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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーEX
14/46

アステルジョーカーEX #2「チャービル観察日記」


   チャービル観察日記



 この地球上で唯一人類の大規模な居住が可能な島国、<グランドアステル>のサウス区からおよそ十三キロ前後離れた先にある、亜熱帯の紺碧に取り囲まれた深緑の特許区域が、今回の俺こと九条ナユタの旅行先だった。

 <龍牙島>。誰かが真上から見下ろしたら龍の牙に見えた事に由来する名前の有人島だ。無人島でないのは、この小さな島に<星獣>の飼育・研究を行っている研究施設が存在するからだ。

「きゅいいいいーん!」

 透き通った水面下から、なだらかな流線型の生物が飛び上がり、水しぶきと共に綺麗なアーチを描いてダイナミックに着水。真っ白な太陽の光が、その生物の周囲で踊る水滴を宝石のように輝かせていた。

 俺はこの光景を、パラソルの下からサングラス越しに、白いチェアに背を預けながらのんびりと眺めていた。

「……平和だ。これが本当の平和なんだ」

「きゅい! きゅいきゅい!」

 いまこの美しき大海の神秘を総身に受けているのは、俺が使役しているインディビジュアル級のイルカ型<星獣>、チャービルだ。<ビーストサモンカード>というアイテムに住み着いており、普段はこちらが保有する次世代型汎用端末<アステルドライバー>と連動し、ナビゲーションアバターとして悠々自適に暮らしている。簡単な話、携帯端末を檻とするペットみたいなものである。

 俺は真横のテーブルに置かれたブルーハワイのジュースをストローで飲み、赤道直下の温暖な空気を久々に満喫しながら、つい何日か前にあった島の職員との電話によるやり取りを思い返した。


「おお、補修作業が終わったんですね」

『ええ。だからこの島はもう平常運転を再開してます。せっかくです、チャービルと一緒に今度の土日、ここに遊びに来てはみませんか?』

「いいんですか?」

『チャービルは元々この島の出身ですからねぇ。たまには遊びに行きたいと思うでしょう。それに九条君はあのテロリスト集団の主犯格を撃退して、この島の平和を護った大の恩人です。だから是非また足を運んでいただければと思いまして』

「じゃあ、今度の日曜日に日帰りで遊びに行っても?」

『全然大丈夫です。楽しみに待っております』


 ――とまあ、大体こんな感じで、俺は宿泊学習以来の龍牙島へと足を運ぶ事にしたのであーる。

 昨晩は色々酷い目にあったばかりなので、図らずとも傷心旅行となったのは怪我の功名とでも言うべきか。色ボケ中学生男子二人からそれぞれの女の面倒を任された挙句、何の労いも無くこちらの悪業だけを責められてリンチを受けて、ゴミ袋のコスプレをさせられて集積所に叩き込まれた俺の精神的ダメージは一晩寝ただけでは決して回復はしない。

 だから今日は、あのクソガキ共の面倒が及ばない範囲まで逃亡し、久しぶりにチャービルと一人と一匹っきりで穏やかな休日を送ってやるのだ。

「きゅい、きゅいきゅいきゅいいいいん!」

「HAHAHA、チャービル、そんなに叫んだら海の中でバテちゃうぞー」

「きゅいきゅいきゅきゅきゅぅ!」

 何だろう。さっきからチャービルの挙動がおかしい。

 俺はサングラスを額に退けて、目を凝らしてチャービルが泳いでいる一帯を見遣る。

 いつの間にかチャービルの横で、鮮やかなピンク色の体をしたイルカが一匹、楽しそうに彼の横で併走していた。

「何だ、あのイルカ?」

 とりあえず、ピンク色という時点で不審感たっぷりだろう。俺はテーブルの上に置いていた<アステルドライバー>を左腕に装着し、スキャニングモードでそのイルカの姿を読み取った。

 読み取り結果が表示される。あれはどうやら、チャービルと全く同じの、インディビジュアル級のイルカ型<星獣>らしい。しかも性別はメスだ。

「ほほぉ……チャービルにもついに春が来たか。……俺には来てないけど」

「もしかしたら春どころでは無いかもしれませんよ?」

 テーブルを挟んだ反対側のチェアに、裸の上半身にヨットパーカーを羽織った細身の男性が座り込んだ。彼が今回俺をここへ招いた龍牙島の総責任者、橋良伸行だ。

 彼は眠そうな目をしながら、どこか楽しそうに語る。

「インディビジュアル級はごく普通の生物だった頃より、生殖機能がどうやら発達しているらしくてですね。性欲もそれに伴って増大してるみたいだ。まあ、つい最近発表された学会の論文がそう言ってるってだけで、ウラヌス機関の正式な承認は数日後って話ですがね」

「えーっと……つまり?」

「認めたくはないでしょうが、いまのチャービルはあのピンク色のイルカと、いまにでも情交を迫る姿勢でいるらしい。ほら、ご覧なさい」

 橋良職員に倣って、俺もよりあの二匹に的を絞って目を凝らせる。

 いまは仲良く楽しそうに泳いではいるが、チャービルの方がやたら体を摺り寄せたり、普段よりもウィンクの回数が多かったりで――有り体に言って、徐々にアプローチが激しさを増していた。

「先生。あれ、止めた方がよくないですか? イルカ同士とはいえ、まさか俺達が見てる前で野外プレイなんてそんな……」

「全ては自然の摂理ですよ。私達が止めるのも野暮というものでしょう。ほら、よく言うでしょう。止められない、止まらない、男の本能♪ って」

「そんなかっ●エビせんみたいに!?」

 というか、よく言うでしょう? じゃねーよ。誰もそんな事言わねーよ。

「ええい、こうしちゃおれん! チャービルの貞操は俺が守る!」

「いや、ですから、これも全ては自然の……」

「奴は俺の相棒じゃ! あんな見た目だけチャラい女に、俺のプリティな相棒の純潔を穢させる訳にはいかん!」

 という訳で俺は砂浜を爆走し、海水を裂き、チャービルとピンク色のイルカの戯れに乱入する。案の定、触れ合いを裂かれて激昂したチャービルにボコボコにされて浜に打ち上げられたが、結果的にピンク色のイルカの方がとぼとぼとこの周辺から泳ぎ去り、結果的にチャービルの純潔は守られた。


   ●


「きゅいっ!」

「悪かった。本当にすまんと思ってる」

 <アステルドライバー>の上できゅいっとそっぽを向くSDモードのチャービルに、俺はただひたすら謝り倒していた。冷静に考え直してみれば、チャービルが例えあのピンク色のイルカと懇意になったとしても、それが決してチャービルとのお別れになる訳でもない。何なら、そのイルカごとチャービル同様に<ビーストサモンカード>に取り込めば済むだけの話だったのだ。<星獣>の研究機関であるこの島ならその程度の用意はすぐに可能だろう。

 チャービルが同じ種族のメスと交際=チャービルとのお別れというような考えに直結した時点で、完全にこれは俺自身の落ち度でしかない。

「俺もちょっと焦ってたんだ。そうだよな、人様の恋に俺が口を挟むなんておこがましい真似、するべきじゃなかったんだよな」

「きゅい、きゅい」

 チャービルが「そうだそうだ」と言わんばかりに首を縦に振る。腹に据えかねているだろうが、一応はこちらの言葉を聴く姿勢ではいるようだ。

「よし、いいだろう。お前の思うようにしなさい。何なら俺が新しい住居を用意してやろう。喜べ、今度の容れ物はスウィート仕様だ」

「きゅいきゅい。きゅきゅきゅーい」

 「よろしい。苦しゅうない」とでも言っているようだ。とにかくこれで仲直りである。

 すると、本当に丁度良いタイミングで、またあのピンク色のイルカがこの海へと舞い戻ってきた。どうやら俺が海から上がってほとぼりが冷めるタイミングを見計らっていたらしい。

 俺は通常の<ドライブキー>を<アステルドライバー>に差し込み、ドライバーを取り付けた左腕を天高く突き上げた。

「よっしゃ行って来い! <ビーストサモンカード>・<チャービル>、アンロック!」

「きゅい!」

 SDモードのチャービルが消え、ピンク色のイルカの前に原寸大のチャービルが登場する。チャービルはさっそくピンク色のイルカへのアプローチを開始し――

「しかし、面白い光景ですなー」

 のんびりとビールを煽っていた橋良職員がのほほんと感想を漏らした。

「私も何体かインディビジュアル級の生殖行為を観察してはいるのですが、<水棲星獣>に関してはあまりデータが取れていない。今日が仕事の日なら、喜び勇んで撮影機材と計測機器を持ち出しているでしょうなあ」

「生殖行為、ねぇ」

 <星獣>との闘争が激しいウェスト区出身のナユタをして、<星獣>同士の生殖行為に関してはあまり知識が無い。通常の生物の生殖行為と同じ、という話をいまは亡き父親から聞いた覚えはあるのだが、はっきり言ってそれだけだ。

 だからこそ、以前の宿泊学習で開かれた講義の知識が先に出てくる。

「<星獣>同士の交尾で生まれるのも<星獣>、でしたっけ」

「ええ。しかしその手の交配によって生まれた<星獣>は『純血種』と呼ばれておりまして。フィノメノン級の<星獣>に寄生されて生まれたのがインディビジュアル級なら、そのインディビジュアル級から生まれるのは、最初から生物でありながら<星獣>でもある、混血なようで純血な種族となります」

 フィノメノン級とは、普段俺達が相手するような、大気中のアステライトの歪みにより自然発生する害悪種である。何故か決まって人を襲ったり、場合によってはあまねく生物に寄生するなどといったはた迷惑な存在だ。かなり昔から言われている事だが、このフィノメノン級は『生物』というカデゴリーにはおらず、むしろ『災害』として認識されている。

 簡単に言うと、俺達は常日頃、台風や雷のような災害を相手に戦っているのだ。

「……そういえば、橋良さん」

「何でしょう?」

「あのピンク色のイルカ、名前って無いんでしょうかね」

「私も初めて見ますからねぇ。んー、そうだなー……」

 橋良職員が少し黙考して、ぱっと細い目を見開いた。

「リズロン」

「は?」

「あの子の色を見て思いつきました。ヒルガオの多年草から取った固有色名です。昼にはろうとみたいな形の花弁を開き、午後にはしぼんでしまう。カラーカードではDIC-F180、系統色名はあざやかな赤紫」

「ディックとか系統なんちゃらと言われましても……」

 さすがに彼の多彩な知識から出たマニアックな逸話には俺も苦笑する。

 俺は再び遊泳しているチャービルとリズロン(当人の承諾は得ていない)を見遣ると、いきなりジリリと大音量の警報が流れる。恒例の<星獣>出現のサインである。もうセントラルでは日常茶飯事過ぎて驚くには値しない音色だ。

「全く。せっかくの休暇だってのに。さて、何処から湧いて来るのかな?」

「周辺海域の海底に沈めておいた小型発信機からです。場所は……丁度チャービルとリズロンがいるあたりです」

 橋良職員がAデバイスのディスプレイを睨みながら、とんでもない事を平然と言ってのけた。

「何ですと?」

「出現まであと五秒です」

「なにっ……」

 俺はすぐに反応し、危険が及ぶ前にチャービルを元のカードへと帰還させようと<アステルドライバー>を構える。

 だが、すぐに思い直した。

 よしんばチャービルだけを戻して離脱させたとしよう。では、いきなり現れた野生の<星獣>であるリズロンはどうなる?

 この一瞬の迷いが仇となった。チャービル達の丁度目の前に、全長八メートル程の巨大なタコ型<星獣>が出現する。見た目は普通のタコだが、全長は言わずもがな、触手の太さはケヤキの丸太に匹敵するくらいには大きかった。

 あれに一発でも殴られてみろ? 普通なら大怪我じゃ済まないぞ?

「チャービル、リズロン、逃げろ!」

 とりあえず叫んでみる。チャービル達はどこか逃げ道が無いかと必死に視線を巡らすが、その間にタコの触手がチャービルとリズロンを纏めて横になぎ払ってしまった。

 イルカ二匹が真横に吹っ飛び、ダイナミックに着水する。

「チャービル!」

 あのタコ野郎、よくも俺の可愛いチャービルを……!

「あの野郎、ぶっ殺す! <アステルジョーカー>、アンロッ……」

 最強の殲滅兵器を召喚しようとする俺に、タコの太い触手が予想以上のスピードで迫ってくる。しかも数は三本だ。

 俺は一旦発動を停止し、触手をかわして大きく距離を取る。

「橋良先生、無事ですか?」

「何とか全部避けました。大丈夫です」

 タコ野郎は俺を狙っている間も、ちゃっかり別の触手で橋良先生にも攻撃を仕掛けていた。油断も隙も無い奴だ。

 橋良先生はやれやれと肩を竦め、手に持ったカードを真上に掲げた。

「今日の酒の肴はタコの刺身で決定ですな。<メインアームズカード>、アンロック」

 渋いジョークも交えて、橋良先生が<メインアームズカード>の力を開放。

 彼の手に握られたのは、碇――アンカーのような穂先を持った、柄が通常よりも太めの大きな槍だった。見るからに重そうで、少なくとも細身の人間が振るうのには無理がありそうな装備である。

「<シーボルト・アンカー>。久々に解除しましたが、やっぱり重いですね」

 橋良先生が槍の穂先をタコ野郎に向ける。

「<バトルカード>・<サンダーブレード>、アンロック」

 さりげなく手に持っていた<バトルカード>の力を開放。穂先のアンカーが稲妻帯びる。これを見た俺の心拍数が急に跳ね上がる。

「ちょっと待って先生! それだけはアカン! タコを通じて、海面のチャービル達に感電しちゃいますって!」

 チャービルはたったいまショック状態から立ち直り、気絶したリズロンの体を鼻先で揺すっている真っ最中だ。この状態で電撃を浴びたら、間違いなくリズロンもろともチャービルまで即死だろう。

 だが、橋良先生の面持ちは実に穏やかだった。

「全然問題ありませんよ」

 言ってから間断なく、アンカー型の穂先が飛ばされる。アンカーの尾と柄の穂先はアステライトの鎖で繋がっており、いつでも引き戻せるようになっているようだ。

 電撃のアンカーがタコのデカい頭を貫通。すぐに引き戻され、アンカーが柄の穂先に帰還する。

 チャービルとリズロンは無事だった。チャービルは相変わらず、必死にリズロンを揺り起こそうとしている真っ最中だった。

「……感電してない?」

「<シーボルト・アンカー>は穂先に帯電した電撃を硬化させて、雷属性を持ったまま鋼鉄の刃に変換する能力が備わってます。だから水と接しても通電はしませんが、<星獣>が水属性の場合は効果覿面という訳です」

「なるほど……」

 <星獣>にも<バトルカード>にも属性というものが存在し、そこには必ず相性の相関図というものも関わってくる。例えばいまみたいに、水属性の<星獣>には雷属性の攻撃が有効だとか。

 タコ型<星獣>は貫通された箇所を起点に真っ二つに割れ、重々しく海底へと沈んで――何故か元のサイズの二倍以上の大きさとなって蘇った。

「……あれ?」

「あれ? じゃないっすよ! 何なんすか、あのデカブツ!」

「いや、私にも何が何やら……」

 橋良先生が分からないというのなら、本当に分からない現象なのだろう。俺だって幾多もの<星獣>と戦ってきたが、あんな無茶な復活を果たすようなトンデモナイ連中とは未だに出会った事がない。

 タコが激昂したように触手を振り上げ、俺と橋良先生を叩き潰さんと攻撃してくる。俺達人間組は必死に攻撃を回避するが、あのサイズ感と攻撃力に圧倒され、どうにも反撃に転じ兼ねていた。

 くそったれ。タダでさえデカいのに、再生能力を備えてるとかチート過ぎるにも程がある。

「<アステルジョーカー>、アンロック!」

 ようやく隙が生まれたので、デッキ最強のカードを発動。一瞬にして全体的に青い戦闘服に身を包まれる。青いグローブと青いブーツ、紺色で少し生地が薄めのフライトジャケットっぽい上着を羽織り、左腕には通常通りの<アステルドライバー>が備え付けられている。

 <アステルジョーカー№4 イングラムトリガー>。俺の代名詞とも言える一枚だ。

「<モノ・トランス>=<バスター>!」

 デッキ内の<バトルカード>二枚をコストに、両手にメタリックブルーの自動拳銃が一丁ずつ握られる。

 照準をタコの頭に合わせ、立て続けに連射。青い弾丸の流星群がタコの体を一瞬にして蜂の巣に変える。

 だが、それでもまだ足りない。タコはどういう原理か、再び体を修復し、元通りの形に戻っていた。

「くそ、またか!」

 毒づいている間にも触手が縦横無尽に迫ってくる。俺は<バスター>の銃弾でこちらを攻撃してくる触手を破壊しながら、あの無尽蔵の再生能力をどうやって止めるべきかを考える。

 そもそも奴はどっから再生する為のエネルギーを持ってきた? 西区域ならともかく、南方面のこの島は大気中のアステライト濃度で言えばセントラルとドッコイだ。補給して一瞬で復活できる量を蓄えられる訳が無い。

 あるとしたら――

「海水か! 橋良先生、このタコ、海水からアステライトを補給してます!」

 何も<星獣>や<メインアームズカード>を構成するエネルギー物質――アステライトは大気中だけに散在している訳ではない。地球の核となる部分から噴出しただけあって、当然のように海水にも成分の一つとして含まれている。その上、大気中に含まれるアステライトより濃度は上で、実に倍以上は余裕で超えている。

 どうりで常に海に浸かってるタコ型<星獣>が無制限の再生を行える訳だ。

「らしいですね。ですが、それが分かったところで色々面白くないですよ。チャービル達が……」

 橋良に倣ってチャービル達を見る。どうやらこの段になってもリズロンは目を覚まさなかったらしく、チャービルが彼女を背負って島の端までのろのろと泳いでいる最中だった。

 しかしそうは問屋も卸さないだろう。タコが逃げるチャービルに気付き、触手をぬるりと伸ばしてきた。

「チャービル、避けろ!」

「きゅい!?」

 叫んだ時にはもう遅かった。チャービルとリズロンの体は再び横薙ぎに払われ、またも大胆に着水。二匹共生傷だらけで、チャービルに至っては意識はあるものの動くには難がある程に消耗しているらしく、はっきり言って生殺しの状態に近かった。

 俺達は自分の身を守りながら、あのタコの無限再生能力を攻略しなければならない。だが、チャービルとリズロンも助けなければならない。

 それを同時に行う術が、いまの俺の手には無い。

 ――いや。

「戦え!」

 俺は、叫んだ。

「起き上がって戦えこの野郎! うおあ!」

「きゅいっ!?」

「邪魔だこの刺身野郎っ」

 タコの触手をかわしながら、俺はひたすらチャービルに叫んだ。

「惚れた女の一人や二人くらい、てめえの手で戦って護ってみやがれ! それともお前は、ただ可愛らしいだけがウリのマスコットキャラなのか? そんな風に育てたつもりも、これから先もそんな風に育てるつもりも無い。だから――」

 叫ぶのに夢中で、前方から来た触手への反応が遅れてしまった。

 直撃。鍛えていなければ全身の骨が折れていたかもしれないような衝撃を受け、真後ろに吹っ飛んで砂浜の上に墜落する。

 くらくらする頭を振って、俺は痛みに打ち勝って起き上がる。

「ちょっとは根性見せやがれ! チャービル!」

「きゅい……」

 チャービルは戸惑うやら泣きそうやらで狼狽えたままだった――が、すぐに何かを思い直したらしい、その顔がすぐに引き締まった。

「きゅい!」

 鋭い鳴き声を上げた途端、チャービルの体が青白く発光する。

「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

 光は徐々に粒子化し、輝度を増してここら周辺にぶわっと広がる。すると、タコ野郎の動きが急に止まっただけでなく、横倒れになって気絶していたリズロンの傷までもが徐々に薄らいでいった。

 気づけば、俺自身に与えられた痛みまでもが和らいでいた。これは一体――

「これは……ヒーリングパルス?」

 橋良が聞き慣れない単語を驚愕混じりに口にした。

「ヒーリング……何ですと?」

「超音波にアステライトを乗せて周囲に散布する、エコーロケーションを応用したチャービルの得意技です。しかし、こんな規模と強さのヒーリングパルスは見た事がありません」

 <星獣>や<メインアームズカード>、<バトルカード>にも属性があるように、それを構成するアステライトという物質にも多種多様な属性が存在し、それに伴う固有の特性も備わっている。

 水のアステライトの特性は『癒し』と『鎮静』。チャービルが咆哮と共に撒き散らしているのは、まさに癒しの波動だった。

 チャービルは一旦ヒーリングパルスを止めると、潜水してタコ野郎の背後に回り込んで頭上の高さまで跳躍。縦に一回転し、綺麗な水色に輝く背びれから三日月状のエネルギー体を発射。

 直撃。タコ野郎の動きが時間停止の如く固まる。これであの複数本の触手はしばらく動かないだろう。

「九条君、タコの動きが止まりました!」

「よっしゃあ!」

 このチャンスを逃す俺ではない。俺は新たにドラゴンを模したような<ドライブキー>を取り出し、<アステルドライバー>に挿してある通常の<ドライブキー>と交換する。いま挿した<ドライブキー>はナナ・リカントロープの能力を封じ込めた代物だ。

『<フォームクロス>・<サモン>』

 電子音声のアナウンスと同時に、俺の姿が一変。全身が青いアンダースーツだけの姿となる。

「いくぞ。<ビーストランス>=<チャービル>!」

「きゅいいいいいいっ!」

 こちらの号令に従い、再び天高く飛び上がったチャービルが光の筋となって分裂し、俺の体に鎧となって装備される。

 イルカを模したヘルメットが頭に覆い被さり、両手両足にも新たにメタリックブルーのガントレット型とブーツ型の装甲が追加される。背中にはイルカ型のバックパックまで施され、俺の姿は完全に水中戦仕様へと変貌を遂げた。

 これが<フォームクロス>の一つ、<イングラムトリガー・サモンフォーム>だ。ナナが持つ<ビーストランス>という能力を、<ビーストサモンカード>の<星獣>のみを対象に発動させられるという規格外の能力を持っている。

「あのタコ野郎にはこれまでのツケを払ってもらう。目にもの見せてやろうぜ」

『きゅい!』

 耳元のスピーカーからチャービルが気合を込めて応じ、ヘルメットの前面を変形させ、完全に閉じてくれた。俺は両腰に収まっていた一振りずつの青い小太刀を鞘から払い、駆け出して海の中に飛び込む。

 水中で相手の背面に回り込む。さっきチャービルが打ち込んだ鎮静作用含有のエネルギー体の効力が切れたのか、再びタコの体全体が動き出そうとしていた。

「いくぜ、<蒼月>」

 俺が握る二本の小太刀――<蒼月>の変化形態の刃が、青白い光を噴射。

「<月火二連閃>!」

 右、左の順で刃を振り、青い斬撃を二発発射。タコ野郎の足の根元が一瞬にして全て切断される。ちなみにこの『飛ぶ斬撃』にも水属性の鎮静作用が含まれている為、いくら相手が回復能力を有していようと、もう斬られた端から体が再生するような異常事態は発生しない。

 足を全て失ったタコの体がバランスを崩して仰向けに横転する。

――次で最後だ!

「ブーストッ!」

 二本の<蒼月>と背中のイルカ型バックパックのブースターが火を噴き、俺の体を急上昇させ、水面を突き抜けて海から脱出。さっきのチャービル同様、倒れたタコ野郎の頭上へと舞い上がる。

 眼下の標的に狙いを定め、再び小太刀に青白い光を溜め込む。

「<月火二連斬>!」

 溜め込んだアステライトを開放。二本の小太刀から光の怒涛が吐き出され、一本がそれぞれビル三階分に相当する長さの刃となる。

 右の刃を真下に一閃。タコ野郎の胴体を裂く。

 止めに左の刃を一閃。デカいだけの頭を真っ二つに割る。

 鎮静の刃で急所を切断されたタコ野郎の体は、再生するより早くさらさらと光の飛沫となって輪郭が薄らぎ、やがて完全に消滅していった。

 俺は見晴らしが良くなった海面に着水し、頭だけを出してその場に止まった。

「……ふぅ」

 ため息と共に緊張を吐き出し、顔の前面を覆っていたヘルメットの装備を解除する。

「よくやったな、チャービル」

『きゅい、きゅいきゅいーん!』

 チャービルが可愛らしく歓喜を鳴き声で表現する。

 しかし、<ビーストランス>――本当の恐ろしい技だ。チャービル自身の高い戦闘能力と優れた特技もあったとはいえ、ナナはいつもこんな強大な力を扱っているのか。そういえばこの力を使ったナナは俺とエレナさんの二人を相手に大立ち回りを演じたどころか、あのバリスタでさえも一時は圧倒してみせたのだ。もしかしたら総合的な戦闘能力で言えば、実際ナナは俺より圧倒的に上なのかもしれない。

 この十三年間。過酷な環境下で積み上げられた俺の経験と実力を、たった一つの才能によって覆されたと思うと、やっぱりこの世は天才しか日の目を見ないのだろうかと卑屈になってしまう。

「でもまあ……」

 <ビーストランス>を解いた俺は、分裂早々にリズロンへと泳ぎ寄るチャービルの姿を見て、少しだけ穏やかな心境になる。

「いまを楽しく生きられたら、んなもんどうでも良いんだよな」

 才能も能力も経験も努力も貴賎も何もかも――いまの俺にはどうでも良い話だ。

 どうせ、起きた事しか起こらない世の中なのだから。


   ●


 透明とは全てに染まる可能性を秘めた色無き色だ。空の色が海の色であるのなら、現時刻は夕焼けの色が海の色だ。

 砂浜から数十メートル以上は離れた海から二匹のイルカが顔だけを出して向かい合っている。片やチャービル、片やリズロンだ。

 俺は二匹のイルカのやり取りを、ただ遠くの砂浜からのんびりと眺めていた。

「きゅいきゅい。きゅきゅきゅう」

 チャービルが何かを切なげな瞳で懇願している。ただ、リズロンはゆっくりと頭を横に振り、何かを断る姿勢を示した。

「きゅう……きゅうきゅいきゅきゅきゅぅ……」

 チャービルが残念そうな表情を浮かべる。リズロンは少し申し訳なさそうな態度をして、顔を水面下に引っ込めた。

 それっきり、彼女はこの海に姿を現さなかった。

 チャービルが光の粒子となり一旦消滅し、今度は<アステルドライバー>の上にSDモードで出現する。

 見るからにしょぼくれた様子のチャービルに、俺はただ淡々と尋ねる。

「話は終わったのか?」

「きゅい」

「そうか。まあ、そんなもんだろう」

 イルカ二匹がどんな会話を交わしていたのかなど、イルカ語が分からん俺には計り知れようも無い。ただ、一つだけ確実に言える事がある。

 今日のチャービルは輝いていた。戦う決意を固めてから、リズロンと別れるまでの全てにおいて、この可愛らしいイルカは男を見せていた。

 だからもう、俺からは何も意見はしない。

「そろそろ帰ろう。明日から俺はまた学校だ」

「きゅいっ」

 チャービルはいつも通りの元気な相棒に戻った。何かと辛いところはあるだろうが、これも経験と言えば経験だ。

「きゅい? きゅいきゅい、きゅーい」

「ん? 新着メール?」

 いきなり届いたメールは二通。一通はイチルから、二通目はサツキからだった。先にサツキのメールから開いてみる。

「……チャービル。俺、お前の気持ちが何となく分かるかもしれん」

 サツキが送ってきた添付画像には、彼女のおしゃれな姿が映し出されていた。本文は「これ似合いますか?」と質素なものだったが、写真の彼女は文面に反して可愛らしいものだった。恐らくイースト区のショッピングモールにでも行ってきたのだろう、見るからに高そうな秋冬用のワンピースと、赤縁のメガネをかけたサツキの自画撮り写真が、俺の心をがっちりと鷲掴みにしてくれた。

 可愛い……可愛いぞ、サツキ! いますぐパコりたい!

「きゅう、きゅい」

「あん? イチルの? どーせまたくっだらねぇメール……」

 半ば嘲笑気味でイチルのメールも開いてみる。サツキ同様に画像が添付されたメールだが、枚数は二、最初に俺が見た一枚は、なんと顔面どアップの三山エレナだった。

 ちなみに本文はこうだ。


『今日ね、サツキと一緒にイースト区のショッピングモール行ったら師匠とばったり出会ったよー! 「早くS級ライセンスバスターの昇格試験を受けに来い」だってさ!』


「……あの人は」

 まさか弟子のイチルを使ってまで俺をS級バスターに勧誘してくるとは。前々から何回も誘いを受けてはいるが、あまり気乗りしなかったが為に全て蹴ったのが裏目に出たか。

 ちなみに問題のエレナお姐様は、ビットマップ画像の中で想像を絶する変顔と共に中指を突き立てていた。これはもう「君の挑戦をいつでも待っている」とかではなく、「とっとと挑んで私にファックされるがいい」とでも言っているようだ。

 ちなみに二枚目の写真は、さっきのサツキ同様、イチル本人の自画撮りだった。またぞろ高そうなセーターとホットパンツ姿だ。これはこれで中々――

 いやちょっと待て。イチルとサツキ、どっちも可愛いじゃないか。いまにでもお持ち帰りしたい。

「いかん。俺、いかんぞ? どっちもペロペロしたい」

「きゅい……」

 突っ込み不在の中、チャービルが申し訳程度に呆れ気味な嘆息を漏らす。重ね重ね言うようだが、俺にはイルカ語など分からん。残念だったなチャービル、お前の突っ込みは俺には通じない!

 だが、いまの変態発言は決してただのボケではない。ぶっちゃけ、本音だ。

「よし、じゃあこうしよう。帰りの海上バスの中で、俺はどっちをペロペロするかを最後の最後まで悩み抜く。それで暇を潰そう、そうしよう」

「きゅきゅきゅいきゅい」

 「駄目だコイツは」、みたいな事を言ったのは分かった。

「さあ今度こそ帰るぞチャービル。遠くない未来のペロペロの為に!」

 チャービルの恋が終わり、俺の恋が始まるとは何たる皮肉だろう。

 でもまあ、始まりあるものには終わりがあるように、何かが終わったら何かが始まる事だってあるだろう。それも自然の摂理と受け入れて、俺達は夕暮れの海岸を後にした。

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