第十二話「赤き戦塵」
第十二話「赤き戦塵」
成人向け雑誌の巻頭グラビアを熱烈な眼差しで舐め回していたヤマタの老師は、ホログラム会議の議席で他のお偉方から怒りの眼差しを向けられていた。
「いままで行方をくらましていたと思って心配した我々が馬鹿だったように思えるのだが、それは単なる被害妄想かね? えぇ、オイ!?」
「そう怒るでない。ワシも色々大変だったんじゃからの」
出席者の一人が皆の気分を代弁するように怒鳴るが、ヤマタの老師は何処吹く風と涼しげに返した。
それが余計に、相手側の顰蹙を買ってしまった。
「ひょっこり帰ってきただけならまだしも、<アステルドライバー>を装備したS級ライセンスバスター五人にグランドアステルへの出撃命令を下しただと? 六花族から面倒なクレームを頂いた我々の苦労が、猿山の大将である貴様なんぞに理解できるのか! 答えてみろ!」
「全員じゃないだけまだマシじゃろう。それと、ライセンスバスター部門に直接の指令権があるのはワシだけじゃ、防衛大臣殿」
「だったらなおさら、園田政宗の二の舞を辿るような結果にされてたまるか! いますぐ連れ戻せ!」
「政宗を愚弄する発言じゃな、そいつは」
ヤマタの老師は机上に雑誌を叩きつけて言った。
「大体、自衛能力が無くて怖いからS級バスター全員を動員してここを守れじゃと? 下の住民がどうなっても良いという風に聞こえてならんのだが、それこそワシの被害妄想だというのか? 答えてみるがいい、このクソったれ共」
「口を慎め! 貴様、こんな事をして今後普通に暮らせると思うなよ?」
「返せる正論を用意できなければ、次は権力で潰しにかかるか? 良いじゃろう。やれるもんならやってみるがいい。いま下で戦っている狂犬共が何でS級などと呼ばれているか、よーく考えてから行動する事じゃな」
老師は接続を断って、ホログラム会議の議席から姿を消した。
彼は立ち上がってパソコンの前から離れると、横の壁を強く殴りつけた。
「政宗。お前の仇は絶対に討つ。このワシと、お前の仲間がな」
自分以外は誰もいない個室で、彼は既にこの世にいない親友に誓いを立てた。
●
タケシは改めて、父の背中の大きさを目の当たりにしていた。
いや、幼い頃から見てきた父親の背中はいつだって強そうで大きかった。自分にとっては無敵の存在で、一生かけても越えられそうに無いような、本当に大きくて硬い壁だった。
父親――六会忠は、肩越しにタケシとナナを見遣った。
「タケシ、お前はなんて幸せな男なんだ。将来のお嫁さんに看病してもらうなんて」
「嫁!? ちょっと気が早くね!? げふぉっ!」
「それだけの元気があれば心配は要らないな」
タケシの吐血混じりの訴えも聞かず、次に忠は尻餅をついたままのハンスに小さなブリーフケースを投げ渡した。
「ハンス。お前は引き続き戦いに参加してもらうぞ」
「あの、俺はA級バスターなんで住民の避難誘導を……」
「問答無用だ。早くそいつを発動して、こっちへ来い」
先程出現したばかりの<生体アステルジョーカー>の軍勢は待ってなどくれなかった。敵の集団は忠や他のS級バスターの姿を捕捉すると、一斉に地上へと雪崩込んできた。
忠はこれ以上の反論を受け付けず、<ドライブキー>を灰色の<アステルドライバー>に挿して機敏に駆け出した。
「<メインアームズカード>、アンロック」
お決まりの音声入力。忠の両手に、年季を感じる黒いグローブが嵌められる。指の関節と手の甲が無骨な装甲で飾られたこの武装は、忠がS級バスターとなる前から使用していた<シェルバレット>という<メインアームズカード>だ。
四方から忠を包み込むように接近する影が四体。忠はまず正面に加速して相手の頭を鷲掴みにし、その体を片腕だけで振り回して残りの三体を薙ぎ払ってみせた。
掴んでいた一体を宙に放り投げ、残った片方の拳を腹の装甲に叩き込む。この一撃で吹っ飛んだ<生体アステルジョーカー>が、他の一体を巻き添えに衝突したところでぶくぶくと膨れ上がる。
爆発。絡み合った二体が同時に消し飛んだ。
忠は相手の最期を見届けると、彼に突っ込んでいた残り二体のうち、左側の一体に素早く接近。目にも止まらぬ速さで標的に拳を叩き込んで沈黙させ、再び突っ込んできた残り一体が一閃した剣に反応、たったいま黙らせた一体を盾に剣を凌いでみせた。
止めの右ストレート。忠の拳は砲弾と変わらないような勢いで二体の<生体アステルジョーカー>を貫通。彼は拳を引いて、素早く後退。
腹に風穴が開いた二体の体が同時に膨れ上がり、爆炎を撒き散らして破裂する。
こんな調子で、六会忠は一方的に<生体アステルジョーカー>の破壊を実行していた。
「……凄い。一方的だ」
「相変わらず……とんでもねぇ親父だぜ……」
ナナとタケシがそれぞれの意味で戦慄して呟いた。
「おっしゃあ!」
また別の方向から、とんでもなく機嫌が良い声がした。
エレナだ。いつも通り、黒い制服の広い袖口から、赤白い光の刃を一本ずつ伸ばし、目にも止まらぬ速さで<生体アステルジョーカー>を一刀の元に斬り伏せながら元気に駆け回っている。まあ、いつも通りだ。
他のS級バスターの戦いぶりにも目を向けてみる。まず、望波和彩からだ。
彼女は既に制服のロングコートを纏っており、桜の模様が描かれた鞘から通常よりも尺が長い大太刀を抜き放ったところだった。
眼前に広がる敵を見据え、疾駆。コートからは常に桜の花びらを模した光子が散っており、彼女が戦場を駆ける様はまるで、桜を乗せてそよぐ春風のようだった。
タケシが桜と彼女の美しさに見蕩れている間にも、既に<生体アステルジョーカー>の首が六体も地に転がっていた。太刀筋がまるで見えなかったし、そもそも攻撃の前兆にすらまるで気付かなかった。相手どころか味方にさえ気取られず、定めた急所だけを確実に射抜くあの剣術――間違いない、望波和彩は暗殺剣の使い手だ。
「うわっ!」
ナナの真横に、<生体アステルジョーカー>の鎧がまるごと落ちてきた。何事かと思って周りを見ると、飛行中の状態から突然落下する敵達の姿が散見された。
この現象を引き起こしていたのは、ナユタのもじゃもじゃ仲間こと三笠心美だった。彼女は忙しくフィールドを駆け回り、両手の小さな自動拳銃らしき武装で<生体アステルジョーカー>の関節を次々と撃ち抜いていた。おそらく、鎧の中に隠れていた素体だけを正確に狙い撃ったから、主を失くした鎧だけが落ちてきたのだろう。
心美が敵の頭を踏み台に高々と跳躍、右手の銃を真下に連射。踏みつけた反動で首を晒していた敵が面食らったように前に飛ぼうとするが、もう時既に遅し、予定通りに首のど真ん中を撃ち抜かれて本体のみが消滅する。
右側から飛翔して接近する敵影が一体。心美は相手を見もせず、左の銃口を右側の敵に向けて連射。弾は鎧に弾かれるが、衝撃だけは伝わったらしい、相手が一瞬だけ仰け反った。
そこへ、上空からマックスによる無慈悲な槍の一撃が下った。鎧ごと貫通された敵を真下に蹴っ飛ばし、彼は次の敵へ飛びかかった。
マックスの戦い方は剛と柔が入り混じった槍捌きが主体だ。白い柄の穂先に赤い光子の刃が付いた槍を鋭く振り回し、群がってくる相手を豪快に薙ぎ払っていた。たったいまマックスに接近戦を挑もうとしていた<生体アステルジョーカー>が足を止めるが、結局は背後に立っていた忠にバックドロップを決められたので末路は同じだった。
これがS級ライセンスバスター。レベルが段違い過ぎる。
「さて、俺もそろそろ行きますかね」
ハンスが立ち上がり、空っぽのブリーフケースを放り捨てる。
彼の左腕には、既に装着された鈍色の<アステルドライバー>が光っていた。
「あの長官の誘いを断り続けるのもそろそろ疲れた。俺も出世しないと、いつまで経っても娘と家内に呆れられるしな」
などと嘯いて、ハンスは<ドライブキー>を<アステルドライバー>に挿入した。
「これより猛者の列に加わる。<メインアームズカード>・<アンロック>!」
ハンスの左腕に召喚されたのは、大きさが異なる赤い水晶の円盤が重なり合ったエネルギーシールドだった。中央の黒い円形の手甲だけが実体で、あれがおそらく武器の頭脳だろう。
赤い水晶の盾が、黒い円盤型の手甲を残して分離し、大小様々な赤い円盤となって宙に舞い上がる。
「――行け!」
ハンスの命令に呼応し、円盤達が戦場を飛び交った。横並びに浮遊する敵が三体、光で構成された剣を心美に投げつける。ハンスは一番大きいシールドを操作し、心美の前に誘導。剣を全て弾いた。
その間にも別のシールドを操作し、並みの動体視力では捉えきれないエレナと和彩を無視し、他の面子の背後をカバー。<生体アステルジョーカー>が放った攻撃の全てがシールドに弾かれては消えていく。
敵が正面から一体だけ、ハンスに突っ込んできた。タケシが思わず叫ぶ。
「ハンスさん……避けろっ……!」
「必要ねぇ」
全てのシールドを味方のサポートに回した分だけ、自分の防御が手薄になっていたにも関わらず、ハンスの声音は落ち着き払っていた。
彼は突っ込んできた一体の抜きつけの一閃を、事もあろうに手首を掴み上げただけで止めてしまったのだ。
「よう、西洋かぶれ。美味しいフランスパンでも届けに来たか?」
『……!』
相手が危機を感じて身を引こうとした時には、既に腹に蹴りを叩き込まれて、上空より回転しながら落ちてきたシールドの一枚によって真っ二つになっていた。
ハンスの異様な戦いぶりに、タケシとナナがさらに目を剥いた。
「つ……強ぇ……」
「何でいままでA級バスターだったんだろう……?」
タケシやナナからすれば、ハンスはエレナの腰巾着という印象でしかなかった。それがまさか、忠ですら眩むような老練っぷりを発揮しようとは。まだタケシが初等部時代で家にいた頃、「どうしてもS級の誘いに乗ってくれない馬鹿がいて困っている」などと忠が漏らしていたが、たったいまその意味を理解させられてしまった。
本物の戦士達の戦いぶりに心を奪われているうちに、敵の数が残り三体にまで減少していた。ここに至るまで要した時間は、たったの十分足らずだった。
さすがにこれ以上こちらを襲っても無駄だと理解したのか、三体の敵が身を翻して明後日の方向へと飛翔する。逃げる気満々である。
けれど、逃げても無駄だった。
高度を上げた三体の真上には、既に三笠心美が跳躍していたからだ。
「……逃がさない」
呟き、彼女は二つの銃口を真下の標的に向ける。銃全体が真っ赤な輝きで満たされ、銃口で収束される。
「グラムバースト」
発射。両刃の剣を模した光の弾丸が、三体の<生体アステルジョーカー>を丸々飲み込んだ。心美は光の中で消滅していく敵の末路を見届けると、彼女の真下で両腕を大きく広げていた和彩へと落下し、受け止められて熱い抱擁を交わしたのだった。
「はい、おかえり心美~!」
「ただいまんもす」
年相応のはしゃぎようである。
空からきらきらと、いましがた散っていった<生体アステルジョーカー>が遺した光子の雨が降り注ぐ。まるで、全ての危機を脱したいまを祝福しているかのようだった。
「見たか、少年少女よ」
ハンスがタケシとナナの前に歩み寄る。さっきまではひょうきんな大人としか思えなかったその姿は、いまは誰よりも憧れの象徴としての威厳を放っていた。
「ぶっちゃけ俺達、かっこよかったろ?」
「……はい」
タケシは心の底から賞賛したと同時に、いま突きつけられた厳然たる事実を自覚した。
俺達はまだ弱い。
<アステルジョーカー>なんていう強大な力を手に入れたせいで、自分が元はありふれた中学生だったという現実を忘れていたのだ。よく考えてみれば、<アステルジョーカー>に振り回されていただけだというのに、なんて偉そうな観点から物を見ていたのだろう。
「なあ、ナナ」
「何?」
「もっと、強くならなきゃな」
「……そうだね」
ナナが穏やかに頷いた頃には、光の雨も止みかけていた。
●
西洋鎧の<生体アステルジョーカー>を三体ぶちのめし、ナユタは何食わぬ顔で古巣の中を歩き回っていた。
「おーい、サツキー。何処だー」
「きゅいきゅいー」
ナユタの頭に乗っている小さなイルカ型のホログラムも、「サツキちゃんどこいるのー?」といった調子で可愛い鳴き声を上げる。
「なあ、チャービル。お前のエコーロケーションでどーにかならんの?」
「きゅいきゅい」
チャービルが頭の上で全身を横に振った。どうやら範囲が広すぎて無理らしい。
サツキらとはぐれてから三十分以上は基地の中を歩き回っているのだが、いくら探しても引き当てるのは<生体アステルジョーカー>の量産型っぽい連中のみだ。その度に<蒼月>で倒して無駄に体力を浪費しているのだが、もういい加減、人間の一人ぐらいは見つかっても良いのではないかと思ってしまう。基地の中も全体的にジャミングか何かが施されているらしく、<アステルドライバー>による通信もいまは不可能だ。この場合はさっさと妨害電波の発信源を潰した方が先決なのだろうが、その装置すら何処にも見つからない。もっと言うなら、園田村正の姿も見当たらない。一応、捕虜を幽閉するセクションも探し回ったのだが。
やがて修練所のスペースに出て、早速何者かの人影を発見した。
「……ちっ。どうやら貧乏くじを引いちまったらしいな」
「きゅい」
修練所の真ん中で静かに佇んでいるのは、赤く光る人型の上に和風の鎧をごつく着込んだ幽鬼だった。腰には一本の大太刀が、背中にはやたらパーツが多いスラスターみたいな物体が装備されている。
あれがジャマダハル市街を壊滅させ、園田政宗を殺害した<生体アステルジョーカー>か。
「チャービル。武装のナビゲートを頼む」
「きゅい」
チャービルのホログラムが消えると、ナユタは鎧武者へ気軽に話しかける。
「よう、バケモン。街一つ潰して人を殺した後には見えないな」
『…………』
鎧武者はナユタの茶々に応じず、ただ静かに大太刀の鞘を払った。ただのロボットには到底不可能な、老練とした仕草だった。
「サツキを探す前にお前を潰す。<アステルジョーカー>、<アンロック>!」
青い光がナユタを起点に爆ぜ、青い薄手のフライトジャケットと、同じ色のグローブとブーツが装着される。手にはさっきまでと同様、<蒼月>を携えたままだった。
対峙する二人の間に切迫の無音が奔る。
「――いくぜ」
ナユタの呟きと共に、お互いが鋭く駆け出し、それぞれの剣を打ち鳴らして通り過ぎる。ナユタは相手の剣から伝わった衝撃を確かめ、振り返って駆け出す。相手も同じようにナユタと正面からぶつかり合い、息もつかせぬ剣と剣の応酬に挑んできた。
速さは互角。膂力と技量は鎧武者が上だが、体捌きはナユタが上だ。
「きゅいっ!」
「!」
チャービルの警告。敵の回し蹴りがナユタのこめかみを狙ってきた。ナユタはあえて敵の蹴りを受け、その勢いを利用して回転斬りを繰り出した。鎧武者はその奇襲的な一撃すら読んでいたらしい、ナユタの太刀筋を見切り、刀で受け止めて弾き返す。
この激しい体術、荒れ狂っているようで精密な太刀捌き。
これは間違いなく、西で最後に対峙した剣豪の戦い方だ。
「らぁあっ!」
全力の逆袈裟。でも、やはり受け止められる。
ぎりぎりと刃と刃が擦れ合う中、ナユタは敵の兜に顔を寄せて言った。
「その太刀筋、その動き。あんた、やっぱあん時の爺さんだろ。まさかサツキの祖父さんだとは思わなかったよ……!」
『…………』
相手はナユタの質問に応じず、ただ強引に彼の体を押し飛ばす。これで仕切り直しになるまでに距離が開かれる。
ナユタはにやりと笑って言った。
「お笑いだよな。恩人の名前を死んでから知るなんて」
もうナユタは、目の前の<生体アステルジョーカー>の性能を看破していた。
あの鎧武者は自身の基本性能に加え、アステライト化した人間の戦闘能力を加算させる能力が備わっている。その際、取り込んだ人間が有していた技や仕草なども一緒にトレースするのだ。
彼がこの答えに行き着いたのは本当に偶然だった。もし取り込んだ相手が自分の知らない誰かだったら、一生分からないままだったかもしれない。
「なあ、爺さん。俺の事が分からなくてもいい。だからせめて聞いてくれ。あんたのお孫さんは立派に育ってるし、元気にやってるし、あんたの希望通りに俺の友達になってくれたんだよ」
鎧武者が無感動に踏み込んで、園田政宗の剣術を振るってくる。苦痛ごと忘却の彼方に飛ばしてしまうような、速さに重きを置いた閃光みたいな斬撃はやはり健在だ。
ナユタは相手の剣を蹴り飛ばし、<蒼月>のブーストを活かした強力な柄当てを決める。
「俺、あの子と一緒にS級バスターの推薦まで受けたんだぜ? あんたと出会う前だったら一生考えられない未来に行き着いたんだ」
あんたはその剣で教えてくれた。未来を滅ぼす為の剣を折るのは、未来を切り開く為に鍛えられた剣なのだと。
鎧武者の姿に、かつての園田政宗の残像が重なった。
政宗が踏み込んで突きを放つ。鋒の軌跡は、綺麗に円を描いているようだった。この微かな円の軌跡が刺突の攻撃範囲に面の広がりを与え、攻撃の回避を難しくているのだ。
しかしナユタは慌てる事もなく、下段から掬い上げ、相手の剣を真上に打ち上げる。
「斬法・蜻蛉の指――その技はもう通じない!」
この後、相手が次に放つ技も読めていた。『斬法・月牙』だ。
柄を逆手に持ち替え、体の右側をこちらに晒し、ナユタの頭を目掛けて鋒を伸ばす。ナユタは反応がギリギリになりつつも後ろにステップを踏んで鋒を逃れようとするが、相手はさらに手首をくるりと回して柄を順手に持ち替え、さらに踏み込んで突きの範囲を伸ばした。
これもかつて受けた技の一つだ。ナユタは顔色一つ変えず、下に大きく屈んで地を蹴り、
「オラァ!」
バック宙を決めながら、相手の手首を強く蹴り上げた。政宗は予想外の対処法に、面を喰らったように仰け反った。
ナユタは<蒼月>の柄を逆手に持ち替え、
「お返しだ」
鋒を政宗の頭に突き出し、下がって回避しようとしたところで順手に持ち替え、踏み込んで二回目の突きを放つ。政宗は鎬を盾にこちらの鋒を受け止める。
――ビンゴ!
「ブースト!」
<蒼月>の刃から光の炎が槍のように噴き出し、政宗の体が一気に遠くへと吹っ飛ばされる。
ナユタはすかさず日本刀の形を模した<ドライブキー>を取り出し、いま挿入されている通常の<ドライブキー>と交換した。
『<フォームクロス>・<ソード>』
両手には一本ずつの<蒼月>。いままで装着していたグローブとブーツが消え、フライトジャケットが着流しの形へと変化する。
たったいま、ナユタは二刀流の侍と化したのだ。
「うぉおおおおおおおあああああああああっ!」
喉が張り裂ける程に叫び、政宗へと肉薄。二本の太刀を平行に振り抜き、全力の斬撃を相手に叩き込む。狙いはでたらめも良いところだったが、少なくとも防御の為に構えられた政宗の大太刀を一撃で叩き壊せた。さすが接近戦に長けた<フォームクロス>だ。大幅に斬撃の威力が強化されている。
「終わりだ――クソジジイ!」
あの時も、こんな風に勝利を確信したように叫んだものだ。そして、意外なカウンターを喰らって敗北した。
でも、俺はもうあの時の俺じゃない。あんたの息の根を止めるまで、絶対に油断はしない。
ナユタが左手の剣を振りかざした途端、政宗の姿が掻き消える。既にナユタの背後を支配していた彼の手には、<輝操術>の力で生成された光の剣が握られている。
政宗がナユタの首筋を狙って一閃。
『……!』
しかし、剣は通らなかった。直前にナユタが振り下ろそうとした剣が肩ごしに背後へと回り、刀身でしっかりと首の後ろをカバーしていたのだ。
「あの爺さんは<輝操術>を使わない。やっぱお前は三流以下のモノマネ芸人だったみてぇだな」
ナユタが再びにやりと笑い、身を翻しながら相手の剣を払い、
「月火縫閃」
その勢いを利用して右手の剣を斜め上に一閃。<蒼月>の刃から三日月状の光が零距離で放たれ、鎧武者の胴が真っ二つに切断される。相手を貫通した光の刃が向こう側の壁に直撃し、開く直前の瞼みたいな傷を刻み込んだ。
泣き別れた上半身と下半身が、重々しく修練所の床に崩れ落ちる。
「てめぇ如きに爺さんの剣は扱えない。最後の最後で良い経験をしたな、このポンコツ野郎」
これが鎧武者が聞いた最後の言葉だった。和風の重々しい鎧の下に隠された光子の素体がさらさらと宙に舞い上がり、最後にはただのガラクタと化した鎧だけが残される。
ナユタは立ち昇っていく光の筋を見届けながら、小さく呟いた。
「でも感謝するぜ。少しでもあの爺さんと再戦できた夢を見れて嬉しかったよ」
この言葉は本心だ。リベンジを果たせた気にはなれなかったが、たとえ偽物でもあの剣を再びこの目に焼き付けられたのは僥倖だ。
不意に、乾いた拍手の音がこの空間に響き渡った。
「お見事。名にし負うお手前、見せてもらったわ」
「……あんた、誰?」
太い柱の陰から現れたのは、二十代半ばの女性だった。何故かライセンスバスターの制服である黒いロングコートを纏っており、顔立ちや佇まいはエレナやイチルを彷彿とさせるものがある。
彼女は妖艶な笑みを湛えて言った。
「そういえば会うのは初めてかしらね。私は八坂ミチル。いつも娘のイチルがお世話になっています、九条ナユタ君」
「あ……いえいえ、こちらこそ……って、何っ!?」
ナユタが素で驚き、改めて彼女の外見を注視する。
いつ見てもこれ以上年を取りそうにないような若々しいこの女性が、まさかイチルの母親だとでもいうのだろうか。むしろ姉と紹介された方が納得なくらいだ。
いや、驚くべきところはそこじゃない。イチルの母親は何年か前に他界している筈だ。しかも<アステルジョーカー>になろうとして失敗し、その遺骨はいまもなおイチルの手の中にある。
「おいアンタ、場を盛り上げる冗談にしてはナンセンスだと思わんのかね?」
「笑い事じゃないのよ。たしかに私の肉体は失敗作の<アステルジョーカー>に封印されてるけど、精神や記憶は別の場所にバックアップを取ってたの。だからこうしてアステライトだけで体を復元して、あなたと言葉を交わしていられるのよ」
「何がどうなってるか知らんけど、嘘をついてる訳じゃ無さそうだな」
「理解が早くて助かるわ。――さて」
彼女は一通り話し終えると、懐から一枚の<アステルカード>を抜き出し、おもむろにナユタの前にちらつかせた。
「<カオスアステルジョーカー>、アンロック」
彼女が唱えると、例によって光の爆発が巻き起こる。その勢いにナユタは思わず身を固め、光の中から現れた彼女の姿を見て目を剥いた。
片手には刀身が太く、鋒が丸く削られた白い刀が握られている。更に見覚えのある飛行ユニットと、これまた見覚えのある光の輪が、彼女を中心に慌ただしく旋回していた。
「おいおい、嘘だろ……! 何でアンタがタケシとナナの<アステルジョーカー>を?」
「<カオスアステルジョーカーNo.1 ステラマイスター>。このカードは他の全ての<アステルジョーカー>とリンクして、現存している<アステルジョーカー>の力を全て引き出せる」
「何だと……?」
もうナユタの腹積もりは一つの方策に絞られてしまった。一人で複数の<アステルジョーカー>を扱える怪物なんて、とても相手にはしていられない。
――逃げるしかねぇ!
「何処へ行くの?」
後ずさるナユタの眼前に、突如としてミチルの顔が出現する。彼女は白い剣を下段から一閃し、正確な軌道でナユタの頚動脈を狙った斬撃を放つ。
「くそったれ!」
悪態を吐き、地を蹴って宙返りして後退。どうにか斬撃を回避し、二本の<蒼月>を交差させて中段で構える。
ミチルの機動力は圧倒的だった。ナユタが構え直したと同時に姿を消し、真横から通り過ぎ様の斬撃を放ったかと思えば、今度は真正面から突っ込んで同様の斬撃を与え、やがてナユタを中心とした斬撃の包囲網が完成する。
全方位からの突撃に対し、全神経を用いて二本の<蒼月>で捌き続けるナユタは、この時点で完全に逃走手段を失ってしまった。
これでは袋叩きも良いところだ。完全にリンチされてる気分でもある。
「くそっ、この、畜生っ!」
「はははっ! 私の<流火速>についてこられる普通の人間なんて久しぶり!」
ミチルが年不相応に無邪気な笑い声を上げる。余裕のつもりだろうか。
しかし何であれ、このままでは拉致が開かない。
「ふざけやがって……<バトルカード>・<フラッシュボム>、アンロック!」
ナユタの眼前に光球状の爆弾が複数出現し、破裂。このフロア全体が激しい閃光とけたたましい金属音で満たされる。
この<ソードフォーム>の真骨頂は戦略性と攻撃力の飛躍的向上である。近接戦闘能力を上げる為に二つの剣で手が塞がってしまい、本来なら<バトルカード>の使用もままならないような変化形態だが、<アステルドライバー>の音声入力式発動システムがその弱点を克服している。園田樹里が言ったように、まさにサツキの力という訳だ。
ナユタは<フォームクロス>の開発者に感謝しつつ、二本の<蒼月>をブースト。接近中だったミチルの三半規管が光と音でやられている間、アステライトの噴射によって得られた推進力で素早く後退する。
「っ!? そんなっ……」
殺気を感じ、ナユタが後ろを見遣った。背後には既に、ドラゴンの爪や足、尻尾を模した飛行ユニットが高速で迫っていた。
ナユタはブーストの勢いで体を反転させ、飛行ユニットを全て叩き斬った。背後からミチルが<流火速>で肉薄。同じくブーストの勢いで体を再び反転させ、迫ってくる彼女の白い刃を二本の<蒼月>で受け止める。
空中での鍔迫り合いの中、ミチルが強引に剣を振り、ナユタの体を真横に押し飛ばし、柱の一本に叩きつける。
背中に激しい鈍痛。肺の空気が全て絞り出されるようだった。
「終わりね」
ミチルが薄く笑ったのを見て、ナユタは背筋に悪寒の一走りを感じる。
既にナユタが叩きつけられた背後の柱には、大量の<円陣>が配置されていたのだ。しかも、既に<主陣>を重ね終えた後らしい、すぐにでも効力が発揮可能な状態となっていた。
「<円陣>・<殺陣>」
「<モノトランス>=<シールド>!」
<円陣>が一斉に爆発。直前に展開した球状の青い半透明のエネルギーシールドで致命傷は避けられたが、やはり一発で壊されてしまう。
だがこれはチャンスだ。爆発によって発生した煙幕が視界を遮り、お互いに姿が見えなくなっている。ナユタはこの機に乗じて、<アステルドライバー>の<ドライブキー>を別のものに差し替える。
『<フォームクロス>・<ウィザード>』
ナユタの装束が魔法使いのローブ風に変化し、左手には銀と青の長刀、右手には赤い短刀が握られる。これはタケシの<アステルジョーカー>の力をナユタ向けに最適化した形態だ。
「<円陣>・<破陣>!」
赤い短刀を前方に向けると、刃先に生成された魔法陣の中央から夥しい数の閃光が撃ち出される。閃光は煙を突き破って直進し、遮られた視界の向こう側で歪な破壊音を奏でた。
「がっ……!?」
ミチルの奇声も聞こえてきた。どうやら目論見通り、こちらの攻撃が当たってくれたようである。
ナユタが撃ち方を止める。やがて煙が晴れると、案の定体の至る箇所に風穴を開けて大量出血の憂き目に遭った八坂ミチルが現れる。彼女の周囲に飛んでいた飛行ユニットや、握っていた白い刀にも激しい亀裂が入っている。
「……迂闊だったわ……まさか視界が封じられた状態で攻撃を当てにくるなんて……」
ミチルが息も絶え絶えに唸った。
「やはり、あなたは真っ先に潰して……」
「もう勝負はついた。これ以上は本当に死ぬぞ」
「心配は結構。だって……」
彼女が薄く笑った瞬間、まるで時間が巻き戻るかのように全ての傷口が塞がり、さらには武装に刻まれた亀裂までもが綺麗に消えて無くなってしまった。
「だって、私は不死身だもの」
「この化物が……!」
たった一瞬であの致命傷を回復させたのは、イチルが一番得意だった回復系の<輝操術>だ。よく考えればイチルに<輝操術>を教えたのがミチルなのだから、彼女がイチル以上のレベルであの技を使いこなせていてもおかしくはない。
これでもう勝ちの目は完全に潰された。計略や実力云々の話ではない。八坂ミチルという存在が既にチートなのだ。
ミチルが白い刀を横に振りかぶる。
「解き放て、<ソウルスレイヤー>」
唱えるや、彼女が掲げる白い刃に淡い燐光がちらついた。
二人の距離は大体八メートル弱。少なくとも<ソウルスレイヤー>なる刀の射程からは余裕で外れている。まさか、<蒼月>の月火縫閃と同じ系統の、飛ぶ斬撃でも放つ気なのだろうか。
ナユタは青い長刀の鋒を突き出して唱えた。
「<円陣>・<盾陣>!」
「無駄だよーん♪」
悪戯っぽく微笑むと同時に、ミチルが<ソウルスレイヤー>を一閃。不可視の刃が、展開した魔法陣の盾ごとナユタの腹をかっ捌いた。
<イングラムトリガー>の装束が激しい衝撃と共に消し飛び、一瞬だけ元の形態に戻った<蒼月>まで光の粒子となって大気中に霧散する。
「……く……そ……」
斬り開かれた腹部から血の華を咲かせ、ナユタが前のめりに倒れる。
ミチルは血溜まりの中に埋まるナユタの前まで歩み寄り、場違いな笑みで彼を見下ろした。
「いまの一撃であなたの<イングラムトリガー>は完全に破壊されたわ。これでもう、あなたは<アステルジョーカー>に関わる全てから解放されたのよ」
「貴様……よくも……!」
「恨むなら、あなたにその力を与えたお父さんを恨むのね」
ミチルは踵を返し、
「さようなら、西の小さな戦争屋さん。もう二度と、私達には関わらないでね」
気軽な挨拶と共に、八坂ミチルはこの修練所から姿を消した。
冷たくて暗い空間に、たった一人取り残されてしまった。この傷ではこれ以上動けないので、出血多量であの世行きの未来が確定してしまっている。
まさか、古巣で最後を迎える羽目になろうとは。
「ちくしょう……」
これがセントラルに来る前だったら、きっと捨て鉢になって死を受け入れていただろう。
でも、いまはこんな所で野垂れ死ぬ哀れな自分が不甲斐なかった。
「ちくしょう……! まだ死ねるか……俺はまだ、あいつらと、もっと――」
「いたぞっ! こっちだ!」
唐突に響いた声の後、何人かの足音がこちらに駆け寄って来た。やがてナユタを中心とした人だかりが完成し、そのうちの一人が彼の体を仰向けに転がした。
「おい、ナユタだよな? しっかりしろ、もう大丈夫だ」
「……誰だ?」
「くそっ、意識が混濁してるのか。衛生兵、早く処置を!」
「了解。下がっていてください」
どうやら知り合いみたいだが、あいにく視界が霞んで目の前の人達が誰なのかまでは判別しきれない。ただ、何処か懐かしい声だったような気がする。
最後にその声を聞いたのはいつ頃だろう。駄目だ。頭がぼやけて思い出せない。
「応急処置を終えたら一旦ここを離れるぞ。まだここは敵の占拠下にある」
「了解。このガキを拾えただけでも釣りが来る」
「ナユタ君、いますぐ――」
意識が限界を迎え、もうどんな声さえナユタの耳には届かなくなっていた。
●
ナユタが一緒にいれば基地の何処かにある牢獄みたいな場所まで案内してもらえたのだが、今回ばかりは贅沢を言っていられる状況ではない。基地の中をあてどなく彷徨ってかれこれ一時間。サツキはいまだに父親の姿を見つけられないでいた。
代わりに、地下に繋がる階段を発見した。
「……もしかして」
罪人やら誘拐した人やらを閉じ込めておくなら、大抵が牢獄か地下と決まっている。もしその二つが無ければ、第三の選択肢として倉庫部屋なんてものもある。
けれど、せっかくある都合の良い区画を使用しない手は無いだろう。もしサツキが誘拐犯側だったら、きっと同じ事を考える。
サツキは足場に気を払いながら階段を降り、やがて鍾乳洞みたいな空間に出る。多少じめじめしてはいるが気にはならない。奥の壁には何やら金庫並に厳重そうな扉が嵌っているようだが、たかが人間一人を軟禁するのにあんな仰々しい扉の奥を使うだろうか。
自分ならまず考えない手だ。けれど、一応物色する価値はありそうだ。もし適当に扉の横のコンパネを弄って何も無いようなら上に戻らせてもらうまでだ。
サツキは手筈通りに扉の前まで小走りする。
突然、目の前の扉が重々しい動作で開き始めた。
「!? うそ!?」
物色するまでもなくこれだ。まさか、これも何かの罠だろうか。
サツキは扉が開ききった後、その向こうに足を踏み入れ、視界の全てを以てしても収まりきらないくらいの広大な空間を目の当たりにする。
「ここは、一体……」
まるで墓地みたいだった。柩のような形のカプセル装置が等間隔で床に並んでおり、それが向こう三十列ぐらい先まで続いている。カプセルは全て閉じてはいるが、サツキが見る限りでは中身は全てもぬけの殻だった。けれど、少なくとも中は人間が一人収まりそうなくらいのスペースは確保されていた。
「これは……睡眠学習装置? いや、死体安置の施設……何でこんなところに?」
「どっちも不正解だよーん」
カプセルの物陰から、本来ならこの場にいる筈の無い八坂イチルが現れる。どうして婦人警官の格好をしているのだろうか。この緊急時にコスプレでもして遊んでいたのだろか。だとしたらとんでもなく不謹慎な奴である。
「イチルさん? 何であなたがこんな所に? いままでセントラルに居たのではなくて? というか、その格好は何ですの?」
「サツキこそ、何でライセンスバスターの格好をしてるのさ。しかもその剣、サツキのカードじゃないでしょ」
イチルが目ざとくサツキの格好と武装を観察した。
「まあ、いいや。で、何だっけ? この施設の正体だっけ?」
「知っているのですか?」
「うん。ここは所謂コールドスリーパー施設。ここで眠っていた人からは『英霊の氷墓』だなんて呼ばれてるらしいよ。ああそうだ、忘れてた。サツキのお父さん、園田村正さんだっけ? あの人はもう外に停めてあるジープの荷台に積んでおいたから。大丈夫、怪我はちゃんと手当してあるし」
「なんですって?」
イチルがさらりといま一番知りたい情報をこちらに与えてきた。それが殊更、いまのイチルにまとわりつく違和感を一層強めた。
「イチルさん、後で事情は聞かせてもらいます。とりあえずここから一緒に――」
「は? 何で?」
イチルが心底不思議そうに首を傾げた。サツキの中で燻っていた言い知れない不安がさらに大きくなる。
「何でって、あなたこそ何を言っているのですか? こんなところにいる用なんてもう無い筈でしょう?」
「サツキには無くても、あたしにはあるんだよ」
イチルは絵柄がやけに汚れた<アステルカード>をサツキの前で見せつけた。
「<アステルジョーカー>、アンロック」
彼女が唱えると、カードが激しい雷電を伴って発光し、いままでただ汚いだけだった絵柄が何らかの紋章へと変化する。
光が爆ぜ、カードの姿が一変した。
彼女の左手には刃みたいな鋭い孤を持った、何処か機械っぽい白い弓が握られる。弦は白く細い糸から構成されており、全体的なデザインに対する評価は美しいの一言に尽きる。
彼女が右手に白い光の矢を生成してつがえ、発射。サツキはイチルの意外な攻撃に一瞬思考が止まりかけるが、どうにか反射的に鎬を盾に光の矢を受け止めた。
しかし、それがいけなかった。
信じがたい事に、刀とライセンスバスターの制服が、同時に発動を強制解除して消滅してしまったのだ。
「カードが……!?」
「安心して、壊した訳じゃないから。<アステルドライバー>のディスプレイを見てみ?」
イチルが弓を下げ、何事も無かったように言った。サツキは彼女の意図が分からないまま、言われた通りにホログラムディスプレイを展開してカードの情報を確認する。
サツキがさっきまで発動していたカードの情報が、完全に書き換えられていた。
「<No.7 紅月>……? お祖父様のカードが<アステルジョーカー>に?」
「いまのは<新星人>の最終奥義、<リライト>っていう<輝操術>。<アステルカード>の回路をそのまま書き換えて、全く別の<アステルカード>を再構成する力なの。ナナちゃんだって似たような事を龍牙島やってたみたいけど、これが実はその完成形なの。凄いでしょ」
イチルが満面の笑みを浮かべて胸を張る。
けれど、サツキは全く笑わなかった。
「説明がつかない事が多すぎますわ。あなた、一体何のつもりでこんな事を?」
「悪いけど、あたしはもうサツキ達のところへは帰らない」
「はぁ? だから、説明を――」
混乱してそろそろサツキが怒り出す間際、イチルが素早くサツキの眼前にまで肉薄し、弓を一閃。反射的に一歩後ろに引くと、孤の刃が前髪を掠める。
イチルの攻撃は止まらない。斬撃の勢いで体を鋭く回転させ、速度と威力を乗せた回し蹴りでサツキの首筋を狙う。
直撃。思いっきり蹴り飛ばされたサツキがカプセルの一個に激突し、前のめりに倒れる。
幸い、まだ意識は飛んでいない。サツキは痛む体と眩む意識を奮い立たせ、歯を食いしばって立ち上がる。
「っ……あなた、どうして……!」
「あたしね、気づいちゃったんだ。あたしが大切だと思った人は、みんな現れたらすぐいなくなっちゃうんだって。でも、お母さんとヒナタはちゃんとあたしの傍に帰ってきてくれた。もう絶対一人にしないって、あたしに約束してくれたんだ」
「意味が分かりませんわ!」
「そうだよね、あんたなんかに分かる訳が無いんだよね!」
イチルが狂ったように喚き、足の裏からアステライトの波紋を展開して加速。サツキに再接近し、弓の刃をひたすら振りかざし続けた。
「生まれた時からお父さんがいない、お母さんだって病気で死んじゃった、好きだった人も親友だった子も、みんなあたしの傍から離れていった! 生まれた時からお父さんとお母さんに恵まれて、恋に苦難しないで孤独も不自由もなく育ったあんたなんかに、あたしの気持ちが分かってたまるか!」
イチルの猛攻をステップを踏んで凌ぎながら、サツキは狂気からなる彼女の咆哮を聞いて戸惑った。
八坂イチルの生い立ちはそれとなく知っている。当時ライセンスバスターだった母親を不治の病で亡くし、その心理的ショックから一ノ瀬ヒナタとの想いも絶った――なるほど、まさに悲劇のヒロインとも言うべきだろうか。
だから多分、ここをジャックした連中の誰かがイチルの過去につけ込むような教唆術を行使し、こうしてこちらの敵として立ち回らせているのだ。
だが、どうしても腑に落ちない疑問点がある。
さっきイチルは「お母さんとヒナタは帰ってきてくれた」、みたいな事を言っていた。だとすれば、一ノ瀬ヒナタはともかく、既に他界したイチルの母親がこの場所に――?
「ぐあっ!」
顔面に膝蹴りを喰らい、またもやカプセルの一個に叩きつけられた。そろそろ避ける為の体力にも限界があるし、反撃しなければジリ貧だ。
サツキはよろよろと立ち上がりながら言った。
「イチルさん……あなた、いま自分が何をしているのか、本当に分かっているのですか?」
「少なくともあんたよりかはね」
「嘘ですわ……絶対に、嘘に決まってる!」
耐え切れず、サツキが喉を裂く想いで叫んだ。
「あなたは私達を裏切ろうとしてる……私だけならまだしも、ナユタ君達や師匠のエレナさんまで裏切ろうとしているのですよ? なのに、どうしてそうやって何の躊躇いも無く戦えるのですか!? 良心が痛まない訳が無いのに!」
「あたしが良心だけで生きてるとでも思ったのなら、それこそオツムが緩いよ、あんた」
イチルがかつて無い冷たさでせせら笑った。
「いくら汚れた強欲でも、あの時の暮らしを取り戻す為だったら人間辞めて怪物でも何でもなってやる。だからこれ以上、あたし達の邪魔をしないで!」
「……何もかも分からない事だらけですが、やるべき事はハッキリしましたわ」
サツキが仄暗く呟き、腕の<アステルドライバー>を口元に寄せる。
「とりあえず、全身の骨を折ってでもあなたをセントラルへ連れて帰ります」
「だったらその為の力を使えばいい。あんたのデッキにはさっきあたしが与えておいた<アステルジョーカー>がある。どうせだから試してみなよ」
「その余裕、絶対後悔させてやる……!」
他の仲間達と連絡が取れない以上、この戦いにそう時間は掛けていられない。
デッキのカードを全て使ってでも、八坂イチルを速攻で倒す!
「<アステルジョーカー>、アンロック!」
真っ赤な光が花のように咲き乱れ、霊園の広大な空間を満たして収束する。
サツキの手に握られたのは、刃の先から柄頭までが真紅に塗られた大太刀だった。これがサツキの<アステルジョーカーNo.7 紅月>――園田政宗の力を受け継いだ、史上最強のソード型<メインアームズカード>だ。
「本気で戦う気なら容赦はしません。最悪、死を覚悟していただきます」
「そんな気なんて無いくせに」
「私にそんな気が無くても、この剣にはあるかもって言ってるんです!」
怒号を放ち、サツキが地を蹴ってイチルに接近し、逆袈裟に一閃。イチルは再び姿を消すと、この空間を縦横無尽に<流火速>で飛び回り始めた。まるで、この空間の全てに彼女の足場があるかのようだ。
それでも、相手の動きを捉える方法はある。
「<バトルカード>・<フワライダー>、アンロック!」
唱えた直後、この空間を埋め尽くす程の、大量の白い毛玉が召喚される。いまこの部屋に浮かぶ毛玉は全て超低速飛行の機雷だ。常に空中で障害物が配置されている以上、イチルは高速での空中戦を封じられる。これは以前、タケシがナユタに対して行使した、対高速戦闘用の一手である。
案の定、イチルが高速移動を中断してカプセルの一つに降り立った。
「なるほど、触れたら爆発する障害物か。まさか<バトルカード>一つで<輝操術>を封じるなんて、やっぱサツキはカードタクティクスが上手いなぁ。でも――」
イチルが再び右手にアステライトをチャージして矢の形を作ってつがえ、今度は真上に向けて発射する。矢は天井まで到達すると破裂し、雨のような光の針を撒き散らす。
<フワライダー>の毛玉に光の雨が浴びせられる。すると、毛玉が徐々にしおれ始め、やがて地に墜落して不発弾と化した。
いまの一手で、イチルがさらに涼しい態度を取る。
「通じませんよーだ。……おっとっ」
彼女の茶々に付き合わず、サツキがイチルの頭上から兜割りを繰り出す。イチルは難なく弓で防御して押し返すと、再び<流火速>で周囲を飛び回ってこちらを翻弄しにかかった。
イチルが突撃して弓を振りかざしてくる。サツキも全神経を注いでイチルの斬撃に対処し、あわよくばカウンターまで狙ってみる。しかし、どうあってもイチルには刃先の一ミリですらかすらなかった。
二人の激しい接近戦は続く。イチルが撃って斬り、サツキが受太刀して反撃する。目まぐるしく交差する矢と剣戟の応酬は、二人の体力の限界と共に終盤を迎える。
「<バトルカード>・<フレアブレード>、アンロック!」
真紅の剣に、さらに深い紅の炎が宿り、エネルギーが膨大化。
「<カードアライアンス>・<レーヴァテイン>!」
<紅月>の能力が、たった一枚の<バトルカード>を四枚分として計算し、<バトルカード>戦術の最終奥義を発動させた。いまや巨大な炎の剣と化した<紅月>を、サツキは渾身の力で横薙ぎに振るった。
イチルが<流火速>で跳躍し、真上に回避。彼女の遥か眼下を炎の剣が通り過ぎる。イチルは矢をつがえ、一直線にサツキへと照準を合わせた。
この時を待っていた。
「<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」
<紅月>に纏っていた炎が渦巻き、真紅の竜巻が発生する。カプセルの何個かが竜巻の巻き添えを食らってバラバラに消し飛ぶ。もうこの空間は、瓦礫の山を積むだけのゴミ屋敷同然だ。
イチルが発射直前の矢に、さらにアステライトを供給する。どうやら彼女も全力での攻撃体勢に入ったようだ。
やがて、イチルの孤までアステライトで巨大化し、サツキの剣も限界までにエネルギーを溜め込んだ。
「<カードアライアンス>・<トルネードブリンガー>!」
「くたばれえええええええええええええええええええええええええええっ!」
お互いに、最強威力の攻撃を発射。
赤い竜巻の矢と、激しい波動を放つ白い矢の鋒が激突し、三半規管をかき乱すような異音をかき鳴らす。二人も爆音に負けないくらい叫ぶ。異音がさらに悲鳴のように轟き、この空間全体が強くわなないた。
矢と竜巻が同時に消滅し、サツキの視界が開けてきた。どうやら破壊力の対決は引き分けに終わったらしい。
しかし、さっきまで上空にいた筈のイチルの姿は見当たらなかった。
「……え?」
サツキの背中がぱっくりと割れ、黒い裂け目から大量の血液が噴出する。彼女はいま起きた全てを認識する前に、糸が切れたマリオネットのように膝をついてくずおれた。
「こんなもんだよね。ま、普通の人間にしてはよくやった方だよ」
後ろからイチルの声がした。いや、いまはイチルの声なのかどうかすら怪しい。視界どころか聴覚まで得体の知れない何かに侵されているような感覚だった。
でも、一つだけはっきりと自覚した事実がある。
負けた。八坂イチルに、圧倒的大差で敗北してしまった。
「イチルさん……どうして……」
声が涙で滲みつつ、サツキは改めて自分の本心を漏らした。
「私は……いつもおバカで……明るいあなたが……好きだったのにっ……」
「あたしもね、強くてしっかり者のあんたの事、嫌いじゃなかったよ」
イチルはサツキの目の前で屈むと、微かな寂しさを漂わせる笑みをこぼした。
「初等部時代にあんたと出会っていたら、こんな事にはならなかったのかもね」
「いまだったら……まだやりなおしが……」
「もう何もかもが遅いんだよ。……あたしが生まれた時からね」
イチルの手の平がサツキの頬に添えられる。戦いの後だというのに、彼女の手は冷たかった。
「あたしはサツキ達と同じ時間を生きちゃいけなかった。だって、あたしは本来、六十年前の人間だったんだから」
「何を――」
「……ごめんね」
イチルが謝った直後、後頭部に鈍痛を受け、サツキの意識は暗闇に転落した。
「……殺すのかい?」
対決の一部始終を覗いていた一ノ瀬ヒナタが、物陰から姿を現して言った。
「サツキを殺したら<紅月>が無くなっちゃうからね、お母さんの<ステラマイスター>の能力が低下しちゃうよ。ただでさえ<イングラムトリガー>と<ブラストディザスター>が破壊されちゃってるんだから、これ以上はかなり手痛いよ」
「……そうか」
イチルの返答を聞いて、ヒナタが瞑目しながら頷いた。その間にも、彼女はサツキの背中の傷を<回>によって止血していた。
しばらくしてイチルは作業を完了させ、立ち上がると踵を返し、ヒナタの前に歩み寄った。
「っ! イチル、横だ!」
「……!」
二人の間を、小さな赤い輪の怒涛が通り過ぎた。二人は素早く散開すると、手近に積んであったカプセルの残骸にそれぞれ身を隠す。
「下から妙な物音がしたと思ったら、何で園田さんが倒れているのかな? それと、何で八坂さんが国際指名手配犯と仲良くお喋りしているのかな?」
部屋の入口から悠然と歩いて来たのは、イチルのクラスの担任、ケイト・ブローニングだった。聞いた話だと運転手兼保護者役としてここへ駆り出されたのだとか。
「八坂さん、出てきたまえ。事情は後でゆっくりと聞いてあげよう」
「本当は全部分かってるくせに」
「ああ。幼稚な恋愛で身を滅ぼした哀れな女子中学生が昔の男にたらし込まれている姿を想像するのは実に愉快だった。で、もうどうせ一発ヤったんだろ? 今度は妊娠と中絶かね? 悪いがそこまで関与してやれる程、私も度が過ぎたお人好しではないのだが?」
「言わせておけば――」
「イチル、これは奴のブラフだ」
頭と血が沸騰しかけたイチルを、ヒナタが冷静な声音で容易く制した。
「聞くところによればあなたは新任の教師らしいですね。良いんですか? 教育委員会やら保護者やらの怒りに触れそうな問題発言は御法度の筈でしょうに」
「問題を起こすクソガキの方が余程の問題で、問題を起こすように育てた親もまた然りだ。それにね、まともな大人はいまの発言程度で怒りはしない。自分とは全く関係の無い話に対しては怒る理由が無いからね。怒ったり問題視したりするっていう事は、何かしら身に覚えがあるからではないのかね?」
「興味深い話ではある。――でも」
ヒナタの声音が一層険しくなる。彼とイチルの頭上には既に大量の赤いチャクラムが集まり、雲のような形を成して浮いていた。どうやらいまの会話で、チャクラムを展開する時間を充分に稼いでいたらしい。
「考える事が汚い大人に言われるのは納得がいきませんね」
「だったら私を倒してみるがいい」
「あなたは龍牙島で僕の攻撃に反応できなかったのをお忘れですか? 思えば、あの一撃であたなの首を落としておけば良かった」
「不意打ちを誇らしげに語るのは感心しないな。……そこを動いたら撃つ」
「お好きにどうぞ」
対岸の残骸に隠れるヒナタとイチルが目配せし、同時に動いた。さっきまで二人が座り込んでいた地点に、大量のチャクラムの滝が流れ落ちる。
ケイトは気絶するサツキを抱え上げ、部屋の出入り口を目指して走る。
「なるほど、最初から彼女を連れて逃げるのが狙いですか」
ケイトの正面にヒナタが踊り出て、
「<アステルジョーカー>、アンロック!」
右手に<ソウルスレイヤー>を召喚し、一閃。
斬ったケイトの姿が、陽炎のように揺らいで消えた。
「……!」
「残念。<バトルカード>・<ホロウドール>だ」
既にケイトは出入り口の境界を越えていた。<ホロウドール>は光学残像を生み出す光属性の<バトルカード>で、難易度は高いがいまみたいなエスケープをも実現させてしまう。回避技として使うカードの代表格である。
イチルはデッキのカードを一枚、光の矢に変換してすかさずつがえる。
逃げていくケイトの背中を目掛けて弓を引いて――急上昇する燕みたいな軌道を描いて、真下から大量のチャクラムがこちらの顔面を目掛けて飛んできた。
いつの間に――!?
「くそっ!」
ヒナタが<ソウルスレイヤー>をイチルの眼前に差し込み、チャクラムの怒涛を全て鎬で受け止める。ヒナタはすかさずイチルの横で剣を振り上げ、
「解き放て、<ソウルスレイヤー>!」
「当たれ!」
白い斬撃を発射。イチルも一瞬遅れて、<ストームブレード>を材料にして生成した風属性の矢を発射。二つの攻撃が入口を越え、サツキを抱えて逃げるケイトの背中を狙う。
直撃。二つの高威力技が炸裂し、鍾乳洞の空間で大爆発が巻き起こる。
「やったの?」
「……いや」
爆煙が晴れて視界が明瞭になる。さっきまでケイト達がいた場所には、もう誰の姿も見受けられなかった。人間二人が跡形もなく消し飛ぶ程の威力をぶつけた訳ではないので、消えたとしたら逃げられた以外には考えられない。
ヒナタは舌打ちしてから言った。
「最初からあの厄介な教師もここで眠ってもらう予定だったんだけど……まあいいか」
「そうだね。それよか、早く<方舟>に乗らないと」
「分かってる」
ヒナタはイチルから差し出された手を自然と握って歩き出す。思えば、彼とこうして歩く日を夢見た時期が昔の自分にはあったのだなと、唐突にイチルは妙な気分に浸っていた。
いまでは手に入らなかった全てが、過去に失われた全てが、いま自分の掌にはたしかに存在する。もしヒナタ達の目的が成就すれば、きっとミチルもヒナタも本当の意味で自分の元へと帰ってきてくれる。もうすぐ、心の奥底で一番に願っていた新たな未来が手に入るのだ。
だからもうこの時の彼女は、ナユタ達と過ごした日々の全てを忘れ去っていた。
●
目を覚ました場所は病院の一室だった。おそらく、セントラルで一番大きいとされる中央病院の個室だろう。
サツキは意識を取り戻してすぐ、上体だけを起き上がらせた。
「おお、サツキ、目を覚ましたか!」
「心配かけさせて、もうっ」
ベッドの傍らから、園田村正と園田樹里が強く抱きついてきた。起き抜けにされた事にいくらか戸惑った果てに、サツキの思考はようやくクリアになる。
「お父様……! ご無事だったのですか!?」
「ああ。お前の友達が釈放の手引きをしてくれた。八坂イチルって子だ」
「イチルさんが……?」
八坂イチルの名を聞いて、サツキは気を失う直前の出来事をすぐに思い出した。
いまでも、彼女が見せた寂しそうな面持ちだけは忘れられない。
「そうか……私は……イチルさんを……あの子を、止められなかった」
「話は担任のケイト先生から聞いた。大変な思いをさせてすまない」
村正が深々と頭を下げる。
「私がヘタを打って攫われなければ、サツキにこんな危険が及ぶ可能性なんて万に一つとして有り得なかった。他の子達だって……」
「他の?」
サツキが耳聡く村正の一言に反応する。
「他のって……そういえばナユタ君は? 修一君とユミさんはどうなったのですか? ケイト先生だって一緒に来ていたのに――」
「……先生以外の三人は行方不明だって」
樹里が目を伏せて答える。
「ケイト先生は地下空間で倒れていたあなたを回収して、一旦外に停めてあったジープまで戻ったの。そしたらお父さんがジープの荷台に乗ってて……先生が二人を回収したって報告を六会長官にしたら、「九条君達を置いてすぐに帰還しろ」って」
「そんな……」
つまり、元・西の戦争屋組は捨て駒にされたのである。たしかに基地内で危険人物が複数人徘徊していると予想された以上は正しい選択肢なのだろうが、あの三人を置き去りにしてまでセントラルまで逃げ帰った自分とは一体何だったのだろうか。
しかも残る心配はそれだけではない。サツキはある人物達の顔を咄嗟に思い出し、狼狽して両親に尋ねた。
「そうだ、タケシ君とナナさんは? あの二人はどうなったのですか?」
「……ナナちゃんは<アステルジョーカー>の反動でしばらく動けないかも。いま別の個室で点滴のお世話になりながら眠ってる。六会君も重傷を負ってベッドの上よ。さっき目を覚ましたらしいけど、動けるようになるまで時間が掛かるかも」
「……これじゃあまるで、最初から<アステルジョーカー>のオペレーターを狙い撃ちしているようではないですか」
タケシが死にかけたという話を聞いてからふと思った事を、サツキはそのまま口に出した。
「現にいまナユタ君とタケシ君達は機能不全も同然の状態ですわ。こうして一気に私達の戦力を削りにかかったという事は――」
「黒幕の目的は、他にある」
病室のベッドの上で全ての事情を聞いたタケシは、横のパイプ椅子に腰掛ける父親に推論を語り聞かせる。
「さっき親父の話を聞いてピンときた。わざわざ新作のカードだけじゃなく、サツキのお父さんも攫った理由は……ナユタをウェスト区へおびき寄せる事で、ウラヌス機関側の戦力をダウンさせ、俺とナナに大ダメージを与える為だ。西に土地勘がある<アステルジョーカー>の使い手はあいつだけだから、救出作業にはうってつけだろう。そんで基地の中で誰かがナユタを殺すなり重傷を負わせるなり……少なくとも戦闘不能の状態にでもしておけば、あとは敵の懐柔工作で味方に取り込んだイチルと一緒に、俺達が邪魔してたら到底不可能な目的を果たせるって訳だ」
「で、その目的とは?」
忠が手短に尋ねてくる。起き抜けの息子に手加減なしで現状を説明し、「お前はこの件をどう見る?」などと質問してきた分、あまり茶々を入れる気にはなれないといった様子だ。
タケシは息苦しくなりながらも答えた。
「……スカイアステルの、陥落」
「根拠は?」
「奴らは<輝操術>が使える……普通に考えたらナナと同じ<トランサー>一族の仲間って事だろう。なのにどうして龍牙島で一ノ瀬ヒナタはバリスタを差し向けて、ナナと敵対するような真似をしでかした? どう考えても<トランサー>と<新星人>って連中が敵対しているような構図にしか見えないんだよ」
「仮にその構図が本当だったとして、スカイアステルに敵勢力が来るのなら我々が叩き潰すまでの話だ。何か問題でも?」
「奴らの戦力は<生体アステルジョーカー>だけじゃない。もし雑兵共を片付けたとしても、あそこには<カオスアステルジョーカー>を持つ八坂ミチルと、<アステルジョーカー>を持つ一ノ瀬とイチルがいる」
「……たしかに、敵側に八坂ミチルがいるのは脅威だな」
忠がここでようやく考える仕草をする。
「だが、どうやってスカイアステルまで行くつもりだ?」
「問題はそこだよな……たしかケイト先生の証言だと、基地の建造ドッグがどうのこうのって……いっつ……! ええい、くそったれっ……」
変に喋ったせいで負傷した脇腹が痛みだした。そろそろ手術の為に打った麻酔も効力が切れかけているのだろう。
「くっそ……こんな怪我さえしてなけりゃ……!」
「もういい、ご苦労だった。大人しく寝ていろ」
忠は無表情のままに立ち上がり、揺るがない眼差しでタケシを見下ろした。
「私もお前の考えに賛成だ。敵の正体を改めて探る足がかりになった。感謝する」
「妄想の域は出ねぇぞ」
「その妄想とやらが正しければ全ての辻褄が合う。それに、息子が必死に考えて語る話を信じない親が何処にいる?」
忠は病室のドアの前まで歩み寄ると、最後に一旦立ち止まって振り返った。
「しかし驚いたよ。気絶してから三時間しか経っていないというのにな、随分と早起きなものだ。てっきり一日ずっと寝たきりかと思ったぞ」
「え……?」
「まあ、養生する事だ」
忠がここに来て珍しく、安堵したように表情を緩めた。




