早くこの情操教育上不適切な店舗からすぐにでも脱出したかったんじゃないのかね?」

「……っ!」

 来たのが自分一人だけなら良かったのだろうが、いまはユミも連れている。彼女をいつまでもこのような場所に置いてはおけない。

 ナユタの事については色々知りたい事もあるが、いまは引き下がった方が身の為だ。

「……後で話を聞かせて貰うからな」

「気が向いたらな」

 翌日にはこの口約束も忘れているだろう、と思わされるぐらいに酔っ払ったバリスタに背を向けて、修一とユミは再び歩き出した。

 背後から聞こえた「ドンペリ十本」とかいうふざけた注文は、聞かなかった事にしよう。


   ●


 グランドアステル内では屈指のリゾート特区、サウス区の最南端から出港している海上バスの中で、ナユタはずっと<アステルドライバー>を弄り回していた。以前使っていたAデバイスから完全に料金プランや保存データ等を移行し、自分専用となった新デバイスを相手に悪戦苦闘の真っ最中である。

 電話やメール機能は昨日の夜のうちに使いこなせるようにはなった。だが、SNSやその他便利機能の使い方だけは如何せんままならない。

「なあ、イチル。お前、ツイッターとかやってる?」

「ツイッターもフェイスブックもLINEもやってるよ」

「もう何が何やら」

 そもそもナユタ自身はSNSになんぞ全く手をつけていないし、携帯端末は電話とメールさえ使えればそれで良かったと思ってる性質なので、多機能型電子デバイスの扱いにはほとほと困らされるのである。

 いや、ちょっと待て。たしかツイッターとかフェイスブックなんぞは千年以上前のソーシャルネットワークだろうが。まさか、いまの時代に再復旧したというのだろうか。

「でもさ、興味が無いんだったら、無理してやる事は無いと思うよ」

 イチルからごもっともなご意見を戴いたので、ソーシャル云々に関してはやっぱり気にしない事にした。

 白波を立てて海上を突っ走るこの海上バスはいま、目的地である龍牙島へと向かっている。話によると二時間ぐらいで到達するらしいが、ナユタからすれば少し長い気がしないでもない。

 ちなみに海上バスの座席自体は普通の旅行バスとさして変わらない配列で、いまは男女一名ずつが隣り合って座っている。

 ナユタはイチルと並んで、最後列の一席手前に座っている。バスの座席決めの際に、イチルが呪詛らしきものを唱えながら引いたクジが招いた結果である。

「ねぇねぇ、ナユター」

「どした?」

「あれ」

 イチルが指差した最前列の席から、金色のアホ毛が見え隠れしている。誰が見紛うだろうか、間違いなくナナ・リカントロープの頭髪である。

 しかし何故だろう。いつもは輝いて見えるあのゴールドカラーが、今日は何故かくすんで見えていた。

「ああ、何か落ち込んでますな、イチルさんや(おじいちゃんボイス)」

「ええ、ナユタさんや。タケシと隣の席になれなかったからですな(おばあちゃんボイス)」

「暗い雰囲気放ってるだけならまだ良いが、そのうち真っ白になるぞ、アレ(素)」

「それに比べたら……(おばあちゃんボイス)」

 今度は二人揃って真後ろに振り返り、アイマスクを装着して気持ちよさそうに寝ている六会タケシを呆れ果てた顔で見てやった。

「まあ、最近忙しかったからな。ちょっとくらいは寝かせてやっても良いんじゃね?」

「この騒ぎの中、よく快眠していられるよね」

 イチルが言う通り、いまこの海上バスの中では、眠る事さえ許されない程の喧騒に包まれていた。クラスメートの面々は座席を回転してトランプやお喋りに打ち興じ、中には船内に搭載されたカラオケで熱唱する者までいる。

「それ程までに疲れてるって事だろ。あー、こいつ見てたら、俺まで眠たくなってきた」

「あたしも、ちょっと疲れちゃった……」

 忙しいのはタケシだけではない。ナユタもイチルも、かなり面倒な事でメンタルとバイタルを両方削られているのだ。

 彼ら三人の共通点は、中学生の本分から逸脱した事情に翻弄されている、という一点だ。

「寝ようぜ、イチル。着いたら誰かが起こしてくれるだろ」

「そだねー……おやすみー」

 一回目を閉じたら、意識が遠のくまでそう時間はかからなかった。




   ●


 大好きなタケシと隣りの席になれなかった。物凄くショックだ。

 しかも、問題の彼は既にアイマスクを装着して寝に入ってしまっている。なら、自分も寝てしまった方が、幾分か気が紛れるだろう。いやむしろ、一緒にいられない時間を意識からすっとばす事ぐらいは出来そうだ。

 傷心のナナがこの喧騒の中でもすぐに夢の中へと堕ちていくのは簡単だった。

 いや、これは夢と呼んでも良いものなのだろうか。

『この目にしっかり焼き付けなさい』

 自分の横に立っている中年の女が告げる。

 この女は誰だ? 分からない。いや、覚えていないが正解なのか? やっぱりよく分からない。

『これが裏切り者の末路よ』

 自分より年上だろう、衰弱した一人の少女が、二人のむくつけき男に取り押さえられている。そんな彼女は一糸纏わないままぼろぼろの肌を晒し、髪は抜け落ち、口はだらしなく開きっぱなしだった。

 彼女を取り押さえていた男の一人が注射器を取り出し、彼女の腕に針を突き立て、シリンダーの中に入っていた黄色い液体を注入する。

 すると彼女の全身から銀色の体毛が急速に伸び、見た目が狼のように豹変する。

 そして、何度か呻いた後、こちらへと飛びかかって―― 

「いやぁああぁあぁああ!?」

 叫んだ途端、視界が一瞬だけ真っ白になり、ぼやけた景色が鮮明になる。

 気づけば、息が何故かとても荒くなっていた。それだけじゃない。自分の周りにいた一年Dクラスの級友達がほぼ全員、丸くなった目でこちらを見て唖然としていた。もっとも、度重なる疲労でぐったりしていたタケシやナユタ達は眠ったままだったが。

「……あの、リカントロープさん?」

 隣の席に座っていた、それ程親しくも無い男子に、心配そうな声を掛けられる。

「さっきからずっとうなされてたけど、大丈夫?」

「……あ、うん……だいじょう……ぶ」

 巡航中の海上が赤道に近い為か、それともうなされていたせいか知らないが、体中に変な汗をかいているし、何より喉が渇いた。しかも妙に頭が痛い。

 いまの声は一体何だったんだろう――ナナが夢の内容を反芻するうちに、深緑が鬱蒼と茂った巨体が窓から見えてきた。

 あれが今回の目的地、龍牙島。宿泊学習の舞台となる、絶海の孤島である。


   ●


「ターケシィィィィィィ! お前今日こそぶっ殺ぉぉぉぉぉす!」

「うるせぇ! ナナが転校してきた初日のお返しじゃ!」

 海上バスを降りて早々、広くて長い桟橋の上でナユタとタケシが殴り合いを始めた。

 事の始まりは、ナユタ達が乗る海上バスがこの龍牙島に到着した時である。バスが止まって、運転手以外の乗員が全員我先と車内を降りる中、最後列のタケシが席を立つ段階になってもナユタとイチルだけはぐっすり眠っていたままだったのである。タケシが二人を揺り起こそうとしても反応が無いのは勿論だったが、むしろ問題は彼ら二人の寝相にあった。

 隣り合っていたからというだけでは説明がつかないぐらいに身を寄せ合い、健やかな寝顔のままに静かな寝息を立てるナユタとイチルは、さぞかし仲睦まじいカップルに見えただろう。

「なーにがお返しだアホ臭ぇ! 全く関係無いのに、あの寝相を撮影してクラス全員に写真なんぞを送信しやがって! 変な噂が広まったらどーする気だ!」

「黙りやがれ水色星人! 俺とナナのキスシーンよか数倍マシだろうが!」

「あれか? あれを撮影したのは俺じゃねぇし、そもそも俺全く関係ねぇし、主犯はイチルだかんな? 俺は大人しくしてました! Did you understand?」

 タケシとのファーストキスで衝撃的な中学生デビューを果たしたナナの勇姿は、イチルの手により撮影・印刷・拡散されている。お陰様でタケシ自身はここ一ヶ月の間、存分に生暖かい視線を周囲から浴びるようになってしまったのである。

 全部イチルが悪い。何もかもイチルが悪い。森羅万象イチルが悪い。

 もっと言うなら、彼女の悪事に自分まで加担した覚えはない。

「イチルを見ろ! 顔真っ赤っかだぞ! 何も言えなくて泣きそうになってるぞ! 自業自得ってんならもうそれで充分じゃねぇか! 俺まで巻き込んで何が楽しい!」

 ナユタが指差した通り、被写体その二であるイチルは、男子二人が大喧嘩している横で自分の顔を両手で覆い隠している。俺とあんな形でツーショットを決め込む形になったのがそんなに屈辱的なのかと問い詰めたくなるが、いまはそんな事などどうでもいい。

「俺の気が収まるまでサンドバックにしてやる! シャダマハルファミリアの拷問がマッサージに思えるくらいの制裁を覚悟しやがれ!」

「上等だ。やれるもんならやってみや――」

「いい加減にしないと、生徒といえど殺すよ?」

 かなり直接的な警告と共に、担任のケイト・ブローニンが二人の頭を鷲掴みにしてきた。その表情は温厚そのものだが、心なしか目が笑ってないように見える。

「九条君。君がブチギレしてどうする。大人の対処をしなさい」

「俺だってまだ中学せ……あだだだだだ! 軋む、軋む! 頭蓋骨が軋む!」

「返事は?」

「ハイ! 分かりました! 分かりましたから、いい加減俺の頭蓋骨に安息を!」

 そろそろ指の力だけで陥没しそうになる頭蓋骨に気を遣ったのか、ケイトがあっさりナユタの頭から手を離す。握力だけで頭蓋骨を握りつぶされそうで、冗談抜きに怖かった。

 ナユタは舌打ちしてから「命拾いしたな」と吐き捨て、いつの間にか周囲に群がっていたクラスメート達の所までズカズカと歩み寄る。まあ、タケシとはいつもこんな感じなので、喧嘩した後で不機嫌が尾を引く事が無いから、案外気は楽である。

 それから生徒達一行は島の職員達の案内で、自分達が寝泊りするコテージに荷物を置き、少し休憩してから資料館へと向かった。といっても、資料館というよりは縦に長い公民館みたいな感じの施設なのだが。

 生徒と職員達は施設内にある一室、広大な面積を誇る講習室に集められ、適当な席に腰を下ろしていた。適当とは言っても座席の区分はクラス毎に分けられているので、生徒達も比較的素早く着席する事が出来た。

「……イチルが俺を避けている」

 さっきの騒動があってか、さり気なくイチルの傍に座ろうとしても、彼女はさっさと遠くの席へと逃げてしまう。だからお前は、そんなに俺とカップル扱いされるのが嫌か?

 ナユタが難しい顔をして考え込んでいると、たまたま空いていた隣の席にサツキが腰を下ろし、何故か穏やかそうな顔で話しかけてきた。

「あら、ナユタ君。如何なさいましたか? 顔色があまり良くはないようですが」

「いや……何となく、男としての尊厳にダメージを負った気がして……」

「心配しなくても、ナユタ君は素敵な殿方ですわよ?」

 サツキがここぞとばかりに自分を持ち上げてくる。純粋な好意で言ってくれているなら嬉しいのだが、言葉の端々に別の何かが見え隠れしているような気がしなくもない。

 その正体には何となく感づいている――が、ここは放置だ。

 しているうちに、講習室の壇上に、職員専用の青いジャージを羽織った三十代ぐらいのひょろっとした男性が現れる。彼が何かの資料を手元の机に置いたのと同時に、生徒全員のざわめきが一気に消失する。

「星の都学園の皆さん、初めまして。私はこの龍牙島の管理人、橋良伸行です。今日はこの島にお越しくださいまして、誠にありがとうございます」

 形に則った挨拶をいくつかこなす橋良職員は、いくつかの必要事項などを簡潔に話し終えると、次に手元にある分厚い紙の束を掲げてみせた。

「えー、海上の旅路にてお疲れの事とはございましょうが、ここでちょっとしたシートの記入がございます。テーマに沿った論文を書いていただく事になりますが、ここで悪い点を取っても成績には影響しないので、書く内容が思い浮かばない場合は無記入で構いません。疲れているなら机の上で寝ていても結構ですが……まあ、勘が良い方は受けた方が良いかもしれませんね」

「?」

 他の生徒は勿論だが、ナユタも少し当惑していた。抜き打ちみたいな形でテーマに沿った論文を書けと言われるのは良いとして、受けなくても成績に影響しないというのはどういう意味だろう? ここは受けなかった場合は内申書に響くと、少しでも脅しじみた言い方をしても良いのではなかろうか?

 思案しているうちに問題のシートがこちらの手に渡ってくる。

「……なるほどね」

 問題用紙の上の部分に書かれた一行を見て、ナユタには得心が行った。

『<星獣>に関しての、あなたの見解を述べなさい』

 たしかに、普段の授業とはあまり関係が無いとも言える内容だ。いまの自分達の学年だと、<星獣>の知識なんてせいぜい<バトル>の時に教えられる程度のものしか持ち合わせていない。

 どうりで、内申に悪く影響しない訳だ。

「制限時間は三十分です。では、始めてください」

 しかし、さっきあの職員が言った「勘が良い方は受けた方がいい」という言葉がかなり気になる。それこそ、一体何の話だろうか?

 考えても仕方ない。いまは目の前の論文に集中しよう。


   ●


「白い砂浜」

「青い海」

「「そして」」

 小さいカモメ型<星獣>が蒼空を回遊し、耳に心地よい鳴き声を響かせている下で、まずナユタは七輪を用意し、タケシが着火成形炭を七輪の中に放り込んで火をくべて、編みの上に捕れたての秋刀魚を乗せる。

 脂が乗った秋刀魚が焼ける様は見ているだけで、冗談抜きに白飯三杯分はいけそうだ。やがて乗せた秋刀魚が丁度良いくらいにまで焼き上がる。

 白い砂浜、青い海、そして――

「「焼きたての秋刀魚!」」

 論文試験終了後、職員の一部が論文の採点に当たっている間、生徒側にはある程度の自由時間が与えられたのだ。だからといってセントラルのシティーチルドレンが絶海の孤島で何をして遊べば良いのかなどと考えつく訳も無い。せいぜい森林を散策する程度だろう。

 だがそれだけではありきたりでつまらないと感じたタケシが改めて島の地図を確認したところ、なんと島の最西端に広大な砂浜を見つけ出したのである。

 ならば生徒全員でこれから海水浴にしけ込むのも、まあアリっちゃアリだ。

 しかし、タケシ一人だけは全く別のアミューズメントを見出していた。

「はあ? 海水浴? 何言ってんのお前。海に来たら、やる事なんて一つじゃん」

 場所に着くなり、海の娯楽を全否定である。じゃあわざわざ海になんぞ出向いた理由とは何ぞや? と彼に聞いてみたところ、何処から用意したのだろうか、年季の入った七輪と着火成形炭を取り出し始めたのである。

「にしても、本当に準備がいいな、お前」

「いやなに、絶海の孤島ならこういうのも風情があると思ってな」

 タケシの口車に乗せられたナユタは、森林の木などを削って銛を作り、たまたま近くを泳いでいた魚を大量にゲットして帰ってきたのである。秋刀魚もナユタが狩ってきたうちの一種類で、他には鮎や鰯、タコなんぞも手元のクーラーボックスに収納されている。

 快晴の空の下、焼きたての秋刀魚を割り箸でつつき、海を泳いだり砂浜でビーチバレーに興じたりしている生徒達をのほほんと眺める中学生男子が二名。誰からどう見ても浮いているし、何より行動やしぐさがいちいちオッサン臭い。

 これでビールなんぞがあったら最高だが、生憎ナユタもタケシも、いま視界の中ではしゃいている子供達と同年代だ。お酒は二十歳から、という決まりごとを遵守しなければならんので、彼らがいま手を付けているのはノンアルコールビールである。

「オイ、タケシ。見ろよアレ」

「ああ、見てる見てる。俺、保護者だもんな」

 二人が鼻の下を伸ばして、他の女子達とビーチバレーに励んでいるナナを注視する。島側が用意した借り物の水着姿とはいえ、発育が良い彼女がビキニなんぞを身につけた日には、思春期真っ盛りの男子なら一撃悩殺間違い無しである。

 現に、未だ十三歳のクセして、彼女の胸に実っているたわわな双丘が、激しい動きに連動してぽよよんと揺れているのだ。見よ、あの弾力! あの躍動感!

「あ、他のクラスの男子がナナに言い寄ってるぜ」

「問題無い。サツキがいまヘルプに入った」

「本当だ。見事なサマーソルトキック、ありがとうございました」

 無邪気で可憐な少女に集るハエの始末はサツキの仕事である。かくいう彼女もナナとは別の意味で良いプロポーションを誇っていて、彼女に見入っている男子も少なくはない。十三のガキンチョのくせして……とか、もう時代遅れの見識なのかもしれない。

 一通り貴重な水着姿の女子なんぞを見ていたところで、ナユタがはたと気づく。

「イチルの姿が無いな」

「あいつなら海で我武者羅に泳ぎまくってるぜ。ほれ」

 ナナやサツキにばかり目が行ってて気付かなかったが、たしかに奥の海で、物凄い勢いの白波を立てて海中を遊泳している何者かの姿があった。

 見なくても分かる。あんな事をするのはイチルしかいない。

「イチルの奴、思ったより大きな心の傷を負ったみたいだな」

「あいつのツボがよく分からんのだが……仕返しにしてはやり過ぎたか?」

「分からんけど、多分お前は、知らんうちにイチルの中にある別の地雷を踏んだんだ」

 そもそもイチルはあの程度の辱めを引き摺るような性格ではない。だとしたら、いまの彼女がああして無茶苦茶な心理状態になっているのには、何か別の理由があるという事だ。

 とうとう本当に心配になってきた。ナユタが少し顔を俯かせると、隣に担任のケイトが座り込んできた。

「お、鮎の塩焼きか。頂いてもよろしいかな?」

「あ、どーぞどーぞ」

 いつのまにか焼かれていた鮎を紙の皿で受け取り、自前のビール缶(こっちはアルコール入り)を開けて、ケイトが本物のオヤジスタイルを楽しみ始める。

 缶を仰ぎ、ぷはーっと気持ちよさそうに息を吐き、ケイトがからからと笑って言った。

「九条君。君らしくないな、そんな暗い顔」

「暗い? 俺いま、そんな顔してました?」

「自覚が無いって事は、本当にどうしたら良いか分からん悩みを抱えてるって事さ。話してみるだけでも楽になると思うのだが、どうだろう?」

「悩みが多すぎてどっから話せば良いものやら……」

 いっそ、目先の悩みであるイチルの事について何か意見でも求めてみようか――ナユタがいまにも口を開きかけた、その時だった。

「……何だ、アレ?」

 丁度ナナ達がいる砂浜の上空に、真っ黄色の光を放つ飛行物体が現れたのだ。

 輪郭はドラゴンのそれである。光だけで構成されたような外見で、もっとよく見ると翼や尻尾、頭などの一部は鋼鉄っぽい装備を被っている。

 あんな姿の生き物を、少なくともナユタは見た記憶が無い。

「バカな、何でキララがあんな所に……!?」

 呑気に未確認飛行物体を眺めているナユタとタケシとは反対に、ケイトが目を瞠ってからすぐに立ち上がる。

「みんな、いますぐそこを離れろ!」

 ケイトが声を張り上げて、生徒全員に指示を出す。だが必死の警告も虚しく、上空のドラゴンに全く気づかない生徒達はその場に立ち尽くし、頭にクエスチョンマークを浮かべているだけだった。

 やがてドラゴンがゆっくりと降下を始めたところで、全員が異常に気づき、パニック状態になって散り散りに後退する。ドラゴンは生徒達の取り乱しっぷりに目もくれず、ある地上の一点に真っ直ぐ降り立った。

 なんと、よりにもよってナナの目の前である。

「! ナナ!」

「いや、待て。様子がおかしい」

 ナナの危機を感じて<アステルドライバー>を構えたタケシを、ナユタが腕一本で制する。

 見るやあのドラゴンは、翼と足を畳んで、沈むように顎を砂浜につけたあたりから、全く動こうとしなかった。見るからに「危害を加える気なんてありません」とでも言っているかのような姿勢である。

 やがて、ナナの方から口を開いた。

「……キララ?」

 彼女がそう呟くと、ドラゴンは頭を小さく上下させる。顎がさらに砂浜に減り込む。

 ナナはドラゴンのそんな反応を見るや、ぱぁっと顔を明るくする。

「キララ!」

 ドラゴンが自分の知己である事を知るや、彼女は無遠慮にドラゴンの頭に抱きついた。

 一同がナナとドラゴンの交流をぽかんと見守る中、さっきまで七輪を囲んでいたナユタ達三人が急いで彼女らのもとへと駆け寄る。

「ナナ、こいつは一体……」

「あたしの友達っ!」

 友達? このドラゴンが?

 しかしだからと言って、何言ってんだお前? と簡単には言わせない雰囲気が、この一人と一匹の間には確かに存在していた。

「この子はキララ! ちっちゃい頃からずっとあたしと一緒にいてくれた、掛け替えの無い大親友なのだっ!」

 ナナが自慢気に言い放ったのと同時にイチルが海から上がったのだが、もちろんの事ながら、この奇異な状況に対して、彼女もまた頭にハテナを浮かべる事しか出来なかった。

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