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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.1 ~アオイ編~
3/46

第二話「初めて見た空の色」

   第二話「初めて見た空の色」



 教室は何故か賑わっていた。それもどうした事だろうか、複数の生徒が一つの机を取り囲むようにして群がっている。

 ナユタは教室に来て早々、タケシやイチルと一緒に首を傾げていた。

「何だ。朝から景気の良い奴らだな」

「あの席、たしかアオイちゃんのところだよね……?」

 人が囲っている為によく見えないが、あそこはイチルが言った通り、アオイの席があったところだったと記憶している。

 はて。今度はどうしたのかね?

 ナユタが遠巻きから目を凝らしていると、タケシが無言でズカズカと歩き始め、人ごみを強引にどかし、アオイの机を確認する。

「……これは」

「ん? どったの?」

 人ごみがどかされたので、ナユタとイチルも便乗して、アオイの机の前に歩み寄った。

 見て早速、ナユタの眉が険しく寄せられた。

「……!」

「ちょ……これっ……」

 イチルも片手で口元を覆って目を剥いた。

 机の上には、真っ白な百合の花が、白磁の花瓶で生けられていた。しかも、花瓶の隣に添えられた質素な写真立てには、アオイのバストアップの写真がモノクロで収まっている。

 もっと酷いのは、机の上に彫られた、雑な彫刻の文字だった。やれ「死ね」だの、やれ「ブサイク」だの。ありとあらゆる罵詈雑言が呪いの様に刻まれた不気味な机上がいま、このクラス全員の衆目に晒されていた。

 酷い。

 戦場の地獄を少なからず経験したナユタから見ても、そうとしか言えない様相だった。

「……っ!」

 ナユタは珍しく目を剥いて、教室の隅でいやらしく笑う女子の一団を見遣る。全員、昨日アオイをトイレに連れ込んで暴行したメンバーだ。

 こいつら、一度ならず二度までも――

「おい、てめぇら……」

「あ……アオイちゃん……」

 ナユタが女子の一団に詰め寄ろうと足を踏み出したのと同じくして、イチルがいつの間にか自分達の傍にいたアオイの名を呼ぶ。ナユタの動きが思わず止まる。

「アオイ……いつの間に」

「…………」

 必然、この惨状はとっくに確認済み。彼女の顔は、当然のように真っ青だった。

「…………っ」

 脱兎、とはこの事を言うのだろうか。彼女は無言で身を翻し、唖然とするナユタ達を置き去りに教室から走り去ってしまった。

 静寂が空間を支配し、凍結させる。

 その均衡を最初に破ったのは、ナユタだった。

「……机を交換してもらおう。タケシ、運ぶの手伝え」

「ああ」

 アオイ本人の次にショックを受けている筈だったタケシは、ただ無感動に応じる。

 机上の献花や写真立てなどを排除すると、痛々しい彫刻が刻まれた机を、ナユタとタケシが二人で運び始める。小柄な人間が一人で運ぶには少し厳しいサイズの机なので、二人掛りで運んだところで大袈裟とは言えまい。

 二人が机と一緒に教室の出入り口を抜けてすぐ、丁度担任の桂先生と出くわす。彼女は二人が運ぶ机に刻まれた痛ましい彫刻文字の数々を見て目を丸くしていたが、すぐに視線を逸らして通り過ぎ、教師用の出入り口から教室に入る。

 何だ、事情の一つも問わないのか。これもまた、見て見ぬフリ、という奴なんだろうか。

 少し腹が立ったので、ナユタは戸口から少しだけ教室内に顔を覗かせ、部屋の中にいた全員に向けて、冷たく言い放った。

「お前ら、いまの人生、楽しいか?」

 彼はそれだけ言って、さっさと備品倉庫へと歩を進めるのであった。


   ●


「背中に翼? マジか」

「アオイも<獣化因子>って奴の寄生患者だ。イジメの原因の半分はこれが占めてる」

「なるほどな……」

 校内のだだっ広い備品倉庫に机を運び終わったナユタとタケシは、そのまま教室に戻る気も起きなかったので、そこらへんの跳び箱や古い椅子に腰掛け、揃って陰気な顔で俯いていた。

「しかし、ここには新しい机も無いのかね。ただのゴミ捨て場じゃないか」

「机を新調する事なんてそうそう無いからな。あるとして、新入生が入ってくる時に、たまに壊れてる机を交換するぐらいだろう」

「でも予備の一個や二個はあるもんじゃ……?」

「探した限りじゃ無かったな」

「あとで他の先生に訊くか。駄目なら桂先生に相談する」

 先程の桂女史の態度を見れば、誰も教師に頼りたいなどとは思わないが、それしか無いというのも事実なのだ。仕方ないと言えば、仕方ない。

「おい、坊主ども。んなところで何してんだ?」

 疲れた顔をしているナユタとタケシに、横からスーツの上に白衣を纏った、三十代くらいの男が声を掛けてきた。どうせ教師の一人なのだろうが、校内は禁煙だというのに咥え煙草をしていたり、髪もナユタ以上にぼさぼさしていて不潔なイメージが漂っているあたり、そうロクな人間ではあるまい。

 しかし、中等部にこんな教師いたか?

「何だ? 揃っていっちょ前にシケた面しやがって。哀愁がパネぇぞ」

「いえ、何でもないっす。それより、新しい机を探してるんですが」

「新しい机?」

「クラスメートの机が一個壊れちゃいまして」

「ああ、それならココじゃなくて、外のゴミ捨て場付近に昨日運ばれてきたものが置いてあった筈だ。ビニールに包まって、納品書の控えも挟まっていたと思うから、新品って事で間違い無いだろう。いまここに運ばれてなかったのは大方、適当な生徒に運ばせるつもりだったんだろう」

「詳しい解説あざーっす」

 ナユタはぞんざいに敬礼してから、踵を返してさっさとこの倉庫から出ようとする。だが、ふと思い立って、またくるっといまの男へと振り返る。

「あのー、よろしければお名前をお聞かせ願えませんかね。一応、世話になった人ですし」

「ん? ああ、俺の名前? 俺は大学部の藤宮だ。教授やってる。よろしく」

「大学部の教授が何故に中等部の棟なんかに?」

「探し物をしに来ただけさ。おら、もう授業始まってるだろ。さっさと行け」

「うぃーっす」

 またも適当に返事して、タケシと一緒に部屋から去ろうとしたところで思い出した。

「……藤宮? どこかで聞いた名前だな」

「ていうか、昨日の事件の主犯じゃね?」

「…………」

「…………」

 ……こいつかっ! 昨日の昼に<星獣>を一匹逃した挙句、大量増殖を許したバカは!

「ん? 何だ坊主共。俺の顔に何かついてっか? ジロジロ見やがって。気色悪い」

「お前か! 昨日の大騒ぎの火元は!」

「俺達一歩間違えれば、あの時<星獣>の餌になってたんだぞ!」

「騒ぐな、やかましい。どうせB級以上の階級保持者が全部仕留めたんだろ? 死人は出てないし、怪我人は全員軽傷程度で数もそう多くない。結果オーライじゃねーか」

「「どこがだっ!」」

 C級の戦闘カードが全く通じない相手を量産した罪は重い。あの時もしナユタが傍で控えてなければ、全員あの<星獣>共のお昼御飯だ。

「大体、何でまだ学校にいるんだよ! 懲戒免職ないし、謹慎処分は喰らってるだろ!?」

「俺様はこの世界の救世主様だからな。現代において、いまの<アステルカード>のスタンダートを作り上げた超天才。そんな偉大なる俺様が、たかが職場権力如きで潰されるとでも? 冗談はよせよ」

 この男の顔に、反省の二文字は無い。

 ツッコミ疲れたナユタは、呆れたような顔を作った。

「……アンタの事情はよーく分かった。けど大学部に行ったって、決してアンタの研究室には入んないからな」

「そいつは困るな。お前の<アステルジョーカー>を使った実験が出来なくなる」

「なっ……!?」

 この男、何故<アステルジョーカー>の事を?

「まあ、驚くのも無理はないか。あまり自分の事は無闇に語ってないみたいだしな」

「どこで知った?」

「昨日の戦闘でな。爆撃されたか何かでメチャクチャに壊されていた中等部の廊下から、高濃度のアステライト反応が検出された。間違いなく、<アステルジョーカー>によるモンだ。で、あの後暇だったんで、学校のデータベースに忍び込んで検索をかけた結果、案の定――九条ナユタ。お前の顔写真と、所持カードが全部載ってたよ」

 隠し通していても、いつかは周囲に知られる事だと思っていたが、まさかこんな形で、しかも一番厄介そうな男に目をつけられるハメになるとは思っても見なかった。

 ナユタは警戒して身を一歩引く。

「もし俺があんたの下についたとして、俺のカードを使って、一体何をするつもりだ?」

「そう警戒するな。悪いようにはしないさ」

「信用できませんな」

「ふむ……第一印象というのは大事なようで」

 藤宮は顎に手を当てて考えるようにしてから、まあいいやと肩を竦めた。

「なら、少しは好意的に見てもらえるよう、俺の方から素敵な情報を君達に差し上げよう」

「情報?」

「特にそこのツンツンボーイは知っておいた方が良い」

「お……俺……?」

 いきなり名指しされたタケシが、自分で自分を指差して目を丸くする。藤宮はそんな彼を一瞥してから、天井を仰いで説明を開始する。

「この一週間後、<獣化因子>に感染した患者が、全区域から一斉に中央病院の地下隔離病棟へと移送される。そこで、『大規模な感染症治療』と称された『実験』が開始される」

「実験……?」

「ああ。<獣化>患者の体から、寄生した<星獣>を分離させる実験さ。彼らには、親族や国、本人の許可のもと、その実験台になってもらう。ちなみに俺はその実験の監督。現場責任者って訳だ」

 そもそも<獣化因子>とは、突然出現した<星獣>が、襲った人間の傷口から体内に入り込む事で寄生して、人の体を文字通り獣化する因子となったモノの事を指す。加えて言う事があるとするなら、寄生した<星獣>は人間の体内で血液と混ざり合う。だから体が獣みたいになるどころか、知脳も獣並みになる場合もある。

 つい数年以上前から流行り出した奇病で、治療法はいまだに確立されていない。

 つまり例えば、美月アオイは不治の病を患っているのも同然なのである。

「ちなみに、この実験には美月アオイも参加する」

 ちょうど彼女の事を考えていたところに、藤宮が彼女の名前を持ち出した。

 二人して、間の抜けた顔をして藤宮を凝視する。

「藤宮教授。アンタもしかして、美月アオイを知ってんの?」

「知ってるもなにも、前から<獣化因子>の検証には、彼女の手を借りていたからな。彼女と同じ症状の患者の体から<星獣>だけを分離させる手法を確立させる為に、彼女は俺の実験に快く手を貸してくれたよ」

「その実験の成果は?」

「ああ。今回の大規模隔離だって、「今度こそ行ける筈だ」って俺が実感したからこそ、国を挙げて開かれる事となったんだ。絶対成功させてやるさ」

「…………」

 ナユタにはどうしても、彼の言う事が信じられないでいた。

 もし彼の実験が本当に信頼性のあるものだとするのなら、とっくにアオイの背中からは<星獣>の翼が消えている筈だ。なのに、何でいまだに彼女の背中には翼が生えたままなんだか。

 同じ事を思ったのか、タケシも顔をしかめて尋ねる。

「美月は本当にそれで助かるんですか?」

「さあな。答えは一週間後、CMの後で」

「そんな適当な――」

「止めとけ。追求したってこいつは何も喋らない。時間の無駄だ」

 ナユタに制止され、タケシが仕方ないといった風に黙り込む。

 藤宮は適当な棚で探し物をしながら言った。

「まあ、彼女が助かるにせよそうでないにせよ、この一週間は彼女にとって実りのある日々にしてやった方が良いと俺は思うがね。聞いたところだとお前ら、アオイちゃんと少なからず親しいようだし、実験前で不安になっているであろう彼女を、このまま放置プレーにしておくなんて酷な話だろうよ」

 言われなくてもそのつもりだ――などと口をついて出そうになるが、ナユタ本人にその自信は無かったし、きっとタケシも同じだろうから、二人は何も言わなかった。

 結局挨拶もしないまま、二人は藤宮を一瞥し、この備品倉庫を立ち去った。


   ●


 この後も、つつがなく授業が進行した。だが、ナユタとタケシだけはそうも行かなかった。

 新しい机をアオイの席まで運んでから授業に途中参加した彼ら二人を、桂先生は「遅刻だ」とか「無断欠席」だとか怒っていたが、アオイの机に関して何もコメントしなかった事実を彼女に突きつけた途端、よく分からん事に大人気なく逆上して、二人揃って何故か教室から追い出されたのは良い思い出である。

 放課後、いつもの三人にサツキも交え、ナユタとタケシが共同で使っている男子寮の部屋に集まる事となった。ナユタとタケシが追い出されている間の、クラス内の様子をイチルとサツキから聞き出す為だ。

「桂先生……どのタイミングでも、アオイちゃんの事、全く話して無かったよ」

「<グランドアステル>を代表するマンモス校ですからね。イジメの事実は容認したく無いんでしょう。きっと、他の教師についても同じように何者かの息が掛かってますわ」

 イチルとサツキの言を受け、ナユタは腕を組んで懊悩していた。

「ひっどい話よのぉ……まるで、イジメられてる奴が悪い、みたいな」

「しかも相手が相手だからな。<スカイアステル>の議員の娘だろ。仕返しと学園生活の終わりが等価だって事さ」

「それだけじゃ無いよ」

 イチルがやたら暗い顔をして言った。全員が彼女を注視する。

「……アオイちゃんのお部屋、前から悪戯されてたらしいんだけど、それが最近更に過激化しちゃってて……扉の前が汚物塗れになってたり、赤いマジックで乱暴に酷い言葉が書かれたビラがべったり貼ってあって」

「イジメの領域超えてるな。それ、もう病気のレベルだぞ」

 揃いも揃って、イジメっ子はお脳が気の毒なのだろうか。

「だとすると、いまアオイはどうしているんだ?」

「地下の……本来は問題児を隔離する為の部屋をあてがわれてる。余程の事が無ければ、普通の生徒は立ち入り禁止なんだって」

「イジメられっ子が問題児扱いで牢獄入り? クソだな」

 自分で言っておいてアレだが、ここまでいまの彼女が置かれた状況を言い表すのに適した言葉は無いな、と思った。

 なるほど、改めて考えてみれば、たしかに牢獄だ。

 彼女はいま、病魔に侵されたまま牢獄の隅で蹲り、あらぬ罪を被せられている。読んで字の如し、被害者と言う訳だ。

 無論、この状況を看過しておける訳が無い。

 特に、タケシなら

「……アオイが一週間後、セントラルで一番デカい病院の隔離施設に移動する。そこで、大規模な<獣化>患者の治療が開始されるそうだ」

 タケシがゆっくりと、俯き加減に告げる。何だか、まるで自分に落ち着けとでも言い聞かせているかのように。

「でも、それでアオイが本当に助かるかどうかなんて分からない。だからこの一週間の間だけ……せめてその期間だけでも、俺はあの子の力になりたいと思ってる」

「ちょっと待ちなさい、六会君。いまの話、私も聞いた事が無いですわ」

「あたしも初めて知った。本当なの?」

 女子二人に疑惑的な目を向けられるタケシだが、彼は物怖じせずに答えた。

「その大規模治療とやらの責任者から直接話を聞いた。アオイはあと一週間で、俺達とお別れする事になるって」

「お別れって……だって、治療でしょ? あの子の<獣化>を治すんだよね? なのに、何でお別れなんて言葉が出て来るのさ。おかしいじゃん!」

「治療っつっても、あくまで実験だ。アオイはその実験台になるんだよ」

「病人を実験台にするというのですか!?」

 サツキが怒ってるのか困ってるのか分からない顔をした。きっと、唐突に告げられた非情な事実に当惑しているのだろう。

「じゃあ、その治療で彼女が助かるかどうかは……」

「全部、藤宮教授次第だ」

「そんな……」

 このルールばかりはもう変えられない。そもそも、たかが一介の中学生に口を挟める案件ではないのだ、これは。

「俺達には待つ事しか出来ないってこった」

「あなたはそれで良いんですか?」

「ぜんっぜん良くねぇ!!」

 サツキの追求で、とうとうタケシがぶち切れた。いままで自分を落ち着かせる為にベラベラとずっと喋り続けていたのだろうが、いまので台無しである。

 タケシはヤケクソで叫んだ。

「ぜんっぜん良くねぇ! アイツがこのまま世の中に絶望したまま死んでいくのも、そもそもあいつが死ぬのも苦しむのも、ぜんっぜん良くねぇ!」

「……ごもっとも」

 ナユタが控えめに頷いた。何故だかいまの自分に、タケシを止められる気がしない。

 タケシは荒れた息を整えて、静かに言った。

「ただ待ってるだけなんて出来ない。でも、俺達には何も出来ない」

「そうかな? 出来る限りって言うんだったら、ちょっとは出来る事ぐらいあるんじゃない?」

「どういう意味だ……?」

「「?」」

 唐突に放たれたイチルの言葉に、タケシのみならず、ナユタとサツキまで頭上に疑問符を浮かべる。この絶望的な状況の中、彼女は何を言い出す気だろか。

 イチルは全員の注目を浴びながら、控えめに口を開いた。

「とにかく……実験とか治療とかじゃ、あたし達にはどうしようもない訳だけど、そんな事より、いまはあの子のメンタル面が危ないと思うの。実験が失敗して危険な目に遭うかもっていう不安もそうだし、いまだって酷いイジメを受けてるじゃない」

「だったらどうするんだ?」

 タケシからの冷たい質問。だが、今度のイチルは臆する事もなく、挑むように告げた。

「患者本人にも希望が無いと駄目な気がするの。だから、あたし達であの子に希望を持たせたい。せめて、実験前の不安だけでも取り除くの」

「藤宮教授も同じ事言ってたな」

 ナユタが記憶の糸を手繰るようにして頷く。

「で、具体的には?」

「デートするのっ!」

「……HA?」

 デート? デートって、あのデートっすか?

 男女がおてて繋いで、イチャイチャしてどっか遊びにいく、あれっすか?

「イチルさん? 何を言っておるのかね?」

「アオイちゃんにとって、もう唯一の希望は、彼女が好きなタケシしかいないのだ! だからタケシ! いますぐあの子の不安を取り除けるようなデートプランを考えて来いっ!」

「さらっと言っちゃいけない事言っちゃったな。タケシ。アオイとお前は両想いだとさ」

「…………マジかよ」

 暗いムードから一転、よく分からん甘酸っぱいオーラがこの部屋に漂い始めた。

 鼻で息をしていれば、柑橘類の香りがしそうだ。

「……ナユタ君。私達は、何の話をしているのでしたっけ?」

 横に寄ってきたサツキが、ナユタの袖をくいくい引っ張りながら尋ねてくる。

 といっても、当惑しているのはナユタも一緒だ。

「いや。俺に言われても」

「美月さんを助けるにはどうすれば良いか……まあ、イチルさんの方法も、メンタルケアの面では間違ってはいないと思うのですが……その……空気が」

「ああ。華やかなおピンク色、香りは柑橘系だ。色と香りが合致しねぇ」

 顔を真っ赤にして興奮するタケシとイチルの様子を眺めつつ、ナユタとサツキは微妙な心境で会話していた。これが中学生のノリなのかと尋ねられても、感性がズレにズレまくったナユタには答えようが無い。

「善は急げ! という訳で今度の日曜日にデート決行じゃいっ!」

「まてイチル! 話を何段飛ばしている!?」

「あ、そうだよね。まず、アオイちゃんを誘うところからだよね」

「あの精神状態でか? バカだろお前。絶対バカだろっ!」

 いや、傍から見れば混乱するほど興奮している時点で、タケシも人の事は言えない。

「しかし、アイデア自体は悪くない」

「でしょでしょ?」

 ナユタが都合の良い事を言うと、イチルが調子に乗り始めた。だが、彼女の意見を肯定してばかりでは、いずれ話そのものが勢いだけで瓦解する。

 はてどうしたものかとナユタが悩んでいると、サツキが助け舟を出してくれた。

「何もデートに限定する事は無いでしょう。私達四人と一緒にお出かけするという事であれば、仮にイジメっ子集団に見つかっても対処のしようはあります」

「「「おお、たしかに」」」

 日夜戦争野郎だったナユタには到底行き着かない発想である。

 イチルも指を顎に当てて、サツキの見事な着眼点に唸っている。

「うむむ……限定的ではあるけど、気を使って二人をイチャイチャさせる事も出来るかもしれない……よし、それで行こう!」

「むしろ、何で私達全員揃って、みんなでお出かけという発想が一番先に出てこなかったのかしら……。そっちの方が問題な気がしますわ」

 サツキが心底不思議そうに自分達の思考能力を疑い始めたのは、見て見ぬフリをした方が良いのだろうか。自分達のオツムの緩さをモロに露呈したくはないし。

「で、問題のアオイちゃんだけど……」

「タケシ。お前、アオイのアドレスとかTEL番くらいは持ってるだろ」

「ああ」

 タケシはあまり気が進まない様子でAデバイスを取り出し、アドレス帳を開いてアオイの番号を表示させる。彼の顔が曇っているのは多分、そっとしておいた方が良い筈の人間に、無理矢理な呼び出しをかけるのを躊躇っているからであろう。

 だが、そんなのは無駄な思い遣りだと思う。ナユタ自身のとある予感が正しいとするなら、遅かれ早かれアオイが辿る末路は一つだけだからだ。

 ナユタが目を細めてタケシの表情を観察していると、彼は渋々といった様子でアオイに電話を掛け始めた。サツキが「念のため、外部スピーカーをオンにしなさい」とかいう指令を彼に下したので、発信に応じればアオイの声はナユタ達にも聞こえるようになっている。

 五回のコールで、アオイがようやく応じた。

『……はい』

「アオイ。俺だ」

『……何か用?』

「今度の日曜日、空いてるか?」

『空いてるけど……何で?』

「ナユタがよー、ウェスト区からここに来たばかりで、セントラルはともかくイースト区の事とか全く知らないらしくてな。だからイチルとサツキも連れて案内してやろうかと思って。一回お前と一緒に行って、回りきれてないところもあったからさ。一緒にどうかなって」

 もっともらしい理由をつけて誘いを掛けるのは良いのだが、その理由に自分の名前を使われるというのも微妙な心境である。ナユタ自身はウェスト区とセントラルしか知らないのだから、別に嘘はついていないのだが。

 アオイは無感動そうな声で言った。

『……いいの?』

「じゃなきゃ誘わないだろうが」

『じゃあ、行く』

 交渉成立。第一段階クリア。

 イチルが声を潜めつつ、小さくガッツポーズするのを尻目に、タケシがその日の行動予定や待ち合わせ場所などを簡潔に伝える。

 これで大丈夫だろう、というところで、タケシは最後の挨拶を添えた。

「じゃあ、そういう事で」

『うん。おやすみなさい』

「ああ。おやすみ」

 タケシは通話を切ると、ふうっと、小さくため息をつく。

「さて……アドリブで勝手に色々決めたが、お前らは大丈夫か?」

「問題無いですわ」

「全然オッケーよー」

「何でも良いからそろそろ寝ようぜ~。気疲れがパネェわ~」

 ごく一般的なリア充的中学生のノリほど、ナユタを気疲れさせるモノは存在しない。これなら<煉獄桃源郷>で売り買いされている麻薬漬けの売春婦に囲まれた方がまだマシだ。まあ、あれはあれで吐き気がする程には酷かったが。

「じゃ、あたしらは帰りますか」

「ですわね」

 女子二人は立ち上がると、それぞれ挨拶して部屋を出る。女子寮まで送っていこうかと思ったが、そもそも男子が女子寮の付近に近寄るだけでも迷惑そのものなので、むしろ彼女ら二人だけで帰ってもらった方が良い。

 部屋には男二人だけ。途端に静かになった空間で、ナユタとタケシはそれぞれ寝仕度を始める。寮の部屋は一つにつき二人の生徒が共同で使っており、この二人の場合、「アステルジョーカーを所有する危険人物を抑える」という名目で、特別に仲良しで一緒の部屋なのである。

 それぞれ反対側の壁際に置かれたベッドの上で就寝に入った二人は、消灯してからずっと無言だった。

 だが、やがてタケシの方から声を掛けられた。

「なあ、ナユタ」

「あん?」

「さっきの話、本当か?」

 というと、タケシとアオイが両想いとかいうアレの事だろう。

 ナユタはあっさり答える。

「本当だよ。実は昨日の夜、イチルから聞いた」

 昨晩、サツキと色々話してから別れた後、イチルから来たメールにそう書かれていたのだ。ついでに言えば、彼女はうっかりアオイにも両想いの件を話してしまったらしい。

 にしても、何て口の軽い奴だ。アオイ一人程度にバラすだけならまだしも、さっきみたいにタケシにもバラすとは。一度ならず二度までもとは、まさにこの事だ。

「なあ、お前らもう付き合っちゃえよ」

 もうめんどくせーから、ナユタは適当な事を言った。

 だが、タケシからの返答は決して適当ではなかった。

「それでイエスって言ってくっつける程、楽なもんじゃなかったらしい」

「というと?」

「イチルから聞いたかどうか知らんが、俺とアオイは学校内じゃ無関係の人間として装ってる。これもアイツの気遣いって奴さ。公に付き合ったりなんかして、俺に迷惑が掛かる事を、アイツは極端に恐れてる」

「イジメと……あと、<獣化因子>か」

「ああ。アイツから全ての問題を拭ってやらん限り、いくら告ったって、例え両想いだろうが、いまのままだと確実にアオイにフラれて終いだ。それでもお前は俺に、告っちゃえよとか付き合っちゃえよとか言えるのか? 言えたとして、俺はどう告れば良い?」

「んー……そうよのぉ……」

 ナユタはしばらく唸りに唸って、ようやく閃いた。

「君のお股をアンロック★ とか」

「それ告白じゃなくてセクハラだからな。ていうかひっどいなお前っ!?」

 あかん。自分で言っておいてアレだが、いまの暴言一つで薄い本が刷れそうな予感がする。

 ちなみに復興したこの地球にも同人誌即売会というものは存在するが、千年前まで開かれていたとかいう伝説の同人イベント・コミックマーケット程の規模はまだ無かったりする。精々、公民館のホールを借りて細々とやっている程度だ。

「お前に訊いた俺が間違いだった」

 タケシが本気で呆れ果てたようだ。仕方ないじゃん。だって、ボクチン恋愛の事なんてわかんないもーん。

「お前はどうしてこう……やめた。訊くのもアホらしい」

「おうおう止めとけ止めとけ。世の中、知らんほうが良い事の方が一杯ある。知恵の実は天の楽園のみぞ育ち、熟れても落ちはせず、全て世は事も無し、だ」

「そんな言い回し、初めて聞いたぞ」

「当たり前だ。俺がいま作った」

 これは単に「知恵とは降ってくるものではなく、積み重ねた己の経験値だ」という、ナユタの養父が日頃掲げていた持論を、ナユタ自身が勝手に文学っぽくしてみただけの文言である。

 我ながら文才があると思わんかね? とドヤ顔してみたかったが、生憎自慢する相手が向かい側のベッドに横たわる無愛想な男しかおらんかったので、やっぱり何もしない事にした。


   ●


 イースト区。星の都学園があるセントラル区から、文字通り東方向にある居住区域である。最東端では娯楽施設や大型のショッピングモールなどがひしめいていたりする反面で、セントラルに近ければ近い程、住宅の密集地帯となっている。この密集地帯がベッドタウンになっており、セントラルを挟んでウェスト区から遮断されているので、恐らくはこの世で最も安全な居住区域として認知されている筈だ。

 五人の少年少女達は、最東端の終着駅を降りて構内から出ると、周囲を田舎者みたいにきょろきょろと見渡し始めた。

「おお……人が一杯おる。セントラルの二倍はおる」

 ナユタが月並みの感想を漏らし、

「こないだ来たばっかなのに、随分久しぶりに感じるな。美月は二回目だったか」

「そうだね、六会君」

 タケシとアオイがいつにも増して穏やかなやり取りをし、

「おいおいタケシィ、アオイちゃーん? 学校じゃないんだから、ファーストネームで呼んじゃっても大丈夫なんですぜぇ?」

 イチルがニヤニヤと楽しそうに二人をからかい、

「揃いも揃って品がありませんわ」

 サツキがそんな一同に呆れていた。

「全く……セントラル在住の私達が田舎者に見られますわ」

「しょうがないよ。人口と活気だけで言えば、全区域でここがトップだもん」

 イチルが呑気に後頭部で両手を組んでコメントする。

「娯楽、生活、教養、労働。それらが一挙に集まった均衡のイースト区。対するセントラルは科学研究所と教育機関、医療施設が密集した職業都市。娯楽施設も無い訳じゃないけど、活気で言えばこの区域の比じゃないよね」

「そういえば、イチルさんは何だか慣れていらっしゃるようで」

「ああ、撮影の為にちょくちょく来てるんだよ。地理だったら大体把握してるから」

 ここからしばらく学業に専念する為に、最近はよく傍にいるから忘れがちだが、イチルは現役のカリスマ雑誌モデルだ。そんな超有名人の彼女なら、ウェスト区以外ならどこでどんな撮影をしていようが、不自然な事は何も無い。

 ナユタは一通り周囲を確認してから、次にイチルの姿を凝視し始めた。

「…………」

「ん? 何かな? そんなに見られると……少し照れる」

 ナユタにガン見されて、顔を赤くして身をよじる彼女ではあったが、彼は決してイチルの可愛さとかスタイルの良さとかに注視していた訳ではない。

 いまの彼女の格好が、どうしても気になってしょうがないのだ。

 というか、ここに来た面子は、何で違和感無く彼女と会話しているのだろう?

「……いまさらだけど、何でグラサンにマスク? その格好で強盗でもしにいくつもりか?」

 ナユタが指摘した通り、いまのイチルはハッチング帽にグラサン、顔の下半分をマスクで隠し、しかも黒い革のロングコートといった、怪しさ満点の装備に身を包んでいた。

 いまの彼女が本当にコンビニなどに入った途端、捕捉直後に即通報されるに違いない。

「イチル。お前よくそれで雑誌モデルやってるな。俺もよくは知らんが、いまの中高生はお前が着ていたモノ=流行のファッションなんだよな。そんなお前がパパラッチされて、その格好が雑誌にでも載ってみろ。<グランドアステル>在住の女子中高生はマフィア一派に早変わりだ」

「普段からこんなアホ丸出しの格好してる訳ないじゃん! あたしだって曲がりなりにも有名人の自覚ぐらいありますぅ!」

「じゃあ何の為に?」

「顔見ただけであたしだってバレたりしたら、お出かけどころじゃなくなるじゃん」

「……ああー」

 例えばあれって八坂イチルじゃね? とか、きゃー、イチルちゃーん! とか、でゅふふふふぶひー! イチルたーん! とかなんとか。そんな感じで、彼女の姿を見て急に集まってくる人間が何人、いや何十人といるか。下手すれば三桁にも及びそうだ。

 だからいまのイチルが纏う凶行じみた服飾は、単なる目くらましなのである。

「それにしたってやり過ぎです。それ全部脱ぎなさい」

「ええええっ!? 全裸になれっていうの!?」

「アホか貴様」

 冷徹に彼女の頭に空手チョップを下してやると、すっごい睨まれた。当然である。

「お前のアホはいまに始まった話じゃない。俺がドン引きしているサツキとアオイに陰で「気にするな。これが八坂イチルというバカだ」って説得するのにどんだけの労力を要したと思ってる?」

「だからって現役モデルにチョップかますバカがあるか! だったら学校から出た時点で突っ込めこのもじゃもじゃ鳥の巣頭!」

「誰がもじゃもじゃアンダーヘアだこのちんちくりん」

「誰がちん●くり●●●だこの――」

 ナユタとイチルの間でセクハラ発言の応酬が始まった。蚊帳の外でアオイとサツキが顔を赤くしていたが、もうこの際は気にしている余裕なんてあるものか。

 横で二人のやり取りを見ていたタケシは、額に手を当てて呻くように言った。

「あぁ……その、何だ。このままここで立ち往生するだけ、時間の無駄だと思うんだが」

「そうだな。タケシ、お前は左な」

「あいよ」

「? 二人共、何を……」

 イチルが首を傾げ始めた時には、ナユタとタケシは彼女の両側を占領し、革の袖に包まれている以外はほっそりとした腕にがっしり組みつき、強引に彼女の体を引き摺り始めた。

「ちょちょちょ……にゃにをぉぉぉぉ!?」

「さっさと服屋に連行して、試着室にブチ込んでやる」

「服の代金は自腹だかんな。身から出た錆って奴だ」

「そ……そんにゃああああああっ! 誰かおたすけえええええええ! あたしいま、思春期真っ盛りのむくつけき男子中学生に人気の無いところに連れ込まれて犯されそうですぅ!」

「本当にそうしてやっても良いんだからな、あぁん!?」

 大体、服屋に連れて行かれるのを拒絶するとか、モデルとしてより以前に、うら若き女子としてどうなのだろうか。そこそこイチルとは付き合いはある方だが、未だにこいつのキャラがよく分からん。女性とは謎の生き物、などとよく言われているようだが、ナユタからすれば八坂イチルという生物の方がよっぽどUMA同然である。これなら件のいじめっ子やサツキなんかの方がよっぽど理解しやすい性格をしていると思わなくもない。

 だが、すぐ後になって彼らは思い知る。

 異常なのが、自分達である事に。


   ●


「サインを! せめて一筆書きで!」

「今度ドラマにも出るんだって!? 早くみたーい!」

「雑誌いつも買ってます! あの、よろしければ――」

 服屋を出てすぐ、この有様である。

 いまや店の前は、空前絶後の人混みで埋め尽くされていた。

「ナユタのバカァ! だから言ったじゃんっ!」

「ぐおおおおっ……! これが人間タイフーンの威力か……!」

「感心している場合か! これじゃあ俺達も動けんぞ!」

「ていうか、店の前でこれでは、まるで営業妨害ですわっ!」

「ぐ……くるちぃ……」

 くそっ! 何故こうなったっ!? 俺達はただ、八坂イチルというごく普通の中学生女子を変態の世界から引き戻してやっただけなのに!

 巨大なモールの第一館の一階にあった手近な洋服屋(いま流行の若者向け衣服のブランド)で、可能な限り手早くイチルの服を選んでから適当に着せて、そのままお会計を済ませて出て来たのが間違いだった。

 イチルは白地にカラフルな線がシンプルに配置された白Tシャツに長い青のロングスカートといったシンプルな服装で店から出た。そこまでは良かった。

 だがその数秒後、一人の同年齢くらいの女子にその姿を目撃され、その子達が放ったざわめきが他の人達に伝播し、後はほとんどその繰り返しという感じで、ここいら周辺にいる人間を全て引き付けてしまったが為に、このような惨状が生み出されている、という訳だ。

 さすがにナユタも、誰かしらイチルの姿を目撃してざわめき立つ事ぐらいは読めていた。だが、彼女を中心に集まった人の数が、あまりにも予想外過ぎた。

 中には困り果てた彼女にAデバイスのレンズを向けている不届き者までいる始末だ。

「おいゴルァ! 見せもんじゃねぇぞっ!! ていうか誰だ、いま俺のケツ触ったの!」

「そ……そーだそーだっ……! きゃ!? む……胸ぇ……!」

「ハイ、いまアオイの胸触った奴出て来ぉぉぉぉぉい! ぶっころぉぉぉぉぉぉぉぉす!」

「こ……ころぉぉっ……ぉぉぉぉぉ……!?」

 アオイもタケシに便乗して小さく声を上げて反論するが、この喧騒でその程度の音量では、当然のようにかき消されてしまうだろう。現に、目一杯凄みを利かせたタケシの声ですら、誰の耳にも届いていないようである。

 とうとう我慢の限界か、サツキがお嬢様らしからぬ声を張り上げる。

「あぁ、もう! 鬱陶しい! どうにかならないの、コレ!?」

「いま考えてる」

 ナユタは冷静に答えて、周囲をまたぐるりと見渡す。

 さすがに店内にいる従業員も動き始めた頃合だ。そろそろこっちから退散しないとまずい。だが、人混みにもまれて身動きのとれないこの状況で、普通の中学生が打てる手はほとんど無いに等しい。

 そう。普通の中学生なら。

「仕方ない。正当防衛って事で、許してもらえますように」

 ナユタは適当に祈ってから、ぎゅうぎゅうの状態でかろうじて、腰のデッキケースから一枚のカードを取り出した。

「四人とも、目を閉じろ! <アステルジョーカー>、アンロック!」

 仲間四人に警告を発してから間断なく、彼が解放のキーワードを唱えた。

 すると、青い閃光がナユタの周囲でバンッと弾ける。突然の発光現象に驚いた野次馬達は、それだけで弾かれるように後ろに倒れる。

 しかも今回は大人数だ。周りの人間が最低一人ずつ倒れてくれれば、後はドミノ倒しの要領で、後続の人間も倒れ始める。

 ナユタの思惑は上手く通ってくれたようで、人混みの喧騒は思い描いた通りに沈黙し、半径五メートル付近には人の海が出来上がっていた。

 変身を終えたナユタは、倒れた人達を見てしきりに頷いた。

「うむ。これで静かになった」

「俺達も巻き込まれたがな……!」

 誰よりも早く復帰したタケシが、頭を片手で抑えながら起き上がる。続いてサツキ、アオイ、イチルの順番で、ふらふらしながら立ち上がった。あらかじめ警告を発していなければ、この四人も人の海に紛れてノびていたところだ。

 瞼の裏さえ焼ける強烈な光で眩暈を起こしたのか、イチルが少し苦しそうに言った。

「これ……倒れた拍子に誰かが怪我したらどーする気だったの……?」

「人の迷惑を考えずに集まった野次馬共が悪い。俺達は普通にお出かけしたいだけだ」

 既に変身を解いていたナユタは、掌に帰ってきたカードを仕舞いながら言った。

「光で気絶した連中の事も知らん」

 自分でも相変わらずと呆れるくらい容赦の無い一言である。

 ちなみに<アステルジョーカー>は発動するだけで、発動時の衝撃は閃光手榴弾と同等の効果がある。そして都合が良い事に、リバース(解放したアステルカードを元の姿に戻す行為)の時はかなり静かで迅速、衝撃も何も無い。

 何にせよ、これで場は静かになった。

「みんなイチルに集中していたから、俺がやった事なんて誰も見ちゃいないさ」

 見ていたとしても、あの衝撃を喰らった直後の事など覚えていないだろう。

「さあ、さっさと他の店いくぞ。今度はアオイとサツキの服だな」

「え? あたし……?」

 アオイが心底不思議そうに、自分で自分を指差す。

 ? 何をそんなに不思議がっているんだ?

「元々はみんなで楽しむ為に来たんだろうが。さ、行くぞ」

「あ……うん」

 何だかぎこちない様子で応じるアオイは、さっさと先行するナユタの後を追った。それからタケシ達も、周囲の唖然とした人達を見てから、同じくナユタ達と並んで歩き出した。

 しかし――これからこの手はあまり使わないようにしよう。今回は<アステルジョーカー>というカードの性質をフル活用して上手く逃げ切れたが、同じ事を繰り返していれば、いずれ何らかの形でバレるに違いない。

 ナユタが次同じ事が起こった時の対処法を考えていると、ふとその足を止めた。

 遠く離れた背後から、誰かの視線を感じたからだ。

「……?」

 振り返り、そして見つける。

 青いワンピースの上に白いカーディガンを羽織った、二十代前半くらいの女性が、遠くから鋭い目つきでこちらを睨んでいるのを。

 格好はともかくとして、少なくともあれは、平和の世界で生きる女性の目ではない。

「……あれは」

「ナユタ、どったの?」

「ん? ああ、さっきからあの人が……」

 尋ねてきたイチルに目を向け、再び視線をさっきの位置に戻す。

 問題の女性は、その場から消えていた。

「? いない……」

「ねぇ、何の話?」

「……何でもない。行こう」

 さっきの人混みで疲れているのだろうか。

 何か釈然としないものを覚えてから、ナユタはまた他の四人と歩き出した。


   ●


 女の子の服選びにはエライ時間が掛かる。

 モテない男でも知っているような常識を、退屈という形で体感する事になろうとは、ナユタとタケシもさすがに思ってすらいないだろう。

 でも、仕方ないのだ。仕方ないと、言い訳しておくとしよう。

 じゃなきゃ、一緒に来たサツキやイチルに何故か申し訳が立たない気がする。

「アオイちゃんは元が可愛いからねぇ……何着せても似合うよねー」

「こっちのフレアスカートもいかがでしょう?」

 若い女性向けの洋服店に入って小一時間、アオイはイチルやサツキに急かされ、試着室と売り場を行ったり来たりしている。盛り上がっているのはあくまでイチルやサツキだけであり、着せ替え人形の如く目まぐるしい扱いを受けているアオイ自身、実は相当疲れている。

「あの……そろそろ決めないと」

「アオイさん? こちらのホットパンツなど、案外イケたりなんかして。あと、このキャップとあのチョーカーなども……」

 サツキがこちらの提案を無視して、色んなものを勧めてくる。その好意自体は有り難いのだが、本当にそろそろ疲れてきたので、いい加減早く決めてしまいたい。

 ちらっと、ナユタと共に暇そうにしているタケシを見遣る。彼はどこに居ても相変わらず無表情で、笑った顔を見た事など滅多に無い。

 あるとするなら、時々優しい目をこちらに向けてくれる時だけだ。

 さっきだってイチルとサツキの勧めで選んだ服を着て、男二人に何回か見せたところ、ナユタは色んな顔をして評価をするのに(大概は変な語句をこねくり回してウケを狙っていた)、一方でタケシは適当な受け答えしかしてくれない。

 このお出かけイベントで彼の人となりをもう少し深く知れたら良いのにと淡い期待を抱いたが、それも儚い希望だったようだ。

 アオイが誰にも気付かれないように嘆息していると、ナユタがぽりぽりとこめかみを掻きながら言った。

「あのさ……そろそろお腹減ったんだけど。ここでご飯にしない?」

 意図していたのかは別として、ようやく助け舟が出た。これでやっと着せ替え人形の責め苦から解放される。

「ええええっ!? まだアオイちゃんに着せたい服あるのにぃ!」

「そうですわ! ナユタ君、もうちょっと辛抱強くないと、男としてですねぇ……」

「説教は結構だが、この店に置いてある服を全部試着させる気か? 日が暮れるどころか、閉店時間までこの店にずっといる訳にもイカンだろ」

 普段はよく分からんボケをかますのに、何故かここでは正論を語るナユタであった。

 彼の落ち着き払った説得に折れたのか、女子二人が渋々といった様子で頷く。

「分かったよぅ……じゃあ、お会計ね」

「私はもう済ませましたわ。アオイさん、行ってらっしゃい」

「あ、はい」

 ようやく終わったかと思った途端、意思に反して声が少し跳ね上がる。彼女は親からあらかじめ渡されていた、中学生が持つにしては結構な額の電子通貨がチャージされたAデバイスを取り出し、セレクトしてもらった服を抱えてレジへと向かう。

 ほどなくしてお会計が終わり、商品が入ったオシャレな紙袋を引っさげ、彼らのもとへと戻ってくる。

「ただいま」

「うむ。じゃあ、メシるか」

「たしか、バイキング形式の大きなレストランでしたわね」

 さくさくと話を進め、少年少女達は店を後にし、目的のレストランへと向かう。

 ナユタ、サツキ、イチルが前に出て何かを話している後ろで、自分はタケシと並んで歩いていた。この場では自分以外気付いていないだろうが、この配列を即興で作ったのは、他ならぬ恋愛マスター(!?)を自称するイチルである。

 だが、いざ並んで歩くと何を話して良いか分からず、結局目も合わせていられなくなる。

 どうしよう。どんな話題を振ろう。

「アオイ」

「は、はいっ!?」

 突然、タケシから素っ気無く声を掛けられ、素っ頓狂な声を上げてしまう。

 彼は無表情のままに言った。

「さすがに着せ替え人形は疲れたか?」

「え?」

「いや、何かいつもより精気が抜けているというか……」

 思いの他、随分と細かいところまで見られていたらしい。その観察眼および評価眼は、さっきの服選びで発揮して欲しかった。

「まあ、イチルのテンションに免疫が無ければ、そうなるだろうな」

「こうやって友達と買い物するのって、慣れてなくて……」

 というか、女友達とお出かけという行為自体、今日が人生初である。

 何故だろう。自分で言ってて悲しくなる。

「だからその……自分がいまこんな事してても、遊んでるって実感が無くて」

「最初からぎこちなかったもんな」

「それ、言わないで欲しいな……」

 いまのは少しグサっと来た。もうちょっとデリカシーというものを要求する。

「でも……楽しいよ。皆、良い人ばっかりで」

「……そっか」

 安堵したように、タケシがこの日初めての笑みを浮かべて――そのレアな表情が一瞬にしていつもの無表情へとリバースする。

 前で談笑していた筈の三人が、ニヤニヤとこちらを見て笑っていたからである。

 揃いも揃って、腹の立つ顔をしていた。

「……あんまり見ないでください」

「ナユタ。お前、後で絶対シメるから」

 アオイが真っ赤な顔を逸らして、タケシが一番腹の立つ顔をしていたナユタに処刑宣告を下したところで、五人は目的のレストランに辿り着いた。


 この巨大な規模を誇ったショッピングモールを一日で遊び尽くすなどといった事が物理的に不可能であるという事をナユタが悟ったのは、バイキングレストランで食休みを終えた頃の事だった。

 元々夕方五時にここを出る予定だったので、時刻が来るまで可能な限り遊びまくっていたのだが、楽しい時間というのはあっという間で、すぐに時計の短針がタイムリミットを指してしまった。

 暮れなずむ空の下、モールを出て駅へと向かうナユタ達の足取りは重かった。

「疲れた……」

「戦場上がりの元兵士が何言ってんだか」

 表情から精気が抜けかけたナユタを横目で見遣り、イチルがつまんなそうに言った。

 だが、ナユタの疲労もごもっともなのである。

「俺はお前達と同い年の中学生男子だ。なのに……何でお前達の保護者役に徹するハメになったのだ? そこから既に分からん」

「大体イチルとサツキに振り回されていたからな」

 タケシが添えたコメントから分かる通り、ナユタはこれまでの間ずっと、はしゃぎまくるイチルとサツキの手綱を引くのに、持ち前の精神力と体力を大幅に消耗していた。あっち行こうよだのこっちに行きましょうだのと急かされまくった挙句、買った商品の荷物運びを押し付けられた時は、両手一杯の荷物を郵送着払いで彼女らの部屋に送りつけて、さっさと一人で帰ってしまおうかなどと、本気で考え始めた程だ。

 しかも、それだけに留まらなかったりもする。

「あの女子二人だけじゃないからね。タケシとアオイがペアを組んで俺一人をエアホッケーでいじめてくれた時は、本当に殺意が湧いたからね?」

「悪かった。今度から顔面直撃は避けてやる」

 と言った次の機会には、喉か股間を狙ってくるんだろうな、この男は。というかそもそもエアホッケーは人体を的にするゲームではなかった筈だ。

 そんなこんなで、ナユタは基本的に振り回され役兼タケシのサンドバック役だった。

「俺、何か悪い事でもしたのかな……」

 本気で腕を組んで悩み始めたところで、微かに何かが割れたような音がした。

「……?」

 ピシッ。ピシピシッ!

「……この感じ、まさか」

 今度は微弱な振動が足裏から脳天へと伝わってくる。

「全員、伏せろっ」

 ナユタより先に、タケシが鋭く叫んだ直後。

 ここから少し離れた広場の地面がいきなり大きくひび割れ、コンクリのタイルをぶち破って青い何かが複数体飛び出してきた。

 言うまでもなく、<星獣>だった。

「おお……今度のはちとデカいな」

 地面に降り立った<星獣>は全て、サソリの体に蟷螂の前足を備えた奇形の虫達だった。しかもサイズは人の五倍は大きい。しかも、数秒ごとに数を増やして、素早くナユタ達の周囲を取り囲んできた。

 周りにいた他の人たちは腰を抜かしたり、カードを抜き出して戦おうとしたりと、対応は様々ではあるが、一様に混乱しているようだった。

 いくらなんでもいきなり過ぎる。<星獣>が出現する時は必ず警報がどこかで鳴る筈なのに、今回は何故か鳴っていない。セントラルにおける突発的な<星獣>の出現は日常茶飯事みたいなものだったので、さして驚く程でもないのだが、それにしたって何かがおかしい。

「うわわわわっ! こいつら、あたし達の事狙ってる!?」

「言われてみれば、全員こちらを向いておられますわね」

 サツキが<メインアームズカード>を発動して剣を召喚し、冷静に周囲を見渡す。

 それにしたって、自分達なんか狙っても得なんて無いだろうに。強いて挙げるなら、イチルとサツキがそれぞれ買った下着とかそんなんだろうか。だとしたら、とんだエロ<星獣>だ。

 いや、いくらなんでもそれは無いな。買いたてホヤホヤの下着より、使用済みのが――って、何を考えてるんだ、俺は。

「何だ? 俺達に何か用か?」

 舐めたような口調でサソリ型の一匹に尋ねてみるが、返答は当然言葉ではなく、尾の先に生えた巨大な針によって行われる。

 ナユタはC級アームズカードの大太刀を召喚し、針をアバウトな動きで弾いてから飛び上がり、いましがた自分を攻撃してきた長い尾を真ん中当たりで切断する。

 さらに地面に降り立つとすぐさま振り返って踏み込み、通り過ぎ様に敵を一刀両断。

 手早く一匹を倒したところで、別のサソリが迫ってくるが、これも余裕で断裁。本格的に敵の群れへと乗り込んでいく。

 背後から<メインアームズカード>の盾で敵の攻撃をガードしているイチルが、喚くようにこちらに質問を投げかけてきた。

「ねぇ! 何で<アステルジョーカー>使わないの!」

「ここで使ったら周辺の人達を巻き込むからな。ほれ、見てみ」

 サソリの包囲網の外では、いままで普通に歩いていた筈の人々が武器を振りかざして戦っている。中にはサツキ同様にA級カードの免許を持っている人達もいたようで、どうにか敵の数を減少させてくれているようだった。

 だが、もしこの状況でナユタが<イングラムトリガー>を使用した場合、この場にいる全員が足手まといとなるだろう。それに決して制御が利かない訳ではないのだが、元々が殲滅兵器という扱いなので、あまり民衆に見せびらかさない方が得策なのである。

「きゃああああああっ!?」

 この叫び声はアオイのものだ。見ると、<星獣>達はこぞって彼女に追い縋るような足取りで迫っていた。

「邪魔っ」

「うぜぇ!」

 タケシとサツキがアオイの前に立って、迫り来る敵を次々と撃破している。サツキはともかく、タケシもC級の武装なのに、よくあのサイズの<星獣>を倒せたものだ。

 これなら、安心して周囲の雑魚共を掃討出来る。

「タケシ、サツキ! お前らはイチルとアオイを頼む!」

「お前はどうする気だ!?」

「決まってる。害虫駆除だ!」

 サソリを一体、また一体と始末するうちに道が開け、周囲の風通しが良くなってきた。しかも他のA級ライセンス所持者による活躍が大きいおかげで、ここいら一帯の敵が全滅するのは時間の問題だろう。

 ナユタは横から来た一体を一撃で叩き斬ると、己の刃を見て少々顔をしかめた。

「ああ……こないだ修理したばっかなのに、もうボロボロじゃん」

 案の定、刃こぼれが酷かった。普通は<星獣>の始末すら難しいC級の武装であれだけ無茶な斬撃を繰り返したのだから、当然と言えば当然だ。そもそもナユタがこうしてC級カードで<星獣>を倒せるのも、単に彼の強引な力技と急所を的確に突く技量に依るところが大きい。

 だが、この刃を使う必要はもう無い。

 他の住民達が大分数を減らしてくれたおかげで、五十体ぐらい居たのが二十体にまで減少している。これなら、後は<アステルジョーカー>の出力を最低限にして戦うだけで、すぐにその二十体も安全かつ迅速に片付けられるだろう。

 ナユタが大太刀をカードに戻し、<アステルジョーカー>をデッキケースから取り出す。

 そこで、酷い金切り声が耳に飛び込んできた。

「おかああさああああんっ!」

「!」

 ナユタから少し離れた位置で、幼い女の子が一人、地べたに座り込んで泣き喚いていた。彼女の手前には、背中を切り裂かれた一人の女性が横たわっている。

 あれがおそらく、あの子の母親だろう。

「っ……まずいっ!」

 いつの間にか、女の子の背後に降り立っていたサソリの一体が、彼女達目掛けて大鎌のような前足を振り上げていた。しかもぞっとする事に、女の子は泣き喚いてばかりで、背後の敵に全く気付いていない。

 こいつら、アオイを狙ってたんじゃないのか? いや、<星獣>は本来、人を見つけたらとりあえず襲い掛かる習性があるから、手近にいた人間を襲う事に不思議は無い。

 いや、いまはそんな事より!

「危ないっ!!」

 この時ばかりはいつもの余裕など、どこへなりとも消えてしまっていた。ナユタは<アステルジョーカー>を発動しながら走り、変身を終えたところで前のめりに飛んだ。

「モノ・トランス=<ブースト>!」

 カード一枚の消費で一定時間高速移動が可能な技を使用――サソリが前足を振り下ろす――ナユタの体が、彼女達とサソリの間に挟まった。

 けれど、ここから怪我人の大人と小さい子供を抱えて、刃を回避して遠くに回避する事など不可能だ。だからといって、あと一秒で刃が自分に触れそうになるこの瞬間、別のトランスを発動させている余裕は無い。

 しかも、受身を取る暇も無い。

 この一撃で、本当に死ぬ。

 ナユタが死を覚悟して、目を硬く閉じた、その時。

「ふっ!」

 聞こえてきたのは短い気勢と、風が吹く音だけ。

 自分の肉が裂かれ、骨が砕かれた音ではなかった。

「……? 生きてる……?」

「当たり前だ。私が助けたのだからな」

 瞼を上げて見えた景色に、衝撃的過ぎて言葉を失ってしまった。

 いましがたナユタを殺そうとした<星獣>が、でたらめなブロック状に切り崩されて残骸となっていた――そこまでは、何となく良いとしよう。

 問題は、事もあろうに、その死骸の上で尊大にふんぞり返っている女性の存在だった。

「あんた……あの時の……!」

 ナユタはついさっき、この女性の姿を確認していた。

 といっても先程みたいに、着ていた服はおしゃれなワンピースとカーディガンではなく、軍隊が着ていそうでそうでないような、黒地に赤いラインが入ったロングコートだった。

 異様に広く、手が隠れるくらい微妙に長い両の袖口からは、長細くて赤白い光の刃が一本ずつ突き出している。

 歴史の授業で聞いた事がある。あれが千年以上前に流行っていたSF映画に登場していた、いわゆる『ライトセイバー』って奴だ!

「ふむ? 何をじろじろ見ている? 私が美人だからって、そんなに見つめられると少し照れる。あ、もしかしてあれか? 君は年上が好みなのか?」

 たしかにスレンダーで背が高く、色白でラインが細い美人さんではあるのだが、口を開いたらこの調子か。まるでイチルが大人になった時のシミュレーションを見ている気分だ。

 何でこう、自分の周りに現れる女共は……いいや、いまは止めとこう。

「あ、そうだ! 救急車! いまここに怪我して倒れている人が……」

「もうとっくに呼んだよ。あちらこちらで怪我人が続出している。加えて、同じタイプの<星獣>が増殖しつつある。見たまえ」

 ライトセイバーの女は、刃の先をあたり一面に向けながら言った。

「見ての通り、何故か地面から湧いて出てきている。しかも、揃って同じ方向へと向かっている」

 ナユタが彼女の剣尖に倣って視線を動かすと、自然といまだサソリと交戦中のタケシ達が視界に入った。次から次へと現れては迫る敵を、サツキが中心となって排除しているのだが、さすがのサツキも疲労が顔に出てきている。

 ナユタは彼らの様子を見て、蒼白な顔をして叫んだ。

「タケシ! サツキ! 早くそこから逃げろ!」

「逃げられたら苦労しねぇよ! さっさと助けに来いや!」

 見ての通り、離れようにも彼らの周りには包囲網が完成しており、そうそう簡単には抜け出せないようだ。これはいよいよ、本格的にヤバくなってきた。

 女は焦るナユタの姿を、あくまで呑気な目で見下ろして言った。

「あれは君の友達か? まあいい。じきに私の仲間が来て、増殖を抑える何らかの処置が打たれる。それまでに、私達であの雑魚共を掃討するぞ」

 彼女はようやく残骸から降りると、ナユタの横に並んで、首をこきっと鳴らしてみせた。

「私は三山エレナ。政府公認の<ライセンスバスター>だ」

 ライセンスバスター。<星獣>を狩る事で生計を立てる、Aランクの階級保持者の中でも更に上を行く<星獣>狩りの専門家だ。その中でも更に上を行くS級バスターなる精鋭達の総数は、たった十三人と聞く。

 エレナと名乗った女性は、こっちを見ないままに尋ねる。

「君は?」

「九条ナユタ。星の都学園中等部一年だ」

「ふむ、ナユタか。良い名前だな」

 彼女は薄い唇の線をふっと緩めてから、眼前に広がる敵の数々を再補足する。

 ナユタも落ち着きを取り戻し、モノ・トランスで片手に大太刀を召喚する。

「人の肝を散々冷やしてくれたんだ。代償は払って貰うぜ、この虫野郎」

「では、行くぞ少年」

「ごー、あへーっど」

 二人は示し合わしたかのように駆け出し、まずタケシ達の半径十メートル以内にいた敵を、瞬く間も無い程のスピードで斬り裂いて消し飛ばす。

 群れの第二波が来る。同じように、さっさと消し炭に変える。

 己も激しく動く中、ナユタはエレナをちらっと見遣る。

 彼女は両手から伸びた光の刃で一体、また一体と斬り捌いては、すらりとした見た目以上のしなやかさと速力、体捌きで次の標的へと飛び掛り、残像の残る速さで敵の数を鮮やかかつリズミカルに減らしていく。

 三山エレナと言ったか。恐らく、<アステルジョーカー>を振りかざす自分でさえも凌駕しかねない程の、圧倒的高次元の実力を持ち合わせている。

 サシでやり合ったら、絶対に勝てない。

 ナユタは内心で彼女の腕前を賞賛しつつ、彼女のテンポに合わせるようにして、久しぶりの全力を以って敵の掃討に当たった。


 二人の戦いぶりは、サツキの目から見れば異常そのものだった。

 彼らは初対面の筈なのに、ひょんな事で遭遇し、成り行きで共闘し(ライセンスバスターという立場上、一般市民のナユタには避難するように言わなければならないのだが)、示し合わせたかのように戦場を駆け回り、こうして倒した数を競い合うかのように、先程まで自分達がてこずっていたサソリの軍団を殲滅しに掛かっている。

 A級の階級保持者だと上から目線でモノを語っていた自分が恥ずかしい。

 例えるならそう、あの二人は――

「……化け物ですわ」

 ナユタと息を合わせて戦うあの女バスターは、国民的アイドルであるイチル並に有名な、人類最強のライセンスバスター・三山エレナだ。この地球人類にとって、いま彼女の存在はまさにヒーローそのものなのである。

 そんな彼女が、同程度の実力を持つ<アステルジョーカー>の使い手とタッグを組んだ。

 この組み合わせに勝てる人類は、この世には何一つとして存在しまい。

「モノ・トランス=<デスサイス>!」

「<バトルカード>・<セイバーガトリング>、アンロック!」

 ナユタが青い光沢を放つ大鎌を召喚し、回転しながら周囲の敵を一気に薙ぎ払い、エレナが広くて深い袖口から無数の小さい光弾をばら撒いて軍勢を掃討したところで、勝負は決した。

 いまやこの広場には、生きた<星獣>は存在しなかった。


   ●


「……ふぅ。終わった終わった」

「案外あっけなかったな」

 やがて遅れてやってきた救急車が数台この場に停まり、重傷の怪我人を最優先とした搬送作業を開始した。さらに遅れて到着した警察も、何故か真っ先に奴らに襲われていたタケシ達に事情聴取を始め、警察と一緒にやってきたライセンスバスターが数人程度、よく分からん機材を使って何かの調査に取り掛かっていた。

「ほれ」

 頬に冷たい缶をぴとっと当てられ、つい身が竦んでしまう。犯人はエレナだった。

「可愛い奴め」

「俺をからかっても面白い事なんて何も無いですぜ」

「ちぇ」

 拗ねたように唇を尖らせたエレナから缶を掻っ攫い、プルタブを空け、勝利の美酒ならぬコーヒーで喉を潤したナユタは、彼女に聞いてみたい事の一つを示してみた。

「三山の姐さん。アンタ、俺が持ってる<アステルジョーカー>の事、知ってたのか」

「いいや、あれがまさか<アステルジョーカー>だとは思わなかった。ただ、君をさっきの人混み騒ぎで見た時から、「こいつには何かあるな」って思っただけさ」

「ふーん。それじゃもう一つ。お姐さん、もしかして今日休みだった……?」

「ああ。せっかくのオフだってのに、散々さ」

 エレナは本当に残念そうにぼやいた。

 やっぱりさっき自分を睨んでいたのは、休日のショッピングを楽しんでいる最中のエレナだったのか。いやー、あの時放ってきた視線が怖いの何の。

「今度は私からだ。君、ライセンスバスターになってみないか? いまの実力だと、うちのナンバー2を狙えるぞ」

「ちなみにナンバー1は?」

「私だ」

 言うと思った。

 先程ナユタ共々、エレナが助けた親子を乗せた救急車が発進する。見た感じ、斬られた幅は広いものの、そこまで深くはなかったみたいなので、命に別状は無いそうだ。

 その救急車を見送ると、エレナはさてと、と言った調子で伸びをする。

「まあ、答えは急がないさ。ゆっくり考えるといい。それより、後の処理は私達に任せて、君は早く帰りたまえ。友達もお待ちかねだ」

 エレナが指差した一角には、既に事情聴取を終えて待ちぼうけしているタケシ達の姿が見えた。あれだけの数の<星獣>に囲まれていたにも関わらず、ほぼ無傷でいられたのは、ほとんど奇跡に近い。

 ナユタがほっとして数歩進むと、背後からエレナに声を掛けられた。

「そういえば、さっきの連中は執拗に彼らを狙っていたな」

 彼女の言葉に足を止め、振り向かないままに次の言葉を待つ。

 ややあって、神妙そうな声で彼女が言った。

「一体、何が原因なんだろうな」

「…………」

「君には何か検討がついているんじゃないのか?」

「何の事やら」

 はぐらかしはしたが、心当たりはある。

 だが、ここでそれを話したところで、自分達が寮に帰る時間が大幅に遅れるだけだ。だから、ナユタは何も答えず、そのまま友人達の傍へと歩み寄る。

 全く、散々な毎日だ。だからいまの世の中が嫌になる。

 どこへ行ったって、まだ自分の中で戦争が終わっていないと、否応が無く自覚させられるのだから。


   ●


「九条ナユタ?」

 居残りで現場の調査に勤しんでいた時の事だった。エレナとは古くから親交があるライセンスバスターの一人、ハンス・レディーバグは、その人物の名を聞いた途端、眉根にシワを寄せて考え始めた。

「九条――どこかで聞い……あ、そういやカンタさんも九条姓だったか。ていうか、昔お前も会ってるぞ、そのナユタって小僧に」

「私が?」

 意外な事を言われ、エレナが首を傾げた。

「いや……彼と私は本当に初対面の筈だが」

「お前は俺と一緒にウェスト区の防衛拠点を転々とした過去を忘れたのか」

 ガタイが立派な三十路の妻帯者が、呆れたように肩を竦める。

「ほら、九条カンタ。西の暴君。十年前に一度会っているだろう。いまは亡くなっているらしいが、あの人は結構前から俺がお世話になってた先輩でな。戦地ではよく何体<星獣>を狩ったかで勝負したもんさ」

「なにぶん古い記憶でな……私がまだ十一の頃か。懐かしいな」

 三山エレナは、実はまだ二十一歳のうら若き女子大生だ。通っている大学は<スカイアステル>の国立大で、緊急の仕事で遠くに出向かなければならない場合は、その大学の規則によって公欠にしてもらっているのだ。

 そんな彼女の十年前と言えば、戦塵にまみれた十一歳の青春時代を指す。

 ハンスは何やら乗り気で話を続ける。

「で、ふらっと俺達の防衛拠点の前に、予告も無しに子連れで現れてな。てっきり先輩の隠し子かと思ったら、そこらへんで運よく拾った哀れな捨て子らしくて……」

「段々思い出してきた。でも、その時九条さんが連れて来たその子……たしか、髪は普通に黒かったような。少なくとも、いまの彼みたいに水色ではなかったな」

「でも本人は九条ナユタって名乗ったんだろ? それに、お前の報告にあった戦闘能力――もし本当に九条先輩の連れ子って事なら納得が行く」

「だとして、何でまた星の都学園に……?」

 エレナが疑問視しているのは、まさにそこである。

 ナユタ程の腕前を持っていれば、年齢に関係なく、どこかしらから引き抜きが来て、<スカイアステル>の超大金持ちの学校に編入学させられ、その上でライセンスバスターとしてのランクを与えられる筈だ。

 だが、いまはこの地上の、しかも元いたウェスト区から少し離れた位置で、健やかに何事も無く、彼は平和の世界で平和に暮らしている。これは実際、エレナの目から見たら異常な事態だ。

 しかも何故か<アステルジョーカー>を所有している。

 彼に関する謎は深まるばかりだ。

「……ハンス。一つ、関係の無い事を訊くぞ」

「あ? どした?」

「<アステルジョーカー>って、何で出来ているんだっけか?」

「はあ?」

 本当に関係無いと思われる質問をして、ハンスに笑っているような困っているような顔をさせてしまった。

 彼は一体何の事だろうと思っているようだが、一応は真面目に答えてくれた。

「そんなもんお前……人間丸々一人分に決まってるじゃん?」


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