あとがき ~アステルジョーカー最終回記念~
あとがき
どうも、アステルジョーカーの作者、夏村傘です。ここではついに最終回を迎えたアステルジョーカーシリーズに対する自分の評価やら感想やら裏話なんぞを適当にしていこうと思いまーす。
しかし、書けば書く程、文章量が際限なく増え続けていくのが何気に怖いし、もし省略せずに書いてしまったら一冊の本が出来上がってしまうので、ここは要点を絞って記述させていただきます。
■そもそもアステルジョーカーシリーズって何で生まれたの?
元々、僕は「ロックマンエグゼ」シリーズのファンでした。なので「ロックマンエグゼ」みたいなバトルアクションストーリーを書いてみたいなーって思ったのです。ちなみに、ゲームの概要についてはググるなり、あとはようつべでゲーム実況を見るなりして調べてください。
勿論、ロックマンエグゼが好きだからといって、それを丸パクリなんてしません。オマージュするなり、あとは別の作品 (ワールドトリガーとか)から何かしらの要素を参考にする場合もあります。
そうしたあれこれを経て、アステルジョーカーシリーズが完成しました。
まあ、つまり、アレです。何で生まれたのっていう質問の答えとしては、単に「俺がこういうのをやりたかった」ってのを全部ブチ込んだからというのが適当でしょう。
書きたいから書いた。ある意味、当然の答えです。
■アステルカードについて
これも例の「ロックマンエグゼ」のオマージュです。このアイデアについては特に深い意味はありません。
しかし、こういうシステムである都合上、どうしてもアステルカードの種類は強制的に増えがちになるので、作中では新しいカードと最初から使っていたカードを織り交ぜたような戦い方を各キャラクターにさせています。あまり新しいカードが増えすぎても、「どうせどんな苦しい状況も新しいカードで逆転するんでしょ?」みたいに思われたらちょっと悲しいので。
なので、後半になるにつれ、それが顕著になってくると思います。おかげでサツキやタケシなどの戦闘スタイルが良い意味で目立つようになり、その二人は後からどんどん良い味を出すキャラクターとしてのし上がる結果となりました。逆に、脳筋連中やイチルやナナなどの魔法使い一族に対する風当たりは強いです。
■何でリア充を増やしちゃったの? 作者はリア充嫌いなんでしょ?
血反吐やゲロを吐く程に強烈かつ凄惨な過去を体験したり、とんでもない戦いに巻き込まれて生き残った人なら別にリア充やってても妬ましくありません。ナユタやイチルについても、彼らがああして幸せを掴んだのは、自らの力で苦しい戦いを勝ち残ったからこその結果です。なので、彼らの顔つきや態度にはそれ相応の落ち着きや説得力があります。
逆に言うと、そういう「説得力」のある連中が現実にはほとんど見受けられないので、そういう奴らを反面教師に描かれたのが作中のリア充共です。いやー、そういう意味ではタケシとかマジで書きやすかった。あいつもあいつで、温室栽培のお坊ちゃまから一人の立派な男に育つまでの過程が個人的には気に入ってますし。
■シナリオ構成について
シリーズ開始当初から決まっているところと、決まっていないところがごっちゃになってカオスになりかけましたけど、ナユタと東悟の一騎打ちは完全に想像通りの展開になりました。ちなみに、GACS編の優勝賞品をどう上手く扱うか、というアイデアについては「遊戯王ZEXAL」を参考にしました。というか、その作品を見て、最終章はGACS編に決まりだーって決意しました。
話変わって。アステルジョーカーは前半シーズンと後半シーズンとで、テーマが大きく変わっています。前者は「命の使い方」、後者は「願い」です。
前半シーズンはアステルジョーカーという残酷な兵器の使い手が、自らが得た力に対してどういった折り合いをつけているのかが主体になっています。特に、ナナ編における<ドラグーンクロス>発現時のナナの発言は書いてる側からしても印象に残っています。
後半シーズンは前半のテーマをやや引き継ぎつつ、戦う理由を得た者達の苦悩や前進を主体にしてシナリオを構成しています。結果的にはタケシ以外の全員の願いが叶った訳ですが、問題のタケシは自分の足で自らの願いを叶えにいくという道を選びました。もしかしたら、五人の子供達の中で一番先に大人になったのはタケシの方かもしれませんね。
それと、いままで色々と書いてきた中で、イチル編はこれまでの物書き人生の中では一番のお気に入りエピソードです。皆、本当によく頑張ったねと、自分で書いておきながらナユタ達に拍手を送りたくなりました。
■九条ナユタと六会タケシについて言いたい事
九条ナユタ、六会タケシ、八坂イチル、園田サツキ、ナナ・リカントロープ。
アステルジョーカーはこの五人を主体に描いた青春群像劇でした。でも、基本的な主人公はナユタとタケシでしたね。
最初はナユタの人生というか、戦場で過ごした十三年の経験とは全く違う位置にある「新たな戦争」を描いてきました。都会に来たら来たでクラスメートのイジメに関わり、宿泊学習で無人島に訪れたかと思ったら殺したはずの親の仇と対峙して、挙句の果ては<新星人>なる魔法使いやら人型機動兵器などと激戦を繰り広げています。結局、都会に来ても戦争がナユタを呼んでしまうようです。
そしてついに最終話。とある事情でナユタが無敵のヒーローから一転、最凶のラスボスに変わり、タケシがナユタに対抗出来る唯一の切り札となりました。それはタケシ自身がナユタの強さをもっとも身近に感じ、憧れていたからに他なりません。
いま思えば、ナユタを『戦争』から解き放つ為の鍵は、タケシ以外に有り得なかったのかもしれません。その結末についてはシリーズ最終話をご覧ください。
でも、結末を確認する前に一つだけ、たしかに言える事があります。
本当の九条ナユタが、みんなの前に帰ってきました――と。
■最後に
アステルジョーカーシリーズは長期化を想定していた内容だったので、はっきり言って一巻目から本気を出すような真似は、どのキャラもしていなかったのです。でも、二巻目以降は激戦に次ぐ激戦が相次ぎ、休む間なんてGACS編の最初あたりしか無かったように思えます。
そんな激戦を戦い抜いたナユタら五人の子供達、エレナやハンスなどの大人組、その他大勢の登場人物達に、僕の方からは「本当に最後までお疲れ様」という、労いの言葉とするのもおこがましい、ありふれた一言を送らせて頂きます。
そして、ひょんな事からイメージ曲を作ってくれた砂金聖さんへ。その曲、「unlock」は前半シーズンどころか後半シーズンに対する良い指針となりました。いま思えば、こうして完走出来たのもこの曲のおかげかもしれません。 「unlock」については、youtubeで「砂金聖 unlock」で検索すると出てきますので、是非一度くらいは聞いてみてください。おそらく、アステルジョーカーの永遠のテーマとして、誰にとっても納得が行く旋律に仕上がってます。
最後は読者の皆さんへ。もしこの作品に最後まで付き合ってくれたなら、僕は貴方達の前で帽子を脱いで禿げ散らかった頭を下げたいところなんですが、生憎と会う機会というのは無いでしょうし、帽子なんて持ってないし、そもそも頭が禿げ散らかってもいないのでそれは叶いません。
なので、文章という形で、こうして感謝の意を表します。
ちなみにアステルジョーカーが終わったとしても、僕自身が終わる訳じゃありません。この作品の公開を可能とするプラットフォームたる「小説家になろう」にて、別シリーズである「QPドライブ」、あとは中編小説「秋風スクエア」が公開されています。
また、二○一五年の十一月半ばにて正式オープンとなった「ストリエ」という投稿サイト(?)で、「ヒゾウの探偵」なる新シリーズの連載を始めました。初のクライムサスペンスですので、興味があればそちらも是非ご一読くださいまし。
長くなりましたが、これが本当に最後の挨拶です。
最後だからこそ何を書いて良いか判然としないのが、この文章を書いている僕の本音だったりします。それはきっと、僕の中でまだ『戦争』が終わっていないからでしょう。だから情けない事に、まだ最後の言葉をきちっと書ける気がしません。
だから、自分が「これで最後」と思ったところまで、これからも頑張っていこうと思います。
ナユタが自分の『戦争』を終えて本当のアステルジョーカーを得たように、
僕もまた、僕の『戦い』を終えて本当の切り札を見つけに行こうと思います。
いつか、光の速さで駆ける青い彼の背に追いつけますように。
それが、いまの僕が唱える本当の「願い」です。
では、またいずれ、別の世界でお会いしましょう。夏村傘でした。
二○一六年 一月五日 神奈川県の某所にて




