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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.4 ~イチル編~
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第十六話「流星のナユタ」

   第十六話「流星のナユタ」



 <プロメテウス>に首を掴み上げられたイチルが呻き声を上げる。

「ぐ――うぅ……」

「あなた、さっき何をしたの? いま撃ったの<クロスカード>でしょ? 答えなさい!」

 <プロメテウス>がさらに首を掴む力を強めてくる。このままだと本当に首の骨が折れてしまいそうだ。意識もさっきから怪しい。

 それでも、イチルは無理矢理笑って、<プロメテウス>の赤い双眸を覗き込んだ。

「へへっ……知ったところでもう遅い……! あんたなんかに、ナユタは負けない……あいつは、誰よりもあんたみたいな奴の弱さを知ってるから……誰よりも、弱いと思った自分と戦ってるから……!」

「減らず口を。八坂ミチルも長くはもたない。あなたを殺せさえすれば私の目標は完遂される。でも、最後くらいは興味深いデータを残してもらいたいから、こうしてすぐに殺さないであげているというのに……」

「くたばりやがれ、このアバズレ」

 ナユタの口調を真似て罵り、痰に血を絡ませて<プロメテウス>の頭部に吐きかけた。

「――決まりね」

 首を絞める力がさらに強まる。あと十秒もせずに、首が折れると共にイチルの命は尽きてしまうだろう。辿る末路が窒息死でないだけまだマシなのだろうか。

 口角から吹いた泡が涎と混じり、イチルが本当に死を覚悟した、その時。

「!? あれは!」

 さっきナユタが落ちた空域から、青白い光の柱が激しく突き上がる。

「……ね? 言ったでしょ?」

 イチルが呟くのと同じくして、光が絞られたように細くなる。

「あいつは、あんたなんかに負けないって」

 次の瞬間、イチルに伸ばされた<プロメテウス>の片腕が肘のあたりで両断された。腕ごと拘束から解放されたイチルの体がどさっと床に落ちる。欠乏していた酸素を貪り、咳き込み、彼女はようやくの人心地についた。

「何っ!?」

 片や<プロメテウス>が突然の事に驚いて後退し、司令室の真上に降り立った。切断された片腕は、例によってすぐに復元する。

 とんっ――と、軽い足音と共に、イチルの前に一つの人影が降り立った。

 水色の天然パーマを揺らす彼が纏っていたのは、ライセンスバスター専用の制服を白地にしたような外観のロングコートだった。本来だったら赤いラインが表面上に走っているのだが、彼の服飾の場合は青いラインが刻まれている。

 何より目を引くのは、背面に増設された飛行ユニットらしき物体である。両翼の如く背負われた流線形の大型スラスター。根元のジョイントから察するに上下に展開する仕組みのようだ。左手首の<アステルドライバー>には<ウィングフォーム>の<ドライブキー>が挿入されているので、どうやらそれによって発動している装備らしい。

 腰には一本の大太刀が鞘に収まった状態で差してある。おそらくあれが<蒼月>なのだろうが、柄頭には車の鍵穴を思わせるスロットが追加されている。

 それらの装備を一身に纏う九条ナユタは、いつも通りの小憎たらしい笑顔で言った。

「おいボロ雑巾、まだ生きてるか?」

「……やっぱあんたなんかに使うんじゃなかった」

「そいつはお前の判断ミスだ。せいぜい私欲の為に使わせてもらうぜ」

 ナユタはイチルから一旦視線を外すと、司令室の上に降り立った<プロメテウス>を見上げ、これまた余裕を全開にして言った。

「で、一応訊いておくけど、さっさと降参する気にはなれないかな?」

「どんな力を得たところで、あなたに勝ち目があるとでも?」

 多少は狼狽えつつも、<プロメテウス>は気丈に挑発する。

 ナユタはやれやれと肩を竦め、<蒼月>を抜刀した。

「勝てるかどうかなんて関係ねぇよ。どんなに苦しい時だって俺達は勝たなきゃいけなかった。どんなに負けていようが、俺達は生きるしか無かったんだ。だから何処までも戦い抜いてやる。大切な何かを失う事になっても、俺はその全部を背負って前に進む」

 <蒼月>の刃が月光の如く淡い光を帯びる。まるで、使い手の心を映した鏡のように。

「西の戦争屋、舐めんなよ」

 彼はそう言い残すと、背中のスラスターを展開。青い光の翼を広げ、すぐに<プロメテウス>が立っている司令室の上まで飛翔する。

「空中での機動力を得たか!」

 <プロメテウス>が忌々しそうに吐き捨て、垂直に飛翔。追いすがるように飛行するナユタから逃れるように飛び回った。

 さらに高度を上げて逃げようとする<プロメテウス>に追いつき、ナユタが嵐のように荒れ狂った連続斬りを繰り出した。敵も負けじと大太刀で応戦し、ナユタの斬撃を全て捌いてから反撃に転じようとする。

 ここでようやく、<プロメテウス>とナユタがまともな格闘戦を開始したのだ。

「あれは……<アステルジョーカー>なのか?」

 タケシがふらふらとイチルの傍に歩み寄りながら言った。

「いや、そもそもあのロボットと一対一で互角だと? どんな性能をしてやがんだ」

 ナユタと<プロメテウス>の熾烈な空中戦を見遣り、タケシが信じがたいといった調子で唸った。人間の常識を遥かに超えた速度で斬り結ぶ両者を見れば、誰だっていまのタケシと同じ心境に陥るだろう。

 だが、それでもイチルは首を横に振った。

「違う。性能自体はこれまでの<アステルジョーカー>と全く変わらない。でも――」

 <プロメテウス>が両手に自動拳銃を召喚、発砲。ナユタは極限までに無駄を省いた動作で弾丸を全て回避するや、すぐに<蒼月>から月火縫閃を放って相手に直撃させる。

 あまりの威力に仰け反った<プロメテウス>が、背面のスラスターを吹かして泡を食ったかのように後退する。

「西で長年培った戦士としての力が、セントラルに来てからの経験が、あいつの中に眠っていた戦の記憶を呼び戻してくれた。相手と同じ土俵に上がりさえすれば、あいつは負けない!」

 これまでイチルは、様々な特技を活用して苦境を乗り越えた実力者の姿を目の当たりにしている。修一しかり、ユミしかり――何の才能も特殊な力も持たない彼らが持ちうる唯一の牙は、弱者故に鍛えられた長年の経験と保証された技術だった。盲目の人が視覚以外の五感に優れているのと同じ原理だ。

 ナユタの場合は、短いながらも濃密な十三年の人生で得た経験の全てが、まるで何度も鍛え上げられた末に刻まれた刃の波紋となって表出しているだけだ。だからこそ彼は強く、そして何度打ちひしがれようが必ず立ち上がれる。

 本物の強者だからこそ、本物の弱者だからこそ、彼は無限に強くなり続ける。

 それが、九条ナユタという戦士に残された唯一無二の牙だ。

「いくぜ!」

 ナユタがコートのポケットから<ドライブキー>を抜き出した。頭が魔法陣のような形に作られたそれは、<イングラムトリガー>が<ウィザードフォーム>に変身する為のアイテムだった。

 普段は<アステルドライバー>に挿して使う筈のそれを――しかしナユタは<蒼月>の柄頭に追加された鍵穴に差し込んで小さく捻った。まるでエンジンでも入れるかのような仕草だった。

 タケシの力を受けた<蒼月>の刀身がすぐさま分裂、ナユタの目の前に無数の魔法陣が出現し、目も眩むような青白い光が表面上で迸った。

「月火陣閃!」

 それぞれの魔法陣から、夥しい数の光線による一斉掃射が放たれる。

「<モノ・トランス>=<シールド>!」

 さっきの攻撃で隙だらけとなった<プロメテウス>が、必死の抵抗と言わんばかりに自身の周囲を朱色のエネルギーシールドで覆う。

 光線がシールドに直撃、しかし一瞬で破壊され、今度こそ本体に直撃する。

「ああ、ああああああ――あああああああああああああっ!?」

 閃光の怒涛が<プロメテウス>を覆い尽くす。装甲の各種が度の過ぎた熱量に当てられて溶けかかる。

 数秒後。おそらくは連射限界を超えたのだろう、やがて魔法陣からの射撃が止まった。

 驚くべき事に、あれだけの攻撃を総身に受けつつも、<プロメテウス>はまだ生きていた。装甲にダメージを負っただけで、実は内部への影響が少なかったようだ。装甲もすぐに修復され、新品同然の輝きを取り戻す。

「そんなバカな……この<プロメテウス>を超える性能を、何故!」

 <プロメテウス>が焦燥を滲ませて叫んだ。その間にも、ナユタが再び接近戦を挑まんと高速で肉薄していた。

「ひっ!?」

 もはや死の恐怖そのものとなったナユタの接近に、<プロメテウス>がようやく硬直したような仕草を見せる。だが、すぐに思い直して飛翔、再び彼から逃げ回るように空中をでたらめに飛び回り始めた。

 ナユタが通り過ぎ様に一閃。<プロメテウス>の脇腹が裂かれ、破片やネジなどが弾け飛んで宙を舞い上がった。

「よし、いいぞ……これなら勝てる!」

 タケシが隣で確信に近い声を上げる。すると、サツキやナナまで目を覚まして起き上がり、いま行われている奇跡的な戦闘を呆然と眺め始めた。

「あれは……ナユタ君……なのですか?」

「凄い、あの怪物を圧倒してる」

「サツキ、ナナちゃん!」

 どうやら倒されたからといって命に別状のある怪我を負っていた訳でもないらしい、二人の容態はまずまずだった。

「あたしもヤキが回ったかしらね……」

 今度はこれまた覚束無い足取りでミチルが歩み寄ってきた。もう輪郭どころか全体的な色素も薄めで、指先でつついただけで崩れ落ちてしまいそうだった。

「お母さん、その体……」

「エレナの止血を済ませて、その二人の疲労を急ピッチで抜いておいたわ。おかげで寿命をさっきの半分くらい犠牲にしたけど……これならあと一発ぐらい、最大威力の大技を――」

 彼女はそこまで言って、再び前のめりに倒れ込んだ。

「お母さん!」

「いき……なさい……彼と一緒に……戦いなさい……」

 いつも優しい彼女にしては厳しい言葉だった。親なら誰だって自分の子には征服欲を抱くものらしいが、いまのミチルにとってはこの言葉こそが娘に送れる絶対遵守すべき最後の発破なのかもしれない。

 いや、違う。

 どのみち、身命を賭した者の願いだけは無視できない!

「一発でいい」

 イチルが低い声で呟いた。

「一発でいいから、ナユタに一撃必殺の大技を撃たせる隙を作ろう」

 いくらナユタが新しい力を得たといっても、これまで蓄積されたダメージはほとんど回復していない。<クロスカード>にイチル自身の力も込めて撃ったので多少は傷も治癒されているのだが、それでも<アステルジョーカー>の負担に長時間耐えられる体ではないだろう。

 早めに終わらせなければ、今度こそこちらの敗北だ。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 ナユタが叫び、薙ぐような斬撃を<プロメテウス>の胸板に直撃させて吹っ飛ばすと、さらに駄目押しと言わんばかりに<ソードフォーム>の<ドライブキー>を<蒼月>に差し込んだ。

 鍔から上が、肉厚な包丁を模した巨大な刃に変形する。刃に青い光が淡く集い、やがて炸裂して青い炎を噴き出した。

「月火斬閃!」

 巨大化した太刀筋による右斜め上の一閃。<プロメテウス>の胸部装甲が切り裂かれ、中の機械部品などが露出するが、やはりすぐに亀裂は塞がってしまった。

 だとしても相当なダメージが入っていたらしい。<プロメテウス>の装甲の上で、赤色のスパークが頻繁に走り始めた。

「こうなったら!」

 恐らくはヤケになったのだろう、いまの一撃で高々と打ち上げられた<プロメテウス>が、体勢を立て直して大太刀の刃を真上に掲げた。

 刃から禍々しい程の光が溢れ出す。さっきと同じだ。ミチルやヒナタを以てしても止められなかった、最強威力の月火縫閃が来る――!

「その船もろとも、灰になると良いわ!」


 ナユタはいま彼女がしでかそうとする狂気の沙汰に背筋を凍らせた。

 さっきは二回も<ドライブキー>を用いた必殺技を使用している。その全てがさっきのサツキやナナの攻撃と同じように喰らったフリをして吸収されていたとしたら、いま<プロメテウス>が放とうとしているのはあの時と同等――いや、それ以上の威力を有する月火縫閃だ。

 止められない――!

「くそっ!」

 それでも止めるしかない。ナユタは船首の上まで躍り出て、真上から振り下ろされた光の刃を受け止めようとした。

 だがその時、背後に紫色の魔法陣が出現した。何事かと思って振り向いた時には既に遅く、円の中心に飲み込まれた直後、ナユタは甲板の上に再び引き戻されていた。

「! タケシか!」

 何故あんな余計な真似を――近くの彼に問いただす直前に、ナユタの眼前に二人の少女が力強く歩み出て、頼りがいのある立派な背中を晒した。

「<ハイパーカードアライアンス>・<ハリケーンオーバー>!」

「消し飛べ!」

 風の奔流を纏う<紅月>をサツキが一閃し、イチルが最大威力の矢を発射。

 二人一組の大技が一つの斬撃と衝突し、空間そのものをかき乱すような衝撃が発生する。油断していたらこの身が引き裂かれそうな勢いだった。

 やがて、最強威力の大技による衝突は、引き分けという形で決着を迎える。いままでの災害じみた爆風が嘘みたいに消滅し、小さな波紋がふわりと甲板全てに行き渡った。

「おおおおおおおおおおおおっ!」

 <プロメテウス>が咆哮を上げ、頭からこちらに突っ込んできた。どうやらここに来て再び現れた増援に対して、冷静さを失っている様子だった。

「<円陣>・<殺陣>!」

 <プロメテウス>の目の前に無数の魔法陣が出現、一気に炸裂する。続いて、いまの奇襲に驚いて仰け反った彼女の四肢や関節の動きを、ドラゴンの体の一部を模した八つの飛行ユニットが素早く封じ込めた。

 いまのはタケシとナナによる<アステルジョーカー>を用いての連携攻撃だ。タイミングも完璧だったし、何より彼らが自分に打たせようとしている次の一手が楽に読めた。

 ナユタはすかさず、鳥の翼を模したような<ドライブキー>を<アステルドライバー>から<蒼月>に挿し換える。すると、背中の大型スラスターが消失した代わりに、刃が不死鳥の翼みたいな姿に変化した。

 美月アオイの力を受け継いだ<ウィングフォーム>の<ドライブキー>――元となった怪鳥型<星獣>の強大な力を用いた必殺技は、<蒼月>が<ドライブキー>と連動して放てる技の中でも最強の威力を誇る!

『いっけえええええええええええええ! ナユタァアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

 四人が叫び、

「うおおおおおおおらあああああああああああああああああああああああああああっ!」

 ナユタによる渾身の一薙ぎ。翼の刀身から羽が全て抜け落ちると、鋭い太刀筋となって<プロメテウス>の全身を斬り刻み、貫通し、次々と解体していく。

 命潰える間際、<プロメテウス>が嘆くような悲鳴を上げた。

「バ……カ――な、ここ、こんな……トコロで――! イヤッ――」

 最後には中央から真っ二つとなり、大爆発を巻き起こして四散する。やがて爆風の余波が止むと、ナユタは改めて敵がいた空域をゆっくりと見渡した。

 誰もいない。さっきまで無数の敵が跳梁跋扈していたので、見晴らしが良くなった状態の方が珍しいのではないかなどという奇妙な感慨に囚われる。

 何にせよ、やっと終わった。全ての戦いが、ここに幕を下ろしたのだ。

「やったぜ、親父」

 ナユタはようやく気を緩めると、纏っていた白と青の装束を解除して、元のカードの形に戻してやった。

 そのカードに記された名前は、<アステルジョーカーNo.9 インフィニティートリガー>。あらゆる力の引き金となる、まさしく無限の力と呼ぶのに相応しい<アステルジョーカー>だ。

「無限の引き金――か。これまたロクでもないものを」

 などと言いつつも、ナユタにはある確信が湧いていた。

 これはいままでのような、ただ殺す為の力ではない。

 たくさんの想いを背負いながら、誰かを護りぬく力なのだと。

「お見事」

 背後から、つい最近聞いたような乾いた拍手の音が聞こえた。既に立ち上がっていたミチルが、虫の息ながらも満足そうな笑みを浮かべて両手を叩いているのだ。

「最高よ、あなた達」

「まだまださ。この程度で満足してたら俺にもこいつらにも先は無い」

「ご謙遜を。――さて」

 ミチルが背を向けてよろよろとナユタ達から離れ、再び振り返って言った。

「さっきは邪魔されちゃったけど、あなたと私の決着、そういえばまだだったわね」

「お母さん、もうナユタと戦う必要なんて――」

「お願い、イチル。よく聞いて」

 引き止めようとしたイチルを、ミチルは穏やかに制した。

「もう何分ともたずにこの体は消滅する。だからといって、皆に温かく見送られながら消える資格なんて私には無いの。理由は分かるでしょ?」

「だから最後は一番の強敵に討たれて死ぬ、か。たしかに盛大な最後だな」

 既に起きていたエレナが呆れたように言った。ミチルによって腹の傷口からの出血は抑えられているが、あくまで最低限の処置でしかなかったらしい、彼女はずっと腹を片腕で押さえていた。

「たしかにあんたは私達を裏切った重罪人だよ。あんた達がスカイアステルに及ぼした被害は甚大だからな。もうあそこでも何人か死んでるだろう」

「でしょ? だから最後はせめて、重罪人は重罪人らしく腹を切らなきゃね」

「その介錯を俺に頼むってか。随分と酔狂な奴だな、あんたも」

 言いつつ、ナユタは再び<蒼月>を召喚する。

「でもあんたいま言ったよな。決着をつけるって。だったら最後まで戦ってみせろや」

「……ええ」

 ミチルは快く頷くと、右手に細い黄金の剣を召喚する。女性向けの高級な装飾品を彷彿とさせるデザインからは、とてもそれが戦闘用の装備だとは思えない程の気品が漂っていた。

「これが私の<カオスアステルジョーカー>の本体よ。これを破壊すれば今度こそ私は死ぬ。二度とこんな形で蘇りはしない」

「お母さん……」

 もうイチルだって分かっていた筈だろう。取り返せない過去に妄執する虚しさを。

 だから、彼女はこれ以上の反論は重ねなかった。

「さあ、九条君。最後の勝負といきましょうか」

「ああ」

「待って」

 彼女と相対したナユタを、イチルが鋭く呼び止める。

「あたしがやる」

 イチルの瞳に、もう揺らぎらしきものは見受けられなかった。

「これはあたし達、親子の問題だから」

「……そうか」

 ナユタはミチルに背を向けると、<蒼月>をイチルに手渡して外野に移動する。イチルは<蒼月>の柄を固く握り締め、待ち構えていた人生最強の敵と対峙した。

「最後の相手はあたしだよ、お母さん」

「覚悟は決まったみたいね」

 二人はそれぞれ抜刀術の構えを取る。合図は――おそらく必要無いだろう。

 親子だからこそ知っている筈だ。呼吸を整え、気を練り、戦意が最高潮に達する瞬間を。

 やがて、二人は駆け出した。


「お母さぁああああん!」

「来なさい――イチル!」


 互いの剣が一閃、すれ違い様に交差する。

 折れたのは――ミチルの剣だった。真ん中のあたりで切断された刀身が、宙をくるくると舞ってナユタの足元に突き刺さる。

「……イチル」

 ミチルの上半身に深い刀傷が刻み込まれる。

「本当に――強くなったね」

 小さく呟いた後、あくまでゆっくりと、ミチルの体が前に倒れていく。消えかかっていた輪郭さえも光の飛沫となって宙を舞い、最後には床に触れる直前で完全な消滅を遂げた。

 その時の彼女は、至極安らかに、ただ笑っていた。

「……もう、後悔したって振り返らない」

 剣を下ろしたイチルが振り向きもぜずに、肩を震わせながら誓いを立てた。

「ナユタにもヒナタにも……お母さんにも負けないくらい、強くなってやる……!」

「なれるさ、お前なら」

 ナユタがイチルの前に歩み寄り、頭を撫でながら言った。

「よく頑張ったな。偉いぞ」

 さすがに彼女の泣き顔までは見ていられなかったので、そっとその小さな頭と背中を抱き寄せてやった。ただ、どうやったって耳の傍で漏れてきた嗚咽だけは聞かざるを得なかった。

 ナユタは景気づけのつもりで、ここにいる全員に聞こえるように言った。

「さ、とっとと帰ろうぜ。もうすっかり夜が明けちまった」

 気付けば、地平線の向こうでは眩い朝日が顔を出していた。


   ●


 大幅に削られたウェスト防衛軍の人員、破壊されたジャマダハル市街の再興、悪化した治安情勢、大量殺戮と破壊の末に残された経済的損失――考えるだけで頭痛薬を一日で一箱分平らげてしまいたくなるような懸案事項に悩まされつつ、ヤマタの老師は自宅である邸宅の執務室で大量の資料と格闘していた。

 その折り、今日何度目になるか分からない着信音が、机上の電話機から鳴り響く。

「はいはいもしもし? おう、六会か。どした?」

『八坂イチルがセントラルを脱走する際に犯した罪状が全て不問に問われてると聞いたのですが、老師は何かご存知で?』

「ワシに訊くこっちゃねぇよ。んな電話してる暇があったら手伝バカヤロー」

『噂では警察に多額の寄付金があったとか』

「寄付金欲しいのこっち! 被害がなんぼ出たと思っとんのじゃ己は! まあ、八坂イチルの件に関しちゃアレだ。<方舟>とやらの乗務員が全員「彼女を脅迫して従わせてました」とか口を揃えて言っとるんだし、金があろうがなかろうが末路は同じだろうが」

『ですな。ところで、御影東悟という人物の所在は?』

「もう警察も軍も捜索を打ち切ってるよ。つーか、こちとらそれどころじゃないの! お前、アレか? こうしてワシの仕事を邪魔する為だけに電話を寄越したんとちゃいまっか?」

『老師、キャラがブレブレです』

「やかましいっ! 殺すぞ!」

 受話器を本体に叩きつけて、ヤマタの老師はかりかりとした心情のままに仕事を再開した。


「いやー、老師も老師で大変ですなぁ」

「言っておくが、そうやって笑っていられるのもいまのうちだぞ、ハンス」

 S級ライセンスバスター専用の休憩室にて、ハンスは苦い顔の忠から説教をもらった。

「貴様がもうちょっと早くS級の武装を手に入れていれば、うちの倅が大怪我を押してあんな場所で戦わずに済んだものを、もしアレで奴が死んだらどうしてくれるつもりだったんだ?」

「勘弁してくれよ。娘に学校で「パパはS級バスターなんだー! かっこいいでしょー!」とか言いふらされてみろ? 親の七光りで図に乗っただけの悪い子に育っちまうだろうが。だからこれまでずーっと慎ましくA級で事を済ませてきたんだろうが」

「それはお前の教育が下手くそだから出る発想だ。俺の倅を見てみろ。いつ親の七光りで図に乗った?」

「ほら、男と女で育ち方ってのも違うだろうし――」

「父親談義、楽しそう」

「「ぬおっ!?」」

 ぬっと、二人の間から黒いもじゃもじゃ頭が割り込んできた。。これにはハンスだけでなく、忠までもが素っ頓狂な声を上げた。

「こ、ここ、心美、いたのか!」

「心臓に悪いからやめてくれ……!」

「てへ」

 タケシ以上に無表情な三笠心美が、お茶目のつもりか、柄にも無く可愛い声を出した。

「長官、こんなところで暇してて良かったの?」

「まあ、よく考えたら今回の件で私が請け負う分野は無かった訳だしな」

 主にライセンスバスターの人材運用が忠の主な仕事だが、あらかじめ部下のA級にはマニュアル通りに行動し、対処が難しい場合は他のS級を頼るようにとは言いつけてあるらしい。今回の場合は天と地の護衛さえ完了していれば、他の部署におけるライセンスバスターの重要度は比較的低めだったりするのだ。

 それに、テロの主犯である<新星人>は御影東悟と八坂イチルを除けば全員が逮捕、あるいは死亡している。主力のA級はともかく、S級バスターは暇をしていても何ら問題は無い。

「そういえば心美。エレナは何処へ行った?」

「病院。長官の息子さん達のお見舞い」

「そういえばタケシだけならまだしも、ナナや園田サツキも<アステルジョーカー>の負担が深刻だったらしいからな」

 方舟がスカイアステルの<テレポーター>に着陸した後、すぐに救助に向かった救急隊員の話だと、ナユタとイチルを除く三人の使い手がかなりのダメージを負っていたとの事である。元々が重症だったあの三人が、あの混沌とした状況下で回復と負傷を繰り返しながら戦闘していたら、まあそうなるだろう。

 ハンスはぼんやりと天井を眺めつつ言った。

「体のダメージならすぐ治るだろうさ。でも、心のダメージは如何ともし難い」

「八坂イチルの事を言ってるのか?」

「いや、あのガキ共五人、全員のだよ」

 いまでもハンスは疑問に思っていた。

 美月アオイの一件から始まり、龍牙島での戦い、園田政宗の死去、そして<新星人>のテロ――この短期間でこれだけの事件が起きて、しかもその中でナユタとタケシを始めとする<アステルジョーカー>のオペレーター達が、それぞれ掛け替えの無い存在を悲しい形で失っている。

 十三歳の子供達に与える試練にしては、いくらなんでも厳しすぎると思わないだろうか。

「何であいつらなんだ? まだあいつらは十三歳の子供だろうが。まだ弱くて、正直言って守られる側の人間だろう。なのに、どうしてあいつらにあんな沢山の試練が降りかかる? 見てらんねぇよ、俺は」

「同感だな。しかし、我々大人の役目は助け舟を寄越す事じゃない。九条ナユタみたいに、彼らと一緒に道に迷ってあげる姿勢が必要だと思わないかね?」

「そうそう。長官の言う通り。柄にも無く良い事を言う」

 心美が固い表情でうんうんと首を上下させる。忠とハンスはそんな彼女を一瞥して、互いに顔を見合わせ、一緒に盛大なため息をついた。

「おいコラ心美。お前だって一応、あいつらと同い年なんだからな」

「ふてぶてしいぞ。我が身を弁えろ、このちんちくりんが」

「ふにー、せくはらー、ぱわはらー、訴えてやるー」

 大の妻子持ち二人が十三歳の小柄な少女のほっぺたを弄り回す光景は、傍から見ればきっと微笑ましいものに見えただろう。


 セントラル区、ステラカンパニー本社のモニタールーム内にて、望波和彩は神妙な顔つきで、パソコンのモニターで再生された九条ナユタの戦闘映像を鑑賞していた。

「<アステルジョーカーNo.9 インフィニティトリガー>――使い込まれて要領が増えたカードに新たな力をつぎ込んだ結果がこれですか。カードの性能も然ることながら、恐るべきはその力を最大限に引き出して戦える彼自身の戦闘能力ですわ」

「たしかに扱いは困難を極めるだろうな。大したものだよ。しかし、まさか試作品の<クロスカード>を使われるとはね。少々予想外だったよ」

 傍らに立っていた園田村正が、同じく神妙な顔で頷いた。

「<アステルドライバー>による<フォームクロスシステム>は健在。<蒼月>は<ドライブキー>を挿入するスロットが新たに追加され、使用した<ドライブキー>に基づく様々な必殺技が撃てるようになった。以前の<イングラムトリガー>も興味深かったが、その性能も引き継いでいるようで何よりだ。彼には公式の場で<フォームクロスシステム>の実験に参加してもらいたいものだ」

「いまのうちに娘さんと婚約させてしまえば簡単なのでは? 彼は西で犯した罪状から、そう楽に身動きも取れないみたいですし」

「あらま、和彩ちゃんから素敵な提案を貰っちゃった」

 いつの間にか後ろに立っていた園田樹里が、何やら嬉しそうに声を跳ね上げた。

「まあ、あの二人は何だか前から雰囲気良さげだし? どうしよう、どっちかに「押し倒しちゃえ」とかアドバイスでもしちゃおうかしら」

「娘さんの貞操を何だと思ってらっしゃるのでしょうか……」

「わわ、私はまだ認めた訳では、なないぞ。じゅ、十三歳で、せせせせ――」

「あなたはあなたで何を想像していらっしゃるのですか?」

 揃いも揃って、愉快でツッコミどころ満載の夫婦である。

「そ、そんな事よりだ。望波さん。君にはサツキの代わりにまだテストしてもらいたい特注品のソード型があるんだ。あの子が完全復活するまでの間、よろしく頼むよホント」

「はいはい。分かりましたから、主任もそうテンパらずに」

「それから樹里。君はまだ残ってる仕事があったんじゃないのか? たしか、九条君からの依頼だったかね」

「ふふーん、簡単な仕事だったから手早く終わらせてやったわー」

 樹里がえっへんと胸を張った。

「本当に楽なモンだったわ。チャービルに新しいお洋服をプレゼントしたりー」

「イルカに洋服?」

「特注品で空を飛ぶソリを用意したりー」

「何に使う気だ?」

「演出用の<ガジェットカード>まで作ったりー」

「ちょっと待て、彼は本当に何を考えているのかね?」

 傍から聞いている限りでもツッコミどころ満載な仕事内容だった。果たして、ナユタは樹里の協力で一体何をやらかすつもりなのだろうか。少し興味が湧いてきた。

 それにしても、九条ナユタ。彼は本当に奇妙な少年である。

 たしかにエレナの言った通り、ヒーローにはなれないタイプの戦士だとは思う。加えて、誰かが道に迷った時は、自分も一緒に横に並んで道に迷うような奴だという話も本当だった。

 だからこそ分かる。彼自身が道に迷った時も、横に並んで歩いてくれる者がいると。

 その一人に、もし自分も加われるのなら――

「サツキさんからあの子を奪ったら、あれこれ文句言われないかしら……」

「和彩ちゃん、何か言った?」

「いえ、何も」

 でもまあ、その時はその時だ。


「どーすんのさ。六花族、僕のところ以外は壊滅しちゃったよ」

 ジルベスタイン家のテラスにて、アルフレッド・ジルベスタインがぶーたれと文句を垂れた。彼が不平不満を漏らすのはいつもの事なので、さして気に留める必要も無いか。

 と、雪村空也は内心でひとりごちた。

「仕方ないだろう。<新星人>の恨みを買ったのも、戦争に勝った後も上で悠々自適な貴族ライフを満喫して各方面から不興を買ったのも<トランサー>達だ。いつかは滅びる運命だったのさ」

「それって僕達関係ないよね。何で巻き添えを喰わなきゃならないのさ」

「実は事情聴取の際に八坂イチルが面白い事を言っててね。どうやら<新星人>側は最初から狙う人物をリスト化して、一般市民などの関係が無い連中は攻撃しないようにしていたらしい。だから<トランサー>を擁護した他の六花族も消されたんだろう。あと、話によるとアルの名前も始末対象に挙がっていたらしい」

「イジメっ子の勢力に加担した時点でそいつもイジメられる――イジメに立ち向かった奴もイジメられるっていう不文律の逆パターンかい? まあ、僕は全く関わってないっていうか、とばっちりを貰っただけなんだけど」

「関係あるなしはともかくとして、たしかにそうかもしれないね。何にせよ、盾としてのジョブを兼任している僕らS級バスターには迷惑な話なのは違いない」

 空也もアルフレッドも、正直今回の件については、多大な犠牲を生み出した割には悲しい気持ちにはなれなかったし、むしろ非人間的な不快感しか抱けなかった。

 六十年前の戦争の続きだかなんだか知らないが、余計な面倒を拵えやがってとか、今回は本当に大変だったんだから手当くらいは弾みやがれとか。少なくとも事件と密接に関わった当事者ではなく、そしてある意味では傭兵の身である空也はそう思ったし、エリートコースまっしぐらのアルフレッドからすれば犠牲者云々よりも、やはり前述のような文句が口をついて出てしまいそうだろう。

 とはいえ、これはあくまで立場でものを言った場合の話だ。空也も人並みには慈悲のある方なので、人前ではそんな事を絶対口にはしない。

「それはそうと、何で自損事故扱いで部屋の修繕費が我が家持ちなワケ? 一応さ、うちに侵入してきたバカ共全員を僕一人で片付けた手前、褒美とまではいかなくても損害手当くらいは出してくれても良いんじゃないかな。本当に意味不明なんですけど」

「それはお前の家に金があるからだ」

 高級陶磁器のカップに注がれた紅茶を飲みつつ、空也は淡々と簡潔に答えた。


『そうか。君がミチルを討ったのか』

「ええ。あたしの役目でしたから」

 中央病院の玄関先で通話するイチルは、自分でもよく分からない程に清々しく微笑んだ。

「御影さん。あなたはこれからどうするつもりですか?」

『暗に私に自首しろと? せっかく喋れるようになった娘を置いてか? 冗談だろう』

 電話の向こうで御影東悟が自嘲じみた声で言った。

『娘を元の姿に戻す方法を探すよ。その後だったら自首でも何でもしてやろうというものだ』

「その間に捕まっちゃったら? もしウラヌス機関がナユタに極秘であなたを討伐するように依頼したら、今度こそ本当に追い詰められちゃいますよ?」

『私があの小僧に負けるとでも?』

「ナユタは強いですよ」

『ならばねじ伏せるまでだ。そろそろ基地局に勘付かれる。私はこれで失礼させてもらおう。最後に君の声を聞けて安心したよ』

「いまでもあたしはあなたを仲間だと思ってます」

『私もだよ。では、達者でな』

 その一言を最後に、東悟はキリ良く通話を切った。

 <方舟>が発進する直前に起きたエンジントラブルがきっかけになったのか、彼は自ら退場を申し出て、結局はウェスト防衛軍の周囲を数人の部下と一緒に見張っていた。船が発艦した後は何処かの隠れ家に潜んでいるとは聞いていたが、その後の消息がいまになるまで不明だったのだ。

 さっきまでの話だと、東悟は<方舟>の戦いが終わったとの報せを何処からか受けた途端、長居は無用と判断して基地から離脱し、あてどない放浪の旅に出ているのだとか。

まあ、当然の結果だろう。結果的に<トランサー>への報復は果たしたので、もう東悟がスカイアステルを狙う理由もほとんど無い。それに彼の場合は娘を元の姿に戻せれば自分がどうなったって良いと考えているので、目的を達成するか、もしくは方法が無いと判断すればすぐにでもウラヌス機関に自首を申し出て来るだろう。

 思えば、これまでの戦いにおける本当の悪は、<新星人>でもなければ<トランサー>でもない――普通の人間だった気がする。

 東悟やミチル、ヒナタといった<新星人>の連中は、決して自らの欲望の為だけに戦った訳ではない。方法は間違っていたのかもしれないが、どこかに切なる願いがあって、良心が傷もうがその手段しか打てなかった不器用な彼らを、ただ悪と断じて切り捨てるのはそれこそこちらの良心が痛む。決して身内贔屓ではないが、実情を知る者としてはそう思わざるを得ないのだ。

 同じく<新星人>のバリスタだって実直に仕事と向き合った結果、ナユタやナナと敵対してしまっただけだ。もしかしたら普通に話し合えば理解し合える仲だったのかもしれない。彼と一度も会った事が無いイチルからすれば、非常に残念な話ではある。

 対して、アナスタシアはどうだっただろう。彼女は他人の不幸も考えずに、ただ自分を認めてもらいたかったからあんな暴挙に出てしまった。いや、彼女だけではない。美月アオイをいじめていた女子生徒も、人一人の命でさえ研究材料としか看做さなかった藤宮教授も、揃いも揃って己のエゴの為に誰かの涙を見ようともしない人でなしばかりだった。

 一番怖いのは知恵を持った獅子ではない。知恵を持つだけの弱者だ。

「イチル。……イチル!」

「にょっ!?」

 背中を叩かれて、ようやくイチルは我に帰った。気付けば、すぐ傍には三山エレナが仏頂面で立っていた。いるのは彼女だけでなく、先日紹介を受けた黒人男性と十歳前後の女の子も一緒だったりする。

 黒人の男、ロットン・スミスが陽気に笑った。

「何だ何だ? もしかして恋のお悩みか? 恋の病なのか? 恋の電波が鯉のぼりなのか?」

「訳わからないですよ、それ。ていうか、寒いです」

 彼の横に立っていたリリカ・リカントロープが手厳しいツッコミを入れると、イチルにはひまわりのように明るい笑顔を向けた。

「イチルお姉さん、こんにちわ!」

「こんにちわ、リリカちゃん」

 思えば、ナナとリリカが<トランサー>一族最後の生き残りである。東悟が<トランサー>一族への報復を諦めた理由の一つだ。さすがに自分の娘と近い年頃の少女達を手にかけたいとは思わなかったのだろう。

 談笑もそこそこに、四人は病院へ入って、目的の病室へと歩を進めた。

「そうそう、八坂さん。ウェスト防衛軍の生き残りから君への伝言を預かってるんだ」

 ロットンが唐突に言った。イチルが思わず怪訝顔をする。

「? ナユタじゃなくて、あたしに?」

「そうそう。えーっと……『支部どころか本部まで壊滅して人手不足だから、君には是非いますぐにでも我々の仲間に入ってもらいたい』、とか何とか」

「あの、あたしまだ中等部を卒業してないんですけど……」

「というか、勝手にイチルを引き抜こうとするな。イチルは我々ライセンスバスターのものだ」

 エレナまで勝手な事を言い始めた。これにはイチルも頭を抱えてしまう。

 ロットンが困り顔で言った。

「いや、私に言わないでくれ。あとは警察機構やら特殊作戦部隊やら――とにかくそういった戦闘専門の連中が君の実力と才能を買っているらしいんだ。先日の生中継が効果的な宣伝になってしまったらしいな」

「あたしのモデルとしてのイメージはいずこへ……」

 勿論、このリクルートはイチルに対してだけの話ではない。あの船上で奮戦したナユタ達の勇名は、グランドアステルどころかスカイアステルにまで轟いている。各企業の喉からどんな手が出ようと何ら不思議な話ではない。

「まあ、軍の人手不足は新たに別の区域から戦闘訓練を受けた人材を呼び寄せられるから良いとして――」

「もうどーでもいいです」

「あーだこーだ言ってる間に着いてしまった訳だしな」

 エレナが話に適当な落とし所をつけて、目的の病室の扉を指さした。表札には先の戦いで重傷を負った、星の都学園一年Dクラスの英雄達の名が連なっている。

『――もう我慢なりませんわ! 目の前であーんとかおいちーとかイチャイチャイチャイチャ……少しは独り身の気持ちも考えてくださいませんか!? 私だってまだナユタ君にあーんとかした事もされた事も無いのに!』

『あー! それあたしのバナナ! なんて事してくれとんじゃ!』

『おいサツキてめぇ、俺がいつおいちーとか吐かした? それから、お前はいつまであーんに特殊なこだわりを持ってるんだ!?』

「…………」

 扉の向こうが何やら騒がしい。病院で騒ぐなと親に教わらなかったのだろうか。

 イチルは多少辟易としつつも、目の前の扉を横にスライドさせた。

「だびんちっ!?」

 開けて早々、おでこに林檎がヒットした。

「食べ物投げるな! 独り身の僻みは醜さの象徴だ!」

「うるさいですわ! ぶっ殺しますわよ!」

「喧嘩すんなバカ共、ここが病院だって忘れたのか!」

「それ以前に傷が半分以上も回復していない奴がいるのも忘れたのか! つーか、お願いだから誰かこの部屋割り変えてくれええええええええ!」

「まだ体の内側が痛むのに……」

 サツキとナナが殴り合いを始め、タケシが二人を止めようとして逆に二人に殴り飛ばされ、臓器にまでダメージを負ってるせいでベッドの上から身動きがとれない修一とユミが泣きそうな顔で嘆いていた。室内をところ狭しとお見舞いのフルーツが乱舞する様は、見れば見る程ここが病院の一室であるという事実を忘れさせてしまう。

 エレナがからからと笑ってコメントする。

「いやー、元気なようで何よりだ。子供はやっぱりこうでなくてはな」

「そーですね」

 八坂イチル、ツッコミ放棄である。エレナはぬぼーっと入院患者達の大乱闘を眺めているイチルを横目で一瞥し、何処か安心したように言った。

「お前もあいつらと大きな変わりなんか無いさ。どいつもこいつも身勝手なバカヤローだ。でもこの連中には手前の我を通す為に一緒になってバカをやる奴らが傍にいてくれた。前を向いても導く者はおらず、振り返っても背中を押してくれる誰かもいない、ただ横を見ればそこにいる――この連中にとっても、お前はそういう存在なんだ。だから意地を突き通したのさ、こいつらは」

 エレナがジャケットの懐から一枚の便箋を取り出し、イチルに手渡した。やけにシワだらけで、ところどころが焦げているようにも見える。

「ナユタから預かった手紙だ。ある子から預かったは良いが、バタバタし過ぎて渡す機会を何度か逃してしまったらしい」

「……これって」

 開封した手紙には、見覚えのある字と、見覚えのある名前が記載されていた。

「そいつが君とって、その手で取り戻せる唯一の過去だ」

「お、イチルじゃん。来てたんだ」

 ようやくイチルの姿を見つけ、中の連中が騒ぎを止めて一斉に近寄ってきた。彼らの視線は、いましがたエレナから渡された手紙の文面に注がれている。

 手紙の内容はこうだ。


 八坂イチル様


 この度は突然のお手紙をお許しください。ですが、どうしてもあなたに伝えたい事があって、こうして筆を執らせて頂きました。

 私はいまウェスト区、タルワール市街にて、武器職人を営む老師・ラシッドに仕え、多忙ながらも充実した日々を送らせて頂いております。セントラルとは比べ物にならない程の<星獣>が日頃出現しては対峙するような日課が続いておりますが、どうにかまだ命は保っています。

 さて、私がこの手紙をしたためた背景には、以前よりあなたの心労の種となっていたであろう、星の都学園初等部時代の一件がございます。あの時は私の幼稚かつ筋違いな感情によってあなたを傷つけてしまった事、誠に申し訳無く思っています。本来なら直接面会をこちらから申し出て、面と向かって口頭にて謝罪を申し上げるべきだったのでしょうが、未だに心の準備が整わない私の身勝手で謝罪がこのような形となってしまった事、平にご容赦下さいませ。

 近々、私も一旦セントラルに帰還する予定です。もしそちらがよろしければ、今度是非お会いしたい所存にございます。度重なる無礼を書き連ねておきながらおこがましい申し出かと思いましょうが、重ね重ねご容赦くださいませ。

 それでは、またいずれ。

 

                                    叢雲 絢香


「……アヤカ」

 破けない程度に手紙の両端を握り締め、イチルは肩を震わせた。

「この……バカッ……本当に、手紙じゃなくて、いきなりでも良いから……会いにくれば良いのに……悪いのは全部、あたしなのにっ……!」

「そう思うなら、お前から会いにいけば良いじゃねぇか」

 タケシが腕を組んで頷きつつ言った。

「実はさっきナユタの奴が来てな。なんかサツキの母ちゃんに頼み込んで、すっげーモンを作ってもらってるとか聞いたぜ? しかもそいつをウェスト区に持っていくんだと。どうせだからその時一緒に行けば良いじゃねーか」

「そういえば、私達も一緒に来いとか言われてたような」

「たしかクリスマス・イブだったかな」

 サツキもナナも記憶の糸をたぐり寄せるような仕草をする。

「クリスマス……」

「良い日取りだなぁ。だったら私も一緒に行こうじゃないか」

「私も行きたいですっ」

 ロットンとリリカが乗り気で手を上げた。エレナも苦笑しながら言った。

「戦場のクリスマスってか? それもまた一興ってヤツかね。よし、そのアヤカって子に手紙で返信しなければな。まだ声を交わす勇気も無いだろう、実際」

「エレナさん、みんな……」

 周りの人間がここまで乗り気なのも珍しい。普通は一人や二人はノリの悪い奴がいそうなものだが、どうやら存外そうでもなかったらしい。

 イチルは手紙を胸に抱いて、改めて腹を決めた。

「アヤカ。すぐ行くから、待っててね」

 まだ戦いは終わっていない。最後の相手は、まさに自分自身だ。


   ●


 十二月二十三日、星の都学園第一アリーナ。今日の終業式にはナユタ達の姿は見えなかった。何かの用事でウェスト区に出向く準備をしているとか、いないとか。

 修一は校長先生の長い演説を聞き流し、時には欠伸をかまし、こちらを監視していたケイトに視線の圧力だけで注意されては態度を改める。退院してから日も浅いのに、全く以て酷な先生である。

 やがて校長の話が終わり、次はどういう訳か、さっきまで生徒達をつぶさに観察していた(そして主に保護観察の対象である修一とユミに警戒の眼差しを向けていた)ケイトが、かなり気楽な様子でマイクが乗る壇上へと上がった。

 彼は居住まいを正すなり、咳払いを一つ。

「……まあ、校長先生がさっきまで話していたのが、冬休みの有意義な過ごし方についての云々でした。だからこれからはそういった方面の話は一切しません。ただ、皆さんにちょっとだけでも知ってもらいたい事があっただけです、はい」

 これよりケイトが語る内容は、この終業式で聞いたどの話よりも面白く聞こえたと思う。

「僕は世の中には三種類の人間がいると思ってます。自分の正義を最後まで貫き通そうと意地を張る石頭、自分の欲望の為に誰かが味わう痛みを業として背負う悪人、私利私欲の為だけに誰かの涙を見ようとしなかった外道――およそこの三パターンです。

 僕が一番支持するのは一番目の人種かなって思います。彼らはどんなに暗澹とした絶望の中を彷徨っていようが、真っ暗な道をずっと駆け抜けていたいと、そうして自分が一番納得する光明を目指してその指を伸ばしたいと、いつもあがき苦しみ、もがいている。得られるものなんかたかが痴れているのに、どうして彼らはずっと戦い続けるのか――答えは簡単です。

 正義なんて二の次で、そんな大義名分なんかより、護りたい全てがあるからです。

 僕はそうやって自分の意地を通して戦った、本物の強さと鋼の魂を持つ人達の勇姿を知っている。いまの君達が彼らに追いつくには、まだ痛みも喜びも足りないのかもしれない。

 けれど少なくとも、正義より、世界の命運より、掛け替えの無い全てに命を張った者達がいたという事実を忘れないで欲しい。もしこんな僕の、こんな退屈な言葉を何年も、何十年も先の未来でも覚えてくれたなら、君達はきっと彼らに近づけたのかもしれないのだから。

 そして最後にもう一つだけ言わせて欲しい。もし君達が何処かで道に迷った時は、その時の自分が本当はどうしたいのかを考えるんだ。

 前で己を導いてくれる誰かがいなくても。

 後ろで背中を押してくれる存在が立たずとも。

 横を向けば、君達と同じ道に迷ってる仲間がいるのかもしれないのだから」

 以上です――と、ケイトが締めくくる。

 すると、一瞬の間の後、修一の鼓膜どころかこのアリーナを突き破りかねない程の拍手喝采がやかましく轟いた。聴衆の中には泣き出す女子やら過分に騒ぎ出す男子なども散見されたが、修一はそのいずれにもあてはまらなかった。

 ただ、実感していたのだ。

 自分達はあの戦いで、現在を生き抜いて、死力を尽くしたのだと。

「――ったく、何のアホをやらかすかは知らんが、やるならやるでこっちに一回ぐらいは顔を出しとけば良かったものを」

 嘆息して、自分でもよく分からない程に安堵した笑みを浮かべた修一が、周囲の歓声にかき消されるのを覚悟で呟いた。

 唐突に、Aデバイスにメールが届いた。相手は少し離れた位置にいるユミからだった。

『良かったね、修ちゃん。あたし達、鋼の魂を持ってるってさ』

 何て気軽に言ってくれるんだろう、この女は。

 彼女のポジティブシンキングに呆れた修一が、誰にも見つからないように素早くメールの文章を打って、ろくに推敲もしないで彼女に返信した。

 その後すぐに振り向いて、ユミの顔を遠目に覗き見る。

 案の定、フグのようにふくれていた。


   ●


 十二月二十四日。クリスマスイブ。セントラル区やイースト区は平和的なネオンの明かりと喧騒に包まれているのだろうが、ここウェスト区はその真逆である。己が生命を少しでも保たんと、そこかしこに散在するキリスト教信者が辛気臭い祈りを捧げているのだから、もう祭りも何もあったものではない。

「ファッキンクライスト生誕前夜祭とか、西の連中からすればもっとも忌むべき行事の一つじゃな。神さえおれば、ワシらにここまでの試練を与えんかったものを」

「同感です」

 修道女達が設えた屋台を冷やかすように、ラシッドとアヤカはのんびりと道の真ん中を散歩のノリで歩いていた。屋台で売られているものと言えば、悪徳商法か何かで販売されていそうな悪趣味なブレスレットだったり、教会の食事を詰め込んだ透明なパックだったり、中には何の冗談だろうか、磔刑に処されたキリストの絵柄が掘られた金色の板なんてものもある。明らかに踏み絵に使ってください、とでも言っているかのようだ。

「ていうか、もうコレ、教会の文化祭みたいなものですよね」

「未だに神を信じとるノータリンが考えそうなこっちゃな」

 これは決してキリストに限らず、全ての神を愚弄するような発言ではないと、ここであらかじめ記載しておこう。

 千年以上前、二○二五年までだったら、たしかに神の思し召しを望んでいようが罪には問われないし、ある程度宗教的な問題は民衆には認知され、千年後であるこの時代以上には忌避される話でもなかった。

 だが、いまは状況が違う。西で生まれた者は生死の境をずっと漂い続ける運命にある場合が大半だ。そうでなくても他の区域にだって<星獣>が出現して人を襲うような現状に行き着いてしまっている。もしこの世界に神がいるなら、そもそもこんな状況にはならなかった筈なのである。だから誰も神は信じないし、信じている方が精神病質的に狂っている。

 己の身を護るのはキリストでも神話上の神でもない、まさしく己自身だと、この時代の人間は痛い程に自覚しているからだ。

「とはいえ、あくまでこの時代だけの話じゃ。不幸な世代に産み落とされたもんだ」

「ええ――マスター、来ます」

 アヤカがいち早く気配を察すると、すぐに<星獣>が五十体近く出現し、たった一瞬で全ての屋台を踏み荒らしてしまった。修道女達も何人か<星獣>達の暴走を喰らいかけるが、泡を喰って逃げ出したが為に誰一人として死にはしなかった。

「アヤカ。お前一人で何体殺せる?」

 ラシッドが平然と訊いてきた。

「十体、二十体――面倒なので可能な限り斬ってきます」

「うわあああああああっ!」

 アヤカが<ランク外アームズカード>の槍を召喚したのと同じくして、すぐ近くからひび割れた喚き声が聞こえた。すぐに振り返ると、年端もいかない男の子が転んだままその場に固まっていた。

「! 危ない!」

「おい、アヤカ!」

 ラシッドの制止も受け付けず、アヤカが男の子の傍まで駆け寄り、すぐ近くにまで迫っていた<星獣>の一体を槍の一薙ぎで始末する。

 アヤカはすぐさま少年を助け起こした。

「君、大丈夫!?」

「う、うん!」

「アヤカ、後ろじゃ!」

 ラシッドの叫びで、ようやくアヤカは後ろで既に攻撃態勢に入っていたライオン型<星獣>の気配を察した。そしてたったいま、地を蹴る音を耳に捉えて振り返る。

 既に目と鼻の先に猛獣の爪と牙が迫っている。

 駄目だ、防御が間に合わない!

「くっ……!」

「せいやっ!」

 誰かの掛け声と共に、目の前のライオン型<星獣>が真っ二つに分断され、光の飛沫となって消滅した。

「アヤカ、無事!?」

「あ……」

 アヤカの喉から、言葉にならない声が漏れた。

 たったいま白い弓の孤を用いた斬撃でアヤカと少年を救った少女――八坂イチルは、最後に会った時よりも頼もしい姿で、たしかにそこに存在していた。

 イチルが鋭く告げる。

「まずはこいつらを片付ける!」

「う、うん!」

 何故イチルがこんなところにいるのか――そんな事はどうでもいい。

 二人はまず視界を占領していた目障りな<星獣>を何体か始末すると、すぐに先程の少年を挟み込むように立ち回った。

「<円陣>・<殺陣>」

 誰かの詠唱と共に、比較的遠めの位置で暴れ回っていた<星獣>が一斉に爆発、消滅する。

「<カードアライアンス>・<トルネードブリンガー>!」

 次に、付近の建物を思い思いによじ登っていた大型<星獣>が、突如として出現した巨大な竜巻の矢に巻き込まれて消し飛ばされる。

「よっこいしょー!」

 最後は体の各所に鎧を纏った黄色く発光するドラゴンが、剣のような装甲を被った太い尻尾で複数体の<星獣>を一斉に薙ぎ払った。

 かくして、三分と経たずに、五十体もの<星獣>が楽々と一掃された。

「いまの攻撃は?」

「そこのあなた達、お怪我はございませんか?」

 逃げ遅れた住民達の人混みをかき分け、端正な顔立ちの少女がこちらに駆け寄ってきた。他にも仏頂面の少年と、くせっ毛が跳ねまくった金髪の少女が別の方向から歩み寄ってきた。

 テレビで見た事がある。彼らは順に、園田サツキ、六会タケシ、ナナ・リカントロープだ。イチルと一緒に<方舟>の上で奮戦していた、いまやグランドアステルでは知らない人間がいない程の有名人である。

「イチルちゃん、この人達が?」

「うん。全員あたしの下僕」

「誰が下僕だこのクソチビ」

「ふぎー」

 タケシに小さな頭を鷲掴みにされて呻くイチルであった。どうやら彼らの中におけるイチルの立ち位置は、基本的にこんな感じのイジられキャラらしい。

「……とまあ、あたしの方から来ちゃいました」

 アイアンクローから解き放たれたイチルが、何事も無かったように言った。

「来るのが遅くなっちゃってごめんね、アヤカ」

「ううん、あたしこそ、本当だったらあたしの方から――」

「むしろそれで良かったと思うよ? ほら、見てみ? 宇宙一のバカを見せてあげる」

「?」

 アヤカは訳も分からぬまま、イチルが指さした空の一点を見遣る。

「――あれは」

 彼女達の遥か頭上、星さえ見えない穢れた夜空を、青い星屑を撒き散らす流れ星が遅々として駆けている。よく目を凝らしてみると、その正体も判然としてきた。

 サンタクロースだ。大きな古びたソリに乗った赤い装束の少年が、同じく赤い帽子と赤い服で飾られたイルカに引っ張られ――ん?

「あたしの知ってるサンタクロースとは随分違うみたいなんだけど……」

「アレに乗ってるのはサンタじゃない。イチルがいま言った通りさ」

 タケシも呆れたような、あるいは楽しんでいるような笑みを覘かせた。

「お見知りおきを。あれが宇宙一のバカこと、九条ナユタだ」

「あ、あはは、はは、ははは……」

 もはや誰からしても笑うしかなかっただろう。

 サンタの格好をした九条ナユタが、イルカ型<星獣>をトナカイ代わりにして空を駆ける様は、はっきり言って感想に困る有様だった。大体、何であんな格好をしてこんなところに現れたのかがいまいち分からない。

 彼を仰ぎ見る地上の人達の心境などに構わず、ナユタが手綱をぴしりと振った。

「さあ、チャービル。プレゼントを投下するぞ!」

「きゅいっ」

 彼は次第にソリの高度を下げると、後ろの荷台に積んであった白い袋から、白く輝く<アステルカード>を盛大にばら撒いた。カードは一斉に粒子となって四散すると、粉雪のような姿となって辺り一帯に降りしきった。

 綺麗だった。何より、雪が降らない西区域に住む者としては、誰だって新鮮な気分を覚えたに違いない。

「わあっ! 凄い! 雪だ!」

「イチルちゃん、これって!」

 さっき助けた少年がはしゃぐのを尻目に、アヤカの表情が驚きに満ちる。

「上でも下でも好き放題にやってくれた<アステマキナ>の製作者を倒した功績から、手に余るくらいのお金がウラヌス機関からあたし達に手渡されちゃって。お金は貯めておくに越した事は無いけど、少しくらいはお世話になったラシッドさんやアヤカの為に使いたいって、ナユタが」

「あの小僧、そんな事の為にこんな……全く余計な真似を!」

 などと言いつつ、ラシッドの瞳も歓喜で潤っていた。死が満ちる戦場の街で過ごす人生の中で、まさかこんな素敵なサプライズを用意されるとは思ってもみなかったからだろう。

 これはまさしく、西の戦争屋だったナユタだからこそ思いついた、西の人間が一番喜ぶクリスマスプレゼントと言ったところだろうか。

「だから、あのソリも粉雪のカードもここまでの旅費も、全部ナユタの自腹」

「そこまでしてくれるなんて……何だかちょっと悪いかな。大した事なんて何もしてないのに」

「何があっても不義理だけは絶対にしない。そういう奴なんだよ」

 アヤカはここでようやく思い出した。ナユタが戦いに赴く為にこの家を出る間際、「お膳立てくらいは協力してやる」と約束した事を。正直な話、アヤカからすれば半信半疑も良いところだったが、よもや最高の形でそんな口約束を果たしてくれるだなんて夢にも思わなかった。

 何はともあれ、彼は彼なりに義理を果たした。ならば、今度は自分の番だ。

「あの、イチルちゃん――」

「謝罪なら受け付けないよ。こないだ、手紙で散々謝ってくれたじゃん」

 イチルがアヤカと向かい合い、一瞬だけ目を伏せて、また視線を合わせた。

「あたしね、アヤカと最初にここで会う時、どういう言葉をかけたら良いか分からなくてさ。色々考えたけど、結局これしか思いつかなかった」

 彼女は何歩か下がって、いまの仲間達の前まで躍り出てからこちらに手を伸ばした。

「ただいま。そして、おかえりなさい!」

「――ただいまっ!」

 感極まって、アヤカはイチルの胸に飛びついた。これまで溜まっていた想いの全てを涙や嗚咽と一緒に吐き出して、ただ受け入れてくれる彼女に泣きついた。

 気づけば見覚えの無い人達も自分達の傍に集まっていた。陽気に笑う黒人男性や、傍で嬉しそうに微笑んでいた年端もいかない少女や、イチルの師匠である三山エレナも一緒だった。

 最後に、未だ飛行中のナユタとイルカ型<星獣>が、年相応に歓喜の叫びを上げた。


「ハッピィィィィ! メリィィィィィィィィィ、クリスマァアアアアアアアアアアアアアアアス!」

「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 この後、アヤカはイチル達の口から知りたい事の全てを聞き出した。

 特に一番知りたかった一ノ瀬ヒナタの消息と末路を知った時はあやうく涙が溢れそうになったが、寸でのところでどうにか押し留められた。こんな時に泣いてしまっては、せっかく最高の思い出をくれたナユタに申し訳が立たないと思ったからだ。

 その後もいろんな話を聞いた。いまの中等部の事、イチルに新しく出来た友達の事、<方舟>での戦い、そしてイチル自身の出生の秘密を。驚くやら笑うやらで、普段は絶対使わないような表情筋が鍛えられた気がしたのは良い思い出だ。

 ともあれ、アヤカはこの一日で普段の倍以上の情報量を受け取った。半分以上はまだ脳が理解に至っていないか、あるいは脳そのものが処理落ちしているのか――どのみち、全てを飲み込むにはまだ時間がかかりそうだ。

 ちなみにその中でも彼女の記憶に一番強く焼き付いた情報は、やはりグランドアステルに新しく誕生した伝説の物語だったりする。

 それはサンタクロースが実は少年の姿で、空飛ぶイルカにソリを引いてもらい、白い袋の中から粉雪を降らせるという、偽りであっても虚実ではなかった、戦場のクリスマスにおけるとても素敵な逸話である。

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