表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.1 ~アオイ編~
4/46

第三話「BEAST MAY CRY」


   第三話「BEAST MAY CRY」



 アオイが地下の隔離施設に移送されるまで、あと三日。

 ナユタとタケシの二人が睨みを利かせているおかげで、少なくともナユタ達が目に届く範囲でのアオイへの被害は無くなった。だが四六時中一緒という訳にもいかず、彼らの目が届かないところでは、依然として嫌がらせがエスカレートしていく一方なのであった。

 彼女に対するイジメを面白がった他のクラスの男子達も、廊下ですれ違い様に丸めた紙くずを投げてくるのは勿論、酷い時なんかはセクハラじみた事までしてきた挙句、稚拙な罵倒まで繰り返されたという。

 勿論、一回でもアオイにスカートめくりなんざしようもんなら、タケシの容赦無き鉄拳制裁が飛んでくる。そして、アオイを守ろうとしたタケシだけが生徒指導室に呼ばれて、不平等な説教をかまされて帰って来るのである。

 何と言うか、これからの人生に絶望しそうな絵面である。

「都会は悪人に優しいんだな」

 教室の隅で、ナユタは皮肉たっぷりに呟く。

 放課後のこの時間、彼とタケシ、サツキは三人で暗い顔を突き合わせていた。イチルは雑誌の撮影があるから今日は欠席しており、アオイはもう既に寮の部屋に帰ってしまったらしい。

 憔悴しきった様子のタケシがぼやき始めた。

「アオイの胸を触ったり、下半身に突貫かけてきた連中をフルボッコにしたところまでは良かったさ。でも、何故か呼び出し喰らって怒られるのは俺だけ。それがもう五回だ」

「やっぱ暴力に訴えたのが間違いだったって事よ。俺が生まれ育ったところでは、やられたら抱腹が当たり前だった。うちの親父なんて、セントラルへの侵攻を中心に活動していた過激派テロ集団の連中から、テントに火炎瓶投げられた時とかすっげぇ激怒して――」

「で、皆殺しないし再起不能状態にした挙句、裸で磔にしてやって晒し者とか、大方そんなのでしょう? 聞きたくもありませんわ」

 サツキがげっそりとした様子で吐き捨てた。というか、正解ですわ。すげぇ。

「まあ、ここはそんな西の荒野とは違う。暴力を振るった方が悪い」

「あいつらのだってある意味暴力じゃねぇか」

「お前の心境に何があったかは知らんが、派手過ぎるんだよ。廊下を血で汚しやがって。お前が暴れるたびにモップ掛けしてた俺の身にもなれよ」

 ナユタが言った通り、最近のタケシはかなり暴力的だ。ついこの間まで、平和的解決を信条にしていた輩とは思えないくらいに。

 やっぱりアオイへのイジメがエスカレートする度に、彼氏(仮)であるこの男のストレスも、地味に増加しているのであろう。

「もっとクールになれよ。あの時の集団イジメの時みたいによぉ」

「ナユタ。いくらお前でも分かるだろ。お互い好きだって知っちまったから、もう我慢が利かない事だってあるんだって」

「ノロケ話してられるくらいの余裕があるなら、尚更冷静になれや」

 最近の恋人持ちはノロケ話を披露する余裕があるくせして、やれ大変だの、やれ疲れるなど、まるで被害者面して恋バナを展開してきやがる。ナユタにはそれが我慢ならなかった。大変で疲れて困っていると愚痴るぐらいなら別れてしまえば済む話だし、ノロケ話をするぐらい余裕があるのなら、普段からもっとクールに振舞えば良いのだ。

 これだから、最近の恋愛事情は聞いていると嫌になる。

「君達、中坊のクセして、その陰気な面は何だね?」

 不意に聞こえてきた声は、教室の戸口からだった。

 そこには、ついこの間出会ったばかりの、線が細い色白の美人さんが立っていた。ちなみに今回の彼女の服装は、以前みたいな乙女っぽいオシャレ着ではなく、紺色のシャツにライダースジャケット、ぴっちぴちのジーパンと、シンプルかつスタイリッシュにコーディネートされた格好となっている。ぶっちゃけ似合いすぎだろ。

「あ、三山の姐さん」

「言い忘れていたが、私の事は普通にエレナで構わんよ、ナユタ」

 三山エレナが気さくな笑顔を咲かせた途端、教室内にいた他の生徒達がざわめき始めた。

「誰だ、あの美人さん?」

「ばっかお前っ……最強のライセンスバスター、三山エレナだろうがっ」

「マジ!? 実物初めてなんだけど……!」

「綺麗……」

「ていうか、いまナユタって……まさか、九条君とお知り合い……!?」

 やはりイチル同様、かなりの有名人なご様子である。

 エレナは彼らを無視して、ナユタを片手で手招きする。

「そんな事より、君に話がある。ちょっと来てもらえないかね?」

「りょうかいりょうかいー」

 ナユタは片手を上げて応じると、素直にエレナの後に続いて、教室をするーっと去って廊下に出た。教室にはぽかんとした様子のタケシとサツキが置き去りになっていたが、まあどうせ勝手に寮に帰って宿題なりなんなりやり始めるだろう。

 適当に雑談しながら歩いていると、やがて生徒指導室の前に着き、エレナはあらかじめ渡されていた部屋の鍵を使って扉を開け、ナユタと一緒に中へと入っていった。

 後ろ手に扉の鍵を閉めた彼女は、奥のソファーに座るようナユタにすすめ、自身も彼と向かい側のソファーに腰を降ろした。

 小さなガラスのテーブルを挟んでのご対面。

 先に口を開いたのは、やはりエレナだった。

「単刀直入に訊こう。この前のイースト区の件だ。大量の<星獣>が執拗に狙っていたのは、君達が連れていた美月アオイという生徒だな?」

「誤魔化しても無駄っぽいっすね」

「当たり前だ。それに君が話したがらない理由もよく分かってる。あの子、<獣化因子>に寄生されているんだろう? 病院に問い合わせて、ライセンスバスターの権限で聞き出してやった。彼女、もう先は長くないし、助からないんだと」

「…………」

 エレナの発言はそのまま正解だ。

 美月アオイは間もなく死ぬ。これだけはもう変えられない。

「施設に移されようがそうでなかろうが、彼女の末路は決して変えられない。彼女に寄生している<星獣>はかなり厄介な代物でな。小さい体に莫大なアステライトを秘めた怪鳥だ。どんな経緯で取りつかれたのかは知らんが、既に体全体どころか、脳や脊椎にまで<獣化因子>が根付いている状況らしい。このままだと肉体は蝕まれ、影響が脳に到達したその瞬間――」

「抜け殻になる」

 他人から無慈悲な結果を聞かされるよりも、自分で認めた方が楽だと判断し、ナユタは自分から答えた。

 そうだ。アオイに寄生しているのは、彼女の血肉そのものをアステライトに変換するタイプの<星獣>で、見た目には影響は少ないが、実は彼女の体には莫大な量のアステライトが内臓されている。いまの彼女は、アステライトを駆動力にして生命活動を維持しているのだ。

「俺が気付いたのは当然、この間の事件だった。執拗にあの子を狙っているのは分かってたけど、まさかアオイの体に内臓されたアステライトを欲しがってたとはな」

 多分、彼女を狙って現れた<星獣>が現れた時に警報が鳴らなかったのは、アオイ本人からアステライトが広く漏れ出した為に、レーダーを攪乱していたからだろう。木の葉を隠すなら森の中、アステライトの塊を隠すならアステライトの中、だ。

「<星獣>はアステライトのみで体組織を構築する。彼らからすれば良い栄養源さ。それは彼女に寄生した怪鳥も同じ。寄生した対象の肉体をそのままアステライトに変換し、自分の体に取り込む事で成長して羽化する――いまの彼女は、まさに雛の卵も同然だ」

 実際この目で見た事は無いが、彼女の背中に生えているという小さな翼は、決して彼女本人が獣になりかけているという暗示ではなく、もう羽化が始まって、中の鳥が飛び立とうとしている事を意味していたのだ。

 抜け殻になる――得てして妙な表現である。

「羽化が始まってしまった以上、彼女に助かる道はない。だが、得体の知れん鳥として生まれるのを回避する方法はある」

「というと?」

「彼女を<アステルジョーカー>にしてしまう事だ」

「!」

 意外な方法を聞かされ、ナユタが嫌そうに顔を歪めた。

「それって……」

「詳しい事は知らんが、たしか<アステルジョーカー>は専用のブランクカードと人間一人分があれば容易に作れるんだろう? 君が持つそのカードが、誰を材料に作られたカードなのかは聞かないとして……こういう方法も、実はアリと思わないか?」

「アオイを兵器にするのか? タケシが激怒しそうだな」

「法律的には<アステルジョーカー>を作成する条件に、想い人の許可までは含まれていない」

 エレナは冷徹に告げた。

「<アステルジョーカー>を生成する条件は、千年前の日本国にあったとされている『安楽死』の条項を改正したものだ」


 アステルジョーカーの製造においてクリアしなければならない条件の一覧。


  1.患者に死期が切迫していること

  2.患者に耐え難い肉体的苦痛が存在すること

 3.患者が体感している苦痛の除去・緩和が目的であること

  4.患者が意思表示していること

 5.製造に精通した科学者が行うこと。また、医師の立会いを要すること

 6.倫理的妥当な判断、及び方法で行われること


 さらに昨今は<獣化因子>の寄生によって<獣化>する人間が増えた為、右の条件に、

 「7.獣化因子寄生患者の場合、原則6を無視すること」と、「8.患者の意思表示が不可能な場合、他全ての条件を無視して製造を可能とすること」

 という項目を追加する。


「美月アオイが通っている病院に確認を取った。既に8以外の、全ての条件がクリアされてしまったそうだ」

「って事は、1はともかく、2の部分をずっと隠してた事になる」

 患者に耐え難い肉体的苦痛が存在すること。

 考えてみれば、一緒に買い物していた時、彼女に何か体調不良があった様子は無い。きっとその苦痛は病状とは関係の無い、全く別の原因から来る事ものなのだろう。だとすると、他の原因に関しては心当たりがある。

「あんま信じられないが……耐え難い苦痛って、イジメの事だったのか」

 無論、人間関係的な要因が絡んだところで、『安楽死』と同等の扱いである<アステルジョーカー>の製造を病院側が認めないのは明白だ。児童相談所に駆け込めば済む話だからだ。

だが、条件その4――患者本人が意思表示している事までクリアしている以上、アオイ本人に自殺願望があるのは明白だ。そして、学校側がイジメの事実を知った上で看過していたとなれば、それこそ話は別になってくる。

 本来生徒の自殺は推奨されるものではない。だが、政府も病院も学校も結託していたら?

 徐々に自分の中でくすぶっていた疑念が、はっきりと脳裏で像を結び始めた。

「察しがついたか。その通り。政府も病院も学校も、美月アオイを殺処分する気だろうな。しかも、彼女本人もその事を認めている」

 明日の天気を話すように、エレナが天井を仰ぎ見て言った。

「彼女に関しては寄生した怪物がデカ過ぎるんだ。あんなものが羽化したら、私を含めたライセンスバスターが何人掛かっても相手にならんだろう。だから抵抗力が一番弱い時に始末した方が早く済む。学校がイジメの事実を容認しようがしていまいが、近いうちに彼女は死ぬ。だから、殺すに足りうる条件を学校側で作った方が早い」

「イジメはアオイ本人に自殺の意思表示をさせる為か。腐ってやがる」

「イジメはたまたま起こった事だろう。彼らにとっては考える手間も省けて都合が良かったから、何もせず放置したってだけの話だ。勿論、ネグレクトやらDVやらでも良かったのだろうが」

 ふと、傷だらけの机を運んだ時に出くわした桂先生の顔が目に浮かぶ。あれは単にイジメの事実を容認したくないんじゃなくて、見殺しにするぞっていう気の表れだったのだ。

 見て見ぬフリよりもさらに酷い。

 これではただの虐待だ。

「となると、やっぱり藤宮の話も嘘か」

「藤宮教授が? 君に何か言ったのか?」

 エレナが本当に意外そうな顔をした。まさか、ナユタが藤宮と接点を持っていたとは思ってもいないだろう。

「患者の体から<獣化因子>を分離させるって話だ。あれで全ての患者が助かるって」

「他の患者なら分からんが、少なくとも美月アオイを相手にそれは有り得んよ。何せ、彼女は遅かれ早かれ、<アステルジョーカー>と<ビーストカード>に分離するのだからな」

「<ビーストカード>?」

「ああ、説明がまだだったな。藤宮教授が開発したサンプリング用のブランクカードに、<星獣>を量子化して閉じ込めるという代物だ。美月アオイみたいに特殊な性質のモノにも効果はあるらしい。といってもやはり、<アステルジョーカー>と分離しない限りは無理な話だが」

「効果……ねぇ」

 これまた胡散臭い話だ。というかそもそも、藤宮が言っていた大規模隔離は『治療』と称した『実験』だった筈だ。という事は、まだそのサンプリング用のブランクカードの効能を試していない事になる。それではいまいち信用性に欠ける。

 何から何まで分からん事だらけだ。

 そもそもこれは、ただの中学生である自分が踏み込んで良い領分なのだろうか。

「エレナの姐さん。何でアンタは俺にこの事を?」

「君は<獣化>した人間を西区で大量に見ていると聞いたからな。理解はあると思って」

「どこ情報?」

「昔からのツテというか、腐れ縁というか。まあ、色々だ」

「……あんたさては、俺と同じ西の出だな?」

「イエス」

 何かしらシンパシーめいたものを感じたと思ったら、やっぱりか。

 おお、まさかこの街で同郷の人間と巡りあう日が来ようとは。

「出身はカトラス市街だ。カード以外の武器の市場として有名だな」

「俺は最西端のスラム街。名前が無かったから、とりあえず『ファッキンストリート』なんて呼ばれてた。身元証明の時に、出身地の欄にF言葉が書けなくて焦った」

「同じ話はよく聞くな。そこのスラム街はF言葉が天気の挨拶みたいなものらしい」

「路上でパコってる思春期真っ盛りのガキ共が風物詩だった。十一過ぎたらノーチェリー・ノーバージンが当たり前だったからな」

「君はどうかね?」

「親父の監視が厳しくて」

 二人はそれからひとしきり笑った。不謹慎だと思われるかもしれないが、そうでもしてないとお互い精神が持たないからだ。エレナだってあんなに冷徹に話していても、元は二十一歳の女子大生だ。まだ若いし、冷酷に徹する事など難しいだろう。

「ところでナユタ」

「何や」

「いまの話、扉の前で覗き聞きされてたみたいなんだが」

「は?」

 唐突に妙な事を言われ、ナユタの表情が固まった。

「あの……外に漏れないように気を使って、ここまで呼んだんでしょ?」

「単に話しやすいと思ったからここに来ただけだ。別に、聞かれても困らん話だしな」

「…………」

 いや、エレナが言ったように、たしかに困らん話だろうが、いくら脳が足りなくても理解できる内容はどこかしらに散らばっていた筈だ。

 例えば、アオイの寿命とか。

「俺、ちょっと教室に戻ります」

「む? そうか? もう少し地元ネタに花を咲かせても良かったのだが」

「出来れば姐さんも一緒に来てください。何か、嫌な予感がする」

 ナユタがふざけて物を言っている訳でないと悟ったのか、エレナも顔を引き締めて立ち上がり、先に歩き出したナユタに続いて生徒指導室を出た。

 少し歩いて、教室に到着。

 中では残っていたらしい生徒達が中央で集まって、何やら楽しそうに話をしていた。

「げっ……九条!?」

 やがて男子の一人がこちらに気付き、ぎょっと身構え始めた。他の生徒達も同様だ。

「何だ、人の顔見て驚きやがって。気持ち悪い。ていうか、まだ残ってたのか」

「い……いや……」

「何だ? 俺に聞かれたらマズイ話でもしてたのか?」

「それは……ちょっと……なあ、大友」

「は? あたしに話振らないでよ!?」

 いま気付いたが、輪の中心にいたのは大友仁美だった。忘れがちだが、この女が最初にアオイに対して酷い仕打ちをしかけた張本人だ。

 ナユタは可能な限り穏やかな顔で問いかけた。

「ほうほう? 君が何かを企んでいるようだな?」

「怒らないから、私達にも教えたまえよ。面白そうだしな」

 やたら「怒らない」というあたりで強調したエレナも、にっこにこの営業スマイルで迫る。

 二人の迫力に押し負けたのか、仁美が目を逸らして答え始めた。

「その……アオイちゃんの送別会をと……」

「送別会?」

 何の話かと思ってすぐ、あの場で盗み聞きしていたのはやっぱコイツだと判明した。

「ごめん、さっきの話、聞いちゃった……」

「それはいい。で、送別会と? アオイが死ぬから? いままでアイツに酷い仕打ちをしてきたお前が? 不謹慎にも、あんな嬉しそうに?」

「酷い仕打ちをしてきたからこそって、あるじゃない?」

 言うに事欠いて、開き直りやがった。

 やばい。いまこの場でこの女の首から下を裸にひん剥いて磔にしてやろうかという処刑方法が、自分の頭の中で圧倒的勢いを以って可決されつつある。

 多分、エレナも同じ事を考えていたであろう。ちらっとナユタを見て言った。

「なあ、ナユタ。どこをどうしたらこういう輩が育つのだろうな」

「親の教育じゃないっすか?」

「だとしたら、とんだ傑作に出来上がったものだな」

 怒りを通り越して諦めが心情を支配し、二人は揃って彼らに背を向ける。

「あー、失望した。君達の就職先はどこへ行ってもドブさらいだ」

「世の中なんてこんなモンっすよ」

「全くだ」

「え……ちょ……エレナさん、何を……?」

「私の名を呼ぶな、汚らわしい」

 呼び止めようとした仁美を見限ったエレナが、ナユタと共にその場から退散する。二人は廊下を歩きながら、この件について色々打ち合わせた後、職員室へと赴いた。

 用件はたった一つ。

 明日の授業内容の変更、その申し出だった。



   ●


 業者の手配は既に済ませてある。この部屋の家具は近いうちに全て引き払われるし、今後遺留品となる予定の物も既に実家へ送り届けている。Aデバイスもオフラインモードに設定し、タケシ達との電子的な接触を確実に絶っている。

 あとは誰にも気取られないように、この部屋を――この学校を去るだけだ。

「……さようなら」

 アオイは地下の牢獄とも呼ばれるこの部屋で、一人ぽつりと呟いた。

 もうこんな思いはたくさんだ。

 まるで世界そのものが見放したように、いまも昔も人々は私を拒絶してきた。

 何かと私を思いやってくれるタケシ君達の優しさがむしろ辛すぎた。 

 このまま誰にも報いないまま死ぬくらいなら、最後くらいは美談の主人公でありたい。

 傲慢だと罵られても良い。

 人生から逃げ出した臆病者だと、嘲り笑われたとしてもどうでもいい。

「<アステルジョーカー>、アンロック――なんてね」

 アオイは自嘲っぽくナユタの真似をして、手に持っていた三通の手紙を床に置いた。


   ●


 アオイが移送されるまで、あと二日。

 この日は昼食の後、必修科目の<バトル>がある。行う<バトル>の形態については様々で、チーム戦や囮戦術など、プロの戦隊でも使われている基本戦術を教える場合もある。

 だが、今日の授業はこれまでの実戦的なものとは大きく内容が違っていた。

「今日の授業には急遽、特別講師として、ライセンスバスターの三山エレナさんが来ております」

 桂先生が不承不承と言った様子で生徒達に告げる。昨日、ナユタと共に授業内容を強引に捻じ曲げられた事に、大きく不満を持っているのだろう。気持ちは分からんでもない。

 だが、これも身から出た錆だ。甘んじて受け入れてもらおう。

「あー、普段は自分達がカードを使って戦ってばかりでいるとは思うのだが――」

 エレナが適当な調子で、体育座りする生徒達の前に出てきた。

「人の戦いを見るのも立派な勉強だ、と私は思う。そこでだ……九条君。立ちたまえ」

「え? ジャージで勃つのはちょっともっこりしちゃ」

「立て」

「……はい」

 ナユタの悪ふざけも意に介さず、エレナが人を目だけで射殺そうとした。今回ばかりは冗談を言っている場合ではないので、彼も肩を竦めて無言で立ち上がる。

「今日は私と、この私が認めたこの九条ナユタ君の動きを見て、精々勉強してもらう事にしよう。参考にはならんと思うがな」

 いまさっき「人の動きを見るのも勉強」とぬかしておいて、メチャクチャな手のひら返しだ。

 それはさておき、何でいきなり通常の授業にこの内容を捻じ込んできたのか――そんな疑問すら許されない雰囲気である。下手すれば、本当にエレナが視線だけで人を刺してしまうかもしれない。

 立ち上がった視点から、ふとイチル、タケシ、サツキの三人の姿が映る。

 彼らはアオイに死期が迫っている事を知らない。多分、藤宮が何とかしてくれるという可能性に、少なからず縋っている状態だろう。

 ちなみにアオイは欠席だ。話によると、移送の準備をしているのだとか。

 しかし、今日ばかりはアオイがいなくて良かったと思う。

 二人が演習用のフィールドに入ると、エレナからルールの説明が成される。

「今回は時間無制限、使用カードにも制約は無い。それから――」

 彼女はふと、一瞬だけ目を伏せた。

「今回、無痛覚フィールドは作動させない」

「え!?」

「うっそ!」

 他の生徒は勿論、桂先生も顔が真っ青になった。

 無痛覚フィールドを使わない場合、この<バトル>は訓練ではなく本当の殺し合いになる。痛覚やダメージを転嫁させるご都合主義の象徴が働かないという事は、戦う当事者にとっては戦闘中において極限状態を強いられる事と同義だ。

 一対一の、命のやり取り。

 飛んだ首も、流れた血も戻らない、一回限りの大勝負だ。

「ちょっと! いくらあなたでも、その権限までは無いでしょ!? うちの生徒を本気で殺そうとするなら、こっちとしては――」

「その生徒を一人見殺しにしようとした輩が何をぬかすやら」

「っ……!」

 図星を突かれて何も言えなくなった桂先生が、しぶしぶといった様子で引き下がる。

 これで邪魔者は――

「待って! さすがに本気で殺しあうのは駄目だって! ナユタが死んじゃう!」

 ギャラリーの中で、イチルが立ち上がって抗議した。だが、エレナはどこ吹く風といった様子で、飄々と受け流すだけであった。

「君は自分のお友達がそんな簡単に死ぬと思っているのかね?」

「そういう事を言ってるんじゃなくて! 危険だからやめてください!」

「良いんだ、イチル」

 ナユタは落ち着き払った声でイチルを制した。

「大丈夫。ただの殺し合いじゃないし、俺も簡単には死なん」

「でもっ……」

「ちゃんと目的があってやる事だ。俺を信じろ」

 ナユタがそれだけ言うと、何か察しがついたのか、イチルが不安そうな顔をそのままに、しぶしぶ床に腰を降ろしてくれた。

 エレナは穏やかな声で言った。

「なるほど、察しは良いようだ。良い友達に恵まれたのだな」

「でしょ? ま、「何かある」って事しか分かってないんだろうけど」

「いまはそれでいい。では、始めよう」

 エレナがカードを一枚取り出し、

「<メインアームズカード>・<エアリアル・レイ>、アンロック」

 ライセンスバスター専用の、全体的に黒っぽい絵柄のカードを解放すると、彼女は先日見たあの黒いコートを纏い、二つの袖口から赤白い刃をずばっと伸ばしてきた。

 なるほど。あのコートごと、彼女の<メインアームズカード>なのか。

「さあ、九条ナユタ。君の力、見せてもらうぞ」

「あいよ。んじゃ、<アステルジョーカー>・アンロック」

 軽々と返事し、いつも通りにカードの力を発動。自身も青い薄手のフライトジャケット、両手両足のごっついグローブとブーツを装着し終えて、愛用のC級アームズカードを強化した大太刀を右手に召喚する。

 両者共に、戦闘準備万端。

「先生、合図を」

「え……ああ、ええ」

 エレナに指示され、桂先生が冴えない様子で片手を上げ、

「では、三、二、一――」

 対峙する二人が目をすっと細め、腰を落とす。

「始め!」

 開始直後、爽快な破裂音が、このアリーナ中に響き渡る。

 二人が最初に前に駆け出し、互いの剣をぶつけ合い、通り過ぎた後の事だった。

「「……!」」

 柄を握る手に残る痺れを感じつつ、互いに振り返り、ナユタはフルスピードで斬撃を見舞ってくるエレナの剣を捌き始めた。

 速い。鋭い。重い。目が回りそうだ。

 だが、決してついてこれない訳ではない。全力でエレナの猛攻を凌ぎつつ、隙あらばこっちから連撃を与えてやる。

 本気の斬り合いで、両者互角。

 外野は息を飲んで、彼らの戦いぶりを見守っていた。

「どうしたナユタ。顔から余裕が消えているぞ」

「そりゃ、人類最強が相手だからね!」

 冗談じゃない。自分が余裕無いのに、あっちはかなり楽しそうだ。

 何だか、弄ばれている感が半端無い。

 はて……目的というか、この後もこなすべき手順があるのだが、それまでに自分は果たして生き残れるのだろうか。


 イチルは改めて、ナユタの凄さを実感した。

 いつもはヘラヘラしていて、バカな事ばっかり言って、バカな事ばっかりしていて、でも優しくて、温かくて――そんな彼の事が好きな自分は、まだ彼の事を半分も分かっちゃいなかった。

 彼は生まれながらの戦士だ。

 証左は目の前の戦いにある。

「――妙だな」

 横でタケシが、注意深く目を細めて呟いた。

「何が?」

「ナユタの奴、動きがいつもより少し遅い」

「そうなの? あたしには分かんないけど……」

「これだから素人は……」

 サツキにも呆れられてしまった。何故かすっごいイラっときた。

 でも、あたしは戦いに精通している訳ではない。タケシやサツキとは大違いの人種なのだから仕方ない。そう言い訳してないと、ナユタへの理解が全て嘘になる。

 そんなイチルの心境に構わず、サツキが気だるそうに口を開いた。

「私と戦った時と同じくらいの速力で対抗してますわね。サソリの時はもっと早かったですわ」

「って事は手加減してるのか?」

「恐らく」

 二人の分析結果を聞いて、イチルが再び目の前の戦闘に目を戻した――その時。

 エレナが放った回し蹴りが、ナユタの横っつらを薙ぎ払うように直撃した。

「ナユタ!」

 蹴り飛ばされた彼はまさに蹴鞠のように吹っ飛び、地面に墜落する。すかさず追撃をかけようと、エレナが彼のもとへと駆け寄り始めた。

 幸いにもすぐに立ち上がったナユタが構え直す。その後何回か剣の応酬があったのだが、結局はエレナに蹴りを何発も体の各所に叩き込まれ、とうとう戦闘不能の状態にまで追い込まれてしまった。

 倒れるナユタの頭を引っつかんで目の前に持ち上げ、エレナが嘲り笑う。

「何だ、案外歯ごたえが無いな。先日の戦いで見た腕前はまぐれか?」

 などと呼びかけるが、彼はもう受け応えさえ難しい状態だった。

 というか有り体に言って、虫の息だ。

 顔面血まみれで、四肢がだらーんとぶら下がっている。

 暴行を受けた後の死体とは、こういうのを言うのかもしれない。

「ふむ。まだ生きているみたいだな」

 エレナは何でも無いように言うと、彼の体を床に叩きつけ、何発も背中を踏みつけた後、思いっきり腹を蹴っ飛ばして遠くに転がす。

 またも彼の側に歩み寄り、ガンガンと足で彼の体を――

「あの……もう止めても良いんじゃ……?」

「や……やりすぎだって……」

「そうだよ、ていうか、救急車呼ばなきゃ」

「は? 何を言っているのかな?」

 いよいよ気絶して動かなくなったナユタを見て、周りの生徒達が口々に呟いていたが、エレナはまるでとぼけるような口調で言った。

「止めてあげようよ? やりすぎ? おいおい頼むぞ。昨日以上に私を失望させないでくれ。じゃないと、この小僧を本気で殺しちゃうぞ?」

「な……なんで……」

「ん?」

 とうとう耐え切れず、再び立ち上がったイチルが、震える声で問う。

「なんで……そこまで……」

「おお、すまんかった。君には刺激が強すぎたか?」

 悪びれず謝罪を口にする彼女が、まるで別の世界の生き物に見えた。

 ああ、いま分かった。本能的に怖いのだ。この三山エレナという怪物が。

「ナユタが信じろって言ったから動けなかった。でも、これじゃ……」

「これで良いんだよ」

 エレナは場違いなウィンクをすると、再び横たわる彼の体を乱暴に掴み上げ、見せつけるように生徒達に向けて突き出した。

「いま君達は私の暴行を見て、止めてあげようだの、やりすぎだのと言い始めた。だが、これは君達自身が、美月アオイにした事と、差して変わらないのだよ」

「あたし達はそこまでしていなっ――」

「同じだ」

 仁美の抗弁を受け付けず、エレナは断言した。

「同じなんだよ。いま死にかけてるこの少年と同じかそれ以上の痛みを、彼女はずっと、年がら年中、休む間も無く与えられ続けた。それは学校だけの話に留まらず、<獣化因子>に寄生された事で彼女を見放し、死んだら金のなる木として育ててきた家族も、彼女の中に眠る<星獣>に恐怖して、殺処分まで検討しようとした政府の老害ブルドック共も――結局みんな、彼女の心をズタズタの血まみれにした歪な刃と、さして変わらんのだよ」

 次攻撃したら確実に死ぬと分かっていたのか、今度の彼女はナユタをゆっくりと床に横たえ、桂先生に救急車を手配するように指示する。彼女があたふたとAデバイスで救急センターと連絡を取っている間に、エレナは身に纏っていた武装の黒衣を解除し、元のカードに戻す。

「君達が彼女にした事はこの程度じゃ済まされない。理解出来たかね?」

 その問いに答える者は存在しない。

 代わりに、ほぼ全員が青い顔をして俯くだけだった。

「さて……帰ったら始末書とボスの説教だ」

 エレナは伸びをしてから、静まり返る生徒に背を向け、

「今日の授業はこれでおしまいだ。残り時間は好きに使いたまえ」

「待ってください」

 帰ろうとしたエレナをタケシが呼び止める。

「あんた、いまアオイを金のなる木とか、殺処分とか――」

「この場で詳しくは言えんな。訊きたいなら、そこでノびている少年が目を覚ましてからだ」

 エレナは今度こそ、このアリーナから姿を消した。

 その数秒後、イチルはそっとナユタの傍まで歩み寄り、血まみれの顔を見下ろす。

「こんな役割……ナユタが負わなくて良かったのに」

 まだ戦いが互角だったあたりから、イチルにはある程度察しがついていた。

 これはアオイが受けた痛みをクラスメート達に教える為の<バトル>だったのだ。

 何故二人の怪物がこの為に授業を一つ潰したのか――考えればすぐ分かる。

 こうでもしないと、傷を負う者の苦痛など、誰にも分かってもらえないからだ。

「イチルさん」

「何?」

 背後から、サツキが声を掛けてきた。

「じきに救急車が来て、彼を搬送しますわ。私達は着替えて教室に戻りましょう。いまの私達に出来るのは、黙っている事だけですわ」

「……そうだね」

 他の生徒達は反省しなければならないが、少なくともアオイを救おうと奮戦していた自分達に罪は無い。だから何かにしょぼくれる必要も、実は無い。

 やれるだけの事はやったつもりだ。だから、もう何もしない。

 これがいまの自分達に残された、唯一の最善策だった。


   ●


「THE・ミイラ男!」

 ふざけているのかガチなのか、ナユタが全身を包帯ぐるぐる巻きにして現れた時は、教室中が騒然となったものだ。ただでさえ水色の髪が目立つ奴なのに、これ以上目立って何がしたいんだか。いや、彼としても正直、似非ミイラとして舞い戻って来る事自体は不本意だったろうが。

 タケシは始業前の教室で、ナユタの肩を優しく叩いた。

「ま……まあ、あれだ。お気の毒さん」

「最初から覚悟してた事だし、アステライト治療で生活に支障が無いくらいには回復したし、病院でエレナの姐さんが土下座しているというレアなシーンも見れたから、ボコられた甲斐もあったもんよ」

 漠然とだが、何度も上半身をかっくんかっくんさせるエレナに、ナユタが「よきにはからえー」とか言いながら偉そうにふんぞり返っている絵面を想像してしまった。エレナの方は知らんが、ナユタならきっとやりかねない。

「でも、あんな無茶はもうやめてよね」

 イチルが凄く不機嫌そうに言った。昨日、病院にタケシやサツキと一緒に、手当てが終わった彼を迎えに行ったのだが、それからずっとこの調子である。

 まあ、気持ちは分からなくもないが。

「もうあんな痛い思いはしたくないし、しばらくは無茶も控えるさ」

 イチルを安心させる為か、ナユタがそんな事を言った。

「それより……アオイは今日も欠席か」

 立ち並ぶ机の中でいっそう真新しい机を見て、ナユタがぼんやりと呟く。

 アオイがこの学校から例の施設に移送されるまで、あと一日。明日にはもう、彼女とお別れしなければならない。

 昨日、タケシ達はナユタから全てを聞いた。

 アオイがもう助からないという決定事項。彼女に寄生した<星獣>の詳細。彼女を殺そうとする学校側の言い分から、彼女の死によって家族に<獣化>患者専用の特別な保険金が下り、その金が万年遊び呆けているクズ大学生の兄貴の学費に充てられる事まで。

 とにかく、全部だ。

 しかも場所が病院だったので、ナユタをボコった張本人であるエレナも交えての密談である。

 サツキは憤慨していた。けれど、怒り狂ったって何も解決しないと思ったのか、いまのところは何も行動を起こしていない。

 イチルは泣いていた。話が複雑過ぎて、何から悲しんで良いのか分からなかったのだろうが、少なくともアオイの死だけは許容出来なかった筈だ。

 そして、タケシは――

「アオイは……いまどこにいる?」

「分からないですわ」

 話に割って入ったのはサツキだった。いつもならもう少し早く教室にいるのに、今日ばかりは何故か遅れて来たようだ。

「さっき一応、女子寮の彼女の部屋に行こうとしましたが、地下の管理者が私を通してくれなくて。いくら話しても面会さえさせてくれませんでした」

「仕方ないさ。元は問題児用の地下室だ」

 タケシは無感動に答える。

 何故だろう。彼女を失うと前もって分かった瞬間、絶望以外の感情もどっと溢れ出てきたのに、どうしてこうも無感動でいられるのだろう。

 いや、違うな。色々溢れ出てきたからこそ、耐え切れなくてどんな顔をすれば良いのか分からないのだ。

 絶望。怒り。諦観。悲しみ。何でもござれだ。

「なあ。俺が行ったら通してくれたのかな、その管理者って奴は」

「無理矢理押し通れば良いんじゃね?」

 ナユタがまるで当然のように言った。

「何なら、いまから行ってみるかい?」

「いまからなら、行って戻ってきても確実に遅刻だな」

「出席日数がお大事ならそれも良し」

「俺からすれば、はした金程度のモンさ」

「じゃあ、決まりだな」

 とにかく会いたいと思う事に、迷うところは無い。

 せめて――たとえ目の前から彼女が消え行くとしても、せめて少しの間だけは、一緒にいさせてくれてもいいじゃないか。最後くらい、笑ってくれても良いじゃないか。

 アオイにはまだ、笑う時間が残されているのだから。

 四人は頷きあい、教室を飛び出して女子寮へと向かう。男子が女子寮に入る場合は寮母さんの許可を取らなければならないが、今回はその程度の規則を気にしている場合でもないだろう。ちなみに地下の管理者は幸い出払っていたので、地下への侵入は容易だった。

 やがて寮の彼女の部屋まで辿り着く。

 掃除しただけで新調していないのだろう――嫌がらせで傷だらけになり、落書きのインクなどが滲んで色あせたドアを前に、四人は一旦息を落ち着けていた。

 というか、地下階まで嫌がらせの魔の手が伸びていたのか。ここまで来ると、執念めいた不可思議な力がどこかで働いているとしか思えない。

 いや、もうそんな事など瑣末の問題だ。

 最後の一回で良い。とりあえず、学校を抜け出して授業をサボって、それで――

「アオイ。まだ部屋にいるよな?」

 今後の予定について頭の中で何も纏まらないまま、タケシは扉越しに居る筈のアオイに声を掛ける。

「アオイ。いるなら開けてくれ。ていうか、入るぞ? いいのか? 入っちゃうぞ?」

 出来るだけ冗談めかして言ってからドアノブを捻る。

「……? 開いている?」

 普通なら鍵を閉めているところだろうに、何故開いている? いや、開いてるのは良いとして、何故部屋の主はこちらの問いかけに応じない?

 色々疑問に思いつつ、四人は部屋の中に足を踏み入れる。

「……!」

 あたり一面、何も無かった。

 本棚も、ベッドも、タンスも机も、何一つとして。

 強いて挙げるとするなら、部屋の真ん中に、三枚の封筒が並んで落ちているぐらいだ。

「……? これは……」

 ナユタが三枚の封筒を拾い上げ、それぞれに書いてあった文字を確認する。

 六会タケシ君へ。

 九条ナユタ君へ。

 八坂イチルさん・園田サツキさんへ。

 封筒の宛名には、そう書かれていた。

「これ、何ぞ?」

「ていうか、何でアオイが居ないんだ? あいつ、どこへ……」

「調度類まで消えている……いくらなんでも不自然過ぎますわ」

「そういえば、最近ずっとアオイちゃんの姿を見かけてないような……」

 移送は明日の筈だ。なのに、部屋をすっからかんにして、こんな手紙まで置いて、彼女はどこへ行ったのだろうか。

 ナユタは宛名通りの人間に、自分が持っていた手紙を差し出した。

「とりあえず読んでみようぜ。何か分かるかもしれん。プライベートな内容かもしれないから、ばらしたくないならばらさんで良いよ。ただ、重要な情報だけは提示するように」

 細かく指示してから、ナユタが封筒の封を切って中の手紙を取り出す。

 タケシも同じように、手紙を取り出して読み始めた。


 六会タケシ君へ


 このような形で突然の置き手紙をした事、どうかご容赦ください。

 三山エレナさんから昨日、電話でタケシ君達が全てを知った事を伺いました。なので、私に死期が迫っている事は存じていると思います。いまからその前提でお話します。

 ご存知の通り、私は<アステルジョーカー>となります。

 <アステルジョーカー>の生成条件は全てクリアし、そのカードを作る為に必要な『意思の統一』と『適合者の選定』を済ませ、私はこれからセントラルの病院の地下にある『昇華室』と呼ばれる部屋に行きます。そこには人を確実に<アステルジョーカー>に変換する装置が置いてあります。私はそこで最期を迎えます。

 でも、悲しまないでください。私はこれから、私以外に苦しんでいる<獣化>患者を全て救う為に、この身を星の切り札に捧げます。これこそ私がこの星に出来る、最初で最後の抵抗。

 これが、私の出した答えです。

 ですが、私がカードになったところで、使う人がいなければ意味がありません。

 だからその時は、タケシ君。あなたに私の力を使って貰えれば良いなと思ってます。

 私がこの世で一番大好きな、優しいあなたへ。


 この醜い世界に、押し潰されないで。


「何だよ……これ……!」

 手紙を持った手は、震える一方だった。

「これじゃ……まるで……!」

「遺書……だな」

 自分宛ての遺書を読み終えたらしい、ナユタも意気消沈して呟いた。

「タケシ。何か、手がかりになる事は?」

「多分……文章全部だ」

 当然のように愛の告白が刻まれている以外は、実際は超重要な文面を、他のメンバーに全て開示する。

 これを見た三人の反応は、意外にも一致していた。

「はあ? アオイはいま例の隔離施設にいるのか?」

「明日じゃなかったの? 何でいまのタイミングで……?」

「何でも良いですわ。とりあえず、私達も行きましょう」

 色々疑問はあるかもしれないが、たしかにアオイに直接会った方が良い気がする。

 よく分からないが、急がないと手遅れになりそうだ。

「いまタクシーを手配しましたわ。お金は私持ちで」

「さっすがお金持ち。太っ腹」

「茶化してる場合でなくてよ。あと、女性に太っ腹とか言わない!」

 ナユタとサツキが余裕を保つ為に漫才を繰り広げてはいるが、もうそのレベルで気が収まる話ではない。四人はすぐに部屋を出て、外に手配したタクシーに乗り込んだ。


   ●


 <グランドアステル>で一番大きい病院の周辺は騒然としていた。

 警察、軍関係者、更にはライセンスバスター達が慌しく周りを警戒し、びっちりと陣形を組んで配列されている。いや、少数精鋭のライセンスバスターに至っては、思い思いに動く者とそうでない者で別れてはいたが。

 病院の前に辿り着いて早々、顎鬚を薄く生やした偉丈夫の検閲に引っかかった。

「何だお前達は? いまここは、本来学校で授業を受けてる筈のガキ共が来るとこじゃねぇぞ」

「そこを何とか頼みますよー」

 ナユタ(巻いていた包帯はさっき取り除いた)が腰を低くして掌を合わせて懇願するが、やっぱり駄目の一点張りだった。

 やがて男は「ん?」と眉をひそめ、ナユタの顔を凝視し始めた。

「水色の天パー……お前、もしかして九条ナユタか?」

「え? 何で知ってるの?」

「エレナから話は聞いている。それにお前、カンタさんが拾った捨て子の……ほら、覚えてないか? 俺だよ。ハンス・レディーバグだ。一回だけ会った事あんだろ」

 ハンスと名乗った男はぱっと顔を明るくして、懐かしむように話しかけて来るが、ナユタ本人は彼の人相に見覚えが無い。

 だが、いまこの男は「カンタ」と言った。必然、導き出される答えは、一つ。

「あんた、親父の知り合いか?」

「知り合いも何も、カンタさんは西で世話になった先輩だよ。一回だけ、すっごい小さかったお前を連れて来た時はびっくりしたなぁ……。てっきり隠し子かと――」

「やはり来たか、ナユタ」

 何かを言いかけたハンスを押しのけ、エレナが険しい顔で前に出て来た。

「学校をサボって来るとは。君のお父さんもあの世でガッカリしている事だろう」

「そんな事はいい。それより、この騒ぎは何?」

「察するところはあるだろう」

 エレナは広大な面積の上に建つ病院に目を向けて言った。

「いまから<アステルジョーカー>を作るんだ。そりゃ、これぐらいの警備は必要さ。押し込み強盗が、生まれた直後のカードを奪いに来ないとも限らんからな」

「やっぱりアオイはここにいるんだな」

 タケシが焦燥を露わに問う。

「いますぐ俺達をアオイに会わせてくれ!」

「そんな事、誰も許可しな――」

「いいだろう。来るといいさ」

 ハンスが駄目と言おうとしたら、エレナが遮って許可を下した。当然、ハンスは当惑する。

「ちょっと待て、エレナ。いくらなんでもお前にその権限は無いだろう」

「私には無くとも、この六会タケシ君にはあると思うが? 実験は止められないだろうが、せめて最期くらい彼に看取らせてやりたいと思わないか?」

「事情は分かってる。だが、お前がやろうとしている事は立派な規定違反だ。ナユタをボコった時みたいに、始末書程度じゃ済まないぞ」

「俺への暴行は始末書一枚で解決したのか。泣いていい?」

 一般人をボコってその程度とは、政府関係者とは気楽なものである。

「とにかく遅かれ早かれ、タケシ君だけは彼女と対面する事となる。別に構わんだろ」

「っ……ええい、俺は知らんぞ! 俺にだって家庭があるんだからな。娘の学費も妻のエステもパーにしたら、それこそ家庭に居場所がなくなっちまう!」

「妻帯者の悲しい性だな。いいさ。この件は私の独断だけという事にしておこう」

 ライセンスバスター同士の大人の事情が解決したのか、ハンスが髪をくしゃくしゃに掻いて、こちらに背を向けて立ち去った。彼とは積もる話もあったりするのだが、今回は後回しだ。

 エレナはナユタ達に手招きする。

「ついて来い。というか急げ。時間が無い」

 言われた通り、これ以上は無駄口を叩かず、彼らは全力疾走で病院の中へと突入し、目的の部屋を目指す。病院内を走るなと怒られようが、事ここに及んでその説教は無粋である。

 エレナに連れて行かれたのは、病院の地下一階。<昇華室>と呼ばれる部屋だった。

 彼らは大きな扉を手早く開け、中の様子をまず見渡す。

 広く無機質な室内では、白衣の科学者っぽい連中と医者っぽい連中が、壁際に置かれた様々な機械を前にして慌しく蠢いていた。ある者はクリップボードで固定した表にチェックを入れ、ある者は端末に向かって一心不乱に何かの数値を打ち込む作業に徹している。

 中でも一番目を引いたのは、部屋の最奥部にある、カプセル状の巨大な装置である。

 中央の透明なカプセルには、白い死装束を纏って眠っているアオイが収まっていた。

「アオイ!」

 彼女の姿を見つけて早々、タケシがカプセルに飛びつこうとする。

 だが、これ以上の前進は許されなかったようだ。

「ストップだ」

 短く告げて、横からぬっと、藤宮が彼の腕を掴んで動きを引き止めてきた。タケシは血走った目で、邪魔者となった教授を睨みつけて喚き立てる。

「邪魔すんな、離しやがれ! ぶっ飛ばすぞ!」

「邪魔はそっちだろ。これから彼女は星の切り札の一枚となってもらうんだからな」

「勝手な事抜かしてんじゃねぇ! あんた、アオイを助けられるって最初に言ってたじゃねぇか! このペテン野郎! いつかぶっ殺してやる!」

「ああでも言わんと、お前が何をしでかすか分かったもんじゃない。それに彼女から許可は貰ってる。俺は一人の大人として、最良の判断を下しました。はい、おしまい」

「ふざけんじゃねぇ! アオイ、いまそこから出して――」

「もうやめろ」

 見るに耐えなかったので、ナユタも彼を制止しに掛かった。

「話を聞いてなかったのか。アオイは全てを認めた上で――」

「黙れっ!」

 彼は聴く耳を持たないといった様子で、未だに抵抗を続ける。

「アオイ! アオイ! 目を覚ませ! アオイっ!!」

「俺疲れたわ。誰かこいつ押さえつけて」

「はい」

 手が空いていた研究員が無感動に応じて、彼を羽交い絞めにした。入れ替えで自由になった藤宮は、カプセルの前まで歩み寄り、カプセルの下に設置されたコンパネを操作し始める。

「藤宮教授! やめて! まだ彼女とは話したい事が――」

「いやあああああああああああっ!」

 サツキもイチルも藤宮教授を止めようと走り出すが、結果はタケシ同様、二人共別の研究員や医者達に羽交い絞めにされて終わりだった。

 藤宮はコンパネでの作業を終え、その横にあった大きなレバーに手を掛けた。

「んじゃ、始めるぞー」

 腹が立つくらい気だるそうな声で言った途端――

 眠っていたアオイが、カプセルの中で目を覚ました。


   ●


 何で来ちゃったの?

 覚悟を決めてきた筈なのに。

 何でそんなに泣いてるの?

 やめてよ。

 そんなに泣かれたら、決意が鈍っちゃうよ。

 私があなたに引き止めて欲しいと思ったの? 違うよ。全然違うの。私はもう、誰にも止められたくないの。現に一日早くこの施設に来たのだって、消える前にあなたと会ってしまったら、決心が鈍っちゃいそうだからなんだよ? 分からないの?

 それに、早く消えてしまいたかったんだ。

 生きてて辛かった。生き地獄だった。

 親には金の成る木として扱われ、学校でも苦しい思いしかしてこなかった。

 だから、この世を恨んで、呪っていたかった。

 なのに、あなた達に会ったせいで、私は……私は――

「しに……たくない」

 私にきっかけをくれた。

 誰かを助けたい。誰かを護りたいと思うきっかけを、私に与えてしまった。

「本当は……死にたく……ないよ……!」

 怨嗟と愛情の板ばさみで、どうにかなってしまいそうだった。

 矛盾する想いが、どうしようもなく地獄だった。

「あなたが……悪いんだから」

 自分の声が自然と涙声になってしまう事でさえ、もう気には留めなかった。

「私に優しくしたから……私なんかの事を好きになっちゃったから……」

 頬を伝う涙も、己の存在ごと、じきに消えるだろう。だから、もう拭おうとも思わない。

「両想いなんかになっちゃったから……こんなに悲しいんだよ?」

 目の前が青だか緑だか分からない色の光に包まれる。藤宮教授が、この巨大な装置のスイッチを入れたのだ。

 これでいい。

 愛するあなたの傍に寄り添えるなら。

 闇を切り裂く流星の一つになれるなら、もう、それで。

「さようなら。大好きだよ、みんな」


   ●


「アオイィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!」

 タケシの絶叫を無視して、藤宮が装置のレバーを下した。

 カプセル内に収まっていた彼女の体がアステライトの光に包まれ、肉体の外郭が薄れ、


 ――やがて、完全に消失する。


 装置が駆動してから役目を終えるまでに掛かった時間は、およそ十秒。

 完全に彼女の姿が消えると、藤宮はカプセルの左横に設置されたプリンターらしき物体から排出された二枚のカードを取り出し、絵柄を確認する。

「ふむ、成功だな」

 彼の声音はあくまで無感動だった。

 そんな彼の後ろでは、いましがたアオイの消滅を見届けたタケシが、真っ白な顔で呆然としていた。暴れるどころか動く気配さえ無い。

 彼は消え入るような声で呟く。

「あお……い……?」

 挙句に、糸が切れた操り人形のように、どさっと膝をついてしまった。

「そんな……」

「いやー、上手くいったわー」

 ここにいる誰もが笑えない状況の中、藤宮だけが楽しそうな声音を上げた。

「俺も<アステルジョーカー>の作成自体は初めてだからな。これだけ予算をかけてバカデカい装置を作り上げた甲斐があったってもんだ」

 不謹慎にも程があるだなんて言葉が浮かぶより先に、死んだように動かなくなった筈のタケシが突然飛び上がり、<メインアームズカード>を発動し、

「貴様ああああああああああああああああああああああああっ!!」

 一撃で首ごとふっ飛ばさんといった勢いで、藤宮に拳を振り上げる。

 突き出された黒い拳が、藤宮の顔面へと迫る。だがその直前、エレナが首根っこを掴んで彼を床に引き倒し、空いた片手から伸びるビームの刃を首元に添え、一瞬で鎮圧させた。

「……!」

「落ち着け。こんな事をしたって、意味なんて無いだろう……!」

 辛そうな顔のエレナに言われて、彼は顔を激しく歪めた後、ひび割れた声で泣き叫ぶ。

「くっそおおぉおおおぉおぁあああぁあああああぁああぁあああぁあぁあっ!!」

「ああ、騒ぐなやかましい」

「黙れ」

 ナユタが召喚した大太刀の切っ先を藤宮に向けた。彼は反省しなさそうな態度で顔を逸らし、適当に両手を挙げて引き下がっていった。

 扉の近くでは、サツキもイチルも、膝をついてずっと泣いていた。大声で泣こうにも、あまりの惨事に肺がつまって息苦しくて、それどころではないのかもしれない。

 けれど、ナユタは泣くどころか、眉の一つさえも動かなかった。

 西で人の死体なんぞごまんと見ており、生命が断たれる現場も当然のように見届けている彼にとっては、ほとんど天気の挨拶みたいなものだったからだ。

 ああ。自分達もタケシ達のように怒り狂って、泣き喚けていたら、どれだけ楽だっただろう。

「私も人の生き死には嫌という程見てきたつもりだったし、死んだ方が良い人間なんていない、なんてのが妄言だという事も知っているつもりだった」

 エレナがほの暗い声で言った。

「私は正しかったよ。死んだ方が良い人間は、確実に存在する」

「その逆もまた然り――なんだよな」

「当たり前だ」

 彼女はタケシの首に添えていたビーム刃を収納し、茫洋とした瞳を高い天井に向けた。

「彼女は――本当は、生きなければならなかった」

 本当なら言ってはならない事だが、たしかに彼女の論理は正しいと思う。

 じゃなきゃ、文明が高度に発達していた千年前の地球人類の間に、『死刑』なんて制度は存在しなかっただろうから。

 目の前の人の心を持たないクズ科学者も、彼女を苦しめたイジメっ子達も然り。

 彼女を絶望させた全ては、死に絶えるべきだったのだ。

「まだ……何とかなった筈だろ……」

 かすれた声で、タケシが呟いた。

「お前が助けてくれって一回でも言いさえすれば、一緒に戦ってやれたのに……自殺なんて逃げるような真似して、俺が仕方ないと許すとでも思ったのかよ、畜生……!」

 彼女は生きなければならなかった――この言葉は、生きる事から逃げてはいけなかったという意味にも置き換えられる。

 たしかに彼女を死に追いやる程の苦痛を与えた全ては、純然たる悪そのものだ。

 けれど、傷付く事を恐れて、悪と戦おうとせずに無になろうとしたアオイもまた、咎められるべき悪なのかもしれない。

 俺にはもう、何が正しくて、何が間違っているのかが分からない。

 なあ、親父? 俺は、どうすれば良かったんだ?

「……おい、クソ教授。あんたがその手に持ってるカードをこっちによこせ」

 とりあえず動かない事には話が進まない。ナユタは藤宮に詰め寄り、掌を差し出した。

「……一枚は彼女の<アステルジョーカー>で、もう一枚は、彼女の体内に寄生していた<星獣>の<ビーストカード>だ」

「説明ご苦労」

 ナユタは乱暴に彼の手からカードを掻っ攫って振り返り、タケシの前まで歩み寄る。

「タケシ。こいつはお前のものだ」

「……お前はよくこの状況で、こんな事が出来るよな」

「最期を看取るのは慣れてるもんで」

「この死神野郎」

 皮肉のつもりだろうが、タケシの言葉には覇気どころか精力すら無い様に思えた。

 しかし、死神か。言い得て妙な表現だ。

 タケシは立ち上がると、アオイのカードを受け取り、その絵柄を凝視しながら言った。

「なあ、藤宮教授。たしか、<アステルジョーカー>は作った段階で、この世で一人にしか使えないようになってるんだろ? 俺なんかが受け取っていいのかよ?」

「というか、お前専用のカードだからな」

 藤宮はケロリと告げた。

「そもそも<アステルジョーカー>がどうやって生まれるのか、まずそっからだな」

 彼は本来禁煙である筈のこの空間で煙草を一本取り出し、火を点けてめいっぱい煙を吸い込み、腹の立つくらい気持ち良さそうに吐き出した。もうこの男の振る舞いについては諦めてしまった方が早い。

「<アステルジョーカー>の作成は知っての通り、『安楽死』の条項に則って行われる。だが、それだけじゃ九条ナユタが持ってるような強力な力にはなりえない。ここからは法律的な話じゃなく、ごく初歩的な作り方の話になる」

「もったいぶらずに言え」

「はいはい。で、まず作る前に、材料となる人間と、その人間をアステライト化して封じ込める専用のブランクカードが必要となる。そして材料となる人間はカード化する前に、二つの作業を行わなければならない。それが『意思の統一』と『適合者の選定』だ」

 この二つはタケシ宛てに書かれたアオイの遺書にもあった用語だ。

「まず、『意思の統一』。これは自分が<アステルジョーカー>となる際、その能力を自分の頭の中でイメージする作業だ。どこの天才が作り上げたか知らんが、そういう思考を具現化するシステムを、このカードに応用したらしい。で、次が『適合者の選定』。これは読んで字の如し、その<アステルジョーカー>を唯一解放出来る適合者を選ぶ作業だ」

 つまりは材料となる人間が好き勝手に能力を作る事が出来て、その使い手も思うがままに選べるという事だ。

 相手を凍らして一瞬で殺すといった能力を持ったカードを、世界征服を企む悪の大ボスに向けて作る事さえ可能なのだ。

「今回美月アオイが望んだのは当然、自分と同じように<獣化>で苦しむ患者を救う能力だが、その内部構造についても深く設計図が組まれてた。本当に、使わせたい人間にしか使えないような……そんな性質の悪過ぎる恐ろしい力を、美月アオイはある男に託そうとした」

 彼は人指し指を、ゆっくりある一人に向けた。

「六会タケシ。さっき言った通り、美月アオイが選んだ適合者は、お前だ」

「俺が……選ばれた……?」

 これがただの能天気楽な中学生だったら、きっとぬか喜びしていたところだろう。星を揺るがす最強の力を手に入れたのだから。

 けど、タケシの場合は違う。

 大切な人を失って手に入れた力に、喜ぶ人間は居ない。

「しかし、そんな都合良くいくものなのか?」

 エレナが素朴な疑問をして、首を傾げた。

「私は<アステルジョーカー>の事についてはそう詳しくないんだが……そもそもこんなバカでかい装置を使って作るものなのか? じゃあ、ナユタが持ってる<イングラムトリガー>についてはどう説明すれば良い?」

「そのあたりは俺よりやっぱ、そこのガキに訊いた方が早いだろう」

 全員の注目がナユタに集まる。彼は全員の様子を伺い、ため息を一つ吐いた。

「……教授が言った通りだよ」

 事ここに至って、隠し事をする必要も無いだろう。

 これまで嫌がって誰にも話していない事だが、ここで明かすのもやぶさかではない。

「タケシ達には話してなかったな。俺が持ってる<イングラムトリガー>が、誰を犠牲にして作られたカードなのかってのを」

 ナユタはデッキケースから例の物を取り出し、全員の前に掲げて見せた。

「大体想像はつくだろう。このカードは、俺の親父だ」

「…………っ」

「やはりな……死んだとは聞いていたが、そういう話か。くそっ」

 タケシが息を飲み、エレナも悪態をついた。

 そうだ。ナユタは星の都学園入学当初に出会ったタケシやイチルにさえ、自分の父親がどうなったのかをひた隠しにしていたのだ。正確には死んだ事だけは教えているのだが、彼の遺体がどうなったのかについては、実はいままで誰にも教えていない。

 これには勿論、れっきとした理由も存在する。

「普通、言いたくないじゃん。家族の遺骨を持ち歩いてるなんて。たまたまカードって形だから生々しさ半減だけど、結局は遺骨に変わりないんだよ、これは」

 声が自然と暗くなっている事さえ気付かないまま、ナユタは続けた。

「姐さんの質問に答えるよ。たしかに、このカードを作るのにこんなバカデカい装置は必要ない。人一人と、専用のカードがあれば済む話だった。でも、<アステルジョーカー>を生成出来る確率はほぼ二分の一。当然、失敗する事もある。だから多分このデカい装置は、ほぼ九十九パーセントの確率で<アステルジョーカー>の生成を可能にする代物だろう。そうだな?」

 藤宮教授に目を向けると、彼は無言で首肯する。やはり、この機械は確実にアオイを<アステルジョーカー>に変換する装置で、もっと言えば分離した<星獣>も一括でカード化する機能だって内蔵されているのだろう。

「親父は最後に言ってたよ。「強く、強く、ひたすら強く」って。あの野郎が最後までずっと願い続けて、命を賭け金にしてギャンブルに出た。結果、ひたすら強さを追求した、俺の<アステルジョーカー>――<イングラムトリガー>が生まれた」

 ナユタが<アステルジョーカー>使用時に発動する『モノ・トランス』と呼ばれる能力は、カード一枚を彼専用の超強力な戦闘用カードに変換する能力だ。ナユタの父親はきっと、多種多様な武装と純粋な火力だけを追求した、最強の戦闘マシーンを作ろうとしたのだろう。

 いまなら分かる。親父が自分に何を望んでいたのかを。

「タケシ。アオイが<アステルジョーカー>になったからにはきっと、そこには強い想いがあった筈なんだ。俺の力を見てれば、それくらい分かるだろう?」

「……俺にまだ、戦えって言うのか」

「遺書にも書いてあった筈だ。お前は好きな人の最後のお願いを、こんなところでぐずって無駄にする気か? 俺は絶対許さないぞ、そんな事」

 いけない。声が震え始めた。

 でも、大丈夫だ。まだ泣いてはいない。少し腹が立つ程度で済んでいる……と思う。

「俺は自分に何かを願った親父に、あの世で笑われたくないから生きてるんだ。お前だって、あの世でアオイに見限られたくないだろ?」

「そんなの、当たり前だ」

 タケシは強く頷き、アオイのカードをデッキケースに収めた。

 ようやく腹を括ったか。手間をかけさせやがって。

「ナユタ。お前が手に持ってる残り一枚は、お前に持ってて欲しい」

「何故だい?」

「俺がそうするべきだと思ったからだ」

 残り一枚。彼女をいままで蝕み、苦しめ続けた病魔の象徴。

 青い鳥の<ビーストカード>。

「分かった。大切に使わせてもらおう」

「ああ。そんじゃ……」

 二人は藤宮に向き直り、

「「アオイのお願い通りにしてやる。だから、さっさと他の患者達の前まで案内しやがれ、クソ野朗」」

 目一杯の憎しみを込めて、ぞんざいに要求した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ