アオイ編・最終話「遺された希望」
アオイ編・最終話「遺された希望」
あれから半月後の話である。
小規模なイジメから始まり、セントラルで<アステルジョーカー>が二枚同時に発覚した挙句、<獣化因子>の寄生患者が一斉に全快したあの大騒ぎは、歴史上においては『第二次星界事変』として、後世に広く名を残す事となった(誰が命名したのかは知らんが)。
その影響で星の都学園は教育体制を大きく改変せざるを得なくなり、もはや改革と言っても差し支えない程の大幅な人員交換が成された。教師だけでなく、人格に問題のある生徒にまで影響が及んだのは、もはや言うまでも無い。
でも、いずれは再び邪悪の芽が育まれる。人間社会というのは一筋縄ではいかないのだ。
「はじめましてっ! ナナ・リカントロープです!」
ふわっふわの長い金髪を揺らし、一人の少女が黒板を背にぺこりと頭を下げる。
今日は全快した元・<獣化>患者が一斉に社会復帰し、それぞれ相応しい機関への帰還が始まった日だ。当然その帰還者達の中には、ついこの間、九条ナユタや六会タケシなどと交戦したナナの存在も含まれる。
彼女は元々リカントロープ家という<トランサー>一族の末裔で、<スカイアステル>の国立大付属中学の出身だったのだが、彼女自身が<獣化>以前の記憶を失っていたので上に戻る事も叶わず、だから彼女自身がいま一番信頼を置いている人物が在学している、この星の都学園への編入が決まったのだ。
教室内に居並ぶ大勢の生徒達を前に、ナナは緊張した面持ちで喋り出す。
「あ……あたしは……その……あの……」
「無理して喋んなくてもいいぞー」
完全に投げやりな態度で天井を仰ぎ、ナユタが助け舟を出した。
「お前らも知ってる通り、ナナは以前の記憶をほとんど失ってる。といっても、幸い言語野まではイってないから、日常会話程度なら全く問題無い。……で、良かったんだよな?」
「そ……そうです! ……はい」
ナユタのサポートが入って、少しずつ顔から緊張が抜けてきたナナは、気を取り直すように深呼吸して、再び語り出す。
「あたしは、色んな人に助けられました」
彼女が放ったこの一言で、教室全体にちょっとした寂しい空気が漂い始めた。
きっと、身に覚えのある事だからであろう。
「自分が何であんな事になっちゃったのかは覚えてないです。でも、そんなあたしに、手を差し伸べてくれた人がいました」
彼女はタケシとナユタをそれぞれ見遣った。
「いつかはそんな素敵な人達に報いたいです。でも、そうするにはまだみんなの手助けが必要です。いつか絶対恩返しするから――」
この時のナナはきっと、老若男女誰もが絶対見惚れる笑顔をしていた事だろう。
「だからしばらくの間、あたしの事を、助けてくれますか?」
「……だ、そうだ。さて、どうする?」
彼女の横でずっと腕を組んで立っていた若い白人系の男性――ケイト・ブローニング先生が、どこか楽しそうに、殆ど試すような口調で生徒達に尋ねる。彼は前述の大幅な人事異動でこちらに採用されてきた、このクラスの新しい担任教師だ。元はエレナと同じ、S級ライセンスバスターの一人だったらしい。
そんな彼の問いかけに対し、最初に口を開いたのは八坂イチルだった。
「頼まれちゃったら引き受けるのが世の情け……よかろうっ! このイチルお姐さんが胸を貸そうじゃあーりませんか!」
「貸す? そのまな板をですか? お料理の手助けにはなりそうですが」
「サツキー? あとで校舎裏だかんねー? 割とマジで」
イチルとサツキがアホなやり取りを始めた為に、クラス全体がどっと笑い始めてしまった。さらにはこれが功を奏したのか、ナナも完全に緊張を解いて失笑してくれた。これは、新しい仲間を向かい入れる上ではとても良いムードだ。
同じく失笑していたケイトが、ナナの背中に優しく手を添えた。
「さあ、君の席は美月さんが座っていたところだ。分かるね?」
「はいっ」
事前に席の割り振りを聞いていたのだろう、ナナが真っ直ぐに自分の席まで歩み寄ろうとして――何故か、タケシが座っている席の前で立ち止まった。
「? どうした? さっさと行けよ」
「その前に、ごほうび!」
「は?」
一連のやり取りをぼーっと見送っていたナユタが、ここに来てようやく目を剥いた。
事もあろうに、ナナ・リカントロープはこの大衆目の中で、六会タケシの唇に対して、自らの唇を捧げてしまったのだ。
「あらま、大胆ですこと」
「おお、ナナちゃんやるぅ(パシャ)」
「マジか」
「…………」
これにはやられた本人だけでなく、周囲の生徒どころか、担任であるケイトまで目を丸くしてしまった。
唇を放して数秒後、ナナはいたずらっぽくはにかんだ。
「へへー、やっちまったー」
「や……ちまった、じゃねぇよ!?」
奇襲を喰らった当人であるにも関わらず、早めの回復を見せたタケシが、ガタっと席を立ってナナに詰め寄った。
「お前、何してんの!? 多分それ初めてだろ!?」
「ちょっと前にイチルちゃんからねー、好きな人にする事だーって教えられたの」
「イチル貴様」
ちょうど手に持っていた<アステルジョーカー>を構え、イチルに殺気立った目を向けようとしたが、当の彼女はとっくに教室内から姿を消していた。ナナからさりげなく(?)好きな人と告白された事に関しては完全にスルーしているご様子だ。
「あのチビどこいきやがった。余計な事を吹き込みやがって……」
「イチルならAデバイズでお前らのキスシーンを撮影した後、さっさとこっから出ていったぞ」
実はイチルの凶行を一部始終見届けていたナユタは、この後彼女がしでかす更なる暴走について予想を立てていたのだ。そこから導き出される結論は、ただ一つ。
「あいつの事だから多分、お前に捕縛されないうちに逃げ出して、Aデバイスの画像をコンピューター室でプリントアウトして永久保存するんじゃないかな? あるいは、噂好きの女子に高値で売りさばくとか」
「絶対阻止してやる」
阻止してやるが、殺してやるに聞こえた今日この頃。
タケシは矢の如く教室から飛び出して<アステルジョーカー>を発動させ、イチルを本気で捕獲しにかかった。
ぽかんとした生徒一同。無論、無駄に喋り出す者はほぼ皆無である。
しかし、一連の流れを見届けていたクラスメイトの一人が
「あ、あたしその画像、ちょっと欲しいかも……」
とか言い出したところで、生徒達の静寂が破られた。
「私も欲しいですわ!」
「あ、あたしも!」
「六会の野郎……何人女子の心を盗めば気が済むんだ!」
「不純異性交遊の現行犯だ。あいつをひっ捕らえて、八坂がプリントアウトした写真を校内全体にバラ撒け! リア充爆発しろ!」
「相手が<アステルジョーカー>でも関係あるか! 面白そうだから、卒業アルバムのメモリアルフォトにしてやる!」
あれやこれやと、手前勝手な事この上無いが、一つ確かなのは、「タケシの邪魔をしてイチルを護る」という一つの目的を遂行する為に、クラスのほぼ全員(サツキを含め、ナユタを除く)が団結した事くらいである。
彼らは我先にと言わんばかりの勢いで教室を飛び出してしまい――いまこの部屋に残されている人間が、ナユタとケイトの二人だけになってしまった。ちなみにナナもどさくさに紛れてここから出て行ってしまったのだが、多分「何か面白そう」とかそういった理由で、あの大捕り物に参加したのだろう。
「……あーあ、行っちゃった」
「君が余計な事を彼に教えるからだ」
ケイト先生が苦い顔で言った。
「着任早々学級崩壊か。私の責任問題だぞ。どうしてくれる?」
「知りませんよそんな事っ……」
『捕まえたぞコノヤロー。さあ、さっさとそのAデバイスを』
『ヘイ、パース!』
『ちょ……待てゴルァ!』
「「…………」」
さすがに申し訳ない事をしたという実感が湧いてきた。
ケイトは気まずそうな顔をするナユタをジトっと睨んだ。
「君はあのおてんば娘達の保護者では?」
「覚えがありませんな。ちなみにそれ、どこ情報っすか?」
「エレナから聞いたんだよ」
「ああ、そういや先生、元・ライセンスバスターでしたっけ」
お? なんだかあっちから話題を逸らすネタをくれたぞ? ラッキー。
「私と彼女は所謂ライバル関係でな。演習では私が勝ち越してたんだが、教員資格を得てすぐに<ウラヌス機関>を抜けたから、勝ち逃げしてきた形になる」
「あの姐さんより強い……だと……!?」
エレナの実力を少なからず知るナユタからすれば、戦慄するしかない事実だった。これからはこの先生には逆らうまい。
「まあ何にせよ、すぐに彼女がクラスに馴染めそうで、本当に何よりだ」
「ナナはアオイが遺した希望ですからね」
「そうだな……っと、そう言えばエレナから聞いたんだが、君は美月さんから遺書を貰っていたそうだね」
「ああ、これっすか」
ナユタは懐に仕舞っていた遺書を取り出してみせた。思えば、別に必要でもないのに、何故かいつもこの遺書を懐に仕舞うという行動が習慣化しつつある。
多分、決まったところに保管しようにも、その保管場所が思い浮ばないからだろう。
「これが何か?」
「何て書いてあったんだ?」
「…………」
別に、訊かれて困る事でも、答えて相手を困らせるものでもない。
けれど――
「乙女の秘密的なアレです」
「ラブレターよりもホットかね?」
「ファッキンホットですわ」
「そうか。なら、私も無粋に尋ねようとは――」
「ナユター! メモリアルフォト、印刷できたよー! 見るー?」
ハツラツとした声と共に、イチルが教室内に舞い戻ってきた。掲げた右手には一枚の写真を持っている。
すぐ後からタケシとサツキ、ナナの三人が現れる。はて、他の生徒達はどうしたのだろう?
「お願いですイチル様! それだけは……その写真だけはマジでやめてくれぇぇぇぇ!」
「見苦しいですわよ、タケシ君」
サツキに羽交い絞めにされて動けなくなったタケシを尻目に、イチルがナユタとケイトのところまで歩み寄り、喜々として問題の写真を見せつけてきた。
うむ、ナイスアングル! 芸術的なキスシーンじゃないか!
「これは……噂好きの女子に高値で売れそうだな。無断転載や複製を禁止すれば……」
「えー? 駄目だよー! これは卒業アルバムのメモリアルフォトに使うのー!」
「それ以前に、私が君達を卒業させると思ってるのかね?」
教師にあるまじき発言と思われるかもしれないが、担任として着任早々にクラス規模の問題を起こされた身としては溜まったもんじゃなかっただろう。許してあげよう。
「それより、他の連中はどうした?」
「んーっとね、タケシに蹴散らされた!」
ナナが元気に答えるが、それはそれで結構な問題である気もする。
「ていうか、ナナよ。お前もどっちかというと、タケシと同じ、止める側の人間だろうに……」
「え? どうして? 記念写真だよ? ファーストキスの」
「…………」
おかしい。前提がおかしい。
「ナユタ! さっさとイチルを捕まえろ!」
「ナユタ! 助けてお願い!」
「ナユタ君! イチルさんの写真とデータを死守するのですっ!」
「ナユタ! なんだか分からないけど、楽しそうだから混ぜて!」
バカ四人が、ナユタを中心にぐるぐると追いかけっこを始めてしまった。イチルがナユタの体を盾にしている為、伸ばされたタケシの手が腹部や顔面にクリーンヒットしているのが非常に腹ただしい。というか有り体に言って目障りだし、何より痛い。
本当にこいつら、人の事を何だと思っているのだろう。
いや、いまはそんな事より、この面倒な状況から早く抜け出す秘策を構築せねばっ!
「……駄目だ。思い浮ばん。やっぱ逃げる!」
即決即断。三十六計、逃げるに如かず!
ナユタは言葉だけで脇目を振り、とりあえず唯一の脱出口である戸口を睨んだ。
「もう付き合ってられん! 勝手にラブコメやってろクソが!」
とうっ! などと発声して飛び上がり、机を踏み台にして更に跳躍。
だがそこで、四人の手がナユタのスラックスに伸ばされ、一斉に生地を掴んでしまったせいで、わずかに滞空していたナユタの体勢が崩れてしまった。
予想外の奇襲に、ナユタは珍しく面食らった。
「お……おお、おおおおおおおおおおおっ!?」
『逃がすかこの野郎!』
などと叫んだ四人を巻き込んだ形で転倒。揃いも揃ってもみくちゃになり、もはや状況が理解不能なまでの状態に陥ってしまう。
いや、お前らの目的は少なくとも、俺を捕獲する事じゃないよね?
ていうか、誰だいま俺の●ンコ触った奴!
「……はぁ……こんな子供達が、次代を担う星の切り札とはね」
「いや、見ているくらいなら助けろよ! 教師だろ、アンタ!?」
「学級崩壊を招いた君達への腹いせだ。九条君。君には罪も恨みも無いが、ここは大人しく青春の藻屑となって華々しく散ってもらうとしようか。さらばだ。短い間だったけど、楽しかったよ」
「アンタもう教師やめろ! 着任早々退職しろゴルァ!」
「はい、チーズ」
「撮るな!」
もはや正常な思考を放棄したか、ケイトはこの男女五人がもみくちゃになっているシーンを、Aデバイスのカメラ機能で一回だけ撮影した。
後から聞いた話だと、彼曰く「五人共、良い顔をしていた」との事である。
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美月アオイが九条ナユタ宛てにしたためた遺書の内容は、実に簡潔で明瞭なものだった。
九条ナユタ君へ
みんなを護ってあげてください。
この遺書は、タケシと共同で使っている寮の部屋に置かれた、ナユタの勉強机に飾られる事となった。勿論、ケイトがさっき撮影して印刷したあの写真が収まった写真立てと一緒だ。
きっと、その方がアオイも喜んでくれるだろう。
「……揃いも揃って相変わらず、きったねぇ面してんなー」
ナユタ自身はあまり認めたくない事だが、あえて客観的に見てやると、写真の中で苦心している己の表情も、中々キマっているように見える。勿論、イケメン的な意味合いではない。
でも、悪くない。
いつかあの世で会う時、彼女を前にしてこのアホ面を提げていられるなら、尚更だ。
「約束は受け取った。だからお前も精々、あの世でアホ面提げて待ってろや」
ナユタはあくびを漏らし、疲労も露わな仕草で部屋の電気を落とした。