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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.4 ~イチル編~
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第十四話「野蛮人の戦い」


   第十四話「野蛮人の戦い」



 もうどのくらいの高度まで上がったのだろうか。サツキは手を伸ばせばすぐにでも届きそうな雲を見上げながらぼんやりと思った。

 タケシ、サツキ、エレナの三人は、<ドラグーンクロス>によって発光体のドラゴンとなったナナの背中に乗って、イチルが乗っていると思しき飛行船を目指して一時間近く空を突き上がり続けていた。普通なら気圧の関係で三人の体調に何らかの影響が出ている筈だったし、何よりずっとドラゴン形態を維持しているナナはとっくに疲労困憊でダウンしていただろう。

 だが、タケシがあらかじめ<サークル・オブ・カオス>の能力で展開していた気泡のようなシールドのおかげでこちらには何の影響も出ていないし、六会忠からナナに与えられた箱型の機械が彼女の負担を軽減していた。おかげでいまのところ、誰も体調の変化を訴えていない。

 サツキはドラゴンの背中に声を掛けた。

「ナナさん、調子の方は?」

「大丈夫だよー。全然問題なーし」

 いつものようにお気楽に答えてくれるナナが頼もしい。

「タケシ君は? 無理して<アステルジョーカー>をずっと展開していなくても……」

「俺も大丈夫だ。それより、ほれ。また来たぞ」

 タケシが顔色一つ変えずに、空の一点を指さした。かなり離れた位置に、天の川のように点々と光る飛行物体の列を確認する。

 飛行型の<星獣>だ。数はざっと五十くらいだろうか。ここは元々ウェスト区の上空なので、いくら空であろうが、多少なりとものこのような脅威は存在するのだ。

「サツキ、さっきと同じだ」

「ええ。もう慣れましたわ」

 実はここに来るまでにも何体かの<星獣>と遭遇しては、その全てをサツキ一人で撃破していたのだ。タケシやナナは前述の理由で戦闘が不可能な状態となっており、エレナの装備は空中戦に対応していない為、必然的にサツキしか対応できる人間がいないのだ。

「<アステルジョーカー>、アンロック」

 屈んだ状態から立ち上がり、左手に<紅月>を召喚。血塗られたように真っ赤なカラーリングが施されたこの刀は、亡き祖父の遺品とイチルの酔狂が組み合わさって産まれた奇妙な代物である。

「スロット・2。<バトルカード>・<ストームブレード>、フォースアンロック!」

 上半身の太いベルトに括りつけられたデッキケースのうち一個を対象にして、<ストームブレード>を四枚分発動するように音声入力で指示する。いまサツキの上半身は累計五個のデッキケースが装着されたベルトがたすき掛けされており、その全てを<アステルドライバー>でペアリングしてある状態だ(実は出発前まではデッキケースが二十個用意されていたのだが、装備としては重すぎる為にデッキケースの数をギリギリまで減らした)。

 何でこんなしち面倒な装備がサツキに与えられたのかというと――答えはすぐに分かる。

「<ハイパーカードアライアンス>!」

 これがタケシの言う、「サツキにしか使えない必殺技」である。サツキの<紅月>は<バトルカード>一枚を四枚分として計算する能力が備わっており、例えば<ストームブレード>一枚だけで上級技である<トルネードブリンガー>を簡単に発動できるのだ。本来<カードアライアンス>は特定の<バトルカード>が四枚必要な技なので、強力な必殺奥義の発動に必須なカードを三枚分節約できるのだ。

 だが、これを節約しない場合――<紅月>を発動した状態で四枚の<バトルカード>を普段通りに使用した場合はどうなるのだろう。

 <紅月>の真っ赤な刃に白い風の奔流が小さく発生する。

「<円陣>・<乗陣>」

 タケシが魔法陣の足場をドラゴンの頭の前に用意する。サツキが早速それに飛び乗ると、タケシの操作によって、筋斗雲に乗って滑空する孫悟空の如く彼女を空中で前進させる。もしドラゴンの背中でこの技を撃った場合、同乗するタケシとエレナが吹っ飛ばされてしまうからだ。

 ある程度仲間達から距離が離れる。刃に纏わりついた風がさらに肥大化し、大気との摩擦で禍々しい程の雷電を生み出した。

「<ハリケーンオーバー>!」

 剣を思いっきり横薙ぎに払うと、風はいまや一個の矢となって標的へと飛翔する。見た目は普通の<ストームブレード>とさして大きな変化は無いが、やはりサイズは撃ってる側からしても圧倒される程である。

 ややあって、白い風がサツキ達の視界から消え失せる。

 その数秒後、遠くの<星獣>達が連鎖的に爆発し、核の炎を思わせるような衝撃が左右に広がった。こちら側にまで台風並みの風圧が降りかかるが、タケシが寸でのところで張ってくれた<盾陣>のおかげで、サツキはどうにか<乗陣>から振り落とされずに済んだ。

 サツキは離れた位置にいるタケシ達に通信を開いた。

「敵の消滅を確認しましたわ」

『よし。いますぐこっちに引き戻すからな』

 といったやり取りを、もう何度してきただろう。いい加減飽きてきた。

 ともあれ、これがサツキ専用の必殺奥義、<ハイパーカードアライアンス>の全容だ。一枚を四枚分として扱い、これを通常通りに四枚発動、数値上だけで述べるなら四×四=十六枚分の<バトルカード>を使用した事によって生まれた究極奥義。しかもデッキケースは一個につき二十枚分が搭載可能で、いまのサツキの手元には<バトルカード>しか積まれていないデッキケースがあと三個もある。デッキケース一個につき五回発動可能だとすれば、彼女はあと十五回もこの技を使えるのだ。厳密に言えば、いま使用しているケース内の枚数を含めると十九回だ。

 これなら戦える――それどころか、敵組織に逆襲さえできる。

 確かな手応えを覚えた頃には、サツキは既にドラゴンの背中で再び腰を落ち着けていた。


   ●


 一分間にも及ぶにらめっこの末、イチルから先に口を開いた。

「……何してんの、ユミちゃん」

「ザ・侵入者」

「……そういえば船のエンジンを止めた人がいるとかいないとか――」

「ユミちゃんダーイブっ!」

 ユミが頭の悪い技名を叫んで、突然イチルにタックルをかまして部屋の中に転がり込んだ。二人はもつれ合って倒れ、イチルに至っては後頭部を床に強打する。

 扉が自動で閉まった後、イチルのお腹に馬乗りになったユミが言った。

「いやー、部屋の中からよく知った声がしたと思ったら、まさかイチルだったとは思わなんだか。二日、三日合わなかっただけで一万年も会ってない気分だよ」

「それはそうと、何故にタックル……?」

「いや、あそこで立ち尽くしたまま他の見張りとかが来たりしたら危なかったんでつい……」

 どうやら船内を騒がせる侵入者の正体がユミだったという話は本当らしい。

「そういえばユミちゃん、修一君はどうしたの? 一緒じゃないの?」

「あいつはいま別行動中。もうじきここらへんに戻ってくると思うよ」

「そうなんだ……。っていうか、本当に何でこんなところに?」

「あー……話せば長いんだけど――」

 彼女の話を要約すると、ナユタ達と一緒にとある目的でウェスト防衛軍基地を訪れた際に、修一とユミは建造ドッグ内のこの船を見つけたので興味本位で中を調査していたら、いきなり正体不明の連中がぞろぞろ踏み込んできたが為に船内から出るに出られなくなってしまったのだとか。

「――で、せっかくだから嫌がらせにアステライトエンジンの燃料を抜いてやったと」

「離陸が遅れてる間は色々探索させてもらったよ。おかげさんで中の経路はばっちり記憶済み。これでいつでも脱出は可能だよ」

「でもこの船、もう結構な高さを飛んでるよ?」

「大丈夫。さっき緊急用の脱出艇がある格納庫の扉を見つけたから。でもその扉を開ける為には鍵が必要でさー、それをどうやって手に入れるかなんだけど……」

 ここでユミの腰に括りつけられていたトランシーバーから修一の声が入った。

『おーい、ユミ。お前、いまどこで何をやってるんだ?』

「いまイチルを確保したところー。さっき別れた地点のすぐ傍の扉」

『イチルちゃんが? 何でこの船に乗ってんの?』

「さあ? ヒナタに誘惑でもされたんじゃない?」

 何を失礼な事を。人をまるで尻軽女みたいに。

『まあいいや。実は俺もすぐ近くにいる。で、もうじき巡回の乗組員がここを通る予定だ。そいつから格納庫の鍵を奪うから、手筈通りさっさとこっから脱出すっぞ。多少の騒ぎは覚悟しておけ』

「それなんだけどさ、案外ノーリスクで、尚且つ穏便に済ませられるかもよ? 丁度イチルが近くにいるし」

『何か策でもあるのか?』

「うん。とりあえず、いまあたしがいる部屋にそいつが通りそうになったら合図して」

『お、おう。分かった。交信終了』

 二人は何やら不穏当なやり取りを終えた後、すぐに通信を切った。

「いまからこの部屋に巡回の奴を招き入れる。ひと芝居打ってもらうよ」

「ひと芝居って……どうするの? この部屋に隠れる場所なんて無いし、あたしはここで何をしてたら良いの?」

 この部屋で隠れられる場所といったら、精々ベッドの下かクローゼットが関の山だろう。しかも相手はイチルと同じ<新星人>だ。部屋の何処かに隠れたユミが不意打ちを仕掛けるにしても、対処される可能性の方がうんと大きい。最悪、それがきっかけで仲間を呼ばれるかもしれない。

 でも、ユミの面持ちは自信に満ち溢れていた。

「大丈夫。こんな時こそ女の武器です。それに、さっきイチルの声が扉越しに聞こえたって事は、ここはあんま防音を気にしていない造りって事だよね。だったら話は簡単だよ」

 ユミは一旦馬乗りからイチルを解き放つと、すぐに彼女の体を抱え上げてベッドの上に放り投げ、今度は四つん這いになって上から体を覆い被せてきた。

「ユミちゃん?」

「ハニートラップって知ってるよね。いまからそれでこの無理難題を攻略するから」

「ちょ!? ハニートラップって、まさか色仕掛け!? 齢十三にしてここで脱がなきゃいけないの? 若い身空で人生を棒に振らなきゃいけないの!?」

「ほらほら、騒がない。ユミお姉さんがちゃんとエスコートしてあげるから」

 囁きながら顔を目と鼻の先まで寄せてくるユミは、いままでに感じた事の無いような色気を全身から醸し出していた。細かい仕草や息遣いからは蠱惑的な魅力が放たれており、程よい湿り気を帯びた小さな唇もこちらの食指を絶え間なく動かし続ける。

 修一から短い通信が入る。

『ユミ、そろそろ来るぞ』

「あいあい」

 ユミは適当な調子で返事すると、耳にかかった長い髪を後ろにかきあげた。

「さて、<新星人>に一発カマしてやりましょうかね、必殺の一撃を」

「待て待て待て! まさかここでR18指定タイムとか言わないよね!?」

「そのまさかデース」

 これより先に展開される痴態醜態の数々を、ユミは後に『スーパーユミちゃんタイム』などという知性のカケラも感じられないネーミングでパッケージ化した。

「そういう訳で、いただきまーす」

 イチルの気に完全な隙が生まれたと同時に、ユミの唇が彼女の唇に押し当てられる。ベッドの上で押し倒された段階で既に受け入れ態勢を整えられてしまったイチルは、当初から欲していた彼女の唇をすんなりと受け入れ、しばらくは成すがままにされていた。

 不思議とユミの唇を美味しく感じる。ずっとこのままでいたいと不埒な欲求が湧き上がる。全身から力が抜け、頭の中が真っ白になってとろけそうになる。ぶっちゃけ官能小説を読んだ事も無いので、いまのイチルのボキャブラリーだと表現の限界はこんな感じである。情けない。

 ちなみにユミがイチルを完全に脱力させるに至るまで、行為を初めてから三分とかかっていない。ある意味では神業的な所業である。

「よしよし、いい子いい子。ちゃんと良い味出してるよ。じゃ、次ね」

 ユミは唇同士での愛撫を中断すると、自分の黒いトップスと黄色の肌着をあっさり脱ぎ捨て、裸の上半身を露わにする。無駄が無く、しなやかに描かれた美しい体の線を目にして、さっきから加速していたイチルの欲求がさらに増大する。胸の大きさならちょっと勝ってるとか思ったりはしていない。絶っっっ対していない。

 再び唇と唇の愛撫。今度は舌も絡めてきたが、これについても何の迷いも無く受け入れる。絡み合った唾液の味がとろとろに甘い。舌と舌の間に繋がった細い糸が微かに光る。

「声を出したかったら我慢しなくても良いんだよ? ほら」

 これはユミなりの合図だ。そろそろ声を上げておかなければ、いずれやってくるであろう巡回の人がこの部屋を素通りしてしまうからだ。

 何か効果的な喘ぎ声は無いものだろうか――などと考えているうちに、イチルの上半身もいつの間にかブラウスのボタンが外されており、肌着がまくりあげられて、いまや裸同然の状態となっていた。ユミは舌同士でのやり取りを中断し、イチルのうなじ、首筋、鎖骨、胸回りを、繊細な舌遣いで順々に刺激する。

「っ……ユミちゃん、これ以上は……! あぅ……あ、ああ……やぁあっ」

「さすがモデルさんなだけはあるよね。スタイル良すぎ」

『おい、イチル? 何をやっている? イチル?』

 どうやら、予定通り巡回の人がこの部屋の前まで来たらしい。妙な物音と奇声が微かながらに連続していたので、怪しんで立ち止まったのだ。

 さて。よく考えれば変な話である。外の人間を物音で呼び出す為に、わざわざこんな行為に及ぶ理由が存在するのだろうか。これがユミの個人的な趣味とか言ったら、今後の彼女との接し方に関してはちょっと考える必要がありそうだ。

 などと考えながらも、とりあえずわざとらしい喘ぎ声だけは中断しなかった。

「や……あぁ……! だめっ、そんなトコ……あぁっ!」

『オイ、どうした? 何があった? ちょっと入るぞ!』

 扉の向こうで巡回の人が慌てたように告げると、数秒後に部屋の扉が開かれる。恐らくマスターキーを使ったのだろう。

 部屋に踏み行った男が、この状況を見るなり目を丸くしてフリーズ状態に陥った。

「……え?」

 きっと、巡回の男の目にはこう映っている筈だろう。

 上半身裸でディープキスを繰り返し、部屋のベッドでお互い愛おしげに折り重なる十代前半の女子が二人――しかも幼い外見の二人が醸し出している色気とのギャップ、そもそも何をどうしたらこんな状況が出来上がるのだろうかという疑問、その全てが彼の中で激しく渦を巻いている筈だ。

 その場合、大抵の人間は、というより大抵の雄は一瞬だけ思考が停止する。

「これはどういう――」

「こういう事だよ」

 新たな声がしたと思ったら、部屋の扉が閉まったのと同時に男が白目を剥いて床に倒れる。男と入れ替わるように扉の前に立った黒崎修一が、やれやれと首を横に振った。

「……前から相性が良さそうだから一度イチルちゃんとヤってみたいとか言ってたが、まさか本当にヤっちまうとはな」

「本当に相性が良くてびっくりしちゃったよ。ねーっ」

 ねーっ、じゃねぇよ、ねーっ、じゃ。ファーストキス返せコノヤロー。

 まあ何にせよ、これがユミの狙いである。相手に騒がれる事も無く目的を果たしたい場合、相手の心理を手玉に取るのが一番早くて合理的だ。ユミが過剰にイチルの情欲を引き立てたのも、そうでもしなければ相手に与える混乱の程度が低いまま終わってしまうからだ。だからお互い演技だからと中途半端に割り切れず、本当に愛し合っているように仕立てなければならなかった。

 それらを全て周到に計算・演出し、あの一瞬を狙った精神攻撃を決めるその手際――ユミ・テレサもまた、万事に通ずるプロのプレイヤーなのだ。

 ――という解釈でもしていないとやっていられない。

「まあ、何にせよ一番効果的な作戦で、しかも上手い具合に成功した訳だし? あたしも満足したし一石二鳥で結果オーライって事にしといてちょーだい」

「カードキーと旧式の鍵も手に入った訳だしな」

 修一が重々しい鍵束と、<アステルカード>と少し似たようなデザインのカードをこれみよがしに手で弄んだ。

「とりあえず二人はさっさと服を着なさい。ここから脱出するぞ」

 言われてみて初めて気がついたが、よく考えたら彼女持ちの男の前で半裸状態なのはさすがに色々危なすぎる。まあ、その男の彼女に脱がされたのだからこちらが文句を言われる理由など無いのだが。

 女子二人がさっさと元の服装に戻ると、扉に耳を押し当てて周囲の物音を探っていた修一がにやりと笑った。

「ユミのおかげで攻略が楽になった。今度は俺の番だ」

「スーパー修ちゃんタイムいっちゃう?」

「任せろ」

 さっきのユミでアレだったのだ。修一も、きっと凄い技を披露してくれるのだろう。

 願わくば、普通の技術である事を願う。


   ●


 前方下部のハッチが展開された<方舟>の姿は、大口を開けたクジラを彷彿とさせるものがある。いまからこの口より、西洋風の鎧を纏った<新星人>達が一斉に吐き出されるのだ。

 ヒナタは戦場へ赴く兵士達の背中を外野から眺め、小さく鼻を鳴らした。

「総勢百人近い<新星人>の兵力……か。まだ目が覚めたばかりだというのに」

 主力兵士達はつい何時間か前に目覚めた者が九割を占めている。ろくにいまの時代の情勢を知らない連中ばかりなのだが、「先の戦争で仲間を殺した<トランサー>を一匹残らず駆逐する」と吹き込んだら、意気揚々と何の疑いも無くアナスタシア特製の鎧に着替え始めた。

 この時点で、ヒナタはちょっとした違和感に気づいた。

 凡才の鏡たるアナスタシアは<新星人>を目の敵にしている筈だ。なのに、ここまで<新星人>の作戦を強力にサポートして、かつこうして潤沢な装備を与える理由が分からない。 東悟曰く「利害の一致」、或いは「<新星人>を利用してでも彼女は自分の力を証明したいから」との事らしいが、それにしてもこちらへの肩入れが激しい気がする。

 たしかにそこそこ使える女ではあった。

 でも、彼女自身は何を思っていたんだろう。

『あー、あー、同胞諸君? 聞こえますかー? 聞こえたら返事してー』

 ミチルがスピーカーを通じて気の抜けたアナウンスを開始する。

『出撃前に注意事項がありまーす。狙うのは<トランサー>の一族、及びその関係者だけに限定させていただきまーす。鎧の方にはもう狙う人のリストが登録されてますので、逆にその人達以外は殺しちゃ駄目よ。これはあくまで単なる復讐。それ以上の事だけは禁忌なのよ? そういう訳だから、各自肝に銘じておきなさいねー。そんじゃ、行ってらっしゃーい』

 これっきり、ミチルからの指示は無かった。

 兵士達が近くにいた人達とそれぞれ顔を見合わせて戸惑うが、これではさすがにグダグダにも程があるので、ヒナタは急かし立てるように手を叩いて指示を下した。

「はいはい、とにかくほら、みんな出撃出撃! あの人はマジでいつもこんな調子なの! いちいち気にしていたらキリが無いの! 分かったらさっさと行ってこーい!」

『誰がグダグダですって?』

「聞いてたんかいぃぃぃぃ! つーか人の心を読まないでくれません!?」

 油断も隙も無い人である。何だか先が思いやられる気がしてならない。

『大体、あなたは侵入者探しをほったらかして何をしてるのかしら? 私がこの『どぅろりっちバニラクレープ味』を飲み終える前に成果を上げなきゃ、あなた切腹だからね』

「己は何くつろいでんだ! つーかその『どぅろりっちバニラクレープ味』は僕の分だ! おい、返せ。いますぐ返しやがれ!」

『おっと今度は冷蔵庫の中に『ハイパーカップ』のバニラヨーグルト味が――』

「さらっと不吉な事言って通信切るんじゃねぇ! 食うなよ? 絶対食うなよそれ!?」

 何てこった、早く戻らないと日々の栄養源であるバニラ含有の乳製品が全てミチルによって貪り尽くされてしまうではないか。

 こうなった以上は急がねばならない。さっさと自分の仕事を終わらせなければ……!

「君達、何を笑っているのかな? さっさと出撃しないと、S級バスターに殺される前に僕が殺してやるぞ!」

 忍び笑いを漏らす兵士達を一喝すると、ヒナタは慌てて身を翻して格納庫内から走り去った。

 その数秒後、鎧の兵士達が緑色の光翼を広げ、一斉に大空に身を投げ出した。


   ●


 タルワール街は西の中でも割と普通の町だ。あくまで西の基準で計るなら、だが。何にせよ<星獣>は普通に出現するので、目的地へ向かう道すがらはずっと<星獣>の相手ばかりをしていた。半年以上のセントラル暮らしが馴染んだのもあり、一歩足を踏み出す毎に一苦労してばかりだ。

「ひゃっほおおおおおおおおおおおおおおい!」

 ここでは比較的規模の大きいモーテルの玄関口で、タクティカルベストを着た男がマシンガンで付近の<星獣>を楽しそうに掃除している姿が見受けられた。ナユタはいましがた作業を終えた男に、何も見ていなかったかのような素振りで話しかける。

「すみません。ここにウェスト防衛軍の残党が逃げ込んだと伺ったのですが」

「あん? 何だてめぇ、ここはガキが来るところじゃねぇんだよ。とっとと便器にクソ垂れて寝やがれってんだ」

 男の態度はチンピラそのものだった。ガラの悪さで言えば最低ランクである。まあ、これも西の基準で計るなら、だが。

「……すみません。答えてくれないなら自分で探します」

「帰れって言ってんのが聞こえねぇのか、あぁあん!?」

 何食わぬ顔で横を通り過ぎようとしたナユタの首根っこを、男が乱暴に掴み上げる。

「クソも垂れないなら、いま<星獣>をスクラップに変えたこの銃で新品のケツの穴をこさえてやっても良いんだぜ?」

「離せ」

「あ?」

「その雑菌まみれの手を離せっつってんだよ、クソ野郎」

 ナユタはいままで抑え込んでいた殺気を全開にして、男の股間を踵で後ろ蹴りしてやる。

「ごっ!?」

 男は白目を剥いて膝をつき、股間を抑えて地に突っ伏して悶絶する。どうやら玉袋だけは頑丈なようで、幸いにも睾丸が潰れた感触は無かった。

 ナユタは相手を見もせずに歩き出す。

「っ……てめぇ、待てやゴルァ!」

「はいはい、そこまでー」

 男がマシンガンの銃口をナユタに向けると、モーテルの入口からメガネを掛けた若い男が歩み寄って争いの空気を制した。

 彼は少し困ったような顔で言った。

「子供に絡むわ銃を向けるわ、君は用心棒失格だな。クビだよ、く・び」

「ちょ……」

「働いた分の金はくれてやるさ。ほれ、それを持ってどっかに失せなさい」

 狼狽える男に、眼鏡の男が札束を放り投げる。彼は金を受け取るや、舌打ちしてからこの場からずかずかと立ち去っていった。

 眼鏡の彼が苦笑して言った。

「いやー、金をケチったばかりにあんなチンピラを雇ったのはちょっと軽率だったよ。すまなかったね、九条君」

「あんた、もしかして高梨さんか? 久しぶりじゃないっすか!」

「最後に会ってからもう半年ちょっとか。全く変わってないな、君は」

 ウェスト防衛軍の軍医、高梨陽太は気さくに笑い、次にモーテルの入口を右手で指し示した。

「立ち話もなんだろう。屋上のビアガーデンで他の仲間がお待ちだよ」

「ビアガーデン? まさか飲んでるんすか?」

「まあね。ほら、行こう」


「オイ……」

 屋上のビアガーデンは、もはや宴会も同然の騒ぎようだった。

 見覚えのある太鼓腹のおっさんが、見覚えのある他の連中達の前で腹芸を繰り広げている様は、もうなんだが、そう、何と言えば……

「ん? おおっ! ナユタ! みんな、ナユタが来たぞ!」

 太鼓腹のおっさんがナユタに気づき、さっき以上に顔を明るくしてこちらに手を振ってきた。すると、周りの連中も一斉に振り返り、ナユタの姿を認めると一斉に駆け寄ってきた。

「久しぶりだなぁ、ナユタ坊! 怪我はもういいのか?」

「あたし達、あなたが軍から消えたのを聞いてずーっと心配してたのよ!」

「セントラルの学校でイジメられなかったか? 西の少年兵ってだけで色物扱いする輩が多いみたいだからな、都会の連中ときたら」

「待ってくれみんな。一度に質問されても困る」

 ナユタを取り囲んで手厚い歓迎を施すこの連中は、かつてナユタが所属していたウェスト防衛軍の兵士達だ。<新星人>達に基地を襲撃され、命からがらここへ逃げ延びたのだそうだ。

 ナユタはここに揃う面子の顔をそれぞれ見渡し、ふとある事を思い出した。

「老師がぼやいてた通りだ。やけに人数が少ない。このモーテルに収まりきる人数じゃなかったと思うんだけど。他の連中は? バラバラに散って、どっか別の場所に逃げ延びたのか?」

「死んだよ、全員」

 腹芸のおっさん、もといベン・オックスフォード大佐がさらりと告げる。

「襲撃の際に変な西洋鎧の野郎にやられてな。死体は奴らの手でアステライト化されて吸収されていったよ。本当にムチャクチャな連中だった」

「僕らも奴らの外道っぷりには堪忍袋の尾が切れたよ。そうして戦って、また新たに犠牲が増えちゃった訳だけどね」

 陽太が沈痛な面持ちで告げる。

「だから、本部の人間はここにいるメンバーで全部なんだ」

「……そうか」

 鎮魂の意を込めて、ナユタは固く目を閉ざして右手の拳を胸に寄せた。

「天に鎮座せし愚鈍なる虚像の神よ、せめて英霊に安らかな眠りを」

 いまナユタが口にしたのは、ウェスト防衛軍全体に伝わる鎮魂の言霊だ。天上に座す、いるかどうかも分からない神が愚かだったせいで作られたこの世界を呪いつつも、せめて命を賭して運命に立ち向かった者達の眠りだけは妨げないでくれという切実な願いが込められている。

 ナユタは拳を胸から下ろすと、ベンの腹に描かれた白いひょっとこの図柄を見遣る。

「まあ、たしかに呑んでなきゃやってられませんよね」

「全くだ。でも、お前が帰ってきてくれて本当に嬉しいよ」

 ベンが喋ると、腹のひょっとこも陽気にうねってこちらのウケを狙ってくる。

「とにかく情報交換だ。どうやらスカイアステル側にもあまり時間は残されていないようだからな」

 ここでナユタはこれまでにあった全てを手短に説明し、軍の連中もナユタが知らない事実をこちらに提供してくれた。

 ウェスト防衛軍本部基地につい最近竣工された建造ドッグから、造船中だった飛行船が発艦し、いまスカイアステルに向かっている事、ウェスト区全体を覆っていた妨害電波が昨日の午後四時くらいに解除された事、基地の真下に<新星人>がコールドスリープ状態で眠っていた事、ナユタが交戦した八坂ミチルや一ノ瀬ヒナタ、バリスタまでもが六十年前の人間であった事――にわか信じられない内容だらけだが、そのどれもが信じるしか無い話ばかりだった。

 ベンがお手上げとでも言いたげに上半身を仰いだ。

「もう俺達西の奴らがどうにか出来る話じゃねぇってこった。スカイアステルの――いや、西以外の全ての連中に、てめぇのケツをてめぇで拭く事を覚えさせる良い機会だろう」

「それが出来ないなら地球滅亡っすよ。全く以ておっかねーや」

「そもそも<新星人>の扱いに関しては機密情報だったんでな、基地の真下でそんな連中が六十年にも渡って居眠りをぶっこいてたなんてさっきまで知らなんだか、おかげで事前の対策も打ちそこねた。忌々しい話だよ。これを知ってたの、俺達のシマだとヤマタの老師だけだったんだぜ? まあ、あの爺さんも親友を連中に殺されたんだ。あんま悪く言えねえよ、人としてな」

 どうやら事はただのテロだけでは終わりそうに無いらしい。スカイアステルに攻め入る連中がどんな顔ぶれであったにせよ、全員が共通して本物の魔法使いならどうあがいたって人類側の勝ち目は薄い。唯一対抗できそうな種族が上にも一応残っているようだが、果たして役に立ってくれるのやら。

 ナユタが思案していると、<アステルドライバー>に着信が入った。知らない番号だ。

「ああ、そういや妨害電波はとっくに消えてるんだっけ」

 とにかく着信に応じた。ドライバーのスピーカーから、少しぐらいなら聞き覚えのある無愛想な少女の声がした。

『……ナユタか?』

「その声……心美か? 俺の番号なんて教えたっけ」

 意外にも、相手はS級ライセンスバスターの三笠心美だった。ナユタのもじゃもじゃ仲間である。

『さっきハンスさんに教えてもらった。お前、いまウェスト区にいるのか』

「ああ。いまは軍の生き残りと情報交換の真っ最中」

『いますぐ話を切り上げて船に向かって。長官の息子さんが<アステルジョーカー>のオペレーター達とエレナさんを連れて、たったいまスカイアステルに向かってる船まで飛んでいった。早く追ってあげて』

「え? 何であいつらが? どうなってんの?」

『あの船には八坂イチルも乗り合わせてる。早くみんなを連れ戻してあげないと、今度こそ取り返しのつかない事態になる』

「イチルが……? どういう事だよ、それ!?」

 彼女の名前を聞いて、ナユタは真っ先にイチルが誘拐されたのだろうと思った。よく考えたらその船には一ノ瀬ヒナタも乗り合わせている訳だし、考えられなくは無い話だったのだ。

『詳しい事を話してる余裕は無い。早く行って。じゃ』

 一方的に通話を切られ、ナユタはぽかんと数秒間はフリーズした。

 だが、いまはどうやら立ち止まっている一秒すらも惜しい状況らしい。どんな事情であれ、このままだとテロ集団の戦争にイチルが巻き込まれかねない。だからタケシ達がイチルの救出に向かったのだ。

「あ・の、バカ共……! 先走りやがって! 死ぬ気なのか!? あそこには八坂ミチルもいるんだぞ!?」

 ナユタは悪態を吐くと、血相を変えてベンに尋ねた。

「大佐。ここに飛行可能な乗り物は?」

「ある訳無いだろう。空はウェスト区にとっちゃ天国に一番近い場所だ」

<星獣>は空にも出現する。もし飛行艇を入手したとして、操縦をトチった時点でこちらに明日は来ない。大佐の意見は正しいという訳だ。

 いまは何が何でも例の飛行船に乗り込まなければならんのに、これではもう――

「九条君!」

 屋上の出入り口からアヤカが駆け寄ってきた。こんな場所に何の用だろうか。

「全く……こんな時間に一人で出歩くバカがあるか? 何をしにきた?」

「一人でも雑魚数体を切り抜けるくらいの戦闘力はありますっ! そんな事より、いまイチルちゃんが船の中にって聞こえたんですが……ていうか、何か凄いニュースになってますよ! スカイアステルに接近するテロ集団の船が、たったいま変な鎧を着た人達を出動させたって」

「聞いてたのか、いまの話」

 彼女自身がどんな用でここに来たにせよ、どうやらいままでの話は偶然にも立ち聞きされていたようだ。なおさら面倒な話になったものだ。

「まあいい。とにかくそういうこった。俺はすぐ上に飛ばなきゃならねぇ」

「だったらマスターが使い捨ての飛行用ブースターを九条君に持たせていた筈です。随分前から開発している空中戦専用装備の一つだとか……」

 そういえば彼の邸宅を出る前に、ラシッド本人から同じ内容の話を聞かされていたような気がする。ナユタはすぐにポロシャツ風の戦闘服の胸ポケットから、一枚の<メインアームズカード>を取り出して絵柄を確認する。

「まるで超能力者だな、あの爺さんは」

 <緊急発進ブースター>――試作品なだけにカード名はそのまんまである。しかし未だにセントラルでも空中戦用の装備が実用化されていない中、このようなアイテムをこういう時に備えてあらかじめ開発していたとは、驚愕を通り越して畏怖の念さえ覚えてしまう。

 ややあって、一連のやり取りを黙って見ていた陽太が眉をひそめて言った。

「九条君、いくら君でも危険過ぎる。<アステルジョーカー>も失ったのに、ただ敵地に向かう足がかりを得ただけの状態で行くつもりなのか?」

「俺以上のバカ共が無茶をしてんだ。こんなところで油を売ってる場合じゃない」

「だが――」

「邪魔をするなら旧知が相手でも容赦はしない。俺の性格、よく知ってんだろ」

「…………」

 気圧されでもしたのだろうか、陽太が何かを言おうとして取りやめた。

「<メインアームズカード>・<緊急発進ブースター>、アンロック!」

 唱えてすぐ、背中にはスペースシャトルのような外観のバックパックが装備される。<アステルドライバー>のディスプレイにはブースターのエネルギー残量を示したメーターが出現して、さらにはナユタの体全体が青い燐光で包み込まれる。おそらくこれは、飛行中における気圧やGの変動からなる悪影響から使用者の身を護る為の防御膜だろう。

「チャービル。いまからネットで配信されてるニュース映像にアクセスして、例の飛行船とやらに俺を案内してくれ」

「きゅい!」

 既に<アステルドライバー>の中で待機していたチャービルが頷く。肉眼で船の姿が捉えきれない以上、チャービルによるナビゲートは必須中の必須だ。

「九条君。これを」

 アヤカが一枚の便箋をナユタに差し出した。

「私は元々これを渡したくてここに来たの」

「俺へのラブレターか? 戦地に赴く兵士に対して、中々古風なお見送りだな」

「たしかにラブレターかもね。……イチルちゃん宛てだけど」

 彼女の表情にかすかな陰影が差した。

「いまあの子に本音を伝えられる手段はこれしかないから」

「でも、いつか自分の口で、自分の言葉で伝えるんだろ?」

「うん。だからお願い」

 アヤカは胸の前で手を組んで祈るように言った。

「どうか、イチルちゃんを助けてあげてください」

「任せろ。俺は約束を守れるくらいしか取り柄が無いからな」

 ナユタは断言すると、周りにいた兵士達を掻き分け、屋上の手すりを踏み台に跳躍、ブースターから光の炎を噴射して宙に舞い上がる。

 みるみるうちに地上の人間が視界の中で小さくなっていく。<蒼月>以上の噴射力と速力にちょっとした恐怖を覚えるが、一応は体の表面を覆う防御膜のおかげで身の安全に関しては何ら問題は無い。

「きゅい、きゅいきゅきゅきゅい!」

「北西だな。よし!」

 チャービルから指示された道なき道を、ナユタは一個の流星となって突き上がっていった。


   ●


「ぶっ!?」

「なにっ……」

 見張りの兵士を徒手空拳だけであっさり制圧してしまった修一の姿に、イチルはただひたすら呆気に取られていた。

 狭い船内の廊下が、いまや彼の独壇場である。脱出艇がありそうな区画とやらに続く道中、何人かの兵士に見つかりはしたものの、先頭を務める修一からすれば何処吹く風の何のその、である。

 横の壁や天井を蹴っての三角飛び、目にも止まらぬ速さでの奇襲攻撃、素早く敵を鎮圧する事だけを重点に置かれた見事な体術――近接戦闘のプロである黒崎修一の面目躍如だ。

 目的地の扉付近を見張っていた兵士を二人片付けた後、修一が小さくため息をついた。

「ふぅ……疲れた疲れたっと」

「すごい……騒ぎを起こさずに全ての邪魔者を突破しちゃった。ていうか、さっきはユミちゃんがあんな事をしなくても修一君なら普通にこんな感じで鍵を奪えたんじゃないの?」

 イチルがついでのように疑問を挟んだが、修一は首を横に振った。

「さっきといまでは状況が違う。それにユミの機転があったからこそ、俺達はこうして大した面倒も起こさずに目的地まで突っ走れるのさ。もし俺一人で全てを済まそうと思ったら、君はともかく俺とユミが殺されていたかもしれん」

 こんな状況でも饒舌な事である。さすが歴戦の猛者は醸し出す余裕の質が違う。

「加えて修ちゃんは屋内や狭い場所での体術に長けているのですよ。追っ手の人数を減らしたからこそ、修ちゃんはこうして真価を発揮したのです」

 ユミが自分の事のように胸を張った。

「相手が<新星人>でも、何もしなければ、或いは何もさせなければカカシも同然。あんま人類ナメるんじゃねぇーぞっての」

「イチルちゃんには悪いけど同意だね。ほれ、ロック開錠だ」

 修一が手際よく開錠して、固く閉ざされた非常用区画の扉を開ける。

 中は大体予想通りの光景だった。真っ暗で広い空間だが、壁際には何機かの小型ヘリやコンテナなどがずらりと並んでいる。背後で開けっ放しの出入り口だけが光源なので、奥に進む毎に足元には気を払わねばならない。

「あのタイプのヘリは何度か操縦してるから良いとして……」

「問題は何処にハッチがあるかだよね」

 修一とユミが揃って首を捻った。ヘリを見つけたとしても、それを使って抜け出す為の出入り口が見つからないのではてんで意味がない。

「修ちゃん、いっそ船体に穴開けちゃおっか」

「だな。その為の貯蓄も随分前にさせてもらった訳だし」

「させると思うかい、そんな事」

 ユミの物騒な提案を実行しようとした修一が、出入り口から現れた新たな人影を見咎める。いまの修一はまさに、こんな時によりにもよって、みたいな顔をしていた。

「ヒナタか」

「黒崎修一、ユミ・テレサ。君らには散々してやられたよ。おかげで普段は温厚な僕もそろそろ我慢の限界でね、堪忍袋の尾が切れてしまいそうだ。いや――もう切れてしまったよ」

 白いマントの裏から抜き出したカードを構え、ヒナタが力士像の如く凄絶な形相を露わにした。あんなに怒っている彼を見るのはこれが初めてだ。

「さっきイチルの部屋でノびてた奴から事情は聞いたよ。中学生の女子二人が肉体関係を結んでいたとね。彼にとってはさぞや眼福モノだっただろう。……僕もちょっと見たかった」

 怒りのあまり、理性までもが激情に犯されているらしい。いま、普段の彼からはちょっと信じられない発言が口から溢れていたような気がしないでもない。

「ちょ、ヒナタ、何か誤解を――ていうか、いま何かスペシャル不吉な本音が聞こえた気が……」

「何にせよ、ここまで派手にしてくれた連中をみすみす逃す訳にはいかない。イチルには悪いけど、その話はまた後で聞くとしよう」

「イチルちゃんならともかく、俺のカノジョの痴態まで暴露されたらさすがに敵わないな」

 言いながら、修一も<ランク外アームズカード>を抜き出した。

「だからさー、ここは何も知らなかったし見てなかったって事で、どうか見逃してはもらえないもんですかね? 面倒は嫌いだろ、お互いによ」

「一応これも上からのお達しでね。早く君達を片付けなければ、僕は『ハイパーカップ』のバニラヨーグルト味をこの船の責任者に強奪された挙句に切腹までしなければならない」

「バニラヨーグルト? 切腹? どんな状況!?」

「あれが無ければ僕は禁断症状で死んでしまう」

「知らねぇよ! 死ぬなら勝手に死ね! それとも、腹切る前に俺がお前の腹を八つ裂きにかっ捌いてやろうか!? あぁん!?」

「上等だ。やれるもんならやってみろ!」

 二人はそれぞれの理由で怒りに満ちた瞳を向け合い、開戦を宣言した。

「いくぜカルピス野郎! <ランク外アームズカード>、アンロック!」

「カルピス舐めんじゃねぇ! <アステルジョーカー>、アンロック!」

 罵り合いの後に二人の手に召喚されたのは、ひと振りの剣だった。

 まずは修一の<黒蛍>。鍔が無い黒い漆塗りの柄から白刃が伸びた大太刀だ。

 次はヒナタの<ソウルスレイヤー>。白い柄と鍔から幅が太めの白い刀身が伸び、鋒が丸く削られた奇妙な形の大太刀だ。

 機先を制し、修一が駆け出した。ヒナタの白刃と斬り結びつつ、彼はちらりとユミを見遣る。ユミは彼のアイコンタクトを受け取るや、イチルに小さな声で促した。

「いまのうちにヘリに乗り込んで逃げる準備をしよう」

「う……うん!」

 ここはユミの指示に従った方が賢明だ。二人は一番近くに駐機されたヘリに駆け出す。

 だが、次の一瞬でこの格納庫内に鎮座するヘリのプロペラが全て根元から切断され、一斉に床へと脱落してしまった。これではヘリに火を入れても機体は動かない。

「うそっ!? 何で!?」

「しまった……!」

 ユミが原因不明の現象に目を丸くする。片やイチルは、全てを理解した上で振り返り、戦闘中のヒナタへと視線を戻した。

 修一とヒナタはいまも忙しい足運びで剣戟を繰り広げている。本来ならヒナタにヘリのプロペラに攻撃をしかける余裕は無い筈だが――実は一つだけ、そんな状況でも使えるヒナタ専用の裏技が存在する。

「<飛天・薄羽>――忘れてた……!」

「薄羽?」

「極薄に生成されたアステライトの刃を超光速で飛ばして、対象を一瞬で切断する神業。全ての<新星人>の中でも<輝操術>のレスポンスが飛び抜けてるヒナタにしか、あの技は使えない」

「ヒメカラスもそれでやられたんだ……」

 ユミが戦慄して呟いた。発動の瞬間はおろか、視認すらままならない魔法の斬撃を使える怪物を相手にしている修一も、きっと彼女と同じ心境だろう。

 <ソウルスレイヤー>の斬撃を<黒蛍>で受けて、修一が吹っ飛ばされて尻餅をついた。この一瞬だけ、修一の動きが完全に止まる。

 ――来る!

「修一君、避けて!」

「え? 何で?」

 修一が迂闊にも首だけでイチルへと振り返る。その間にも、ヒナタが不可視の斬撃を飛ばしてくるだなんて思ってすらいないようだ。

 ヒナタの手元から、極薄の刃が五発分だけ飛ばされる。これは<輝操術>の知覚能力に長けたイチルだからこそ捉えられる映像だ。少なくとも、修一の視界には映っていないだろう。

 けれど、刃は全て修一の体に弾かれて、ガラス細工のように粉々に砕け散る。

「何っ!?」

「<薄羽>を全部弾いた!?」

 ヒナタとイチルが同時に驚いた。対して、修一は何事も無かったかのように立ち上がる。

「何を驚いているのやら。自分が使う技の弱点くらいちゃんと把握しておけよな。もしかしてアレか? 天才児はみーんなノータリンなのか?」

「弱点?」

 ユミが呑気に首を捻った。彼女にも修一同様、技のモーションが見えていなかった筈なのだから、疑問に思う気持ちも分からなくはない。

 だが、修一の意見はちょっと違った。

「最初にヘリのプロペラを切断された時に気付いた。お前のその斬撃はな、実は一歩も動かないで全部防御が可能なのよ。ほれ、試しにもう一発、撃ってみんしゃい」

「舐めた口を……!」

 ヒナタが激怒して、もう一発、今度は修一の首を狙って<飛天・薄羽>を放った。結果はさっきと同様で、刃が喉仏に弾かれて四散してしまった。

「なっ――」

「視認不可能なくらいに薄く加工されたアステライトの刃だって? まあ、そいつを高速で動かせばどんな物体だって切断できるだろうよ。でもな、そいつはあくまで対象が動かない場合に限定される。当たった瞬間に対象がちょっとでも身動ぎしていれば、耐久性が全く無いお前の刃は簡単に自壊してくれる」

「何を言い出すかと思えば、全く以てバカバカしい。君にはそいつが見えてすらいない筈だ。防御する手段なんてありはしない」

「見えていなくても刃がめり込む感触が肌には伝わってくる。その瞬間を狙って適当に動けばノーダメージだよ。そもそも、俺には見えてないなんて誰が言った?」

 修一は再び刀を構えて地を蹴った。

「ついでに言うと、お前がその便利な技を頻繁に使わないのは、ただ単に俺が動く的だからだ!」

「だったら――」

 ヒナタは修一の剣を受け止めると、今度はユミを狙って<薄羽>を飛ばしてくる。修一が動く的なら、ここで立ち止まったまま戦いを見届けているユミを狙うまでだという腹積もりだろう。

 だが、ユミはうるさい羽虫を払うように手を振り、<薄羽>の刃をぱしんっと破壊した。

「!」

「本当だ、意識すればちゃんと見えるや。修ちゃーん。これ、暗い部屋の中だったら普通によけられるよー」

 よく考えればアステライトは光子として視界に映るものであり、いくら極薄の刃だからといって、暗い倉庫内で光の刃なんか発射したら確実に目立ってしまう。ナユタ並みに高い身体能力を有する修一とユミの事だ、動体視力も当然のように優れているのだろう。だったら回避も防御もお手の物である。

 修一が剣で<薄羽>の乱射を打ち払い、素早くヒナタに肉薄する。

「そういう訳だコノヤロー、さっさと地獄に落ちやがれ!」

「この野蛮人がっ!」

 目を剥いて叫ぶヒナタに、修一が一閃。右腰から左肩にかけてまでを深々と斬られたヒナタが、血風を振り撒いて吹っ飛んで地を転がり、いまやただのスクラップと化したヘリの一台に激突する。

 もうヒナタが動き出す気配は無い。この戦いは修一の勝ちだ。

「ヒナタに勝った……?」

「いや、まだだ。この程度でくたばる奴ならとっくの昔に墓の下だ」

 修一が油断も無く言うと、ヘリに背を預けたままのヒナタが体を揺らして不気味に笑う。

「くくく……どこまでも気を抜かない連中だね。このまま油断してくれたら良かったのに」

 ヒナタがふらつきながらも立ち上がった。よく見ると、彼の体からはさっき修一に付けられた傷が消えていた。イチル程ではないとはいえ、ヒナタもそこそこ<回>は使いこなせるのだ。

「さあ――続きをしようじゃないか」

「生きてるとは思ったがね、まさか一瞬で立ち上がれるまでに回復していたとは恐れ入る。なんか、真っ向から戦うのがアホらしく思えるよ」

「だったらとっとと死んでくれない?」

 ヒナタが一笑に伏し、剣を一閃。真っ白に輝く斬撃が放たれる。

「おっと……!」

 修一が<黒蛍>の白刃で飛ぶ斬撃を受け止める。だが、今回の刃は一回触れただけでは消滅せず、ぎりぎりと異音を立てて修一の体を後ろに追いやっていった。

「こ、の……、やろうっ! 何なんだ、これは!?」

「教えてやっても良いが、どのみちもう遅い!」

 ヒナタが言った通り、もう時既に遅しだった。修一の体が斬撃の勢いに耐え切れずに浮き上がり、一気に後ろへと吹っ飛んでコンテナの一つに激突する。

 コンテナが爆発。重々しい爆音とオレンジ色の炎を撒き散らし、暗い格納庫を一気に明るく照らし出した。

「修ちゃん!」

「おっと。僕とした事が、火薬入りのコンテナに火をつけちゃった。まさしく、飛んで火に入るバカの虫と言ったところかな」

「そいつはお互い様だぜ!」

 炎の中心地から、全身が黒く煤けて傷だらけになった修一が勢い良く飛び出した。あの爆発の中で生きていただけでも奇跡なのに、まさか動き回れるとは。

「いくぜ<黒蛍>! 野郎のケツを火だるまにしてやれ!」

 滞空中の修一の叫びに呼応するかのように、周囲の炎が全て大気中で分解され、無数の蛍火となって宙に舞い上がる。

 イチルは暗闇に浮かぶ蛍火達を見渡して驚嘆する。

「これは……? 一体何が?」

「<黒蛍>の『天衣蛍火』。剣が届く範囲のアステライトを全て分解して、こんな感じの蛍火に変換する能力を持ってるの。ちなみに元が炎属性だから、炎も大気中のアステライトに混ぜ込んで同じような現象を引き起こせるって訳」

 つまり視界を淡く照らし続ける暖かい色の蛍火は、全て修一自身の意思で操作が可能となっているアステライトなのである。ユミの<風鼬>が有する風を操る能力も凄いが、修一の<黒蛍>も<アステルジョーカー>並みの特殊性を有しているらしい。

 修一が足裏に蛍火を集めて爆発させ、擬似的な二段ジャンプの末にヒナタの頭上を占領した。

「さあ、新しい調理法だ――行け!」

 蛍火のいくつかが細い閃光となってヒナタに襲いかかる。彼は<ソウルスレイヤー>で蛍火を弾いて防御しながら、攻め入る隙を伺うように<流火速>で回避に専念する。

「さあ、何処まで火を通すかね? レア?」

 天井を蛍火の弾丸で破壊。鉄骨などの鋼材がヒナタの頭上から降りかかる。

「あるいは、ミディアム?」

 鋼材の雨を回避したヒナタを先回りして、修一が目の前に踊りかかって剣を振りかぶる。

「おんやぁ? どの焼き加減もお気に召さない? じゃあ、しょーがねーなー」

 修一による斬撃の猛攻。防御に徹するヒナタの顔には余裕が無かった。

 <黒蛍>の刀身に周囲の蛍火が集まり、燃え上がり、一塊の巨大な刃と化した。

「そんじゃ、とっておきのウェルダンだ!」

 豪炎一閃。炎の斬撃が、防御しようと構えられた<ソウルスレイヤー>に直撃。

 だが。

「あんま調子に乗らない事だね」

 ヒナタ自身は吹っ飛ばされもせず、ただ炎の剣を軽々と<ソウルスレイヤー>の刀身で受け止めていた。

 <黒蛍>の刀身から炎が薄らいで消えていく。修一が目を剥いて驚嘆した。

「俺の炎が……!」

「ふんっ」

 ヒナタが<ソウルスレイヤー>を振って修一を振り払うと、そのまま剣を真上に掲げる。刃から白い雷電が発生し、大気の全てを揺るがしかねない勢いで唸った。

「解き放て、<ソウルスレイヤー>」

「逃げて!」

 イチルが叫ぶが、もう遅かった。ヒナタが縦に下した剣の刃先から、超高密度に圧縮されたアステライトの白い刃が射出され、防御体制に入った修一に直撃して爆発する。

 背中が壁に叩きつけられ、跳ね返った修一の体が前のめりに倒れる。

「いまのは……<ソウルスレイヤー>の能力か……」

 床に倒れる修一が呻くように言った。

「そうさ。<ソウルスレイヤー>は斬ったアステライトを喰らって無限に斬撃の威力と攻撃範囲を上昇させる魔の剣。僕の前ではあらゆる魔法がただのご馳走という訳だ」

 ヒナタが血振りでもするかのように剣尖を払った。

「そろそろ終わらせよう。もう茶番は見飽きた」

 <ソウルスレイヤー>から正体不明の黒いエネルギー体が噴き出した。いまから彼が使うのは、イチルが先程覗いたプロファイルデータにも名前しか記載されていなかった、正真正銘の切り札だ。

「<黒化>」

 黒いエネルギー体が<ソウルスレイヤー>に纏わりついて、やがて霧のように分散する。

 彼の手に現れたのは、白い柄を巻いた全身が真っ黒な大太刀だった。形は通常の大太刀と大差無いが、洗練された外観にそぐわぬ禍々しさがどこからともなく漂っているようだった。

 <アステルジョーカーNo.X3 ワールドスレイヤー>。ODDと呼ばれる症状に罹患した者のみが使用を許された、希少な<ブラックアステルジョーカー>の一枚である。

「くそっ……<ブラックアステルジョーカー>まで……!」

 何かの危機を悟った修一が立ち上がる。

 ヒナタは瞑目し、

「残念だけど、ここでさようならだ」

 瞼を開き、剣を一振り。さっきまで修一の胴があった空間ごと、剣の軌道上にあった壁やその他の物体が一筋分だけ斬り裂かれる。ここで修一が反射的に転んでいなければ、いまごろ彼の胴体と下半身が泣き分かれていたもしれない。

「何だぁ!?」

 修一が驚くのも無理は無かった。互いの距離は十メートル弱。少なくともヒナタの刃からすれば完全に射程外だ。にも関わらず鋒の動きと切断のタイミングが完璧に同期している。これは明らかにおかしい。

 もう隠す必要が無いと見え、ヒナタがあえて説明する。

「この剣に距離は関係無い。ただ鋒で視界をなぞるだけで、僕が見えてる対象の全てを剣の軌道のままに両断する。そう、まるで一枚絵を切るが如く、ね」

「つまりアレか? お前の視界の中でその太刀筋に捕まったら即死って訳?」

「飲み込みが早くて助かるよ。それじゃ――」

 ヒナタが容赦無く剣を空振りしまくると、彼の視界の先にあった物体が太刀筋に従って次々と切断されていった。修一は飛んだり跳ねたり回ったりを繰り返し、彼の斬撃の軌道からどうにか逃れ続けた。

 やがて修一が恐慌して喚き始める。

「ちょっと待ってお願い! じゃすともーめんとぷりーず! 人間は話し合う生き物だよ!? 無益な殺し合いは、さあ止めよう!」

「どの口が言っている!? つーか、何でかわせんの!? 普通は無理だから!」

「待てぇい! これ以上修ちゃんにおイタは許さんぞー!」

 ユミが銀色のブーメランを召喚、すぐさまヒナタ目掛けて投擲する。ヒナタは修一への猛攻を中止して、<ワールドスレイヤー>の刃でブーメランを真上に打ち払った。

 空中をでたらめな回転のままに舞うブーメランを、いつの間にかその近くまで飛んでいた修一がキャッチ。ブーメランと<黒蛍>を同時にヒナタの脳天を目掛けて振り下ろす。

 ヒナタが反応し、黒い刃で修一の攻撃を防御。

「<風鼬>!」

 ユミが指を鳴らすと、修一が持っていたブーメランが姿を消して、屋内であるこの空間に強烈な突風を巻き起こす。目の前でいきなり風のしっぺ返しを喰らい、ヒナタが大きく仰け反った。

「くっ……!」

「終わりだこの――」

 修一が相手の隙を見逃さず、最速の刺突を放つ。

「まだだ!」

 ヒナタの姿が突然掻き消え、次の一瞬で修一の背後に現れて剣を振りかぶる――が、また次の一瞬で彼の体が真横に吹っ飛ばされる。ユミがこの室内の風圧を操作し、ヒナタに指向性の突風をお見舞いしたのだ。

「修ちゃん!」

「でかした!」

 体勢を崩して仰け反ったヒナタに修一が肉薄。ヒナタの表情が凍りつく。おそらく、いまから修一が放つであろう斬撃に対する防御、あるいは回避が間に合わないのだ。

 修一が剣を振りかぶる。

「くたばりやがれっ!」

「ヒナタ!」

 考えるより先に体が動いてしまった。イチルは最高速度の<流火速>を発動し、ヒナタと修一の間に高速で体を差し込んだ。

 今度は修一とユミの表情までもが凍りつく。

「……!?」

「イチルちゃん!?」

「そんなっ!」

 ヒナタが目を剥き、斬撃の勢いを殺せないまま剣を振り下ろす修一が表情だけを固まらせ、ユミが無駄と分かりつつも思わず手を伸ばした。

 直撃。血が風に乗って舞い上がり、雨のように床に落ちる。

「ぐっ……!」

 負傷したのはヒナタ一人だった。咄嗟にイチルの体を片腕で引き寄せ、残る片手から<ソウルスレイヤー>を手放して、代わりに修一の刃を掴んで受け止めたのだ。よって、結果的には刃を掴んだヒナタの手が血まみれになるだけで事は終わった。

 床で絡まり合うイチルとヒナタを見て、修一が汗まみれの顔で叫んだ。

「イチルちゃん、何でそんな奴を!」

「もうやめて! もういいから、三人共落ち着いてよ!」

 イチルは修一に向かって怒鳴ると、次に自分の体の下敷きとなったヒナタを見下ろした。

「ヒナタもいまのでよく分かったでしょ? これ以上やったって、どんなに凄い力を使ったって、この二人には絶対に勝てないんだよ!」

「どけ、イチル! こいつらは僕達の邪魔ばっかり……」

「どうでもいい! あたしはもうこれ以上、誰にもいなくなって欲しくないんだよ!」

 イチルの目の端に一粒の涙が浮かぶ。

「もう誰かが離れていくのも、大切な人が死んでいくのもたくさんだよ! 取り返しがつかない後悔なんてもうしたくない……だから……もうお願いだから……っ」

 涙が零れ、声がつっかえて上手く喋れない。いまのイチルは、もう誰にとっても見るに耐えない姿として映っていた事だろう。

「お願いだから、もう殺し合わないで……お願い……だから……」

「…………」

 イチルの目から溢れた涙がヒナタの頬に落ちる。ヒナタはしばらく瞑目すると、掴んだままだった<黒蛍>の刃からそっと手を離した。血まみれの手も、彼自身の<回>によってすぐに元通りとなる。

 修一が呆れ気味に剣を下ろすと、ヒナタがイチルの体を抱えて起き上がった。

「降参だ。イチルに危害を加える気が無いと誓うなら、もう君達を追いはしない」

「勝ったからには責任ぐらいは持つさ。安心しな。彼女の身柄は俺達でしっかり保護してやる」

「助かるよ」

「別に良いさ。そんぐらいは」

 どうやら和解した訳ではないが、お互いまともな取引が成り立つようにはなったらしい。これで一ノ瀬ヒナタという敵は完全に無力化された。

 ヒナタは疲れきった顔で言った。

「何でかな。復讐のつもりでボスの計画に加担したからには、報復を果たすまで絶対に心の火は消えないと思ってたんだけど……不思議な子だよ。イチルを見てたら、もうその気力が湧かなくなっちゃった」

「報復?」

 泣き止んだイチルが首を捻る。ヒナタはここで初めて苦笑した。

「六十年前に犠牲になった東悟さんの娘さんはね、僕の初恋の子なんだよ。当時は同い年でね」

「そう……だったんだ」

 イチルからしても初耳の話だった。ちなみに、傍で話を聞いてた修一は小指の先で鼻をほじって退屈そうにしていた。不謹慎な奴である。

「イチルによく似た子だったよ、性格がね。その子が一緒だと自然に毒気が抜かれていくのさ。丁度、いまの僕のようにね」

「んな事はどうでもいいんだよ」

 修一が冷たい眼差しで吐き捨てる。

「で? 脱出には協力してくれるの?」

「あいにく脱出艇は僕がさっき全部破壊した。残る手段はハイジャックしか無いだろう。もっとも、見逃しはすれ協力までしてやる義理は無い。何せ、この船に乗り合わせた同胞達を裏切ったつもりは無いからね」

「……マジかよ」

 修一は戦慄を全身の硬直によって体現した。ヒナタを無力化したは良いが、この後も彼以上の化物が控えてる可能性が高い以上、こっちの生命力の都合でそう何度も相手にはしていられない。なのに脱出の方法が敵の全てと正面衝突も同然と言えるような手段しかないだなんて、冗談もここまで来れば一種の芸術である。

 ヒナタはまたぞろため息をついてから言った。

「まあ、しばらくすればスカイアステルには着地してると思うがね。でも、降りた先は既に焼け野原さ。<アステマキナ>の部隊がもうじきスカイアステルの隔壁に到達する。あと一時間足らずで天空の楽園は地獄の廃墟に早変わりさ」

「お願いヒナタ、すぐにスカイアステルへの攻撃を中止して!」

 考えてみればもう時間が無い事を思い出し、イチルは途端に慌ててまくしたてる。だが、ヒナタの姿勢は動かなかった。

「僕にその権限は無い。ミチルさんを無力化しないと難しいだろう。大体、あの人を倒せる人なんてもうこの世には――」

『だったら良かったわね。いますぐにでもあなたの懸案事項はクリアされるわ』

 唐突に響いた声は天井の四隅に据え付けられたスピーカーからだった。イチル達四人がその声に驚いて周りを忙しく見渡していると、突如として暗闇に覆われた天井が激しく炸裂し、大量の鉄骨と灰色の煙が滝のように降り注ぐ。

 灰色の粉煙から現れたのは、<アステマキナ>と酷似した機械の人型だった。これまでの<アステマキナ>には無いような先鋭的なフォルムが、外装から微かに漏れる燐光のおかげで暗闇の中でもくっきりと浮かび上がる。

 ヒナタとイチルが咄嗟に立ち上がり、機械の人型を視界の中心に据える。

「何!? 何なの、アレ!?」

「さっきの声、もしかしてアナスタシアか!」

 いち早く敵の正体の一部を看破したヒナタがさらに目を剥いた。人型は彼らの反応に、不気味に肩を揺らして応じた。

「正解だけど、不足があるわね。私はアナスタシア・アバルキンであると同時に、この史上最強のロボット兵器――<プロメテウス>でもあるのよ」

 アナスタシア・アバルキン――もとい<プロメテウス>の姿が掻き消え、修一の背後に出現する。

「え?」

 修一が思わず間の抜けた声を上げるのと、背中が縦に裂かれてその体が宙を舞ったのは同時だった。彼はついさっき風穴を開けられた天井の奥に消え、それっきり姿を現さなかった。

 赤黒い血がぼたぼだと頭上から床に落ちる。

「修ちゃ――」

 ユミが天井を仰ぎ見て、次の一瞬で壊れた小型ヘリの操縦席に叩き込まれる。ヘリのフロントガラスを突き破ってシートに座らされた彼女の全身は血まみれだった。

 気付けば、朱色の柄を巻いた大太刀を携える<プロメテウス>が、ヒナタとイチルの目前で静かに佇んでいた。

「まずは散々船内を引っ掻き回したバカ二人を片付けてやったわ」

「っ! イチル、離れろ! こいつ、僕と君まで――」

「遅い」

 ヒナタが彼女の狙いを察したところで、無慈悲な太刀筋が一閃する。ヒナタは咄嗟に構えた<ワールドスレイヤー>で彼女の剣を受け止めるが、一秒ともたずに後ろに吹っ飛ばされる。

 ヒナタがどうにか体勢を整えて着地する。<ワールドスレイヤー>もまだ折れてはいない。

「くそっ……!」

「ヒナタ!」

 イチルが咄嗟に彼へと駆け寄る。その間にも、<プロメテウス>が彼女の背後で高々と剣を振り上げていた。

 掲げた刃から、赤色のアステライトが激しく噴出する。イチルは背後からの強烈な発光現象に思わず振り返り、走るのを止めて息を飲んだ。

「あれは――!」

「月火縫閃」

 <プロメテウス>が縦に振り下ろした刃から、超高密度に圧縮された三日月状の発光体が射出される。その威力は床を抉り、空間が焦げてしまう程の熱量を帯びていた。

 間違いない。あれはナユタの<蒼月>の固有技、月火縫閃だ。

「<ソウルスレイヤー>!」

 ヒナタが叫ぶと、<ワールドスレイヤー>が再び<ソウルスレイヤー>へと変身する。彼はすぐにイチルの前に立ち、純白の剣を正眼に構えた。

 光の斬撃が<ソウルスレイヤー>の刀身と衝突する。

 <ソウルスレイヤー>は全てのアステライトを喰らって力に換える魔の剣。普通なら、このような斬撃はヒナタにとってはカウンターのチャンスでしかない。

 だが、いま<ソウルスレイヤー>の刃と文字通り火花を散らすあの破壊の閃光は、確実にヒナタを圧倒していた。

「バカな……喰いきれない……っ!」

「無駄よ」

 <プロメテウス>による駄目押しの横薙ぎ。今度は真横に倒れた三日月の刃が、既に放たれた縦の三日月の中心と折り重なる。

 いまのヒナタは、正面から見れば十字の刃をもろに受け止めている状態だった。

「お、おおお、お……おおおおおおおらああああああああああっ!」

 ヒナタが足を踏ん張って堪えるが、長くは続かなかった。

 十字の光が炸裂し、とうとう<ソウルスレイヤー>の刀身が粉々に破壊される。ただ、幸いにもヒナタとイチルには何の被害も及ばなかった。刀身が壊れる刹那まで、<ソウルスレイヤー>が二人の体を守ってくれたのだ。

 ただ、いまの攻撃で体力の全てを奪われたらしい。汗だくのヒナタはふらっとよろめき、重々しく膝と手をついてしまった。

「畜生……! 聞いてないぞ、こんなの!」

「でしょうね。教えていないのだから」

 機械の無機質な頭部からでも、自己顕示欲の塊たるあのロシア女がせせら笑う様がありありと脳裏に浮かんでくる。

 <プロメテウス>は剣を一旦鞘に収めると、ゆっくりと両手を広げた。

「<モノ・トランス>=<バスター>」

 次に彼女の両手に握られたのは、朱色に染められた一丁ずつの自動拳銃だった。イチルはこれとよく似たものを、今日に至るまで何度か目にしている。

「そんな……ナユタの<アステルジョーカー>まで!?」

「この<プロメテウス>の戦闘能力には、九条ナユタと死神、その他<アステルジョーカー>のオペレーター、<新星人>が有する力の全てをフィードバックさせている。奇跡的な才能、生来の特殊な力、そしてそれらを余すことなく有効活用する実力者の力――この三つを結集させる事こそが、私のロボット研究における最終目標だったのよ」

 <プロメテウス>が両手に握る拳銃の銃口を、ゆっくりとヒナタとイチルに差し向ける。

「そして<新星人>、あなた達には絶滅してもらうわ」

「何か変だなって思ったら、最初から僕達を消すつもりだったとはね」

「だって<新星人>って、気持ち悪いもの」

 彼女の引き金を引く指に力が篭もり――

「どっせええええええええええええいっ!」

 覇気に満ちた声と共に、真横の壁が激しく吹っ飛んだ。


   ●


「たったいま、全ての兵士にスカイアステルへの攻撃命令を下したわ。引き続き、速度を維持しながら上昇して頂戴」

『イエス、マム』

 簡潔な受け答えの後、ミチルはトランシーバーのスイッチを切った。

 いまミチルは船の甲板に上がっていた。ここから直接、スカイアステルへ飛んでいった西洋鎧の兵士達の指揮を執る為だ。緑色の流星となって一つの都市に突貫をかけようとする者達の姿を眺め、ミチルはいつも以上に微妙な心境に陥った。

 別に自分はヒナタや東悟などと違い、御影美縁の殺害に関しては既に諦めがついている。たしかに美縁との親交はあったし、それ相応の絆で結ばれた仲ではあるが、復讐なんてやらかしても彼女はきっと喜ばない。むしろイチルに責められる分、恥ずべき行為だとも感じてしまう。だからイチルを出産した直後、彼女に恥じない人生を送ろうとライセンスバスターとして働き始めたのである。

 なら、そんな自分が何で彼らの復讐劇に加担するのか。

 簡単な話だ。自分が死んでから蘇るまで、二、三年ぐらいは経っただろうか。その間、自分はずっとイチルを一人にしてしまっていた。だから、失われた月日を――「取り返しがつかない過去を取り返すような暮らしをイチルと共に手に入れられる」という東悟の誘い文句に乗ったのだ。

 スカイアステルを滅ぼす――かつての同僚達を手にかける気分は最悪だ。

 でも、それぐらいの業を背負ってでも手に入れたい幸せがこちらにはある。

『艦長! 船の真下から、高速で接近する生命反応が――』

 司令室から報告が来たと思ったら、突然船体が大きく揺れた。ここからではよく見えないが、どうやらバカな連中がこの船にとんでもないスピードで衝突してきたらしい。民間の航空機だろうか? いや、いまの状況でこの付近をそんなデカブツが通る筈も無いので、おそらくはスカイアステルに通じる何者かの回し者であろう。

 と思ったら、今度は船首を掠めるように、青白い閃光が真上に突き上がる。

「……あれは」

 空から降りてくる黒い影を目で追う内に、ミチルの表情が徐々に険しくなる。

「いーちーるちゃーんっ!」

 少々伸び気味な黒い髪をたなびかせ、青い意匠の大太刀を振りかざす少年が、底意地の悪さを前面に押し出したような笑顔で叫んだ。

「あーそびーまよぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 少年が振った剣から、青白い光の奔流が解き放たれた。


 何が起きたのだろうか、船体がいきなりデタラメに揺れた。

「おうおう、どうやら上でも何かおっ始まってるみてぇだな」

 突如として壁をぶち抜いて突っ込んできた黄色いドラゴンの背中から降りた三人のうちの一人が、状況に則さず呑気な反応を示した。

「何があったにせよ、私達は私達の目的を果たすだけだ。そうだろう?」

「違いないですわね」

「こっからは遠慮問答一切無用の時間でいっ!」

 エレナとサツキが<アステルドライバー>を構え、ナナが<ドラグーンクロス>のフルアーマード形態を元のユニット形態に戻す。

「さて、イチルよ。俺達は何をすればいい?」

 六会タケシが既に発動していた<アステルジョーカー>の両手にそれぞれ<円陣>を出現させて言った。

「裏切り者のお前か、そこの雪見大福野郎か、或いはそっちの人型機動ポンコツ兵器か。ぶっ潰してほしい方を選びな」


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