最後の一幕
最後の一幕
「いやー、タケシ君、すまんねぇ」
プリウスの助手席で流れる風景を窓越しに眺めながら、二十歳のナユタは呑気に言った。
「まさか公休日がたまたま君と重なってたなんて、超ラッキー」
「嘘をつけ。わざと今日休みにしたろ、お前」
運転席のタケシが不機嫌に返す。
「つーか、てめぇ。教習所の実技試験何回落ちてんだよ。本当に免許取る気あんのか?」
「あれは教習所が悪い。俺が西に居た頃のドライビングテクニックを見せてやったら不機嫌そうな顔をしやがる。あんな狭量な指導員、とっととクビにしちまえば良いんだ」
「俺、見たぞ。何処ぞのアクション映画ばりのカーチェイスを披露して暴走してるお前の姿を。あれを見た教員の一人が何て言ったと思う? 『危険な青牛』だぞ。ちっとは安全運転心掛けろや。じゃないと万が一免許を取っても俺の車は貸さないからな」
「プリウスなんていらねーよ。アメ車寄越せ」
「それは免許取ってから言え……!」
ああいえばこういう奴だ。それじゃあ結婚してから苦労するぞ――とは言わないでおこう。先日、ほぼ全裸に近い格好で嫁さんに土下座した身からすれば言えた義理じゃない。あ、そういえばタケシも自分の彼女に同じ格好で土下座したんだっけか。
ナユタは後部座席に乗った女子高生二人に振り返る。
「そろそろ着くぞー。眠いならコーヒーでも買ってく?」
「いえ、大丈夫です」
金色の髪をシャギーカットにしたスタイル抜群の美少女が上品に手を振って断る。六年前に比べると、やはりその発育の良さというものが良く分かる。
リリカも似てきたものだ。かつてのナナに。
「よし、着いた」
手近な駐車場に車を入れ、車内から全員出るのを確認すると、ナユタは目の前に聳え立つ巨大な灰色の建物の全容を視界に収めた。
鉄条網を頭に置いた灰色の壁と鉄の門。その向こうはごく普通の学校と少し似た構造の建物が鎮座しており、正門前には灰色の制服を着た守衛が二人で脇を固めている。
ここがノース区の最果てにある、世界で一番大きな刑務所だ。
「お、出てきた出てきた」
ナユタは鉄扉から出てきた男の姿を見つけ、リリカの傍で不安そうな顔をしているもう一人の少女に声を掛けた。
「時間ぴったりだな」
「…………」
少女は何も言わない。おそらく、言葉が出てこないのだろう。
男の年齢は四十代後半。立派なガタイを持つ長身で、髪はよれよれの長髪、口の回りには短い無精髭を生やしている。恰好は上が黄色いトレンチコートに黒いYシャツ、下が黒いチノパンだ。
この六年間、男は誰とも面会が許されていなかった。彼の罪状を思えば当然の報いだし、むしろ死刑にならず、たった六年で出て来られただけでも幸運な方だ。
これは、とある有能な弁護士の差配により、彼には更生の意思がある事、そして彼が<アステルジョーカー>の、そしてリカントロープ家やその他<トランサー>一族の実験の被害者である事を裁判長に認めさせたおかげでもある。かの弁護士には感謝せねばなるまいよ。
何はともあれ、彼はこうして今日、正式に釈放された。
「行ってこい」
タケシが少女に言う。
「ずっと待ってたんだろ?」
「……っ」
少女が躊躇っていると、今度はリリカが無言で彼女の背中を押す。
やがて、その男――御影東悟が、彼女の存在に気付いた。
「……美縁?」
東悟は眠たそうにしていた目を見開き、一歩、また一歩と、彼女のもとへ歩み寄ろうとする。
彼女――御影美縁もまた、同じように歩み寄る。
拳一つ分だけの距離を開け、二人は立ち止まった。
「……お前、美縁なのか?」
「そうだよ、パパ」
美縁が目尻に涙を浮かべながら告げる。
「って……高校生にもなってパパって、何か変だよね」
「これは……どういう事だ?」
「名塚が作っていた<アステロイド>の素体に、美縁ちゃんの<アステルコア>を入れたんです。名塚の話によれば、あなたは元々、こうするつもりだったんでしょう?」
リリカは説明してから、タケシに視線を遣った。
「後でタケシさんに感謝しておいてくださいね」
「六会タケシ……お前、まさか」
「さて、何の事やら」
タケシは敢えて気だるそうにしらばっくれ、車の運転席に引っ込んだ。
まったくもう、照れ屋さんは中坊の時から変わってないなぁ。
「美縁ちゃんの体組織は普通の人間と遜色無い」
ナユタはリリカやタケシの代わりに大事なところを説明する。
「最初は<アステルコア>になった当時の年齢、つまり十歳の姿になって、そこから六年分、ごく普通の人間と同じように成長した。そこにいるのはもう、あんたの<アステルジョーカー>じゃない。ただこの世で一人、掛け替えの無い、あんたの一人娘だ」
加えて、あと二年かそこらで消滅する筈だった<アステルコア>の寿命も人並みに戻っている。<アステロイド>の素体に入る直前で<アステルコア>の組成を専用の構築に再加工したからだ。
つまり、美縁は本当の意味で、普通の人間に戻ったのである。
「お父さん」
美縁が呟く。
「あたし……いろんな人に助けられて、いっぱい迷惑かけて……それでも、ちゃんと待ったよ。お父さんが帰ってくる、この時まで。だから――」
「良いのか?」
東悟が躊躇いがちに問う。
「お前は俺を、まだ父親だと――お父さんって、呼んでくれるのか? こんなにふがいない、結局お前には何もしてやれなかった、こんな俺を」
「パパ!」
とうとう我慢の限界だったのか、美縁は東悟の胸に飛びつき、彼の鍛えられた上背を思いっきり細い腕で抱きしめた。
「もう……何処にも行かないで……っ……争うなんて、もうたくさんだよ!」
「……分かってる」
東悟は美縁の頭を撫でて、彼女の細い体を大きな腕で包み込んだ。
「ただいま。そして、おかえり――美縁」
「うんっ……! ただいま――おかえりなさい!」
二人はしばらくの間、泣きながらずっと、お互い抱きしめ合っていた。
ナユタとリリカはこの光景を眺めてから、プリウスの運転席に寄った。
「まさに大団円じゃん。休暇取ってまで来た甲斐があったよ」
「そうですね。これで本当に全て、終わったんですから」
「まだ終わっちゃいねぇぞ」
タケシがハンドルに寄り掛かって不機嫌そうに言う。
「俺の願いがまだ叶っちゃいない」
「タケシの願い? 何かあったっけ?」
「決まってんだろ。これまでだって誰かの幸せを手助けしたんだ。今度は貸しを作った連中全員に俺の幸せを全力でサポートしてもらう」
「お、いいねぇ。まるで王様気分だ」
「そうだな。あ、そうそう、一つ言い忘れてた」
タケシはすっとぼけたように言う。
「この車、定員が四人までなんだわ」
「それが何だよ。ていうか、後部座席に三人、運転席に一人、助手席に一人で五人も入るじゃん。何を言いだしたのかね、ちみは」
「いまから乗せていく野郎の体格だと、後部座席三人はさすがに窮屈だ。だから定員は四人まで。御影の野郎は出所したばかりで車はおろか免許なんて持って無いし、歩きで駅までってのはさすがに距離があり過ぎる。一人だけ、ここに置いていく奴が必要だな」
「置いてく奴? それって自分の事を言ってるのかい?」
「アホか。この面子の中で、車の免許持ってるの俺だけだぞ」
「…………」
分かっていた。彼の言いたい事は、はっきりと察しがつく。
そうだよね。この場合、置いて行かれるのって――
「そういう訳だ。ナユタ。お前は自力でここから帰れ」
「それってちょっと酷過ぎない!?」
「勝手にここに付いてきたのはお前だ。それに、お前には飛行能力を持った<アステルジョーカー>があんだろ」
「目立つから、あんまり使いたくないんだけど……」
「その頭で充分目立ってるだろ。いまさら気にするなよ」
やいのやいの言い合っていると、リリカが東悟と美縁を引き連れてこちらにやってきた。随分と勝手な真似をしてくれたものである。
「つー訳だ。じゃ、また今度な」
無情にもナユタ以外の全員が乗車し、タケシのプリウスは遠く彼方に走り去ってしまった。まさか、本当に置いていかれるなんて。
「きゅーい」
小型のチャービルがナユタの頭の上でやれやれと首を振っている。こちらも大体、似たような心境だ。
「……チャービル」
「きゅい」
「飛んで帰るのに、一番人に見つかりにくい航行ルートを検索してくれ」
「きゅいきゅい」
「そうか。やっぱり、雲に紛れなきゃ無理なのね」
雲の上は体がきつい。それに、下手をすれば航空法に引っかかる。
でも、このまま歩いて帰るのは気が引ける。
「しょうがない。見つかるといっても数十分の辛抱だ。ここは我慢しよう」
「きゅい」
「よし、行くぞ」
<ウィングフォーム>の<ドライブキー>を<アステルドライバー>のスロットに挿し、ナユタはこの先で緩やかなカーブを描く一本道を駆ける。
やっぱり、まだ俺にはこの力が必要なんだろう。
「<アステルジョーカー>、アンロック!」
「きゅいいいいいいいいいいいいい!」
チャービルの鳴き声と共に、ナユタは青い閃光となって空に舞い上がった。
☆
人の生死が交差する戦場から、一人の少年が平和の世界に足を踏み入れた。
そこは世界の何処よりも華やかで、世界の何処よりも混沌としていた。
この物語は、そんな歪んだ世界で戦い続ける一人の少年が、掛け替えの無い大切なものを見つける為の道のりに過ぎない。
そして彼は、たった一枚のワイルドカードを引き当てた。
これさえあれば、彼はどんな役も揃えられる。これは、そういう切り札だった。
アステルジョーカーシリーズ 完
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