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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーシリーズ VOL.8 ~GACS編 最終話 たったひとつの大切な願い~
44/46

アステルジョーカーシリーズ・最終回「アステルジョーカー」

最終話「アステルジョーカー」



 ゴールデンウィークと同時にGACSが終わり、世の中も平常運転に戻った。

 休み明けの学校には、ナユタとタケシの姿が見受けられなかった。

「……あいつ、本当に何のつもりなんだろう?」

 昼休みの大食堂。サツキの向かいの席で、ナナが不機嫌に呟く。

「<アステルジョーカー>を消すなんて……そんなの、出来る訳無いじゃん」

「私は彼の考えに賛成ですわ」

 サツキが紙パックの牛乳を飲み干してから言った。

「元々、存在してはならない禁断の兵器です。ナユタ君だってある意味では<アステルジョーカー>の被害者ですし、そう言いたくなる気持ちも分からなくはないですわ」

「サツキの<紅月>は誰それの魂が使われてないから気楽なもんだよね」

 ナナがふくれっ面で顔を背ける。

「元々はお祖父ちゃんの形見だっけ? でもね、そっちと違ってあたしの<アステルジョーカー>のアステルコアには生命力が宿ってるんだよ? もしナユタが勝ったら、キララが殺処分されるって事なんだよ?」

「そんなの、誰だって同じだろう」

 自然と輪に紛れていた修一が涼しい顔をして言った。

「ていうか、タケシ君が負けるのを前提で話をしても埒が開かないだろ。いまはどうやってタケシ君がナユタに勝てるかを考えないと」

「黒崎君の言う通りだ」

 修一の隣に座っていたケイトが頷く。

「いま八坂さんが急ピッチで六会君の傷を修復している。明日には普通に動けるようになるから、もし六会君を勝たせたいなら、残りの二日三日で九条君への対抗策を編み出さないといけない」

「ナユタに勝つ……かぁ」

 サツキの横でりんごを食べていたユミがため息をつく。

「正直、無理があると思うなぁ」

「どうして?」

 ナナの目がいつもより怖い。さすがのユミも委縮しそうになる。

「だって……昨日のあいつの試合を見たでしょ? <アステルジョーカー>を使ったあいつに勝つなんて、とてもじゃないけど無理だって」

「素のナユタでも倒すのは相当苦労するぜ」

 ユミも修一も、ナユタの実力をよく理解しているからこそ、その面持ちは渋かった。

 いま思えば、ナユタがいたからこそ、ここにいるメンバーがこうして生き残っているといっても過言ではない。

 味方なら頼もしいが、敵に回すと手がつけられない。恐ろしい存在なのだ、彼は。

「まさか、最強の味方が最悪の敵になるなんて」

 サツキのこの一言が、さらにこの場の雰囲気を下降させる。

 だが、意外にも救世主はいたようで。

「九条を倒す手ならあるぞ」

 通りすがりの白衣の男が、気だるそうな目でこの輪を見下ろしている。

 彼は大学部の藤宮辰巳教授だ。随分と久しぶりに彼の姿を見た気がする。

「藤宮教授? どうしてあなたがここに?」

「あん? 俺だってここの教師だぞ。居て悪いかよ」

 横暴な口調も会った時から変わらない。というか、あまりにも問題行動が目立つ人物なので、既にこの学校から解雇されたものとばかり思っていた。

「で、九条を倒す手段だっけ? 実はさるお方から依頼を受けてな。園田の親父さんと共同で、新しい<アステルジョーカー>を開発していたんだ」

「<アステルジョーカー>ですって?」

「正確に言えば、<サークル・オブ・セフィラ>の<フォームクロス>を促す<ドライブキー>だ。既に六会の元に届いてるって話なんだが……」


   ●


「サンキュー、イチル」

「ううん。これくらい朝ウン●前だし」

「お前さ、日数を重ねる毎にどんどん発想が最低になってない?」

「気のせい気のせい」

 まさか病室内で朝ウ●コという珍しい単語が聞けるとは思わなかった。

 何はともあれ、これでタケシの肉体は全快した。東悟に刺された傷は跡形も無く消え、少し運動すればいつも通り戦えるようになるだろう。

「なあ、イチル」

「ん?」

「お前はナユタの願い、どう思ってる?」

「別に? 何とも思ってないけど」

「嘘だな。お前の<アステルジョーカー>はお前の母ちゃんがアステルコアになってるんだろ? 手放すのが惜しいとは思わないのか?」

「……最近、嘘つくの下手になったかな」

 イチルは観念したように苦笑する。

「あたしはもう振り返らないってお母さんに約束したんだ。だから、いつまでも親の形見に縋ってたら、お母さんに地獄で笑われちゃうよ」

「お前は自分の親が地獄にいると思ってるのか」

「だって、一応は大罪人だし」

 とんでもない割り切り方だ。それでも八坂ミチルの娘なんだろうか。

「それに、いつかは親離れしないといけないからさ。まあ、タケシが勝ってくれるなら、あたしはそれでも良いかなって思ってるけど」

「どっちでも良いってか。適当な奴め」

「そうでもないよ」

 イチルは花瓶の水を交換しながら述べる。

「ずっと考えてたんだ。運命の節目はこっちの意思と関係無くやってくる。もしナユタとタケシの試合がそのターニングポイントになるなら、どの道を行くかは結局二人次第なんだよね、きっと」

 彼女は新しい水を入れた花瓶を、元在った位置にそっと置く。

「だからナユタが勝てば、<アステルジョーカー>は役目を終えたって事になると思うんだ。じゃあ、いい加減安らかに成仏させないとなーって思うじゃん?」

「逆に俺が勝てば、<アステルジョーカー>にはまだ役目が残ってるって事になるのか」

「さあ? どうなんだろうね。さっきからあれこれ言ったけど、結局誰にも未来なんて分からないよ」

「分からなくても変えられる未来もあるのよん、お嬢さん」

 さっきの話を聞いていたらしい、いましがた入ってきたレイモンドがイチルの言葉尻を捉えた。

「そうやって未来を変えてきた九条君が相手なんて、あなたもつくづくツキが無いわね、タケシ君。で、調子はどうかしら?」

「万全っす。あとはリハビリだけっすよ」

「そう。じゃあ、奇しくもこれは退院祝いって事になるのかしらね?」

 レイモンドは禍々しいデザインの黒い<ドライブキー>をタケシに差し出した。

「<ルーツエクスチェンジ>。六会タケシ専用の<ドライブキー>よん」

「俺専用の?」

「ええ。園田村正と藤宮辰巳があなたの為に作った<フォームクロス>用の<ドライブキー>よん。それだけ、あなたに勝ってもらわないと困る人がいるって事」

「責任重大っすね」

 村正はともかくとして、何で藤宮がこちらの勝利を願うのやら。意味が分からん。

「それから、もう一個だけ」

 レイモンドが人差し指を立てて告げる。

「実はついさっき、去年までこの病院と契約していた銀行の最高責任者が、改めてこの病院に対する融資を申し出てくれたの」

「えーっと……それって、お金を出してくれるって事っすよね?」

「ええ。誰の手回しかは知らないけど、この病院で例の処方箋を用意する手立てが整いそうなの。だから、もうあなたが私達の為に願いを叶える必要が無くなったの」

 元々タケシはこの病院の経営難を助ける為にGACSに出場していた。だが、問題点が解消した以上、こちらが必死こいて優勝を狙う理由が無くなったのだ。何にせよ、これで獣化寄生病とODDの患者は助かる。

 それにしても、本当に一体、誰の手回しなんだろう。女と一回別れた彼氏がその女に向かって「ヨリを戻そう」とでも言っているようだ。何だか気色が悪い。

 レイモンドは腰に両手を当てて告げる。

「こっちはこっちで何とかなるわ。だから、その<ドライブキー>を使って、思いっきり戦ってきなさい」

「これ一本で俺とナユタの差が縮まるとでも?」

「何を言ってるの。あなた達二人に差なんて無いのよ?」

「は?」

「いい? 良く聞きなさい」

 レイモンドが正面からタケシの両肩を掴み、目線をしっかり合わせた。

「気持ちで負けたらそこで試合は終わりなのよ。だから、自分にもっと自信を持ちなさい。自分が九条君に対戦相手として選ばれた意味を考えるのよ」

「……先生」

「なぁに?」

「顔近いっす。つーか、いまキスしようとしてましたよね!?」

「……バレたか」

「おい、いま何故素に戻った!? バレたかって何だよ、オイ!」

「さーて、私は仕事に戻らなきゃねー」

「待てコラ……質問に答えろこのゲイ野郎!」

 タケシが手を伸ばした時には、既にレイモンドは部屋から退出していた。

 さっきから無言で状況を見守っていたイチルが、気まずそうに目を逸らす。

「……ナナちゃんには言わないでおいてあげる」

「待て。いまお前、明らかに俺をホモだと思ったろ。違うからな? な?」

「気のせいだホモ。考え過ぎだゲイ」

「気のせいでも考え過ぎでもないな。明らかにいまホモ言った。ゲイ言った!」

 ナユタがいない時はいつもこうなのか、このバカインは。

 タケシは盛大にため息をつくと、たったいまゲイから受け取った黒い<ドライブキー>を矯めつ眇めつして、さらにもう一回ため息をついた。

「……まあ、やってみるしかないな」

 ナユタを止められるチャンスは泣いても笑ってもあと一回。

 その一回を確実に成功させる手段を、いまから考えなければならなくなった。



 タケシ同様、バトルフロートの病院で眠っていた凌の身柄は大会終了と共に、レイモンド・アッカーソンが経営するグランドアステル中央病院に移送された。

 それからサツキは、放課後が来る度に、何度も凌の病室に訪れていた。

 未だ凌の意識は戻らない。あと数日で覚醒するとは言っていたが、過ぎた一日が一年に思えてくるようで気が遠い。

「あら、また来てたの」

 凌の様子を見に来たのだろう。レイモンドがパイプ椅子に座るサツキの横に並ぶ。

「そういえば、決勝戦の時も凌君の傍に居たのよね」

「彼は私がいないと本当にダメダメみたいですし」

「まるでお姉さんねぇ」

 レイモンドが凌の寝顔を見下ろしながら微笑む。

「ナユタ君とタケシ君の試合もここで見るつもりなの?」

「ええ。だって……私にとっても、凌君にとっても重要な試合なので」

 彼らの激突は<アステルジョーカー>のオペレーターにとっての分水嶺になる。本当なら近くで見ていたいが、その時に凌だけ一緒にいないのは少し不公平な気がしたのだ。

「そういえば、ナユタ君は何処へ行ったのかしらん?」

「彼ならいま龍牙島でバカンスの真っ最中だそうです。纏まった休みが取れると、決まってチャービルの里帰りに行くんだそうです」

「もしかして、そこでこっそり特訓してたりして」

「どうなんでしょう」

「彼の考えてる事はいまいちよく分からないし、こっちが考えても詮無き事よ。それより、決勝戦の舞台はまだ決まってないの?」

 決勝戦の舞台については、ナユタが「俺達に相応しい舞台を用意する」と言っていたのだが、次の日曜というとあと三日ぐらいしかない。報せるなら早めにして欲しいものだ。

「一応、ニュースはこまめにチェックしてるんですが……」

 サツキは<アステルドライバー>からホログラムディスプレイを呼び出し、ネットのニュースを参照する。

「……あ、出てます。決勝の舞台が決まってます!」

「あら、本当? どれどれ……」

 レイモンドが画面を横から覗きこんでくる。

「えーっと……決勝の舞台は、星の都学園第一アリーナ?」

「私達がいつもバトルの授業で使ってる体育館ですわ」

「観客の収容人数は……中等部の全生徒が入るくらいね」

「ていうか、観客として招待するのは中等部の全生徒とGACSの決勝トーナメントに出場したメンバーとテレビ局の人間だけって……」

 観客の客層も含め、そこはナユタとタケシにとってはホームグラウンド同然の闘技場になる。しかも星の都学園に設置されたVフィールドはGACSで使われたものとほぼ同型の最新版である。

 何から何まで最高のステージだ。たしかに、真の決勝戦の舞台として相応しい。

「そういえば、私も最初はこの場所から始まったんでしたっけ」

 サツキにとって、あの第一アリーナが全ての始まりだった。

 そこでナユタと初めて手合わせして、タケシやイチルと交流を重ねるようになり、アオイの事件に関わるようになり、それから色んな事件に巻き込まれて戦って――だからあそこはサツキにとって本当の出発点とも言える思い出深い場所なのだ。

「あら?」

 レイモンドが何かに気付いたらしい、素っ頓狂な声を上げる。

「この試合の実況と解説……またダニエル・ポートマンとあなたのお父さんね。もう名塚の脅しからは解放されたのに」

「……あの人の事ですから、惰性でやってるんじゃないですか?」

 別に、驚く事は何も無かった。


   ●


 名塚の裁判については、ナユタとタケシの一騎打ちが終わった後に本格的な日程が組まれる。なのでそれまでの間、名塚は親族や知人友人との面会が許されている。

 最初に彼のもとへ訪れたのは、移ノ宮春星だった。

 面会部屋のガラス越しに、名塚が白い相貌を変えないままぼやく。

「まさか、春星様が私を倒そうとしていたとは……恐れ入りました」

「僕もいずれ、あなたと同じところへ行きます」

 春星は淀みなく告げる。

「ですが僕にはまだ果たすべき責任が残っている。だからその機会はそれまでの間だけお預けです」

 セントラル区の中央病院に対する融資の再契約について銀行側と交渉し、どうにか六会タケシの――ひいてはレイモンドの願いを叶えられる段に漕ぎ着けたとしても、こちらの仕事はこれで終わりではない。

「凌はいまどうしています?」

 名塚が訊ねてくる。たしかに、息子の事は心配だろう。

「まだ意識が戻っていませんが、あと数日で覚醒する見込みだそうです。あと、目が覚めたらレイモンド・アッカーソン院長が彼の後見人になりますが、それでも構いませんね?」

「いまさら父親面なんて私には出来ない。その方が凌も幸せなんだろう」

 レイモンドと片桐美代子の間に産まれようとしていた子供の名前を思えば、それが妥当な選択肢なんだろうとは思う。だから、こちらからレイモンドに頼み込んだのだ。

「それは今後次第でしょう。それから、あなたの研究所から回収した例の素体ですが、あれはいま中央病院の地下に設置された『アステルジョーカープロセッサー』の部屋に安置してあります。いずれこちらで使う予定があるので」

「ご自由にお使いください」

「……話は以上です」

 パイプ椅子から立ち上がって踵を返すと、春星は再び振り返った。

「あなたは九条ナユタへの復讐と、十神凌の幸せの間で板挟みになっていた。今度は誰かの幸せを想って苦しむ日が来ると良いですね」

「…………」

 名塚からの返答は無い。

 気付けば、拘置所側から許容された時間を五分もオーバーしていた。


   ●


 日曜日だというのに、星の都学園は全体的に物々しい雰囲気に満たされていた。何故なら、今日はGACS真の決勝戦が開催されるからだ。

 見慣れない中継車が何台か第一アリーナの周辺に停車している。ジャーナリストやカメラマンなどの姿も当然のように見受けられ、中には会場警備の為に派遣されたA級ライセンスバスター達と彼らを指揮するS級バスター・雪村空也の姿も見受けられる。

 観客席は当然のように中等部の生徒達で大入り満員。決勝トーナメントの出場メンバーは放送用のボックス席の真下に勢揃いしていた。勿論だが、選手用の席には特別招待されたリリカ・リカントロープも一緒である。ちなみに園田樹里も同席している。

 タケシはフィールドの隅のベンチで待機していた。このアリーナはバトルフロートの闘技場よりも遥かに規模が小さいので、控室なんて優雅なものは用意されていないのだ。

 この星の頂点を決める戦いにしては庶民的過ぎる。ある意味、これはナユタの趣味だ。奴は何故か豪華なものよりショボいものが好きらしい。

 やがてナユタもこのアリーナに入って、向かい側のベンチでデッキを弄り始めた。

 現在時刻は朝の九時半。試合の開始時刻は十時ぴったり。

 このアリーナの広さは先日までの闘技場より狭いが、それでも二人の選手が縦横無人に駆け回るには充分に過ぎる広さを誇っている。勿論、空中戦をやるにしても不自由は無い。むしろ戦い慣れたフィールドだ。こちらの方が断然やりやすい。

 観客席の奥にテレビカメラが入る。あからさまに四方八方からレンズに睨まれるのは気分が悪そうだ。完全にこちらが集中すれば気にはならないだろうが。

 タケシは立ち上がり、昨晩調整を終えたデッキが収まっているデッキケースを腰の後ろに装着し、<アステルドライバー>のベルトを左腕に巻きつけた。

『皆様、大変ながらくお待たせしました!』

 ボックス席から、実況がイベント開始の口火を切る。

『紆余曲折あった末に開かれた、第一回グランドアステルチャンピオンシップ、決勝戦の再試合。実況は決勝トーナメントAブロックから引き続き、不肖この私、ダニエル・ポートマンがお送りいたします』

『Bブロックから引き続き、解説の園田村正です。よろしくお願いします』

『よろしくお願いします。今日はGACS真の決勝戦という事で、園田さん、この試合はどういう展開になる事が予想されますか?』

『今回は『至高』と『究極』の戦士がぶつかり合う激しい試合になるでしょう。両者の実力はほぼ互角。純粋な実力勝負になるのは間違い無さそうです』

『なるほど、ありがとうございます。さあ、二人の選手がフィールドで対峙します』

 ナユタとタケシは既に、それぞれのスタートラインとなる赤いテープの上に立っていた。その距離は大体二十メートル弱。近くもなく、遠くもない距離間だ。

 いまからでも緊張で心臓が張り裂けそうだ。

 いや――違う。これは緊張じゃない。恐怖だ。

 ナユタの全身から、これまでに感じた事が無いような殺気が溢れだしている。いままでの彼がそこまで本格的に相手を威嚇した光景を見た覚えが無かったので、タケシにはこの殺気が新鮮なものに思えた。

 皮膚が威圧だけで削られそうだ。まともに目を合わせられそうにもない。

 奴は本気だ。絶対安全な試合であろうとなかろうと、本気で俺を殺しに掛かろうとしている。

『ゴールデンウィークの終わりから長いような短いような三日間を経て、ようやく試合開始の時刻が差し迫ってきました』

『お互いベスト尽くせるような試合展開を期待します』

『ええ。それでは、お待たせいたしました。第一回グランドアステルチャンピオンシップ、決勝トーナメント真の最終戦、九条ナユタVS六会タケシの試合を開始します!』

 お互い、<ドライブキー>を<アステルドライバー>に挿し込む。

『GET READY!』

「タケシ。お前の全てで俺に向かって来い!」

「当然だ。いくぞ!」

 泣いても笑っても、これが最後の戦いだ。

 俺は勝つ――相手が例え、最強の戦士だったとしても!

「<アステルジョーカー>、アンロック!」

「<アステルジョーカー>・<メインアームズカード>、ダブルアンロック!」

 例によって、二人はそれぞれの<アステルジョーカー>を装備する。ナユタは<インフィニティトリガー>、タケシは<クロムヴァンガード>に装備された<サークル・オブ・セフィラ>だ。

『GO!』

 試合開始のゴングと共に、ギャラリーが一斉に沸き立つ。

「<バトルカード>・<アステルバレット>、アンロック!」

 まずはこの試合中でずっと効力を及ぼすカードを切る。

「<円陣>・<強陣>!」

 目の前に魔法陣を展開。掌に生成した無数の星を魔法陣に潜らせ、<クロムヴァンガード>の効力増加能力との併用で破壊力抜群の弾丸を真っ直ぐ発射。

 ナユタは腰の鞘から形態変化した<蒼月>を抜き、刀身から青白い光を噴射して、それを推進剤にして加速。地上の流星とでも形容すべき速さでフィールドの内周を沿うように駆け回り、<アステルバレット>を次々と背後に見送っていく。

 この程度じゃ様子見にもならないか。

「<円陣刃>!」

 金色の輪っかを生成し、ナユタの行く手を阻むように投擲。これを立て続けに繰り返し、結果的にナユタは再びタケシの正面に追い立てられた。

「<円陣>・<破陣>!」

 右手に小型の魔法陣を展開、腰だめに構えて複数のレーザーを魔法陣から撃ち出したが、これも真横に飛んで回避される。

 この時、既にナユタの左右を挟み込むように、別の魔法陣を浮遊させていた。

「<円陣>・<殺陣>」

 <殺陣>は起爆能力を持っている。有り体に言って、ナユタは爆弾がある方向にそのまま突っ込んでしまったのだ。普通の人間なら衝突は不可避である。

 しかしナユタの反応は常人ならざるレベルだった。彼は咄嗟に<蒼月>の切っ先を真上に向け、アステライトを最大威力で噴射。その推進力で、逆に自身の体を地面に押し付ける。

左右を挟み込まれたら普通は上に飛ぶだろうに、彼はそうしなかった。

何故なら、頭上にも<殺陣>がある事に気付いていたからだ。

「気付かれたか……!」

 実は<サークル・オブ・セフィラ>が展開する<円陣>には露骨な弱点がある。起動直前の<円陣>は、意外にもアステライトによる攻撃で簡単に消し飛んでしまうのだ。いまの噴射で頭上の<殺陣>が消えて、彼の行く手を塞ぐものが無くなった。

 ナユタはもう一回<蒼月>からアステライトを噴射して、時計回りに一回転。青白いエネルギー体の斬撃が左右の<円陣>を薙ぎ払って消し飛ばす。

 今度は噴射せず、自らの足で地を蹴ってこちらに肉薄してきた。

「<円陣>・<転陣>!」

 足元に展開した魔法陣の中央に飛び込んで異次元に一旦逃げ、実況と解説がいるボックス席に近い位置に脱出用の<転陣>を展開、これで完全にナユタの間合いから外れた。

 しかし、これで一安心してはいられなかった。

 なんと、ナユタは既に、居合抜きの姿勢で構えていたのだ。

「<月火縫閃>」

 振り返り様の一閃。刀の射程から遥か遠くに逃げたタケシに、青白い閃光の三日月が飛来する。

「<盾陣>!」

 盾としての効力を持った<円陣>を正面に展開、斬撃を受け止めて爆発四散する。普通なら完璧に受け切っていたものを、完全な展開が間に合わなかった分、防御力が低下していたのだ。

 爆発に呑まれ、タケシは真っ直ぐ床に向けて落下する。

 その時、既に至近距離まで接近していたナユタの拳が、目と鼻の先にあった。

「ッ!?」

 顔面に思いっきり、ナユタの拳が直撃して、タケシは背中から壁にぶつかる。

 まだ奴は至近距離にいる。背後は壁で、こちらに逃げ場は無い。

「くっ……<アステルバレット>!」

 咄嗟に星形の弾丸を広範囲に散らすと、ナユタはすかさず後ろに飛び、フィールドの真ん中に突き立てていた<蒼月>の柄をすれ違いざまに引っ掴み、足裏で地面を滑ってから立ち止まる。

 タケシはどうにかすぐ立ち上がり、遠くでこちらを鋭い眼光で射抜くナユタに対して睨み返す。

『九条選手、六会選手の猛ラッシュを軽々と凌いで鮮やかな反撃に転じた! 強い! これがGACS本戦を最後まで勝ち上がった猛者の貫録か!』

『九条選手は最初から<蒼月>のブースト能力しか活用していません。対する六会選手は<バトルカード>と<円陣>のフル活用を以てしても彼を捉えきれていない。実力の差がモロに出ている構図ですね』

 悔しいが、まさしくその通りだった。


 ナユタを最強の味方として見る分には素晴らしいと思うべき光景だが、最強の敵として見ると、やはり彼の強さは圧倒的かつ驚異的なものに思えてくる。

 リリカは胸のうちに抱えていた不安をそのまま口に出す。

「やっぱり、ナユタお兄ちゃんに勝てる人って、もうこの世にはいないんじゃ……?」

「私と奴の模擬戦での勝率は五分五分だがね」

 エレナが自慢げに言ったと思えば、途端にその顔つきが真面目になる。

「ただし、それも通常の<メインアームズカード>同士での対戦だ。<アステルジョーカー>を用いたナユタには手も足も出ないし、<蒼月>一本で<アステルジョーカー>を発動したイチルを一蹴するぐらいの実力はある。本気を出したナユタに勝とうと思うなら、それこそS級バスターを全員引っ張り出しても足りないだろう」

「しかも今回のあいつは相当ヤバい」

 修一が眉をひそめ、こめかみに冷や汗を浮かべて口角を釣り上げる。

「今回はただのゲームだから、Vフィールドが張られている分だけ加減も容赦も必要は無い。この試合、あいつはタケシ君を完全に殺す気でいるぞ」

「殺すって、そんな物騒な……」

「それがあいつなりの認め方だ。本気で戦うべき相手だと思った奴には本物の殺意で応える。それはひとかどの戦士にとって、ある種の敬意ともとれる」

 逆に言えば、タケシにはナユタが認めるくらいの実力があるという事だ。だからこそ、いまのナユタは<蒼月>の力でしか戦っていないのだろう。

 きっと、ナユタは待っている。

 俺が最初に本気を出したなら、次はお前の番――暗にナユタがそう言っているのだろうと、リリカはおぼろげながら察していた。


「どうした? お前の本気はその程度かよ」

 ナユタが悪役のようにせせら笑う。こんな顔のナユタは何度も見ているが、それでもこちらに対してこんな顔をしたのはこれが初めてだ。

「最初に言った筈だ。お前の全てで向かって来いってな」

「うるせぇよ」

 タケシはフィールドの端から内側に戻り、呼吸を整えて冷静に考える。

 さっきのワンセットでナユタには生半可な戦術が通用しないのは確認した。「いつもならこれで相手を確実に殺せる」というような策はもう使えない。さっきのパンチだって、あれに<モノ・トランス>の<ブースト>を使われていたら一気にHPが全損していたかもしれない。

 考えろ。考えて考えて考えまくって――勝利への道を照らし出せ。


 すぅっと開眼したタケシの双眸から、ナユタはよく知った恐怖を感じ取った。

 これだ。俺はこれを待っていた。

 タケシが持つ異様な才能の片鱗。他の誰もが気付かなくたって、ナユタだけはちゃんと、その正体に気付いた上で確信していた。

 卓越した頭脳? 天才的な軍師の才? いいや、違うね。

 奴が与えられた才能は、そんなちっぽけなモンじゃない。

「……来い」

 <蒼月>を八双に構え、これから起きる騒乱に備える。

 タケシは両手から微粒子レベルまで細分化した<アステルバレット>を噴射し、<蒼月>と同じ原理で加速、あろうことかこちらに真っ直ぐ突っ込んできたのだ。

 俺に接近戦を挑む気か……!

「<円陣>・<転陣>」

 衝突寸前の二人の間に突如として出現した魔法陣に飛び込み、タケシの姿が再びこのフィールド内から消える。

 何処だ? まあ、どっから現れても、さっきみたいに撃ち落としてやる。

 と思ったら、ナユタの真下に大きな魔法陣が浮き上がっていた。

「下っ――!」

 おそらく脱出用の<転陣>だ。ナユタは<蒼月>を逆手に持ち替え、切っ先を魔法陣の中央に叩き込んだ。

 すると、魔法陣が真っ白に強く発光する。

「しまっ……」

 大爆発。紅蓮の炎と黒い噴煙が魔法陣を中心に巻き上がる。

 ナユタは即座に<蒼月>を噴かせて魔法陣の範囲外から脱出したが、爆発の煽りを喰らって上手く着地できずに床を転がった。

 いまのは<殺陣>か。じゃあ、タケシは何処にいる?

「そこかっ!」

 立ち上がり、振り返り様に斜め上に<蒼月>を投擲。手応えは無かった。

 でも、さっきまでタケシはあの位置には居た。黒煙で姿は見えないが、気配で分かる。間違いない。

「<モノ・トランス>=<バスター>!」

 両手にメタリックブルーの自動拳銃を一丁ずつ召喚。全方向に向けて発射。弾丸が煙を引き裂き、やがてタケシの姿が明瞭になる。

 彼はナユタの頭上で、細長い光の槍を振りかぶっていた。

「<ステラジャベリン>!」

 光の槍を直下のナユタに投げ落とす。ナユタは走って<ステラジャベリン>を回避すると、前に飛びながら体を捻って宙で仰向けになり、銃口を上空のタケシに向ける。

 発砲、連射。タケシが蜂の巣になる。

 違う。あれはタケシの偽物だ――!

「体が流れてるぜ」

 本物のタケシはナユタが飛んでいる先で、<蒼月>――ナユタが投げたのを拾ったのだろう――を両手持ちで振りかぶっていた。まるで、これからお前の首をホームランしてやるぞと言わんばかりのフォームだ。

「かっとばす!」

「ちぃっ!」

 ナユタは二丁拳銃を手放して、フルスイングされた<蒼月>の刃を掌で挟み込んでがっちり受け止めた。これぞ秘技・真剣白刃取り(空中版)だ。

「マジかよ!?」

「俺の<蒼月>を返せ!」

掌で挟んだまま強引に刃を引き戻して、<蒼月>を再び手中に収め、タケシの体そのものを支えにして体勢を立て直す。

「――あ、しまった」

 あろうことか、タケシは刀を持ったナユタの腕を取り、腰を払って見事な一本背負いを決めたのだ。気付いた時には、既にナユタはタケシに手首を掴まれたまま、背を地に叩きつけられて隙だらけになっている。

「<蒼月>!」

 掴まれた手首の先には握られた<蒼月>がある。その刃からアステライトを放出した途端、タケシはすぐにこちらの間合いから離脱する。

 ナユタは立ち上がり、再び様子見の構えに入る。

『意外や意外、息もつかせぬ駆け引きの最後はまさかのゼロレンジコンバット! 六会選手、もしかして柔道の心得があるのか!?』

『六会選手は初等部を修了した時点から合気柔術の有段者です。零距離で組まれたらさすがの九条選手も六会選手には敵いません』

「……反応が一瞬遅れたら死んでるとこだったな」

 たしかに接近戦主体の高速戦闘なら、ナユタを相手にタケシには勝ち目が無い。だが、取っ組み合いならタケシの方が何枚も上手だったりする。

 迂闊だった。奴はたしか、黒帯を持っていた筈だ。

「こうなったらもっとギアを上げるぜ」

 ナユタはノーマルの<ドライブキー>から<ソードフォーム>の<ドライブキー>に挿し替え、装備を赤い陣羽織と二本の<蒼月>に換装した。


「あれがタケシの怖いところだ」

 実際に彼と本気で手合わせしたハンスは語る。

「いついかなる状況でも、あいつの繰り出す戦術は相手の予想を遥かに上回る。どんな相手にもきっちり刺さるカードを切れる。あれが勝負師の才能って奴だ」

「いいぞタケシー! やってまえー!」

 ナナが歓声に紛れて露骨に贔屓な応援をする。

 いまのナユタは<ソードフォーム>による近接型の超攻撃形態だ。タケシの<円陣>による多重攻撃を掻い潜りながら、どうやって相手の意表を突いて決定打を喰らわせるかを考えている。

 しかしタケシに隙は無い。いくら<蒼月>で<円陣>を斬り裂かれようと、次の<円陣>を生み、反撃に転じている。

 ナユタは<ソードフォーム>だと埒が開かないと思ったのか、次は<ウィザードフォーム>に換装。両手に<バスター>の銃を装備して、地上をアイススケート選手みたいに滑りながらアステライトの弾丸を連射している。

 タケシが<盾陣>を正面と左右に張って弾丸を防ぐ。

 <インフィニティトリガー>が最強の矛なら<サークル・オブ・セフィラ>は最強の盾といったところだろうか。ハンスの<シールド・オブ・アキレウス>も<サークル・オブ・セフィラ>と比べたら紙切れ同然でしかない。

 悔しいが、いまのタケシは最強の守護神に相応しい戦いぶりを披露している。

「あいつ、いつの間にか俺を簡単に越えていきやがったな。あいつの戦いには決勝トーナメントでの経験が反映されている」

「それはナユタも同じだ」

 エレナが対抗するように言った。

「それだけじゃない。あいつの剣には、積み重ねてきた十四年分の重みがある。六十七十と馬齢を喰って生きただけの爺さんより、あいつの短い人生は遥かに重たい」

「タケシならその重みを受け止めきれるさ」

 ハンスには確信があった。

「見ろよ。あいつら、<アステルジョーカー>の未来を賭けて戦ってるってのに、何だか楽しそうだぜ?」


「<ビーストランス>・<チャービル>!」

 ナユタが<サモンフォーム>に換装。召喚したチャービルを鎧として身に纏い、両手に一本ずつ、青い小太刀を逆手に携えた。

 <サモンフォーム>は<ビーストサモンカード>から召喚された<星獣>を<ビーストランス>する能力を有している。いまナユタが装備した鎧は水中戦用装備の筈。

 ナユタはまず、正面を左の小太刀で横一閃。それから、横に引かれた軌跡に対し、縦一文字の太刀で真ん中に新たな線を引く。

 こうして生まれた十字線の軌跡が、ひときわ強い輝きを放つ。

「<月火十字閃げっかじゅうじせん!>」

 十字の形をした斬撃が飛翔。これは正面から受け止めきれそうにない。

 タケシが<アステルバレット>の推進力で再び飛び上がって斬撃を真下に見送ると、ナユタは両方の小太刀からアステライトを左右に噴射する。

「<月火二蓮閃!>」

 右の救い上げるような一振り。アステライトによって拡張された大型の刃がタケシを真下から狙う。

 横に移動して斬撃を回避。次は残った一振りが真横から迫る。

 頭上に弾丸を噴射して真下に降り、二撃目も回避。

 ナユタは既に、地上から姿を消していた。

「……! 消えた!?」

 俺はここだ――そう言われているような気がして、タケシは後ろを振り返った。

 居た。ナユタはタケシの背後から、<ウィングフォーム>で接近してきたのだ。

「<円陣>・<転陣>!」

 二人の間に再び<転陣>を出現させる。このままこの魔法陣にナユタが突っ込めば、少なくとも脱出用の<転陣>で遠くまで彼を飛ばす事が出来る。

 しかしナユタは<蒼月>のブーストを真下に適用し、直角に折れ曲がって真上に跳ね上がった。有り得ない判断力と軌道変更だ。

 こうもとんでもないスピードで動き回られては、ナユタを<円陣>で包囲して三百六十度から攻撃するなんていう真似も不可能に等しい。<サークル・オブ・セフィラ>は攻撃スピードが他の<アステルジョーカー>より一段階遅いので、そう都合よく高速で飛び回る物体を捉えきれないのだ。

 もし動く的に当てたいなら、それこそ未来を予測するしかない。

「だったら!」

 もはや迷っているだけ無駄だ。ナユタに時間を与えすぎれば、それこそ<サークル・オブ・セフィラ>は完全に攻略されてしまう。

「<アステルジョーカー>、第二解放!」

 唱えた直後、左手の甲に、『生命の樹』の体系図を模した計十個のランプが施される。ランプは全て点灯済みで、タケシはこれでいつでも最終形態を発動出来る。

「<アイン・ソフ>か」

 ナユタもタケシと御影東悟の試合をビデオか何かで見ていたのだろう。という事は、<サークル・オブ・エターナル>の存在も既に知っているという事になる。

 でも、それはこっちだって同じだ。大会終了後、村正に頼んで取り寄せてもらったナユタと東悟の試合映像はこの試合が始まる二日前に確認済みである。つまり、ナユタの<アステルジョーカー>の最終形態・<デステニートリガー>の存在をこちらは知っている。

 ナユタは再び地上に降り立ち、<ウィングフォーム>の<ドライブキー>を<蒼月>の柄頭に装填する。

 奴はいままで<蒼月>と、<イングラムトリガー>の時から既に備わっていた<モノ・トランス>、それから<フォームクロス>でしか戦っていない。

 ここからが、<インフィニティトリガー>に進化して初めて得た能力の見せ所だ。

「<生命の門>!」

 タケシは滞空したまま、天井に金色の魔法陣を展開。中央から光子で構成された金色の枝を落雷のように伸ばす。

 先手必勝。撃たせる前に撃つ!

「<月火翼閃>!」

 白い翼に変化した刀身を振るうと、ナユタの周りに白い羽毛が散華し、それが鋭い無数の太刀筋となって舞い上がる。

 金色の枝が白い太刀筋に斬り裂かれ、白い太刀筋の何発かは金色の枝の尖端に貫かれて消える。

 白と金が入り混じる様は幻想的の一言に尽きる。

『激しい必殺攻撃同士がぶつかり合い、我々は予想外にも美しい光景を目の当たりにしました……』

『これは感慨深い技の衝突でもあります。美月アオイの力である<サークル・オブ・セフィラ>が放つ必殺技・<生命の門>と、かつて美月アオイに寄生していた怪鳥型<星獣>のデータを用いた九条ナユタ最強の必殺技・<月火翼閃>がせめぎ合っている』

『二つの技が溶け合って消えていく……!』

 枝と太刀筋が融合し、少しずつ光の飛沫となって散華している。

 勿論、これで二人の勝負が終わった訳ではない。

「<生命の門>・<剣>!」

 『生命の樹』の体系図を模した魔法陣をタケシの正面とフィールドの四隅、それからVフィールドの四方に配置し、一つにつき複数の刃を伸ばす。

 ナユタは再び<ウィングフォーム>に換装して刃の怒涛を掻い潜り、既に<蒼月>に装填していた<ウィザードフォーム>の<ドライブキー>の効力で、刀身を無数の魔法陣として全方位に分裂させた。

「<月火陣閃>!」

 魔法陣から<破陣>に似た形でレーザーを一斉掃射。フィールドを埋め尽くしていた剣のアスレチックを粉々に粉砕する。

 タケシは<盾陣>でレーザーを凌ぐと、

「<生命の門>・<月光>!」

 アリーナの天井に形成した魔法陣から紫色の極太レーザーを発射。狙いは勿論ナユタだ。

「<月火斬閃>!」

 <蒼月>の刀身が巨大化して包丁のような形に変形。頭上に翳してレーザーを真っ二つに引き裂くと、そのまま大振りしてタケシを狙う。

 タケシが身を屈めて刃をやり過ごすと、ナユタは<蒼月>の柄頭に刺さった<ソードフォーム>の<ドライブキー>を<サモンフォーム>の<ドライブキー>に挿し替える。

 すると、<蒼月>の刀身が風船のように膨らみ、イルカを模した姿に変貌する。

「行ってこい、チャービル!」

「きゅい!」

 鍔元から撃ち出されたイルカ型の刀身が、空間中を泳ぐようにして飛び回り、既に飛行して攪乱機動に入っていたタケシを俊敏に追い回す。

「こっち来んな! 悪いがイルカの鼻っ柱にケツの穴掘られるのは勘弁だぜ!」

「きゅいきゅいきゅいー!」

「何言ってるかわかんねーよ!」

「気にするな。俺も分からん」

 タケシの行く手をナユタが阻む。このままでは奴と正面衝突する羽目になる。

「<円陣刃>!」

 両手に作った金色の輪を正面のナユタと背後のチャービルに一個ずつ投げる。ナユタは当然のように身を逸らして軽々と回避するが、全速力で突っ込んでくるチャービルにはヒットした。

 すると、風船が弾けるように、チャービルの全身が破裂した。

「ああっ! タケシ、てめぇ! 俺のチャービルに何てことを!」

「うるせー! 全部飼い主の責任問題だろうが!」

 両手から<アステルバレット>を散らすと、ナユタは迫りくる弾丸を、巨大なアステライトを纏った<蒼月>の一振りで全て薙ぎ払った。

 二人は一旦フィールドの中央に戻り、試合開始時と同じ配置に立つ。

「きゅい」

 小型化したチャービルのホログラムがナユタの頭の上に乗っかる。そういえば、チャービルはナユタのナビゲーションアバターでもあったんだっけか。

「そいつは本当に便利なイルカだよな。俺も何か良い<星獣>が欲しいぜ」

「一次予選でお前らが乗ってたサイなんかオススメなんじゃね?」

「ああ……あいつは何気に良い奴だったな」

 ほんわかと例のサイ型<星獣>を思い出していると、タケシは一瞬だけ、いまが試合中だと忘れそうになった。

 二人は数秒間だけ無言で停止すると、何故か同時に噴き出した。

『? 九条選手と六会選手、何か普通に笑い始めたぞ?』

『二人の素が出ましたね。娘の話によると、彼らはいつもあんな感じらしいです』


「あいつら……」

 ハンスが苦笑し、彼らの担任であるケイトも肩を竦めた。

「結局彼らもまだ中学生ですからね。ああいうもんでしょう」

「何を呑気に笑ってるんだか」

 ナナが頬を膨らまして憤慨する。

「コラー! これ一応、あたし達の未来が懸かった大事な一戦なんだぞー! もっと真面目にやれー!」

「まあまあ、いいじゃない」

 イチルが心の底から笑った。

「むしろこれで二人はいつもの二人に戻ったんだよ。去年から色々あり過ぎて気が引きつりっぱなしだったけど、あいつらなんて元からああなんだよ」



「……よかった」

 凌の病室のテレビで試合を観戦していたサツキは、ひたすらほっとしていた。

 たしかにこれは大事なものを賭けた試合なのかもしれない。でも、それで二人の絆に大きなヒビが入る事はない。

 ひたすら憎まれ口を叩いて、ただバカみたいな事をずっと言い合って、揃いも揃ってアホ丸出しの行動を簡単にしてしまう。

 何と言われようが、彼らはただ二人の、何の変哲も無い中学生に過ぎない。

「凌君、あなたもああいう風になれたら良いですね」

 サツキは未だ昏睡している凌の手をそっと握った。

 すると、一瞬だけ、ぴくっとその手が動いた気がした。



「あぁー、もう、頭のネジが一本取れたかな」

「お前の頭に最初からネジなんてついてないだろ」

「おいコラ、盛大に失礼な事を言うな」

 ひとしきり笑い終えると、ナユタは<蒼月>の柄に両手を添え、切っ先を真っ直ぐタケシに向けて突き出した。

「まあいいや。そろそろこの試合にもケリをつけるとしようや」

「そうだな」

 お互いのHPはまだイエローゾーンにすら触れていない。本当なら、もっとこの試合を長引かせても良かったくらいだ。

 このまま決着の時なんて訪れず、永遠に続いていれば良いのにと思う。

 でも、ターニングポイントからは決して逃げられない。逃げてはいけない。

「タケシ、最後に一つだけ言っておく」

「それは試合が終わった後にでもとっておけ」

 <サークル・オブ・セフィラ>の左手の甲が発光し、徐々に輝度を増していく。

「負け惜しみを先に喋るのは反則だからな」

「その減らず口は俺の全能力を喰らってから言いやがれ。いくぞ!」

 ナユタが鍵を捻るように剣を倒し、タケシの左手が光の繭に包まれる。

「発動率一〇〇%突破! <アステルジョーカー>、フルアンロック!」

「<生命の門>+<剣陣>+<竜陣>+<星陣>+<無限陣>!」

 ナユタの姿が黒炎に飲み込まれ、タケシの正面で五つの魔法陣が結集する。

 かくして、二人は最終形態への換装を終えた。

「<カオスアステルジョーカーNO.9 デステニートリガー>!」

「<アステルジョーカーNO.〇〇〇 サークル・オブ・エターナル>!」

 二人が発するエネルギーの色は、タケシが白、ナユタが黒だ。

 奇しくも光と闇、天使と悪魔の衝突と似たような構図になる。

「<モノ・トランス>・<サークル>+<アロー>+<ウィング>!」

「<永遠の門>!」

 タケシの正面に展開された虹色の魔法陣から同じ色の蔦が無数に伸びて際限なく増殖する中、ナユタは両手に黒い<サークル・オブ・セフィラ>、左手に<セイヴァーマーチ>、背中に大型スラスターを装備して飛翔する。

 もし<永遠の門>の蔦が触れたなら、ナユタが纏う装備が何であろうとたちどころに分解されるだろう。反対に、ナユタが扱う全ての<アステルジョーカー>による猛攻を凌げなければこっちの負けだ。

 ナユタは増殖を続けて鞭のように伸びる蔦を掻い潜り、何が何でもこちらの懐に入ろうとしていた。

 させない。蔦で相手を牽制しながら、アリーナの壁と天井に複数の<永遠の門>を設置。これで全方位から一撃必殺の蔦が伸びるようになった。

『先ほどの砕けた雰囲気から一転! 互いに<アステルジョーカー>の最終形態を発動し、大規模な決戦に持ち込んだ!』

『六会選手、最後は物量作戦に持ち込みましたね。アリーナ全体を蔦で埋め尽くして九条選手の動きを制限しながら確実に追い詰めていく魂胆でしょう』

 そんなの、ナユタにも分かっている筈だ。

 さあ――ここからどう切り返す!?

「<円陣>・<解析陣>+<分析陣>!」

 ナユタは空いた右手から二種類の魔法陣を飛ばし、いまも四方八方から迫りくる蔦を掻い潜りながら、手頃な蔦の一本にヒットさせる。

 <解析陣>と<分析陣>は二つで一つの力を持つ<円陣>で、タケシの<アステルジョーカー>が持つ最初の基本能力だ。これで<永遠の門>はナユタにコピーされてしまった。

 蔦がナユタの大型スラスターに触れる。片翼が消え、これで彼は浮力を失って落下を開始する。

「<モノ・トランス>=<ドラグーン>!」

 全身から噴き上がった黒い炎がドラゴンの姿となり、全方位から襲い掛かってきた蔦をモロに喰らう。

 これで<ドラグーン>が一瞬で消滅する。

「<円陣>・<修復陣>!」

 文字通り、回復用の<円陣>を起動させ、消えた片翼を復活させる。別の人間に自分と同じ<アステルジョーカー>を使われたのが初めてなので、タケシはいま改めて、自分が使役する力の大きさを再確認する。

 機動力が復活し、せわしなく動き回って蔦を回避しまくるナユタは、やがて右手に新たな<円陣>を生成する。

「<円陣>・<永陣エターナル>! ……<セイヴァーマーチ>!」

 作った<魔法陣>がそのまま矢の形に変換される。<セイヴァーマーチ>の能力は元々、<新星人>としての力が無ければ成立しないのだが、ただの人間であるナユタがこうしてイチルと同じように使っているという事は、彼が召喚している<アステルジョーカー>は全てナユタ専用にチューニングされていると見て良いだろう。

 矢を弓に番え、蔦の一本に発射。

 すると、矢に当たった蔦が消え、まるで浸食されたかのように着弾点から消滅の範囲が拡大し、ついにはこの空間中から全ての蔦が消えてしまった。

『アメイジング! 回避も攻略も不可能と思われた<永遠の陣>を、複数の<アステルジョーカー>の組み合わせで消滅させてしまった!』

「<モノ・トランス>=<ソード>! <バトルカード>・<ストームブレード>、フォースアンロック!」

<紅月>の能力を継いだ<蒼月>を召喚するなり、圧縮された白い太刀風を刀身の表面に纏わせる。

「<ハイパーカードアライアンス>・<ハリケーンオーバー>!」

「<永遠の門>!」

 タケシが手前に再展開した魔法陣から大量の蔦を伸ばす。あんな技を何発も気軽に撃てるのは正直驚きだ。

 ナユタは全身の力を込めて<蒼月>を振り下ろし、このアリーナの広さでは抑えきれない規模の暴風の矢を発射。蔦を何本か巻き込んだ末、思ったよりも短い時間で完全な消滅を遂げた。


『<アステルジョーカー>、活動限界。強制解除します』


「なっ……!?」

「強制解除!?」

 二人の<アステルドライバー>から、あまりにも突然かつ無慈悲な宣告が下されたかと思ったら、あっけなく両者の<アステルジョーカー>が消滅してしまった。

 いまのナユタとタケシは、通常の<メインアームズカード>の武装を装備しているだけの状態になる。

「活動限界って……いままでの試合でもそんな事は無かっただろ!?」

「本当にどうなってるんだ?」

 タケシだけでなく、ナユタも動揺している様子だった。

 この現象については、村正が解説の仕事として説明してくれた。

『にわか信じがたいですが、どうやら使用者である二人のパフォーマンスが<アステルジョーカー>の限界を超えてしまったようです』

「「は?」」

『二人の<アステルジョーカー>はいわば、キーボードを打つのが速過ぎてフリーズを起こしたパソコン、といったところでしょうか。どのみちこの試合が終わってからでないと再起動は不可能です』

「つまり俺達……」

「やり過ぎた……?」

 要は、そういう事である。


 開いた口が塞がらないとはこの事だろうか。エレナやハンスだけでなく、他の決勝メンバーも驚愕を隠せない様子だった。

 中でも、一番驚いていたのはナナだった。

「あたし、<アステルジョーカー>を使いこなすだけでも、すっごい必死なのに」

「ば……化け物だ」

 修一が戦慄を露にして呟く。

「<アステルジョーカー>程度の性能じゃ物足りないって言ってるようなモンだぞ。あいつら、本当に人間かよ……!」

「さすがは至高と究極、といったところだな」

 忠が険しい目つきで述べる。

「これで二人は切り札を失った。さあ、どうする?」


「どうしよう」

 ナユタが腕を組んで考え始めた。

「まさか、こんな事があるなんて」

「きゅいー」

「うーん……」

 どうやらナユタを倒せるチャンスはいましか無いらしい。

 タケシはブレザーの懐から<ルーツエクスチェンジ>の<ドライブキー>を取り出す。まさか、こいつを使う時が本当に訪れるなんて夢にも思わなかった。

 ナユタがこちらの行動に気付くと、何故か素っ頓狂な声を上げて訊ねてくる。

「え? おい、タケシ。お前それ何処で手に入れたんだよ!」

「はっはっは! 実はサツキのお父さんからこっそり<フォームクロス>用の<ドライブキー>を貰っていたのさー……って、お前、これが何か知ってんの?」

「いや、俺もサツキのお母さんから同じ物を貰ったんですけど」

 ナユタがこちらと全く同じ<ドライブキー>を見せびらかした。

 あれ? 話がちがくない?

『たったいま最新情報が入りました』

 村正が心なしか不機嫌そうに述べる。

『私の仕事机から<ルーツエクスチェンジ>のサンプル品がネコババされていたそうです。犯人はいま九条選手が言った通り、園田樹里――私の妻です』

「何してくれてんだあの人!?」

 樹里が選手用の観客席からアルカイックスマイルで手を振っている。

最初から最後までとんでもない人だ。さすがはエレナがこの世で唯一頭が上がらない女と認定した人物である。

『いま六会選手が所持している<ルーツエクスチェンジ>は彼専用に調整されていますが、サンプル品の方は<アステルジョーカー>の所持者なら誰でも使用可能になっています。つまり、九条選手も<ルーツエクスチェンジ>が使えるという事です』

「おお、そうだったのか」

 ナユタが呑気に感心する。

「じゃあ、これでまた条件は同じって訳だ」

「ええい、こうなったらどうにでもなりやがれ!」

 ナユタと同じ条件に戻ろうが、タケシのやるべきことは一切変わらない。

 二人は問題の<ドライブキー>を<アステルドライバー>に装填した。


 <ルーツ・エクスチェンジ>。それは原点回帰の力。

 GACS開始直前の時点で、タケシの<アステルジョーカー>は既に成長度がMAXに近かったので、実はこれ以上能力は上がらない。ナユタにしてもそれは同じだ。

そこで、この状態にいち早く気付いた園田村正が開発したのが、この特殊な<ドライブキー>だ。

これは<アステルジョーカー>の出力を意図的に『初期化』させる事で操作性を向上し、より使用者に適した形態に『復活』させるという、まさに原初の記憶が封印された扉を開く為にある鍵といったところか。

 これによって、たったいま、ナユタとタケシは原点に立ち返った。

「<オリジンアステルジョーカーNO.4 イングラムトリガー/ゼータ>!」

「<オリジンアステルジョーカーNO.5 サークル・オブ・カオス/ゼロ>!」

 新たに換装したナユタには、<イングラムトリガー>時代の青い薄手のジャケットと、より深い青のグローブとブーツが装着されていた。さらに腰の鞘には<蒼月>が収まっている。

 同じく新たな姿で復活した<サークル・オブ・カオス>の装飾は、以前のそれよりさらに簡素になっていた。左手の甲に『副』の文字、右手の甲に『主』の文字が白抜きで掻かれた黒いグローブ。モールドみたいな模様が文字の外側に描かれている以外は、実に分かり易いデザインだった。

 タケシのゼロと、ナユタのゼータ

 最初と最後の対決が、いま始まる。


『<オリジンアステルジョーカー!?>』

『これが二人の原点にして最後の<アステルジョーカー>です。オーバーロードして使えなくなった<アステルジョーカー>が最初の姿に戻る事で新たに生まれ変わったのです』

「とうとう決着が付く」

 修一は確信めいた口調で呟く。

「この勝負、こうなった以上はどっちが勝ってもおかしくない」


 取り扱いの感覚は<クロムヴァンガード>と同じレベルで考えた方が良い。さっきみたいな無茶をすれば、今度こそこちらの<アステルジョーカー>は使えなくなる。

 でも、それはナユタもきっと同じ筈だ。

「<円陣>・<捉陣マーカー>」

 <サークル・オブ・カオス>時代の懐かしい魔法陣――いや、金色の輪を左手から飛ばし、ナユタの真下に敷くと、右手から別の輪を飛ばす。

 輪と輪が重なり、起爆。

「<モノ・トランス>=<ブースト>!」

 ナユタが肉体強化系の技を発動し、爆発の範囲から前に飛んで逃れる。

 やはり、こいつの使い辛さはあの時のままだ。左手から対象を捕捉する<捉陣>を飛ばし、実際に効力を発現させる<主陣>を右手から飛ばして<捉陣>に重ねなければ能力は発現しない。

 だから、<サークル・オブ・セフィラ>よりも未来を予測する力が必要になる。

 ナユタの動きを捉えきる為に必要な未来予知か――こいつは難易度が高い。

「<モノ・トランス>=<スピア>!」

 ナユタが両手に青い光子の槍を召喚し、こちらと間合いを詰めながら豪快に振り回してくる。タケシは槍の穂先から逃れつつ、右手に<アステルバレット>をいくつか生成、発射する。

 ナユタは至近距離であるにも関わらず、首を逸らし、身を横に逃し、足を跳ね上げるなどして弾丸を軽々と回避してしまった。

 それでもタケシは何度も何度も<アステルバレット>を撃ち続ける。すると、零距離射撃戦に挑んでいるこちらに対して挑戦したいのか、

「<モノ・トランス>=<バスター>!」

 槍を消し、両手に見慣れた二丁拳銃を召喚。いまのタケシと同じように至近距離で弾丸を放ち、見るも奇妙なガン=カタを成立させてきた。

 こめかみに銃口が突きつけられる。そのバレルを左手で押しのけ、右手の指先から貫通力重視の<アステルバレット>を相手の額を目掛けて発射。ナユタは首を横に倒して弾丸をやり過ごし、銃撃だけでなく蹴り技まで多用し始めた。

『至近距離間での息もつかせぬ射撃戦! 両者一歩も姿勢を譲らない!』

 観客のやかましい歓声や応援、実況や解説の言葉も耳に入らない。重要なのは相手の足音と撃ち出された弾丸が音速を超えた末に起きる銃声砲声だけ。

 でも、何故か、リリカとイチルが応援してくれる声だけは聞こえた。


「頑張れタケシ! 負けるな!」

 ナナが席を立って、興奮した様子で応援している。

 しかし、彼女以外の選手勢は揃って渋い顔や険しい顔をしていた。賭けているものが賭けているものだけに、どっちを応援して良いのか分からないからだ。

 でも、これだけは分かる。

 いまの二人は、この試合を心の底から楽しんでいる。

「何だかいいなぁ、男の子って」

 リリカが羨ましさを露に呟く。

「ああやって何にも考えないで全力でぶつかり合えるなんて。女の子同士じゃ好敵手なんて無理あるもん」

「かもしれんな」

 エレナが穏やかに言った。

「ああやっていつまでもバカみたいに無邪気に楽しんでいられるのは男の特権らしい。それに、ナユタを見てみろ」

 彼女に促されてナユタの顔をよく観察する。

 いまの彼はいつもの彼ではない。いつもはそこはかとなく達観したような態度を見せるが、今回の試合に限ってはそんなものを一切抜きにしたような、いわゆるナユタのルーツというものが垣間見えた気がした。

 元々は底抜けに明るい性格なんだろう。それがいまの彼の面持ちに表れていた。

「ナユタの人生は<アステルジョーカー>と共にあった。だから<アステルジョーカー>と一緒に奴自身も本来の姿を取り戻したとしても不思議は無い――というのは屁理屈が過ぎたか?」

「屁理屈なんかじゃないです」

 イチルが首を横に振る。

「だって、事実そうなっちゃったんですし」

「そうだな。……さてと」

 エレナはおもむろに立ち上がり、思いっきり息を吸い込み、ナナのやかましさを超える大音声を腹からぶっ飛ばした。

「ナユタぁあああああああ! 貴様、この私に勝っておいてタケシ如きに負けましたとか言って帰ってきたら後で三回ぶっ殺してやるからなああああああああああ!」

「野次? まさかの野次!?」

 エレナらしいと言えばエレナらしい。

「タケシぃいいいいいいいい!」

 次に叫んだのはハンスだった。

「エレナがナユタを応援するなら、ここはバランスを取ってお前を応援しといてやる! だから、絶対に負けるな!」

「理由が残念過ぎます!」

 リリカが奇妙な大人の事情をちょっとだけ垣間見た瞬間だった。

「ナユタが勝つのは個人的に気に喰わないからタケシ君頑張れー!」

 と、修一。

「右に同じ! くたばれナユタ!」

 と、ユミ。というかタケシへの応援どころか、これではナユタへの罵倒である。

「後で、優勝した側にたっぷりご飯を奢ってもらおう」

 と、心美。こちらはもはや歓声ですらない。

 戦っている当人達が当人達なら、彼らに影響されたこちらの選手勢も大概である。

 全員が全員、底抜けの大バカ共と評されても仕方ない連中ばっかりだ。

「イチルお姉ちゃんはどっちを応援するんですか?」

 リリカはイチルの顔を覗き込んで訊ねる。

「……あたしは」

 本当ならナユタを応援するんだろうが、そうもいかない現実もある。

 賭けの対象とか贔屓目を抜きにした先に、その理由があるからだ。

「どっちも全力を尽くして、悔いの無いように戦えれば、どっちが勝っても文句は言わないよ」

「だったら」

「うん」

 リリカとイチルは、どっちも同じ事を考えていた。

 せーのっと前置きし、

「「どっちも頑張れぇええええええええええええええええええええええええ!」」

 二人同時に、ナユタとタケシにエールを送った。


 ガン=カタの最中にお互い何発か射撃を喰らい、とうとうHPがイエローゾーンとレッドゾーンの境目まで減ってしまった。

 互いに肩で息をし、再び試合開始地点に立つ。

「そろそろ……終わりにしようや」

 ナユタが<蒼月>を抜刀して腰を落とす。

「来い」

 タケシが両手に一つずつ<円陣>を浮かべる。

 これが勝負を決める、最後の駆け引き――

「<モノ・トランス>=<ブースト>!」

 さらに<蒼月>もブースト。肉体強化と<蒼月>による相乗効果で、音速すら超え兼ねない速力でナユタが真っ直ぐ突っ込んできた。

 切り込みが鋭い。間に合うか――!

「<円陣>・<強陣>」

 正面に展開した<強陣>に<アステルバレット>を通して高威力の弾丸を斉射。ナユタはジグザクにステップを踏んで弾丸を全て避けきると、地を蹴り、低空飛行する燕のように足元を狙って頭から突撃してきた。

 勿論、これは予想済みだ。

「<バトルカード>・<ホロウドール>、アンロック!」

 タケシの幻影がさっきまで居た地点に置かれ、本体は<アステルバレット>の推進力を利用してナユタの背後に素早く回り込んだ。いまのナユタには本物のタケシが見えていない。

 後頭部に貫通力重視の<アステルバレット>を発射。

 しかし、弾丸はあっけなく彼の体を通り過ぎてしまった。

「……っ!」

 ナユタは既にタケシの背後に回り込んで、腰を屈めて居合の姿勢に入っていた。ナユタのデッキにも<ホロウドール>が入っていたので、同じ技を同じタイミングで使われても決して驚く事ではない。

 振り返ってナユタに向き直るも、防御が間に合わない。

 ナユタが渾身の居合斬りを放つ。直撃。タケシの胸板に横一文字の亀裂が入る。

『直撃した!? これで九条選手の勝利が――』

『いや』

 既にタケシの胸に浮かんでいた輪の中心に、『盾』の文字が刻まれている。

「体に直接<盾陣>を――!?」

 実は<ホロウドール>と同時に、服の内側――というか胸に直接<盾陣>を仕込んでいたのだ。

 全てはナユタの意表を完全に突く為の布石――俺の本当の狙いは、

「<円陣>・<殺陣>」

「!?」

 ナユタの足元に<円陣>が現れて煌びやかに発光する。

 これも<ホロウドール>の発動と同時に自らの背後の足元に仕込んでいた地雷の<円陣>だ。予想通りの位置にナユタが来てくれるかは賭けだったが、成功してくれて何よりだ

 起爆、と同時にナユタが後ろに飛ぶ。

 しかし、爆発は起きなかった。この<円陣>は別の<主陣>を重ねる前の状態、つまり左手から撃ち出された<捉陣>に過ぎない。

「ブラフ……!」

「<円陣>・<転陣>」

「しまった――っ!?」

飛んだ先にあった<転陣>に勢いのまま突っ込み、脱出用の<転陣>でナユタはタケシの目の前に排出される。

タケシは右手の拳に<円陣>を乗せ、左手で<蒼月>の刃をがっちりと掴む。

これでもう、ナユタに逃げ場は無い!

「<円陣>・<衝陣>!」

 渾身の右拳に横っ面を撃ち抜かれ、ナユタはアリーナの壁に思いっきり叩きつけられ、跳ね返ってうつ伏せに墜落する。

 彼が起き上がってくる気配は無い。

 <アステルドライバー>で確認すると、ナユタのHPはゼロになっていた。


「か……った」

 ナナが呆然と呟く。

「ナユタに……勝った?」

 この会場の誰一人として、いま起きた出来事を完全に呑みこめた者はいないだろう。ナナだってそうだ。

 いち早く正気に戻ったのは――意外でもなんでもなく、実況だった。

『れ……レフェリーが九条選手のHPメーター全損を確認。

第一回グランドアステルチャンピオンシップ、真の決勝戦……その勝者は、六会タケシ選手だぁああああああああああああああああああああああああああああ!』

この時、全ての観客はようやく、事態を呑み――途端に大喝采が巻き起こった。


 勝った本人ですら自らの勝利を未だに理解していない。

 極限の疲労、耳朶を打つ血流と鼓動の音、いますぐにでも気絶したい欲求。

 これら全てを吹き飛ばす一言は、意外にも目の前の人物から放たれた。

「おいおい、勝者が跪いてどうすんだよ」

 自分でも気づかない間に片膝をついていたタケシの前で、まるでさっきまで何事も無かったような態度でナユタがふんぞり返っていた。

「さっさと立てや。これじゃあ観客に示しがつかんだろ」

「俺は……お前みたいに強くないから……そんなすぐに立ち上がれやしねーよ。こんなんで動けなくなるようじゃ……まだまだだな、俺も」

「何言ってんだ。お前がまだまだってんなら、俺は一体何なんだよ」

 ナユタはしゃがみ込み、タケシと視線を合わせた。

「出会ってから、いままでずっと見ていたんだ。だから俺はちゃんと知ってる。お前が持つ本当の強さを。お前は全力の俺に勝って、それを皆にきちんと証明したんだよ」

 ナユタに促されて、タケシはいま一度、観客達の喝采に耳を澄ましてみる。

 ある者は『すげぇぞ』とか、ある者は『あの時助けてくれてありがとう!』とか――ああ、あの時ってのは、Bブロック決勝の時か。

 ナユタがタケシに肩を貸して立ち上がると、決勝トーナメントの選手勢――主に未成年組とエレナが一斉にアリーナの出入り口から駆け寄って来た。

「タケシ!」

「タケシお兄ちゃん!」

 ナナとリリカがタケシに飛びつき、修一とユミとエレナが何故かナユタに飛び蹴りをかました。ナユタの扱いなんて精々そんなもんだ。

「……お、お前ら……何故……」

「ざまぁみやがれ」

 と、修一。こちらは本当に楽しそうだ

「ざまぁ」

 と、ユミ。こちらは底意地の悪い笑みを浮かべている。

「おのれ貴様、ああも簡単に負けおって」

 と、エレナ。揃いも揃って無慈悲過ぎる。

 修一はナユタの首根っこを掴んで彼を引き立たせ、さらっと気になる事を言った。

「あんな嘘をぶっこいて負けるなんて、情けないにも程があるぞ」

「お前……後で校舎裏な」

「へ? 嘘って?」

 ナナが反応すると、後からやってきた大人組も目を丸くした。タケシの反応も大体似たり寄ったりだ。

 修一がやれやれと肩を竦める。

「えーっと……何だっけ? <アステルジョーカー>をこの世から滅亡させるだっけ? このバカがそんな真似する訳無いじゃん。だって、俺とウェスト区に学校作ろうって約束したんだぜ? 学校の建設現場を<星獣>から護衛する為に、この先もまだ<アステルジョーカー>の力が必要だって分かってる筈なのに」

「何だと?」

 エレナがぴくりと眉を寄せる。

「一次予選の時に私とハンスはこいつの願いをたしかに聞いた。<アステルジョーカー>をこの世から消すって、ナユタはハッキリ言ってたぞ」

「俺もちゃんと覚えてるぞ」

 ハンスもうんうんと頷く。

「すると何か? ナユタは私達だけでなく、この試合を見ている全ての人間に平然と嘘を吐いたって事にならないか?」

「そうですよ」

 修一があっけらかんと言う。

「おおかた、タケシ君に本気を出させる為にあんな下手な嘘をぶっこいたんでしょう」

「お前、さらっとバラすなよ」

 ナユタが自らの虚言を認めた。

「何か……俺、超恥ずかしいじゃんっ!」

「負けたお前が悪い。勝てばかっこ良かっただろうに、本当にお前って奴はいつもいつも……」

「修一は全て知ってたの?」

 ナナが剣呑な目つきで訊ねる。

「全て知ってた上で、あたし達に何もかも黙ってたの?」

「いやだって、試合が終わるまではナユタの目論見に文句を付ける権利なんて俺には無いし」

「…………リリカ」

「はい」

 ナナとリリカは目配せすると、同時に修一の顔面にドロップキックをかました。

「ごっ!? な……何するの!?」

「この野郎、それならそうと、タケシに気付かれないようにあたし達にも言ってくれたら良かったのに、こうも下手に気を揉ませやがって」

「万死に値します。ナユタお兄ちゃんにちょっとでも不信感を抱いた私達がバカみたいじゃないですか」

「いやだって、君達隠し事下手そうだし……」

「「うるせぇ!」」

 以降、しばらくの間、修一はナナとリリカからリンチを喰らっていた。

 タケシはひたすら苦笑いして、盛大なため息をつく。

「なーんだ……驚かせやがって。お前やっぱりただのバカだろ、この鳥の巣ヘッド」

「俺の頭は鳥の巣じゃない」

 ナユタは掌に出現させたチャービルを自らの水色天然パーマに埋めた。

「チャービルの定位置だ」


 彼らがはしゃいでいる光景を遠巻きに眺め、イチルはぽつりと呟いた。

「じゃあ、ナユタが叶えたかった本当の願いって何なんだろう……?」

「もう叶ってるさ」

 忠がイチルの肩に手を置いて言った。

「いまの彼を見ていればよく分かる。それは九条カンタですら叶えられなかった唯一無二の願い。九条ナユタはとっくのとうにそれを手に入れて、たったいま父親を越えてしまった」

「それってもしかして……」

「言葉には出来ない、大切なものだ」

 イチルにはそれを言葉にする術を知っていた。

 けれど、いまは口に出さないでおくとしよう。



 このすぐ後、改めてGACS決勝戦の順位発表と、優勝者に対するトロフィーと優勝賞品の授与が行われた。ちなみに、賞品の一つであるSSS級の<メインアームズカード>はライセンスバスター部門で管理される事となった。<アステルジョーカー>に匹敵する武器である以上、悪者の手に渡ったら面倒だとタケシが判断したからだ。

 タケシはごま頭の老人から手渡された水晶のトロフィーを見て眉をひそめる。

「これって……チャービル?」

 土台の上に設えられた彫像は水晶のイルカだった。

 トロフィーを渡した老人――ナユタの後見人、通称・ヤマタの老師が快活に笑う。

「ラシッドの奴がゴールデンウィーク終了後に急いで作ったチャービルのトロフィーじゃ。Aブロック二回戦での活躍でチャービルの株が急上昇してな。いまならチャービルのグッズを売れば大儲け出来るぞい」

「おいジジイ、俺の許可はどうした」

タケシの隣にいたナユタが不機嫌そうにいちゃもんをつける。

「チャービルの商品を出したいなら、まず俺に話を通せ。飼い主はこの俺だ」

「心が狭いのぉ~。そんな事だからタケシに負けるんじゃよ」

「んだとコノヤロー」

 ナユタの額にしわが追加される。

 ヤマタの老師は何処吹く風と言った様子で、タケシに肝心な質問をする。

「ところでお前さんはどんな願いを叶えたい? 政府に可能な範囲でなら何でも叶えられるが」

「俺の……願い」

 ナユタの願いは阻止した――というか嘘っぱちだったので、どっち勝っても結果的に<アステルジョーカー>は無くならない。レイモンドの病院の経営も何者かの手回しで回復の目途が立った。

 だから、もう叶えたい願いなんて、本当は一つも無い筈だ。

「……?」

 適当に視線を泳がせていると、タケシの目に、ユミの脇に抱えられてぐったりしている修一が映った。白目を剥いて泡を吹いている姿の、何と哀れな事か。

 タケシは無言で修一の前に歩み寄り、髪を引っ掴んで顔を上げさせる。

「……………………」

 しばらく修一の白目を覗き込むと、タケシはようやく思い出した。

 そういえば、こいつから変なお願い事をされていたんだっけか。

「よし、決めた」

 修一の頭からぱっと手を離し、タケシはヤマタの老師に向き直った。

「俺の願いは――」



 テレビでタケシの口から告げられた願いを聞いてほっとするのも束の間、サツキが握っている凌の手が再び微かに動いた。

 やがて、彼の目が、うっすらと開かれる。

「……! 凌君っ!」

「さ……つき?」

 凌がかすれた声を絞り出す。

「何で……お前が泣いている……?」

「何で、じゃないでしょうっ!」

 サツキは凌の手をさらに強く握り込んだ。

「起きるのが遅過ぎるんですよ、このねぼすけ!」

「……すまん」

 サツキはナースコールのボタンを押すのも忘れて、しばらく号泣していた。


   ●


 拝啓、地獄のお母さんへ


 お母さん、地獄でも番人や使者みたいな方々に変な事を言ったりやったりしていませんか? ただでさえ生前の性格が妙ちきりんなので、閻魔大王様からも呆れられていないか心配です。

さて。GACSが終わり、いろんなドタバタが一段落したので、ここでひとまず、私と私の友達、その他大切な人達の近況報告をさせていただきます。


 あの大会の後、優勝したタケシはその特権を使い、とある願いを叶えました。それは私やお母さんにとっても非常に喜ばしい事です。それが何かは、次に手紙を出す時にでも書いておきます。お楽しみに。


 次はサツキについてです。サツキは大会で負傷して下半身麻痺になってしまった友達の為に、必死にそのリハビリに付き合っています。その彼が普通に歩けるようになるまではあと一年くらいかかるらしいですが、私も可能な限り手助けはしていこうと思います。


 お次はナナちゃんについてです。彼女はどうやらグランドアステルの裏側に存在する新大陸に興味を持ち始めたようなのですが、そこにはウェスト区とは比べものにならないような数の<星獣>がうようよいるそうです。だから彼女はその大陸について調査を進めている、S級バスター出身の生え抜き精鋭部隊の仲間入りを果たそうとしているようです。先は長く険しそうです


 修一君ですが、彼は卒業後、スカイアステルの偏差値が超高めの高校に進学すると言っています。まあ、彼は成績良いしコミニュケーション能力は高い方なので、何処へ行っても苦労する事は特に無さそうです。あと、彼は将来教師になったら、いずれウェスト区に建てられるであろう学校の先生になるという立派な目標を抱いています。ユミちゃんと、それから星の都学園に帰ってきた絢香も彼の目標に賛同して動いてくれる協力者なので、彼については特に何の心配もしなくて良さそうです。


 私? 私はですね……やっぱやめた。とびっきり幸せな報告をするまで、私の近況についてはそれまで伏せておくとします。


 他にもその後の事を記したい人は山ほどいますけど、それを全て書いたら一冊の本になっちゃいそうなので、ひとまずはここで筆を置かせて頂きます。

 変な娘に育っちゃってごめんね。でも、そういう風に育ててくれたお母さんに、改めて心からの感謝を送ります。

 それでは、また次の機会に。

敬具



 イースト区のベッドタウンの住宅街に、『九条』という表札が門の前に据え付けられた一戸建ての白い家がある。これが六年後のナユタとイチルが新たにローンを組んで買った新しい実家だ。

 イチルとサツキ、それからナナは、いまの手紙をリビングのテーブルで読み、それぞれの意味で苦笑していた。

「いやー、お恥ずかしい」

 イチルはくすりと笑う。

「中学生の時のあたしは何を考えていたのやら」

「いまも大体似たようなものでしょうに」

 サツキがより大人びた笑みを浮かべる。

「昔から何も変わって無いわ、誰一人」

「イチルは変わろうとしてるけどね」

 ナナが掲げていた紅茶のカップを手前の皿に置く。

「お腹の子、もうすぐ産まれそうなんでしょ? やったじゃん。これでイチルも立派なお母さんじゃん」

「こっちは何時この子が暴れるかって気が気じゃないっての」

 イチルは膨らんだ自らのお腹を撫でながら言った。

「この子は絶対大学まで行かせないと」

「あなたとナユタ君の学歴は高卒止まりですからねぇ……」

 イチルの場合は大学に行きたくても行けなかった。本来なら勉強をちゃんと頑張れば誰でも行けるのだが、いまやイチルもS級ライセンスバスターのナンバー2だ。<星獣>が絡む事件や戦闘には必ず駆り出される程の人気者である。いまは止むを得ず産休を取っているが、普通なら勉学に励む余裕なんてほとんど無かったと言っても良い。高校時代でそれがよく分かったのだ。

「そういえばさ」

 ナナがリビングをぐるぐる見渡してから言った。

「旦那さんは何処よ」

「いまタケシと一緒に刑務所行ってる」

「あの二人は何をしたんですか?」

 サツキがイチルとナナを半眼で睨む。

「ねぇ、サツキ。あんた、うちの旦那とナナちゃんの彼氏を何だと思ってんのさ」

「犯罪者予備軍」

「それは中学生までの話でしょうが」

「最近、繁華街のキャバクラで酔っぱらった挙句パンツ一丁で踊っていたS級バカが二人いたという目撃情報を知り合いの方から伺っているのですが」

「…………」

 それについてはもう本当に許して欲しい。例のバカ二人についてはそれぞれのお仕置き係がきちんと落とし前をつけておいたので、もうマジで本当にトイレの水のように流して欲しい。

「ていうか、ナユタまで行く意味あったのかな」

 話を逸らそうとしたらしい、ナナがさり気なく言った。

「タケシがリリカと一緒に行ったのはまあまあ分かるとして、何であいつまでついて行ったのかな」

「そもそも何で刑務所になんか向かったのですか?」

「え? サツキ、もしかして今日が何の日か、もう忘れちゃった?」

「……あ」

 ようやく思い出したらしい、サツキが顔を赤らめて体裁を取り繕おうとする。

「あ……わ、私とした事が、まさかそんな大事な日を忘れていたなんて……ッ」

「はははっ、よくあるよくある。あたしもあんたらが来る直前まで忘れてたし」

 イチルはお腹の重さと格闘しながら立ち上がり、手紙を電話の横の木箱に仕舞おうとする。

 その時、懐かしいものを木箱の隅から発見した。

「これって……」

「アオイさんの手紙ですわね」

 サツキとナナが横から覗きこんでくる。

 たったいま発掘されたのは、ナユタ宛て、タケシ宛て、そしてイチルとサツキ宛てに書かれた、計三枚の遺書だった。

「そういえば、彼女から全てが始まったんでしたっけ」

「美月さんがいなきゃ、あたしは生きてなかったんだよね」

 イチルやサツキより、実はナナの方が美月アオイとの縁は深い。直接会った事は無いのに、まるでナナは旧友から送られた手紙を眺めるかのように、イチルとサツキ宛ての手紙に目を通した。

「……そっか、ここから、全てが始まったんだよね」

「そうだよ」

 イチルはナユタ宛ての手紙を広げた。

 彼に送られた手紙は、他の手紙と比べたら圧倒的に文章量が少ない。というか、たった一行の、たった一言だけだ。

 それでもナユタにとっては、大切な言葉――大切な約束だったに違いない。


『みんなを護ってあげてください』


 これが美月アオイにとっての、一生のお願いという奴なのだろう。

「アオイちゃん」

 手紙の端を少しだけ強く握り、イチルは目じりに小粒の涙を浮かべて笑った。

「あなたの願い、ナユタとタケシが、ちゃんと叶えてくれたよ」



                    最終回「アステルジョーカー」 おわり

                            最後の一幕に続く


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