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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.4 ~イチル編~
22/46

第十三話「六十年前の真実」


   第十三話「六十年前の真実」



「エンジントラブル?」

 八坂ミチルが珍しく困惑して眉をひそめた。

「嘘でしょ? 大人数相手にあんな盛大な啖呵を切っておいて、いざ船に乗り込んだら発進できませんって」

「私の言葉が洒落か冗談のように聞こえたか。心外だな」

 彼女の目の前で御影東悟が言った。彼の格好は相変わらずの黒い教皇姿だ。

「<方舟>はアステライトを燃料としたエンジンで動いている。発艦直前にあらかじめ燃料を注入しておいた筈なのだが」

「さっき燃料系統を調べたら、エンジンルーム内のアステライトが空っぽになっていました」

 東悟の横に立つ白い髪の少年、一ノ瀬ヒナタがやれやれと肩を竦めて言った。

「再注入には最大で半日ぐらいかかります。最悪、明日の朝までは発艦が出来ないかも」

「困ったわねぇ……」

 操舵室を兼ねた司令室の真ん中で難しい顔を突き合わせる代表格三人の絵面は、部下である操舵手達からすれば想像以上に重苦しいように感じられただろう。

「この間にウェスト防衛軍の連中が基地を取り返しに来たらどうするのよ」

「基地は既に投棄した。もう誰がどのようにしてくれても構わない。放っておいても何ら問題は無いだろう」

「この建造ドッグにまで手が伸びたら? 発艦する前にスクラップにされちゃうわよ?」

「だったら私が基地に残って見張りを引き受けよう。部下を何人か持って行くぞ」

「発艦する時には戻って来るんですよね?」

 ヒナタが怪訝な顔をして尋ねた。

「いや、発艦後も基地に残るさ。全ての掃除は君達に任せるとしよう」

「え? 戦闘には参加されないんですか?」

「スカイアステルの攻略なら君達二人とここの主力兵士達で充分達成可能だ。本当ならこの手で連中を潰してやりたい気分だが、いま一番の脅威はS級バスターよりも西の戦争屋達だ。もし奴らが空を飛ぶ算段を立てた上でこの船に乗り込んだ場合、さすがの我々も敗色濃厚だ」

「たしかに、僕らを全滅させるより性質の悪い手段を構築されてはたまりませんからね」

「だろう? ならば最後まで地上で圧力をかける役割が必要になる。引き受けるならおあつらえ向きな能力もこちらにはある訳だしな。図らずも私が適任だったという訳だ」

 目下のところ、S級ライセンスバスターが有しているのは高い戦闘能力と高性能のS級カードのみだ。一部の協調性が高い人材以外はチームプレイに関しても怪しい連中ばかりなので、はっきり言って集まれば集まる程に烏合の衆となりかねないのが最大の弱点なのである。

 だが、西の戦争屋だけは違う。統率や連携、個人技といった重要な要素を学術的見地や経験則などから得ている連中ばかりなので、<新星人>よりも優れた世界最強の戦闘集団と呼ばれているのも頷けるというものだ。

『ねぇ、パパー! ここドコー?』

「うおっ!? 何だ!?」

「何? 何の声!?」

 ヒナタだけでなくミチルまでもが、突如この空間に響き渡った幼い少女の声に驚いて仰け反った。音の発生源は、東悟の懐からだった。

「こら、美縁。突然大きな声を出すんじゃない」

『えー? いいじゃーん』

「全くお前は……」

 東悟が困った顔で、黒いマントの内側から黒い脇差しを二人の前に晒した。彼は脇差しの鯉口を切ると、鍔元に埋め込まれた目玉に話しかける。

「ヒナタやミチルはともかく、お前の存在が露見すると色々面倒だったのに……ほら、見なさい。ここにいる皆が驚いているだろうが」

「ボス……? その刀ってもしかして……」

「ていうかいまの声、もしかして美縁か?」

 ヒナタが恐る恐る推測を口にするが、実は大正解だ。

 いま東悟が握る脇差しの鍔元から放たれた声は、彼の娘である御影美縁のものだった。

「いつの間に喋れるようになったの?」

「ついさっきだ。自室でくつろいでいたら、突然喋るようになった。やかましくて済まないな」

「いえ……それは良いんだけれど……」

 まさか総決起のタイミングでこんな奇跡が起きようとは。姿形が変わり果ててしまったとはいえ、こうして再び彼の娘の声を聞けるようになる日が来るだなんて。

 東悟は咳払いして言った。

「……話を戻そう。私は一旦基地に戻る。燃料が回復したらすぐに発艦しろ。ミチル、総指揮は君に任せる」

「はいはい。……ぷっ」

「何がおかしい」

「いやだって、娘さん一人にあたふたするごく普通のお父さんがテロリストの主犯格だなんて……考えたらちょっとおかしくって」

「それは君も同じだろう、怪物親子の片割れが」

 東悟は恨みがましそうに言うと、早足で司令室から歩き去った。心なしか、彼の背中がいつもより小さく見えた。

「あー、おっかしかったー」

「言ってる場合ですか。半日もの間、どっかの馬鹿のせいでお預けくらったんですよ?」

「エンジンのアステライトを空っぽにした犯人がこの船にいるって事?」

「明らかに侵入者の仕業ですよ。どうするんですか?」

「どうするって……もう船に侵入してるなら、始末するしか無いじゃない」

「だとしたら何処にいる? いや、そもそも誰が――」

 ヒナタがぶつぶつ呟いて、やがてその目が見開かれる。

「……そういえば、基地に侵入した連中の中で二人程、最初の一度以外はカメラに姿を晒してない奴らがいたそうですね」

「ああ、例の戦争屋コンビ? いっそ子供作って平和に隠居生活でもしていればいいのに……」

「いや、そこじゃねーだろ! ていうかお互い十三歳で子供とか何考えてんすか!?」

「あら、ダメだったかしら? まあ、何にせよ、西の連中は何をやらかすか分かったもんじゃないし? ヒナタ君、悪いけどその二人を探して始末してくれるかしら? エンジンの件はさておき、もし本当に侵入してたら洒落にならない相手だから」

「言われるまでもないです。そもそも、龍牙島で彼らを殺せなかった僕の不始末ですから」

 ヒナタが呆れるやら怒るやらといった顔をすると、白い髪をくしゃくしゃと片手で掻きながら司令室から離れた。

 ミチルは肩を竦めながら彼を見送ると、ふとある事を思い出す。

「……そういえば、九条君に止めを刺すの忘れてたかも」

 ついさっき仕留めた小さな戦争屋に与えたダメージといえば、せいぜい腹部にお見舞いした深い斬撃の一発だけだ。出血多量で死ぬようなレベルの傷だったとは思うが、あの直後に何者かが救援に訪れた場合はその限りではない。

 頭を潰しておけば良かった――物騒な後悔がミチルの脳裏をよぎった。

「……ま、いっか」

 ミチルは手近に設置された艦長専用のシートに深く腰をかけた。


 専用にあてがわれた個室で身を休めていた八坂イチルは、ベッドの上で仰向けに寝っころがりながら天井の一点をずっと眺めていた。半日分だけ方舟の発進が遅れるとなれば、精々横になって休むくらいしかやる事が思いつかないからだ。

 目を閉じ、つい先程聞かされた話を反芻してみる。

 あれはミチルと再会した直後の話だ。


「教えてあげる。あなたの全てを、余す事なく」

 再会早々、随分な切り出しだな、と思った。

 周囲が岩などの自然物で取り囲まれた広い空間の中、イチルはヒナタの案内で、死んだ筈の母親と再会した。

 信じられなかった。何より、不可解だった。何故蘇ったのか、どうやってその体を手に入れたのか、何故こんなところにいるのか――正直、分からない事だらけだった。

 でも、最初にどうしてもこうなってしまった。

「お母さん……なの?」

「ええ。私は正真正銘一分の一スケールの八坂ミチルよ。まあ、うっかり若返っちゃったけど」

「うっかりなの? それうっかりなの!?」

「ほら、人間だってうっかり戦争起こしちゃったりするでしょ。だったら私もうっかり蘇って若返っても……」

「どんな例え? うっかり蘇るって何? ゾンビかあんたは!」

「いや、ゾンビもうっかり蘇りはしないと思うんだけど……」

 ヒナタが何か言ったようだが、そこは気にしないでおくとしよう。

 それにしても相変わらず惚けた人である。でも、こういう無邪気なところが彼女らしいと言えば彼女らしい。最初は彼女を似せて作られた偽物かと思ったが、どうやらそうではないらしい。

 イチルの涙腺が自然と崩れてきた。

「どうして? だって、もう死んじゃったのに、何で? 一体どうなってるの?」

「この体はただの作り物よ。よく出来てるでしょ」

 ミチルが手の平をイチルの頬に添え、自然とにじみ出てきた涙を拭う。触れ合った感触まで、生前までの彼女と全く同じだった。

「自分でも驚いたモンよ。私の<ステラマイスター>の能力の一つで、記憶と意識のデータが死後に全部カード内に移植されていたらしいの。だから最近私達の目論見に加担したロボット博士の人が、ボスと手を組んで私の体を再現してカード内のデータをリンクさせたの。見た目が二十代後半なのは、ボスの計らいって奴かしらね。おおよそ、蘇った時に若い頃の肉体まで取り戻したら、私がとーっても喜ぶとでも思ったんでしょう」

「そうだよね。本当に嬉しそうだもんね」

 つまり、いまの彼女は器こそ別物だが、中身は正真正銘の八坂ミチルらしい。

「でもお母さんがどうしてこんな所に? っていうか、目論見とか言ってたけど……」

「いまからそれを説明するから。長い話になると思うけど、よく聞いて」

 ミチルは手近なカプセルに腰を預けると、ゆっくりと語り始めた。

「昔の話をしましょう。このウェスト区ではね、二つの種族が対立していたの。

 一つは<トランサー>と呼ばれる、<星獣>と心を交わして自分の力とする種族。

 もう一つは<新星人>と呼ばれる、<輝操術>の全てに長けた魔法使いのプロ集団。

 二つの種族が使う術の種類は同じ<輝操術>とはいえ、術のコンセプトが根っこから違ってたから別物扱いされてたわ。よく<星獣>の扱いに関しては喧嘩してたっけ。<新星人>が<星獣>をただの災害と断定して切り捨てていたのに対して、<トランサー>はぶっちゃけただの動物愛護団体だったわ。まあ、普通の人類側から支持されていたのは私達の方だったけど」

「あたし達もその<新星人>って種族の人間なの?」

「ええ。あなたも私もヒナタ君も、このカプセルに眠る人達もね」

 ミチルは腰と密着した大きなカプセルを手の平で撫でた。

「ある日、<新星人>の先導者である御影東悟の娘さんが、突然行方不明になった。彼は必死に娘さんを探して、そして三日後になってその子がようやく発見された」

 彼女はここで一旦言葉を切り、喉に何かが詰まったような顔をして固まった。

 やがて、再びその口が開かれる。

「……そう、武器の姿で。その娘さんは、脇差しの形で発見されたのよ」

「女の子が武器の形で? 一体何で――」

 何でそうなった? などと口走ろうとした時、イチルはその答えをすぐに悟った。

「……娘さんが発見された場所は、既に廃棄されたと思われていた、とあるゴーストタウンの研究施設だった。かなり大昔に<トランサー>が<星獣>の研究に使っていた施設でね、彼らが秘密裏に何かの実験を行うのには最適の隠れ家だったのよ。娘さんは何者かにそこへ連れられて、そしてその何者かの手によってそんな姿に変わり果てた。ここまで言えば、その連中が何の実験をしていたのかは、火を見るより明らかよね」

「アステル……ジョーカー……」

 <アステルジョーカー>。人の体一つを生贄にして作られる、禁断の<アステルカード>。

 先導者の娘を連れ去ったその連中は、まさに<アステルジョーカー>を作ろうとしていたのだ。

「東悟さんが情報を様々なルートから得て、研究施設に足を踏み入れた時には既に手遅れだった。丁度実験が終わった後の事でね。東吾さんは怒り狂って、その場にいた<トランサー>の研究者を皆殺しにしたわ。それがきっかけで、<新星人>と<トランサー>の間で無惨な戦争が勃発した。これに上の連中は『星界事変』だなんて仰々しいタイトルを付けちゃったみたいだけど」

「お母さんもその戦争に参加したの?」

「ええ。それと、そこのヒナタ君もね」

 ミチルが難しい顔をして押し黙っているヒナタを一瞥すると、どこか遠い目をして話を再開した。

「ウェスト区に血の雨が沢山降ったわ。阿鼻叫喚の地獄ってのはああいうのを言うのかしら。<トランサー>にも<新星人>にも多大な死傷者が出たわ」

 まるで昨日の天気でも語るような気軽さだった。

「最終局面が特に酷くてね。私達なんて、犠牲になった味方の体を一つ使って、新たに武器を生成してまで奮戦したんだもの。やってる事は<トランサー>と変わらなかったわ。本当、自分達の悪辣さには自己嫌悪を覚えたもんよ。まさか人の命を奪って作られた兵器だけで、<トランサー>の約半数を殲滅させちゃうなんてね」

「じゃあ、お母さんとヒナタの<アステルジョーカー>は……」

「偶然の産物。たまたまそういうのを作る術を、私とヒナタ君とバリスタが持っていて、最初に私がその術を使ったのをきっかけに残りの二人も同じ事をした――それだけの話よ」

 つまり、<アステルジョーカー>を巡る戦いは六十年以上前にも起きていて、ミチルと<トランサー>達はその<アステルジョーカー>の基本体系を生み出した創始者なのだ。

「でも結局、窮地に追い込まれたのは私達の方だった。東悟さんは自分の憎しみから始まってしまったこの戦争で、これ以上の犠牲者を増やさない為に、悔しさを堪えて私達に撤退を命じたわ。

そんな私達の前に、ある一人の男が現れた。その男は秘密裏にこの地下施設の存在を私達に教えて、ほとぼりが冷めるまでこのカプセルで眠るようにと提案した。さすがに最初は抵抗を覚えたけど、それでも飲まざるを得ない提案だったわ。だからそれぞれカプセルのコンパネで目覚める日と時間を決めて、五十年後から六十年後までの眠りについた」

「そして長い歳月を経て、僕らは眠りから覚めた」

 いままで黙っていたヒナタが、ここでようやく口を開いた。

「ただし一斉に目覚めた訳じゃない。さっきも言っただろう、目覚める日と時間をあらかじめ別々に設定したって。これは自分が目覚めても大丈夫だろうという時間を個々で決めておいたからなんだ。例えばバリスタ。奴はあらかじめこの真上に軍の基地を設立する計画を発案してから眠りについた。ここの存在をより厳重に秘匿する為だ。そして戦争のほとぼりが覚めて、軍でも受け入れ態勢が完璧に整った時期に奴は目覚めて、戦争屋として活動を開始した。この事実は軍の上層部の中でもごく一部にしか伝わっていない」

「じゃあ、ヒナタはいつ目覚めたの?」

 イチルは素朴な疑問を口にした。よく考えれば、たしかに目覚めた時期が一緒ならミチルはともかくヒナタの年齢に関しては説明がつかない。

「そもそもヒナタやバリスタって人が六十年前の人間だったってのが信じられないけど……仮に本当にそうだとして、お母さんとヒナタはいつここから出たの?」

「僕が目覚めたのはイチルが十歳を迎えた頃だ。当時の僕も三年前の君と同い年だったし、ある意味では丁度良いと思ったからさ」

「で、私が目覚めたのが、いまから大体十四年ぐらい前って事」

 ミチルがついでのように付け足してきた。

「お次はイチルの出生の秘密について。これは簡単な話でね。実は戦争の直前に発覚したんだけど、その時私、身篭ってたのよね」

「それってつまり、あたしをお腹に宿したまま戦って、戦争に負けた直後にあたしごと、このコールドスリープ装置で眠りについたって事? じゃああたし、本当は六十年前に生まれてくる予定だったの?」

「ピンポーン。だから本当ならあなたは、とっくにお婆ちゃんになってた訳よ、本当ならね」

「…………」

 真実味の湧かない話だった。実際自分が生まれたのはこの時代の十三年前で、六十年前には物心の有無どころか産まれてすらいない状態でミチルの胎内に宿っていたのだ。

 普通なら信じられない。でも、産みの親である当人が言うのだから説得力が無いとは言えない。

「胎内のあなたが安全に出生するかどうかは賭けだったわ。何せ妊婦をコールドスリープなんて前代未聞だったもの。でものんびりと出産するまで待てなかった。何せ残党狩りにでも遭ったら、あなたも私もいまここには立っていないもの。ま、これが全てかしらね」

 あらかた真相を話し終えて達成感が湧いたのか、ミチルがカプセルから腰を離して伸びをする。椅子も無い空間でずっと話し込んでいたら、まあそうなるだろう。

 だが、ミチルからはもう一つだけ聞いておかなければならない事がある。

「……もう一つ、聞いていい?」

「何?」

「あたしを産んだって事は、お父さんだっているんだよね。お父さんは何処にいるの?」

「……もうこの世にはいないわ」

 ミチルが暗い表情でかぶりを振った。

「お父さんね……六十年前に取り残されて、いまはもう死んでるのよ」


 敗戦後のミチル達をあのコールドスリーパーに案内したのは、戦争中に行方をくらましていたミチルの婚約者だった。彼は施設を発見してミチル達を導いた後もあの時代に残り続け、この棺桶と<新星人>に関わる秘密を守れというバリスタの頼みに最後まで応えていたのだという。つまり、自分の父親がウェスト防衛軍創立の立役者だったという訳だ。

 これがイチルの出生の秘密、その全てとなる。

 彼女は全ての真相を知った後、復讐心を再燃させた御影東吾が<トランサー>への報復に向けて再決起したと聞かされた。もし彼の復讐が成功して<トランサー>一族を根絶やしにしてスカイアステルを征服した場合、イチルは今後ミチルやヒナタとの平穏な生活が約束されるという。

 だからイチルは彼らの話に乗って、ナユタ達を裏切った。

 別に心は痛まなかった。両親と想い人を失い、一生天涯孤独を強要されるくらいなら、あんな名ばかりの友人達なんて切って捨てた方が余程清々する。

 あと少しで、取り返しのつかない過去を取り返せる。

 お母さんとヒナタ、それと沢山の同胞達と、あたしは――

「……あれ? なんでだろ、なんだ、これ」

 自然と目尻に涙が溜まっていたらしい。多分、ずっとベッドの上で仰向けになっていたから、眠さのあまり変な水分が出ていこうとしているのだ。

 別に裏切りを後悔したから泣いている訳ではない。

 もう、あたしには関係の無い話だ。


   ●


 脇腹の上を覆う魔法陣を消して、六会タケシは適当に体を動かして自身の体調を確かめた。

 バキバキに折れた肋骨は少し前の手術によって元の位置に戻り、加えてさっき新たに作った<癒陣>によってほぼ完璧に治療を済ませたので、もう体を大きく捻ってもほとんど痛みを感じない。<アステルジョーカー>とは実に便利な力だな、などとタケシはしみじみ思った。

 折れた右腕も同じ用法で治療したので問題は無い。とはいえ、戦闘するにはまだ厳しいが。

「……たしかにすっげー力だよなー、これ」

「タケシー、おっじゃまー……ってオイ! 普通に起きるんじゃありません! ていうか、何で<アステルジョーカー>なんか発動してるのさ!」

 入室早々、騒がしいのがこちらへと歩み寄ってきた。長くてふわふわの金髪が特徴の彼女は、タケシの恋人であるナナ・リカントロープだ。いまは患者専用にあてがわれた薄い桃色の寝巻き姿だが、服越しに浮き出る体つきはいつ見ても眼福の一言である。病院支給の寝巻きがイヤラシイ服装に思えたのは人生で二回目である。

「さっきまで傷の治療を自分でやってたんだよ。お前の<回>をサンプルにして、新しい<円陣>を作らせてもらった。おかげさんでほれ、この通り」

 調子に乗って色んなポーズを決めているうちに、再び肋骨が痛み始めた。

「…………」

「言わんこっちゃない」

 脇腹を抱えてうずくまるタケシに、ナナが呆れ果てたように吐き捨てた。

「……っていうか、お前も出歩いて大丈夫なのかよ。熱は?」

「一応熱だけは引いたけど、やっぱり体がガッタガタでさー」

「しばらく戦闘不能って訳か」

 先刻の戦いで二人は激しく消耗していた。<アステマキナ>とかいう人型機動兵器との戦闘で受けたダメージと、<アステルジョーカー>の過剰使用による体のオーバーヒートが原因だ。現在時刻は夜の十時、戦闘が終わってから七時間以上は経過しているので、タケシとナナは少なくとも六時間以上はこの病院で惰眠を貪っていたという計算になる。

 その間に、<アステマキナ>を送り込んできた敵は一体何をしていたんだろうか。

「ねえタケシ? まさかとは思うけど、ここから抜け出す気じゃないよね?」

 ナナが笑っているのか不安がっているのか分からないような顔で尋ねてきた。

「よく分かったな。俺のポーカーフェイスを見破るとは」

「顔に出てなくても体に出てますぅ」

 彼女が唇を尖らせて、からかうようにタケシを咎める。

「仮に抜け出せたとして、何をする気なの?」

「決まってる。イチルのバカを連れ戻す」

「あたしがダメって言っても?」

 ナナはお尻のポケットから<アステルジョーカー>を抜き出した。

「タケシが無茶するのだけは見過ごせない。今度は肋骨と右腕だけじゃ済まないよ」

「俺を護りたいのか殺したいのか、せめてどっちかだけは聞かせてくれ」

「冗談には付き合わない。忘れたの? イチルはあたし達を裏切って、敵の側についたんだよ? 裏切り者一人の為に命を賭けるなんてナンセンスだよ」

 たしかに彼女の意見は一理あるし、タケシも当初はそう考えていた。

 でも結局、正論よりも優先すべきロジックがタケシの中では既に組み上がっていたのだ。

「なあ、ナナ。たしかに俺の言う事は全てナンセンスかもしれない。合理的に動いた方が損をしない、ここはそういう世界なんだろう。全ては計算と知略と知識と常識でどうにか凌げるもんだと、少し前までの俺はそう思ってたよ」

「じゃあ、何で?」

「それが俺の意地だからだ」

 タケシは彼女から目を逸らさず、よく通る声で告げた。

「どんなにナンセンスと罵られても構わない。でも、もしここで合理的だからってイチルを見捨てたら、俺はきっとその時の自分を許せなくなる。大切なものを護れないで一生後悔するぐらいなら、俺は命を賭けてでも自分が納得するまで戦ってみたい。もう下らん争いで誰かが犠牲になるのは御免だからな」

 いまのタケシを何よりも強く突き動かす衝動は、まさに男の意地という奴だ。

 これさえあれば自分はどんな困難にだって挑んでいける。後悔だらけの人生を送ってきたいまなら、これがいまの自分にとっての最適解と言っても過言ではない。

「俺の意地を邪魔するなら、誰が相手でも容赦はしない。こいつはその為の力だ」

 タケシはサイドテーブルに置いてあった<アステルドライバー>とデッキケースと手に取った。<ドライブキー>は既にドライバーに挿入されている状態だった。

「頼む、行かせてくれ」

「……はいはい、分かりましたよ」

 ナナが思いの外、納得したように頷いた。

「さっきのは冗談だよ。知ってる? あたしってそこまで頭が良い女の子じゃないんだよ?」

「あのもじゃもじゃに比べたらマシな方だとは思うけどな」

「そうだね」

 ナナがくすりと笑う。

「――で、問題のイチルはいま何処にいるの? そもそも病院の人達に気づかれないように抜け出さなきゃ大騒ぎだよ?」

「さあ、どうするかね。とりあえず、順を追って状況を整理しよう」

 タケシがベッドの上に、ナナも手近なパイプ椅子に腰掛けた。

「親父の話だと、病院の外周には常にA級とS級の混成部隊が配置されてるらしい。外部から敵の侵入を防ぐ意図もあるんだろうが、本命はおそらく俺達に逃げ出されない為ってところだろう。そりゃそうだ、<アステルジョーカー>が三枚もこの病院に集まってるんだ。下手に動かれたらそれこそ敵が付け入る隙になりかねん」

「あんま下手には動けないね」

「ここが病院じゃなきゃ、<ドラグーンクロス>か俺の<ブラックアステルジョーカー>で強引に突破していたところだろうがな。しかもうろついてるS級バスターはさっき暴れまわってた連中だろう。さっき俺の部屋に親父が来てたんだ、連中をそのまま上に戻したとは考えにくい。脱出している最中にエレナの姐さんにでもぶち当たったらそれこそゲームエンドだ」

「誰か一人でもいいから、S級バスターを味方につけられたらなぁ……」

「呼んだかね?」

「げっ!?」

 ここぞというタイミングで、三山エレナがこの個室に足を踏み入れてきた。女豹を思わせるしなやかな体つきの上には、まるでビジネスウーマンのような白いブラウスとグレーのパンツスタイルが貼り付いている。

 というか最悪だ。いまの話を全て立ち聞きされていたかもしれない。

「いまの話は全て聞かせてもらったぞ。全く、とんでもない悪ガキ共だな。君達を護らねばならん私達の苦労も少しは考えて欲しいもんだ」

「で……ですよねー……」

「――と、言いたいところだが」

 エレナがしたり顔で前言撤回をする。

「ナナ。君はいま、S級バスターを一人でも味方につけられたらここを抜け出せるという趣旨の発言をしたな」

「は……はい……」

 さすがのナナも表情が凍りついている。三山エレナ、恐るべし。

「それと、さっきの痴話喧嘩も聞かせてもらったぞ。中々愉快な内容だった。タケシ、お前も言うようになったではないか。君の男気には感服したぞ」

「そ、そりゃどうも……」

 褒められて喜ぶべきなのか、或いは臭い台詞の連打を記憶された事に恥ずべきなのか。

「そんな事はどうでもいい。協力者が欲しいのだろう? だったら私が引き受けよう」

「何言ってるんですか? あんた、度重なる問題行動と命令違反で親父から色々ペナルティ貰ってるって聞きましたけど!?」

「もうこれ以上泥を被ったって失うものは何も無い」

 さすがは最強のライセンスバスター。組織内の上下関係も何処吹く風だ。

「そもそも弟子の失態は私の失態でもある。私がイチルを強くしなければ、サツキだって楽にイチルを倒して捕縛できたかもしれん。それにこれから君達が戦うであろう相手は彼女だけではない。一ノ瀬ヒナタも一緒なら、尚更君達だけでは手に負えんだろう」

 ヒナタの名前を聞いて、タケシの眉がぴくりと釣り上がった。宿泊学習の時、明らかに手加減されていたにも関わらず倒しきれなかった相手である。この屈辱は奴をこの手でぶちのめすまでは決して消えないだろう。

 エレナはばしんと拳と手の平を叩き合わせた。

「さて。私を仲間に加えたのだ。つまらん方策に付き合わせるなよ?」

「……最凶の女がもう一人……親父を相手取るよりかはマシか」

 ナナ一人で手一杯なのに、そこに加えてエレナのエスコートまで引き受ける羽目となってしまった。普通の男なら、この手合いを見せられたらすぐに踵を返して裸足で逃げ出すだろう。

 だが、面白い。面白いというのは最大の切り札だ。

「分かりました。じゃあ、これから脱出プランを構築します」


   ●


 同時刻。九条ナユタが目を覚まして初めて目にしたのは、古びた梁に支えられた茶色い天井だった。やけに高さがあるように思えるのは、単に仰向けで寝ていたからだろうか。

 いまの自分の格好を確認してみる。青い着流し姿一丁で、腹には真新しい包帯が巻いてある。畳の上に敷かれた布団の横には、水や薬などが乗った盆が置いてある。

 ぐるりと周りを見渡す。どうやらここは和室らしいが、怪我人を寝かせておくには少し広い気もする。右側の開け放たれた襖の向こうは広大な庭となっており、少なくとも外の天候を部屋の中央からでも一目で確認できるようにはなっている。

 空はすっかり暗い。おそらく夜の十一時といったところだろう。

 寝起きの頭で周囲の状況を認識して、ナユタはようやく立ち上がった。部屋の隅に姿見があったので、何の気なしにとりあえずその前に立ってみた。

 眠気からか、鏡に映る己の表情はやけに精力が抜けているように見える。髪の色も心なしか暗い――

 いや、黒かった。

「……え?」

 ナユタは目をごしごしこすって、改めて姿見に映る自分の頭髪を確認する。

「嘘だよね? 周りが暗いから黒く見えるだけだよね、コレ?」

 普段は輝いている程には水色だった頭髪を片手で鷲掴みにして、あちらこちらへとかき乱してみる。よく見れば四方八方に跳ねている筈だった天然パーマの毛先も、いまや全体的に下を向いているような有様だった。

 とりあえず部屋の中央に吊り下がった蛍光灯の紐を引っ張って、部屋に明かりをつける。一気に視界が明るくなったので目玉全体が焼かれるような錯覚に陥ったが、徐々に明順応してまともな視野を確保し、三度姿見を凝視する。

 ナユタの髪が黒くなっていた。ある意味トレードマークだった水色天然パーマが、いまは黒髪の人工パーマっぽいヘアースタイルに変更されていたのだ。

「おお……お……おおおおおおっ……」

 ナユタは姿見を両脇から強く掴み、より顔面を鏡面に近づけた。

 黒い。しかも程よい感じにパーマが掛かってる!

「ついに……ついに……! あの忌々しい水色天然パーマから開放されたぞー!」

 <アステルジョーカー>の初回発動時から苦節三年! ヘアカラーでいくら黒に戻しても<アステルジョーカー>を発動したら一瞬で染料が消し飛んで元に戻ってしまうという苦労をずっとこの俺に与え続けた忌むべき水色から、寝癖直しウォーターをボトル一本分使い込んでも直らなかった無法者の天然パーマから、誰の思し召しか俺を解き放ってくれたのだ!

「これで誰からもDQN扱いされずに済むぞ、これで誰からも鳥の巣ヘッドだなんて呼ばれずに済むぞ! ありがとう神様、俺、お前を愛してるぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

「じゃかあしいっ! 夜くらい静かにできんのか、こんのクソガキがあああああああ!」

「え?」

 やたら元気の良い怒声を放ったのは、たったいまナユタの顔面目掛けてライダーキックを繰り出したばかりの小柄なご老体だった。

「ぶっ!?」

 老人の足の裏が頬にめり込み、吹っ飛ばされ、ナユタは部屋を追い出されたばかりか庭の地面に叩きつけられ、一回バウンドしてから奥側に設置されていた池に着水した。

 ぶくぶくと泡を吹きながら池の底より浮上するナユタを、老人は縁側から精一杯どやしつけた。

「全く、目を覚ませばすぐこれだ。こんな夜中に何を楽しそうにはしゃいでおる? ご近所の迷惑だろうが! 九条ナユタ、本当に相変わらずだな、えぇオイ!?」

「……あのー、どちら様で?」

 水面から顔を出したナユタは、老人の全体像を視界に収めて容姿を確認する。

 血はおそらくアラブ系だろう。父親と一緒に旅団に混じって旅をしていた時、似たような風貌の老人と仲良くしていた覚えがある。黄土色の甚平姿は彼自身の雰囲気とは微妙に不釣り合いで、少なくともナユタに着流しという組み合わせ以上には似合っていない。

 ご老体は忌々しそうな顔をして言った。

「ああ? お前、ワシの事をもう忘れたか。何じゃ? 都会に熟れて、昔会った人間の顔なんぞもう覚えておらんというのか?」

「……もしかして、老師・ラシッドですか?」

「何じゃ、やっぱ覚えておったか。惚けおってからに」

「いえ、何せ寝起きなもので――」

「ああ! 何をやっているんですか!」

 ナユタが思わぬ再会に困惑していると、今度はいままでナユタが眠っていた部屋から、同い年くらいの女の子が庭に飛び出してきた。見た目は日系で、体型もルックスも取り立てて騒ぐ程では無い感じの、本当に普通の女の子だ。

 強いて言えば、雰囲気が何となくイチルに似ているような気がする。

「九条君、大丈夫ですか?」

「あ……はい」

「アヤカ、そやつにはあまり近寄るな。そいつは相手がどのような女であろうとも捕食対象として認定する程のドスケベじゃ」

 うるせークソジジイ、と叫べないのがちょっと悔しかった。

 何せ、老師・ラシッドはウェスト区においては至宝として認定される程の武器職人だ。<アステルカード>だけではなく、古風な兵器の製造なども行っており、彼が再現した千年以上前の兵器はイースト区の大きな博物館で国宝として展示されるのだ。

 同時に、ナユタがひとかどの敬意を払う、数少ない大人の一人でもある。

「いつまで頭に鯉を乗せておる。はよ上がってこい、バカ者めが」

 お前がぶち込んだんだろ――などと突っ込むのを諦めて、ナユタは頭の上でブレイクダンスを踊っていた鯉を池に戻し、アヤカと呼ばれた少女の手を借りて水面から這い出した。


 とりあえずナユタがシャワーを浴びて新しい着流しに着替えてから、彼を含むこの家の三人は居間の真ん中に鎮座する卓袱台を取り囲んで、釜揚げうどんに舌鼓を打っていた。よく考えたら昼も夜も食べていないので腹が減っていたし、ラシッドと彼の助手であるアヤカもまだ仕事の最中だったので、せっかくだからここで夜食タイムを挟む事にしたのだ。

 ラシッドは麦茶を一口飲んでから言った。

「午後の三時くらいに、突然ウェスト防衛軍の連中が負傷したお前さんをこの家に運んできた。昔の顔馴染みで融通が利くからじゃろう。まさかこんな形で再会するとはな」

「俺を助けた連中はいま何処に?」

「この街の大きなモーテルにおるよ。軍の基地を占拠されてケツに火がついたとかでここに避難してきたらしい。思ったよりも人数が少なかったのが印象に残っておるわい。いまはまだ起きてるだろうし、それを食い終わったら会って来るといい。きっと喜ぶ」

「分かりました。そうさせて頂きます」

「あ、あの……」

 ナユタが礼儀よくラシッドに頭を下げると、今度はアヤカがこちらに尋ねてくる。

「どうしたね?」

「最初から気になっていたんですけど、どうして基地の中にいたんですか? マスターからはもう軍属じゃないって聞いたんですが……」

「世の中知らない方が良い事もあるんやで」

「バカを言え。どうせまたぞろ下らん無茶をやらかしただけだろうに」

 ラシッドがからかうように吐き捨てた。

「詳しい事情はあえて聞くまいよ。だが、その腹の傷は誰につけられた? お前さん程の手練を圧倒するんじゃ、とんでもない輩なのは想像がつく」

「……八坂ミチルっていう女です。ご存知ですか?」

「何?」

「え?」

 ラシッドのみならず、アヤカまで目を丸くして、お互いの顔を何度か見合わせた。

 先に口を開いたのはラシッドだった。

「一度だけ会った事がある。よく西では奇っ怪な術を使って医療活動に勤しんでいたライセンスバスターの女じゃ。屈託の無い笑顔とバカみたいな強さが特徴的じゃったが……あやつは既に病に伏して他界したと聞いておる。アヤカ、お前も何か心当たりが?」

 ラシッドがアヤカに水を向ける。彼女は少し躊躇いがちに口を開いた。

「……いえ、前に友達だった女の子のお母さんが、たしかそんな名前だったような……」

「んー、ちょい待ち? 本当にちょっと待て」

 二人からもたらされた意外な情報に、ナユタは難しい顔で頭を抱えた。

「アヤカ。あんた、もしかしてセントラル出身の人?」

「ええ、そうですけど……」

「通っていた学校は?」

「星の都学園の初等部です」

「……八坂イチルか一ノ瀬ヒナタ、どっちかの名前を聞いた事は?」

「二人を知っているんですか!?」

 アヤカが腰を浮かせ、卓袱台越しにこちらへ身を乗り出してきた。どうやらビンゴらしい。

「狭い世の中よのぉ……」

 ナユタはのほほんと呟いて、前に聞いたイチルの過去を記憶の引き出しから掘り返した。

 一ノ瀬ヒナタという同級生を巡る三角関係の中に、八坂イチルと、当時彼女の親友だった女の子が組み込まれていた――昼ドラにでもなりそうなくらいにはありふれた恋愛物語だ。ヒナタがイチルに告白して玉砕し、後にイチルの親友がヒナタに告白して玉砕したという、もうなんだか誰も報われない感じのシナリオを聞かされた時は内心で爆笑したものだ。

 しかしナユタは、人の不幸は蜜の味と笑う己の外道っぷりをいまになって後悔した。

「……イチルの事はよーく知ってるつもりだよ。あんたと奴の間に何があったのかを知ってるくらいには」

「……そう、なんだ」

「ナユタよ、どうやらお前さんは色んな面倒に巻き込まれているようじゃのう」

 ラシッドが器の中を平らげてから割り込んできた。

「アヤカはな、そういう面倒があったせいで初等部卒業後に自分探しの旅とか言って西を放浪しておったんじゃ。義務教育課程の真っ最中じゃというのに難儀なやっちゃ。それが何の間違いかこうしてワシに拾われて助手として働いておる。現実は小説よりも奇なりとはこの事よ」

「恥ずかしい事を言わないでください、マスター……!」

 アヤカが顔を真っ赤にして俯きながらラシッドを咎めた。なるほど、絵に書いたような思春期だ。戦争地域に乗り込んできた成り行き以外は。

 ラシッドは彼女の心情に構わず続けた。

「末恐ろしいにも程がある。ガキの乳臭い恋物語、この星の命運を握るような戦争の一部、そのいずれにもお前さんは絡んでおる。主に、苦労人の立場としてな」

「老師・ラシッドのご慧眼には毎度恐れ入ります」

 皮肉でもなく、ナユタは素直に彼の着眼点を賞賛した。

 思えばこれまで、ナユタ自身が中心となって起きた騒ぎは一つも無い。大抵はタケシとイチルが厄介事を呼び込んでくるのだ。挙句、騒ぎの後になるとこちらには何の見返りも無いのだ。むしろ何度か死にかけている分、より不平等に感じてしまう。

「ホント、何でこんな事になっちゃったのかなぁ……」

「そう気を落とすな……よっと」

 ラシッドは器をそのままにして立ち上がると、顎をしゃくってナユタとアヤカに告げた。

「ワシは工廠に戻る。お前さんもそいつを食い終わったら、軍の連中と会う前に一旦そこへ立ち寄れ。アヤカは食器の片付けを頼む。じゃな」

 ラシッドはのらりくらりとした足取りで居間から立ち去った。ここに取り残されたのは、ナユタとアヤカの二人だけだった。

 気まずい沈黙の中、アヤカが先に口を開いた。

「……このウェスト区に来て、あたしがどれだけバカな仕打ちをイチルちゃんにしたのか、痛いほど思い知りました」

 彼女の言葉には切実さが滲んでいた。

「本当は筋違いだって分かってるんです。あたしが告白して、ただ振られただけなのに、その前にヒナタ君を振ったあの子を恨むなんて」

 実際にアヤカとこうして対面したから分かる事だが、恐らくは「自分の好きな人を無碍に扱われたようで腹が立ったからイチルを恨んだ」――といったところだろう。たしかに、冷静に考えれば筋違いや逆恨み以外の何事でも無い気がする。

「だから本当はいつかまた会って、ちゃんと話をしなきゃなって思ってます。でも、なんて声をかければ良いか分かんなくて……」

「それを俺に言うか。第一、俺は誰の泣き言も聞く気は一切無い」

 情け容赦無い一言を放ち、ナユタは一気に器のうどんを平らげて麦茶を一気飲みする。

「っぷふーっ……まあ何にせよ、イチルの場合はただあんたに会えるだけで嬉しいとか吐かすんじゃねーの? アレはそういう奴だ。色々面倒な奴だけどな、あいつは誰かを恨むより先にその相手を気遣うような、根っこからのお人好しなんだよ。よっこらせーっと」

 ナユタもさっきのラシッドと同じような調子で立ち上がると、腹ごなしに体を伸ばしながらアヤカの横を通り過ぎた。

 彼は襖の前に立って、一旦立ち止まる。

「でもまあ、どうしても心の準備が整わないってんなら、そのお膳立てくらいは協力してやるさ。一宿一飯の恩義を忘れないのが俺のポリシーだ」

「え……?」

「どうするかはこれから次第だけど。ご馳走さん。うどん、美味しかったよ」

 ナユタは適当に手を振って居間を後にした。


 ラシッドの工廠にて。

「損傷していた<アステルドライバー>と各種<ドライブキー>の修理、<蒼月>のメンテナンスはもう済ませてある。それからお前さん専用に拵えた戦闘服。これだけあれば夜中でも安心して外出できるじゃろう」

 薄暗くて古臭い空間の中で、ナユタは新しい服に着替え、<アステルドライバー>を専用のベルトに設けられたアタッチメントに引っ掛けて身支度を整えた。

「着心地はどんなもんじゃ?」

「しっくり来ますね。それに動きやすい」

 いまのナユタは髪も含めて全体的に黒が基調の姿となっていた。半袖のポロシャツみたいな上着と丈がぴったりなスラックスにはところどころ青いラインが入っており、なんとなくライセンスバスターの制服を思わせるデザインとなっている。

「看病のみならずここまでの用意をしてくださるとは、ご迷惑をおかけして大変申し訳ない。いずれ何らかの形で返礼を申し上げたい」

「だったらとっくに間に合っておるわい。仕事とはいえ、お前さん達はこのタルワール街を必死に<星獣>の脅威からよう守り抜いてくれた。これで貸し借りはチャラじゃ」

 ナユタとラシッドの関係は、ナユタがバリスタに誘われて少年兵団に入団した頃にまで遡る。ウェスト区には大量の<星獣>が群れを成して様々な町へと侵攻の為にやって来るというはた迷惑な恒例行事が存在するらしく、当時はその標的がこのタルワール街だったのだ。

 軍におけるナユタの初任務はまさしくその討伐で、彼は同年代の仲間達と共に犠牲覚悟でこの街を<星獣>の大侵攻から守り抜いた。故にラシッドはその戦いで生き残った少年兵達を賞賛し、中でも司令塔的な役割を果たしていたナユタに恩義を感じるようになったのだ。

「苦労人なのはいまも昔も変わらんかったらしい、お前さんは常に仲間達の中心にあって、上手く隊内のバランスを取る役割に徹しておったな。いまでもよーく覚えておるわい」

 ラシッドの面持ちが一瞬だけ屈託も無く綻んだが、すぐに元の険しさを取り戻した。

「しかし残念なのは、この<アステルジョーカー>じゃな」

 彼は作業机の上に乗っていた、絵柄が真っ白なカードを見遣った。

「中を調べさせてもらったわい。完全にデータが消去されておったが、どういう訳か<アステルコア>のみが生きておる。まだお前の親父さんはそん中に息づいているのか、はたまた……」

「そんなもんが無くったって戦いますよ、俺は」

 ナユタはいまや切り札としての力を失ったカードを手に取り、しばらく意味も無く眺めてから胸ポケットに収めた。

「では、行ってきます」

「話が終わって戻って来るならそれも良し、そのまま去ってしまうなら引き止めはせん。ただ、後者の場合を想定した装備を戦闘服の中に忍ばせておる。自由に使え。少なくともそれでグランドアステルを一周できるようにはなっておる」

「何から何まで申し訳ない」

「人は三回以上謝ると笑顔を忘れると言うぞ? いまので最後にしておく事じゃ」

 たしか俺もサツキのお母さんに同じ事を言ったような――などという既視感に襲われならも、ナユタは無言で首を縦に振った。


   ●


 園田サツキの個室へ訪れて早々、ベッドの上で彼女は意気消沈していた。サツキの視線は窓の外どころか地平線の彼方にまで投げかけられているようで、有り体に言って心ここにあらずといった感じだ。

 タケシとナナは入口にエレナを残し、彼女の傍まで歩み寄った。

「お前の力を貸して欲しい」

 開口一番、タケシが手短に要求する。

「……なんの為に、ですか」

 か細い声でサツキが応じる。余程イチルに敗北したのが堪えたと見える。

「イチルのアホを連れ戻す。お前の力が必要なんだ、サツキ」

「私に何が出来ると? あんな怪物相手に、私なんかの力が何の役に立つと?」

 サツキは自嘲気味に薄く笑った。

「私はタケシ君のように<ブラックアステルジョーカー>に対応するレベルで進化していませんし、ナナさんのような天才でもない。イチルさんのような<新星人>でもなければ、ナユタ君のような歴戦の猛者でもない。そんな私に、これ以上何が出来ると……?」

 いまの彼女は心身共に満身創痍だった。イチルに裏切られ、挙句に大敗を喫し、自分の力に自信を失くしてしまっているのだ。つい先日までは自身の力の優位性を誇らしげに語っていたのが、周囲に化物クラスの人物が揃い始めたが為にいまはこのザマである。

 元々プライドが高かったのは知っている。だが、一度崩されたらこんなもんかと、タケシは失礼と思いながら内心で吐き捨てた。

「何もできない奴ならここで大人しく寝かせておくさ。でもお前の手には<アステルジョーカー>がある。どうせイチルの術で背中の傷は中途半端に回復してんだろ? だったらお前をここで遊ばせておく余裕はない」

「行ったって、どうせやられるだけです」

「この世でお前にしか使えない技があると言ってもか」

「え?」

 サツキは素で驚いて目を丸くした。

「私にしか、使えない技?」

「<紅月>の能力はさっき聞かせてもらったぜ。<バトルカード>の消費一枚だけで、そいつを材料にした<カードアライアンス>が使えるんだってな。しかも戦いの舞台がまたウェスト区になる可能性が高い。あそこはカードの規格が他の区域とは大きく違うらしいな。だったら<バトルカード>を二十枚以上……いや、三十枚でも四十枚でも持ち歩ける」

「私に<カードアライアンス>を撃つ為の移動砲台になれと?」

「いや、どうせだからもっと派手な奴を頼む。ナナ、あれを出しなさい」

 タケシに呼ばれると、ナナは病室の隅から大きなダンボール箱を引っ張り出し、中から弾帯のような物体を二本ぐらい取り出した。弾帯といっても連なるようにセットされているのは弾薬の類ではなく、ただのデッキケースなのだが。

 サツキの目がさらに点になる。

「タケシ君……これは……?」

「核ミサイルの弾頭です」

 この時のサツキには、タケシの台詞が洒落か冗談のようにしか聞こえなかっただろう。

 だが、これを冗談だと思いたいのはタケシ自身も同じだった。


   ●


 半日かかると思われていた燃料の再注入作業も、日を跨ぐ直前でどうにか済んだのはイチルにとっても吉報だった。

 現在時刻は日付を越えて深夜の〇時ちょっと。いまならスカイアステルの連中も油断してすやすやと眠りについている頃合だ。強襲するにはおあつらえ向きの時間だろう。ちなみに先程までは夜間ではなく昼間のうちに襲撃しようとしたのだが、その理由は東悟曰く「夜だと<輝操術>が相手に視認されて対処されやすいから」との事らしい。どのみち昼でも夜でも結果は変わらない気もするのだが、あまり細かい事を気にしても仕方ない。

 操舵室のクルーがセンサーや動力などの状況を艦長席のミチルに知らせる。

「アステライトエンジン起動。あと四十秒後に離陸します」

「ハッチ開放を確認。上空に障害物および<星獣>の反応無し」

「格納庫内の同胞が全員<アステマキナ>の鎧を装着しました。あとはボスの指示を」

 準備が全て整っていく様を見届け、ミチルが小さく頷くと、

「<方舟>、発艦!」

 やたら楽しそうに、発艦命令を下した。

「発艦!」

 操舵手が指示を復唱すると、程なく船体が揺れ、窓に映る外の景色がエンジンの駆動音に伴って徐々に下へと流れていく。やがて船はドッグ内を抜け、船首を東に向けて真上へと浮上していく。

 イチルは艦長席の真後ろに回り込み、腕をシートの背もたれのふちに乗せて言った。

「お母さん、御影さんは何処へ行ったの?」

「基地全体の見張りをして、この船が出たら別の隠れ家に身を潜めるそうよ。西の戦争屋達をぎりぎりまで押さえ込んでおく為にね」

「あんな偉そうにしてたのに、最後の最後で前線には立たないんだね」

「良いのよ。私だって彼の<アステルジョーカー>なんて見たくも無いし」

 ミチルの話によると、<トランサー>の技術で作られた東悟の<アステルジョーカー>は、彼がコールドスリープしている間でもカード化は不可能だったらしい。それだけでミチルやヒナタが持つような、コールドスリープ中にカードとして加工された<アステルジョーカー>とは規格が違うものだというのがよく分かる。

「あの人自身の力だけでも私じゃ歯が立たないのに、美縁ちゃんの力を纏ったあの人の力なんて……だから東悟さんは他の皆を怖がらせないように、あまり戦いには参加しないのよ、きっと。少しはあの人の辛さも分かってあげて」

「ごめん」

「お取り込み中のようだけど、ちょっとよろしいかな?」

 イチルが短く謝ると、見計らったように背後からヒナタが声をかけてきた。

「あら、ヒナタ君。侵入者は始末したのかしら?」

「いや、見つからなかった」

 ヒナタがかぶりを振った。

「それどころか何者かが侵入した形跡も無い。飛行船っていう性質上、あまりセキュリティに力を入れられないとはいえ、さすがに何の痕跡も無いとなると……」

「だったらもう船からは逃げたんでしょう。全く、とんでもないバカをやらかした挙句にとんずらこくだなんて、狐にでもつままれた気分だわ」

「それだけなら良いんだけど……」

 ヒナタの面持ちはやたら不安げだった。何か妙な心当たりでもあるのだろうか。

 ミチルはさっぱりした口調で言った。

「ま、見つけたらすぐ殺せば良いだけだし? それに船が飛んだ以上はもう逃げ場なんて無いでしょう。気長に待つのが吉、それだけの話よ」

「ですね。あ、そうだ。イチル」

 ヒナタが何かを思い出したらしい、今度はイチルに話を振った。

「君に頼みたい事がある。園田村正から奪取した<クロスカード>にデータを書き込む作業なんだけど」

「あたしにそんな知識なんて無いよ?」

「カードの説明書も一緒だし、そもそも一般消費者向けに開発されたアイテムだから、専門的な知識は一切必要無いよ。それに必要なデータはもうこっちで揃えてある。大丈夫、これまでに色んな種類のカードや強者と触れ合ってきたんだ。君ならきっと凄い<フォームクロス>を実現させられるよ」

 ここまでおだてられると悪い気はしない。ここは引き受けても良いかもしれない。

「ふ……ふふーん、なるほどなるほど。そういう事ならこのイチル様にお任せなっさーい!」

「……ヒナタ君。あなた、イチルの扱いをマスターしてるわね」

「ちょろいモンです」

 ミチルとヒナタが何か言っているが、有頂天になっているイチルには全く聞こえなかった。

「で、そのカードは誰が使うの?」

「私が使うのよ、わ・た・し」

 語尾にハートマークが付きかねない勢いでミチルが言った。

「だからもう、ウンとヤバいヤツを作っちゃって頂戴!」

「ラジャー!」

 イチルがビシっと敬礼し、ヒナタの手を引いて司令室から退出する。

「さて、例のカードと制作機材の元へ案内していただきましょうかねー、ヒナタ君や」

「……やっぱりちょろい」

 ヒナタが何かをぽつりと言ったようだが、やはりイチルには聞こえていなかった。


   ●


 <アステルジョーカー>の製法には三通りあるとされている。

 一つが<リライト>による製法。つまりは<新星人>の技術だ。

 二つ目が、生物としての意識を残したまま、素材を武器化する製法。これは<トランサー>による実用段階には程遠い技術だ。

 三つ目が<ジョーカーズカード>――公的には<ブランクカード>などと呼ばれるカードに、人間をアステライト化して封じ込める事で兵器とする製法。他の二つと大きく異なるのは、武器の形状や能力を材料となる人間側が決められるという点と、他の二種族と違って特殊な能力を持たない通常の人類による技術であるという点だ。

 三つ目の技術を最初に成功させた人間は、<新星人>が最初に作った三枚の<アステルジョーカー>の後に誕生した、<アステルジョーカーNo.4>の使い手である。

 いまから三十年以上前。何の力も才能も無いにも関わらず、西の戦場で大暴れし、『西の死神』などと渾名された最強の戦士――本名は未だに明かされてはいないが、いまや西の伝説としてその存在は英雄視され、語り継がれている。

 同じく才能も特殊な力も無く凡百の器に収まったアナスタシア・アバルキンにとっては尊敬の念を抱かざるを得ない存在だ。思えば彼に対する尊敬がアナスタシアに大きな力を与え、今日この時に至るまでの支えとなっていたのだ。

「これで私も、敬愛する彼に近づいたのかしら」

 アナスタシアは真っ暗な一室の中に鎮座する鎧の人型の胸板に手を添えた。

「ねぇ……<プロメテウス>」

 いま目の前で覚醒の時を待つこの人型は、これまでに開発された<アステマキナ>の全てを凌駕した、アナスタシアにとっては人生の全てを詰め込んだ集大成みたいな存在だ。鎧の下はアステライトの光子体ではなく機械部品の集合体で、全体的な外見は鋭利であり重厚でもある。

 アナスタシアは万感の思いで<プロメテウス>に体を寄せた。

「声紋認証、アナスタシア・アバルキン」

『認証プログラム作動。アナスタシア・アバルキンの生体反応を確認』

 <プロメテウス>が起動。双眸であるデュアルセンサーが真っ赤に点灯する。

「ジョーカーズプロセス発動」

『了解。ジョーカーズプロセス、アクティベート。アステライトエンジン起動』

 機械の両腕が、まるで恋人を扱うかのように、アナスタシアの細身を愛おしげに抱きしめる。

 彼女の輪郭が徐々に薄れ、小さな暗い格納庫に蛍火のような光の粒が無数に舞い踊る。この体もアステライト化され、もうじき跡形もなく消失するだろう。

 アナスタシアの脳裏に、これまでの苦労が映像として再生される。

 この<プロメテウス>はアナスタシアが元々所属していた研究所の中で極秘に制作された原型のロボットに、<アステマキナ>や<新星人>の戦闘データをフィードバックした、いわば人類と<新星人>にとっては最後の合同作だ。正式にカウントするなら、これが<アステルジョーカー>・第四の製法となるのだろう。

だからアナスタシアはついさっきまで、この最高傑作を<アステルジョーカーNo.9 プロメテウス>としてロールアウトしようかと考えていた。

 だが、改めてこの姿を見て気が変わった。

「<アステマキナNo.4 プロメテウス>――アンロック」

 ワンオフ機の和風、中華風、量産型の洋風――これまで制作された<アステマキナ>達がNo.1からNo.3とナンバリングされるなら、この機体はまさにNo.4と呼ばれるのだろう。

 その数字はかつて死神の彼が振るっていたとされる<アステルジョーカーNo.4 乱月>のナンバーと同じだ。彼と同じ地平に立つ為に作られたこの機体にはおあつらえ向きだろう。

 アナスタシアの体が完全に消失し、意識が<プロメテウス>と完全に一体化する。

「死神よ……私はあなたに全てを捧げます。私が敬愛し、力としてきたあなたの傍まで辿り着く為に。あなたと同じ境地に、私もいま向かいます」

 機械の体を得たアナスタシアは、遠き過去で輝く英雄に誓いを立てた。


 ウェスト防衛軍基地から浮上したと思われる未確認飛行物体を確認した、という情報をエレナが得たのは大体夜の一時くらいの話だった。

 タケシ、ナナ、サツキ、エレナの四人は、病院の屋上からその飛行物体とやらの姿を双眼鏡で眺め、それぞれの顔を見合わせた。

「基地まで飛んで行こうと思った矢先にこれだ。やっぱり建造ドッグとやらに飛行用の何かを隠し持ってやがったな」

 タケシが軽く舌打ちする。続いて、ナナとサツキも少しだけ驚きつつ言った。

「本当に空を飛ぶ為のアイテムを確保してたんだ……」

「概ねタケシ君の読み通りですわね」

 タケシもそうだが、いまの彼女らはエレナがこっそり用意したライセンスバスター専用の戦闘服姿だ。これはあらかじめローティーンのA級バスターが増えるであろうと見越した六会忠のオーダーによって作られた専用の戦闘装束だ。サツキの制服は露出が少なめな和風なのに対して、ナナの制服は肩が大きく開かれたトップスとホットパンツである。

「予定に変更は無い。直接あの船まで飛んでいくぞ」

 既に<メインアームズカード>を発動して制服の黒いコートを纏っていたエレナが言った。

 タケシは忠から話を聞かされた段階で、相手が何らかの乗り物を使ってスカイアステルまで飛んでいく筈だと踏んでいた。だから相手に動きがあるまで大人しく病院内で待機し、何か情報があった際はすぐにナナの<アステルジョーカー>で敵の懐まで潜り込むという作戦を立てていたのだ。

「そこで何をしている?」

 背後の出入り口から、六会忠が無感動に言った。あまりにも静かな登場だったので、足音どころか気配すら感じられなかった。

「親父……」

「勘違いするな。俺はお前らを止めに来た訳じゃない。ただ、少し話がしたいだけだ」

「他のS級が俺達を包囲する為の時間を稼ごうたって無駄だぜ」

「勘違いするなと言ったばかりだ。少しは人の話を聞け」

 忠は腕に装着していた<アステルドライバー>から<ドライブキー>を取り外す。どうやら本当に戦闘の意思は無いらしい。

「誰にだって一回は必ず戦わなければならない場面に出くわす。目を逸らす訳にはいかないと思う人間の気持ちもよく分かる。俺もそうだった」

「だったら話す事なんてもうねぇだろ。時間の無駄だから、さっさと行かせてもらうぜ」

「九条ナユタの生存が確認された。タルワール街にて武器職人を営むラシッドの家に保護されているそうだ」

「何っ……!?」

「ナユタ君が!?」

 タケシのみならず、サツキも同時に驚嘆する。

「彼も何らかの手段でお前達と同じ目的を果たそうとするだろう。とはいえ、彼の<アステルジョーカー>は完全に破壊されているらしいから、戦力になるかどうかは知らんがな」

「んなモン無くても野郎は強い」

 いち早く驚きから立ち直り、タケシがにやりと言った。

「一緒に連れて帰るアホが二人に増えただけだ。そうだろ?」

「だったら確実にあの船に辿り着く算段が必要になる。受け取れ」

 忠はデッキケースと同じサイズの箱をタケシに投げ渡した。持ってみた感じの重さから、何かの機械が詰まっているのだけは理解できた。

「無痛覚フィールドの原理を応用して作られた、<ダメージレセプター>という類の道具だ。<ドラグーンクロス>を発動させたナナが持てば、飛行中における使用者への負担はそいつが肩代わりしてくれる。しかし急繕いの品だけに長くはもたん」

「充分です!」

 ナナが元気よく返事した。

「あの……ありがとうございます!」

「礼なら後で園田夫妻に言いたまえ。それから、エレナ」

 忠がエレナに厳しい視線を投げかける。

「これは命令ではない。個人的なお願いだ」

「何なりと」

「その子らを頼む」

「イエス、ボス」

 エレナがふざけ半分に敬礼すると、彼は再びタケシと視線を合わせる。

「せっかくだから世界を救ってこい、バカ息子」

「オーライ、クソ親父」

 軽口を叩いて頷くと、タケシはナナと目配せをする。彼女はカードを夜空に掲げた。

「行くよ! <アステルジョーカー>、アンロック!」


 黄色い光を放つ巨大な竜の背中に乗る三人の姿を、忠はただ立ち尽くしたまま見送った。本当はウラヌス機関から<アステルジョーカー>のオペレーターを絶対に外へ出してはならないと言いつけられていたのだが、いまの彼には全ての束縛がどうでもよくなっていた。

 たしかに怪我人のタケシ達を下手に外出させられないのはよく分かる。この場合の判断はウラヌス機関の方が圧倒的に正しい。

 でも、そうではないのだ。

 法ではなく、組織でもなく、魂に従って戦う彼らを、たかが一介のクソ親父とお偉いさんがどうして止められようか。

「結局行かせたのですね」

 後ろから新たなS級バスターが歩み寄ってきた。見た目は眉目秀麗な大学生といったところだろうか。どこかミステリアスで、淡い紫色のオーラを常日頃から纏っているように見えなくもない。

「雪村。お前はスカイアステルの護衛任務についていたのでは?」

「エレナさんがまた無茶をするんじゃないかと思いまして」

「だったらもう遅かったな。さて、我々も上に戻ろう。タケシ達が消えた以上、もうこの病院に長居する理由も無いからな。奴らの不在を知った上層部からも予想通りの指令がすぐにでも来るだろう」

「また護衛ですか。スカイアステル本体に対空火器があるというのに」

「念には念を入れるものさ。だから防衛大臣の采配もあながち間違ってはいない。常日頃からヤマタの老師を相手に丁々発止を繰り広げるだけはあるのさ」

 加えて、残る心配はまだ腐る程ある。それを考えるには、一旦上で腰を落ち着ける必要がありそうだ。


   ●


 与えられたデスクトップパソコンは最新型、接続されている台座状の端末は家電量販店にて市販されているカードプロセッサー、その上に乗っているのは真っ白な<クロスカード>。

 いまからイチルはこのカードに命を吹き込む作業に入ろうとしていた。

「すっげぇ……」

 イチルはパソコンのディスプレイに表示されたフォルダーの中身を見て感嘆を漏らした。

 フォルダーに収納されているデータは、S級ライセンスバスターや<アステルジョーカー>のオペレーター達の詳細なプロファイルだった。パーソナルデータは大雑把にまとめてあるが、使用カードや各人における戦闘スタイルの情報は事細かに記載されている。いまからイチルはこれらのデータを参照に、新たな<フォームクロス>を作成して<クロスカード>にダウンロードしなければならない。

 これまで生活用具として慣れ親しんだ機材を前に、彼女は奇妙な既視感に囚われた。

 そもそも<アステルカード>はダウンロード形式で販売されており、<バトルカード>に至ってはネット上のクラウドに保存されているデータを<バトルカード>専用のブランクカードに落とし込む事で図柄が書き込まれて使用可能になる。さらには使用済みになった<バトルカード>は使用後に手動でアステライトを再チャージさせる事で再び発動する力を取り戻す。

 いま目の前に揃えられた機材は、それらをまとめて行える生活必需品なのだ。

「……何か日常感が漂ってるけど……まあ、いいや」

 細かい事は気にせず、イチルは作業に取り掛かった。まずは作りたい<フォームクロス>の全体像をプロットとして書き出す作業からだ。いま開かれている<クロスカード>作成用アプリケーションにプロット機能が備わっているので、紙やペンはおろか、無駄にメモ帳機能を使って別にデータを保存する手間も省ける。これは中々便利だ。

 さて、最初は使用者を限定する工程からだ。といっても、さっきミチル本人が使い手の申し出たので既にクリアしているのだが。

 次は能力の輪郭を決める作業だ。使用者がミチルなら、単純に<輝操術>でも強化させれば良いのだろうか。いや、違う。<輝操術>を極めているミチルからすれば大きなお世話だ。なら、他の能力に重点を置けば良い。

 フォルダーの中から<アステルジョーカー>のオペレーターのデータが記載されたファイルを開く。

 そこで、イチルは奇妙なものを発見した。

「? <No.4>だけがフォルダー化されてる?」

 <アステルジョーカー>と名付けられたフォルダーの中にはワード形式のファイルで各人のデータが保存されているのに、一つだけ<No.4>というタイトルのフォルダーが入っているのだ。これは流石に気になったので、最初にそのフォルダーを開いてみる。

 今度こそワード形式のファイルが現れる。だが、何故か二つある。

「……死神? 誰、それ?」

 <No.4>の中に入っていたプロファイルデータのうち、一つが九条ナユタだ。それは分かる。

だが、もう一つのファイル名は『死神』だ。何の冗談だろう。

 興味を駆られ、イチルは『死神』のファイルを開いた。

「死神――本名不詳、年齢は二十代半ば、使用カード……<アステルジョーカーNo.4 乱月>? 何これ、ナユタとナンバーが一緒じゃん」

 <アステルジョーカー>のナンバーは、何か特殊な事情が無い限りはそのカードが生成された順番を指す。これはミチルの<カオスアステルジョーカー>が全てのカードと無線でリンクしており、カード本体がナンバーを定めているからとされている。そして、その使用者の死亡と同時にカードから能力とナンバーが消えるらしい。

 という事は、死神とやらが最初に<乱月>のカードを生成し、寿命か何かで死んだ後にナユタが新たに<イングラムトリガー>を生成したという事になる。

 イチルはさらに項目を読み進めた。そして、ある意味で驚愕の事実を目の当たりにした。

「まさかナユタの<イングラムトリガー>って……」

 驚愕しつつも、興味深い内容だと思った。イチルは死神に関する全ての情報に目を通した後、すぐにナユタのデータを閲覧する。

 やっぱりだ。死神が死亡した後に白紙化した<乱月>のブランクカードをどういう訳かナユタが入手しており、そのカードに再び新たな力が書き込まれ、<イングラムトリガー>として生まれ変わったのだ。

 いまにして思えばおかしい事だらけだった。

 タケシの<サークル・オブ・カオス>を除く(あれは元々別の<メインアームズカード>と融合させる形で発動するのでここでは除外する)、他の<アステルジョーカー>と比べて<メインアームズカード>との親和性が高く、多角的な拡張性にも優れていた。<フォームクロス>による多彩な形態変化や<モノ・トランス>などが良い例だ。

 一枚でも強力な<アステルジョーカー>には有り得ない話だ。武器は基礎能力がピーキーであればある程、他の武装との親和性を無くしてしまうのだから。

「使い古されて成長しきったカードに、新たな命を吹き込んでさらに拡張性を増大させる――これだ……! これなら凄いヤツが作れる……!」

 例えば、小さなコップに水がマックスで注がれていたとしよう。この場合、コップは<ブランクカード>の容量で、水はカードに書き込めるデータ量だ。コップは容量分だけしか水を注げず、水もまたその分しか仕事をしない。

 だが、コップが日増しに大きくなった場合はどうなるだろう。内容物の水位が低くなり、またさらに水を追加する余裕が生まれる。<アステルジョーカー>は使用者と共に器も中身も成長する性質があるので(<サークル・オブ・カオス>が徐々に扱える<円陣>の種類を増大させているのが一例に挙げられる)、器たるカードそのものの容量だって当然のように肥大化する。

 この原理を踏まえると、<イングラムトリガー>に使われていた<ブランクカード>がいかに大容量であったかがよく分かる。死神とやらが使っていた<乱月>が成長した分だけ、<イングラムトリガー>の基本性能である『拡張性』がさらに増大していたのだ。

 『拡張性の増大』――新たな<フォームクロス>のテーマとしては、中々に良い線を行っている筈だ。無限に強さを増す力をあのミチルが追加武装として纏う場合、その力は計り知れない。

 こうなった以上は迷っている余裕も無い。イチルは時間も忘れて作業に没頭した。


「……できた」

 作業開始からおよそ一時間。方舟がスカイアステルに辿り着くまであと二時間ぐらいだろうか。積載している兵器や兵士の重量の関係で、安全運転を心がけなれけばならないのでどうあがいても到着時間は遅れ気味になってしまう。

 だがいまはその遅延も好機に働いた。任された作業は間に合ったし、何より侵攻するまでにある程度は休息の時間も確保した。

 イチルは改めて完成した<クロスカード>を手にとって図柄を眺める。

「これ、本当にお母さんにも使えるのかな……? ちょっと不安になってきた」

 このカードの設計思想は『無限の拡張性』である。ありとあらゆる種類の武装を切り替えながら、使用者自身の能力と併用して無限の力を発揮するといった、パワーよりもテクニカル性に重きを置いた<フォームクロス>なのだが、これを扱うには戦闘において多彩な経験と妙な才能に頼らない本物の実力が要求される。はっきり言って、ミチルでも使いこなすのは困難を極めるだろう。

 そう、これはどちらかというと、九条ナユタに使わせるような力だった。

「ナユタ……何であんたの顔がちらついてくんのよ」

 正直、出会った頃から迷惑極まりない奴だった。よくスケベなジョークを吐くわ、こちとら年頃の女の子だというのに全く気遣いらしきものをくれないわ、人の事をバカだのアホだのバカインだの言いたい放題吐かしてくるわ、サツキにだけ優しくするわ――思い出すだけで業腹ものだ。さっさとこの手で殺してやりたい男ナンバーワンだ。

 でも、不義理はしない奴だった。

 自分に何の見返りが無いと分かっていても、ただ自分が傷付くだけだと分かっていても、彼はこれまで一度だって仲間を裏切るような真似はしでかさなかった。仲間達と一緒に、最後の最後まで道に迷い続けた。思えば、イチルはナユタのそんな部分に惚れていたのだ。

叶うなら、もう一度だけ彼の隣で、真っ暗な道を彷徨っていたかった。

 いまになって、イチルは彼らを裏切った事を後悔した。

「ナユタ……みんな……っ、あたし…………っ」

 押し殺した声で泣きじゃくって、イチルは初めて自らの過ちを悟った。

 過去はいつだって取り返しがつかない。死んだ母親と、突き放したかつての想い人が自分の元に帰ってきた事で、イチルは取り返しがつかない全てを再び手元に引き戻せると確信していたのだ。

 でも、ナユタだったらこんな弱さなど、きっと一笑に伏して話を終わらせているだろう。

 生まれた時から世界に突き放された彼だからこそ、突き放されて救われた彼だからこそ、己の存在を許せなくても過去と向き合って全てに別れを告げられた。

 世界は残酷だ。人間は酷薄な生き物だ。時間は無情な摂理だ。

 あらゆる不当を受け入れ、もがき苦しみ妄執しても、ただ前に進み続ける心の力。

 それを人は、強さと呼ぶのだろう。

「あんたはもっと苦しい思いをしたのに……この程度で、あたしは……!」

 イチルは<クロスカード>を手に持ったまま立ち上がり、踵を返して部屋の扉に歩み寄る。いまからでもスカイアステルへの攻撃を中止させなければ。でないと、今度こそ本当に取り返しがつかない後悔を味わってしまうだろう。

 横のスイッチを押し込むと、機械の扉が横にスライドして開かれる。

「うぃっす」

 すぐ目の前に、ユミ・テレサの顔があった。

「…………え?」

 二人はしばし固まったまま、お互いの顔を見合わせていた。


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