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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーシリーズ VOL.5 ~GACS編 第一集 GACS、始動!~
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GACS編・第一話「至高と究極」

   GACS編・第一話「至高と究極」



「好きにやれとは言ったが、さすがにアレはやり過ぎだ」

「ごめんなさい」

 帰還早々、ナユタは上司の六会忠から、長官室で説教を食らっていた。

「あそこは廃棄区画で周囲に人がいなかったとはいえ、一つ間違えれば周辺の住宅を巻き込んでいたかもしれない。まだ電磁防御隔壁が働いていたから良いものを、<カードアライアンス>の破壊力次第では大参事だぞ」

「うっ……」

「しかも施設を丸ごと破壊するか、普通?」

「申し訳ございません」

「おかげで解体業者からクレームが来たぞ。「俺達の仕事を減らすんじゃねぇ!」……とかなんとか」

「返す言葉もございません」

「これで結果オーライなのだから、なおさら始末に負えない」

 忠が困り顔でため息をついた。

「怪我人がいる状況では一刻も早く周囲の脅威を取り除く必要がある。お前が早めに敵を殲滅したおかげで応急処置も滞り無く進み、結果的に片山雄太の命に別状は無く、最優先事項は守り通した上に周辺住民への被害は騒音公害のみ。結果で言えば最良と言っても良い。だが、今度からはもう少し、スマートな仕事を心がけるように」

 長々と弁舌を振るう忠ではあったが、<トルネードブリンガー>の発動に必要な<ストームブレード>を四枚分、出撃前にこちらに手渡した時点で彼も同罪な気がする。

「九条君。いま、君は私も同罪なのではとか思わなかったかね?」

「人の心を読むのやめてくれません?」

「君の考えてる事などお見通しだ。単細胞なのは父親譲りか」

「そういや長官、親父と大学の……軍の同期だって言ってましたっけ」

「奴は君と似て変な奴だったよ」

 忠が珍しく柔和に笑んだ。

「まあいいさ。明日の二○時までに今回の報告書提出するように。それと、今回の件について、個人的な小言を一つだけ言わせてもらって良いかね?」

「何でしょう?」

 ナユタが怪訝な顔をすると、忠は何故か安心したように言った。

「女の半数はワイルドな男を好むという。お前の豪快な勇姿、恋女房に見らせられなくて残念だったな」

「余計なお世話です。では、失礼します」

 ぷいっとそっぽを向いて、ナユタは長官室から立ち去った。


 長官室を出て、改めて<アステルドライバー>で時刻を確認する。

 夜の十一時。いまから自宅に帰ったとして、確実に日付は超えてしまうだろう。

「……はぁ……」

 ナユタは盛大なため息をつき、ライセンスバスター部門の出入り口付近までとぼとぼと歩いていった。

「随分とお疲れの様子じゃないか」

 ライセンスバスターの制服を着た若い男が、出入り口付近の壁に背を預けて嫌味に言った。

 彼は同じS級バスターのアルフレッド・ジルベスタイン。古くより警察組織の差配に関わってきたジルベスタイン家の御曹司で、フランス系の血筋が流れる美青年だ。親しい間柄からはアルと呼ばれている。

 アルフレッドは続け様に言った。

「聞いたよ。世にも使えない警察の下っ端助ける為に、<アステルジョーカー>で廃棄施設のプールを全壊させたんだって?」

 口を開けばこのザマである。もう少しお手柔らかに喋って欲しいものだ。

「僕だったらもうちょっとスマートに事を運んでいたがね」

「警察の人達を見捨ててまで<星獣>共を全て駆逐するとでも?」

「いいや? 使えないゴミ共を全て、だ」

 アルフレッドは平然と言って退ける。

「僕はね、無能な連中と、野蛮な連中がこの世で一番大っ嫌いなんだ」

「そーですか。で、俺、もう疲れたんで行って良いっすか?」

「その前に、君に一つ忠告しておこう」

 アルフレッドがナユタの傍まで歩み寄り、こちらの肩に手を置いて唇を耳元まで寄せる。

「僕はいずれライセンスバスター部門の長官となる。そうなった暁には、君のような人には言えない経歴を持つ者は全て名簿から消滅するだろう。その先もクリーンな人材しか採用しない。早いうちから身辺整理は済ませた方が良い。ねぇ? 人殺しの九条ナユタ君?」

「…………」

 ナユタは少しの間だけ押し黙ると、肩に乗せられたアルフレッドの手をやんわりと腕で払う。

「大口を叩きたいなら、戦闘演習で俺に一勝ぐらいしてみたらどうでしょう。いい加減、ワンサイドゲームには飽き飽きしてるんすよ」

「僕を不愉快な気分にさせるとどうなるか、君の私生活で試してやってもいい」

「俺だけなら良い。でも、あいつにまで手を出すなら、いくらあんたでもタダじゃおかない」

 ナユタは二歩ぐらい歩くと、肩ごしに振り返って告げる。

「その時は本気で殺します」

「そりゃ楽しみだ」

 こちらの睨みに動じず、アルフレッドは肩を竦めてライセンスバスター部門の奥へと引っ込んで行った。


 ライセンスバスターはA級とS級とでは忙しさの度合いが違う。A級がアルバイトならS級は正社員といったところで、後者であるナユタは必ず一日のどこかしらでウラヌス機関の建物に訪れなければならない。大きな仕事の際には報告書を作成、提出が義務付けられていたり、持ち回りでスカイアステルの防衛任務に赴かなければならないからだ。

 そんなS級バスターの為にあてがわれるのが専用の宿舎だ。ウラヌス機関のすぐ近くに建っており、外観で言えばちょっとお高めのアパートといったところか。当然の如く部屋の数は限られており、そこで年中暮らす者もいれば、家庭がある者は仕事が遅くなった際の仮住まいとして使っている。

 ナユタは仮住まいの一番小さな部屋のベッドに倒れ込み、しばらくぼーっとしてから、<アステルドライバー>の通話モードを起動させる。

 三回のコールの後、相手は嬉々として応じた。

『もしもしー? ナユター?』

「そうだよー。ごめん。俺、今日は宿舎に泊まっていくわ」

『いきなり遅くに呼ばれたもんね。どうだった?』

「オーガ型が六体も出たけど、まあ……何とかなった」

『明日は帰ってこれるんだよね?』

「ああ。長官が余計な任務を振ってこなけりゃ」

『じゃあ、明日は学校帰りに買い物行こうよ。夕飯の買い出し』

「オーライ。いつもごめんな」

『良いって。じゃあ、お休みなさい』

「ああ。おやすみ」

 ナユタは心底安らぎつつ、通話モードをオフにする。

「……さて、まずは報告書だな」

 ナユタは起き上がり、デスクの上に置かれたノートパソコンの電源を入れ、デスクトップ画面が出るまでの間に電気ケトルに水を入れてスイッチを押し込む。最初にメールチェックを済ませ、いくつかの宛先に適当な返信をすると、その間にケトルのお湯が沸いていた。

 カップにインスタントコーヒーの粉とポーションミルク、砂糖を入れ、お湯を注ぐ。スプーンでゆっくりと中をかき混ぜると、再びパソコンの画面と向き合い、コーヒーを飲みつつ報告書の作成に取り掛かる。

 キーボードをピアノみたいに弾き、完成した文章を見直してから印刷。いまどき紙の報告書を好んで部下に要求する長官の物好きさ加減に苦笑しつつ、文面にいくつかの誤字脱字を発見したので画面上で修正、再印刷。

 今度は何の見落としも無い文面が出来上がり、ナユタはようやく一息ついた。

「……俺、意外と文章力に才能でもあんのかな」

 こういうのを人は自画自賛という。

 ナユタはひとしきり自惚れてから報告書を机の上に置き、残ったコーヒーを全て飲み干し、再びベッドの上で大の字になった。


   ●


「九条君、何か言い訳は?」

「ありません。純然たる寝坊です。ごめんなさい」

「まったく……」

 星の都学園・二年Aクラスの教室では、一時限目の始まりから担任の教師が一人の生徒を説教するシーンが流れていた。

 目の前のふくよかな女性教師が、頭を下げるナユタを困り顔で見つめて言った。

「ここのところ任務続きなんだって? いくら何でも多すぎやしないかい?」

「人気者なもんで」

「一応、相手は中学生だってところも考慮に入れてるとは聞いてたんだけど」

「他の連中じゃあ、対処しきれない案件が多すぎて……その……オーガ型とか」

「なるほどねぇ。まあいいや、席につきな」

網走あばしり先生、ありがとうございます」

 ナユタは担任の網走豊子あばしりとよこに礼を言い、多少いたたまれない気分になりながらも自分の席についた。

 豊子は気を取り直し、教卓に置かれたプリントの束を持ち上げる。

「もう知ってる子もいるだろうけれど、来月のゴールデンウィークにはグランドアステルチャンピオンシップ――通称・GACSが開催されます。色々事件が重なって先送りになっていたのに、早いモンだよ」

 GACS。グランドアステルチャンピオンシップとは、この星に住まう人達の戦闘能力を全体的に向上させる為に開催される、いわゆるバトルの祭典である。参加する当人達もそうだが、実力者達の戦い方を見るだけでもそれ相応の勉強にはなる。

 この星で常に問題視されるのは、常日頃から突発的に表れる青い怪物・<星獣>の存在だ。彼らには目にした人間を襲う習性があり、地球上でただ二つしかない国家のうちの一つ、グランドアステルの住民は、常にその<星獣>から身を護りながら生活しているのだ。

 だから、戦闘能力=生存確率という簡単な図式が、この星の全てとなっている。

「大会に参加したい場合、いまから配るプリントに自分の個人情報を書き込みな。その中からジュニア推薦枠の生徒が選出されて、そいつらは予選前の試験が免除される。推薦枠に入れなかった連中は、一般参加枠として通常通りの試験を受けてもらう形になる」

 どうやら紙が好きなのはうちの上司だけではないらしい。いまさら思い返してみれば、この学校の授業も基本的には紙のノートを使っていたっけか。

 豊子がプリントを小分けにして最前列の生徒達に配っていると、ナユタの前に座っていた生徒が一人、元気よく手を挙げて質問する。

「先生! 一般参加枠の人って、どんな試験を受けるんですか?」

「ナナ、止せ。先生だって知らないだろ」

「ええ? そうなのー?」

 ふくれっ面で振り返ってきたのは、ナナ・リカントロープだ。くせっ毛が強い金色の長い髪を腰まで提げ、瞳は宝石のように青い。スタイルは十四歳前後の女子にしては発育が良い方で、最大の特徴は驚異的な胸囲にあると言える。

 豊子が苦笑して述べる。

「そうだねぇ。アタシも一応は社会人推薦枠で参加するから、試験が免除されてるんだよねぇ。それに、知ってたとして話す訳にはいかないし。ほら、アタシも教師だし」

 GACSの出場に当たっては決められた定員数に加え、参加希望者が参加資格を得るまでの条件がいくつか付帯する。この星全ての人間が一つの大会の本選に出場できるかと言えば答えはノーだし、全体的に低水準の人間が出場しても大会のレベルが落ちるからだ。

「まあ、詳しくは知らない人も多いだろうから、ここでおさらいしようかね」

 豊子がチョークをつまみ、黒板にいくつかの図柄と文字を書き込んだ。


 ~GACSの参加資格について~


「GACSの参加枠は複数あってね。一つは一般参加枠。推薦状を貰わなかった奴らが出場する為の枠さね。こいつらが本選に参加する為にはまず、常識的な教養と<アステルカード>の基礎知識に関するペーパーテストを受けて貰い、さらにはこれまでの戦闘演習によるレコード、<星獣>の撃破数なんぞを総合した得点で基準値を超えている必要がある。その中から上位一五○名が参加資格を得られるっていう話さ」

「つまりはある程度の勉強と普段の行いが重要ってこった」

「ほうほう」

 ナナも神妙に頷く。

「次に推薦枠。これは一般参加枠での参加を希望した人間の中から、特に実力があるとされる人達に推薦状が配られる事によって、さっき言ってたペーパーテストを免除される奴らの枠組みさね。星の都学園の教師、あとS級ライセンスバスターも全員これに該当するのさ」

「つまり、俺とか網走先生は面倒も無しに一次予選に参加できるって訳だ」

「他にも何らかの事情で参加が決まった特別枠だなんてのもあるが、これについてはあまり触れない方が良いかもしれんね」

 一通り説明して、豊子が総括する。

「他にもジュニア枠、社会人枠、ウェスト枠と色々あるけど、GACSに参加できる定員はきっかり三○○人まで。ペーパーテストの詳しい試験範囲は当日までのお楽しみ。どうだい? 納得しただろ?」

「おお……色々面倒なんですね」

「分かったらさっさと授業にするよ」

 ナナの納得した様子を見届けるや、豊子は気付けのつもりか、ぱんぱんと帳簿を叩いた。


 学生としての毎日にしたって油断も隙も無いのが九条ナユタの人生である。毎日がただ平和で済む訳もなく、S級バスターにランクアップしてからは特にその辺りが顕著となっている。

「ご……ごめっ……マジずびばゼんでびだっ!」

「いい加減にしないと、そいつ死んじゃうんすけど?」

「そうだな。セントラルで殺しはご法度だ。このぐらいで勘弁しといてやろう」

 昼休み。教室の机の上で自前のノートパソコンを開き、オーガ型<星獣>に関する調査レポートを纏めていた時に起きた出来事である。突然、付近の廊下が騒がしくなったので、ナユタは苛立ちながらも教室の外に顔を出して状況をたしかめてみる。

 するとまあ、これまた酷い酷い。床にはガラの悪そうな上級生の連中が膨れ上がった顔面を晒して転がっており、そんな彼らの中心では、やたら気の弱そうな男子生徒と、浅黒い肌をした男子生徒が向かい合っていた。

「お前のカメラ、残念だったな」

「い……いや……その……」

 浅黒い少年――あれはたしか、今月の後半でこちらのクラスに編入してきた、十神凌とがみりょうという生徒だったか。戦災孤児救済プロジェクトとやらの恩恵を受けてウェスト区からやってきたとかいう話だ。

 凌はその場でしゃがみ、床に転がった黒と鉄色の破片を丁寧に素手で拾い上げる。

「是が非でも、いまそこで転がってるバカ共には弁償させなきゃな」

「そんな、僕はそこまで……」

「たしかに、その通りですわ」

 今度は見覚えのある女子生徒が、箒と塵取りを凌に突き出して言った。

「でもね、十神君。さすがにやり過ぎですわ、いまのは」

 Bクラスの園田サツキが眉根を険しく寄せる。

「たしかに彼らの行いは非道ですが、何でも暴力で解決しないと知りなさい」

 凛として唇を尖らせるサツキは、月並みな意見ながらモデルさんに負けず劣らずの容姿をしている。プロポーションが非常に良く、栗の皮みたいな茶色のシャギーカットが良く似合っていて、つり上がった大きな瞳は何処か挑発的。これでまだ中学二年生である。天は特定の人間に二物も三物も与え、それとはまた別の特定の人間には二物どころか一物すら与えてくれないという不文律を体現しているかのようだ。

 凌はそんな美人さんを前にして、物怖じ一つせずに言い返す。

「半殺しにされなきゃ分からない奴だっているだろう」

「最初から暴力に訴えるなって言ってるんです」

「あのー、サツキさーん?」

 傍で二人の口論を見守っていたナユタが、おずおずと手を挙げて訊ねる。

「あら、ナユタ君。いつから居たの?」

「ついさっきから。で、これはどういう事なん?」

「十神君は悪くないんです!」

 さっきまで小動物みたいに怯えていた、恐らくは被害者らしき男子生徒が言った。

「いまノびてる人達が、僕に絡んでカメラを取り上げて、面白半分で床に叩きつけて……それを見てた十神君が、「人の物を壊したなら弁償くらいしろ」って。そしたら相手が十神君の顔を一発殴って、そこからはもう……」

 自信無さげながら、言わんとしている事はよく分かった。

「ちなみに、そのカメラは何に使う予定だった奴?」

「えと……僕は写真部の部員で……」

「なるほど」

 ナユタはとりあえず床に転がっていた連中をぽいぽいと適当な位置に投げてどかすと、サツキから箒と塵取りを受け取って床の掃除を始め、転んだら大怪我の元となるような破片を全て回収する。

 一通り床全体を確認すると、ナユタは凌と写真部の少年にそれぞれ目を向ける。

「とりあえずカメラの弁償については俺が何とか言っておくさ。でも、あんま期待しないでくれよ? もしあいつらの親がモンスターペアレントで、「うちの子がそんな事をする筈無いじゃない! むしろ、この子にこんな怪我をさせた生徒を退学にしなさいよ!」とか言ってきたら、新しいカメラは自腹で払ってもらう事になる。それと、十神君にも慰謝料が発生するかもな」

「生々しいですわね……」

 サツキが嫌悪感を丸出しにして呟く。

「とりあえず、だ。ここで様子を見ていた野次馬と、サツキと俺が証人な訳だし、器物損壊罪とか言われても相手は言い訳でき――」

「お前の将来は弁護士? それとも検事か?」

 凌が呆れ果てたように言った。

「思ったよりよく喋る奴のようだな、九条ナユタ」

「まあね。ちなみに十神君。俺の将来の夢はヒモだ。よく覚えておくと良い」

「最低ですわ!」

 たしかに、女性からすれば男から一番聞かされたくない夢の第一位である。

「まあいいや。こっから先、俺は知らんから」

 ナユタは箒と塵取りをサツキに返し、教室の中に引っ込んで報告書の続きを書き始めた。


 戦災孤児救済プロジェクト。去年における九条ナユタや、その他ウェスト区出身の連中が打ち立てた功績を種に育ち上がった制度だ。ウェスト区の戦争で両親を失った孤児達を条件付きでその他の区域の学校に編入させるというのが主な内容だが、ウェスト区自体に学校を設立したり、警護や設備を潤沢にしたりと、文章上では様々な範囲での救済措置が成されているように見える。

 ただし、最近活発化した計画であるだけに、まだその制度が普及しているとは言い難いのが現状だ。星の都学園にも何人か戦災孤児達が送り込まれてきてはいるものの、それもウラヌス機関から選ばれたほんの一握りの数でしかないし、ウェスト区には未だに住民の生活の安全を保障しきれないくらいには、警護の人手も足りていない。

「はーい、みなさーん。授業開始ですよー」

 バトル担当の若い男性教師、ケイト・ブローニングが、第一アリーナの観覧席に座る生徒全員にマイクで呼びかける。

 生徒達のざわめきが静まると、ケイトは一度頷いてから述べる。

「今日は中等部第二学年全クラスの合同授業です。午後のコマを全て使う長丁場になるでしょうが、ここは気張っていきましょう」

 バトルの授業は義務教育課程にある全ての生徒達を対象に組まれたカリキュラムの一つで、体育とは別の区分に位置している。<星獣>から自分の身を護る為の戦闘訓練というのが主な趣旨だが、最近は去年の事もあってか、対人戦の要素をより強く取り入れようとしているらしい。

「さっそくVフィールドの仮想空間モードに飛んでサバイバル戦でもしようかと思ったけど、その前に、君達に見せておきたいものがあるんだよね。九条君、十神君!」

「え? 俺っすか?」

 南方面の真ん中の列に座っていたナユタが、自分で自分を指さした。対して、一緒に呼ばれた凌は眉根の一つも動かさなかった。

「そう。君達二人には先に、対人戦形式で一試合してもらうとしようか」

「えー? ただでさえ疲れてんのに……」

 ナユタが<アステルドライバー>の授業専用回線を通じてぶーたれ文句をつけるが、ケイトはただ満面の笑みをこちらに差し向けた。

「九条君? あんまりわがまま言ってると、次の仕事の時は公欠扱いにはしてあげないよ? それでも良いのかい?」

「公然と生徒に対して脅迫しないでくれますかね」

「俺は別に構わない」

 凌の憮然とした声が端末のスピーカーから流れる。

「ほら。君も十神君のように、大人の対応をしてみなさいよ」

「先生。僕はまだ中学生です」

「ダダこねると殺すよ?」

「すんません調子乗りましたやりますやります」

 このあたりはいつものナユタとケイトのやり取りだ。ここ半年の付き合いで、ケイトに逆らうとロクな目に遭わないのは充分に覚えている(主に鉄拳制裁的な意味で)。

「九条君も十神君もお互いウェスト防衛軍の少年兵団出身だ。二人の戦い方を最初に見ておけば、この後の授業の参考にもなるだろう。そんじゃ、二人とも。さっそくステージに降りてきなさい」

「分かりました」

「了解」

 ナユタと凌がそれぞれ頷き、一緒に席を立ち、観客席の通用口からステージの出入り口まで降りていく。

 その中で、凌がこんな事を訊ねてきた。

「お前はこれまで何人殺してきた?」

「は?」

 質問の意図が分からない。だが、どう答えるべきかは判然とする。

「覚えてねぇよ、んなモン」

「俺もだ」

「何でそんな事を訊く?」

「俺にも分からん。いまのは忘れてくれ」

「…………」

 凌の横顔は物憂げだった。だが、何かの同情を示す気にはなれない。

 二人はステージの中央に立つと、それぞれ向かい合い、ケイトの指示を待った。

「二人とも、準備は良いかね?」

「いつでも」

「こっちも大丈夫です」

「よし」

 確認を終えるや、ケイトはルール説明を開始する。

「これから一対一の対人戦を開始します。今回はお互いの体術を見せるのが目的なので、使用カードはこちらで用意したC級の<メインアームズカード>のみとします。二人とも、このカードを」

 ケイトは対戦者の二人に、市販のC級ソード型カード・<星影>を手渡した。

「制限時間は五分。勝敗条件はHPメーターの全損、及び使用武装の破壊。でもこれはあくまで教本としてのバトルだから、お互い勝敗を気にする必要は無い」

「その前に、十神君とちょっとした打ち合わせをしても良いっすか?」

「ああ。構わんよ」

 ケイトの許可が下りると、ナユタは凌とバトル内容の打ち合わせをした。一分にも満たない簡潔なやり取りだったが、制限時間が五分ならこれで充分である。

 ある程度内容が纏まると、ケイトが手元のリモコンを操作し、アリーナの隅に引っ込んだ。

「それじゃ、始めるよー。Vフィールド・武装幻影化モード、起動」

 スイッチオン。ステージと観客席の間が薄い緑色の膜に区切られ、二人が受ける<アステルカード>からの肉体的なダメージはこれによりゼロとなる。

 二人はある程度の距離まで下がると、カードを頭上に掲げ、スタンバイ完了の意思を示す。

「それでは、試合開始!」

「「<メインアームズカード>、アンロック!」」

 音声入力に従い、カードが発光。それぞれの手に、質素な日本刀が握られる。

 ソード型<メインアームズカード>・<星影>。市販の訓練用カードで、元より人への殺傷能力は皆無であり、せいぜい<星獣>から自身の身を護る程度にしか使えない。

 先に動いたのはナユタだ。手首のスナップを効かせて刀をくるくると回して弄び、がっちり柄を掴んで疾駆。相手との間合いを詰め、一閃。凌が無感動に受け太刀すると、ナユタはあらかじめ決めておいた軌道の通りに剣を振り回し、これまたあらかじめ設定された箇所に置かれた凌の剣にわざと当てにいく。

 ギャラリーが息を飲んで刃と刃の乱舞を見守る。中には剣戟が速過ぎて目を回す者までいるようだが、この速さに酔うようなら、まず実戦では使い物にならないだろう。

 ギアを上げ、今度は立ち位置を交代しながらの打ち合いに持ち込む。もうこのあたりからはライブのセッションみたいなもので、その場のテンションと呼吸で見世物の全てが決まると言っても良いくらいだ。

 途中でケイトからの指示が入る。

「二人共、もうちょっと剣の速度を緩めてくれないかな? さすがに速過ぎるよ」

 指示通り、お互い剣戟の速度を下げる。

 ナユタは相手の対応力に感心しながらも、短く凌に指示を下す。

「次は剣以外もアリで」

「テンポは?」

「いまよりもう少し下げる」

 凌が無言で頷き、刃を弾き合って距離を開ける。再び詰め、今度は回し蹴りで相手の剣を弾いたり、直接拳を打ち込んでみたり、ナユタに至っては柄頭で凌が突き出した切っ先を叩き落とすなどといった芸当を見せつけた。

 これにはさすがの凌も驚いたらしい。少しだけ、目つきが真剣になる。

 凌がこちらの頭めがけて水平斬りを仕掛けてくる。ナユタはこれを受け太刀しようとするが、あちらの斬撃がこちらの刃に触れる直前で、彼の切っ先は急に軌道を変更する。

 なんと、放ったばかりの水平斬りをキャンセルし、体を剣の軌道とは反対方向に回転させ、完全に隙だらけとなっていたナユタの真横に躍り出たのだ。

「フェイント――っ!?」

 まさか、こんな簡単な騙し討ちに引っかかるとは。だが、こちらもただでは失敗しない。

 ナユタが手首と指先、掌の筋力と可動域を総動員して、即座に剣を逆手に持ち替える。自然とこちらの切っ先が凌の額に向けられ、今度は彼が真っ青になる。

 凌は即座に身をかがめてこちらの切っ先から逃れると、その隙にナユタも片足で跳んで後退。足を狙いに飛んできた凌の刃からも逃れ、互いの位置関係は振り出しに戻った。

 この駆け引きの一部始終を見届け、ギャラリーがわっと沸き立つ。

 雑音に集中を解かれたナユタは、再び<アステルドライバー>のディスプレイを確認して、<星影>を解除して凌に大きく手を振った。

「そろそろ五分だ。お疲れさん」

「……ああ」

 凌も集中を解き、手元の<星影>を解除した。

 それにしても、凄まじい集中力と反応速度だった。たしか自分と同じ少年兵団の出身とか言っていたが、おそらく彼はその中でも白兵戦における戦術的キーマンだったのだろう。あの駆け引きの中、もしこちらが動作の一つを誤りでもしたら即死していた可能性すらある。それを可能にする体術も見事なものだ。

「二人とも、ご苦労さん。実に見事だった」

 ケイトが労いの言葉を掛けると、今度はギャラリーの生徒達に向けて述べる。

「いま二人が見せたのは優れた体術だけじゃない。一瞬一瞬における気の読み合い、駆け引き、鍛えればこれだけ動けるという証明――とにかく、色々だ。戦い方は人によって違うだろうけれど、基礎的な部分が集約されてると言っても良い。今日はこれらを参考にして、仮想空間モードでのサバイバルを皆に行ってもらおう」

 などとケイトが説明し終わった途端、ナユタの<アステルドライバー>に通信が入る。

『もしもし九条君、いま大丈夫かね?』

 相手は六会忠。直属の上司だ。

「いま授業中っす」

『なら良かった』

 良くねぇよ。いま授業中だっつってんだろ。

『セントラルの東方面で三体のオーガ型が出現。掃討に向かって欲しい。大変申し訳ないが、今回は<アステルジョーカー>の使用許諾が下りていない』

「あのー……他の連中じゃあ駄目なんすか?」

『喜べ。今回はイチルも一緒だ』

「答えになってないっすよ!」

『実に羨ましい限りだ。それでは、よろしく頼むぞ』

「オイコラ待ちやが……クソ! 切りやがった!」

 ナユタは悪態を吐くと、げっそりした面持ちでケイトに申告する。

「すみません。犬を連れて鬼が島まで鬼退治に行ってきます」

「猿とキジはどうしたね?」

「いたら俺まで出向かなくても良いんですが」

「そうか。まあ、何だ。楽しんでくるといい」

「何にも楽しくないやい、チクショウがっ!」

 泣きそうな気分になりながらも、ナユタは慌ただしく駆けだした。


 オーガ型の始末は楽勝だった。周辺のA級バスターが市民の避難誘導と、S級バスターが来るまでの足止めをきっちり行ってくれたので、結果的に何の被害も出ず、ナユタとその相棒の手によって早めに事態を収束させられたからだ。

 事件現場で一息ついていたナユタは、事後処理に追われていたA級バスター達の傍まで歩み寄り、彼らに労いの言葉を掛けて頭を下げる。

「俺達が来るまで持ちこたえてくれて、ありがとうございます」

「そりゃまあ、主力部隊だしな、俺達」

 二十歳前後のガラの悪そうな青年が苦笑して言った。

「早く公式でオーガ型の倒し方を公開してほしいもんだがね、そっちはどうなんだ?」

「すみません。まだこっちも対応に追われてまして」

 オーガ型は重装甲かつパワフルな<星獣>だ。普通の<バトルカード>なら簡単に弾かれてしまうし、一般人でも可能な唯一の攻略法とされている<メインアームズカード>による鎧通しもかなりの高等技術を要する。だから公式的な攻略法としてはハードルが高すぎるし、防衛省のホームページにもまだ公開されていないのだ。

「でも糸口は掴みかけてるので、あともう少しだけ辛抱を……」

「あー、もういいよ」

 青年はうるさげに手を振った。

「ガキにそうやって頭を下げられても気味が悪くてしゃーねぇや。それに、俺達だってあんまり期待してねぇんだしよ。どうせ、その糸口とやらも気休めなんだろ?」

「それは……」

「早く帰って休めよ。ここんところ働き詰めだろ、お前」

 にべも無くしっしと手首を振られてしまう。ナユタはもう一度頭を下げてから、力無く現場から離れていった。

 たしかに、長官の意向も分からなくはない。オーガ型の攻略を担当しているのは主にナユタ一人だけで、他のS級はそれぞれの担当分野で手一杯だ。最近は<星獣>以外にも<アステルカード>の悪用による人為的な被害も頻発しているし、ならば可能な限りナユタにはオーガ型をぶつけさせて攻略の糸口を少しでも多く掴んでもらった方が良いに決まっている。

 ナユタにはオーガ型を何体でも消し飛ばせる<アステルジョーカー>があるし、他のS級でも難しい鎧通し、及び物体の『目』を捕らえる技がある。適材適所という意味では自分が一番の適役だ。

 でも、さすがに仕事量が多すぎやしないだろうか。

 しかも、何で各方面からあれだけボロクソに言われなければならないのか。

「ナユタ」

 下を向いて歩くナユタに、正面から声を掛けてくる者がいた。

 夕陽に反射するさらさらの黒い髪は、二か月前と比べると随分長く伸ばしている。体の線は細いものの貧相な訳ではなく、整った小顔にはいつも通りの綺麗な笑みが浮かんでいる。

 顔を上げた先に見えた彼女は、同じS級バスターの八坂イチルだった。

「お疲れ様」

「ああ、お疲れ」

「帰ろっか」

「だな」

 ごく短めのやり取りから、二人は並んで歩き、近くの商店街で夕飯の買い出しと洒落こんだ。時間が時間だけに人の波でごった返してはいるものの、それで体力と精神力がごっそり持って行かれるようなヘマはやらかさなかった。

 そんな中、イチルが心配そうに訊ねてくる。

「最近ずっと出動が続いてるけど、オーガ型の攻略法は掴めそうなの?」

「一応な。相手に刃を通そうと思えば鎧通しの技が必要になる。でも普通に考えたら、あんなヘビーなデカブツに近づこうとしたら返り討ちにされる危険の方がずっと高い。だから相手の装甲ごと潰して内部にダメージを与える為に、こっちも重量級の<バトルカード>を奴らにぶつければ良い」

「そんなもんがあるの?」

「無い。だから、新しく作るしかない」

「女の人にも使えるようにしてよ、それ」

「そこがネックなんだよ」

 イチルとて同じS級バスターだが、相談する相手としては間違っている気がする。彼女の持ち味は自身に流れる血を用いたスピード戦術であって、決してパワーに頼るような戦い方ではない。

 いままでのカードプールには重装甲型に有効な攻撃手段がほとんど存在しない。あったとして工兵用の破砕アイテムが一、二種類存在する程度だ。だからナユタはオーガ型に有効な新しい<バトルカード>に必要な戦闘データを集めているのだ。

 当然、イチルには無縁な分野なのである。

「イチルこそ、<輝操術きそうじゅつ>の再規格化はどうなってんだよ」

「順調だよーん。そろそろ完成するんじゃないかな。GACSで最終テストがあるから、タケシとナナちゃんにモニターとして協力してもらおうかな」

「天才様は仕事の片付け方も違うってか」

「はっはっは、凄いだろーっ!」

「調子に乗るな」

「ふぎーっ」

 とりあえず色々気に食わなかったので、イチルのほっぺたを三回ぐらいは伸縮させる。これはこれで何か知らんが癒される。

 電車でイースト区からセントラルに帰還。東方面の一等地に建つマンションが二人の住居だ。二人は駅を降りて以降、寄り道せずに帰宅する。

学校を途中で早退してきたので、本来だったら帰る前に学校に行って当日分のプリントを貰わねばならないが、今日はバトルの授業から抜けてきただけなので問題は無い。あれはただの戦闘訓練の一環だし、プリントが必要なのは訓練以外の座学のみだ。

ナユタが先に風呂に入り、イチルがその間に炊事を進める。風呂上がりにリビングのソファーでくたばっていたナユタは、ぼーっと料理中のイチルを見遣った。

美月アオイの事件から約半年。冬の決戦から四か月、あの告白から二か月。

随分と、あっという間だった気がする。

「まだ半年……三年も年食った気分だ」

「何か言った?」

「そのエプロン、可愛いなーって言ったの」

「でしょー? 高級雑貨店に売ってた奴。初任給で買っちゃった」

「…………」

ナユタがイチルとこうして同居しているのには、色々と深い事情が存在する。

二人にはこの世に血縁者と呼べる者が一人としておらず、可能性がありそうな人物をDNA鑑定で調べてはみたものの、やはり遠縁にあたる者すら見つからなかった。ちなみにイチルは母親の死後に、ナユタはセントラル入りする前にその鑑定を行っている。

そんな事情もあって、ナユタはつい二か月ぐらい前まで後見人をウェスト区の現頭目に、イチルは当時所属していた事務所のお偉いさんに頼んでいた。とはいえ、そういつまでも彼らの御厄介になる訳にはいかない。だから二人共、早い段階で自立して、一人でも生活には困らないように自身の人生を工面しなければならなくなった。

そこでイチルは考えた。自分と全く同じ境遇に置かれたナユタと将来結婚すれば、その手の問題も解決されるのではないかと。二人の問題は纏めて解消され、彼らの生活はお互いがカバーし合い、そう遠くない将来に子供を残せば新たに血の繋がりを持った家族を始められる。

その話を、イチルは二か月前のバレンタインデーでこちらに持ちかけてきた。

ある意味では状況に流されっぱなしだったイチルが強く決意した事だ。だからナユタは彼女のそんな固い意思を受け入れ、こうして二人で、結婚を前提とした同居生活を送っている。

新しく、ゼロから家族を始める為に。

「ごはん出来たぞーい」

「おうおう」

 ナユタはソファーから起き上がり、鶏肉のから揚げやらコールスローサラダといった色とりどりの料理が並んだテーブルにつき、向かい側のイチルと一緒に手を合わせる。

 思えば知己の中で料理が得意な奴と言えば、実のところイチルぐらいしか思い浮かばない。一人暮らしの経験が大きかったのだろう、中等部に進級する前の彼女にとって家事や炊事はごく当たり前の日常だったのだ。

「いただきまーす」

「いただかれまーす」

 もうここのところ、毎日がこの調子である。

 擬似的とはいえ新婚生活みたいなものだ。正直に言って、悪い気分ではない。

「お? ナユタがにやけてる」

「そう見えるか?」

「うん、見える」

「…………」

 いや。たしかに自分でも呑気な奴だと思ってはいたが、さすがに無意識で顔にまで出ていようとは思わなんだか。

「なあ、イチル」

「ん?」

「今度の土曜日、タケシが退院するらしいな。俺もお前も非番だし、せっかくだからみんなでイースト区のショッピングモールに奴を連れ回してやろうぜ」

「思い出の場所だね。でも、ナナちゃんと二人っきりにしてあげた方が良くない?」

「俺は俺達以外のカップルの邪魔をするのが大好きなんだよ」

「うわ、本当のクズがいる……」

 イチルがドン引きしている。腹を割って語り合うのも大事だが、割り過ぎて臓物まで引っ張り出すのはやり過ぎたか。

「でもまあ、それもいっか」

 何かを考え直したらしい、イチルが快く頷いた。

「行こう。でも、何か変なちょっかい出すなら殺すから」

「あらやだ、もー。イチルさんったら、物騒なところがお母様に似ちゃって……」

「人のお母さんを暴れん坊みたいに言わないでっ」

「HAHAHA! 俺、お前の母ちゃんに一回殺されかけてるぜー」

「むっ……悔しいけど事実だから何も言い返せない」

 二人は食事が終わるまで、終始こんな調子だった。


   ●


「体には何の異常も現れていないね」

 目の前の若い医者が手元の診断書と、ライトテーブルの上に置かれたレントゲンを見比べながら言った。

「おめでとう、六会君。今日で退院だ」

「いままでご面倒をお掛けしました。何と感謝したら良いか……」

「十四歳でそこまで畏まる子供を初めて見たね」

 医者の高梨陽太郎が物珍しそうに言ってから、引き出しの中に仕舞ってあった端末と四角い物体を六会タケシに手渡した。

「ほら、君の<アステルドライバー>とデッキケースだ。<アステルジョーカー>は調整の為にまだ預かってるけど、いずれ君に返却されるだろう。とはいえ……」

 陽太郎が顔を曇らせる。

「<アステルジョーカー>の発動は極力控えた方が良い。またODDが発症しないとも限らない。以前のようなアルバイトは原則禁止。その能力については周囲に可能な限り伏せた方が君の為だろう」

 陽太郎が言う通り、タケシは厄介な大病を患っていた。

 オーバードライブディスオーダー。略称・ODD。正式名称を『過剰駆動症候群』といって、<アステルカード>の過度に渡る使用が原因で起きる身体的、もしくは精神的な異常の発生が主な病状だ。

 タケシを襲ったのは主に脳に関する機能障害だ。使用していた<アステルジョーカー>が脳に接続するタイプのものだったので、下半身がマヒしたり、視力では文字を捉えているのに何が書かれているのかが認識できなかったりして、少なくとも学生として生活する上ではかなりの苦労を背負わされたのだ。この病状が表れたのが年末年始の事で、まさかお正月を病院のベッドで過ごし、それから二か月間の移動手段が車椅子にすり替わるとは思ってもみなかった。

 ただ、デメリットばかりではない。深刻な症状が表れる直前は、無駄に反射神経や動体視力、空間認識能力が向上していたりもする。おかげで去年の冬の戦いは随分と楽をさせてもらったものである。

「しかし、誰かに似ていると思ったら、君は九条君に似ているんだね」

「え?」

「そういえばまだ話していなかったっけ。僕と九条君は軍の頃に少々の付き合いがあってね」

「元々はウェスト防衛軍の軍医だったんですか?」

「いまもそうさ。今回は君の事があったから飛んできた。ODDや獣化因子についての知識や経験は、少なくともそんじょそこらのセントラルの医師よりかは上のつもりさ」

 冗談めかして言っているが、おそらく事実なのだろう。

「君は見かけによらず無茶ばかりしでかす類の人間みたいだね。九条君もあんな平和的な顔をしているのに、戦う時はそう……まさに鬼神みたいだった」

「奴と一緒にしないでいただきたい」

「あら、こりゃ失敬」

 ここで診察室の扉がノックされる。

「? はい、どうぞ」

「失礼するわーん」

 扉から優雅な仕草で入ってきたのは、筋骨隆々な体をピンクのスーツで包み、唇を紫に塗りたくり、ネイビーのアイシャドウをちらつかせた坊主頭の男性だった。

 その如何わしい男はタケシを見つけるや、その目をより強く輝かせた。

「あら? あなたが噂の六会タケシくーん? 可愛いわーん」

「……高梨先生。このオネェ、誰っすか」

「この病院の院長だよ」

「え!?」

 病院で院長というと、てっきり昼ドラとかその手の小説みたいに看護師の玉の輿に利用されたりするような金の成る木か、あるいは不祥事の黒幕のような風貌の人物なのかなーと思っていたが、いまの彼との邂逅でタケシの中で根を張っていた先入観は全て燃え尽きて灰になった。

「あら、タケシちゃん? 何か失礼な事を考えていなかった?」

「いや……その……」

「もう、これだから最近の若い子はダメなのよ。オネェが病院の院長になっちゃいけないなんて法律は千年前の日本国にも無かったでしょうに。でも、可愛いから許しちゃう」

「寄るな、来るな、暑苦しい……!」

 もはや敬語を使う気も失せ、タケシは迫りくるオネェ院長の顔面を全力で押し返そうとする。

「大体、俺には心に決めた人がいるんだよ! こんなトコを奴に見られでもしたら、色んな意味で大変な事に……!」

「世の中には一夫多妻制というありがたい法律があるわーん!」

「嘘つけ! んなモンあったらいま頃人口爆発起きとるわ!」

「あのー、院長? アッカーソン院長!」

 陽太郎が半ばキレ気味で呼びかけてくれたおかげで、アッカーソンと呼ばれたゲイ――オネェ院長は興を削がれたように居住まいを正した。

「陽太郎ちゃん、居たのね?」

「居ましたよ、最初から!」

「まあ良いわ。今日は六会君に用があって来たの」

 ゲイ院長は華麗に陽太郎の叫びをスルーして、タケシに向き直った。

「初めまして、六会タケシ君。私はレイモンド・アッカーソン。当病院の院長です。今日はあなたに折り入ってお願いがあって、直接私の方から出向かせていただいたわ」

「お願い?」

「ええ。まずは一緒に応接室に――ちょっと? 何で壁際まで逃げてんのかしら?」

「本能です。気にしないでください」

 いざとなったら真後ろの壁を<バトルカード>でぶち抜いて逃げる!

「もう、本当にマジメなお話なのよ? それに、食べる時はきちんと寝かせてからというのが私の流儀なの」

「なるほど、俺を催眠ガスで眠らせ――」

 すぐ後ろの壁に黒い穴が穿たれる。レイモンドが拳銃で放った弾丸が穿った弾痕だ。

「来てくれるわね?」

「……はい」

「素直でよろしい。さあ、行きましょう」

 タケシは何も言わずレイモンドの後を追い、彼と一緒に部屋を出た。後ろから「壁の修繕費、ちゃんと後で出してくださいよ院長!」とか叫ぶ声が聞こえたが、いまはそれよりこちらの命が危ぶまれる状況だ。構っている余裕は無い。

 やがて例の応接室に辿り着き、扉を開けて中に入る。

 中央の高級そうなテーブルを囲んでいたのは、なんとタケシの両親だった。

「親父、お袋!? 何でこんな所に!?」

「お前の退院予定日が今日だと聞いたからな。あらかじめ予定は開けてある」

「タケシ、本当に久しぶり」

 ほっとしたような面持ちで出迎えるのは、タケシの母、六会恵美むつあいめぐみである。父親である六会忠とは何度も顔を合わせているので言う程驚いてはいないが、母親と実際にこうして顔を合わせる機会がほとんど無いので、それは素直に驚いている。何せいままで星の都学園でずっと両親から離れて寮生活していたのだから。

 前に会った時よりも恵美が少し老けたように見えるのは、果たして気のせいか。

「お袋、心配かけたな。俺はもう大丈夫だ。高梨先生のおかげでな」

「ええ。いずれお礼をしなければね」

「お前にも他人に礼を言う余裕が生まれたか。良い事だ」

 忠がしきりに頷いて言った。

「おいこらクソ親父。俺がそこまで礼儀知らずだとでも思ったか?」

「さっき発砲音が聞こえたが、それはお前が何か失礼をやらかしたからではないのか?」

「いえいえ、おたくの息子さんは極めてお利口さんでしたわ」

 レイモンドが白々しく言った。

「ともあれ、これで役者は揃いました。タケシ君、そちらに掛けなさいな」

「あ、はい」

 言われた通り、タケシは忠の向かい側のソファーに腰掛けた。

 レイモンドは立ったまま、窓から映る外の景色を眺めつつ言った。

「本題の前に一つだけ。我がグランドアステル中央病院は全区域の中でもっとも広大であり、かつ最新鋭の医療設備を備えた最高クラスの医療施設です。大抵の病気ならここで普通に完治します。でも、そんな我々をして、治療に際しては困難を極める病状が二つだけ存在します」

「ODDと、獣化寄生病ですな」

 忠が落ち着き払って回答する。丁度、タケシも同じ事を考えていたところだ。

「正解。ライセンスバスター部門、六会長官。あなたの息子さんが罹患したのはその前者――そして、息子さんの初恋の子、そしていまの恋人をかつて苦しめていた病気がその後者。何か、運命的なものを感じるでしょう?」

「そして、いずれも倅の<アステルジョーカー>が関わっている」

「ええ。さて、ここからが本題」

 レイモンドは踵を返して神妙に述べる。

「タケシ君が<NO.5 サークル・オブ・カオス>を最初に使ったのが、その誕生直後。つまりは九月の後半くらいだったかしら。それでこの病院に収容されていた獣化患者を纏めて救済して以降、ウラヌス機関の指示でタケシ君、あなたを西区域に送り込み、獣化患者に対する救済活動を行わせていた。でもそれが種になったのか、あなたは<アステルジョーカー>の過度の使用によって今度はODDを発症してしまう。それもしばらくの静養で完治はしたけど、多少は後遺症が残っている筈よね」

「一応、向上した能力はそのままになってますが」

 つまりはODD発症初期に上昇した動体視力や空間認識能力などである。

「たしかにいまのタケシ君はそうかもしれないわ。でも、これ以上その負担が大きい<アステルジョーカー>を使い続ければ、ODDの発症と回復の繰り返しで、あなた自身の体と精神の摩耗が非常に激しくなる。次は下半身不随では済まないかもしれない。最悪、植物人間になる可能性すらある」

「ぞっとせん話ですね」

 冗談めかしてみるが、本格的には想像もしたくない話である。

「私はあなたが<アステルジョーカー>を手にしてからその可能性に気づいていた。だから私達はあなたに頼らず、自分達の力でODDと獣化寄生病の治療に力を注いだわ。結果的に研究は成功して、いますぐにでもその二つの症状に対する有効なワクチンを量産出来る――はずだった」

「だった?」

「お金がね、無いのよ」

 レイモンドの言葉は切実だった。

「研究そのものに莫大なお金を注いじゃってね。実験が成功してワクチンの量産体制に入ろうとした矢先で融資先にも見切りをつけられちゃって。そりゃそうよ。そのワクチンが利益になるかどうかの見込みなんて、金融側に余程の目利きがいなければ予測できないもの。当の私達ですら怪しいと思うくらいだし」

 作った商品が全て売れるとは限らない。当たり前の事だ。それに、ODDと獣化患者はそれぞれがかなり希少な病状だ。そこまで需要が多くないので継続的な利益には成り得ない、だからこれ以上お前らには金を貸しても意味が無い。そんなごく当たり前な摂理に遅くから――本当に遅くから気付いた聡い奴が、不運にも金融側に籍を置いていたのだ。

「つまり、レシピがあるのに材料が無い状態って事ですか」

「エクセレント、上手い表現ね。その通り。そうなると獣化患者はまた六会君に救ってもらうしかないけど……」

「そうなればタケシに再び大きな負担を強いる事になる」

 レイモンドと忠が言ったように、もうこうなると単なる悪循環だ。

「そう。もうこの件に関してはどうしようも無い――少なくとも、つい先日まではそう思っていたわ」

「というと?」

「あるのよ。一つだけ、方法が」

 レイモンドが口調と似つかない声音で告げる。

「GACS。来月開かれるバトルの大会。これの優勝賞品が何かをご存知?」

「たしか、全ての<メインアームズカード>の中でも最強の性能を持つとかいうSSS級の<メインアームズカード>と、優勝者の願いを一つだけ、ウラヌス機関が可能な範囲で叶えてくれるという特権……とか言ってたっけ」

「そう。ここまで言えば私が何を言わんとしているのか、分かってくれたでしょ?」

「…………」

 分かっている。こんなの、猿でも理解できる話だ。

「アッカーソン院長。つまりはこういう話ですか」

 タケシが淡々と言った。

「俺にGACSに出場、優勝してもらって、この病院の資金難を救ってほしいと。そうすれば院長の手を焼かせる二つの病状に関しても完璧な対処が打たれ、俺も今後、<アステルジョーカー>の使用回数を減らす事が出来ると。そういう話ですね」

「ええ。こちらとしても虫の良すぎる話だとは思っているけれど、もう貴方に頼るしか方法が無いのよ」

 レイモンドの言葉に嘘は無いだろう。ただ、やはり腑に落ちない点がいくつかある。

「本当に頼める相手が俺だけだと? 院長自身が出場すれば良いのでは?」

「それはあくまで出場だけなら、の話だ」

 忠が話に割って入る。

「しかし、優勝とまでいくとなると、最後の難関が非常に厄介だ。よしんば決勝戦まで進めたとして、そこには九条君やエレナみたいな怪物がゴロゴロしている」

「んな事言ったら俺にも優勝出来るかどうか……」

「お前には<アステルジョーカー>があるだろう。たしかにお前自身の能力で彼らに太刀打ち出来るかどうかは微妙なところだが、<アステルジョーカー>を用いた時の戦闘数値は九条君を上回っている。乱戦ならともかく、一対一の戦いではお前にも分がある筈だ」

「親父。まさかとは思うが、俺にこの頼みを受け入れろと?」

「それを決めるのはお前自身だ。私はあくまで、可能性を示唆しただけに過ぎん」

 ああいえばこういう親父だと思ったが、実際彼の言う事は正しい。GACSのルール次第だが、ちゃんと考えて挑めば勝てない相手はいない筈だ。それに、大会という形式上、<アステルジョーカー>をそう何度も使う機会は訪れないだろうし、あったとして回数はごく少なめかもしれない。

 切り札は使いどころが肝心だ。カードを切るタイミングさえ誤らなければ、もしかしたら本当に優勝も夢ではないのかもしれない。

「あなたは獣化寄生病とODD、二つの病と関わっている」

 さっき聞いたような文言を、レイモンドが再び並べ立てる。

「自分と同じ思いを他の人にはさせたくないと思うなら、私達に力を貸して欲しい」

「まるで脅迫ですね」

「それぐらい余裕が無いってこと」

「…………」

 当惑していないと言えば嘘になる。ただ、レイモンドの要求に対して、簡単に首を横に振れない自分がいる。

 それにしても困ったものだ。今回はGACSなんぞに出場せず、しばらく普通の学校生活を送りつつも、放課後はナナと一緒に静養していようかと思っていたのに。もう面倒な病状に悩まされるのは御免だし、あんな苦しい想いをするのは『アステマキナ事件』だけで充分だと何度心の中で文句を垂れた事か。

 タケシが「あー、ナナが恋しいわー」とか脳内で現実逃避していた時だった。

「院長!」

扉が慌ただしく開かれ、陽太郎が血相を変えてこの部屋に飛び込んできた。

「あら、陽太郎ちゃん。どうかしたの?」

「大変です! 獣化患者の一人が暴走状態に!」

「何ですって!?」

 レイモンドのみならず、この部屋にいた六会家の全員が驚いて立ち上がる。

「獣化患者が?」

「事情は後で聞くとしよう。いま何処にいる?」

 忠がいち早く事態の深刻さを飲み込み、<アステルドライバー>を腕に装着して、<ドライブキー>を側面のスロットに差し込んだ。

「患者は病院の中を暴れ回ってる。特定の場所には留まってません!」

「だったら騒がしい場所を探せば良い。院長。私の倅と妻を頼みます」

 忠はそう言い残すと、その屈強なガタイからは想像もつかないような俊敏さで部屋を飛び出した。

 タケシがレイモンドに訊ねる。

「院長、一体どうなってるんですか?」

「知っての通り、ここには獣化患者が多数収容されている。中には完全獣化も近い患者がいるのよ」

「その人達ってまさか――」

 タケシは自分でも計り知れない程には聡明だ。

 故に、すぐ気づいてしまう。

気づいてはならない事実に、一瞬で気づいてしまった。

「俺が入院している間に送り込まれた、新しい患者」

「やめなさい。決して貴方のせいではない」

「俺が入院なんてしてないで、<アステルジョーカー>を使っていれば、すぐにでも完治していた人達……そうですね?」

「…………」

 やはり、そうか。

 タケシが入院、通院生活を送り始めたのが年明け頃からで、いま暴走しているという例の患者も、その患者以外にこの病院に収容されている別の患者達も、それとほぼ同時期にこちらに入院してきた連中ばかりなのだろう。

 もし俺がODDに罹患していなければ、いまごろ全員救えた筈の人達だ。

「行かなきゃ」

「え?」

「院長、俺の<アステルジョーカー>は?」

「持っていたとして、行かせると思ってるのかしらん?」

「院長先生の言う通りよ」

 恵美が陰鬱に言った。

「去年もそうだった。あなたが無茶をして体を壊して、それで救われた人達がいたとしても、喜ばない人だって必ずいる。私なんか、<方舟>の戦いであなたがテレビに映った時、どれだけ心配して見ていた事か……」

「けどこのままじゃ、親父がその患者を殺すかもしれねぇんだぞ!」

「それがライセンスバスターのお仕事だからね」

 陽太郎も否定気味に述べる。

「忘れちゃいけないが、君は九条君と違って、そこらへんにいる平凡な中学生の一人だ。<アステルジョーカー>を起動できるだけの、ただの子供なんだ。ちょっと大きな力を持ったくらいで、いまみたいなシビアな案件には首を突っ込むべきじゃない」

「だからどうしたってんだ!」

 タケシが力を込めて叫ぶ。

「たしかに俺はナユタの野郎には及ばないかもしれない。でもな、俺は約束したんだよ! 救いたくても救えなかった奴と! 救いたくても救えなかった後悔も、護ろうとしないで護れなかった後悔も、俺はもうする気は無い! 使えるものは死人だって使ってやる! そうじゃないと、俺は生きてるだけの死人だろうが!」

「……生きてるだけの、死人……ね」

 いまの訴えを真っ向から受け止めたレイモンドは、小さく繰り返すと、次に試すような視線を恵美に向ける。

「男の子は本当におバカさんばかりですわねぇ、ミセス六会」

「…………」

 恵美は目を伏せて黙ったままだったが、やがてソファーに置いていた鞄から、小さな小箱を取り出してタケシに差し出した。

「……これは?」

「開けてみなさい」

 タケシは小箱の上蓋を開けると、中に入っていたカードを取り出し、その絵柄をしばらく見つめ、カード名を小さく読み上げる。

「<アステルジョーカーNO.X>……?」

「あなたの新しい<アステルジョーカー>よ」

 レイモンドが言った。

「九条ナユタ君の<NO.9 インフィニティトリガー>の回路設計をベースに、他の<アステルジョーカー>全てのスペックデータを参考にして<サークル・オブ・カオス>に注ぎ込んだ、ステラカンパニーの最高傑作。<インフィニティトリガー>が『至高』と評されるのに対し、こちらはまさに『究極』の<アステルジョーカー>と言えるでしょう」

「どうしてこんなもんを?」

「あなたのお母さんがね、頭を下げて園田サツキの御両親――園田夫妻に頼み込んだのよ」

 タケシは瞠目して、恵美とレイモンドの両者をそれぞれ往復して見遣る。

 レイモンドがうふふっと気持ち悪く笑った。

「お母様は言っておられたわ。これをあなたの体に可能な限り負担が掛からない<アステルジョーカー>に改造できないかって。そしたらあの愉快な夫妻が、報酬もクソも関係無しにノリノリで取り組んだって話だわ。私もあの二人とは知り合いだけど、自分が面白いと思った事にはとことん乗り気なのが良いところよねぇ……そのバカ正直さに、ちょっと呆れちゃうわ」

「…………」

 その結果が、このカードという訳だ。つくづくとんでもない夫妻である。

「性能なら<インフィニティトリガー>を遥かに上回るけど、扱いがさらに難しくなってる可能性があるわ。こればっかりはあなたが発動してみてのお楽しみだけど」

「もしこのカードを受け取るなら、私とお父さんに約束して」

 恵美がやっと、腹を決めたように表情を引き締める。

「どんなに傷付いても、必ず生きて、私達のもとに帰るって」

「誰が死ぬかよ。俺を誰だと思ってんだ」

 タケシは精一杯強がった。

「あの親父と、このお袋のガキだぜ? そう簡単にくたばるかよ」

 時間が許すなら、さらに言わせてもらいたかった。

彼女の顔を――いや、孫の顔を見せるまで死ぬ気は無い、と。

「院長、高梨さん。ちょっくら親父の邪魔してきます」

「あなたのお母さんは私達に任せなさいな」

「頼みます」

 腕に試作段階から愛用していたクロムカラーの<アステルドライバー>をあてがう。側面から光子で構成されたベルトが伸びて腕に巻きつくと、すぐに<ドライブキー>を側面のスロットにセットする。

『バトルモード・セットアップ』

「じゃ、行ってくる」

 素っ気なく告げて、タケシは部屋から飛び出した。


 完全獣化が間近なだけあって、相手の格闘能力は非常に高い。

 金色に輝く上半身はもうライオンのそれとほぼ同じで、残る下半身だけはかろうじて人の足として形を保っている。二足歩行のライオンが丁度こんな姿なのだろうか。

 右から大振りのフックが飛んでくる。忠はさっと後ろに身を逸らし、次に来る左からのラリアットを喰らう前に、相手の顎に手甲付きグローブの拳を叩き込む。

 相手がよろめいた隙に、腹に蹴りを叩き込む。

 だが、ライオンの太い両腕が、腹に伸ばされたままの忠の足を絡め取っていた。

「何っ……!?」

 驚くのも束の間、ライオンはがっちり腕で忠の足を固定するや、緩急を付けて彼を軽々と投げ飛ばし、廊下の突き当たりの壁に激しく叩きつける。

 肺が、肩甲骨が――背面のあらゆる箇所が軋んで潰れそうだ。脳が揺さぶられ、三半規管も酷くかき乱される。

 忠は強靭な精神力でどうにか自身の意識を保つ。だが、これ以上のダメージを受ければ今度こそ本当に終わりだ。

 さて、どうしたものか。相手をただ無力化するだけのつもりだったのに、ここまで抵抗が激しいと、さすがにこちらも手加減なんてしていられない。一応、タケシに会いに来る予定だったナユタに連絡して急行してもらってはいるが、彼がこちらに到着したとして、安全に対象を無力化できるかどうか――

「ぐるぅおおおおおああああああああああああああっ!」

 ライオンがこちらの逡巡に構わず、咆哮し、唾液を口から振り乱して跳躍。両手に生えた鋼鉄をも引き裂きそうな爪が振り上げられ、

「<バトルカード>・<バウンサーシールド>、アンロック!」

 両者の間に緑色の膜が挟み込まれ、勢い余ってそれに激突したライオンの獣化患者がカードの効果に従って弾き飛ばされ、床を三回ぐらいバウンドしてから鉛筆のように転がる。

 忠は呆然として呟いた。

「助かった……? 一体誰が……」

「S級ライセンスバスターの長が聞いて呆れるぜ。長官の座、俺がいますぐにでも交代してやろうか?」

 左側の通路からゆったりと歩み寄ってくるのは、見慣れたようで実はそうでない、一人の少年の姿だった。

 いや、彼はもう、少年という括りで語られるべきでは無いのかもしれない。

 いつの間にか、六会タケシは父親の前で立派な背中を晒していた。


 人伝手に忠とライオンが大乱闘を繰り広げている場所を聞きだして駆けつけてみれば、早速自分の父親が大ピンチに陥っていた。

 とはいえ、忠も実は本気ではなかったのだろう。もし彼が殺す気で戦っていれば、あのライオンはもうここには立ってなどいない。

 分かっている。忠が自分なんぞよりずっと強い事も。

 分かっていた。ライセンスバスターの頂点に立つ者の、その力を。

「タケシ……お前っ……」

「親父はそこで休んでろ。安心しな、お袋は院長先生と高梨さんに任せてある」

 ライオンが頭を振って起き上がり、再びこちらを獲物として見据えてくる。本当に人の肉を食い荒らしそうなくらいには飢えている感じだ。

「あのライオンは、俺がやる」

 告げてから、タケシは瞑目した。

 ――俺は再び、戦場に立つ。

 俺にしか出来ない全てを、一つ残さずやり遂げる為に。

「いくぜ。<アステルジョーカー>、アンロック!」

 <アステルドライバー>のディスプレイが、音声入力に従って『UN ROCK!』の文字を表示させる。

 あらかじめ両手に装備させておいたクロムカラーのグローブが真っ黒に染まり、指の関節に磨き抜かれたような金色の装飾があしらわれる。手の甲には金色の円盤らしき物体が装備され、その中央は液晶画面のような黒いパネルに変化していた。

「<アステルジョーカーNO.X サークル・オブ・セフィラ>」

 これが十番目の<アステルジョーカー>。

 至高の剣と対を成す、究極の盾だ。

「<植陣プラント>・<複陣スプレッド>」

 手甲のディスプレイにそれぞれ『植』と『複』の文字が浮かび上がると、数百種類ある中から必要な<円陣>を選択、発動。<複陣>で相手がいる位置の両側の壁にびっちりと魔法陣を配置する。

 全ての魔法陣から緑色の光子からなる蔦が伸びる。ライオンは鬱陶しげに太い腕で蔦を打ち払うと、すぐに後ろに下がろうと身を引くが、その行く手を複数の蔦が徹底的に塞ぐ。

 この突き当たりに来るまでの一本道。退路は塞がれ、進む先は前あるのみ。

 ライオンは本能的に、タケシに突っ込んできた。

「タケシ、来るぞ!」

「分かってる」

 タケシの声音は極めて落ち着いていた。

「だから、もう手は打っておいた」

「あれは……!」

 忠も気づいたようだ。

 タケシがいる位置の一歩先、その天井に、金色に輝く魔法陣が配置されていたのを。

「ぐぅおぁああああああああああっ!」

 ライオンが丁度、その真下に躍り出る。

 ――これで終わりだ。

「喰らいやがれ――」

 金色の魔法陣がさらに輝きを増し、中央から木の枝みたいな光子体が伸ばされる。

「<生命のセフィラゲート>!」

 <サークル・オブ・セフィラ>最強の必殺奥義が発動。魔法陣の中央から突き出た枝の先が分岐し、成長したように伸び、ライオンの体の至る箇所を真上から串刺しにする。

 当然、ライオンの動きがぴたりと停止する。

 タケシは目と鼻の先にあったライオンの頭にそっと触れる。

「大丈夫だ。痛くも苦しくも無いだろう?」

「ぐぅ……」

 ライオンはもがくどころか、どこか安らいでいる様子だった。

「いま助けてやる」

 タケシが宣言すると、ライオンの体が徐々に淡く発光し、その輪郭も少しずつ薄れていく。やがて元の人の形に戻っていく中で、彼を刺す金色の枝が心臓の鼓動のように微かなノッキング音を奏でる。

 数秒もしないうちに、ライオンは人間の姿に戻った。

 すると、天井から生えていた枝が、魔法陣ごとガラスのように割れて細かく砕け、ぱらぱらと消滅していった。

 金色の雨が病院の廊下に降り注ぐ。

 まるで、スノードームの中にでもいるような気分だ。

「……っと」

 枝の支えを失った患者がふらっと前のめりに倒れるが、タケシはその体を受け止め、ゆっくりと彼を廊下の隅に横たえた。

 忠がいまにも枯れそうな声で訊ねてくる。

「彼の容体は?」

「大丈夫。まだ息はあるし、むしろ安定してる」

「そうか……」

 ようやく気を抜いたらしく、忠は溜まっていた緊張を全て吐息にして吐き出した。

「私もとうとうロートルか。元気だった頃が懐かしい」

「ジジイぶってんじゃねぇよ。まだあんたを必要としている人達がいんだろ」

「……大きくなったな、お前も」

「あ?」

「いや、何でもない」

 忠はよっこらせっと立ち上がり、服に付いた埃を軽く叩く。

「いま起きた事は私とお前しか見ていない。<生命の門>の効果を院長とその他ごく一部の人間にしか口外するな。またお前の力を頼りにしだす連中が現れる」

「分かってるさ」

「タケシ! あなた!」

 右の廊下から恵美とレイモンドが駆け寄って来た。騒ぎが収まったのを見計らって様子を見に来たらしい。

 レイモンドは血相を変えて言った。

「患者は?」

「そこに」

 タケシが顎をしゃくった先で寝ていた患者を見て、レイモンドが安堵する。

「良かった……あなたがいなければ、いまごろどうなっていたか」

「俺は何もしてないっす」

 タケシは自嘲気味に言った。

「全部、この<アステルジョーカー>のおかげです」

「そんな事も無いんじゃねーのか?」

 左側の通路から新たな声がしたので振り向くと、視線の先にはライセンスバスターの制服を着た九条ナユタの姿があった。

 タケシは目を丸くする。

「ナユタ!? お前が何でここに?」

「長官から通報を受けたんだよ。お前が失敗した時のバックアップが俺の仕事だったんだけど――」

 ナユタはいましがた到着した医療スタッフに担がれて運ばれる患者を見遣る。

「どうやら取り越し苦労だったみたいだな」

「ああ。本当に良かった」

「九条君、タケシ」

 忠が二人の会話に割り込む。

「事後処理は我々に任せて、タケシはもうここから出ると良い。早く友達に元気な姿を見せてあげなさい」

「良いのか?」

「ああ。九条君も、今日はもう帰って良い。すまなかったな、非番なのに」

「いえいえ。それでは、今日はここで失礼します」

「うむ。……あ、そうだ」

 ナユタとタケシが歩き出してすぐ、忠が何かを思い出したらしい、さして重苦しくも無いように訊ねてくる。

「タケシ。例の話はどうする?」

「やるよ」

 タケシは即答した。

「あんだけ大口叩いてここまでやったんだ。男は最後まで、だろ?」

「分かった。院長にはこちらから伝えておく」

「ああ。じゃ、また今度な」

 使えるものは死人だって使う。そうじゃなきゃ、俺は生きてるだけの死人だ。

 存外酷い台詞を吐いたものだなと内省してから、タケシは歩き出した。


「あなたが何を考えてるか、私には分かってしまいますわ、ムッシュ六会」

 忠が遠ざかるナユタとタケシの背中を見送っていると、横からレイモンドが楽しげに言った。

「思い出しているのでしょう? 一世代前に史上最強と謳われた黄金世代。あなたと九条カンタもその一人だった」

「全員、私を置いてさっさと逝ってしまいましたがね」

 十年以上前、このグランドアステルには最強の五人と謳われた者達がいた。

 西の暴君、九条カンタ

 軍神、六会忠。

 剣豪、園田政宗。

 鉄の心、八坂ミチル。

 獣の覇者、エリン・ベクラール。

 彼らが全員、足並みを揃えて戦う機会は、ついぞ訪れなかった。

「でも、倅達を見ていると思い出すのです。去年の冬、<方舟>での大乱戦。彼ら五人が足並みを揃えて巨悪に立ち向かったあの姿は、私がかつて夢見た光景と何処か似通っていた」

「もしかしたら、あなた達をとっくのとうに超えてるのかもしれませんわね」

「もう超えました。そして、これからもっと強くなる」

 忠の言葉は確信そのものだった。

「進化を忘れない子供は、そういう生き物でしょう?」


   ●


 御影東悟は、目の前を歩く中年の男の後ろに付いて暗い廊下を歩いていた。左右にはホルマリン漬けとなっている様々な生物が閉じ込められたカプセルが等間隔に並んでおり、その装置を下から照らす緑色の光のみがこの場所における唯一の光源だ。

 やがて最奥部の扉に辿り着く。男がその横に据え付けられた端末にカードキーを通すと、冷たい鉄の扉が軽々しく左にスライドする。

 進んだ先の部屋に広がる光景を見て、東悟は息を飲んだ。

「これは……」

「驚いたかね? 御影君」

 白い背広で身を包んだ男――名塚啓二は得意気に言った。

「これが私の子供達だ」

 啓二が腕を広げ、部屋一面に整然と置かれたカプセル装置の数々を誇らしげに紹介した。

 円筒状のカプセルの中には一糸纏わぬ人間の体がそのまま収められている。顔や体格は全く同じであるものの、共通して全てが十代前半の子供のものであるという予測はついた。

「<アステルジョーカー>の中核――パソコンで言うCPUの役割を果たす<アステルコア>をこの子達にインストールする事で、その情報に則ってその肉体は自由自在に変化する。例えば、君のその脇差――」

 啓二は東悟の懐からちらついていた脇差の黒い柄をちらりと見る。

「それはたしか、君の娘さん――御影美縁ちゃんだったかな? 彼女の<アステルコア>をこの素体に移植する事で、彼女は再び自分の体を取り戻すだろう」

「本当にそんな事が可能なのか?」

「ああ、可能だとも。既に成功例が存在している。試験体のいくつかはごく普通に日常生活を送っているよ」

「だったらいますぐにでも――」

「ただし」

 啓二がわざとらしく言った。

「それには条件がある」

「条件、だと?」

「ああ。来月のゴールデンウィークに開催されるGACSに出場してもらい、そして優勝する事。もし優勝が叶わなかった場合、この話は残念ながらご破算だ」

「何の為にそんな事を?」

「決まっている。宣伝だよ」

 こちらが焦れているのを知っているだろうに、あえてもったいつけているのがよく分かる。これは彼の心理作戦だろう。

「GACSの優勝賞品の一つ、優勝者の願いを一つだけ叶える。君には是が非でも優勝してもらい、私が創造する新しい人類に対する権利と保障を勝ち取ってもらおう。元々が交配も無しに新しい生命の種を作り出すという、神の領域を踏み越えかねない研究なのだから、それを認めてもらうにはそれ相応の対価を覚悟せねばならん」

「そうなれば美縁の安全と権利を必然的に認められる。そういう話か」

「ああ。それに、いますぐ彼女に素体を与えられないのにはもう一つ理由が存在する」

「というと?」

「その大会に、君以外の<アステルジョーカー>のオペレーターが全員参戦する可能性が極めて高い」

 というと、同族の八坂イチルとも戦わねばならないという事だ。彼女の力を知る東悟からすれば、非常に面倒な話と言える。

「大会のルール上、決勝戦は<アステルジョーカー>の使用が条件付きで可能となっている。もし君が彼らと当たる場合、娘さんの力なら彼らを必ずねじ伏せられる。いま私が君に提示したのは、それを見込んでの条件だ」

 GACS決勝戦は勝ち抜きトーナメント方式で、<アステルジョーカー>を持つ者が相手なら自分も<アステルジョーカー>を使えるというルールだ。逆に<アステルジョーカー>を持たない相手と当たった場合は普通に<メインアームズカード>による戦闘となる。東悟はこれの意味するところをよく知っていた。

 例えば九条ナユタに<アステルジョーカー>無しでの対人戦を挑む場合、正直な話、自分には彼に勝てる自信がほとんど無い。

 だが、<アステルジョーカー>同士の対決なら、逆に全く負ける気がしない。

「協力してくれるね? 御影君」

「無論だ」

「何なら、優勝した後の君の安全と権利も同時に保障するが? 指名手配犯なんだろう、一応は」

「娘が元の体を取り戻せるなら、私自身はどうなっても構わない」

『そんなのヤだよっ!』

 いままで黙っていた脇差が、急に甲高い声で喋り始める。

『パパも一緒にいようよ、ねぇ!』

「分かった分かった。私達はずっと一緒だ」

「なるほど。完全に死んでいる訳ではないのか、彼女は」

 啓二が興味深そうに唸る。

「しかし、とても羨ましい話だ。私にはどうにも遠すぎる」

「は?」

「何でもない」

 一瞬だけ物憂げな顔をした啓二がポーカーフェイスに逆戻りする。

「宿はこちらで提供しよう。最低限、大会が終わるまではウラヌス機関の連中を黙らせられるだろう」

「任せても良いんだな?」

「ああ。君の力は頼りにしている」

 啓二が東悟の肩に手を置いた。

「お互い後に引けない者同士、仲良くやろうではないか」

「後には引けない――か」

 東悟はいまの台詞を脳内で何回か反芻してから応じる。

「良いだろう。私達はこれで、一蓮托生だ」


                 GACS編・第一話「至高と究極」 おしまい

                          第二話「燕の羽」に続く


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