アステルジョーカーEX #1「ナユタの孤軍奮闘記」
ナユタの孤軍奮闘記。
とある金曜日の放課後――
「明日? 空いてるけど」
「だったら一つ頼みがある」
この俺、九条ナユタは、たったいま目の前で拝み手を掲げる無愛想な少年――六会タケシから、珍しく頼み事を告げられようとしていた。
タケシが俺に対してするお願い事は、大抵二つのケースに分けられる。
一つは彼の「特別なお仕事」に関わる事案。
もう一つは、この男のカノジョに関わる事案だ。
「学生たる俺の休日を丸潰しにしてまで、どうやら西の連中は俺の<アステルジョーカー>の力に頼りたいらしい。ついこないだスカイアステルで編成された医師団とウェスト区で現地合流する事になった。目的は<獣化因子>の寄生患者の大規模な治療、及び医師団の護衛だ」
どうやら今回は前者らしい。西区域は元・少年兵である俺の古巣。そこに纏わる事案なら他人事とは言い難い。
「俺にもついてきて欲しいってか? まあ、土地勘もそこでの戦い方も知ってるから、妥当な人選なんじゃねーの?」
「いいや、違う。ぜんっぜん違う」
重ね重ね全否定である。どうやら、今回は俺の助力は不要らしい。
「俺がお前に頼みたいのはな、俺が医師団の連中と楽しくもないハイキングを敢行している間、ナナの面倒を見てやって欲しいって事だ」
どうやら今回は後者らしい――いや、それどころか、前者と後者のケースが合体されたような第三のケースが生まれてしまったようだ。
「<星獣>関連の話なら、その手で一日の長があるナナを同伴させるのは当然の理だ。でもな、医師団のリーダーがこないだ電話で、『旅客機にカップルシートは無いぞ』だなんて吐かしてきやがった」
「つまり、ナナは学生寮に置いてけぼりな訳だ」
「そうだ。だがな、よく聞け。ナナは俺がいなきゃ寂しがってその場から動こうとしない。女の子が部屋で一人、ブルーなオーラを垂れ流しにして引き篭ってる姿を想像してみろ。可哀想だとは思わないか?」
「うん……まあ、そうね」
金の愛されゆるふわウェーブな長髪が特徴の、全体的に色相が明るめな女の子が、彼氏の不在でくすんだオーラを垂れ流しにする――たしかに可哀想だ。
少なくとも、誰か一人は彼女の相手をせねばならない。
「でも俺なんかでいいの? 悪いけど、俺平気で人の女に手を出せるよ?」
「大丈夫だ。その場合は後でお前を始末すれば問題は無い」
いや、普通に問題大アリだろ。
「それにナナはお前にも凄く懐いてる。二度にも渡ってあいつの命を救ったのはお前だからな。信頼はしてるさ」
どの口が言っているんだ? さっき俺を殺すと吐かしたばかりだろうが。
「ちなみにカトラス街行きのセスナ機が今夜七時にテレポーターに到着する。俺はフライトに備えて、着替えてすぐにこの学校を出なきゃならん。もうお喋りしてる時間は無い」
「え? 嘘でしょ? もう行っちゃうの?」
「これも仕事だ。じゃ、ナナを頼んだぜ」
タケシは逃げ出すようにこの教室から早足で歩き去った。いまから追って問いただそうと、もう取り合ってはくれないだろう。
教室に一人残された俺は、ぽかんとその場に立ち尽くす。
「……あいつ、マジで自分の女を俺に託しやがった」
齢十三歳の俺、九条ナユタは、人の女を預かるという極めて高度なミッションを、強制的に受諾せざるを得ない状況に陥ってしまった。
●
「頼む。ユミを預かってくれ」
「死ね☆」
断るとも言わず、これまた自分の女を押し付けようとした黒崎修一を蹴り飛ばし、掃除用具が入ったロッカーに叩き込んでやった。
タケシと入れ替わるようにして教室に入ってきたのは、かつて西区域で共闘したり敵対したりとややこしい関係を築いていたこの少年犯罪者だった。ベビーフェイスも手伝って全体的な外見が大人しそうに見える美少年で、前述の関係から紆余曲折を経て、いまは俺のクラスメートだ。
修一は体をギシギシ言わせながら起き上がる。
「お前……人の話も聞かずに何しやがる……!」
「豚箱か土のどっちかに帰れこの野郎。俺はいま虫の居所が悪い」
「お前の精神衛生上の事情なんて知らねぇよ!」
何だろう。タケシといいこいつといい、何故か俺を労ろうとする連中が極端に少なすぎる気がしないでもない。俺の味方をしてくれるのは、園田サツキかペットのチャービルぐらいしかいないのではなかろうか――あれ? これ俺どっかで言ったな。
「いいか、よく聞けこのスケコマシ。俺はついさっきクソ野郎の天然ジゴロからな、明日そいつの彼女の面倒を見てやってくれと頼まれたばかりなんだよ。よりにもよって人の女だぞ? 必要以上に仲良くできない、手も出せない。ワンナイトラブなんて嘘っぱちだって、当然のように思い知らされた俺の怒りが、年中手前のぺったんこと乳繰り合ってるお前なんぞに理解できるか? できないだろう」
「知らねぇよ! 何だ? その天然ジゴロって、もしかしてタケシ君の事か? ていうか、お前まさか本気でナナちゃんに手を出す気でいたのか!?」
「童貞捨てたいお年頃なんだよ。それにナナは俺の中じゃ、『一発ヤってみたい女ランキング』堂々の一位だからな!」
「堂々と宣言するな! ……ちなみに第二位は?」
「ユミとサツキで同率」
「聞かなきゃ良かった……」
まさか自分の女と一発ヤってみたいなんぞと吐かされるとは思わなかったのだろう、修一の目の色がどんよりとした何かに塗りつぶされていた。ざまぁみろってんだ。
「ユミはスレンダーで無駄が無い体つきしてるから、案外そそられるといいますか」
「どの道人の女か! お前の特殊な性癖なんぞどうでもいいから俺の話を聞けこのウスノロ!」
とうとう本格的に修一の額に青筋が浮かび始める。これ以上からかったら本格的に奴と殺し合いになりかねなかったので、俺も一旦は口を噤む事にした。
「……まあ、俺はウラヌス機関に用事があって、予定だと一日半以上は帰れそうに無いんだ。その間だけでいいから、ユミにかまってやって欲しいんだ」
「何でだよ。ナナはともかく、ユミだったら一人でも大丈夫っぽいと思うけど?」
「いや、本当はそれで問題は無いんだよ。ただな、ユミは俺がいないとダレるから。休日に一人にしておくと、色々と不健康な生活を始めかねない。想像してみろ? クールビューティーっぽい端正な外見をした女の子が、部屋で一人寝そべって、ポテチをかじりながら尻をかいてバラエティ番組を眺めて下品に笑ってる光景を」
「別に休日のプライベートぐらいでそんな……」
「俺はユミの相棒であると同時に親代わりなんだよ。そんなだらしない生活態度、心配しない方がどうかしてる」
修一とユミは元々が戦災孤児で、一時期身を寄せていた孤児院が<星獣>によって焼け討ちされた事がきっかけで、犯罪稼業で糊口を凌がねばならないような生活を送る羽目となったのだ。だから当時からしっかり者だった修一は、幼馴染のユミからすれば生死を共にする相棒でもあり、恋人でもあり、兄でもあり、親でもあるのだ。
なるほど、ただの恋人では成し得ない関係性だ。得心が行く話ではある。
だが、奴の要求を飲むか飲まないかは全くの別問題である。
「修一。俺はいま、ただでさえ取り扱いに細心の注意を要する代物を相手にせにゃあかんような状況に陥ってる。そんな俺にさらなる試練を与えるなんて、不義理にも程があるとは思わんのかね?」
「でも頼める相手がお前しかいないんだ。サツキちゃんは明日ノース区行っちゃうし、イチルちゃんは雑誌の撮影と取材がある」
俺の周囲の女は、彼氏持ち以外の連中は大体がバリバリのビジネスウーマンである。例えば俺と同い年の十三歳にして、八坂イチルは人気雑誌の読者モデル、園田サツキは<アステルカード>開発事業所属のテストプレイヤーだ。彼女らにとっては、土日の休日が仕事で食いつぶされるのも日常茶飯事なのだ。
「一つ借りって事にしといてくれ。それと、俺もすぐにスカイアステル行きのテレポーターまで急がなきゃならん。滞在先のホテルにも早晩チェックインしなきゃだし、いまだって無駄にお喋りしてる時間が惜しい」
「は?」
「という訳で、すまん!」
「ちょ……」
修一もさっきのタケシ同様、急いでこの場から走り去ってしまった。
またぞろ教室に一人残された俺は、真っ青な顔で棒立ちになった。
「…………」
この時、俺は世の中の理不尽を呪った。
これから自分が預かる事になるであろう、二人の美少女。彼女らは二人共彼氏持ちで、こちらからは下手に手が出せず、当然ながら乱交パーティーと洒落込む訳にもいかない。この世がどんな女ともまぐわえるような仕組みなら苦労なんてせずに済んだものを、どうやら雲の上におわす役立たずの腐れゴッドは、余程男という生物への嫌がらせを好むと見える。
故にこのミッションに必要とされるのは、十三歳・中学生男子の猛り狂う性欲を必死に押さえ込む強靭な精神力だ。しかも相手が二人である分、要する精神力の強さはざっとその二倍。
耐えられるのか? 己の中に疼く、酷く矮小にして強大な悪魔的衝動に。
「……っていうか」
そもそも、何で俺がこんな目に遭わなければならないのか。
「自分の女の面倒くらい、自分で見ろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
このミッション、ばっくれたら恐らくタケシと修一の両方からシバかれる。一人ずつが相手ならサボった上で返り討ちにしてやるところだが、二人が同時に襲いかかってくる事まで考えると先が思いやられる。修一は言わずもがな、タケシも最近はかなり戦いの腕を上げている。正直な話、いくら俺でもこの二人が手を組んだら勝てそうには無いと思っている。
どのみち、とんずらこいたらこちらに明後日は来ない。俺は仕方なく、あの色ボケ中学生男子二人のケツを拭いてやる役割を請け負う覚悟を決めた。
●
星の都学園中等部・女子寮。男子寮同様に一部屋二人の居室が設えられたマンションだ。平日はそれぞれの寮が異性立ち入り禁止となっているが、休日のみはその規律が唯一オミットされる一時だ。
今日は土曜日。だから俺は当然のように女の園へと踏み入れられる。とはいえ、白昼堂々と女子寮を何の邪気も無く闊歩する水色天然パーマの生徒は目立ってしまう訳で、覚悟はしていたが周囲の女子生徒からは白眼視の集中砲火を受けていた。
そうでなくても俺は中等部の生徒のほぼ全員から色物扱いされている。髪の色も然る事ながら、<星獣>との闘争が激しい西区域の戦場からひょっこり現れた元・少年兵である俺は、周辺からは危険人物の一人として見做されている。誰よりも人畜無害な俺からすれば失礼な話である。
やがてナナの部屋の前にやってくる。原則として一部屋二人のルームシェア制となってはいるが、色々あって――あえてつい二ヶ月ぐらい前にあった大規模なイジメ事件の内容は語るまい――この部屋はいまナナ一人だけの居室となっている。
「ナナー。いるかー?」
ノックして呼びかけてみるも、扉の向こうからは何の返事も無かった。
試しにドアノブに手をかけてみる。どうやら鍵は開いているようで、俺は首を傾げながらもとりあえず扉を押して開き、ゆっくりと中に立ち入った。
問題の人物は、ベッドの上で体育座りのまま固まっていた。
ナナ・リカントロープ。ふわふわの質感を持ったカナリアみたいな金髪はくせっ毛で四方に乱れており、その年にしては豊満とも言える体つきは何処かのグラビアアイドルを彷彿とさせる。女子中学生でこのクオリティは反則だろうと思わなくも無い。
だが、いまはそんなアイドル像が霞んで見える程、ナナは仄暗いオーラを部屋中に散布していた。輝く金髪がくすんで見えるし、時々見え隠れするアホ毛は不安定に左右に揺れている。人体の構造上、ただ固まっているだけでは不可能なアホ毛の挙動を、俺はしばらくのんびりと目で追った。
ややあって、ナナがこちらに気付き、首だけで振り返った。
「……ナユタ?」
「そうだ。皆大好きナユタ君だ」
とりあえず茶化して応じてみる。すると、ナナの表情が徐々に和らぎ――次の瞬間、ベッドの上から彼女の姿が消え、その頭が俺の下腹部にめり込んだ。
「ナユタだー!」
「ぐぼぇおヴぁああああ!?」
ナナにとっての感激の抱擁は、俺にとってはただの殺人タックルだった。ナナと俺は激突直後にもつれ合い、激しく床に倒れ込む。ナナは少しばかり気絶しかけた俺に対し、倒れてなおも万力並みの抱擁を続けた。
「タケシがいなくて寂しかったと思ったら、今度はナユタが遊びに来たー!」
「ナナちゃん? 俺死ぬよ? いい加減にしないと、俺本当に死ぬからね!」
もはやサブミッションと呼ばれてもおかしくないレベルの怪力である。ナナの身体能力は、戦場帰りの俺をして高い壁と思わせる程だ。もし自分と同い年の、身体能力がそれなりに高い連中をランキング形式にして並べるなら、一位ナナ 二位ユミ 三位俺&修一 五位イチル&サツキ 六位タケシ の順となるだろう。
ナナはようやく愛と殺意の抱擁を解き、それでも俺に全身を預けたままの状態で尋ねてきた。
「にしても、いきなりどうしたの? ナユタからここに来るなんて珍しいじゃん」
「ま……まあ、暇だしな。たまにはナナと遊ぼうかと思いまして」
というのは当然のように方便だ。自分の人の良さに抗えず、結局はタケシの頼みを聞いてこんな所まで来てしまった、などとはナナの目の前では口にできまいよ。
しかし、これは何だかとってもラッキーな状況な気がする。完全に俺を押し倒し、体を密着させてくるナナの無防備さは一種のご褒美とも受け取れる。
まず、胸である。中学生女子にしてはよく発達した、それでいて形の良い双丘が、俺の胸板に押し付けられているのだ。襟の隙間から見える谷間も眼福ものである。その上お互いの顔の距離も息が掛かる程に近く、おかげで彼女の少し湿った桜色の小さな唇が、あと少し身動ぎすれば触れ合うかもしれないという……うん、もうなんか、色々たまりませんなぁ!
いや、駄目だ俺! あかんぞ? 相手は人の女だ。欲情したら負けだ! 頑張れ俺! 負けるな俺の精神力、勃ち上がれ俺の愚息――違う! 勃ち上がるな、俺のマイ・サン!
「ナユタの頭もふもふだー」
「はっはっはー、もっと触るがいい!」
「君達は何をしているんだね」
いよいよ彼女の胸に顔を押し付けられて頭をモフられる段になって、予想外にも俺のクラスの担任であるケイト・ブローニングが、呆れ顔で出入り口に立っていた。細身の外人男性で、元・ライセンスバスターの実力者だ。
「九条君とリカントロープさんに頼み事をしようと思って、聞き伝手にここまで来たら、まさか本気で危険なレベルの不純異性交遊とは……」
「大丈夫です先生。まだキスも種付けもしてません」
「ならいいや」
え? いいの? もっと先生として突っ込むべき点はあったんじゃないの?
「ともかく。君達二人に話がある。大丈夫、いま見た事は忘れてあげよう」
先生は藁半紙のプリントを一枚、既にナナとの接触を断った俺に手渡した。そこに記された内容に、思わず間抜けな声を上げて反応してう。
「星ノ都学園怪奇事件? 何すか、これ」
「つい最近、夜中の中等部で起き始めた怪奇現象だ」
プリントの内容によるとこうだ。
いまから四日前の夜十字頃、中等部を巡回していた警備員の前に、まるで人魂のような紫色の火の球が出現したらしい。最初は生徒のイタズラを疑ったが、その周囲には全く人気が無く、次第に火の球の数も増えていった事から、新種の<星獣>が校内で発生したのではないかと推測されたらしい。とりあえず水属性の<バトルカード>による攻撃で火の球は消えたそうなのだが、翌日の夜に別の警備員が巡回していると、再び全く同じ場所で、同じような火の球が現れたとの事だ。
これがもう、最初のも含めて四日間連続で起きている。原因は勿論不明だ。
「全ての学部や等級を含めても、特別<星獣>に詳しい九条君とリカントロープさんだったら何か分かるんじゃないかと思ってね」
「そもそも<星獣>の仕業なんすかね、これ?」
「さあ? けど、確かめる方法ならある」
先生がやたら自信満々に腕を組んで言った。
「さっきも言った通り、君らは<星獣>に関しては専門家並みの知識量を有してる。そんな君らがこの現象を実際目の当たりにしたら、それが本当に<星獣>に仕業かどうかがすぐに分かる筈なんだ」
「話は分かりましたけど、だったらケイト先生がやりゃ良いじゃないですか。こいつは生徒の仕事じゃないっすよ」
「僕の場合は知識があっても経験は浅いんだ。君みたいに、生まれてからこの学校に来るまで日夜戦場暮らしだった訳でもなければ、リカントロープさんみたいに<星獣>を取り扱う家系に生まれた訳でもない。必要なのは経験と実力を兼ね備えたプロフェッショナルなのさ」
先生の発言を受け止め、俺は少し微妙な心境になった。
大の大人にプロフェッショナル扱いされるこそばゆさもあるが、何よりナナとユミの世話を焼かねばならん身からすると、これ以上の心労はどうあっても増やしたくないと思ってしまう訳で。
「うーん、この後ユミのところにも行かなきゃだし……あ、そうだ」
ここで俺は閃いた。どうせナナとユミの面倒を同時に見なければならないのなら、その二人を上手い具合にこの仕事に巻き込んでしまえば、面倒どころか心強い戦力になりうるのではないか? と。
物は考えようとはよく言ったものだ。これは案外使えるかもしれない。
「分かりました先生。全力で調査に当たらせて頂きます。あ、そうそう。念の為、中等部の校舎内だけ<星獣センサー>と<アステライトジャマー>だけはオフにしといてくださいね。警報鳴って騒ぎになられても面倒なので」
どうせ明日になるまで暇なのだ。今日の夜は精々楽しませてもらうとするさ。
●
「せっかくの休日なんだから、もうちっとだけダラけさせてくれも良いじゃんよー」
ぶーぶー文句を垂れる東洋人の少女は、もう一人の介護対象、ユミ・テレサである。腰まで届くさらさらの黒い髪と、イチル並みに小柄でスレンダーな体躯が特徴の美少女である。ナナの豊満な体も中々のものだが、ユミの愛くるしい小顔と無駄の無い美しい痩躯もこれまたそそるものがある。
俺、ナナ、ユミの三人はいま、夜色に染まりきった校舎の廊下を、懐中電灯の灯りを頼りにゆっくりと進んでいる。三人共揃って制服姿だが、時刻が時刻なだけにこれから授業に赴こうとしている訳ではない。
「ユミ。悪いがここは黙って用心はしてもらうぜ。お前だって専門家だろう?」
「あたし、全く関係無いじゃん」
「修一がお前の生活態度を心配してんだよ。さっきだって、部屋に行ったら床一面がお菓子だらけだったじゃねーか」
俺が招集をかける為にユミの部屋に出向いたら、修一の想像が現実になったような光景が展開されていた。本当に下着姿で床に寝そべって胡麻煎餅をかじりながらバラエティー番組を見て爆笑している彼女の姿を見咎めた時の、俺の途方もない呆れっぷりといったら、もう何と表現した方が良いのやら。
「大体、サツキと共同で使ってる部屋だろ? よく怒られないな、お前」
「そりゃ、サツキがいる時はやらないよ。それにあの子が帰ってくる前には掃除だってしてるし? あんたなんかに文句言われたかありません」
「はいはい。にしても――」
話しているうちに事件現場に辿り着き、早速俺達はビンゴを引いた。
「あれが例の火の球か」
「人魂じゃないの?」
「いや、鬼火でしょ」
三人の認識はそれぞれバラバラだったが、余程頭がハイになっていない限りは、それでも視認した姿だけは共通しているだろう。
大体三つくらいの層を持つ紫ベースの、まるで炎のように揺れる球のような物体が四体、俺達の目線の先で気持ちよさそうに漂っているのだ。
「お前ら、本来の目的は覚えてるな?」
「あれが<星獣>の仕業かどうかを探るんでしょ?」
「んー、見たところ<星獣>っぽい感じはしないなぁ」
ナナが目を凝らし、早速火の球の正体を看破した。
「どっちかというと、<バトルカード>とか<星獣>の攻撃だよね。でもただ漂ってるだけなら無害っぽいよね」
「人魂型の<星獣>って線は?」
「それも無いかなぁ。たしかケイト先生、巡回の人が水属性のカードで消したけど、次の日には全く同じ形の火の球が出現したって言ってた。自然発生する<星獣>がそう何度も同じ時間、同じ形で生まれるのっておかしくない?」
「たしかに……センサーにだって引っかからなかった奴だしな」
さすがはナナ、<星獣>関連のお家柄に育っただけはある。少なくとも、いまこの場にいる面子の中では最強の生き字引とも言える存在だろう。
「とりあえず一体だけでも消してみるか」
「水属性のカードは持ってるの?」
「そもそも水属性しか通じないなんて報告は受けてない。物は試しだ。<メインアームズカード>・<蒼月>、アンロック!」
<アステルドライバー>による音声入力発動機能により、俺の右手には青い意匠の大太刀が握られる。こいつが俺のA級<メインアームズカード>・<蒼月>だ。
俺はとりあえず正体不明のエネルギー体の近くまで歩み寄り、一体だけ真っ二つにしてみる。だが、火の球はどういう訳か、一旦上下に別れてから再接合し、元の形に戻ってしまったのだ。
「なるへそ。物理攻撃は通じないし、手応えも無いってか。じゃあ、次な」
俺は念の為、一旦後退して距離を取り、<アステルドライバー>の画面に向けて呼びかけた。
「チャービル、お前の出番だぞ? ……おーい、チャービル? チャービルさーん?」
本来だったら俺のドライバーでくつろいでいる筈のイルカ型<星獣>は、何故か今回に限ってはいくら呼びかけてもうんともすんとも言わなかった。もしかして寝ているのだろうかと思ったが――
「チャービル? おーい、寝ているなら起きてくれー。お前の出番だぞー」
何度呼びかけても結果は同じだった。念の為、ドライバーとペアリングしているデッキケースの中身を確認するが、同じくドライバーと紐付けられている筈の<ビーストサモンカード・チャービル>はちゃんと忘れずに入っている。
俺は仕方なくホログラムパネルを展開し、手動操作で強制的にチャービルをSDモードでこの空間上に出現させた。
現れた小型のイルカ――チャービルの姿に、俺は自分の目を疑った。
「……おい」
「きゅいいい……」
切なそうに弱々しく鳴くチャービルは、まさに霊媒師っぽい格好をして怯えていた。首には御札を繋げた首輪を巻いており、お祓い棒を手ビレに持ってガタガタと震えるその姿に、ナナとユミまで意外そうに目を瞠った。
「もしかして、チャービルって暗いところが苦手なのかな」
「いやむしろ、お化けが苦手ってところじゃない?」
このユミの指摘は案外正解かもしれない。
「チャービル。お前の力が必要なんだ。頼む」
「きゅいっ」
鳴き声と共に、今度はチャービルの目の前に仏壇のホログラムが出現した。
「……」
「きゅい、きゅいきゅい!」
「一つ言っておこう。仏壇に魔除けの効果は無い」
「きゅい」
ならば、みたいな調子で、次はイルカ型の御神体を出現させ、体を激しく動かして謎の儀式を開始するチャービルなのであった。
「……分かりました。もういいです」
観念した俺はチャービルのホログラムを引っ込ませる。駄目だ。今日のこいつは一度も役に立ちそうにない。
俺は言い訳がましくぼやいた。
「チャービルがいればさ、出来ると思ったんだよ」
「「何を?」」
「ナナと<ビーストランス>して、<バトルカード>を消費せずに水属性の攻撃を、あの火の球に当てられるんじゃないかって」
ナナには<星獣>を鎧として装備できる特殊な能力が備わっている。ナナがチャービルを装備すれば、いまもなおただ浮いているだけの火の球に何らかのアプローチができるのではないかと踏んでいたのだが、チャービルがあの様子では計画そのものがおじゃんである。
……ふぁっく!
「……終わった事を悔やんでも仕方ない。次の作戦だ」
俺は早くも思考を切り替え、既に携えていた<蒼月>を振りかぶった。
「一応こんな事もあろうかと、水属性のカードは三枚くらい持ってきてんだよ。<バトルカード>・<アクアブレード>、アンロック!」
刀を振り、高圧水流を利用した水属性の飛ぶ斬撃を発射。火の球を一体だけ真っ二つにして、消滅させる。
どうやら警備員の話は本当らしく、水属性の攻撃は有効のようだ。
「うーん、やっぱこれ、<星獣>が何かの技を使ってるとしか思えないなあ」
ユミが悩ましげに唸る。
「どうせあっちからは襲ってこないみたいだし、だったら発生源を見つけるのが手っ取り早いかな」
「居場所の見当は?」
「少なくともこの周辺にはいるよね。だって同じ場所に出現してるんでしょ?」
「だったら手分けして探す手間も無いな」
ユミの意見から、俺達三人は火の球の周辺をしらみつぶしに探索してみる。近くの教室から消化ホースの格納庫まで隈なく調べるが、発生源と思われるような姿は認められなかった。
三人は探し疲れて、ぐったりとその場で尻餅をついた。
「見つからねー」
ユミが気だるそうに呟いた。
「<星獣>ってんなら分かる筈なんだよなー」
「大体、校舎の中で火の球が出現してるってんなら、何で警報が一回も鳴らないんだ? <星獣>の仕業ならすぐに鳴る筈だろうに」
「もしかして、本当の怪奇現象なんじゃないの?」
ナナも既に精神的に疲れてきているのか、適当な結論でこの件を終わらせたがっているような態度を取る。たしかに、いまの俺も大体そんな気分だ。
もう帰ろう。<星獣>の仕業でないと断定できたなら、もうそれで充分だろう――俺がそう口走ろうとした瞬間、そいつは現れた。
事もあろうに、俺のケツの下から。
「息苦しいんじゃボケナス! 男のケツに敷かれて喜ぶ奴があるか、ちくしょうめが! とっとと離れろ、この鳥の巣ヘッド!」
「……あん? っと、お、おおおおお!?」
突如として俺のケツが持ち上がったかと思えば、今度は真上に跳ね飛ばされ、天井と俺の頭がごっつんこ。
「ごべっ!」
超痛い。
「ナユタ!?」
「ああー、超痛かったし、苦しかったし、何より気持ち悪かったー」
声の主は俺達三人の視界に陽炎を見せると、いきなり実体となって出現した。
狐のお面を被り、紫色の着流しを纏った色白の人型。何より目を引くのが、腰から伸びた九本の大きな尻尾だった。
さっきまでただ宙に浮いているだけだった火の球も彼の周囲に集い始める。これで、火の球の正体が目の前の狐野郎によって起こされた現象だと発覚した。
「何だ、コイツ!?」
「まさか、<インディビジュアル級>の妖怪型<星獣>?」
ナナが口にした<インディビジュアル級>というのは、実際の生物に何らかの<星獣>が寄生し、完全に寄生側と被寄生側が定着化した種類の特殊な<星獣>である。大気中から自然発生する<星獣>と違い、知能や感情、場合によっては言語を保有する個体も多数確認されている。チャービルも実はこれに該当する為、さっきのような豊かな感情表現も行えるのだ。
しかし、ウェスト区には腐る程いた連中が、何でこのセントラル区の――しかも<星獣>対策に特殊な細工を施された校内にいるのか、皆目検討もつかない。
とりあえず三人揃って起き上がり、狐野郎に警戒の眼差しを向ける。
「おいてめぇ、一体何モンだ?」
「あ? うるせぇよ、この鳥の巣ヘッド。答える義務なんてあっかよ。臭ぇ尻で敷き潰してくれやがったクソ野郎が、一体何様のつもりだ? ええ?」
「こ・の・や・ろ・う……!」
口火を切っておいてなんだが、この狐野郎、すっげー殺してぇ。
「大体、何で床の下に潜んでたの?」
「ふふーん、よく聞いてくれましたー」
ナナの質問に狐野郎が態度を一変させ、気前良く答える。
「そりゃもちろん、女子のスカートを覗く為だ!」
「「は?」」
ナナとユミが同時に眉をひそめ、額に青い筋を浮かべる。狐野郎はそんな女子二人の態度にも構わず、酒に酔ったかのように気持ち良く喋り始める。
「ウェスト区は酷いもんだったさ。日夜アステライトのレーザーをぶっ放しまくるような連中が、きたねぇ雄叫びを上げながら俺の同胞を無惨にぶっ殺して……そんな色気の無い世界を嫌って、新しい世界を見つけるべくセントラルに密入国し――そして、ようやく花園を見つけたのさ! 若い娘達がひらっひらのスカートを腰につけて校内を歩き回るその様は……ああ、なんて眼福ものなのだろう。特に女子中学生のパンツなんて最高さ。大学部の連中は全員私服でスカート率が少なく、高等部の女子ときたら態度が下品で、初等部はちょっとストライクゾーンから外れ気味……まあ、そんな事はどうでもいい。とにかく、この時俺は新しい世界に目覚めた! 俺は『透過』の能力を持っててな。透明になって床下に潜んだらそりゃもう……あれ? 可愛い子ちゃん、どうしたのかな? さっきから凄い怖いんだけど?」
ぺらぺら喋っている間に、どうやらナナとユミの凄絶な殺気の発露をようやく知覚したらしい。狐野郎が怖気づいて二歩三歩と後ずさる。
「あの……まあ、いいじゃん? <星獣>なんだし?」
「女子中学生のパンツが好みだぁあ? 何言ってんの、このド変態<星獣>が」
「そのまま西区域で野垂れ死ねば良かったのに」
ユミがヤクザばりのガンを飛ばし、ナナが仄暗い目で<アステルジョーカー>を抜き出す。ユミはともかく、ナナがここでカードの力を開放して暴れれば、きっとこの校舎も五秒と経たずにスクラップだろう。俺達や狐野郎もろとも。
片や、黙って狐野郎の話を聞いていた俺は、しばらく黙考してから再び口を開いた。
「オイ、狐野郎」
「あ? んだよ、鳥の巣ヘッド」
「……中等部の女の子って、大体何色のパンツはいてた?」
「「質問するな、このドアホ!」」
ナナとユミに同時にシバかれた。それぞれの高い身体能力から繰り出される顔面ハイキックの、何と痛い事か。
狐野郎が俺の哀れな姿を見て、ゲラゲラ笑い始めた。
「ぎゃははははは! 蹴られてやんの、こいつー! ちなみに白とか水色が大半だったぜー!」
「「お前も答えるな!」」
今度は狐野郎もシバかれた。馬鹿め。人の不幸を笑った罰だ。
「……あとはピンクとか、中には黒のレースもあったっけなー」
「マジで? 今度写メ送れよ。お前が透過して潜んでる床下に、とっておきの美少女を二人連れてくるからさ」
「お前とは気が合いそうだぜ」
「「死ね! 将来の為にイッペン死んどけ!」」
今度は俺がユミに、狐野郎がナナにリンチされる。
「ユミ。いまさらお前の蹴りなんて痛くも痒くもないぜ」
「あ、ちょ、駄目。新たな性癖に目覚めそうっ」
ふっ……変態の凄まじい耐久力と生命力をナメるなよ? 可愛い女の子に足蹴にされるというのは、我々の業界ではむしろご褒美です!
などと愉悦に浸っていた俺と狐野郎へのリンチを止め、ナナとユミが息を切らして互いに目配せする。
「ユミちゃん。ナユタへのお仕置きは後にして、まずこの狐から消しとこうか」
「賛成。<星獣>退治なんて全国民にとっちゃ日常茶飯事だし」
二人が本格的にそれぞれの<アステルカード>を構えたのを見て、狐野郎が本格的な恐怖を感じて血相を変える。
「ちょ、嘘でしょ?」
「悪いけど、火の球ごと消えてもらうから。<アステルジョーカー>、アンロック!」
「<風鼬>!」
女子二人がカードの力を開放する。ユミの手には銀色のブーメランが握られ、ナナの周囲ではドラゴンの頭、両手、両足、両翼をモチーフとした飛行ユニットが舞い、尻尾を模した大剣がその手に携えられた。
あの飛行ユニットと尻尾の大剣こそが、ナナの局地対応型特殊装備、<アステルジョーカーNo.6 ドラグーンクロス>だ。
「ちょっと待って! <アステルジョーカー>を使う奴がいるなんて聞いてない!」
「問答無用! いっけぇ!」
先にナナがドラゴンの両手を模した飛行ユニットを飛ばし、狐野郎に強襲させる。
「ええい、こうなったらやるっきゃねぇ!」
狐野郎が意気込んだかと思えば、すぐにその姿が揺らいで消えた。あれが野郎の代表的な能力、つまりは透過である。
竜の爪が空を貫く。ナナは舌打ちし、周辺に視線を巡らせた。
「あいつ、どこへ?」
「ナユタ、後ろ!」
ユミが目ざとく、俺の背後に出現した狐野郎を発見する。俺は思わずぎょっとして振り返り、怯えた態度の狐野郎を一喝する。
「来るなこの野郎! 俺を盾にしようたって無駄だからな!」
「いや、だって、あいつら本気で俺を始末する気なんだぞ!」
「当然だ。お前は<星獣>だからな」
「パンツの写メを見たくはないのか!」
「うーん……うおっ!」
考え込む俺の背後から、再びナナの爪型飛行ユニットが飛んできた。本気で俺ごと奴をぶち抜かん程の勢いだったので、とりあえず俺も狐野郎も身をかがめて回避する。
「ナユタ、そこ邪魔! どいて!」
「ふざけるな! 攻撃する前に警告しろってんだ!」
ナナの奴、ついでに俺まで殺す気なんじゃねーの?
とか冷や汗をかいている俺を尻目に、狐野郎がほとんど泣きそうなわめき声を上げる。
「ちくしょう! 俺にはまだ、来年の夏にプールの女子更衣室を覗くという大きな夢があるってのに!」
「何ぃ!? そいつは是非俺もおこぼれを預かりたいものですなぁ!」
「だろ? 写真売れば結構な稼ぎになると思わね?」
「よし、だったら俺がその写真を商う店の経営者になってやる! 大学の進路は経済学部に決定だ、やったね!」
「俺達これで億万長者だーい!」
俺と狐野郎が将来の夢について語り合っている間にも、ナナの飛行ユニットとユミのブーメランが忙しく飛び交いまくっていた。素人のナナとよく動きを知悉しているユミの攻撃を回避するのは朝飯前だが、さすがに時間にも女子二人の堪忍袋にも限度がある。そろそろどうにかこの状況を落ち着けないと、ナナが<ドラグーンクロス>の最終形態を発動させて、学校ごと俺と狐野郎を粉微塵に変えてしまいかねない。
俺は振り返り、凶器を間断なく飛ばし続ける女子二人に呼びかける。
「ナナ、ユミ、二人共落ち着け。こいつは俺達に害意は無いし、火の球だって単純に体の一部だったってだけの話だ。原因が分かっただけでも大殊勲だ。さあ、今日はもう遅いし引き返そう」
「たったいま己のしでかした犯罪を自白しましたけど!?」
「ついでに言えば来年の夏に向けて犯行予告したよねぇ!」
駄目だ。こいつらに説得は通用しない。何て狭量な連中なんだ!
「でも凶器を振り回してるだけじゃ解決しない事だってあるんだぞ? だからお願い、二人共カードの発動を解いてくれ!」
「そーだそーだ! このままだとこの鳥の巣ヘッドごと俺地獄に落ちるから!」
俺達二人の必死から出た言い分がやっと心に届いたのか、ナナとユミがそれぞれの飛び道具を一旦手元に引き戻してくれた。何だ、話せば分かるじゃないか。
「ふぅ……ようやく分かってくれたか」
「ナユタ。一ついいかな?」
ユミが藪から棒に、何かの質問を吹っかけようとしてきた。何か嫌な予感がする。
「……何だね?」
「もしナユタがそこの狐野郎と手を組むんなら、こっちだって考えがあるから」
「ほほぉ? 悪いがお前程度の小さい頭からひり出た猿知恵なんて俺には……」
「サツキにバラす」
「え?」
あれー? ユミちゃんはいま、何とおっしゃりやがったのですかねぇ?
「……ごめん。もう一回いいかな?」
「サツキってさ。ナユタの中じゃ、数少ない心の味方だよね。そんな子にこんな醜態を知られたら、きっとえらく失望するだろうなぁ。ナユタが女の敵に成り下がったら、もう明日会う時には目も合わせてくれないよ、きっと」
「それだけは本当にやめてくれ! サツキにだけは嫌われたくない!」
「ついでだからイチルにもバラす」
「あ、それはどうでもいいや」
何故か女子二人から飛び蹴りを喰らった。理由が分からない。
「イチルに失礼だろうが、このもじゃもじゃが」
「イチルちゃんが可哀想だー!」
ユミとナナが罵倒の波状攻撃をぶつけてくる。
ちなみにこれは余談だが、俺の反応も当然と言えば当然だ。サツキは本当にあらゆる面で俺の味方をしてくれる数少ない人材なのであまりかっこ悪い場面は見せたくないが、イチルにはもう何かと酷い馬鹿を見せてしまっている。大体、イチルは既にバカなヒロイン、略してバカインの称号を得ているので、もうこっちが気を使うような相手ではなくなっているのだ。おかげさんで奴には言いたい放題のやりたい放題なので気楽なもんだ。
閑話休題。さすがにサツキにこの醜態がバレるのは色んな意味で危険極まりない。
「……すまん、狐野郎。俺はお前とは手を組めない」
「な……何だと!」
狐野郎があからさまに動揺する。
「ついさっき、将来の夢について語り合った仲じゃないか!」
「それでも俺には護りたいものがあるんだ!」
主に俺の尊厳を。
「だから悪いが、お前にはここで死んでもらう!」
「この裏切り者ぉぉぉぉぉぉぉ!」
俺は血を吐く思いで再びユミとナナの側へと立ち戻った。これで三対一。しかもうち二人は<アステルジョーカー>のオペレーター。奴にもう逃げ場は無い。
ついに絶体絶命の狐型<星獣>は一旦たじろぐと、もうこれが最後と言わんばかりに腹を括った。
「なら仕方ねぇ。だったら、お前ら全員消し飛ばしてやるぁあ!」
狐の九本の尾が全て前面に回り込み、穂先に紫色の火炎弾が生成される。ユミはブーメランを構え、前傾姿勢で駆け出す準備をする。
「バカじゃないの? さっきの火の球だって、触っても全然熱くなかったじゃん」
「よせ、ユミ!」
「一撃で仕留める!」
俺の警告が洒落か冗談に聞こえたのか、ユミがまさに猪突猛進を絵に書いたような突撃を敢行する。
「喰らえ!」
狐野郎が炎の球体を発射。合計九個の火炎弾が、狭い廊下の幅を全て埋め尽くし、こちらを覆い尽くさんと迫ってくる。
ユミが火炎に飲み込まれる。もしあの火炎弾が、さっきただ浮遊しているだけだった火の球と全くの同じ性質なら恐るるに足らないのだが――
「わ、何これ! あたしの服が!」
不思議な事に、炎はユミを飲み込むと、彼女の衣服だけを燃やし始めたのだ。みるみるうちにユミが纏う制服の布面積が狭くなっていき――
気づいたら彼女は素っ裸になって、廊下に大の字になって倒れていた。
「……え?」
ユミは何が起こったのかが理解できない様子で目をぱちくりさせる。その間にも、俺と狐野郎の目線は、彼女のネイキッドな肉体美に釘付けになっていた。
すらりと華奢なように見えて、鍛え抜かれた太腿はしっかりと引き締まっており、小ぶりな胸も非常に形が良く、少しだけ暗めの肌色がより鮮明に彼女の全体像を効果的に表現していた。
ああ、修一よ。お前はいつもこんな凄い体の女と乳繰り合ってたのか。羨ましい奴め。今度会った時にこっそりハメ撮りの写真を送ってもらいたいものだ。
「……っていうか、いまの炎は?」
本当ならユミの素敵な裸体をしばらく眺めていたいが、いまはそうも言ってられない。ナナが制服のブレザーを呆然とするユミの体にかけて彼女を下がらせている間にも、俺はいま狐野郎がやってのけた奇妙な芸当について思考を巡らせていた。
「服だけ燃やした……? どうやって……?」
「こいつが俺の透過能力よ」
狐野郎が自慢げに言った。
「俺が持つ透過能力は攻撃にも作用する。いまのは服以外の全てを透過して、あの東洋人の可愛い子ちゃんをマッパにしてやったのさ! はーっはっはー!」
「そんな事が……」
ここでようやく、俺も奴が有する透過能力の脅威を理解した。
奴が放った技がただの火炎放射なら、ユミは服どころか全身が丸焼けだ。けれど野郎は彼女の体全てを巻き込んだのにも関わらず、衣服だけを選択して燃やし尽くしたのだ。
この場合、逆もまた然りだ。
もし奴が本気を出せば、衣服だけを残してユミの存在を消滅させる芸当だって可能だったのかもしれないのだ。
「こいつ、本気でヤバい! 逃げるぞ!」
「逃がすかこの野郎!」
狐野郎が第二射を放たんと、再び尻尾の穂先に炎を再装填しようとする。もし俺の考えが本当なら、奴の攻撃は回避はできても防御は不可能だ。もしここでシールド系のカードを使っても、シールドそのものに干渉しないのだから元も子も無い。
どうすれば――
「そうだっ……<バトルカード>・<ラスタースモッグ>、アンロック!」
これはイチかバチかだ。俺は<バトルカード>の力で光学スモッグを<蒼月>から大量に散布し、全体の視界を真っ白にしてやった。
これで姿は互いに見えなくなった。
「何だこれ、目くらましか! くっそ、眩しい!」
「よし、効いてる……二人共、ずらかるぞ」
視界が封じられた中、俺は勘だけでナナとユミの位置を捉え、二人の手を引いてこの場から全力疾走で撤退する。遮二無二走り、やがて俺達は全学部の校舎に取り囲まれた中庭に出る。
ここならもし奴に追いつかれても、場所が開けているので攻撃の回避は簡単になる。問題は、どうやってあの危険な<星獣>を迎撃するかだ。
俺は完全にショック状態で戦闘不能となったユミに目を向ける。
「ユミ、大丈夫か?」
「平気……だけど」
裸のユミは自分の体を固く狭めて震えていた。後になって彼女もようやく相手の危険性を理解したらしく、見るからに恐怖しているようだった。
しかし前々から思っていたのだが、修一が傍におらんと、こいつは半人前もいいところである。もう少しは奴の冷静さを見習ってもらいたいものだ。
「ナナはユミを頼む。こっから先は俺一人でやる」
「策はあるの? 攻撃を一発でも貰ったらおしまいだよ?」
「分かってる。だから既に手は打った」
「どんな?」
「まあ、見てろ。奴は俺の布石を踏んだ。この勝負は俺の勝ちだ」
このデカい口もハッタリではない。既に俺は対狐野郎専用の対抗策を完成させていたのだから。
やがて光学スモッグを抜けてきたのか、ゆらりと上空から狐野郎が降下してきた。頭から落ちてきたところを見ると、どうやらすぐにでも俺達三人を仕留める気でいるらしい。
「死ねやぁああ!」
狐野郎が右の手のひらに巨大な紫色の火炎弾を生成する。少なくとも、この中庭全てを巻き込みかねない程の規模だ。
さて、それでは始めましょうかね。
「<バトルカード>・<ラスタードローン>、アンロック」
俺は鋒に光が点った<蒼月>を頭上で一閃。すると、斬撃の軌跡から激しい光が溢れ出し、この空間全てを真っ白な世界に塗り替える。
狐野郎がまたも狼狽する。
「ちくしょう、またか!」
「どうした? 真下にそのデカいヤツを撃てばカタがつくぜ?」
「うるせぇ!」
などと相手は怒鳴るが、一向に攻撃がやってくる気配が無い。
なるほど。こちらの読みは当たってるらしい。
「オラオラ、まだ行くぞ。<バトルカード>・<フラッシュボム>、アンロック!」
今度はこちらの手元にいくつかの黄色い光球を生み出し、真上に投げつけて爆発させる。光球が炸裂し、これでもかと言わんばかりの閃光と、激しい騒音が撒き散らされる。
「ぐああああああっ……! やめろ、やめろぉぉおおおおおお!」
「はっはっは、聞こえませんなぁ」
やはりあの狐には光属性のカードは有効なようである。というより、これまでの一連の行為はあの狐の特性を逆利用した攻撃だ。
あの野郎はあらゆる物体をすり抜け、センサーの類にも検知されないようなチート並みの能力を有している。だからこちらからの物理攻撃は全く通じないし、もっと言うならこちらの防御に干渉しないからあちらの攻撃は防ぎようがない。
だが、あくまでそれは物理的に考えた場合のみだ。
奴が透過できるのは触覚に関わる現象だけで、いまみたいに視覚や聴覚に直接作用する現象だけは防ぎ切れない。さっき俺が逃げる際に光学スモッグを張ったのは、ただの目くらましや時間稼ぎの為だけではない。俺が持ちうる中で一番通用しそうな類の技を、とりあえず相手に当ててみて様子を窺っていたのだ。
俺のデッキは<アステルジョーカー>や<蒼月>がやたら目立って、他のバトルカードなどに関してはあまり他人には知られていない。だから今回がセントラルに来て初めての披露となるが、俺のデッキは基本的に<ラスター>や<フラッシュ>と名のついた、相手の妨害や攪乱を目的とした光属性カード主体のテクニカル構成なのだ。
光の戦士などと言えば正義の味方っぽくて格好がつくような感じではあるが、実際はこうして相手をイジメにイジメ抜くド外道デッキである。これをタケシに見せた時、「友達無くすタイプのデッキだな」という酷評を頂いたのは記憶に新しい。
「目が……目がああああああ……!」
「そろそろフィナーレだ。いくぜ」
閃光と爆音で悶え苦しみ、狐野郎の声が徐々に弱々しくなっていくのを察し、俺は<アステルドライバー>に挿入していた通常の<ドライブキー>を、頭に魔法陣のような絵柄が刻まれた<ドライブキー>に差し換えた。
「<アステルジョーカー>、アンロック!」
『<フォームクロス・ウィザード>』
青い光に包まれた後、俺の姿は全体的に青い色相の魔法使い風へと変身する。俺の<アステルジョーカー№4 イングラムトリガー>が、タケシの力が封じ込められた<ドライブキー>によってフォームチェンジした姿だ。
左手には青と銀の装飾が施された大太刀、右手には全体的に真っ赤な小太刀が握られている。俺は左手の大太刀の鋒を頭上に差し向けて唱える。
「<円陣>・<縛陣>!」
鋒に青い魔法陣が発生し、頭上に真っ直ぐ浮上する。その頃には閃光と爆音が止み、さっきまで上空にいた狐野郎は魔法陣そのものに体をがっちり拘束されて地べたに墜落していた。
俺はもがく狐野郎のもとまで歩み寄り、右手の真っ赤な刃の鋒を突きつけた。
「透過能力を使ってもその魔法陣からは抜け出せない。これで終わりだ」
「くっ……俺もここで終わりか……」
「いーや、お前を殺すつもりは毛頭無い」
俺は狐野郎から魔法陣の拘束具を外す。これで奴の体は自由で、俺らに対して再反撃も出来る訳だが――どうやら何回挑んでも無駄だと悟ったらしい、狐野郎は倒れた状態のまま動こうとはしなかった。
「確認だ。この学校で人を殺した事は?」
「ある訳ねぇだろ。西区域でも殺人なんてやらかした事が無いってのに」
「人殺しは嫌いか?」
「だって、殺したら殺されるじゃねぇか!」
単純ながらも、少し哲学めいた事を言う狐野郎だった。
「本当は俺だって、ちょっとでも楽しく生きたいんだよ! でも西で<星獣>なんてモンになっちまったら、いつどんな人間に殺されるか分からねえじゃねえか!」
「それは一理ある」
元々俺だって西生まれの西育ちだ。親父に死ぬまでおんぶに抱っこだったとはいえ、その程度のルールはセントラル民の誰よりも理解しているつもりだ。
だが、こいつが誰にも危害を加えていないとはいえ、<星獣>が幽霊のように潜んでいると学校の連中にバレたら、それはそれで非常に不都合だろう。俺達にとっても、この狐野郎にとってもだ。
いっそ落とし所として、校舎の敷地から逃亡の手引きでもしてやるか? いや、校内ならともかく、校門のセンサーだけは四六時中オンのままだ。いくらこいつが透過能力を使ったとしても、光の類までは透過できないのならすぐに探知されてしまう。
んー、どうしたものだろうか。
「……あ、そうだ」
俺はふと思い立ち、デッキケースから<ビーストサモンカード>を取り出し、そこに描かれたイルカの絵柄をまじまじと見つめた。
「? ナユタ、どったの?」
「……ああ、なるほど」
ユミが訳も分からず小首を傾げるが、ナナは何かを理解したらしい、声まで深くして頷いた。
「オイ、狐野郎。お前もしかしたら、これからは堂々と平和に暮らせるかもよ?」
●
「うーん……これはもう、何と言えば良いのやら」
あれからすぐ、時計が午前の十二時を指した頃。高等部の職員室で友人の深夜残業を手伝っていたケイト先生の元に、俺達三人は即興で作成した報告書を提出した。
先生はこれまでの疲労もあってか、どこか力の無い声で感想を漏らす。
「そりゃまあ、たしかに四六時中床下に潜んでいたんじゃセンサーにも引っかからない訳だ。本当に至極稀なケースだよ、これは。で、その狐型<星獣>はどうなったんだい?」
「いまはこの中でーす」
ユミが機嫌よく返事して(現在は指定のジャージ姿)、紫色のカードを先生の前に差し出した。
カードには禍々しさが全面に押し出されたような、まさしく妖怪九尾としての絵柄がプリントされていた。これがあの狐野郎の<ビーストサモンカード>である。
「元々は<エスピミア>が入ってた<ブランクカード>を、<ビーストサモンカード>として使えるようにデチューンしておいて正解だったぜ」
「つーワケで、このカードはあたしが管理する事になりましたー」
ユミがさっとカードを引っ込め、胸元に抱き寄せた。が、俺はまだそのカードの所有権がユミにあるだなんて、当然の如く何の迷いも無く納得はしていない。
「お前にそのカードは使いこなせない。俺に寄越せ」
「だってナユタに渡したらどうせ邪な事に使うんでしょ? 大丈夫。何か大変な事になった時だけ、この狐さんの力は使わせてもらうから」
「…………」
仕留めたの、俺なのに。ついでに言えば、お前なんてマッパにされて敗北したじゃん。何この不公平感。俺の労力分だけ金払えこのクソビッチが。
「……まあ、いいや。もう」
何にせよ、日付変更線を超えた時点で俺はお役御免だ。夜中のゴーストバスターも、タケシと修一から押し付けられたお守りからも。
それに明日は俺だって、遠い南の島まで日帰りで遊びに行く予定がある。これ以上明日の為に必要な睡眠時間を減らしても、はっきり言って一文の得にもなりはしない。
「じゃあ、俺達はもう帰りますから。二人共、早く行くぞ」
「「はーい」」
ナナとユミは元気よく返事して、俺の背を追って歩き出す。やがて高等部の校舎を出て寮までの家路につくと、途中で同じく寮に戻るところだったタケシと修一に出くわした。
二人の姿を見つけるや、ナナとユミが嬉々として、それぞれの男へと駆け出した。
「タケシー!」
「修ちゃーん!」
何だか、親に駆け寄って抱きつく五歳児みたいだ。美少女二人の面倒を押し付けられ、嫌々どうにかこなした直後にこんな幸せそうな光景を見せつけられると、嫉妬の炎を俺の<アステルジョーカー>に乗せて、この学校ごとこいつらを灰に変えたい気持ちで一杯になる。
しかも俺には何の見返りも無い。おかしいだろ、これは。
「そういえばね、修ちゃん。ナユタってば酷いんだよ? あたしが<星獣>の攻撃で素っ裸にされた時、ものっそい嬉しそうにしてたんだよ?」
「あ?」
「え?」
ユミがあっさり俺の所業をバラしたところで、その場の空気が一気に氷点下まで凍りつく。
「そうそう、タケシー。今度ナユタのもじゃもじゃ頭触ってみー? 抱きついてモフモフした時ね、すっごい柔らかくて気持ち良かったのー。あれ何の素材なんだろうね」
「……抱きついた? もふもふ?」
「ちょ」
絶対零度という単位が存在するならば、それこそ俺の肝を冷やす気温そのものだっただろう。
タケシと修一は一旦自分の女をその場においといて、表面上だけはにこやかに俺へと迫ってくる。
「おいコラ、ナユタてめぇコノヤロー。ユミの裸見たのか? じろじろ見たのか? 見て喜んだのか? ええオイ、答えてみろやこの毛玉野郎」
「ナナに抱きつかれた感想はどうだった? あいつのおっぱい気持ち良かったか? まさか欲情しただなんて吐かさないよな?」
表情だけは爽やかなのに、どうして声色に物騒な響きが込められているのでしょう。このままだと俺、本当に殺されてしまうではあーりませんかー。
ていうか、修一が怒るのは俺の過失かもしれんが、タケシの場合は単なる嫉妬じゃん。自分以外の男に抱きついたからって理由で人を恨むか、普通? しかもアレは俺にとっちゃただの不可抗力な訳でして――
「いまは言い訳を念仏代わりに唱えるがいい。あと五秒やる。神への祈りを済ませろ」
「いや、だからねタケシ君。君の場合は単なる逆恨み――」
「ナユタよ。もう五秒経過だ。長い付き合いだったけど残念だよ」
「待ってくれ修一君。もうちょっと話し合いを」
「「問答無用!」」
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
俺はこの時、固く心に誓った。
もう人の女とは遊ばない、と。
●
「……何やってんの?」
「ゴミ袋のコスプレ」
「きゅい」
仕事帰りにSDモードのチャービルによってゴミ集積場に呼び出された八坂イチルが目にしたのは、黒いゴミ袋に可燃ゴミと共に詰め込まれ、閉じ口から頭だけがはみ出した俺の哀れな姿だった。
このあまりにも哀愁漂う奇怪な状況に、さしものイチルすら一分間は閉口した。
ナユタの孤軍奮闘記・完




