第一話「籠の中の青い鳥」
第一話「籠の中の青い鳥」
星の都学園中等部・第一アリーナ。
やたらゴテゴテした感じの機材が並ぶこの無駄に広い空間の中央に、一年Dクラスの生徒達は集合させられていた。
生徒達の前に立つ若い女の先生が、背後のホワイトボードに色々書き込んでから、咳払いを一つ。
「……えー、皆さんが中等部に入ってから初めての後期になりましたが、夏休みの間は遊び呆けているだけっていうのはさすがに無かったと思います。その証拠に、ほとんどの生徒達は宿題を提出してくれましたしね。ですが、もう一つ忘れてはいけない事があります」
先生はホワイトボードの上部に大きく書かれた黒マジックの文字を、見るからにわざとらしく延べ棒で突いて見せた。
「そう、<バトル>! 日頃発生する凶暴な<星獣>から身を守る為の戦闘訓練! まさかこの年で恋人拵えてリア充やってましたとかそんなんで夏休みを潰す年齢でもないとは思うので、ある程度皆さんには時間というものがあった筈です」
「あ、この前彼氏と二人っきりでサウス区の海でバカンスしてきました!」
「そこ、揚げ足取らない。あと、そういったお出かけの際は両親などといった保護者と同伴で」
「桂先生、それデートって言わなくない?」
「で、そこまで時間があるんだったら、少しくらいは有意義に使うべきでしょう、ええそうでしょう。ですから、遊ぶのも良いのですが程々にして、自分の命を守る訓練も少しはしておくべきなのですよ」
さらっと冷たく突き放して、桂と呼ばれた先生は気にも留めずに司会進行する。
「故に、あなた達は前期よりも戦闘能力、または危機管理能力などといった、自分の命を守る技術がレベルアップしてないとおかしいのです! ですから、あなた達がこの夏休みという貴重な時間をどういう風に使っていたのかを見る為に、あなた達全員にはいまから制限時間付きで、一対一の抜き打ち<バトル>テストを受けていただきます!」
『えええええええええぇ!?』
先生の強引なぬき打ち通告に、生徒達が顔を歪めて悲鳴を上げる。
勿論、そこで歓喜する生徒は誰一人として存在しない。どんな形にせよ、抜き打ちのテストを喜ぶ学生はいない。いたらそれは度が過ぎた勉強好きか、あるいは変態のどちらかだ。
「さて、組み合わせは私の独断と偏見で決めさせて頂きます」
『ひでぇ!』
ある男子グループが声を揃えて、桂先生の凶行を非難する。
だが、横暴教師のゴーイングマイウェイは止まらない。
「最初はハードルを上げ……じゃなくて気合を入れてもらう為に、戦闘においては優秀な生徒さんにご登場願いましょうか」
「いまさらっと酷い事を言いかけたか!?」
「えーっとじゃあ……園田さん。園田五月さん!」
生徒達の追及を華麗にスルーし、桂先生がある一人の生徒を指名した。
呼ばれた生徒はなんでもない風に、体育座りの姿勢から立ち上がり、本当につまらなさそうな顔で言った。
「この私をわざわざご指名とは。後から試験する生徒達が可哀想ですわ。プレゼンテーションでも同じように、前の順番の人がレベルの高い発表をした後というのは、実際とんでもなプレッシャーを与えてしまうものです」
「わざわざ言ってもらわなくても、私の狙いはそこだから」
「思ったより外道ですわ……」
などと高飛車っぽく(?)喋っているのは、この学園においては「孤高の女王」と呼ばれている、園田サツキだ。彼女は<アステルカード>事業の重鎮の娘さんで、<星獣>との戦闘においても高い戦果を挙げ、ランクとしては最上級に位置する<バトルカード>の使用を許されたA級ライセンスの階級保持者だ。
彼女の知りうる限りのプロフィールを頭の中で再生しつつ、水色の天然パーマの少年――九条那由他はぽつりと呟いた。
「新学期早々騒がしい先生とお嬢様よのぉ……」
「オヤジ臭いですなぁ、発言が」
横からツッコミを入れてきたのは、八坂一縷という女子生徒だ。背は小さく、体型はすらっとしており、愛嬌のある子顔が特徴な黒髪ショートの美少女だ。
実際イチルはこの年で雑誌のモデルをやっているので、誰もが認める美少女なのである。
彼女はむすっとした顔で言った。
「若いうちからそんなんだと、将来が思いやられちゃうよ」
「いやいや、大丈夫。オヤジ臭いのは発言だけだし。ほら、イチルは聞いた事ない? 「体は子供、頭脳はオッサン」ってやつ」
「いや、無いけど」
素で答えられてしまった。まあ、当然である。これは昔、育ての親が教えてくれた、千年以上前の漫画だかアニメだかのネタらしいから。
しかし、何であのオヤジはそんな事を知っていたんだろう。千年前って、アンタ生まれてすらいないじゃん。ていうか、地球一回滅んでるじゃん。
「しかし、誰があのお嬢さんの相手をするのかね」
「男の子だったら目も合わせられないうちに即KOだよね。凄い美人さんだし」
実際、サツキの容姿は現役モデルのイチルと比べて遜色は無い。
いつも入念に手入れしているのだろう、さらさらの茶髪は綺麗なウェーブを描き、肌も違和感無しに白く、スタイルに至ってはイチルとは対照的に出ているところは出ている。
あれを高校生とか大学生だと言われても、何だか信じてしまいそうではある。
「俺が相手だったらどうかね。いや、やりあうつもりは無いけど」
「お前だったら手持ちのC級アームズで互角だろ」
イチルの横から、別の男子生徒が無愛想に答える。
「念の為言っておくが、<バトル>の授業だと、余程の事がなけりゃアレは使えないからな」
「知ってるー。だからやり合う気が無いのー」
「お前は案外器が小さい奴だな」
「そんなに言うならタケシ、お前がやりゃイイじゃん」
「俺も嫌だね。恥さらしはごめんだ」
六会武がそっぽを向いた。彼はナユタ同様小柄だが、顔は良いので女子生徒にはモテている。中には「六会武争奪戦」なる不穏な大会が一部の女子の間で開かれているらしいが、タケシ本人は全く知らない事だし、知っていたナユタからしても全く興味は無い。
ちなみに今朝は新学期早々、いつものセミショートではなくスポーツ刈りで登場した彼に「どういう心境の変化だ!? 失恋か? もしかして、フラれたのか! ひと夏の恋に失敗したのか! DON☆MAI!」などと詰め寄って殴られたっけ。
いやー、あの時の自分は、うざかったね。殴られて当たり前か。
「えー、九条ナユタ君」
「はい?」
先生に呼ばれて返事をし、いまが授業中である事をようやく思い出す。
「先生、どうかしましたか?」
「いや、だから。名前呼ばれたんだから、早く演習フィールドに入ってよ」
「……pardon?」
はて……先生はいま何をおっしゃりやがったのでしょうか。
桂先生が眉間に少しシワを寄せて答える。
「お喋りしてて聞いたなかったならもう一度教えて上げるわ。いま、<バトル>の抜き打ち試験をやろうとしているの。で、園田さんの相手を、あなたがするの。OK?」
「お断りします」
「何故?」
「えー? 嫌ですぅ。僕ちんなんかが相手しても一瞬でフルボッコ確定だしぃ」
「嘘おっしゃい。あなたの実力については、入学前に確認済みよ」
「……さらば!」
『逃がすか!』
体育館から逃げようとしたナユタは、結局その場にいた男子全員に取り押さえられ、強制的に園田サツキの前に引っ立たされてしまった。まあ、ナユタが逃げたところで別の相手があてがわれ、誰かしらが必ず恥をかく事を考えれば、当然の処置かもしれない。
ここからようやく、本当の授業が始まる。
体育館の中央に長方形に刻み込まれた青い光の枠が、今回の授業で使用する演習フィールドだ。
いまナユタとサツキはその中に入り、互いに正面きって対峙しているところだった。
「えー、では。改めてルールを説明します」
先生が手元の資料を読み上げての説明を開始した。
まず、この<バトル>の目的だが、それはさっき言った通りで、要は戦闘訓練だ。千年前に一度この星を滅ぼしかけ、そしていまも尚現れ続ける<星獣>から自分の身を自分で守れるようにと、昨今の教育委員会が取り入れた義務教育の必修科目である。
次に、授業で行う<バトル>のルール説明だ。
時間が押しているので、制限時間はバトル一回につき五分。戦闘は<無痛覚フィールド>と呼ばれるエリアで行う。頭上にはフィールド内にいるプレイヤーのヒットポイントがメーターで表示され、そのメーターがゼロになったプレイヤーは敗北となる。
ヒットポイントを減らすには、<バトルカード>による攻撃か、またはプレイヤーの主武装となる<メインアームズカード>による攻撃、またはカード無しでの打撃が必要となる。
また、前述の<無痛覚フィールド>内でのダメージは、開始直後に張られる隔離防壁が肩代わりしてくれるので、実質肉体的苦痛はゼロだ。仮に目つぶしを喰らったとしても眼球は破壊されないし、当然のように痛みも無い。訓練にはもってこいの優れものである。
「……とまあ、ざっくりと説明してみました」
「だったらこの戦いもざっくりとカットさせてもらえませんかね」
「それは駄目」
両手の指をチョキチョキさせるナユタのさりげない要求が、あっさり却下されてしまった。
「……いやぁ、だって、誰だってやめたくなるでしょ」
ナユタは正面に仁王立ちする、威厳たっぷりの女王様を見遣る。
彼女はふんと鼻を鳴らして言った。
「あら? どうしたのかしら? まさか、私が怖い、だなんて思ってらっしゃいます?」
「イエス」
「その割りに呑気なお顔をされてますね」
「これが俺のデフォルトだから。内心は漏らしちゃいそうなくらいビビってます」
「どうだか。まあ、それが本当だとして、気持ちは分からなくも無いですわ」
サツキはまたも鼻を鳴らすと、ベルトで括り付けていた太腿のデッキケースから(ベルトが食い込んだおみ足がまた素敵)、華麗に一枚のカードを抜き出す。
白地に黒い、シンプルでどこか機械的な意匠が施されたカード。
あれこそが、全<アステルカード>共通の裏面デザインだ。
「私が持つカードは全てA級<アステルカード>。あなた達は年齢の問題でC級しか扱えませんが、私だけは例外でしてね。もうそこで圧倒的な差はついているのですよ」
「知ってる。帰っていい?」
「殿方が女性に背を向けるのですか?」
「男は背中で語るもんだと、死んだオヤジから聞いている。で、帰っていい?」
「情けない背中に教えられる道理なんてありませんわ」
「言うね。で、帰っていい?」
「懇願まがいの語尾を添えたところで、結末は一つとして変わらなくてよ」
「…………」
どうやら、このしたたかな女性に背を向ける言い訳なんて、最初から無かったようだ。
ナユタはとうとう観念すると、腰のベルトに通していたデッキケースから、一枚のカードを抜き出す。裏面は共通だが、ナユタが持つカードの表面には、青い大太刀の絵が描かれている。
互いに戦闘の準備が整ったと見るや、桂先生がリモコンのスイッチを押す。
「無痛覚フィールド、展開!」
この時より、戦士二人を囲っていた光の枠は、一瞬にして四方を囲む光学の壁となった。これが<無痛覚フィールド>の重要な機能である、ダメージ転嫁の防壁だ。
続いて、ナユタとサツキも同時に唱えた。
「「<メインアームズカード>・アンロック!」」
二人の号令に反応し、お互いに手元のカードが青白い光に包まれて姿を変え、イラスト面に描かれた武器と同じ形の物体が出現する。
ナユタには青い意匠が施された抜き身の大太刀。
サツキには金色の淡い光を放つ、優美な装飾の両手剣。
互いにソード型の武装だ。
「行きますわよ」
「お手柔らかに。いや、割とマジで」
二人とも構えを取り、
「では、バトルスタート!」
桂先生が威勢よく、試合開始を宣言する。
最初に踏み出したのは当然、サツキだった。
「ふんっ!」
女の子らしからぬ気勢を発し、一息に間合いを詰め、下段から剣を振り上げる。ナユタは自分の得物で防ぐ事なく、身を逸らして回避。返す刀でやってきた斬撃に対しても、刀同士の直撃を避け、剣の腹を使って丁寧にいなして捌く。
サツキの鋭く速い猛攻が続く。ナユタはひたすら回避や防御に徹している(こうしている間にも、ナユタはサツキの挙動と連動して揺れる二つの丘に以下略)。
積極性と消極性が目に見えて分かる攻防だった。
「ねぇねぇタケシ。何でナユタは守ってばっかなの?」
ひょいひょいと相手の剣を凌ぐナユタを見て、外野からイチルが不思議そうに問う。
タケシはやはり無表情に答える。
「普通に考えてみろ。園田が使ってるのは最上級の武装だぞ。そんな代物を、ナユタが持ってるC級のカードが下手に触れてみろ。その瞬間からバラバラに砕け散るぞ」
「そうじゃなくて。ナユタだったら触らなくても一瞬で勝負つく筈だよね?」
「あいつの事だ。制限時間ジャスト五分まで、楽しむところは楽しむ気だろう」
「楽しむって、何を?」
「何呑気に解説してんの? 少しは心配してくんない? 俺達友達だろ?」
何て不愉快な奴らだろう。人が必死になって戦っている最中だというのに。
「余所見しないで頂戴!」
「ぎょ!?」
少し油断したせいで、死角から来た大振りへの反応がギリギリとなってしまった。とりあえず彼は後方に大きく下がり、一旦体勢を立て直そうとする。
だが、そんな余裕を与えてくれるお嬢様ではなかった。
「<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」
サツキがいつの間にか片手で取り出していたカードがふっと消え、金色の刃が白い風圧に包まれる。見るからに切り裂いちゃうぞ☆ とでも言っているかのような大気の奔流だ。
ちなみにいまのが<バトルカード>といって、<メインアームズカード>の力を引き出す使い捨てのカードだ。発動するとカード内にチャージされていた魔力――<アステライト>を解放して、武装の型に沿った強力な技を放てるのだ。
「やばいやばいやばいやばい!」
彼女が刀を振りかざすポーズが見えた時点で、ナユタの顔は握っている獲物よりも真っ青になった。あんなものを喰らってひき肉になるのは御免だ。
サツキの剣が一閃。刃に纏わり付いていた白い風が、まるで細いドリルのように変形し、矢のごとくこちらに飛んできた。
威力は勿論の事、速度も想像以上に速い。
「<バトルカード>・<ブレードパペット>、アンロック!」
「は?」
彼女がさらにカードの力を解放すると、ナユタの背後に突然、極太の刃が突き上がってきた。
いや、それよりも、向かってくる風の矢をかわすのが先決だ。
ナユタは自慢の身体能力を発揮し、横っ飛びに白い風の脅威を回避。
だが、それで終わりではなかった。
「イッツ、オーバー」
彼女がぺろりと唇を舐めた。
と同時に、白い風が先ほど出現した刃の壁に衝突し、跳ね返って、再びこちらに進路を変えて襲い掛かってきた。
これにはさすがに、周囲の生徒や先生、ナユタ自身も驚いてしまう。
「うおぃ!」
彼が身を強引に沈めると、風の矢が頭上を通り過ぎた。
あと一秒でも反応が遅れていたら終わっていた。
「あら、いまの攻撃をかわすとは」
さして驚いた風でもなく、彼女がぞんざいに褒めてきた。
「これ、いままで一撃必中の合わせ技だったんですけどね」
「じゃあ、かわした俺って凄い人?」
「ですわね。さすがですわ。前々から気になってはいましたが、たしかに腕は立つようで」
彼女は嫌味も無く綺麗に微笑んだ。
ちょっと見惚れたら、引き込まれてしまいそうなくらいに。
「……ちょっと本気出すかね」
ナユタ自身、あまり戦いは好きではない。というか、むしろ大嫌いだ。彼がかつて身を浸していた環境では、決して珍しくない考え方だ。
けれどこのお嬢様は、そんな考え方を持ったナユタにとっては数少ない、相手にとって不足無しと考えられる好敵手だった。
「――いくぞ」
予備動作無しで、ナユタの姿がかき消える。
次の瞬間には、防御の姿勢を取っていたサツキの刃から火花が散っていた。
「うそっ……」
彼女には見えていたかどうか分からないが、ナユタはいまの一瞬でサツキに襲い掛かり、首を狙った斬撃を放って通り過ぎていたのだ。
いまの反応を見る限り、目で追って防御したというよりは、勘が働いて何とか直撃を免れたといったところだろう。
今度はナユタの猛攻が始まった。
通り過ぎ様に一撃を加え、また折り返して一撃。もう一撃。
そうしていくうちに、ようやく彼女の右足にダメージが入り、ヒットポイントのメーターが減少する。
「っ……!」
「おお! 凄い! やっぱりナユタの奴、本気出してなかったんだ!」
外でイチルが目をキラキラさせている。ああいう目をしている時のあいつは、何だか犬っころみたいに見えるから可愛い。後で頭をナデナデしてやりたい。
ナユタは一旦ヒット&アウェイを中断して距離を取り、カードを一枚取り出す。
「<バトルカード>・<ラスタードローン>、アンロック!」
カード一枚の消費で、ナユタの剣尖に小さな青い光が灯る。彼が刃を一閃すると、刃先から細い線が空中で引かれる。
引き終わると、光の線からぱっと、瞬間的なフラッシュが焚かれる。
一瞬、フィールド内全体が青白い光で包まれた。
「これは……目隠し……!?」
「正解。それと、さっきの言葉を返してやるよ」
光で視界を覆われ、ナユタ自身も彼女の位置は肉眼で捉えられないが、さっきの自分と彼女の位置関係は頭に入っている。
だから光が消えて視界が戻った頃には、ナユタはサツキの背後に立っていた。
「イッツ、オーバー」
振りかざされたナユタの刃は正確に彼女の首筋へ――
ぽきっ。
「あら?」
刀を振る途中、間抜けな音が聞こえてしまった。
ナユタは刀を振り抜いた後、ゆっくりと問題の得物を自分の目の前に掲げて、真ん中あたりで折れた刃を凝視し、次に床に転がった淡青に光る刃を見遣る。
サツキも他の外野達も、いま何が起きたか分からないといった顔をして静まり返っていた。
「……折れている」
わざわざ口にしなくても分かる事を呟いてみる。
「え? なに? どゆ事?」
「まあ、当然の結果だな」
いち早く正常運転に戻ったタケシが、さもあらんとばかりにコメントする。
「本当だったらA級アームズの刃に一回触った時点で折れそうなものを、騙し騙し長い事使ってたんだ。しかもお前の動きに耐え切れなかったみたいだしな。試合開始からいままで折れなかったのが奇跡みたいなモンだろ」
「だからってこのタイミングじゃなくてもよくね……?」
「俺に言うな。それより、前」
「あん?」
タケシに言われて、視界を前方に戻す。
そこでは当然のように、対戦相手のサツキがこちらに体を向けていた。
ああそうか。直撃間際で刃が折れたから、目の前の彼女は無傷なのか。
「……あのー、モノは相談なんだけど」
「何でしょうか?」
「この勝負、痛み分けって事で、無かった事にしてはくれませんかね?」
「九条君。勝負って、何て漢字で出来ているかご存知ですか?」
「菖蒲……?」
「とぼけないでください」
「……勝つと、負けるです」
「正解です」
彼女は花が綻ぶように笑うと、金色の剣を高々と両手で振り上げる。
「勝負は、勝負です」
この後、制限時間ギリギリまで、ナユタとサツキの追いかけっこが展開される事となった。ナユタが悲鳴を上げながらサツキから逃げ回る様子を見てクラスメート達が爆笑していた事と、サツキが見せた妖艶なドSモードの色気だけは、もう絶対忘れない。
「あぁ……ああっ! お……俺のヒットポイントが……!」
「まだまだですわよ? ほらぁ、もっといじらしく交わりましょう?」
「ちょ……やめ……どこ触って……ああああああああああああああああああああああっ!」
九条ナユタ・頭上のヒットポイント、及び精神的ヒットポイント、共にゼロ。
この勝負は、園田サツキの圧倒的勝利に終わった。
●
「はい、ナユタ君。あーん」
「この唐揚げ美味そうだな。イタダキマス」
サツキのあーんを無視して、彼女の膝の上に置かれたお弁当箱から唐揚げを一個かっさらって口に運んで咀嚼する。
ナユタがもぐもぐしている横で、サツキがあからさまにしょぼんとする。
「……私のあーんを受け入れて貰えなかった。そんなに私からのあーん、が嫌だったのでしょうか。何が気に食わなかったのでしょうか」
「行動自体が気に食わなかったんじゃないの?」
イチルが涼しい顔で答えると、サツキが目を細めて彼女を睨んだ。
「あなたに答えなど求めていませんわ」
「はいはい。で、何でアンタがここにいんのよ」
「答える義理があると思って?」
「あたしには無くても、ナユタには言ってあげて良いんじゃないのかなー?」
ばちばちばちばち。
女二人のにらみ合いが火花を散らす中、ナユタはそ知らぬ顔でぼんやりと呟く。
「平和よのぉ……」
「どこが?」
タケシが女の醜い争いを眺めてツッコミをくれた。
「晴天に恵まれた中庭で、友達と一緒に寮母さん特製のお弁当に舌鼓を打って……これを平和と言わずに何と言うんだね?」
「一触即発の爆弾が隣にセットされているんだが? それも二つ」
「やめろ。現実から目を逸らしたいお年頃なんだ」
「年頃関係なくね?」
不毛な会話を繰り広げる男子二人と生産性の無い争いを続ける女子二人。
何この絵面。
「ナユタにあーんして良いのはあたしだけなの!」
「あーん、に権利を求めるのですか? 浅薄甚だしいですわ」
放置していたうちに、話がどんどんおかしな方向に進み始めている。お前らは何で『あーん』について熱い議論を展開しているの? 少しは同席している人間の気持ちは考えないの?
ちなみにサツキがいつもの三人に混じって同席しているのは、単に先ほどの<バトル>で彼女がナユタを痛く気に入ってしまったからである。ちなみに、タケシやイチルは彼のオマケでしか無いと考えているらしい。
いやはや、とんでもないのに気に入られてしまったものだ(でもエロ可愛いから許す)。
「しかし、俺にあーんさせる事に、そんなに付加価値があるもんなのかね?」
「……ん? ああ、あるんじゃね? この女共限定で」
「何だ? 答えが突然適当になったぞ? ていうか、さっきどこ見てたん?」
さっき一瞬だが、タケシの目線がどこかに泳いでいたような気がしたのだが。
彼は気を取り直したかのように答えた。
「あ……ああ。改めてこの綺麗な中庭の風景を眺めていただけだ」
「…………」
ジー。
「な、何だ? そんな目で見つめたって、何も出ないからな?」
「ジジジー」
「声に出さんでも凝視しているのは分かる」
「タケシ、さっきから美月さんのとこばっかり見てたよ」
「さっきからチラチラと」
いつの間に解決したのか、諍いをやめたイチルとサツキが指摘してくれた。一体どういう方向性であのしょうもない話題が収束したのだろか。
一方で、図星を突かれたのか、タケシの目線がうようよと泳ぎ始めた。
「な……ナンノ話デショウカ。言っている事が、ワカリマセンね」
「美月さんってあの子かい?」
ナユタは絶賛ショート中のタケシを無視して、中庭の隅で一人寂しく、寮母さんのお弁当を突いている丸眼鏡の女子生徒を指差してみる。
彼女が問題の美月葵。ナユタ達のクラスメートだ。
「何だ、タケシ。お前、あの子の事が好きなのか?」
「ナユタ。お前後で校舎裏な」
「即答でフルボッコ宣言だと!?」
余程図星を突かれて恥ずかしかったのか!
「こらこらナユタ。あまり恋愛ごとで人をからかうもんじゃありません」
「そうですわよ。生産性がありませんわ」
「お前らだけには言われたくない」
こいつらは己が先程まで晒していた醜態を忘れたのだろうか。
「しかし、タケシにも春が来たか……」
「予定変更だ。放課後にゴミ捨て場な」
「ねぇ、何で俺には容赦が無いの?」
なんてこった。自分の頭がはみ出たぎゅうぎゅう詰めのゴミ袋を本気で想像してしまったではないか。きっと粗大ゴミの回収日にやってくるゴミ収集車が、ナユタが人生で最後に乗る車となるのだろう。
ナユタがしみじみと自分の最期について思いを馳せていると、問題のアオイ嬢の周りに、数人の女子生徒達が群がり始めた。あの女子達もナユタ達のクラスメートである。
はて、あの集団は何だ? お友達か?
「おい、何だあの女子達――」
ナユタが皆に尋ねようとしたところで、アオイを囲んでいた女子の一人が、彼女が膝の上に置いていた弁当箱を蹴っ飛ばす。箱がひっくり返って地面に落ち、中身の料理が盛大にぶちまけられる。
食べ物を粗末にするとは、何て奴らだ。
「あいつら、一体何を……?」
「見ての通りですわ」
ナユタの顔がようやく険しくなったところで、サツキが憮然と答えてきた。
「イジメですわよ。全く、虫唾が走りますわ」
「イジメ?」
ナユタにはいまいちピンと来ないワードだった。自分が生まれ育った環境では、人間同士が憎みあい、蹴落としあうといった無利益極まりない行動は、自らの死と等価だったからだ。
だから不謹慎な話だが、ナユタにはどこか、彼女達の行動が新鮮に思えた。
「そしてあの集団は『自分の事をイマドキのイケている女子だと勘違いしている頭の足りない系女子』のグループですわね」
そんな集団があったのか。知らんかった。
「さて。止めに入りましょうか。眺めているだけ、というのも品が無いですし」
「賛成。ハイパーイチルキックをかましちゃる」
「待ちな。周りを良く見ろ」
立ち上がろうとしたサツキとイチルを、タケシが無表情で制した。彼女らは言われた通り、見える限りの景色を全て見渡す。ナユタも彼女らに釣られて、視線を巡らしてみる。
うん。普通だ。
この学校の中庭でランチとしゃれ込んでいる生徒達が誰一人として、あのイジメとやらの現場を見ようともせず、楽しく昼食に徹している。
不自然なまでの普通を保っている。
あれが見て見ぬフリ、という奴なんだろう。
「お前らの立場であんなゴミ溜めに突っ込んでみろ。後始末が厄介だ」
イチルもサツキも、例え捏造されたものだとしても、悪い噂が流されては困る立場だ。イチルの場合はモデルとしての生命が関わる可能性もあるし、サツキの場合は自分のみならず、親の威厳にも関わるからだ。
あの女子の一団なら、平気でそういった仕打ちをしそうな気がしないでもない。
「じゃあ、あの現場を見逃せと? あなた、それでも人間ですか?」
「タケシのひとでなしー!」
「落ち着け。正義感が強いのは良い事だろうけれど、TPOは大事だぜ?」
彼らが言い合っているうちに、女子の一団がアオイを強引に引っ立たせて、校舎の中に引っ込んでしまった。そろそろ本格的に彼女を助けにいかないと、何だかヤバい気がする。
とりあえず突っ込むべきか否か。答えは、目の前の男が知っているだろう。
「タケシ。あーだこーだ言ってるが、お前自身はどうなんだ?」
「何のお話かな?」
「あの美月って子、助けるんだろ?」
「勿論。頭を使ってな」
タケシはこの時代の携帯端末――Aデバイスを掲げると、にやりといやらしく笑った。
「ちょっくら行って来る。ナユタはそこのドン・キホーテ二人を抑えつけてろ」
「あいよー」
「ごちそうさんっ」
彼はいつの間にか空になっていたお弁当箱を地べたに置きっぱなしにして、いましがた女子の一団が入っていった校舎に向かって全力疾走を開始した。
まあ、彼なら何事も無く、相手に痛手を負わせた上でアオイを助けて帰ってくるだろう。
「ナユタ、良いの?」
「タケシの事なら心配要らんだろ。少なくとも、オツムは俺よりキレる」
「だよね!」
「存外、そうでも無いかもしれませんわ」
サツキが顎に指を当て、神妙な顔で呟いた。
「たしかこの昼休みの間、大学部の藤宮研究室で、<星獣>に関わる実験をしているとか」
「昼休みにする事かよ、それ? 大体、大学部の研究室が何でこの話に出てくんの?」
「いえ……私の思い過ごしだと良いのですが」
サツキの表情が微かに強張った。何がそんなに心配なのだろう。
「何だ? 何かヤバイ事でもあるんか?」
「……その藤宮研究室は、実験が成功すれば世の中にとって多大な成果を残し、技術の繁栄に貢献するのですが……失敗すると、確実にこの学校全体に被害を及ぼす事件を引き起こす事で有名だそうで」
「もし失敗したら、中等部にまで被害が出るってか? 冗談だろ?」
「お忘れですか? この学校、初等部から大学部までの全てが混在したマンモス校ですよ? 例えば大学部で大火災が発生したら、他の等級にも被害が出るのですよ?」
この星の都学園は、地球に唯一残された居住可能な地上である<グランドアステル>の中央に建つ、小中高大一貫の大型学園なのだ。学校自体は四つの棟に分かれており、北棟が初等部、東棟が中等部、南棟が高等部、西棟が大学部という割り振りになっている。それぞれの棟は円を描くように隣接している為、もしサツキが言っていたような火災が起きると、確実に隣の棟にまで被害が飛び火するのだ。
いまアオイを連れ去った女子の一団が入ったのは東棟。中等部の棟だ。
「大学部と中等部の棟は中庭を挟んで反対側……別に大丈夫そうだがね」
「分かりませんよ。去年の話では、超強力な<アステルカード>を作ろうとして隣の高等部を半壊させた上に、中等部のガラス窓を壊したらしいですからね」
「……少しタケシが心配になってきた」
次の瞬間には何をやらかすか分からない危険な研究室が開いている時に、呑気に昼食なんて楽しんでる場合じゃない。しかもタケシを一人で野放しにも出来ない。
ナユタは急いでお弁当をかき込んで水筒の中身をガブ飲みして立ち上がる。
「すぐ戻ってくる。二人はそこから動くなよ」
「あ、ちょ……ナユタ君!?」
彼はサツキの制止も受け付けず、中等部まで全力でダッシュしていった。
「……ねぇ、八坂さん」
「何でしょうか」
「ナユタ君は大丈夫なのでしょうか。もしもの事があったら、彼の手持ちのカードだけでは対処出来ませんよ?」
「手持ちのカード……まあ、大丈夫でしょ」
「どうして?」
「そのうち分かるよ。ま、ゆっくりご飯でも食べて待ってよっか」
「……はぁ」
中等部一階、女子トイレの最奥部。
壁際に追い詰められたアオイは、前方に群がる女子の集団から様々な種類の視線を浴びていた。
嘲り。憎しみ。嫌悪。殺意。
どれも、慣れ親しんだ感情だ。
「あんた、何でここに呼ばれたか、分かってる?」
「…………」
「何か喋りなさいよ」
命令の次には手が出ていた。肩をどつかれて、後ろの壁に強く当たる。
けれど、不思議と心も体も痛くは感じなかった。
「分かってるんでしょ? あんたこの間、タケシ君とデートしてたでしょ。あたし、この目でハッキリと見たんだから」
「……!」
いけない。わずかばかりの動揺が走ってしまった。
「夏休み中、東区に新しく出来た大型のショッピングモール。さぞかし楽しかった事でしょうね」
「……人違いじゃない……かな」
「はあ? ふざけてんの? あたしの目が、節穴だって言いたいの?」
今度は顔を殴られた。奥歯と頬の内側が擦れあって、口の中が少し切れた。
いまこうして自分に手を上げ、詰問しているこの女子こそ、この集団のリーダー格。親が貴族の街・<スカイアステル>の大物政治家で、いまもこうしてその七光りを利用し、中等部内のスクールカーストの頂点に君臨している、大友仁美だ。もしかしなくてもタケシの事を狙っており、いまも彼にアプローチを続けているが、一向に振り向いてもらえないでいる。
仁美はぎらぎらに憎悪を滾らせた目で言った。
「あんた程度のカスが調子に乗ってんじゃないわよ。いい? あんたがタケシ君に近づく権利なんて、もとからゼロなの。お分かり? 分かったら手ぇ上げてよ、ねぇ?」
「六会君とは何ともないよ」
黙ったままでも色々マズいので、今度はハッキリと言ってやった。
「だから……もういいでしょ?」
「良い訳無いじゃない。アンタに人権なんか無いのよ!」
仁美は突然訳分からん事をヒステリックに叫び、アオイのブラウスの襟を引っ掴み、強引に左右に開く。いきなりされた事に恐怖を覚えたアオイは全力で抵抗するが、他の女子達が自分を拘束し始めたので、体の自由が全く利かなくなってしまった。
ボタンがぶちぶちと弾け飛び、トイレの床に転がる。
衣服を剥がれたアオイの上半身は、タンクトップ一枚だけになってしまう。
「ほぉら、見えた。あんたに人権が無いって証拠」
「……っ!!」
強引に跪かされ、背中を天井に向けられたところで、仁美は歪んだ笑み作る。
彼女はアオイの背中に小さく生えた、青い獣の双翼を見下ろす。
「<獣化因子>の寄生患者――こんなところでお目に掛かれるなんてね」
「やめてっ……」
「やめる? 何を?」
仁美は心底不思議そうな顔をすると、片手で彼女の片翼を弄んでから、一転してぐいっと引っ張った。
「いたっ……痛いっ!」
「へえ? やっぱ羽にも感覚って通ってるんだ」
彼女は感嘆したような反応を示すと、スカートのポケットからAデバイスを取り出し、カメラモードをオンにする。
Aデバイスとはこの時代の携帯端末で、千年前のスマートフォンを意識して作られている。勿論、星の力である<アステライト>を利用した最新技術も搭載されている。
そんな高等技術の粋である機械の目が、こちらを無機質に睨んでいる。
「この写真、来年の自由研究にも使えるかしら」
「いや! 嫌だ! やめてっ!」
「やーだぴょん。はい、ちー……」
「はい、チーズ」
パシャ。
女子トイレ全体に、フラッシュが焚かれた。
「……え?」
仁美が背後を振り返り、愕然とする。
開け放たれた女子トイレの扉の前に、Aデバイスのレンズをこちらに向けた、六会武の姿があったからだ。
「自由研究? 止めとけ止めとけ。倫理的にアウトだから」
「タケシ君……? 何でタケシ君がここに……? ここ、女子トイレだよ?」
「それでも便所には違いねぇだろ」
仁美の問いかけに対してさらっとズレた回答をして、タケシが普通に男子禁制の空間に足を踏み入れ、アオイの傍まで歩み寄った。
彼は上半身が裸の一歩手前となっていたアオイの体に、自分が着ていた青色のブレザーをそっとかけた。
「美月、大丈夫か?」
「……うん」
「立てるか?」
アオイはタケシの助けを借りて立ち上がると、彼と一緒に何事も無かったかのように女子トイレを出る。
タケシは入り口の手前で立ち止まると、首だけ振り返って、奥に取り残された女子の一団に、冷たい目をして淡白に告げた。
「さて淑女諸君。俺達は退散する。お前達は自由の身だ。俺達と一緒に中庭に戻るぞ。しかし、これ以上美月に手を出そうとするな? 俺のAデバイスには、お前達に上半身を剥かれかけた美月アオイのエロ画像が保存してある。この意味が分かるな? という訳で、ボカチン喰らいたくなけりゃ、余計な事はしないでおくんだな。OK?」
「お……おーけ……」
「良い子だ。さあ、あの美しき中庭に戻ろうじゃないか」
タケシはずっとアオイの手を握ったまま、トイレの奥でぽかんとしていた女子達がこちらに来るのを待っていた。
温かい。
強くもなく、弱くもない力で握ってくれている彼の手は、本当に温かい。
やがて女子達がトイレを離れ、びくびくしたように彼とアオイの後を追って歩き始めた。このまま行けば中庭だ。
「美月」
「何?」
「お前、ブラウスの替えとか持ってるか?」
「一応……寮の部屋に」
「そっか。じゃあ、後ろの奴らを中庭に送ってから、一緒に行こう」
「……分かった」
そんなやり取りを聞いていた女子の一部が背後で「一体何なのよ」とか「あの女いつか殺す」とか呟いていたが、聞かなかった事にしよう。
ジリリリリリリリリ!
「!?」
突然、校内に非常警報のサイレンが鳴り響く。その場にいた全員が足を止め、天井を見て、次にあわただしく周囲を確認する。
「なに? 何なの!?」
「火事? 地震?」
「焦げ臭くもないし、揺れてもいないな」
この中でタケシ一人だけが冷静さを保って、冗談っぽく答えた。
「しかし、一体何なんだろうな。ナユタにでも聞いてみっか」
タケシは証拠画像入りのAデバイスから、ナユタに一回発信してみる。しかし、いくら待っても彼が出る気配は無いようだ。彼は顔を微妙にしかめた。
「何だ? 便所か? 何で出ないの、アイツ?」
「ねえ! あれ!」
仁美が悲鳴に近い声で、正面のある一角を指差す。
タケシも彼女の指先に倣って目線を遠くに向ける。すると、自分達から遠く離れた位置に、四本足の、青い光を纏った獣が、群れを成してこちらを威嚇しているのが見えた。
狼型の<星獣>だ。
「何で校内に<星獣>が!?」
「い……いやああっ!」
「逃げないと……!」
先ほどまでアオイ相手に威勢を張っていたのが、一転してこのザマである。
いままで押し切られていた自分がバカみたいに思えた。
「六会君……!」
「お前は何もしなくていい。下がってろ」
タケシはデッキケースからカードを一枚抜き出し、
「<メインアームズカード>・アンロック」
解放のキーワードを唱えた。
カードは光と化し、タケシの両手に纏わりつき、やがて一対の黒いグローブに変形する。
「さてと……やるか」
タケシは狼達の前に立ちはだかって、背後の女子達に冷静に告げた。
「おいイジメっ子共。数が多すぎるし、手持ちがC級カードだけの俺じゃ<星獣>は倒せない。けど、数があれば話は別だ。お前達も協力しろ」
「そんなっ……無理だよ! いきなり実戦なんて!」
「美月の服をひん剥くぐらい強気なんだろ? だったら何とかしてみろや」
「そ……それとこれとは関係無いでしょ!?」
仁美が泣き言をぬかし始めた。他の女子達からもブーイングが飛んでくる。
駄目だ。最初から分かっていた事だが、彼女達は役立たずだ。遊んでばかりで訓練なんぞあまりしていなかっただろうし、元々自分が戦うだなんてケースを想定していないのだ。
かく言う自分も、同じ事なのだが。
「仕方ない。俺が怪我したら、役立たずのてめぇらの責任だかんなっ!」
タケシは女子達を見限ると、疾風の如く狼達へと向かっていく。
その姿に、アオイは不覚にも見入ってしまう。
空手、足技、合気道。その他諸々の武術。
それらを内包した我流の格闘術は、向かってくる狼の群れを上手く足止めしていた。反応も鋭く、死角から来る攻撃にもしっかりと対応している。
けれど、決定打が足りない。
C級のアームズカード、及び<バトルカード>は中学生になってから使用が可能になる武装で、それらには人への殺傷能力が無く、設計的には安全に扱えるものばかりである。しかしその分だけ威力は低く、どんなにランクが低い<星獣>だろうと、一撃で仕留めるには至らない。
というかC級カード自体、<星獣>を倒すというよりも、あくまでB級以上の階級保持者が来るまで自分の身を自分で守れるようにと作られたカードだ。
だから当然、決定打にはなりえない。
「バトルカード<アイアンブロー>・アンロック!」
タケシがカードの力を解放し、右拳のグローブを鋼色に変える。
「おらぁ!」
正面から飛び掛ってきた狼の腹に、鋼の拳がクリーンヒット。狼は大きく口を開けて苦悶の表情を浮かべながら吹っ飛ぶが、空中で体勢を立て直し、何事も無かったかのように廊下の床に降り立った。
反対に、タケシがとうとう息を切らし始めた。
「くそ……! 何でこいつら無傷なんだよ! 少しはダメージ入ってるだろ!」
C級カードの攻撃力が低いとはいえ、決してダメージを与えられない訳ではない。
なのに、目の前の狼達は全くの無傷だ。どういう事だ、これは?
「しまっ……」
タケシが疲弊して動けない間に、彼の横を狼が二匹だけ通り過ぎ、このままこちらへ突進してきた。あと数秒でこちらに飛び掛って来る!
「きゃああああああっ! 来たああああああ!」
「どうしよう……どうすれば……!」
仁美の慌しい視線が、アオイと偶然ぶつかった。彼女は一も二も無く、アオイの体を引っ掴んで、非情にも自分の前に立たせて盾とした。
「きゃっ……」
「あ……あんた、<獣化因子>持ってるんでしょ? だったら獣みたいになって、こいつらあんたの力で何とかしなさいよ!」
「美月!」
タケシが振り返って鬼のような形相で、通り過ぎた獣の後を追おうとするが、もう彼の手はこちらには届かない。だからといって女子連中にこの獣達を倒せる戦闘能力は無いし、アオイにしたって、そもそも<獣化因子>とは一種の『寄生病』であって、力に還元出来る代物ではない。
仁美の行動は、抵抗力を無くした病人を盾にしているのに等しいのだ。
二匹の獣が跳躍し、口を大きく空け、牙を覗かせる。
次の刹那で、仁美ごと自分は噛み砕かれるだろう。
「アオイっ!!」
タケシが絶望を乗せた声で、彼女の名前を叫ぶ。
もう駄目だ。間に合わない――
「ほんっとうに最低な女だな、お前」
侮蔑の声と共に、目と鼻の先にあった二匹の獣が真っ二つに裂かれ、光となって消滅する。
「親父からは「女は大事にしな」って教えられたが、お前相手に優しくする気にはなれんな」
アオイの前に降り立った人影は、淡く青い光を放つ大太刀を片手に携えていた。
彼は水色の天然パーマを揺らし、首だけで振り返る。
「よぉ、アオイちゃん。ご無事かな?」
「九条……君……?」
「ナユタで良いよ」
いましがた二匹の<星獣>を屠った少年――九条ナユタが、にかっと笑って言った。
「タケシ。お前も無事か?」
「見ての通りだ。すっげー疲れてる」
「あっそ。じゃ、俺とバトンタッチな。アオイの事、しっかりと守ってやれよ」
「ったりめぇだ、このトンチキ野郎」
タケシは苦笑し、ハイタッチしてからナユタの横を通り過ぎ、アオイの体を仁美から強引に引き剥がして、自分の手元に確保する。
タケシがいる以上、これでアオイの無事は確保された。
「タケシ君……」
「怖かったか? すまん。俺のせいだ」
「良いの。タケシ君は、何も悪くないから」
「お二人さん。イチャイチャするのは後にしな」
正面から目線を外さないまま、ナユタから鋭い指摘が飛んできた。そしてようやく、自分とタケシの体が密着し過ぎていた事に思い至り、さっと距離を取った。
駄目だ。いざ意識すると、頭が熱くなってクラクラする。
「さて……まずはサツキに連絡っと」
ナユタは自分のAデバイスで電話をかけ、呑気に会話し始めた。
「あー、もしもし? サツキ? 避難誘導の按配はどうかね?」
「ナユタ君! 危ない!」
通話が繋がって早々、狼の群れが彼に殺到してきた。この非常時に、彼は何を呑気に通話などしているのだろうか?
アオイがひやひやしているのを尻目に、ナユタの通話が続く。
「ん? おお、はやいな。うん、うん。いま交戦中? マジか。俺もなんだわ」
呑気に通話しつつ、既にナユタの大太刀は、一瞬で三匹の化け物狼を切り裂いていた。彼が使用している<メインアームズカード>もC級の筈なのに、何でそんな芸当が出来るのだろうか。タケシが戦っていた時とは大違いだ。
「え? 通話してても大丈夫かって? 大丈夫だよーん。……あ? 遊んでなんかいないし。……ああ、タケシ達とはついさっき合流したよ。いまから連れて帰るわ。じゃーねー」
彼が通話を切った頃には、累計十五匹の<星獣>が光の飛沫となって消えていた。
だがそれでも、奥側からさらなる<星獣>が追加されてくる。これではキリが無い。
「さて。そんじゃ、本腰入れますかね」
ナユタは威嚇してくる<星獣>の群れを睥睨し、デッキケースから、また一枚のカードを抜き出した。
裏面のデザインは普通の<アステルカード>と全く同じだ。
けれど、表面の絵柄は、普通のカードと大きく異なっていた。
「ナユタ。全力でやっちまえ!」
「おうよ」
タケシから何らかのゴーサインが下され、ナユタが気前良く応じる。
「<アステルジョーカー>・アンロック!」
正体不明のカードがその力を解放した瞬間、彼を中心に青みの混じった白い光の大爆発が巻き起こり、一瞬にして収束する。
激しい光の中から現れたナユタの姿を見て、アオイは息を飲んだ。
青い薄手のフライトジャケットに、ゴツゴツした肘まである青いグローブと、膝まである青くて太いブーツ。ジャケットの背中には「Ⅳ」の数字が刻まれている。
一体いまの彼に、何が起こったというのだろうか。
「モノ・トランス=<ブレード>」
唱えるや、彼の右手に、先程の大太刀が出現した。先程の、といっても、刀の意匠は細部で違っており、刃が付いてる部分だけは細いビーム刃に仕様が変更されていた。
ナユタが駆け出し、一秒後。群れを成していた狼が、一気に十体消滅する。
次の一秒でさらに十体。背後や横から強襲してきた敵も、一瞬のうちに始末する。
「え? え? 嘘……九条君ってあんなに強かったっけ……?」
「ていうか、あのカード何!?」
先程までアオイを痛めつけていた集団が、困惑やら驚愕やらといった反応を示す。余程ナユタがいま使ったカードについて驚いているらしい。
現に、アオイも彼の神懸った戦いに魅入っている。
「凄い……」
「あれがナユタのS級アームズカード、<アステルジョーカー>だ」
タケシがまるで楽しんでいるかのように、ナユタの戦闘を見届けながら言った。
「<アステルジョーカー№4 イングラムトリガー>。全<メインアームズカード>の中で最強の攻撃力と火力を持つ、ナユタの必殺カードだ」
タケシが説明している間にも、次々に数を増してくる狼の軍勢は、既に半分まで減少していた。タケシが言うように<アステルジョーカー>がいかに高い能力を持っていたとしても、剣一本でここまで簡単に片付いてしまうものなのだろうか。
カードの方も大概だが、ナユタ自身の力も相当なモノだ。
「終わりじゃ! モノ・トランス=<バスター>!」
今度は大太刀が手元から消えて、彼の両手に青い自動拳銃が握られる。
狼の群れが、動きを止めてぞぞっと身を震わせる。
ナユタはいましがた出現した銃の照準を狼の群れに合わせた。
「シュート!」
発砲。連射。
青い閃光が立て続けに吐き出され、青い狼達の急所を的確に貫く。狼達は当然のように消滅し、地面やら壁やらに打ち込まれた流れ弾が爆発四散し、前方で大火災を発生させる。
建材の破片などがこちらにも飛んでくるが、ナユタが直前に展開した光の壁(多分これも、モノトランスとやらの能力なのだろう)のおかげで事なきを得た。
爆発の余波が収まり、目の前で激しい炎が踊る中、ナユタの体が光に包まれ、先程まで装着していたジャケットなどが消失し、一瞬で元の制服姿に戻る。
もうもうと張っていた煙幕が晴れて、視界が少しだけ明瞭になる。ナユタは煙の中から他に敵が出てこないかどうかを確認し、ひと息ついて振り返った。
「さて。聞きたい事は山程あるが、とりあえず外へ出てからにしよう」
●
校内に大量発生した狼型の<星獣>は、やはり藤宮研究室が原因だった。
彼らは<星獣>をペットとして飼いならす実験の為に、アステライトを使って人工的に<星獣>を一体だけ生成しようとしたのだが、完成した瞬間、いきなり保存用のカプセルを突き破って逃げ出してしまったらしい。しかも驚いた事に、逃げ出した一体が大気中のアステライトを使ってもう一体別の狼を生成し、それの繰り返しで徐々に増殖したというのだから、もう迷惑以外の何物でもない。
そのせいで、全学年の棟が狼で埋め尽くされるという地獄絵図が展開されたのだ。
「厄介なモノ作りやがって。あとちょっとで俺達、<星獣>の餌にされてたぞ」
「研究室の教授の責任問題ですな」
「んなもん、即解雇の即逮捕だ」
避難した生徒達は皆、学園の敷地の手前に並ばされていた。直接の被害を受けたりした連中は別のスペースに集められている。直接交戦したナユタとタケシも一応は被害者側の人間なので、この被害者側のスペースでぼーっとしている訳だ。
「その教授、今度会ったら一発ぶん殴ってやる」
タケシはケッと毒づき、先程一緒に逃げてきたいじめっ子の集団に目を向ける。救護班から渡された黄色い毛布に包まって、彼女らは体育座りで一様に怯えていたが、だからといってこの女共に抱ける情けは無い。
タケシは彼女らに近寄ると、冷たい目で彼女らを見下して尋ねる。
「おいお前ら。何で美月にあんな事をした? 答えてみろや」
「お、呼び方が苗字に戻ってる」
「ナユタ。お前は黙ってろ」
神様。せめてこのバカに空気を読むスキルを与えてあげてください。
「さあ、どうなんだ?」
「そ……それは……」
仁美が目を逸らして押し黙る。予想通りの反応だ。しかし、ここまで自分の目論見が上手くいくとは思わなかった。
実際のところ、ナユタ程鈍感でバカでは無いので、仁美からのアプローチには気付いていた。
「おい、誰がバカだヴぁ!?(タケシの肘鉄が鳩尾に直撃)」
だが、タケシからすれば全く興味の無い相手だ。とはいえ、アオイが連れ去られた理由が何にせよ、主犯格がこの女子なら、対処のしようはいくらでもある。イチルやサツキならいざ知らず、自分が好意を抱くタケシにイジメの現場を押さえられてしまったのだから、彼女が後から仕返しに、何か酷い仕打ちをタケシにするなどとは考えにくい。
だから問い詰めれば、アオイにした仕打ちの根本も押さえられるかもしれない。
「俺は脅迫みたいなせこい真似は嫌いでね。だが? それはお前達の態度次第だ。Aデバイスに保存してある輝かしき青春の記録を消して欲しければ、正直に真実を話せ」
「ちなみに俺もお前達の犯行を一部始終見てたかんな。言い逃れは出来んよ」
「お前、見てたのか?」
肘鉄のダメージから復活したナユタがそんな事を言ったのは、さすがのタケシも驚いた。
「そんな不思議な事かね? 俺はサツキに例の実験の事を言われて、お前達を連れ戻そうとして追ってきたんだぜ? タケシとお前らの所業は陰から確認済みよ」
「気付かなかった……」
そういえばこいつ、アオイが襲われそうになったタイミングで丁度良く現れたが、それは単に最初から自分達を尾行していたからなのか。
「ていうか、最初から見てたならさっさと助けろよ!」
「いや、あの程度の雑魚、タケシ一人で充分だと思って。それにほら、アオイにカッコイイところを見せるチャンスだったじゃん」
「そんな気遣い要らねぇよ! C級カードの攻撃で傷一つ付かなかった化け物だぞ! どこにそんな余裕があるってんだ!?」
「はて、そうかね? 俺にはあの狼が今日の晩御飯に見えたが」
もーやだこのバカ! 絶対どうかしてる!
「っと……バカの相手をしている場合じゃなかった。で、どうなんだ?」
「うっ……」
ナユタとの漫才の隙に、こっそり逃げようとした仁美を呼び止める。これでいよいよ、彼女に逃げ場は無くなってしまった。
ここで一気に畳み掛ける――と意気込んだタケシの腕を、誰かがそっと掴んだ。
「? 美月……?」
「……いいの」
「は?」
いつの間にか予備の制服に着替えて戻ってきていた彼女が、俯いたまま言った。
「六会君……もう、いい」
「良い訳ねぇだろ! お前は悔しくないのか!」
「落ち着きたまえよタケシ君。アオイが良いって言ってんだから、これ以上は時間の無駄だ」
ナユタが大仰に首を縦に振って言った。一見ふざけているようだが、彼の言っている事も正論だ。大きな事故に巻き込まれたこの状況で、自分達が無駄に騒ぎ立てる事も無い。
「……そうだな」
以降、タケシはこれ以上の事を、誰にも追求しなかった。
●
「隔離施設……」
『ええ。獣化因子の寄生患者さん達が、セントラルの大きな病院にある特別なお部屋に集められるの。あと一週間だったかしら』
「ついさっき聞いた」
『あら、そう』
あの事件以降、授業なんて当然開ける訳も無く、生徒全員に帰宅命令が下された。アオイも直接の被害者だったので、被害者側のスペースでカウンセリングを受けた後、真っ先に女子寮の自分の部屋に引きこもり、いまこうして遠く放れた自分の母親と通話している。
といっても、決して楽しい話をしている訳ではない。
『なら話が早いわ。そこであなたの体に寄生した<星獣>を取り除くの。これであなたの背中から翼が――』
「嘘言わないで。本当は、私を殺す気なんでしょう?」
アオイは声を震わせ、はっきりと拒絶の色を示した。
「私が知らないとでも思ったの……? 知ってるんだよ? 本当は、私を殺す気なんでしょ? それに、<獣化>患者には例外なく『けもの保険』が適用されて、私が死んだら一千万のお金が入るんでしょ? どうせ、バイトもしないで親のお金で遊び呆けてるお兄ちゃんの大学の費用が払えなくなったから、私に死ねって事でしょ?」
『それは……』
母親の声が曇り始めた。図星だったらしい。
「私、藤宮教授から全部聞いたんだ……! 学校も病院も、政府も私を殺す気だって……!」
『違うのよアオイ! そんな人の話、信じちゃ……』
「藤宮教授は実験の責任者だよ? いまさら私に嘘なんて……」
アオイがまくし立てようとすると、こんこんと、木製のドアがノックされた。こんな夜遅くに、一体誰だろう。
何だか、冷や水を掛けられた気分だ。
「……ごめん。人が来たみたい。また今度ね」
『待ちなさい、アオイ! まだ話は……』
アオイは強引に電話を切った。あんな話を続けられても敵わないので、電話を切る口実としては上々だ。
アオイが扉を開けると、やって来た人物は控えめに「やっ」と手を上げた。
「あなたは……」
「アオイちゃん、ちょっとお話しよっか」
そう言って、八坂イチルは眩しく笑ってみせた。
突然訪れた客でも、アオイは礼儀として、来客のイチルにお茶を出してあげた。夏休み明けとはいえまだ少し暑いので、出すものは氷が入った冷たい麦茶である。
イチルは小さく頭を下げてお茶を受け取り、ちょびちょびと飲み始めた。
「……八坂さん。私に何か用でしょうか」
「イチルで良いよ。さっきの事でちょっとね」
「……」
ただの野次馬根性で首を突っ込んできている訳ではない、というのは何となく分かる。だが、そうでないとしたら、彼女は何の為に直接この部屋に来たのだろう?
イチルはごく普通に尋ねてきた。
「昼休みの時、何で他の女の子達に連れ去られちゃったのかな?」
「…………」
「答えたくないのなら、別の質問で」
押し黙ったアオイを見もせず、お茶を煽りながらイチルが言った。
「アオイちゃんさ、タケシの事、好きなの?」
「なっ……!?」
不意打ちのドストライクで何という事を訊いてくれるんだ!?
「おー、赤くなってる。図星だぁ」
「なななっ……何で、で……それを……?」
「見てれば分かるよー。クラスの中だと無関係っぽくしてるけどさ、学校の外だとよく会ってるんでしょ? あたし、たまーに見るんだよねー」
「そんな……」
そういえばさっき絡んできた仁美も、同じような事を言っていたから、他の誰かが学校の外でタケシと一緒にいるところを見ていてもおかしくはない。
これはぬかったか。
「もー。付き合ってるなら、堂々とイチャついてりゃ良いのに」
「まだ付き合っていませんっ」
「まだ? まだという事は、そう遠くないうちに……いやぁ、楽しみだなぁ」
イチルが意地悪っぽくニヤニヤ笑ってくる。先程の意地悪女子と違って悪意が全く無いのは明確だが、これはこれで対処に困ってしまう。
気付けば、顔が凄く熱い。顔が真っ赤だと言われれば言い逃れは出来ない。
「しかし誰よりも恋愛ごとには敏感なイチルセンサーを以ってしても、ついこないだまでタケシとアオイちゃんの関係性に気付けなかったとは……オヌシ、中々出来るな」
「出来るって何が? 何の話!?」
「免許皆伝の腕前よ」
「何の免許? 私は何を修練していたの?」
色々喋らせてくれるな、この女子は。
アオイは自分の中からすらすらと言葉が出てきた事に驚きつつ、今度は自分の麦茶を入れ始めた。イチルが来てから喋りっぱなしだったり、顔が熱かったりするから、予想以上に喉がからっからである。
「……まさかイチルちゃん、私をからかう為だけに来たんじゃ……」
「そうとも言う」
「偉そうにふんぞり返られても……」
イチルは何となく、ナユタと似た者同士な気がする。ボケは連発するし人を疲れさせる事にかけては天才的だけど、決して悪い人じゃない――というか、とても良い人であるところが、特に。
「ま、とにかくこれでアオイちゃんの本音が引きずり出せた訳だけど……いまは仲良し止まりだよね。でも何で学校にいる時はお互い無視して、学校が無い時はコソコソ会ってるの?」
「……仮にそれを話したところで、何になるんですか?」
「それは聞いた後で考える」
イチルは迷い無く答える。
「だから教えて欲しいな。私はあのバカ男二人みたいに強いって訳でも、サツキ程したたかな訳でも無いけどさ、話してみるだけ楽になる事って、あると思うんだ」
「……分かりました」
アオイはイチルの正面に座ると、俯き加減に語り出した。
「元々……タケシ君とは他のクラスの子からイジメられてた私を助けてくれた事から出会えたんです。それ以降はよく親切にしていただいて……ふと気付いたら、彼の事が好きになってました」
「ほうほう。ピュアだねぃ」
イチルが年寄りっぽい頷き方をする。口には出さないが、全然似合ってない。
アオイは苦笑しながら続けた。
「でも、イジメられっ子の私と大っぴらに仲良くしていると、彼にどんな迷惑が掛かるかなんて想像がつきません。私にはそれが怖かった。だから、私と話す時は学校の外でっていう独自のルールを、私と彼の間に設けたんです」
イジメられっ子と仲良くした子はイジメられる。イジメっ子に反抗した者もまた然り。
初歩的なイジメの構造である。
「でもさ、仮にアオイちゃんと仲良くしたからタケシもイジメられるとして、あいつをイジメる奴なんていなくない? 女子にはモテるし、ナユタ程じゃないけど喧嘩強いし、頭も良いし」
「だとしても、です。彼にかける迷惑は、出来るだけ抑えたかったんです」
大好きだから、我慢する。
それがいまの自分に出来る、最大限の思い遣りだった。だから、誰に何と言われようと、この方法を変えるつもりは毛頭無い。
頑固だと言いたければ言えば良い、のスタンスである。
「辛いけど……こうするしか無いって、思っちゃったんです」
「……タケシがその程度で音を上げる器なのかな」
イチルがふーむと、腕を組んで難しい顔をした。
「あたしもさ、入学当初にモデルの仕事で遅れた分の勉強とか見てもらってたから仲良くなっただけで、実際そんな付き合いは長くないけど……タケシはそこまで狭量な奴じゃないよ。大体、そんな迷惑、アイツにとっちゃ迷惑ですら無いと思う」
「どうして……そう思うんですか?」
少なくとも大っぴらにタケシと仲が良いイチルの言葉を疑うなんて出来ないけれど、どうしてか聞かずにはいられなかった。
イチルは短く答える。
「いやだって、タケシもアオイちゃんの事好きだもん」
「……え?」
突然予想だにしなかった情報の矢が、アオイの思考回路に直撃した。おかげでしばらくの間、思考停止状態に陥ってしまう。目の前のイチルが「あ、やべ。言っちゃった」とか自分の口を押さえて目を気まずそうに逸らしているが、いまはその事すら気にならなかった。
タケシ君が、私を? え……ええええええええええええええええええええええええ!?
「い……イチルちゃん……? いまの話……」
「ごめん。いまの無し……といっても絶対引き摺るよね……」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
「ええええええええええええええええええっ!? ちょ……それは……あの……」
「まあまあ落ち着きたまえよ、お若いの」
「え……ええっと、イチルさんも私と同い年でまだお若いとか、そんな事はどうでも良いとしてですねあのそのあ、ああああああああっ」
駄目だ。全く落ち着かない。こういう事にめっぽう弱い自分が恨めしい。
結局、アオイが落ち着きを取り戻した頃には、既に消灯時間を回っていた。
●
「良い湯だな、あははーん♪」
遡る事一時間前の話。千年前に壊滅寸前に追い込まれた当時の日本でも、オヤジ臭く懐かしかったであろう歌を口ずさむナユタは、男子寮付近の林の中を散歩していた。共同浴場から上がったばっかりなので、夜の涼みに出ていたのだ。
「――いい加減白状しなさい! あなた達はあの時、美月さんに何をしたの!」
「こ……こんな事してタダで済むと思ってるの? お父さんに言いつけるんだからっ!」
「質問に答えなさい。猿じゃあるまいし、言語くらいは獲得しているでしょう?」
声がしたと思ったら、ナユタから少し離れた茂みのところで、何故かサツキが<メインアームズカード>の剣を、先程のイジメっ子達の主犯格に突きつけているのが見えた。
……うーむ。平和の世界の住民に溶け込んだつもりではあるが、まさかここでも剣呑なムードに出くわす事になるとは。平和なりに、この世界も大変なもんよのぉ。
「さあ、早く喋りなさ――」
「ストップだ。こんな夜中に何をしてるんだね、ちみ達は」
「ふぇ!? ナユタ君!?」
歩み寄ってきたナユタを見て、サツキがきょとんと目を丸くして驚く。何だ、人に新種の妖怪を見るような目を向けて。
「あ……あの、これはですね、その……」
「言わんでもいい。話の流れは大体読めた。君は帰っていいぞ」
サツキをなだめてから、ついさっきまで酷い脅迫を受けていた大友仁美にさらっと告げる。彼女は九死に一生を得たように、その場から慌しく退散する。
去っていく彼女の背中を眺めながら、ナユタは呑気に尋ねた。
「……全く。お前がそこまで正義感の塊だとは思わなかった。大方、さっきアオイを連れ去った理由でも問いただそうとしたんだろう。でも、いまのはやり過ぎだ」
「……ごめんなさい」
サツキは思いのほか、素直に謝った。どうやら自分が悪い事をしていた自覚はあるようだ。
彼女は剣を元のカードに戻して言った。
「やっぱり……気に食わないものは気に食わなくて……つい」
「でも限度はあるだろ。高圧的に脅してるだけじゃ、奴らがアオイにした事と差して変わらん」
「……ナユタ君は大人びてるんですね」
「大人びてるってより、積み重ねたものが根本的に違うだけだよ」
ナユタは近くの大木に背を預けて、涼しい顔で語り出す。
「この地球でたった一つの地上、<グランドアステル>。その西区域は、<星獣>の繁殖地帯だった。だからそこは再建した地球史以来から、ずっと戦争地帯だったのさ。誰かがそこの<星獣>を駆逐しておかないと、このセントラルを含めた残りの四区域に<星獣>が侵攻するからな」
「…………」
サツキはいきなり何の話を始めたのか? といった当然の反応を見せるが、下手に返さず、ナユタの言葉の続きを待ってくれた。つくづく、話しやすい子だと思った。
「だから高い戦闘能力を持つ連中だったり軍人だったりがウェスト区で<星獣>をせき止め、いまもずっと戦い続けてる。俺も生まれてから少し前まで、その一人だった」
「少年兵……」
「そう。生まれながらに、戦う事を宿命付けられた、戦争の申し子だ」
申し子などと言うと語弊があるかもしれないが、ナユタ自身も、元はそういう種類の人間だった。そこはもう、生まれてしまったからには変えられない事実だ。
「俺の生まれ育ったところでは、人が人を憎み合う事=己の死に直結する。いがみ合ってる間に<星獣>に殺されるなんて間抜けな真似をしでかす暇が無かったしな」
「もしここがその西区域と同等の環境だったら、さっきのバカは即死んでる……と」
「その通り。ま、勿論西の富裕層が住まう町は悪徳の都だから、一概にそうとは言えんが。少なくとも貧しい戦争地帯を転々としていた俺からすれば、奴らの神経は理解に苦しむ」
だからナユタには、人が人をいがみ合って蹴落としあうスクールカーストという概念を理解出来なかったし、イジメについても全くピンと来なかった。
人間関係=共闘関係だった環境にいたのだから、当然の事である。
「人間は自分の利益の為に利己的に動く。だが、環境の違い一つで感性も変わってくる。人間関係の概念でさえ、俺と君とでは全く違う筈だ。もし君が俺を大人びているというのなら、それこそ単なる環境の違いだ」
「私達の環境では命を脅かされるという危険意識が薄いから、自分の利益を優先して他人を平気で蹴落とせる。けれど、あなたがいた環境では全てが自分の命に直結するから、団結する事でしか生き残れない……そう言いたいのですね」
「理解が早くて助かる」
多分、イチルにこの話をしても理解はされなかった事だろう。奴の頭はこういった哲学に対しては働かず、もっと別の方向で活きるだろうから。
それこそ、同じ人間同士での温度差とも言えよう。
「逆に訊きたいんだが、サツキよ。お前はそこまで良い性格しておいて、何で友達とか作らなかったんだ? 俺は正直、好感を持ってるんだが」
「入学当初は友達作りに励もうとしていたんですがね……でも、何故か誰も寄り付かなかったんです。どこか遠慮がちというか、何と言うか」
「親はカード事業の重鎮さんだし、成績も良くてA級の階級保持者で美人さんだもんな」
それで『孤高の女王』か。性格が良い分だけ、どこかもったいなく感じる。
多分それこそ、「育った環境の違い」が引き起こした、彼女なりのジレンマなのだろう。
「……もっと話していたい気もするが、そろそろ消灯時間だ。寮の手前まで送ろう」
「お気遣いは結構。私、ヤワではないので」
「そう。じゃ、おやすみ」
「ええ。おやすみなさい」
こうしてナユタとサツキはそれぞれの帰路を辿った。
部屋に戻ってから、後になって大真面目に身の上話をしたのも久しぶりだな、と不思議に思ったりなんかして、寝付くまで妙な気分に浸っていたのは内緒の話である。