GACS編・第十三話「神速決戦! 九条ナユタVS三山エレナ」
第十三話「神速対決! 九条ナユタVS三山エレナ」
敗退直後、イチルは凌の病室に赴き、彼の寝顔を見下ろしていた。
「……もしあたしが人の意識に干渉する技が使えたら、十神君の意識の回復がもうちょっと早まっていたかもね」
「そもそもイチルさんは自分がいつ<輝操術>が使えると自覚したんですか?」
サツキに問われると、イチルは難しい顔をしながら答える。
「お母さんからあたしがそういう技が使えるっていう事を教えられてね。だから自分を守る為に最低限の技を教えてくれたんだ」
「私と会った当初は全く使っていなかったような気がしますが」
「お母さんとの約束だったからね。あまりこの技を人前で使うなって。やっぱり、現実に魔法使いみたいなんがいたら、周りがドン引いちゃうでしょ?」
「変な事を訊いてすみません」
「いいよ、別に」
サツキに謝られるのはどうにも心地が悪い。
「考えてみれば、あたしは<新星人>の力に頼り過ぎていたんだ。現に十神君を頑張ってここまで持ち直させたのも普通のお医者さんのおかげなんだし。あたしは自分だけの力で、誰の役にも立ってない」
「そうでもないでしょう」
サツキが飄々と言った。
「心・技・体。お祖父様がよく口にしておられましたわ。どんなに優れた体を持っていても、扱う者の心が穢れていれば真価は発揮しない。どんなに優れた人格者でも、人格相応の技を持たねば口先だけの大嘘吐きになり下がり、どんなに優れた技を習得していようが、体が鍛えられていなければ宝の持ち腐れ。あなたの場合、心と体には自信を持っても宜しいかと」
「わーお。サツキが珍しくあたしを褒めちぎってる」
「敗北後の選手に止めは刺せませんし」
「やっぱり嫌な奴だ」
イチルは苦笑して、点灯中のテレビに目を向ける。
「そろそろナユタとエレナさんの試合が始まるね」
「Aブロック準決勝ですか。そういえば、私と凌君が両方共試合に出られなくなったので、Bブロックの準決勝が一足早く行われているそうですが……」
「じゃあ、タケシの対戦相手は?」
「修一君が敗退したので、準決勝は御影東悟との戦いになりますわ」
「マジ?」
ナユタとエレナの試合に関しては、結果がどうあれ、サツキと凌の試合みたいな大惨事はまず起こり得ない。
だが、Bブロック準決勝の場合、話は別だ。
「あたし、ちょっとBブロックの会場行ってくる!」
「何を言ってるんですか、あなたは仮にもAブロックの選手ですよ!?」
「サツキと十神君にちょっかい出した奴はまだ捕まってないんでしょ? 何かあった後じゃ遅いんだよ。バックアップは何人居たって困らないし!」
それに、他の選手ならともかく、東悟の相手はあのタケシだ。
何故か知らないが、妙な胸騒ぎがする。
「サツキは彼とそこで乳繰り合ってて!」
「寝てる人とどうやって乳繰り合うんですか!?」
「世の中には睡姦っていうジャンルがあるんだってさ。じゃ!」
有無を言わさず、イチルはこの病室を飛び出した。
●
Aブロック準決勝までは三十分のインターバルがある。さすがに準決勝と銘打つだけあって選手の気合の入れ方が違う試合になるだろうから、休憩時間が他の試合よりも二倍長いのだ。
「修ちゃんったら、見事にやられてんなー」
意識が回復して選手用の観客席に戻るなり、ユミはこの休憩時間を使い、<アステルドライバー>で修一と御影東悟の試合を鑑賞していた。本来は後日のテレビ放送を待たねば別ブロックの試合は見れないが、出場選手に限り、試合後の映像の鑑賞が許されている。
最初は修一も東悟も互角の接近戦を繰り広げていたが、やはり東悟の<流火速>への対応に苦心したらしい、思ったよりも防戦一方だった。
修一の場合は<黒蛍>の能力で中距離射撃も可能なので、近接主体の選手と違って<新星人>への対応も比較的楽な筈だ。でも、東悟のスピードはその予測を遥かに上回っていた。切り札である<ライトニングクロス>で<カードアライアンス>を連発したが、これもあまり効果を成さなかった。
結局、必死の抵抗も虚しく、東悟が放った<月火縫閃>の直撃を受けて修一があっさり倒されてしまう。
「にしても、やっぱり御影さんって強いんだなー」
「相性の差も敗因の一つだろう」
画面を覗き見ていた忠が指摘する。
「奴は<新星人>の中でも特に一撃の重さとスピードに優れている。小柄な体格の黒崎は、フィジカルの差で圧倒されたといっても良い」
「修ちゃんは大の大人が相手でも普通にノシちゃうけど?」
「御影は黒崎と同等か、それ以上に鍛えられているという事だ」
<アステルジョーカー>を使わなくても御影東悟は強い。この映像を見て分かった事といえば大体その程度だ。
『お待たせしました! GACS・Aブロックもいよいよ大詰め! これから始まる準決勝の対戦カードはこちら!』
本来なら選手のHPメーターや発動中のカードなどが記載されている据え付けの超大型モニターに、準決勝出場選手の顔が表示される。
『一回戦でかつての黄金世代の一人・六会忠選手を下し、続く二回戦では華麗な戦術を見せたユミ・テレサ選手を相手に見事逆転勝利を収めた西の流星、九条ナユタ選手!
その対戦相手は、一回戦でケイト・ブローニング選手に難なく圧勝、二回戦は<アステルジョーカー>をフル稼働させた八坂選手を撃破した人類最強のS級バスター・三山エレナ!』
ナユタとエレナがそれぞれ入場口から姿を現す。ちなみに今回の試合でもナユタはイチル同様に<アステルジョーカー>が使える。
ふと気になった事があるので、ユミは珍しく忠にものを訊ねた。
「ねえねえ長官さん」
「何だ?」
「ナユタとエレナさんって、どっちが強いの?」
「通常の戦闘ならエレナの方が僅差で強い」
随分と分かりにくい回答だった。
「<アステルジョーカー>を使えば九条君の方が当然のように強い。だが、エレナは今回、勝てる訳も無い条件で九条君に挑もうとしている」
「それってつまり、エレナさんの方には何か秘策があるんだ」
「彼女ならそのあたりは周到に揃えている。それより――」
忠はユミの小さい頭を脇に抱え込んで、腕の力だけで締め付けた。
「大人への口の利き方をもう少し考えたまえ」
「ぐえー、ごめんなはーい」
「なにジャレてるんですか」
実はユミと一緒に戻っていたケイトが渋い顔をする。
「長官、実はユミをちょっとだけ気に入ってませんか?」
「まあな。デキる小娘はこれくらい生意気なのが丁度いい。下手におべっかを使って本当の顔をひた隠すような世渡り上手よりずっと可愛げがある」
「だったらその可愛い子を絞め技から解放しろー!」
「まあ、これぐらいで許してやろう」
ようやく忠の拘束を逃れると、ユミはぶるぶると頭を振った。やっぱり、忠はタケシの父親なんだなー、などとしみじみ思ってしまう。
『それでは、グランドアステルチャンピオンシップAブロック・準決勝、九条ナユタVS三山エレナの試合を開始します。GET READY!』
「「<メインアームズカード>、アンロック!」」
最初はナユタも<アステルジョーカー>を使わないらしい。いまは<蒼月>だけを召喚し、<エアリアル・レイ>の刃を両手の袖から伸ばしたエレナと対峙していた。
『GO!』
試合開始のブザーが鳴った途端、フィールド内は一気に別世界と化した。
一秒も経たないうちに、正面切ってのぶつかり合いに挑んだ二人は、もはや手元さえ見えない斬撃の応酬を始めたのだ。
『おおっと!? 試合開始早々から凄まじい剣戟だ! しかも九条選手と三山選手の剣速は全くの互角! もはや千日手の様相を呈している』
『さ……さすがにこれは見る側も圧倒されますね』
解説の樹里が、あからさまにドン引いていた。
エレナの剣は速く、鋭く、そして重い。でも、園田政宗ほどではない。
でも、彼女の本当に恐ろしいところは初っ端から発揮されるものではない。むしろ、剣を交えている最中でギアを徐々に上げるのが一番の脅威だ。だからこそ、いまが一番楽だと思わず、丁寧かつ真摯な対応をしなければならない。
彼女の膝から赤いブレードが伸びる。これは右に半歩ずれて回避。
今度は右手のブレードが枝分かれして攻撃範囲が広くなる。これは彼女の右手首に<蒼月>の柄頭を当て、攻撃の向きそのものを真上にずらす。
基本に忠実に、一つ一つを丁寧に捌け。
どんなに圧倒的な攻撃力でも、俺にはそれを捌く術がある。
「さすがだな!」
エレナがとびっきり楽しそうに叫ぶ。
「やはり出会った頃より格段に強くなっている。星の都学園での経験がお前を変えたか? それとも――」
「とんでもないバカ共に振り回されましたからね!」
叫び返し、ナユタが攻勢に転じた。
「おかげさんでドエラい目に遭って、否が応でも鍛えられましたよ!」
「私は嬉しいよ。同じ土俵に立って、正面きって闘り合える相手が少ないもんでな!」
そう。ナユタが戦いの才能を持たなかったように、エレナも実は天才ではない。
全ては置かれた環境の差で決まった強さに過ぎない。荒野の風が吹く西の世界に生まれ落ちたからこそ、ナユタとエレナは混沌たる強さを手に入れた。
元々が同じ性質だからこそ、二人の間には一種のシンパシーがある。
だからこそ、二人は雌雄を決する場を欲していた。
「さあ、ここからがトップギアだ。いくぞ、九条ナユタ!」
「来い、三山エレナ!」
最強を決める激突は、ここからが本番だった。
「ゾーン体験」
ケイトが妙な単語を呟いた。
「スポーツ選手なんかによく訪れる一種の極限状態だ。リラックスしているが集中力が限界以上に研ぎ澄まされ、試合運びが自分の思ったように進んで負ける気がしない。何をやっても上手くいく――そういう精神状態だ。あの二人は意図的にその状態を発現させ、継続する術を身に付けている」
「それって凄い事なの?」
「普通なら人間業じゃない」
ユミの問いに、ケイトは迷いなく答える。
「無論、あの二人にそういう才能は無い。ていうか、あの二人にはそもそもセンスが欠落している。ただ自分が生き残り、素早く目の前の脅威を取り除くだけに特化した鍛え方をしている。だからこそあの二人は無意識のうちにゾーン体験を繰り返し、幾千もの戦いの末に習得したんだ。あれをごらんなさい」
ケイトに促されるまでもなく、ユミの目は試合中の二人に向けられている。
さっきからあの二人の間では超人芸が連発していた。どんな体勢からも剣を振りかざすボディバランスにも驚きだが、もっと驚いたのはその精度だ。どんなアクロバットな体勢で攻撃しても、その全てが的確に相手の急所を射抜かんと繰り出されている。
器用に<蒼月>を右手一つでくるくると持ち替えながら攻めと守りを両立させるナユタの体術も、ありとあらゆる体の箇所からブレードを伸ばしては変幻自在の体術で相手を揺さぶりにかかるエレナの豪胆さにも、もはや一種の畏敬を覚えてしまう。
『三山選手、地上戦から一転、機動戦に切り替えた!』
エレナが正面きっての打ち合いから、フィールド内を所せましと駆け回る乱数機動に切り替える。イチル戦でも見せた、<アステルバレット>による袖口ロケットブースターだ。ナユタも<蒼月>からアステライトを噴射して高速移動を開始、三次元的な機動で対抗する。
ユミはナユタの脚に着目する。
「やっぱり、ナユタの方が脚力は上だね」
「脚力?」
今度はケイトが質問する番だった。
「そういえば、学校の身体測定の時も足腰に関わる試験は九条君が全学年でトップだったような……」
「そう。ウェスト区は別称・地獄の砂漠とも言われてる。昼間は村の領土を一歩出れば最高気温四十度越えの熱帯地域を彷徨う羽目になり、夜は急激に冷え込んで冬場を越える寒さに早変わりする。そんな環境で足を取られやすい砂漠を日夜歩き続けたナユタの足腰は人間の限界を超えた強靭っぷりを発揮する」
「それは遠征旅団出身のエレナも同じじゃないのかい?」
「脚のイジメ方が違うんだよ。あいつはバリスタとの戦闘以降、<フォームクロス>で空中でも戦えるようになった。地上でしか鍛えられなかったエレナさんと違って、空中と地上との気圧差で筋肉と骨に負担を掛け続けたナユタの脚には遠く及ばない」
現に、この試合でもナユタの方が走力で勝っている。同じように空中と地上の往復をこなしながら剣と剣を交えてはいるが、見る限りだとナユタの方がワンテンポ速い。
二人が再度接近。剣戟の合間に放たれたナユタの回し蹴りがエレナの脇腹に深く食い込んだ。
単なる蹴りを受けただけにしては、エレナのHPメーターの減少がやけに大きい。それだけ、ナユタの蹴りには威力があるという事だ。
「ある程度体が成長していれば蹴りは誰でも高い威力を発揮する。でもナユタの場合は、それで金属バットすら捻じ曲げる」
「鋼の脚、という訳か」
「といっても、体幹ではエレナさんに負けちゃうか」
二人は共通して体幹に優れているが、エレナの安定感には舌を巻く。どんな攻撃を受けてもただではよろめかないし、吹っ飛ばされてもすぐに持ち直す技量もある。
というか、エレナは本当に女性なんだろうか。
「エレナさんはたしか今年で二十二歳だったっけ。その年齢の女の人に比べたら身長自体は平均的だけど、やっぱり体格はスポーツマン向けだよね」
彼女の体格は一目見ただけで女豹をイメージさせる。やはり、体のパーツの長短がどうというより、全体的に体がしなやかな造りになっているのだ。
これは戦闘というより、本当のスポーツの試合みたいだ。
そうなると、勝負を決めるのは、自らの身体能力を最大限生かした技に在る。
『二人は全く<バトルカード>を使っていない! それどころか、九条選手に至っては<アステルジョーカー>も発動していない!』
『二人共、試合を楽しんでいるようです』
いま実況と解説が言った事に関しては、ナユタにとって少々心外だった。
<アステルジョーカー>をどうするにせよ、<バトルカード>なんてものを持ち出すような無粋な真似は絶対にしたくない。それに、とてもじゃないが楽しめる相手でもない。
これはプライドの問題だ。
彼女は自分が信じる得物一つで俺に向かってきた。
なら、俺も俺が信じるこの一振り――<蒼月>で立ち向かうまでだ。
互いに息が上がり、地上に降り立ち静止する。
「……くそ、やっぱり強いな」
「<インフィニティトリガー>を使っても良いんだぞ?」
「いいや」
ナユタは自らのデッキケースを腰から外し、地面に放り捨てた。
「勝つ為なら手段を選ばんつもりだったけど気が変わった。やっぱりあんたは真正面から力尽くで叩き潰す」
「良かろう」
エレナも同じように、デッキケースを地面に置いた。
「お互い実力は互角。得物は自分が信じるその一本」
「小細工無しの正面衝突。俺好みの分かり易いルールだ」
勿論、暗黙の了解として、明瞭な的になるデッキケースはお互い攻撃しない。実はデッキケースにも耐久力メータが存在し、それがゼロになった側の敗北となるのだ。
でも、俺は相手の弱点を狙わない。
自分の一番の強みで、相手の一番の強みを粉砕してやる!
「「いくぞ!」」
同時に叫び、再び正面から切り込み、息もつかせぬ剣戟を再開する。
エレナの左脚が鞭みたいに振るわれる。爪先には<エアリアル・レイ>の刃が伸びているので、これを喰らったら即ゲームオーバーだ。
彼女の足首を右手で掴んで受け止め、左手の<蒼月>の切っ先で頭を狙う。エレナは背を思いっきり反らしてこちらの刺しを回避すると、両手をナユタの胸に添えてきた。
掌から刃が伸びる――直前に、エレナの足首から手を離し、<蒼月>を逆手に持ち替え、柄頭と右手で彼女の手首を同時にかち上げる。
エレナの右膝蹴り。膝小僧からブレードが伸びる。
ナユタはその足の太腿に、<蒼月>の刃を突き立てた。
「!?」
「おおおおおおおおおおおっ!」
余った右で、彼女の鼻っ柱にストレートをかます。わずかにエレナがよろめく。
「<月火縫閃>!」
彼女の膝を刺したままの<蒼月>の刀身から青色の光が漏れる。エレナはすぐに脚を引いて刃を引き抜き、左足を軸に横回転、袖口からアステライトを放射して加速、ナユタの背後に回り込んだ。
遅れて<蒼月>から青い光の波濤が放たれる。同時に、エレナが素早くナユタの後頭部に右手を伸ばす。
ようやくナユタの後ろを取った。あとは伸ばした右手からブレードを伸ばせば、切っ先は自然と彼の頭を刺し貫くだろう。
<月火縫閃>で私の脚を奪って機動力を削ごうと考えたのだろうが、いまは技の隙で彼の反応が遅れている。
この勝負、私が貰った!
――引っ掛かったな
そう言われたような気がしたが、彼は一言も喋っていなかった。
背筋がぞくっと震える。
その時既に、彼の姿がエレナの視界から消えていた。
「何ッ!?」
彼は既に、エレナの頭上で宙返りしていた。
まさかいまの<月火縫閃>は、こちらの機動力を奪うと見せかけて、攻撃の反動で自身が跳躍する為だったというのか!?
「終わりだ――三山エレナ!」
天地逆さまの彼が放った頭上からの一閃は、綺麗な逆さまアーチを描き、エレナの頭を真っ二つに斬り裂いた。
HPメーターが急激に減少。零地点に到達。
「……完敗だよ」
試合終了のブザーが、甲高く空に鳴り響いた。
『急所の破壊を確認! 三山エレナ選手、ダウン! 熾烈を極めた最速王者決定戦は、九条ナユタ選手の勝利で幕を下ろした!』
『凄い。<アステルジョーカー>を使わずに三山選手に勝利した……?』
『会場のテンションもガンガンマックスだ! 俺も興奮したぜ!』
シンプルな力と技の応酬がそんなに珍しかったのか、観客席全体がスタンディングオベーションしている。
大歓声の中、大の字になって寝ていたエレナが頭をくしゃくしゃ掻いて起き上がる。
「負けてしまったか。こればっかりは言い訳もできないな。私もまだまだ修行が足りん」
「何言ってんすか」
ナユタは呆れ半分に言った。
「俺が勝ったのは本当に偶然っすよ」
「そうか。じゃあ、お前は何回その偶然を引き寄せて勝利したのやら」
「え?」
「それがある意味、お前の才能って奴なのかもしれないな」
「…………」
偶然を引き寄せる力。
つまりは、奇跡を引き寄せる力。
「次の対戦相手、誰なんだろうな」
エレナが唐突に言った。
「タケシか、御影東悟か。お前は、どっちが良い?」
「俺は……」
問われて、戸惑う。
ここは普通ならタケシが良いと答える。奴とはいずれ、この手で決着を付けねばなるまいと思っていたからだ。
でも、御影東悟との因縁は、やはり避けては通れない気がした。
「……どっちが勝っても、決勝は全力で戦うさ」
「そっか」
いまは、そう答えるしかなかった。
『これで九条選手の決勝進出が決まりました。彼の対戦相手はBブロックの勝者となりますが……』
『Bブロックは予想より試合が長く続いているようです。さて、いまはどうなっているのやら――』
――ぼんっ
「?」
観客席のユミは、この異変を決して聞き逃さなかった。
「いまの音……何?」
「どうかしたのかい?」
「いや……」
ユミはケイトの顔をまじまじ見つめた後、再び隣の会場の照明装置を遠目に見遣った。
「あっちで爆発音がしたような……」
観客達の喧騒で本来なら聞こえない筈だが、大気を操る<風鼬>を使いこなす過程で鍛えられたユミの聴力は、その異音を気のせいではないと言っている。
一体、Bブロックの会場で何が起きたんだろう?
●
遡る事、一時間前。修一の試合が終わり、インターバルの三十分が挟まれた。修一が比較的早めに倒されたり、サツキと凌が試合不能になったりした関係で、Bブロックのローテーションが予想以上に前倒しになったのだ。
選手控室の机で、タケシはサツキやナナと一緒にデッキの再調整をしていた。
「現状で最高の構築にしたつもりですが、それでも勝てるかどうか……」
サツキが顔を曇らせる。
「そうだよ。相手はブラックホールを使うんだし」
ナナの態度はそれ以上に浮かない様子だ。
「ねぇ、本当に戦う気なの?」
「当たり前だ。それに、御影東悟は俺の通過点でしかない」
「通過点?」
「最後はやっぱり、あいつと決着を付けなきゃならないからな」
「あいつって……」
「ナユタ君ですわね」
サツキの言う通り、狙いはナユタだ。
「ナユタはいままで俺達を何度も助けてくれた。だから心の何処かで、俺はまだあいつを頼りにしている部分があるんじゃないかって思ってる。だからあいつにこれ以上、世話や面倒を掛けたくない。俺の問題は、俺がこの手で片付ける。せめてそれくらいしか、ナユタに認めてもらう術は無いからな」
「タケシ……」
「心配すんな。俺は絶対に勝つ」
席を立ち、タケシはナナの頭をぽんぽん撫でる。
「この試合で俺はようやく<アステルジョーカー>が使える。勿論、御影に対抗する術も考えてある。だから、大丈夫だ」
「ちょっとお邪魔するよ」
控室に修一が入ってきた。何をしに来たのやら。
「修一か。冷やかしなら帰れよ」
「まさか。君にちょっと話があるんだよ」
「手も足も出ず見事にフルボッコされたお前が? アドバイスでもしてくれんのかよ」
「するつもりは無いし、負けたのもわざとだよ」
「おいおい、負け惜しみにしちゃ聞き苦しいぜ?」
「まあ、聞きなさいよ」
修一がどかりとサツキの横のパイプ椅子に腰を下ろす。
「俺がナナちゃんの試合前に御影の控室に行った時、実は彼と名塚との間にあった取引の話をされてね」
「取引?」
「彼は自分が優勝した際に名塚の願いを叶えるという取引をしていたそうだ。代わりに、美縁ちゃんを『とある方法』で復活させてやるという交換条件を提示されてね」
「自分で開いた大会の優勝賞品を自分が欲しがったってのか? つーか、御影の娘さんを復活させる方法なんて本当にあんのかよ?」
「あるにはある――が、その為に必要な道具を警察側に押収されちゃったらしい。だからあいつが優勝しても美縁ちゃんは復活しない。御影の耳にもそれはちゃんと伝わっている」
「じゃあ、あいつが戦う理由が無くなったのか?」
「そうとも言い切れない。名塚が逮捕された事で名塚自身の願いを叶える必要は無くなったけど、御影自身の願いを叶える事は出来る。つまり、どのみちあいつが欲していた美縁ちゃん復活の鍵は優勝さえすれば取り戻せる」
「逆に、俺が勝ったら全ておじゃんか。話が振り出しに戻ったな」
「そこで、ちょっとお願いがあるんだけど……」
修一は席を立つと、あろうことか、タケシに深々と頭を下げた。
「もし君が御影を倒したら、何が何でも優勝して美縁ちゃんを復活させて欲しい」
「はあ!?」
これにはタケシだけでなく、サツキとナナも総立ちになる。
「ちょっと待て、何の義理で俺がそんな事をしなきゃならないんだ!?」
「そうだよ! そもそもタケシは優勝して病院の経営難を立て直さないといけないんだよ!?」
「あなた、一体彼と何を話したんですか!」
無論、非難の集中砲火である。
それでも、修一は態度を曲げなかった。
「無茶を頼んでるのはよく分かってる。でも、ナユタにこんな話を持ちかけたら絶対に断られる」
「俺だって断るわ! 野郎のせいで、俺達が去年どんだけ酷い目に遭わされたか――」
「美縁ちゃんには時間が無いんだ!」
修一が珍しく必死に叫び、頭を上げた。
「あの子のアステルコアが脇差に移植されて<アステルジョーカー>になったのは六十年以上前の話だ。その時はまだ<アステルジョーカー>の技術だって不完全で、本当なら戦闘に耐えうる仕様じゃなかったんだよ」
「どういう意味だ?」
「あの子のアステルコアに寿命が来てるらしい」
予想の斜め上どころか、直角で折れて真上に飛んだような発言だった。
「いまの生成技術ならアステルコアに寿命は訪れない、強いて挙げるなら、<アステルジョーカー>の適合者が死んだ時にアステルコアも同時に消滅する。でも、昔の技術で作られたアステルコアの場合は違う。未完全なまま脇差の中で生き続ける彼女のアステルコアは、いわゆる経年劣化を起こしているみたいなんだ」
「経年劣化……だと?」
<アステルジョーカー>に関して、そんな話は一度たりとも聞いた事が無い。
「いや、ちょっと待て。そもそも奴の言ってる事は本当なのか?」
「本当だ。サツキのお父さんが密かに調べていたからね」
「お父様が?」
ここ数日の不審な出来事に少なからず関わっているであろう重要参考人の所業が、意外にも修一の口から明かされた。
「園田村正さんは名塚に、自分の研究の補助をさせられていたんだ。さもなくば、サツキちゃんと樹里さんの命は無いって」
「そんなっ……!」
サツキが再び椅子に腰を落とした。彼女からすればショックなのは当然の話だ。
「……その彼の助けもあって、美縁ちゃんの復活に必要な代物は完成した。でも、それはどのみち御影が優勝しないとただのガラクタになる」
「事情はよく分かった」
タケシが冷淡に言う。
「でも、それがお前と何の関係がある?」
「あいつは俺やユミ、ナユタと同じ、ウェスタンベビー法の被害者なんだよ」
「何?」
これもまた、タケシにとっては初耳だった。でもウェスタンベビー法自体は進級したての授業で習っていたし、ノートにも取っていた記憶がある。
「俺、ユミ、ナユタの三人はその三世代目。あいつは、その一世代目だ」
「一世代目って……もう九十年以上も前の話かよ!」
<新星人>がコールドスリーパーで眠っていた時期を考えると、一番最初にウェスタンベビー法が施行された年と、東悟が生まれたであろう年がぴったり重なっている。
「じゃあ、お前が奴とこんなふざけた取引をしたのは――」
「俺にはもうこれ以上、同胞が苦しむ姿は見ていられないからだ」
たしかに、れっきとした理由だった。
修一が八百長まがいの事をしてわざと負けたのも、タケシにこうして頭を下げているのも、全ては一つの法の災禍が産んだ同胞の為。たしかに、同じ人種に対して仲間意識が強い修一なら有り得る話だ。
でも、だったら何でナユタに頼んだら断られると思ったんだ?
あいつだって、修一や御影東悟の同胞の筈なのに。
「お前の気持ちはよく分かったよ。でも、駄目なものは駄目だ」
タケシは無情に言い放ち、デッキと<アステルドライバー>を準備する。
「それは自分の仲間さえ助かれば他はどうでも良いって言ってるように聞こえるぜ。俺がお前に関して一番気に喰わないのはその根性だ」
「俺の事は何とでも言えば良い」
「そう言うと思ったよ。なら、これだけは覚えておけ」
そろそろ試合開始時刻も近い。タケシは出入り口の傍に立つと、振り向かないまま毅然と言い放った。
「俺だったら、全員が助かる方法を死ぬまで考える」
「そんな都合の良い話、ある訳が無い」
「ナユタが起こした奇跡に比べたら、容易い話だろ? それに――」
方舟の戦いにおける奇跡は、ナユタの存在無しには成し得なかった。
でも、いまは違うと、自信を持ってはっきり告げられる。
「本当の仲間ってのは困った時は一緒に迷ってくれる奴の事だって、あいつから教わったんだ。だから、今度は俺達の番だ」
「……分かった」
修一がようやく折れてくれた。
「どうするかは、君に任せるよ」
「最初からそのつもりだ。じゃ、行ってくる」
タケシはそのまま控室を後にした。
『お待たせしました! これよりGACS決勝トーナメントBブロック・決勝戦を開催します! 実況は引き続きこの私、網走豊子がお送り致します。解説の園田さん、よろしくお願いします』
『よろしくお願いします』
「やっぱり元気が無いな、サツキのお父さん」
観客席に戻るなり、修一は目を細めて実況席を見遣った。
「ていうか、あんなトラブルがあったのに、どうして観客は普通に見ていられるんだ? ていうか、数が全く減ってないよな」
「スポーツにトラブルはツキモノ。そういう感覚なんだろうな」
アルフレッドがつまらなさそうに言った。
「ところで園田サツキは何処へ行った?」
「あの子はいま十神君の病室です。この試合も決勝も彼の看病をしながらテレビ観戦する予定なんでしょう」
「そうか」
「気の毒ですね」
修一の隣にちょこんと座っていたリリカが気落ちした反応を見せる。そういえば、この子は選手でもないのに何でこの選手用の席に居座っているのだろうか?
「最初はただのバトル大会だった筈なんですけど……」
「そもそもの間違いはそれだよ」
修一は諭すように言った。
「全ては名塚の掌の上だ。この試合も、何かが起こらないとも限らない。いま会場にはS級とA級合同で警備が強化されているから、基本的には大丈夫だとは思うけど」
「御影さん本人はこれまでの試合だと正々堂々戦ってましたよね」
「ああ。だとすれば、問題は内側じゃなくて、外側って事になる」
『――ええ、では、そろそろ選手の入場です』
話し込んでいるうちに場を温める為のトークを終えたらしい、豊子が本題を切り出した。
『注目の対戦カードはこちら!』
実況席の下に据え付けられた大型モニターが、タケシと東悟の顔を映し出す。
『一回戦では見事、六会忠や八坂ミチルなどの黄金世代に匹敵する力を持ったハンス・レディバグ選手を緻密な戦略で撃破した天才策士、六会タケシ選手! その相手を務めますは、ここに上がるまでの試合で圧倒的な実力を見せつけた最強のダークホース、御影東悟選手!』
タケシと東悟が入場した時、客席全体が騒がしくなるどころか、そこはかとなく神妙なざわつきを見せた。両者共に華が無いのもあるだろうが、何よりこれから先の試合展開が全く予想出来ないのが余程不安と見える。
それとは別に、修一は全く関係の無い不安を覚えていた。
「……勝つと言ったのは良いけど、本当にどうにかなるんだろうな?」
「? どうかしたんですか?」
「いや。こっちの話」
いまは誤魔化しているが、正直な話、修一はあまりタケシの事は信用していない。
修一やナユタらが育った過酷な環境とは正反対の温室で栽培されたエリートコースまっしぐらのお坊ちゃま風情が、言うに事かいて全てを自分の手で救ってみせるだのという寝言をほざいている。この大会に優勝するにせよしないにせよ、彼はきっと同じ事を言い続けるだろう。
これがナユタの言う事なら、修一は納得していた。
でも、六会タケシに、そんな力は無い――少なくとも、修一はそう思っていた。
「そういや、こうして対峙すんのは初めてか」
タケシが無表情のまま先制する。
「さっき修一から全部聞いたぜ。あんたの娘さん、もう長くないんだってな」
『失敬な! 後十年は生きとるわ!』
東悟の懐から、黒い脇差が喚き立てている。
『挑発しようったってそうはいかないからね。優勝するのはあたし達じゃい!』
「元気な奴だな。リリカみたいな大人しい子がストッパー役に必要みたいだ」
「先の話をしていられる余裕があるのか?」
東悟が目を細める。
「黒崎から何を言われたのかは大体想像がつく。奴が何かしら余計な世話を焼いたのも想像に難くない。だが、人に頼らずとも俺は俺の目的を達成する。お前みたいな洟垂れ小僧の助けなんぞ、一切借りるつもりはない」
「勘違いすんな。俺はあんたを助けるつもりなんかねーよ」
一足早く、タケシは<ドライブキー>をセットした。
「始めようぜ、御影東悟。全てを決めるのは勝ちか負けか、二つに一つだ」
「良いだろう」
東悟は<ドライブキー>を<アステルドライバー>に挿し込み、脇差の鞘を払った。
『両者、臨戦態勢に入りました。それでは、グランドアステルチャンピオンシップBブロック決勝、六会タケシVS御影東悟の試合を開始します。GET READY!』
「勝負だ!」
「いくぞ、美縁」
『アイアイサー!』
「「<アステルジョーカー>・アンロック!」」
発動時の過剰なエネルギー出力が激しい閃光を巻き起こし、二人の手にそれぞれが誇る最強の武器が顕現する。
「<アステルジョーカーNO.X サークル・オブ・セフィラ>!」
「<アステルジョーカーNO.0 グラビレイズ・タイラント>、<月蝕蒼月>!」
タケシの両手には黒をベースとして、なめらかな質感を誇る金の装飾が各所にあしらわれたグローブが装着される。
片や、東悟の右手には<月蝕蒼月>、左手には美縁の脇差が握られていた。あの二振りで一つの<アステルジョーカー>であるのはナナの試合で確認済みだ。
さあ、最初から全力で行かせてもらう!
『GO!』
試合開始のブザーと共に観客の熱気が一斉に沸き立つ。
「先手必勝! <円陣>・<破陣>!」
右手の甲に備わった丸い液晶モニターが『破』の字を表示。その掌に魔法陣を生成し、相手に向けた。
魔法陣から夥しい量の細いレーザー光線が一斉に撃ち出されるが、標的に着弾する直前でレーザーの軌道が四方に折れ曲がった。東悟が試合開始と同時に斥力の壁を自身の前に展開したのだ。
やはりアステライトも重力の影響はモロに受けるか。ならば。
「<円陣>・<殺陣>+<複陣>!」
右手の甲に『殺』、左手の甲に『複』の文字が表示されると、右手から放たれた魔法陣が、同時に放たれた左手の魔法陣と重なって複数に分裂して、一瞬で東悟の四方八方を取り囲んだ。
魔法陣が一斉に起爆。これなら防ぎようが無い筈だ。
「何処を見ている?」
東悟は既にタケシの真後ろにいた。<流火速>で高速移動したのか。
「そりゃこっちの台詞だ」
今度はタケシが東悟の背後に立つ番だった。
「<円陣>・<衝陣>!」
右手の甲に魔法陣を乗せ、東悟の背中目掛けて右ストレートを放つ。
だが、東悟はタケシの右手首を掴み、攻撃を無効にした。
「体技はまだ甘いな。この程度の拳では――」
突然、東悟の右手からタケシの手首が消えた。
「……!」
「<円陣>・<幻陣>+<複陣>」
普通の事をやっても驚かれないとは思ったが、さすがにこれは予想外の技だとは思っていた。
何故ならいま、東悟の目には、タケシの姿がフィールド内にいくつも存在しているように見えているからだ。
『六会選手が分身した!?』
『光学残像を<複陣>で分裂させている。彼の<サークル・オブ・セフィラ>は人の目だけでなく、機械の目も誤魔化してしまうようです』
勿論、これも<サークル・オブ・セフィラ>の一芸に過ぎない。このカードは他人の技や<バトルカード>の能力を<円陣>の一種として記録するだけでなく、元々内臓されているだけでも眩暈がするような種類の<円陣>を備えている。
この程度で驚かれてもらっては、正直こちらとしても拍子抜けだ。
「ちょこざいな……!」
東悟が忌々しそうに呟くと、<月蝕蒼月>の刀身に黒いアステライトを纏わせ、
「<月火縫閃>!」
刀と共に一回転して円形状の斬撃を発生させ、タケシの分身を一つ残らず薙ぎ払ってしまった。だが、地上にタケシ本体の姿は無い。
何故なら、本体は既に、東悟の遥か頭上まで飛んでいたからだ。
「<生命の門!>」
既にタケシの目前で展開されていた黄金の魔法陣の中央から、金色の木の枝みたいな形のエネルギー体が伸び、尖端が異様なスピードで東悟に迫る。
「……美縁」
『ほーい』
美縁が適当に返事した瞬間、タケシの体が急に重たくなり、一秒も満たない間に枝ごと地面に叩き落とされてしまった。
でも大丈夫。タケシは既に東悟の背後に立っていたからだ。
「……人をだまくらかすのが好きな性質らしいな、お前は」
東吾は特に驚いた素振りも見せずに振り返った。
「さっきからのらりくらりと、何のつもりだ?」
「あんたがナナにしたような戦い方と同じさ。何か文句でもある?」
「意趣返しか」
「さあ、どうだか。それより、ここで問題です」
タケシは自らの両手を大きく広げた。
「無は無限と化し無限光を成す。これ、なーんだ?」
「『生命の樹』における宇宙創世の仮説だな。この星、ひいては全ての宇宙は無から生まれ、無は無限を生みだし、そして無限光を引き起こした。それは宇宙創世の産声、ビッグバンの発生を意味しているらしい」
「らしいな。まあ、ウン千年も昔の記述だから本当かどうかは知らんけど」
「いまは文系の語らいをしている時ではないと思うが?」
「そうだな」
広げていた両の掌を胸の前で合わせると、グローブが金色に発光し、ばちばちと細やかな雷電を唸らせる。
「だから、その目に焼き付けろ。セフィラの神髄を」
――控室に修一が現れる前、タケシはナナにこんな事を訊いていた。
「そういやナナよ、お前どうやって<アステルジョーカー>を第二解放したんだ?」
「ノリ」
「お前にはがっかりだよ」
ナナに訊いたこちらが馬鹿だった。
「まあいいや。付け焼き刃で敵う相手でもないし」
「何か秘策でもあんの?」
「ある。一応、あいつの重力強化を封じる手と、あいつに勝てる唯一の方法がな」
タケシは持ち込んでいた鞄から分厚い本を取り出した。所々が色褪せて擦り切れており、あと一年読んだら雑紙類に纏められてゴミ捨て場に直行しそうなくらいの消耗っぷりだ。
「何? そのボロっちい本」
「『生命の樹』について書かれた聖書なんだとさ」
「『生命の樹』?」
「セフィロトですわね」
同席していたサツキが述べる。
「タケシ君の<サークル・オブ・セフィラ>と何らかの関係がある書物だと思うのですが、それを見て何が分かったんですか?」
「全然。さっぱり」
「じゃあ何で持ってきちゃったんですか……?」
「良いヒントになると思ったんだけどなぁ。ほら、特にこの『アイン』とか『アイン・ソフ』とか『アイン・ソフ・オウル』とか。ていうかこれ、何語?」
「ヘブライ語……でしたっけ? よくは知りませんが」
「何にせよ、もし俺の<アステルジョーカー>が進化するとしたら、こういう『知識』――この本で言うところの隠されたセフィラ、『ダアト』がきっかけになると思ってさ」
果たして、本当に関係があるのか無いのか。
「<アステルジョーカー>、第二解放!」
ナナがノリでやっちゃったんなら、俺もノリでやっちゃおう――そう思って、タケシはとりあえず念じてみた。
そしたら、本当にそれらしき現象が起きてしまったのだ。
「<アステルジョーカーNO.X サークル・オブ・セフィラ アイン・ソフ>!」
グローブの基本的な形態やカラーリングは全く変わっていない。だが、左手の装飾だけは大きく姿を変容させていた。
細長い八角形の頂点である八つの小径が全て線で繋がり、一番下の頂点から上二つに新たな二つの小径が配置される。これはセフィロトの体系図とほとんど同じデザインの装飾だ。つまり、合計十個の小さな丸いスペースが、グローブの左手に誕生したのである。
――進化へ導くブラックボックスを開けるには条件を満たす必要がある。
多分、俺は知らない間に、その条件を満たしていたんだろう。
「第二解放……か」
東悟は驚くどころか、一種呆れている様子だった。
「その程度の進化で俺を止められないのは、ナナとの試合で実証済みだろうに」
「分からないぜ? 何せ、俺の<アステルジョーカー>の性能は世界最強らしいからな」
園田村正の分析によると、その総合数値はナユタの<インフィニティトリガー>を大幅に凌駕する。後は使い手の問題だ。
「じゃあ、おっぱじめるぞ」
左手の一番上の小径に、白い光が点灯した。
「<第一のセフィラ=ケテル>、開門!」
セフィロトの体系図は全て覚えている。いま開いたのは一番目のセフィラ。思考や創造を司る、アイン・ソフ――無限の始まりだ。
右手の甲のディスプレイに『王』と表示され、掌にセフィロトの体系図を模した白い魔法陣が生成される。
「<生命の門>・<王冠>!」
白いセフィロトが真っ二つに割れて扉のように開き、真っ白な王冠らしき物体が無数にばら撒かれ、フィールド内をあっという間に埋め尽くしてしまった。
「これは……?」
「育て、<王冠の森林>!」
タケシの合図に従い、王冠の輪が全て一気に大きく広がると、輪っかの中央から光の柱が伸びて徐々に太くなり、輪の内径ぎりぎりまで成長する。さらに、下に伸びた柱が地面に突き刺さって根を張り、上に伸びた柱は文字通り枝分かれして草木を茂らせた。
完成されたその姿は、まさしく光の大木が生い茂る森林だった。
『何だ何だ!? フィールド内が森林地帯に早変わりだ! 何という神秘的な光景だろうか!』
『セフィロトの話に出るケテルのセフィラを模した<生命の門>ですね。しかしケテルのセフィラは海王星を象徴していた筈です。何でそれが森になるのやら』
「地球上でセフィラが既に完成していたからだな」
アルフレッドが瞠目しながら答えを述べた。
「宇宙創世、生命の神秘。それらを内包した古の神話における一つの解釈。それがあの<サークル・オブ・セフィラ>に現れている。このバトルフロートは一歩出れば四方は海で取り囲まれているから、草木を育む為の水分をスタジアム外から引っ張ってきたんだ」
「そんな事が可能なんすか!?」
自然現象を操るユミの戦闘を何度も見ている修一ですら、タケシの自然資源活用法には驚くしかない。
「だって、スタジアムはVフィールドで外側からは隔離されてるんですよ?」
「<アステルジョーカー>の力はその規格すら超えているという話だ」
水属性のアステライト以外に本物の水が必要だとはさすがに思わなかったが、このバトルフロートの立地条件が良かったおかげで無様な格好をせずに済んだ。
<アステルジョーカー>はその使い方を使用者の脳に神経を通じて教えてくれる機能が備わっている。だからどんな戦闘のド素人でも、必要最低限は<アステルジョーカー>を使いこなせる。
難しいのは、その先だ。
「どんどんいくぞ。<第二のセフィラ=コクマー>、開門!」
東悟の遥か頭上に、灰色に染まった例の魔法陣が展開される。
「<生命の門>・<天啓>!」
「何のつもりか知らんが――」
東悟が再び刀身に黒いエネルギー体を収束する。あれは<月火縫閃>とは違う。
アレを使う気か――!
「邪魔だ!」
東悟が頭上の魔法陣に一閃。黒い矢じりみたいな形をした塊が飛翔する。
あれは彼の必殺奥義、<クェーサー・ホライゾン>。要約すると、斬撃の形をしたマイクロブラックホールだ。本来ならこの技の発生と共に、フィールド内に居るタケシの負けは確定している。
でも、対策はちゃんと用意している。
「<円陣>・<重陣>」
唱えると、掌にピンポン玉サイズの黒い魔法陣を生みだし、黒い斬撃に投げつけた。
すると、互いの現象が静止して捻じれ、音も無く消滅したのだ。
「ブラックホールを消しただと!?」
「その理由をいまから教えてやる」
頭上の<生命の門>が開くと、ラメのような灰色の細かい何かが<王冠の森林>の枝葉に降りかかり、木の至るところに黄金の果実を生み出した。
ちなみに、これらはブラックホールを消した原因とは何ら関係が無い。
「俺の<サークル・オブ・セフィラ>の原型、つまり<サークル・オブ・カオス>の初期能力だ。こいつは<分析陣>と<解析陣>によって森羅万象を解析して、処方箋みたいな効果を持った魔法陣を生成する。あんたが発生させたブラックホールを消したのも、あんたの<アステルジョーカー>を直接解析したからだ」
「そんなものを使われた形跡は無かったぞ」
「あんた、さっき重力強化で俺を地面に叩き落としたろ。その瞬間に発生した重力場を解析して、同じ性質を持った技を生み出した。さっきのはあんたが発生させたブラックホールと逆位相のブラックホールをぶつけて相殺してみせたのさ」
タケシは再び掌に黒い魔法陣を生み出した。
「あんたと同じ技が使えるようになった以上、俺にブラックホールはもう通じない」
「何て奴だ。相手の<アステルジョーカー>の能力を丸々パクりやがった」
ハンスが戦慄も露に呟く。
「重力場を相殺させられるなら、たしかにもう御影が同じ技を使う意味は無い。あの脇差は、タケシの前じゃただの棒きれ同然。この勝負、タケシの勝ちだ!」
ハンスは手放し同然で喜ぶが、ナナとリリカ、それから修一だけは、全く嬉しそうにはしていなかった。
「? どうした?」
「……なんか、嫌な予感がする」
「あん?」
「あの人、まだ何か隠してる」
リリカの言う事は最もだ。
御影東悟はただの<新星人>ではない。<トランサー>であるリリカと、直接手合わせしたナナには、おぼろげながら彼の力の全貌をまだ全て見ていない気がしたのだ。
何だろう、この胸騒ぎは。
何処からか、獣の――いや、もっと別の何かが呻いているような感触がしてならない。でも、そんなものがこの会場に存在するとは思えない。
もっと、悪い事が起こる予感がする。
「……これでは勝ち目が無いな」
東悟が観念したように呟く。
「いいだろう。この際だ。もう少しだけ本気を出すとしよう」
「何だ? まだ何かあんのかよ」
森林の樹木には既に黄金の果実が潤沢に成っている。
「じゃあ、そうなる前に潰させて貰うぜ」
タケシが指をくいっと動かすと、手近な果実が一人でに飛び出してタケシの左手に渡り、掌に溶け込んだ。
これで左手の甲にある二つ目のランプが灰色に灯った。全て点灯するまで、あと八つ。
「<第三のセフィラ=ビナー>、開門!」
三つ目のランプが黒に点灯。
「<生命の門>・<実現>!」
樹木に成っている果実が全て一斉にタケシの前に収束して融合し、一つの巨大な黒い魔法陣を産み出す。
これは『理解』や『実現』を示す力の発露。これから先、開門する残り七つの<生命の門>は、戦闘に関する具体的な効果を持った能力を発現する。
この光景を目にした東悟は、あろうことか、眠るように瞑目する。
「――<ビーストサモンカード>・アンロック」
いま、信じられない宣告を聞いたような気がしたと思ったら、東悟の目の前に黒いアステライトの塊が突如として出現し、スライムのように空間中でこね回される。
関係無い。これから先、開門するセフィラの順番は無視出来るのだから。
「<第五のセフィラ=ケブラー>、開門――<生命の門>・<峻厳>!」
目の前に赤い魔法陣を展開。中央から火炎を纏ったルビーの弾幕が撃ち出され、東悟に大挙して押し寄せる。
一方、彼の目前でうねっていた黒い塊が、やがて一つの大きな姿を成した。
炎のルビーが着弾、爆発。目標の周囲が煙幕で覆われる。
「……くそ、遅かったか」
「この姿を見せたのはお前が三人目だ」
もうもうと立ち込める煙幕は、黒い腕の一振りで全て吹き払われた。
現れた彼の姿は、およそ人間とは呼べない何かとしか言い様が無い。
「何だ……その姿は!?」
「ムルシエラゴ。それが、俺が使役する悪魔型<星獣>の名前だ」
いまの東悟は、全身真っ黒に覆われた怪物そのものだった。
ネコ科のような耳が頭頂に一対。大木を一振りで薙ぎ払ってしまいそうなくらい太くたくましい両腕、ライオンの後ろ脚のような形でありながらライオンの三倍以上は太い両脚。ティーレックスみたいな長大な尾。
右手には<月蝕蒼月>、左手には美縁の脇差がさっきと同じように装備されている。
いまの彼と似たような姿を、タケシは前にも何回か目にしている。
「まさか<ビーストランス>したってのか? 嘘だろ? あんたは<新星人>の筈だろ? 何で<トランサー>の能力が使えんだよ!?」
「<新星人>が<ビーストランス>出来ないとでも思ったのか? 性質は違えど、同じ<輝操術>を使う種族同士が同じ技を使えない理由が何処にある? それに、私は純粋な<新星人>ではない」
「……もしかして」
パニックに陥りそうだった頭でも、何となく想像はついていた。
御影東悟はナユタ達よりも先の世代の戦災孤児。彼が生まれた九十年以上前は、<新星人>と<トランサー>が袂を別つ直前の年代だ。
だとすれば、御影東悟は――
「そう。俺は、<新星人>と<トランサー>の間に産まれて棄てられた戦災孤児だ」
とてつもなく最悪な組み合わせの血統を持った、最凶の人類だ。
『ななななーんと!? 御影選手が<新星人>と<トランサー>のハーフだって!?』
『そうです。彼は<新星人>として随一の<輝操術>を持ちながら、<トランサー>としての技術を唯一習得している』
『園田さんは知っていたんですか?』
『ええ。でも、こうして実際に見るまでは半信半疑でした』
「……そんな、馬鹿な」
ベッドで眠る凌の傍らで、サツキは目を瞠って呟いた。
<新星人>の恐ろしさは身を以て体感している。<トランサー>の強さも、ナナを教育する過程でしっかり学習している。
だからこそ、その両方を極めた御影東悟の潜在能力は計り知れない。
「タケシ君、このままでは貴方は――」
予備動作無しでタケシの背後に回り込んでいた東悟が右手の刀を乱暴に振り下ろすが、ギリギリで反応し、足元に張った<転陣>に飛び込んで回避。別の離れた地点から出口の<転陣>で抜け出すも、その時には既に、彼はタケシの前で再び剣を横薙ぎに振るっていた。
「<盾陣>+<強陣>!」
強化された魔法陣の盾を右手の甲に展開、斬撃を受け止める。
だが、その膂力はこちらの盾をものともせず、
「何っ!?」
シールドを破壊し、タケシの体を真横に吹っ飛ばした。
タケシは何回か地面を転がって立ち上がると、再びセフィロトの魔法陣を正面に展開した。
「くそったれ! <生命の門>・<恩寵>!」
第四のセフィラを開門。ドーム状のサファイアがタケシを包み込むと、正面から肉薄してきた東悟が音速すら超える速さで剣を立て続けに振るう。
剣がサファイアのドームに弾かれるが、その度に亀裂が入っている。このシールドもそう長い間、持ち堪えられそうにない。
「何て奴だ……イチルより速い上にナナよりパワーがあるなんて反則過ぎるだろ!」
タケシが知る中では<流火速>を用いたイチルの移動速度が最速で、ナナの<ドラグーンクロス>の最終形態が筋力値最高だ。
だが、いまの東悟はそれすらも簡単に上回る。ざっと、三倍といったところだろうか。
こんな化け物、どうやって倒せってんだ!
『六会選手、サファイアのシールドが破られた! それでも<盾陣>で対抗するも、やはり歯が立たない!』
『あの六会選手が手も足も出ないなんて……恐ろしいにも程がある』
『おおっと! 今度はモロに蹴りを喰らった! HPメーターは……まだ残ってる! レッドゾーンは避けたが、それでもイエローゾーンに突入してしまった!』
蹴りについては、直撃寸前に<盾陣>を張っていたおかげでダメージは軽減されている。それだけ、<サークル・オブ・セフィラ>の防御性能は高いという事だ。
「悪魔型<星獣>……まさか、またこの目で見られる日が来るとはな」
ハンスが目を細める。
「<星獣>にも様々なタイプがいる。その中でもあのムルシエラゴって奴はレジェンド級に相当し、悪魔型に分類される。滅多にお目にかかれない超激レア<星獣>だ。あれの力は<アステルジョーカー>一枚にも匹敵する上に、少なくともS級バスターが二人で挑んだとしても勝てるかどうか分からん相手だ」
「何で奴がそんな<星獣>を持っている?」
修一も冷や汗をかきながら言った。
「あいつが孤児だって事も、<新星人>と<トランサー>のハーフだって話も二次予選の時に直接聞いた。でも、あんな化け物を手なずけてるなんて話は知らない」
「何にせよ、そいつがあの御影と融合したって事は――」
「正面から戦って勝てる相手じゃない」
ナナが確信したように告げる。
現にタケシは一方的になぶられている。反撃すら許されていない状況だ。幸い、過剰に鍛えられた反応速度のおかげで、<盾陣>を張って致命傷から逃れ続けられてはいるようだが、それだけではただリンチされているに等しい。
ナナは立ち上がり、思いっきりタケシに向けて叫んだ。
「タケシ、早く棄権して! このままじゃダメージ判定装置がいつか壊れて、本当に取り返しがつかない事になっちゃう!」
タケシが耐えれば耐える程に戦いが長引く。つまり、タケシのダメージ量を計算している判定装置にもそれだけの負荷が掛かっている。東悟があの筋力を立て続けに行使すれば、いつかその装置の負荷も過剰になり、ダメージ量の計算が不可能になる。その瞬間、Vフィールドの武装幻影化モードと無痛覚モードがそのシステムの仕様によって強制終了する。
もしVフィールドが終了した状態でうっかり東悟が加減を誤ってしまった場合、現実のダメージがタケシの体に直撃する。
あの様子なら、右ストレートの一発で大抵の人間は粉々に吹っ飛ぶだろう。
「タケシ! 早く逃げて! ……タケシ!」
「大丈夫だ」
ハンスがナナの肩を掴む。
「見ろ。御影の動きが止まった」
ムルシエラゴを<ビーストランス>した状態での全力戦闘は三分が限界だ。一定のペース配分を保てば一時間以上は普通に動けるが、やはりフルパワーは四十路の体になると相当堪える。
その三分を、タケシは見事、<盾陣>と<生命の門>の防御形態だけで耐え抜いたのだ。
しかし、これでタケシのHPを半分以上削った。
『パパ。思ったよりあいつ粘るよ?』
「当たり前だ。相手はあの『軍神』の倅だからな」
ナナやイチル、サツキもそうだが、タケシも黄金世代の意志を継がずとも得ている強敵の一人だ。
戦場を意のままに操り、自らも最前線で拳を振るう切り込み隊長として西の戦場に君臨した指揮官格最強の男、六会忠。彼は現時点において、黄金世代と呼ばれた五人の中で唯一の生き残りでもある。
その一人息子が、いまこうして、魔の種族の長たる俺に反旗を翻している。
「あと一息だ。油断せずに行こう」
『あいあいさー』
<回>の効力で全開戦闘での疲労は抜けつつある。
ここから先は、確実に追い詰めて倒していくとしよう。
第十三話「神速決戦! 九条ナユタVS三山エレナ」 おわり
第十四話につづく




