GACS編・第十二話「師弟対決! 八坂イチルVS三山エレナ」
第十二話「師弟対決! 八坂イチルVS三山エレナ」
「やあ、また遊びに来たよん」
「…………」
鉄格子の向こうでオブジェのように固まる名塚に、ロットンは気軽な挨拶をしてやった。
「テレポーターって本当便利よねー。上から下まで、下から上までとほぼ一瞬だし? で、全てをゲロる気になったかな?」
「どうせ知りたい事は知っているだろうに」
「どうだか。一応、質問はあるんだがね」
「というと?」
「例の研究施設の中に、もう一個だけ面白いものを見つけた。何だと思う?」
「さあな」
「とぼけたって無駄だよん。性別はどっちともつかないが――あれは、あきらかに人間の姿をした『何か』だ」
名塚の顎が微かに上がる。
「どうやら何か知っているみたいだね?」
「あれには絶対に手を出さないでもらおう」
「それを決めるのはこちら側だ。でも、用途だけは伺いたい」
「良いだろう」
彼は意外とあっさり、欲しい情報を全部与えてくれた。
全てを聞き、ロットンの眼がピンポン玉のように丸くなる。
「そんな事が可能なのか!?」
「ああ。もっとも、私の研究に理解を示す頭脳を持った者が他にいなければ実現は不可能だろうが」
「そんな奴、この世にいる訳が――」
言いさして、一つだけ、心当たりが思い浮かんだ。
いる。こんなクレイジーな研究成果の産物を見事に操れる者が、一人だけ。
「……もしかしたら、出来るかもしれない」
「奇遇だな。私もいま、君と同じ事を考えているよ、ロットン君。私の研究に、協力してみる気にはならないかね?」
「その前に、貴方の指示を引き継いだとかいうバカを捕まえるのが先だ」
「教えてやっても良いが、君が手出し出来る相手ではない」
「大凡の検討はついている。よくも厄介な相手にものを頼んでくれたな」
「私を慕ってくれる優秀なお方だよ。もっとも、功を焦り過ぎて先走るところがあるからな。あまり暴走していないと良いのだが……」
「暴走ならとっくにしている。貴方の息子さんがそのせいで重傷を負って気を失った」
「……そうか」
名塚は残念そうに頭を垂れる。
「こんな無茶を息子に強いる私は、父親失格なんだろうな」
「…………」
彼が何を想っているかは知らない。自分の思惑に息子を巻き込んで酷い目に遭わせたのが予想以上に堪えたのか、息子の失敗が自分のせいだと思っているのか。
未だに子を持った事が無いロットンには、分かりようも無い話だった。
●
一人にしてくれとイチルに言ってレストランを抜け、ナユタは大会中に宿泊しているホテルの最上階の隅で、一人物思いに耽っていた。
自分のせいでこんな事になったと思ったのは今日が初めてではない。
でも、やっぱり、何度思い知らされても慣れやしなかった。
「お、ナユタだ」
出入り口から、次の対戦相手であるユミが歩み寄ってきた。彼女は横に並ぶと、こちらの顔を覗き込んでくる。
「バカが珍しく悩んでる」
「俺だって悩む時くらいはあるよ」
「人が一人傷付いたくらいでなにショゲてんだか。やっぱり、ナユタは変わったよ」
「多感なお年頃なんですぅ」
「ふーん。でもぉ」
ユミがわざとらしく半眼になる。
「そんな顔をしてる奴と次の試合なんて、あたしはヤだなー」
「だったらこんなとこに来なきゃ良いだろ」
「どうせスタジアム入りしても同じ顔するんでしょ? あ、そうだ」
ユミが何かを閃いたらしい。嫌な予感がする。
「元気が出るおまじないをしてあげる」
「敵に塩を送る気か、お前は」
「たしかに塩かも。さっき塩分摂取したし」
「はい?」
「そーれっと」
変な掛け声と共に、ユミがいきなりナユタの後頭部に腕を回し、体をぴったりと密着させてきた。
何だ何だ? 試合前に俺を絞め殺して不戦勝でもする気か?
「待てユミ。俺はまだ死にたくない」
「えい」
彼女の趣味はよく分かっていたつもりだし、過去に何回かされた事がある。
でも、このタイミングで熱いフレンチキスをかまされるとは思ってもみなかった。
彼女は修一が傍にいないと、たまに男女かまわず気に入った相手にキス、もしくは性行為をするという隠れた性癖がある。話によるとイチルも被害に遭ったらしいし、もしかしたらタケシや絢香などもターゲットにされていたのかもしれない。ちなみに、この病癖については修一も諦めているという。
さらに補足すると、ユミとのキスの回数が修一に次いで多いのがナユタである。そんなに相性良かったのか、よく練習台にもされている。だから、いまのもその一環として受け入れ、いつも通り彼女の舌と唇を受け入れている。
唇を離すと同時に、舌先から繋がる唾液の糸が限界まで伸び、断ち切れる。
息を整え、ナユタはさっそく文句をつけた。
「……イチルに見られたら、俺もお前も殺されるぞ」
「イチルにもした事あんだし、おあいこでしょ?」
「そういう問題じゃねぇ」
「でも、ちょっとは元気になったでしょ?」
「シモの方だけな」
むしろ上の方はもっと機嫌が悪くなったくらいだ。気持ちは良かったが、それだけ気分は良くなかったりする。
だから仕返しに、ユミの脇腹をくすぐってやった。
「ちょ、こら、どこ触ってんの!?」
「うるせーとっとと離れろこのクソビッチが」
「ひゃひゃひゃひゃひゃ!? ちょ、胸まで触っていいって言った覚え無いけど!? ていうか、そこはチク――」
「今日のところはこれで勘弁してやる」
ユミの体を突き離すと、ナユタは軽く伸びをした。
「あー、スッキリした。たしかに元気になったわ」
「うう……ナユタにゴーカンされた」
「修一には黙っておいてやる。じゃあな」
「待てコラー! あたしの体をイジくり回したセキニンをとれー!」
「欲求不満も大概にしなさい」
何でユミの貞操観念がここまで希薄になったのか、後で修一に訊いてみよう。
●
晴天の下、Aブロックの会場全体に女性のアナウンスが響き渡る。
『これよりGACS午後の部。Aブロック二回戦の第一試合を行います。フィールド内にいる全ての人員はこれより速やかに退避してください。繰り返します。これよりGACS午後の部――』
「さっきナユタからユミちゃんの匂いがした」
観客席にて、イチルはハムスターのように頬を膨らませた。
「ゼッテーあいつら浮気してる。間違いない」
「それはユミの性癖だろう」
イチルの次の対戦相手、エレナが苦笑して答えた。
「あいつは気に入った相手なら誰彼構わずキスする病的なキス魔だからな。ていうか、よく匂いで分かるな」
「<新星人>は五感が敏感なんですぅ。たまーにタケシからも同じ匂いがするし、間違いなく二人揃ってヤられてるよね」
「待つんだイチル。あまりスキャンダルになるような事は口走るな」
「いまのは聞かなかった事にしてやる」
忠が無愛想に告げる。
「彼女の悪癖についてはもう諦めろ、八坂君。本命の黒崎ですらお手上げらしいからな。あと、さっきのはナナに絶対言うなよ? これは長官命令だ」
「どーでも良い事に長官の権力振り回さないでください」
「今日はやけに反抗的だな……」
「ユミちゃんめ。もし準決勝まで勝ち上がったら、この手でコテンパンにぶちのめして土下座させてやる」
「今日のイチルは様子がおかしい」
心美が湯呑みで熱々の緑茶を飲みながら呟いた。
「ナユタは決して浮気せんよ。あれは生粋の愛妻家だからな」
「心美ちゃん……」
「この試合でそれがハッキリするだろう。いまは見守ってやりなさい」
「何で三笠の方が大人びて見えるんだろうか」
呆れたように頭上に疑問符を浮かべる忠であった。
『お待たせしました! GACS午後の部、Aブロック二回戦! 実況は引き続きこの私、ダニエル・ポートマンがお届けするぜ!』
『解説の園田樹里です。右に同じく、引き続きよろしくお願いします』
『よろしくお願いします。さあ、二回戦の第一試合を飾るのは、この一組だ!』
実況のダニエル・ポートマンが一次予選よりもハイになって叫ぶ。
『まずは北コーナー。一回戦で自らの上司を叩きのめしたハイスピードインファイター! このまま二回戦も速効で勝ち上がるか? 九条ナユタ選手の入場だ!』
フィールド入りしたナユタの面持ちは少しだけ暗かった。やはり、凌の事で気に病んでいるところがあるようだ。
『続いて南コーナー。炎と風のイリュージョンで会場の観客全てを魅了したエンターテイナー! 今度は一体どんな魔術を見せてくれるんだ!? 風の御使い、ユミ・テレサ選手!』
ユミの入場と共に観客の男性が異常なテンションで沸き立った。どうやらたった一試合で彼女にファンが付いてしまったらしい。
「? あり? ありりりり?」
イチルが眉を寄せ、目のピントをユミに絞った。
「ユミちゃん、今日はグラサンを掛けてるんだ」
しかもフォックススタイルだ。何の意味があるんだろう?
『あらあら、最初から九条選手への対策もバッチリですわね』
樹里が解説らしく鋭く切り込んだ。
『彼女がいま掛けているサングラスは九条選手が使用する光属性<バトルカード>への対抗策ね。光属性で直接的な攻撃力を持つものはそうそうないし、基本は閃光手榴弾みたいに視界を乱すものばかりだから、サングラスは単純だけど良い手よね』
『しかもあれは私もバカンスの際に愛用している『ネイバン』の超高密度粒子偏光反射グラスだ! これで九条選手の<バトルカード>は八割が無意味と化したぞ!』
「ネイバン? 超高密度粒子偏光グラス?」
心美が首を傾げていると、ファッションに聡いイチルが得意げに説明する。
「ネイバンはサングラスで有名なメーカーブランド。その中でも超高密度粒子偏光反射グラスは、アステライトで構成された高圧縮レーザービーム……例えば<月火縫閃>みたいな偏向性光子をそっくりそのまま跳ね返すレンズが採用されてるの」
「詳しいな」
「モデル時代に社長さんから誕生日にプレゼントされたから」
と言って、さり気なくユミと同型のグラサンを装備するイチルであった。
「それにしても、ユミちゃんは試合が始まる前から戦っていたんだね」
「彼女はそういう子だ」
修一とユミの後見人だからこそ、ケイトが確信を以て頷いた。
「全てにおいて用意周到で、実際に頭もキレるトリックスター。やろうと思えば器用に何でもやってしまい、そうでなくても万に通じる技を持つ。彼女は普通の人間が持ちうるスペックの限界値まで到達した凡人。つまり、この世で一番恐ろしい人種だ」
「私、そんな人と戦ってたんだ」
絢香が戦慄も露に呟く。
「そりゃ、敗れて当然ですよね」
「何にせよ、この試合はポーカーに近い」
忠が興味深そうに述べる。
「お互いに通常カード同士での戦闘だ。九条君はこの試合でも<アステルジョーカー>を使えないから、二人のデッキの条件は全く同じ。しかも個人の戦闘能力に大きな差は無い。お互い手の内を知り尽くし、先の読み合いが前提となる展開が予想される。だから勝負を決めるのは、揃えた役の強さに他ならない」
お互いの手札にロイヤルストレートフラッシュは永遠に揃わない。だからワンペアからストレートフラッシュまでを揃え、役の強さを競い合う。
先に強い役を揃えた方が勝ち。単純な理屈だ。
『それでは、グランドアステルチャンピオンシップAブロック、二回戦第一試合、九条ナユタVSユミ・テレサの試合を開始します。GET READY!』
<メインアームズカード>を展開。両選手の戦闘準備、完了。
『GO!』
「ブースト!」
<蒼月>からアステライトを噴射。いつも通り加速して、まずはフィールド内を縦横無尽に飛び回る。
グラサンを掛けている以上、ユミに光属性の<バトルカード>は使うだけ無意味だ。
この場合、攪乱してから接近、速攻で急所を斬り裂いて一撃で倒す!
「<クロスカード>・<バーニングクロス>、アンロック!」
「何!?」
ユミが最初から<クロスカード>を発動。紫色の羽織を纏い、半人半妖の狐みたいな姿に変貌する。今回はフォックススタイルのグラサンを掛けているので、狐らしさがさらに倍増する。
気に喰わない。
だって、あのグラサンは――
「うおっ!?」
ナユタの頬を紫色の火の玉が掠める。気を逸らしているうちに撃たれたか。
「バトル中に余所見は厳禁だっつーの!」
「うるへー! 黙ってろ!」
反抗してみたが、気が散っていたのは認めざるを得ない。
だって、うちの親父も、フォックススタイルのグラサン掛けてたし!
「親父の真似事しやがって。そのグラサン、いますぐ叩き割ってやる!」
着地してすぐに地を蹴り、低空飛行する燕のように地上すれすれを飛び、ユミの懐に入る。
水平斬りを一太刀。刃が彼女の前でせき止められる。風の防御か。
ユミから離れると、彼女の周囲で踊る火炎弾が一斉掃射される。ナユタは<蒼月>の加速ですいすいと射線を縫い、<月火縫閃>を発射。これも彼女の手前で弾けて消滅する。やはり、大気を操る力は強力だ。
得意のヒット&アウェイはユミには通じない。当たり前だが、既にこちらの戦術は対策済みなのだろう。
前の試合でもそうだが、忠にもこちらの戦いが全く通用しなかった。ヤケクソになって勝てたのも単なるマグレとしか思えない。
だったら、俺をよく知るユミに、俺は勝てるのか?
「いいや、絶対に勝つ!」
油断など決してしない。俺は死力を尽くしてユミに勝つ。
修一を除けば、彼女の強さを一番知るのは、この自分なのだから。
――ナユタが修一とユミのコンビに会ったのは、ウェスト防衛軍に少年兵団の隊長として配備されてから三か月後の任務で起きた戦闘の最中だった。
比較的荒れくれ者どもが集まりやすい無法地帯で、ナユタと同じ年頃の男女一組が、軍本部に届く予定だった流通物資を強奪したとの情報が入った。ナユタ率いる兵団はその討伐を任され、その犯人と邂逅した。
彼らはどういう訳だか自分より年上の男達を部下として味方に付け、やってきたナユタ達を返り討ちにしようと襲い掛かってきた。だからナユタは部下達に二人の手下の相手を任せ、自らは大将首たる二人のもとへ乗り込んだ。
ナユタは<アステルジョーカー>を使って二人を殺そうとした。でも、死闘の末に二人にはまんまと逃げられてしまった。屈辱的大敗と言っても良い。
そして次の任務。これはとある村の防衛任務だった。その時、この村に滞在していた修一とユミに偶然再会したのだ。
でも、任務でもないのに彼らと交戦するのを、ナユタ自身が躊躇った。
その瞬間から、ナユタと二人の腐れ縁が始まったのである。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
何度も火炎を抜けて接近し、剣を振りかざして風の壁で防がれる度に、ナユタは自らの無力感に苛まれていた。
あの頃と同じだ。いくら攻撃しても、ユミの防御だけは突破できない。
――修一とユミは、ナユタの防衛任務に協力した事もあった。彼らにもナユタ個人にも敵対する理由が無かったので、和解するのもほとんど時間の問題だけだった。だから彼らの身柄についてはナユタの裁量で見逃していた時もある。
ナユタはこの時生まれて初めて、同年代の『友達』を得た。同年代の部下なら山ほどいたけど、特別に友達と思える間柄の人間はこれまで全くいなかったのだ。
特に、ユミの存在はナユタにとってはかなり特殊に映った。
憎まれ口を叩きながらも、何故かナユタには懐いていたのだ。女の子にこうも本格的に好かれた事が無かったナユタからすれば新鮮な体験だったし、さっきみたいにキスの練習台にされたのも衝撃的だった。
三人がまだ西にいた頃、修一はある時、こんな事を言っていた。
「俺に何かあっても、お前ならユミを任せられるかもな」
「バカなのかお前は。弱気になってんじゃねーよ。もしユミが聞いてたら、あいつ絶対悲しむと思うぞ」
「そうだな。いまのは忘れてくれ」
「いーや、忘れない。もしもの時は俺がユミを寝取ってやる」
「それは嫌だな。意地でも長生きしなきゃ」
「そーだ、その意気だ」
正直、ナユタはあの頃からユミとの結婚も視野に入れていた。無論、修一が死んだ時に限る話だが。
でも、いまの俺にはイチルとゼロから家族を始めた責任がある。
いまの時代で、遺伝子の系譜が無い二人だからこそ、イチルは俺を選んでくれた。
もう、他の女に目移りしてやれる余裕は無い。
「必ず勝つ――イチルや皆の為に、絶対に!」
俺には叶えたい願いがある。
それで例え、ユミ――お前の願いを踏みつぶす事になったとしても!
「<月火縫閃・散>!」
刀をひと薙ぎして、刀身から青白い太刀筋を分裂させて放つ。太刀筋はユミの四方を取り囲むと、一斉に彼女を襲撃した。
予想通り、風の壁で阻まれ、無力化される。
ここだ。彼女の意識は防壁の展開範囲に対して散っている。つまり、
「<月火縫閃>!」
周囲に散った意識を急に目の前に引き戻せる反応速度は、元来人間に備わっている能力ではない。手薄になった正面に、<月火縫閃>を防げるだけの風圧は展開出来ない筈。
青い太刀筋が飛翔して、真っ向からユミを目掛けて奔る。
だが、これも止められてしまった。
「狙いが読まれたか」
「あんたの考えてる事は手に取るように分かるよ。だって、ナユタって修ちゃんと似たところがあるし」
「誰があのスケコマシと似てるだって!?」
憎まれ口を憎まれ口で返して、ナユタは何となく納得した。
そっか。俺と修一って、やっぱり似てるんだ。
「そいや!」
再び火炎弾の群れが大挙してくる。あれは光以外の万物に対して通過自在だ。つまり、どんな防御を展開したところですり抜けられ、体に当たったと思ったら内臓だけが燃え尽きていただなんて事がリアルに有り得るのだ。
あれ自体の威力も反則級だ。喰らったら一撃でHPが尽きる。
万全の対策を構築された上に、絶大な攻撃力と手数、無敵の防御力。
ある意味、<アステルジョーカー>の使い手より厄介だ。
「どうする? 何か攻略法は無いのか?」
駆け回り、飛び回りながら、ひたすら考える。
いまの俺のデッキは半数以上が死に札同然。他に使えるカードは――
「きゅい!」
一通り火炎弾をかわし終え、ユミが次弾の発射体勢に入ったあたりで、ミニサイズ化したホログラムのイルカがナユタの頭の上に出現した。
「チャービル、何の用だ! いま試合中だぞ! あとでいっぱい構ってあげるから、いまは戦闘に集中させてくれ!」
「きゅいきゅい、きゅきゅきゅい!」
「何言ってるかわかんねーよ。俺にイルカ語が通じないのは知ってるだろ?」
「きゅーい! きゅきゅきゅきゅきゅいー!」
「ああぁん? しつこいぞテメー――待てよ?」
イラっとして、すぐに冷静になり、ナユタはふと思い直した。
「……あった」
一つだけ、ナユタのデッキにはユミに勝てる切り札が搭載されていた。
「相談は終わった?」
ユミは<風鼬>をブーメランの形態に戻すと、その刃に紫色の炎を纏わせ、頭上に放って高速回転させた。
錯覚の妙で、回転するブーメランが巨大な炎の円盤と化す。
「この一撃で終わりにしてあげる」
「いいや、まだだ!」
ナユタは<アステルドライバー>からノーマルの<ドライブキー>を抜き、<フォームクロス>用の<ドライブキー>と挿し替えた。
いま挿入したのは、<ウィングフォーム>の<ドライブキー>だ。
「<ビーストサモンカード>・<チャービル>、アンロック!」
「遅い」
ユミが腕を思いっきり振り下ろすと、その動きに連動して頭上の炎の円盤が真っ直ぐこちらに飛来してきた。
――間に合うか。
「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
甲高い叫び声と共に、ナユタの眼前に灰色のイルカが出現した。
ナユタの前に現れたイルカは、その身を挺して炎の円盤を受け止め、弾き返してしまった。
「……マジで?」
ブーメランが足元に突き刺さった事さえ気づかないくらい、ユミは唖然としていた。
あのイルカは正真正銘、一分の一スケール、本物のチャービルだ。でも、いつもユミが見ている姿とは大きく形態が異なっていた。
まず、手ビレが翼みたいな形に変異している。加えて額には虹色に輝く一枚の羽がワンポイント的に張り付いており、足ビレはスクリューみたいな形に進化していた。
「<チャービル・ウィングフォーム>」
ナユタが自慢げに告げる。
「俺の<インフィニティトリガー>同様、チャービルも<ドライブキー>の差し替えで<フォームクロス>出来るんだよ。これで水中戦以外もバッチリだ」
「そんな……そんな情報、いままで聞いた事が――」
「当たり前だ。ちょっと前に龍牙島でこいつと遊んでる最中に偶然発見したんだ。島の職員以外の誰も知らないだろうよ」
ナユタはチャービルの里帰りに付き合って、たまに誰も連れずに龍牙島でバカンスを楽しんでいるという話を聞いた事がある。
それがまさか、こんな事態に発展するなんて!
「いくぞチャービル。<レミッションパルス>!」
「きゅいいいいいいいいい!」
チャービルが再び悲鳴に近い声で鳴くと、フィールド内で音が反響して、視界全体に陽炎と似たような現象が発生する。
「これはっ……!?」
更に驚いた事に、<バーニングクロス>の装束と、生み出した火の玉が全て霞んで見えていた。まさか、消滅しかけているとでもいうのだろうか。
しかも、やたら眠い。まさか、ここに来て急に睡魔が!?
「瞼が落ちる……何なのよ、これはっ」
「イルカが本来持つ能力にエコーロケーションってのがある。自身の鳴き声を周囲の遮蔽物に反響させて物体の位置情報を獲得する能力だ。つまり、チャービル自身がソナーの代わりになるんだ」
「そうか。エコーロケーションの応用で、音波に水属性のアステライトを……!」
アステライトは周辺の環境や人為的な化学反応などによって属性や性質を変える特性がある。チャービルが鳴き声に乗せて拡散させているアステライトは、鎮静の作用を持った水属性の波動だ。
「炎属性の攻撃はこれで完全に封殺された。残るはお前の<風鼬>だけだ」
「あんたも音波を間近で喰らってる筈なのに、何で平気なんだよ……!」
「そいつは俺の髪に訊いてくれ」
ナユタは自らの水色天然パーマを指先で弄り回した。
「どういう訳か、俺の髪はアステライトを集めやすい性質があるみたいでな。ナノレベルのアステライトはみーんなこの髪に喰われちまうらしい。だから……」
言っている間に、ナユタのちりちりの頭髪がしなっと落ちる。
「ほら見なさい。俺の髪型が茹でたホウレンソウみたいになっちゃった。鎮静作用があるアステライトを直接吸収したからなんだろう」
「鳥の巣が、ホウレンソウに……?」
「何度も言うが、俺の頭は鳥の巣じゃない」
ナユタ語録の中で、一番使用率が高い台詞が「俺の頭は鳥の巣じゃない」である。
「チャービル、<レミッションレーザー>!」
「きゅい!」
水中を泳ぐようなゆるやかな上昇の後、ユミの頭上を取ったチャービルが口を開け、口腔内に水色の光子をたっぷりと溜め込んだ。
「ファイア!」
発射。水属性のアステライトを濃縮したレーザーが天罰のように下る。
足元に突き立つブーメランを再び大気に溶け込ませ、風を頭上に張って防御壁を展開。レーザーを受け止める。
すると、正面からナユタの<月火縫閃>が飛んできた。これも同様に防御する。
体が締め付けられるようだ。ただでさえ、風を操ると多大なフィードバックが肉体に訪れるというのに。
「<バトルカード>・<フォトンブレード>、アンロック!」
<蒼月>の刀身が光に包まれて拡張する。
「<月火縫閃・光>!」
刃の一振りと共に、青白いレーザー光線がナユタの眼前で解き放たれ、正面の防壁に直撃する。
さすがに受け止めきれなかったのか、レーザーが防壁を突き破ってきた。
「あッ……!」
あと一瞬だけ身を逸らすのが遅れていたら危なかった。ユミの右肩に、鋭いレーザーの刃が掠める。
HPメーターがわずかに変動する。この試合における初ダメージだ。
防壁の破壊と共にナユタが接近して、斬撃のラッシュを仕掛けてきた。ユミは再び大気からブーメランを引き戻し、彼の太刀を必死に捌き続ける。
駄目だ。対処しきれる手数と速さではない。
「らぁ!」
ナユタの回し蹴りがユミの横面を捉えた。あまりの威力に思わずよろめいてしまう。
「くっ……調子に乗らせておけば……!」
「チャービル!」
ナユタはすかさず<ドライブキー>を交換した。次は<ウィザードフォーム>への換装に必要な<ドライブキー>だ。
チャービルの姿がまたしても変化する。今度は魔法使いみたいなローブを被り、額に魔法陣らしきマークが刻まれている。
ナユタが一旦後退すると、頭上のチャービルがまっすぐこちらへ鼻面から落下してきた。まさか、魔法戦形態の癖に体当たりでもする気だろうか。
「<円陣>・<転陣>!」
チャービルとユミの間に黒い孔が生まれ、チャービルの姿が中に吸い込まれて消える。原理的には<バトルカード>の<ワームホール>と同様の空間転移技だ。もちろん、<ウィザードフォーム>の原型となったタケシの<アステルジョーカー>も使える技だ。
再びナユタが<ドライブキー>を交換。今度は<ソードフォーム>か。
「<バトルカード>・<ラスタースモッグ>、アンロック!」
「なっ!?」
驚いた事に、このタイミングで光属性のカードを使用するというのか。
<蒼月>の刀身から、光輝く無数の塵が舞い、ナユタとユミを包み込む。<フラッシュボム>同様、目くらましの技だ。
でも無駄だ。グラサンのおかげで、ナユタの姿はハッキリ映っている。
むしろ、自分で自分の視界を塞いだのはミステイクだ。
「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
ユミの背後から、有り体に言ってハリネズミみたいに体中から剣を生やしたチャービルが突撃してきた。すぐに来るとは思っていたが、この中で突っ込んできたか。
ユミ小さく飛んで、大気を足裏に集約させ、爆発。真上への二段ジャンプで<ラスタースモッグ>の範囲外に逃れる。
いくら距離が離れても、煙の中で立ち往生しているナユタの姿は見える。
ユミは振り上げた右の掌に大気を極限まで濃縮して、一本の槍を生成する。
「<ストームジャベリン>!」
投擲。大気の槍を、ナユタに向けて撃ち下ろす。
当たった。手応えアリ!
「よし!」
「何が?」
勝利を確信した矢先、ナユタはユミより体一つ分の高さに滞空して、思いっきり剣を振りかぶっていた。
「しまった、<ホロウドール>!?」
「大正解!」
ナユタの斬撃が直撃。足が斬り飛ばされ、ユミの体が直下の地面に墜落する。
「ぐ……」
「さあ、よろこべ。お前にプレゼントだ、このキス魔」
<ラスタースモッグ>が晴れ、視界が明瞭になる。
ユミの眼前には既に、<ウィングフォーム>に換装したチャービルの鼻面が迫っていた。
「さっきの仕返しだ。最後はチャービルの熱烈なフレンチキッスをくれてやる!」
「ちょ、ま……あたしは人間以外の生物はノーサン――」
「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
ユミのHPメーターが尽きたと同時に、彼女自身の精神力のHPメーターも完全に尽きてしまったのは言うまでもない。何故なら、Vフィールドの中だというのに、ユミは目をぐるぐる回しながら気絶しているからだ。
イルカの体当たり、もといフレンチキッス、おそるべし。
『…………』
『……ダニエルさん?』
『あ……はい。失礼しました』
実況も解説も揃って閉口していただろうが、彼らは気を取り直して自らの仕事をこなした。
『勝敗判定が下りました。ユミ・テレサ、HPメーター全損。勝者、九条――』
何故か実況が言い止すと、何かを考え直したらしい、高らかに勝利者の名前を宣言しなおした。
『勝者、チャービル!』
「待てゴルァ!」
フィールド内のナユタが喚き立てる。
「勝ったの俺! チャービルのご主人様も俺! 俺の名前もちゃんと宣言しようよ!」
『チャービル、チャービル!』
「うおぉおおおおいっ!?」
何が面白いのか、会場の観客全てがチャービルの名を連呼する。
『チャービルすげぇぞー!』
『カワイイー!』
『強いぞチャービル! 可愛いぞチャービル!』
「そんな……勝ったの、俺なのに」
「きゅいいいいいいいいいいい!」
勝者だというのに四つん這いで泣き崩れるナユタとは反対に、チャービルがフィールド内を飛行形態のまま泳ぎ回っている。これぞ勝利の凱旋だ。
『いやぁ、チャービルが現れたあたりから和やかな試合展開でしたね』
『グランドアステル一番の癒し系キャラ誕生の瞬間ね。チャービルで商売したらきっと大儲け間違いなしよ』
『あのー、お金の話をここで持ち出すのはちょっと……』
『そうね。えー、おほん』
わざとらしい咳払いをして、樹里が解説モードに戻る。
『この試合、テレサ選手に隙は無く、試合前からの対策にも余念がありませんでした。だから九条選手が攻めあぐねていたところがありましたけど、チャービルが現れてから状況が一変しましたね。まさか<フォームクロス>出来るだけでなく、形態を自在に変化させられるとは驚きです。九条選手とチャービルの連携もバッチリ。それに、最後のワンセットは中々魅力的でした』
『九条選手の<ホロウドール>ですね』
『ええ。テレサ選手のグラサンを逆手に取って決め技に持ち込んだ手腕は見事でした。グラサンがあれば九条選手の姿は見えますが、逆に言えば彼の姿を捉えるのに集中し過ぎる事がまあまあ有り得ます。だからテレサ選手は<ホロウドール>への警戒を怠った。アステルカードを使用した戦闘では真っ先に注意すべき点だったのに。そこはテレサ選手の完全なプレイングミスです』
『やられた当人が気絶しているのを良い事に躊躇の無い解説、ありがとうございます』
「とは言っても、<ホロウドール>を使うタイミングというのは結構難しい」
忠が自らのデッキから<ホロウドール>のカードを抜き出して説明する。
「相手の意識から完全に<ホロウドール>への警戒を忘れさせるタイミングを計らねば、完全なだまし討ちは成し得ない。その点、心理戦や駆け引きを得意とするユミ・テレサを相手に同じ土俵で勝利した九条君はやはり優秀だ」
「ほほぉ」
これまでの総評を聞いていたイチルは、ふと去年の出来事を思い出していた。
「そういや、去年初めてユミちゃんと会った時、サツキがユミちゃん相手に駆け引きで勝ったとか言ってたような……」
「たしかに、彼女なら有り得る話だな」
「そう考えると、サツキやナユタくらいの胆力が無いと、ユミちゃん相手に頭脳戦じゃ勝てないんですね」
「その通りだ。今大会中、最も隙が無い選手。それがユミ・テレサだ。今日の試合は見た者全てにとって良い参考になっただろう」
タンカに乗せられて運ばれていくユミの姿を見送り、忠は苦笑を漏らした。
「私にとっても有意義なものが見れた。彼女には感謝しなければな」
「とはいえ、実に惜しい話ですよ」
エレナが言葉とは真逆に嬉しそうな顔をする。
「これならAブロック決勝はユミが相手でも楽しめたかもしれない」
「気が早いですよ、師匠。次の対戦相手、誰か分かってます?」
「勿論だ。さあ、行くぞ」
「ええ」
イチルとエレナは席を立ち、通用口の奥に消えた。
医務室で目を覚ましたユミは、ぼんやりと昔の記憶を掘り返していた。特に意味も無い、完全回復までの暇つぶしだ。
初めて修一と会った時、彼を「住んでる場所が同じだけの他人」と思っていた。孤児院の子供なんていうのは、最初は大抵そんなものだ。
五歳の頃、孤児院が焼き払われた。その時生き残って、初めて自分には修一しかいないと思い知らされた。
七歳の頃、とあるギャングに捕まって、おかしな薬の実験体にされた。主に性感増強の作用がある、いわゆる媚薬だ。他にも新しい種類の麻薬をいくつか。でも、既に体内を浸食して血中に混ざっていたアステライトによって薬の成分は八割以上中和されていたので、薬物依存やその後遺症は発症しなかった。
初潮を迎えて半月経った頃。初めてナユタと出会い、それと同時期に修一と初めてセックスした。あの薬の成分がちょっとだけ残っていたせいか、性感が常人より敏感だったらしい、初めてだったのに気持ち良かった。
十二歳の頃、修一と共に賞金稼ぎを始めた。最初はあまりうまくいってなかったけど、次第に力を付け、周囲の大人たちに負けないくらいの技量を手に入れた。
そして十三歳の頃。龍牙島でナユタと再会した。敵として。
それからは――
「楽しかったなぁ」
サツキに敗北して、ケイトにとっつかまって、星の都学園に入れさせられて――初めての学校、初めての同性の友達、初めての勉強、初めての都会。
この一年は、本当に楽しかった。だから、この大会であたし自身が叶えたかった願いは、特に無い。
だって、いま死んでも良いくらい、もう充分、楽しんだから。
「よう、ユミ」
傍らのパイプ椅子に修一が腰掛けた。
「いま俺の試合が終わってさ、ユミがここにいるって聞いてすっ飛んできた。いやあ、比較的早めに負けられて良かった」
「……そう」
修一が敗退したというのに、特に何の感慨も無く応じるユミだった。
「……修ちゃん。あたしね、この大会で優勝したら、修ちゃんの願いを叶えてあげようって思ったんだ。でもごめん。勝てなかった」
「気にするな。ちょっと道が遠回りになっただけさ。でも、お前自身は何か欲しいものとか無かったのか?」
「無いよ。だって、いまがとても幸せだから」
「そうだな。俺も幸せだ」
修一がユミの手を握ると、さらに誰かの大きな手が重なった。
いつの間にか、二人の傍にケイトが来ていたのだ。
「先生?」
「ちゃんと見てたよ、ユミちゃんの試合。よく頑張ったね」
「先生がタダで人を褒めるなんて珍しいや」
「タダじゃないさ」
ケイトは修一とユミの頭をそれぞれ同時に撫でた。
「君達がいまを幸せと言ってくれるなら、僕も君達を引き取った甲斐があったよ。ありがとう、僕らの世界に来てくれて」
修一とユミにとって、いまの言葉が幕引きの合図だった。もう、二人は戦争屋として戦う必要は無くなった。これからは、全く別の戦いに身を投じなければならない。
戦争屋の子供二人の戦いは、ここに幕を下ろした。
次からは、大人になる為の戦いが始まるのだ。
●
『お待たせしました! GACS午後の部、Aブロック二回戦! 続く第二試合の出場選手が入場するぞ!』
客席に戻ったのはナユタだけだった。ユミは意識が回復次第こちらに戻るとの事だ。
それにしても、チャービルのキッスだけで気を失うとは。精神が軟弱にも程がある。彼女は攻める時は強気だが、攻められると非常に打たれ弱い。やっぱりまだまだ修行が足りないな。
「次はイチルとエレナさんの試合か。イチルには勝って欲しいなぁ」
「準決勝は楽をしたいと考えているようだな」
心美がふてくされたように言う。
「残念ながら、どっちが上がっても楽は出来んぞ」
「分かってる。でも、やっぱり応援したくなるじゃん」
「お前の将来の嫁だしな」
「そゆ事」
イチルは「いつか産まれるかもしれない自分の子供に、自分やナユタと同じ思いをさせたくない」と言って、ナユタを将来の家族に選んでくれた。
だから、やっぱり彼女には感謝しているのだ。贔屓もしたくなる。
『北コーナー! 因縁の師弟対決は一応の決着を見る形になるのか? その答えはこの試合に託された! 八坂イチル選手の入場――って、およ?』
入場してきた彼女の姿を見て、実況が素っ頓狂な声を上げる。
『なななーんと! 一回戦の時まで伸ばしていた髪を短く切っている!? まるで去年の姿、そのまんまだ!』
『心境の変化でもあったのかしらね? 女の子は失恋すると髪を切るっていうし』
「失恋はしてないぞ」
ナユタが頼まれもしないのに答えた。
「さっきイチルの控室に行って、俺が散髪したんだ」
「何故?」
「エレナさんと対峙するなら、出会った頃と同じ姿で居たいんだと。ほら、イチルがここまで実力を付けられたのもエレナさんのおかげだし」
イチルとエレナの関係は唐突に始まった。エレナが先輩だった八坂ミチルに憧れ、その娘であるイチルと出会ってすぐに個人レッスンで鍛え上げたのだ。
『えー……気を取り直して、南コーナー! 今回の彼女は因縁に好かれているのか、続く第二試合でも因縁のマッチアップだ! 最強のS級バスター、三山エレナ選手!』
エレナは最初から<メインアームズカード>を発動している状態で現れた。つまり、最初からS級バスターの制服を纏っているのだ。
いま思えば、彼女とはハンス同様に短く濃い付き合いだ。
美月アオイの一件から今日に至るまで、彼女には随分と世話や苦労を掛けた気がする。会って一年も経っていないのに、いまは何十年と戦火を共にした戦友とさえ感じてしまう。それにナユタからすれば、エレナは最強のライバルの一人だ。
この対戦カードは、ナユタにとっても因縁の対決なのである。
『ここでこの試合においてのみ採用される限定ルールについて説明させて頂きます』
「? 限定ルール?」
会場がこのアナウンスにざわつき、ナユタら出場選手が座るスペース内の人間も一様にどよめいた。当然ながらナユタも当惑しているし、上司である忠でさえ何も知らない様子だった。
まさか、これも名塚の陰謀か?
『これは決勝トーナメント開始前に彼女から提示された条件です』
エレナから提示された? 名塚が関係していないにしても、何か怪しいぞ?
『<アステルジョーカー>を所有する選手は、彼女と試合を行う時だけ、<アステルジョーカー>の使用が許可されます』
「なにぃぃぃ!?」
大会のルールを大きく覆す、驚愕の提案だった。勿論、観客達も動揺を隠せない。
『なお、このルールを適用した試合において、敗者の異議申し立ては受理しません』
つまり、エレナは<アステルジョーカー>の使い手に敗れても文句は言わないと言っているのだ。
「あの人正気か!? <アステルジョーカー>と正面から闘り合うなんて!」
「あいつの悪い癖だな」
忠が額に手を当てて呻く。
「自らを死地に追いやるような真似をよく平気で……奴は真性のバカだ」
「俺の<インフィニティトリガー>を相手にまだ一勝もした事が無いのに、本当に何考えてんだ?」
エレナの思考回路は常に余人の想像を遥かに上回る。
でも、ここまで行くと、彼女は余人に理解すらされない狂人にしか思えない。
「つーか、イチルの<アステルジョーカー>と本気でかち合うって事は――」
「あたしを舐めてるんですか?」
イチルが嫌悪感を露にして問うが、エレナは何処吹く風と答えた。
「何を勘違いしているのやら。私は自分と当たった<アステルジョーカー>の使い手が誰であろうがどうでもいい」
エレナは見開いた双眸に爛々と闘魂を滾らせる。
「私はただ、敵対する<アステルジョーカー>を全て捻り潰したいだけだ」
「人生ハードモードですね」
「いいや、ルナティックだ」
「うわぁ……」
自分の師匠ながら、頭のネジが何本飛んでいるか分かったものじゃない。
「そういう訳だ、イチル。最初から全力で来い」
「本当に知りませんよ? 負けた後で後悔しても遅いんですからね?」
「構わんさ。そういう契約だ」
エレナが両手の袖から赤い光子の刃を伸ばす。
「さあ来い。いままでの集大成を、この私に見せてみろ!」
「はあ……」
イチルはおおげさにため息を吐くと、<ドライブキー>をセットして、呆れた気分のまま<アステルドライバー>を突き出した。
『それでは、グランドアステルチャンピオンシップAブロック、二回戦第二試合、八坂イチルVS三山エレナの試合を開始します。GET READY!』
「<アステルジョーカー>、アンロック!」
イチルを中心に巨大な光のドームが広がり、一本の巨大な柱となって空を突く。
やがて光の柱が収束すると、イチルの手に、小ぶりな弓が現れる。
「<アステルジョーカーNO.8 第二解放 セイヴァーマーチ>!」
その弓の基本色は赤。弧は青い水晶の刃が備えられている。ぴんと張られた弦は白い光子によって鋭く構成され、デザインは全体的に機械的だった。
第一解放の<ラスターマーチ>との相違点は弓のデザインだけではない。イチルの背後に広がって浮遊する、玩具の兵隊みたいな小さい人型もその一つだ。玩具の兵隊は全て火縄銃みたいな武器を携行している。
この第二解放は<新星人>の最終奥義、<リライト>によって獲得したものだ。<アステルジョーカー>内のブラックボックスと呼べる領域に干渉し、その中身を自分に合わせて改造してやったのだ。
つまりこれは<ラスターマーチ>の正統進化系ではなく、いわば邪道の進化系。
ナユタでさえ知らない、イチルの最終兵器だ。
『GO!』
試合開始。先手はイチルからだ。<流火速>でエレナの背後を取り、既に番えていた光子の矢を発射。狙いは彼女の後頭部だ。
エレナは振り向きもせず、ただ頭を逸らして矢を見送った。
まるで、見切る価値も無いと言われているようだった。
「<セイヴァーアーミー!>」
玩具の兵隊――もとい<セイヴァーアーミー>がイチルの指示を受け、彼女の四方八方を完全包囲。火縄銃での射撃体勢に入る。
発砲。一斉掃射――する前に、<セイヴァーアーミー>が全て破裂した。
「!?」
「言った筈だ。誰が相手でも、関係無いとな」
エレナはようやくこちらに振り向くと、既にイチルの懐に潜り込んでいた。
いま何をした!? ていうか、速過ぎる!
「らあああっ!」
叫び、エレナが右腕を一閃。弓を正眼に構えていなければ危なかったかもしれない。
もし反応が遅れていれば、イチルのHPはいまごろ全損していただろう。
「……っ!」
「防がれたか」
エレナの斬撃を一回凌いだくらいで気を抜いてはならない。何故なら、続けざまに飛んでくる連撃の速さはさっき以上だからだ。
今度は、彼女の左手がイチルの視界から消え失せた。
『見えない! 彼女の斬撃は銃弾よりも速いのか!?』
『最速のS級バスターと呼ばれているだけはありますね』
「速過ぎですよ、あの人!」
おそらくは初めて見たのだろう。絢香がエレナの速力を見て驚嘆する。
「イチルちゃんが防戦一方なんて……ていうか、あの人はいま何をしたんですか? あの兵隊さん達があんな一瞬で……」
「あれが<エアリアル・レイ>の本当の力だ」
ナユタが厳かな面持ちで説明する。
「エレナさんのS級専用<メインアームズカード>、<エアリアル・レイ>。S級バスターのコートの袖から伸ばされたアステライトの刃には重量も空気抵抗も無い。でもその正体はソード型の武装じゃない」
「ソード型じゃない? でも、いまは普通にブレードを伸ばして戦ってるけど?」
「エレナさんが普段好んで使ってる形がブレードってだけで、あのコートから発現するのはブレードだけじゃない。あの手の<メインアームズカード>は無限量産型といって、特定の物質を無限に作り出す特性を持っている」
例えば、同僚のS級バスター、ニーナ・スモレンスキーの<ゲイボルグ>や、ケイトの<黄泉天輪>なんかが代表的な例だ。前者は小さなトゲ付き鉄球を大量に召喚し、後者は同じく大量のチャクラムを召喚する。
だから、この手の武装は物量戦が大の得意だったりする。
「<エアリアル・レイ>が量産するのはアステライトの刃だ。伸縮自在で、しかも好きなサイズで分裂させる事も出来る。いま兵隊を全滅させたのは、コートの表面から全方位に伸びた極細の刃だ」
「袖だけじゃなくて表面からも伸ばせるの!?」
「嘘みたいだろ? でも、事実だ」
喋っている間にもエレナの攻勢は続いていた。完全に間合いに喰いつかれたイチルは、ただ至近距離でエレナの斬撃を<セイヴァーマーチ>とやらで防いでいるだけだ。
<流火速>で飛ぶ暇さえ与えられていないのなら、ただの防戦一方だ。
「あの人だって方舟の上で俺達と一緒に戦った一人だ。空を飛び回る敵への対処もきちんと心得てる。それに、同じ<新星人>のヒナタも圧倒した事があるんだ。いまさらイチルを相手に苦戦はしない」
「でも、あの人はイチルちゃんの師匠なんでしょ? 手合わせした経験だって何度かある筈だし、動きを読んで対処すればどうにかなる筈だよ?」
「ならんだろ」
ナユタはゆっくりと首を横に振って否定した。
「もしイチルの特訓をしている時のあの人が全然本気を出していなかったとしたら? イチルは全速全開のエレナさんを知らないって事になる」
ナユタが言った通り、この速力はイチルにとって想定外だった。
例えるなら亀とチーターの差だ。自分の特訓に付き合ってくれた速力が亀なら、この試合で彼女が発揮する速力はまさしくチーターかそれ以上だ。
「おらおらおらぁ! どうしたどうした!」
エレナが活き活きと挑発してくる。
「<新星人>のスピードはこんなもんか!?」
「……っ!」
喋り返す暇も無い。悔しいが、対応に精一杯だ。
でも、このままやられっぱなしなのは性に合わない。
縦一閃の斬撃が来る。イチルは全神経を集中し、右足の裏をアステライトで爆発させ、大きく横に飛んで斬撃を回避する。
ようやく、次の行動に移る隙が生まれた。
「<クロスカード>・<イングラムクロス>、アンロック!」
癪だが、最終手段を使わせてもらおう。
S級バスター専用の制服を身に纏い、腰の両脇にビームサーベルの柄、太腿に一丁ずつ黒い拳銃を召喚する。
左手に一本だけビームサーベルを携えると、エレナが既にさっきと同じ間合いに入り込んでいた。
右手の弓と、左手のサーベルで剣戟を再開。<イングラムクロス>の補助機能により、どうにかエレナの剣速と真っ向から打ち合いが出来るようになった。
「<バトルカード>・<ブレードランス>、アンロック!」
剣戟の隙間を縫い、ビームサーベルの刃先をエレナに向けると、サーベルのビーム刃が急速で伸びる。これにはさすがのエレナも対応が遅れたらしい、身を強引に横へ反らして回避した。これでまた、離脱の隙が生まれる。
一気に跳躍して、人間の足では決して上がって来れない高さまで到達する。
ここからが、新しい力の本領発揮だ。
「<セイヴァーアーミー>!」
再び自分の周囲に玩具の兵隊を呼び出すと、イチルはビームサーベルを一旦収納して、弓を左手に持ち替える。
右手にアステライトの矢を生成して番え、発射。
同時に、<セイヴァーアーミー>も火縄銃を一斉掃射。銃口から青白い光線が放たれ、エレナに対して降りかかる光の豪雨と化す。
『八坂選手、一斉掃射! 三山選手、走ってかわすも何発か被弾した!』
『空を支配した者の特権ですね。手出しが出来ない側を一方的に打ちのめせる。理想的な戦術です』
状況が逆転し、今度はエレナが防戦一方だ。
いまのうちに押し切ってやる!
「行きますよ、師匠!」
デッキケースから直接カードを抜き出し、カードそのものを矢の形に変異させる。いま使ったカードは<バトルカード>の<ハードボルト>だ。ちなみにこれは第一解放・<ラスターマーチ>の初期能力でもある。
矢を番え、発射。稲妻を帯びた光の矢が真っ直ぐ伸び、エレナの足元に突き刺さる。
すると、突き立った矢を中心として、大波の如く雷撃の波動が広がった。
雷撃がエレナを巻き込み、その動きを止め、彼女のHPを大きく削った。
「まだまだ! <バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」
今度はおよそ半数の<セイヴァーアーミー>の武装を西洋剣に変更。半数の射撃部隊を残し、白い太刀風を纏った剣を振りかざし、四方から彼女を強襲させる。
「……! 舐めるなぁ!」
激昂したエレナが次に起こした行動は、予想外も良いところだった。
袖口から噴き出した赤い光子を推進剤にしたのか、彼女は鋭く飛び上がり、イチルと同じ高さで滞空したのだ。
「そんな!? <エアリアル・レイ>に飛行能力が!?」
「行くぞ!」
エレナが右手の袖からアステライトをジェット噴射し、左手のブレードで斬り掛かってきた。思ったよりもずっと速い。でも右手を飛行能力に裂いている分だけ、地上戦よりかはよっぽど受け太刀も楽だった。
でも、いくら片腕でも、エレナと近接戦闘するのは好ましくない。
イチルは引き続き<セイヴァーアーミー>の射撃部隊に発砲を命じ、残り半数の近接戦闘部隊に突撃を敢行させた。
エレナは両腕でブーストして飛行、すいすいと射撃部隊から伸びた射線を掻い潜り、突撃してくる近接部隊を蹴りであしらうと、真上に飛び、両の袖口を直下に向けた。
「<バトルカード>・<セイバーガトリング>、アンロック!」
袖口から赤い小粒の光弾が勢い良く豪雨となって降り注ぎ、全ての<セイヴァーアーミー>に一発ずつ命中。再び部隊は全滅した。
「そんな……ありえない」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
再びエレナが加速し、真上から高速で降下してきた。
まずい。このままではやられる!
「こうなったら!」
再び弓を右手に持ち替え、弧の刃から夥しい量のアステライトを放射して巨大な光の刃を纏わせる。
一閃。衝突しそうな勢いで来たエレナの胴を、逆に真っ二つに裂いてやった。
でも、それは幻影だった。
「<バトルカード>・<ホロウドール>」
エレナはいつの間にか、イチルの後ろにいた。
「終わりだ」
今度はエレナの横一閃。イチルの胴が、逆に斬り裂かれる。
だが、それも幻影だった。
「こっちだよーん!」
イチルはエレナの真下で、最大威力の矢を番えていた。
発射。だが、エレナは即反応し、真横に加速して回避する。
「ちぇ、外しちゃったか」
「この私に化かし合いで勝つとは。腕を上げたな、イチル!」
「そりゃどうも!」
再び、二人は真っ向からぶつかり合った。
「イチルの奴、ようやくエレナさんの最大速力に慣れたな」
ナユタが腕組みをして偉そうに頷く。
「ふむふむ。さすがは俺のマイハニーだ」
「しかし、進化形態という割にはエレナに全く通じてなかったな」
忠が正当ながら厳しい評価を下す。
「<セイヴァーマーチ>で得た戦闘能力自体は以前の<ラスターマーチ>とは変わっていない。精々攻撃の手数が増えたくらいか」
「<ラスターマーチ>は『光彩の行進曲』、<セイヴァーマーチ>は『救済の行進曲』か」
心美が呟く。
「じゃあ、何を救済する為の<アステルジョーカー>なんだ?」
「見れば分かるだろ」
ナユタは鼻を鳴らして答える。
「イチルの奴、<イングラムクロス>を発動してから何分経った?」
「もう五分以上は――あっ!」
絢香も気付いたらしい。
「<イングラムクロス>がまだ解けてない!」
「そうだ。普通なら三分が限界の筈だけど、あいつは涼しい顔で五分以上も発動を継続している。<セイヴァーマーチ>を発動している間は、<イングラムクロス>の制限時間が実質無制限になるんだ」
「なるほど。<セイヴァーマーチ>は<イングラムクロス>に対する救済措置だったのか。<リライト>が使える八坂君なら、<ラスターマーチ>にそういう改造をしていても決しておかしくはない」
忠も納得する。
「<ラスターマーチ>の戦闘力は正直な話、我々が使うS級バスター専用カードに毛が生えたくらいのものだろう。<セイヴァーマーチ>にしてもそれは同じだ。でも、彼女の意志で自在に性能を変更させられるとしたら、たしかにあれも『星の切り札』と言うべき存在なのかもしれない」
つまり、イチルにとっての本当の切り札は<アステルジョーカー>ではなく、その手助けを受けた<イングラムクロス>の方だ。
「? おい、これを見ろ」
心美が自らの<アステルドライバー>の画面をナユタ達に見せてくる。
「イチルが発動しているカードの名前が変更されている」
「何?」
いま彼女が発動しているのは<セイヴァーマーチ>と<イングラムクロス>の筈だが、実際に見てみると、その両方が発動中のリストから消えていた。
代わりに、こんな名前が表示されている。
「<アステルジョーカーNO.8 ネオステラ・バトルシステム>?」
「これって、イチルちゃんのデッキ名?」
イチルがサツキと共同で組んだデッキの名前、それが『ネオステラ・バトルシステム』だ。イチルが<新星人>としてその力を存分に発揮する為に組まれたデッキなので、サツキがそう命名したのだ。
でも、このデッキだけで、イチルの戦術は完成しなかった。
普段使用している可変型の<メインアームズカード>・<ギミックバスター>、S級バスター専用の<クロスカード>・<イングラムクロス>、そして<アステルジョーカー>・<ラスターマーチ>。そして、このデッキと、イチル自身の<輝操術>。
その全てを組み合わせて、初めてイチルの<アステルジョーカー>は完成する。
<NO.8 ネオステラ・バトルシステム>。
複数種類の武装と能力と技を順序良く使用しなければ本当の力を発揮しない、パズルの<アステルジョーカー>だ。
「<バトルカード>・<ハイドロキャノン>、アンロック!」
右手の弓を消し、太腿の拳銃を一丁ずつ抜き、左右の銃口から泡が混じった水属性のレーザーを発射。エレナに直撃し、彼女を壁際まで追い詰める。
「<ギミックバスター>!」
銃をホルスターに収め、右手に<ギミックバスター・ガンナーモード>を召喚。<輝操術>によってアステライトを帯びた左手を真横から銃身に押し付け、エネルギーを充填。
発砲。黄色く光る大玉がエレナ目掛けて飛ばされる。
エレナは壁を蹴って上に飛び、ブーストして再び飛行、大きくアーチを描いて正面からこちらに飛んできた。
もう近寄る隙は与えない。
「<セイヴァーマーチ>!」
弓を左手に召喚。右手に生成していた矢を番え、
「<シールドアロー>!」
すかさず発射。矢が変形し、イチルの正面に発生した六角形のシールドに、勢い余ったエレナが体当たりする。
「ッ……!?」
「<バトルカード>・<ハードブレイズ>!」
シールドが炎に包まれると、エレナはすかさず後ろに加速した。あのままシールドに張り付いていれば、彼女はすぐにでもこんがり焼き上がっていた。
これが新たな力、<ネオステラ・バトルシステム>の本領だ。
<インフィニティトリガー>や<ドラグーンクロス>みたいに圧倒的な攻撃力が備わっている訳じゃない。<紅月>みたいに一撃必殺の奥義をそう何発も撃てる訳じゃない。<サークル・オブ・セフィラ>ほど、技のバリエーションは多くない。
でも、戦術そのものが<アステルジョーカー>である以上、工夫を凝らせば凝らす程、その成果はより大きなものとなって返ってくる。
いける。これなら、本気の師匠に黒星を付けられる!
「<バトルカード>・<ショットキャノン>、アンロック!」
武装を<ギミックバスター>に切り替え、発砲。より威力が強化された砲弾がエレナに直撃し、彼女の体をVフィールドの天井すれすれまで吹っ飛ばす。
すかさず<セイヴァーマーチ>を召喚。矢を番え、自らの<輝操術>で威力を最大限までチャージする。
この一撃は<ハリケーンオーバー>と同等の威力を誇る。
これで、終わりだ!
「いっけぇええええええええええええええええええええええええええ!」
渾身の思いを込め、発射。
弓を離れ、宙で巨大化した光の波動が、エレナをまるごと呑みこんだ。
手応えアリ。この勝負、あたしの勝ち――
「……え?」
まるで気付かなかった。
いつの間にか、赤く長細い光の槍が、イチルの喉を貫通していたのだ。
「う……そ……?」
「勝ったと確信した奴は自分が罠に嵌められていた事さえ気づかない」
何事も無かったようにイチルの正面に着地したエレナが、ごく普通にこちらへ歩み寄ってきた。
「必殺の一撃を当てる事に夢中で、私が最後に撃った<バトルカード>に全く反応出来なかった。焦燥が視野を狭めたな」
いまイチルの喉に突き刺さっている槍は、<アステルバレット>が持つ固有技、<ステラジャベリン>だ。
まさか、<エアリアル・レイ>は魔法系のカードも使えるというのか?
じゃあ、さっきエレナが飛行していたのは、<エアリアル・レイ>ではなく、<アステルバレット>の力だったのか。
「まだまだ修行が足りん。もう一度、出直してこい」
「……………………」
エレナの厳しい指摘さえ頭に入らない。
いまのイチルは、それくらいに呆然自失となっていた。
『き……決まったぁああああああああああああああああ!』
しばらくの静寂の後、実況がようやくマイクに声を吹き込んだ。
『ウィナー、三山エレナ! 凄い! 本当に<アステルジョーカー>の使い手を相手に勝利してしまったぞ!?』
『最後の最後でとんでもない隠し札をきっちり刺してきましたね。<エアリアル・レイ>のような無限量産型は発動出来る<バトルカード>の種類が非常に豊富なのも魅力的です。最後の<アステルバレット>は、さすがの八坂選手も予想外だったでしょう』
「何て奴だ」
忠がいまさらのように戦慄した。
「たしかにとんでもない女だと分かってはいた。でも、ここまでやる奴だなんて話は聞いた事が無い」
「<アステルジョーカー>を使ったイチルちゃんが完封されるなんて……」
「しかも、あれでまだ余裕を残している」
絢香は勿論、心美も驚愕を隠せない様子だった。
『これで次のAブロック決勝は九条選手と三山選手の一騎打ちに決まりました! 互いに高速戦闘の達人にして最強クラスの戦争屋! これは熱い展開になってきました!』
『九条選手と三山選手は出会った当初から互いを認め合ったライバル同士です。力強い激突が期待されますね』
「三山、エレナ」
呟き、ナユタは悟った。
いまの試合は彼女からの宣戦布告だ。
<アステルジョーカー>だけじゃ、私を潰すにはまだ足りない。それどころか、御影東悟にさえ届かないだろう。
少なくとも、ナユタにはそう聞こえていた。
「……上等だ」
席を立ち、ナユタは拳を固く握る。
「俺だっていまさら尻込みをする気はない。絶対に、勝ってやる」
もう悩むのは止めだ。全ては勝った後で決める。
例え次の相手が、究極の戦士だったとしても。
なんとか気を持ち直してフィールド内を去り、イチルはふらふらと廊下を歩いていた。
その正面には、サツキが佇んでいた。
「……十神君の傍にいてやんなくても良いの?」
「四六時中一緒って訳にもいかないですし」
「いまの試合、見てた?」
「個室内のテレビでね」
「……そう」
それ以上は問答する気も起きず、サツキの横を通り過ぎようとする。
だが、サツキはイチルの正面をとうせんぼした。
「……どいてよ。ぶっちゃけ、いまサツキに合わせる顔なんて無いんだし」
「あなたはよく頑張りましたわ。次はもっと強いデッキを作って、エレナさんにリベンジしてやりましょう」
「ごめん」
今度は、素直に謝った。
「せっかく一緒に<アステルジョーカー>を完成させてくれたのに、あたし、結局無様に負けちゃった。サツキの努力、無駄にしちゃったよ」
「気にしないの。取り返しがつかない事じゃないんですから」
「……ごめん……なさい」
気にするなというのに、イチルはひたすら謝り倒した。
サツキはただ、何も言わず、頭を撫でて慰めてくれた。
第十二話「師弟対決! 八坂イチルVS三山エレナ」 おわり
第十三話に続く




