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アステルジョーカーシリーズ  作者: 夏村 傘
アステルジョーカーVOL.2 ~ナナ編~
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第八話「ドラグーンバトル」


   第八話「ドラグーンバトル」



 黒い爪の一打が、光の剣を盾にしたイチルの小柄な体を、元いた観戦スペースの広場に吹っ飛ばす。イチルはもみきりする体を制御して、どうにか地上に着地。茂みから飛び出した黒いハーピィを再び見据える。

 イチルが<ギミックバスター>をガンナーモードに戻し、光の弾丸を連射。ヒメカラスはその全てを、残像の残る速さで回避する。

「当たらない……!」

「終わりよーん……あら?」

 ヒメカラスの喜々とした表情が突然曇る。

「修一君、ユミちゃん? あなた達、何してるのーん?」

「見ての通り、捕まってます」

 広場の端の方で、修一とユミが腕を組んだケイトに見張られて正座している。という事は、どうにかタケシ達があの二人を無力化してくれたらしい。

 ややあって、今度はヒメカラスの体が、突然地上へと叩きつけられた。

「きゃっ……何!?」

「<円陣>・<吸陣>」

 見ると、ヒメカラスが密着している地上には、青く光る魔法陣が浮き上がっていた。タケシの<アステルジョーカー>が発動した<円陣>である。

「黒いお姉さん、一本釣りだ」

 タケシがむっつりとした顔で言った。

「これでお前ら三人はおしまいだ」

「私達はナナさんの救援に向かわせていただきますわ」

「だったらもう遅いようだがな」

 邪魔者が全て片付いたと思った矢先、修一がどんよりとした目を背後の空へと向けた。

 イチルも彼の目線に倣って、餌場のある方角を見てみる。

「あれは……」

 目を移した方角では、轟音と共に黄色い光の柱が天を貫く光景が見られた。やがて光は収束し、辺りがまた静かになる。

 タケシが呆然として呟いた。

「何の冗談だ、あれは?」

「なおさら急ぐ必要がありそうですわね」

 サツキが我先とこの広場から出ようと駆け出した、その時だった。

「どこへ行くんだい?」

 穏やかで、敵意すら感じない声がした途端、サツキの体が前のめりに倒れる。

「園田さ……」

 うつ伏せに倒れるサツキのもとへと向かおうとしたケイトも、突然同じように倒れる。

 同時に、イチルの目の前に、白い髪をした少年が出現した。

「やあ、久しぶりだね。イチル」

「……え?」

 少年の姿を見た途端、イチルは言葉を失った。

 風に靡く純白の髪と白いマント、優しげな面影。

 あたしはこの少年を、知っている。

「ひ……なた……?」

「やっぱり覚えてくれていたか。嬉しいよ」

 少年――一ノ瀬ヒナタが、満足そうに微笑んだ。

「どうして……ここに……?」

「積もる話もあるだろうけれど、先に済まさなきゃいけない用事がある」

 彼はイチルから離れ、ゆっくりと地面に磔となっているヒメカラスに向かって歩き出す。

 反対に、ヒメカラスは何故か恐慌して激しく身動ぎする。

「ヒナタ君……? どうして貴方がここに?」

「君達の戦いはずっと見てたよ。相手が西の猛者でもあるまいに、時間を掛けた挙句まさか三人揃ってとっ捕まるとはね」

「これには訳が……」

「言い訳は聞きたくない」

 きっぱり告げた直後、ヒメカラスの体が中心線に沿って縦に割れる。

 別れた右半身と左半身が、磁石が反発したように真横に飛んで地を転がった。

「……さて、今度は修一君とユミちゃんの番だ」

 半身の下に広がる血溜まりを見ようともせず、何事も無かったかのように振り返り、ヒナタは一枚のカードをおもむろに見せつけた。

「<アステルジョーカー>、アンロック」

 解除コードを唱えると、彼の右手に、真っ白な刀が握られた。

 柄や鍔などは日本刀のそれだったが、刀身は太く、先端の上部が丸く削られた形状となっている。まるで相手を斬るというよりは、ただヘンテコな芸術品としての意味合いが強そうなデザインである。

 ヒナタが刀を振り上げると、修一とユミも泡を喰って立ち上がる。

「ちょっと待てヒナタ、話し合おう。会話は大事だよ?」

「短気は損気だよ? ね? 本当にやめよう?」

「この程度の相手に負けた君達に、傭兵としての価値は無い」

 平然と言ってのけるヒナタが、ゆったりと歩み寄る。

 その折り、タケシが修一とユミの前に立ち塞がった。

「……何の真似かな?」

「こいつら二人にはまだ生かしとく理由がある」

 タケシは人が悪そうに言った。

「お前も<アステルジョーカー>の使い手らしいな」

「だったら何だい?」

「めんどくさそうだから、さっさと帰れ!」

 叫び、タケシが青い左手から複数の<陣>を発射。<陣>は一瞬でヒナタを取り囲むように配置される。

 次に、赤い右手からも複数の<陣>を飛ばし、配置した<陣>と重ね合わせる。

「……ほう?」

「余裕ぶっこいてんじゃねぇぞ! <円陣>・<破陣>!」

 周囲のいくつかの<陣>が発光し、一つの<陣>につき無数の光の筋が飛び出し、四方八方からヒナタへと襲いかかる。

 ヒナタは小さくステップを踏み続ける事で破滅の光を回避。タケシの目の前まで一瞬で踊りかかる。

「かかったな!」

「っ……」

 見ると、ヒナタの足元から緑色の蔦が伸び、彼の右足をがっちり縛りつけている。

「<円陣>・<衝陣>!」

 タケシは赤い右手に<陣>を乗せ、拳を振りかぶる。

 だがヒナタは身動きを封じられたにも関わらず、動揺もせずに残った左足の膝でタケシを蹴っ飛ばした。

 思ったよりも威力が強かったのか、タケシの体が二メートル程吹っ飛んだ。しかしタケシはどうにか転びもせず両足で着地し、きつい一撃を貰った腹を片腕で抱える。

「ぐっ……!」

「君を殺したくない。あまり邪魔をしないでほしいな」

 苦しむタケシを呆れ顔で眺めて、ヒナタはうんざりとしたように言った。

 だが、対するタケシはにやりと笑い、

「同じ<アステルジョーカー>の使い手だろう? だったら殺す気で来いや」

「イチルの友達を殺す気は無い」

「ああ、そうかい!」

 タケシが右手を振ると、さっき蒔いた中で残っていた<陣>が全てヒナタの少し離れた背後で集まり、一つの大きな<陣>へと変貌を遂げた。

「<円陣>・<吸陣>!」

「……!」

 強大な<陣>に、ヒナタの体が力強く引き寄せられる。このまま<陣>に磔にして、安全に彼を無力化する算段らしい。

 だが、そんな事をさせてくれる程、ヒナタも甘くは無かった。

「<ソウルスレイヤー>」

 宙に浮いた体を翻して一閃。至近距離までに迫っていた<陣>を一撃で切り裂き、消失させる。

 ヒナタは何事も無かったかのように再び身を翻し、ふわりと地に足をつけた。

「<アステルジョーカー№3 ソウルスレイヤー>。アステライトを斬れば斬る程、斬撃の物理攻撃力を上昇させる刀さ。これでアステライトそのもので攻撃する君の力は封じられた」

「俺が何かすればする程、逆効果って訳かい。なら……」

 タケシが何かを言いかけると、ヒナタの横から、回転する銀色の物体が飛来してきた。ヒナタはハエを払うように剣を振り、銀色の物体を軽々と弾いた。

 ヒナタが打ち上げた物体は、浅いVの字型のブーメランだった。

 まもなくして、勢いを殺されて宙に浮いたブーメランを掴み取り、ユミが彼の上から降下してきた。

「ふんっ!」

 ユミがブーメランを一閃。しかし、ヒナタが剣を一閃してブーメランを粉々に破砕。

 続いて、返す刀がユミの腹を捉える。

「……!」

 今度はヒナタが目を剥く番だった。いましがた振った剣がユミの両掌によって挟まれ、がっちりと脇に抱えられていたのだから。

「修ちゃん!」

 ユミが合図を送ると、ヒナタの背後から修一が踊りかかり、大太刀を一閃。兜割りである。

 だがヒナタは後ろを見もせず、空いた片腕を自分の肩ごしに回し、修一の刃を人差し指、中指、親指の三本で受け止めてしまった。

「何っ……」

 修一が驚愕する最中、ヒナタが強引に剣と腕を振り、修一とユミを遠くへと投げ飛ばす。あの小柄な体のどこにそんな力が、と驚く余裕も無い。

 ヒナタは一息つくと、冷めた目でタケシを見やった。

「なるほど、さっきまで敵だった連中まで攻撃の手数に加えるか」

「お褒めに預かり光栄だね」

「だが、所詮この程度か」

 上げて落とすような発言をして、ヒナタが肩を竦めた。

「これでは精々『腕利き』止まりさ。『西の猛者』と呼ばれた連中には絶対勝てない」

「んな奴らを相手にする気は一切ないね」

「じゃあ、僕を最後にすればいいさ」

 ヒナタの右足が、ぐっと地面に押し付けられる。この後すぐにでも、彼の攻撃が再び始まる。

「これで終わりにしよう」

「終わるのは……てめぇだ!」

「……!?」

 ヒナタが勘づいて後ろに振り向くと、彼の背後の足元に、紫色の<陣>が形成されていた。

「<円陣>・<転陣>!」

 タケシが指を鳴らすと同時に、<陣>の中心から修一が飛び出してきた。いきなり現れた修一は、いままさに剣を振りざしているところだった。

 さすがのヒナタもこれには血相を変え、振り返って剣を一閃させた。

 修一の剣がヒナタの右肩に突き立てられ、ヒナタの剣は修一の腹部を切り裂いた。

「この……っ」

「く――」

 ヒナタが初めて忌々しげな顔を見せた直後、その姿が掻き消えて、再びイチルの手前に出現する。

 彼は刺された肩を押さえながら呼吸を乱す。

「君達……本当にさっきまで敵同士だったんだよね?」

「利害が一致したんだよ」

 裂かれた腹部を押さえながら、修一が汗まみれの顔で必死の笑みを浮かべた。

「さっさとおウチに帰る事をおすすめするぜ。傷の治療が最優先だろう、お互いによ」

「必要無い」

 ヒナタがきっぱり言うや、信じられない事に、患部を抑える片手から緑色の淡い光を発し、傷口を徐々に塞いでしまった。

 これは<輝操術>・<基本四術>の一つ、<回>である。

「さて……続きをしようか」

 ヒナタが治った肩をぐるぐる回すのを見て、タケシも修一も青い顔をして身構える。

「修一君よ、こいつは本当に人間か?」

「知らねーよ。考えたくもない」

「俺よかあの化物の事、知ってるんじゃねーの? 弱点とか無いのかって」

「だとしてどうする? この状況が好転……おや?」

 修一が言いかけて、目を丸くした。

 続いて、ヒナタもぴたりと動きを止め、背後にいたイチルを見遣る。

「……何のつもりだい?」

「もう……やめて」

 イチルが<ギミックバスター>の銃口を、ヒナタの後頭部へと向けた。

 これまでは混乱もあって黙って見ているだけだったが、もう我慢の限界である。

「何で? どうしてなの? ヒナタはこんな事をする人じゃなかった!」

「いまと昔は違うのさ。一年あれば人は変わる」

「答えになってない! 西の戦争屋だかなんだか知らないけど、何であんな奴らを送ってきたの? どうしてナナちゃんとナユタは帰ってこないの? 何でヒナタはこんな所にいて、どうしてこんな事してるんだよ!」

「…………」

「黙らないで! 答えてよ!」

 <ギミックバスター>の銃把を握る手に、更に力が入ってしまう。

 少しして、ヒナタは目を伏せながら答えた。

「全ては君の為なんだ。辛い事もあるだろうけど、いまは我慢して欲しい」

「あたしの為? バカ言わないで! 何が目的なんだよ!」

「いまは言えない」

 発砲。ヒナタの頬に光弾が掠める。

「今度は当てる。さっさと白状して」

「……仕方ない」

 静かに呟くと、ヒナタが身を翻し、こちらへと真っ直ぐ飛びかかってきた。

「嘘だろオイ……!」

「イチル!」

 彼がイチルに危害を加えるのを予想出来なかったらしい――タケシと修一も慌ててヒナタを止めようと駆け出した。

 イチルは少し驚きつつも、剣を盾にして――

「<バトルカード>・<セイバーガトリング>、アンロック!」

 上空から降り注いだ赤い光弾の雨が、イチルとヒナタの中間を遮って地表に突き刺さった。

「この<バトルカード>は……」

「誰だ?」

 ヒナタが急停止し、三歩飛んで後退する。

 ややあって、穴だらけとなった地面の上に、見覚えのある二つの人影が降り立った。

 二人共、赤いラインが入った黒いロングコートを着用しており、一人はラッパの先みたいに広い両の袖口から赤い光の刃を伸ばした女で、もう一人は腕に小型の黒い盾を装備した偉丈夫だった。

 イチルは彼らを――特に女の方を見て、裏返った声で叫んだ。

「師匠!?」

「むずがゆいから、エレナと呼びなさいと何回も言ってるだろう」

 三山エレナが照れくさそうに言ったのを尻目に、共に現れた男が周囲をぐるりと見渡し、最終的にイチルと目を合わせる。

「おお、イチル。久しぶりじゃーないかー」

「ハンスさん、貴方まで!?」

「橋良っていうここの職員さんから通報を受けてな。相手が相手なんで、俺達が警察の代わりに出張ってきたのさ。といっても、俺はエレナのお目付役として来ただけだがな」

 三十代後半の偉丈夫、もといハンス・レディーバグが、情けない事を平然と言ってのける。

 そんなやり取りを見て、修一がぴくぴくと眉を動かした。

「おいおい、あの二人ってまさか……」

「ライセンスバスターの、三山エレナとハンス・レディーバグ……!」

 ユミが二人の名前を、恐ろしげな顔で口にする。

「やばいよ修ちゃん、この二人に捕まったらおしまいだよ……!」

「ああ。いまのうちにどさくさに紛れて……」

「君達の面倒はハンスに見てもらうとしよう」

「「早速バレた!?」」

 エレナに言われるや、ハンスが二人の首根っこをがっちり掴んで持ち上げる。これでもうあのクライマーカップルに逃げ場はない。

 ハンスは飄々と言った。

「エレナ、どーするー? お前一人で、その白いガキ相手にすっかー?」

「当たり前だ。手出し無用!」

 元気に言ってから、エレナはようやくヒナタへと体を向けた。

「初めまして、一ノ瀬ヒナタ君。私の自己紹介は要らないな?」

「最強のライセンスバスターですからね、ミス三山は。貴女とは色々語り合いたいものですが、しかし僕には何よりも優先して済ませなければならない用件がある」

「他を当たるがいいさ。ウチの弟子に手出ししようとした罰を喰らってからな!」

 エレナが喜々として駆け出し、ヒナタも面倒そうにしながらも、とりあえずといった調子で駆け出した。

 正面きっての斬り合いは、開始早々エレナが優勢だった。

 重さゼロ、伸縮自在の<メインアームズカード>・<エアリアル・レイ>の双剣が乱舞し、早速ヒナタを防戦一方に追い込んでみせたのだから。

「っ……」

「オラオラオラオラ! どうした? この程度かっ!」

 目が回るような刃の連撃が、ヒナタに反撃の機会を与えない。ヒナタはずっとエレナの剣を捌き続けるだけである。

 ヒナタが強引な笑みを浮かべて言った。

「なるほど……イチルに手ほどきしたのが貴女というのなら……っ、ヒメカラスが苦戦したのも分かりますね!」

「ギアを上げるぞ。今度は喋る暇も与えん!」

 人類最強は有言実行。さらに剣の速力を上げる。イチルとマンツーマンで特訓していた時よりも数段速い。

 もはや手元さえ見えない。自分はあんな化物じみた人間に手ほどきを受けていたのかと、イチルはいまさらながら驚いた。

 しかし、

「ヒナタ……どうして」

 すぐ後には、ヒナタの事しか頭に入らなくなってしまった。

 たしかにヒナタは強い。初等部時代はオートメーションのシールド型<メインアームズカード>しか支給されていない中、当時は彼だけが唯一B級の<メインアームズカード>を与えられていた。いま思えば、ナユタを彷彿とさせるぐらいの実力はあったのだ。

 そんな彼は周囲から神童と持て囃されていた。

 なのに、どうしていま、彼はこうしてエレナと戦っているのだろう。

 どうして、簡単に人を殺せるようになったのだろう。

 何より、六十年前に三枚同時に発生した<アステルジョーカー>の内の一つを、どうして彼が持っているのだろうか。

 疑問は尽きない。分からない事だらけだ。

「あーらよっと!」

 エレナが両腕の刃を横薙ぎに一閃。ヒナタの体が吹っ飛び、森林の大木に叩きつけられた。

「ヒナタ!」

 いまは敵の筈なのに、思わず心配して叫んでしまった。

 そんなイチルを、エレナは一旦立ち止まって一瞥する。

「……君と彼の間に何があったのかは知らんが、彼はこれまでに殺人や強盗の嫌疑が多数掛かっている、筋金入りの犯罪者だ。悪いが手加減はしてやれない」

「でもっ……!」

「心配するな。殺しはしない。五体満足で捕らえられる自信は無いがな」

 無感動に言うと、エレナは再び駆け出し、ヒナタも逃げ回るように周囲を<流火速>で飛び回り始めた。話によるとエレナは<流火速>を使えないらしいので、ヒナタと正面から対抗するには目に見えて不利である。

 しかし彼女は、ふんと鼻を鳴らすだけで、動じはしなかった。

「……そこか」

 何でも無いように呟いて、背後から来たヒナタの斬撃を、身をかがめて回避する。

 さらには剣が空振りしたヒナタが再び<流火速>で離脱しようとしたのを、エレナが彼の片腕をがっちり掴む事で止めてしまった。

「……!」

「さて、君の可愛いお顔を、最初にどう整形してくれようか?」

 言ってから間断なく、刃を収めた片方の拳をしっかりと固め、ヒナタの顔面に強烈なストレートをかました。

 ごきっと嫌な音。多分、鼻柱が折れたのだ。

「……!」

「おお、良い顔になってきたな。じゃあ、もう一発」

「舐めるな!」

 ヒナタが叫び、エレナの腹に蹴りを入れて腕を振りほどき、強引に互いの距離を引き離した。

「おいおい、乙女の腹を蹴るとは何事か? もし私が妊娠してたらどうする気だ!?」

「妊婦さんは大人しく休んでましょうよ。体に悪いですって」

「問答無用! ぶっ殺す!」

 いまので本当にキレたらしい。エレナが邪悪な笑顔で、再び地を蹴った。


   ●


 ナユタとバリスタは、いま起きた空前絶後の事象にそれぞれ驚愕していた。

 原因は勿論、ナナの周囲を飛び回る七つの飛行ユニットと、彼女の手に握られた龍を模したような大剣である。

「<星獣>から<アステルジョーカー>を……?」

「何から何まで規格外だな、オイ」

 <アステルジョーカー№6 ドラグーンクロス>。

 たったいま、瀕死寸前のキララを犠牲に生まれた、史上六番目の切り札。

「……いくよ、キララ」

 ナナが呟き、腕を指揮者のように動かすと、腕の動きに連動するかのように、各飛行ユニットが目的の場所へと飛び立った。

 まず、翼型のユニットが二つ。これらはナユタの傍まで来ると、自身を頂点とした黄色い光の膜を形成し、彼を取り囲んで閉じ込めてしまった。

「! おいナナ、これは一体……」

 突然自分がされた事に驚いた矢先、今度は体中に違和感――いや、安らぎに近い感覚が駆け巡ってきた。気になって自分の体を見てみると、バリスタの攻撃でボロボロになっていた<アステルジョーカー>の衣装と肉体が、みるみるうちに元の姿へと戻り始めたのだ。

 まさか、<アステルジョーカー>ごと自分の体を回復してくれているのか?

「この力……<輝操術>の<回>か」

 続いて、爪型のユニットが二つ。これらはバリスタへと直線的に飛翔していった。恐らくアレが攻撃に使うユニットである。

 バリスタはようやく我に返り、ユニットに向けて冷静に発砲。だが、弾は当たって乾いた音を立てて弾かれるだけで、爪型ユニットには全くダメージを与えられていなかった。

 彼は悪態をつき、一旦は<流火速>で逃げ回ろうとする。

「逃がさない」

 ナナは絶え間なく腕を動かし、足型のユニットをまるでスリッパのように両足に装着する。

「ブースト!」

 唱えるや、足型ユニットの踵が火を吹き、ナナの動きを加速させ、あっという間にバリスタの間合いに到達する。

 大剣の連撃をバリスタに絶え間なく与える。バリスタは着剣で彼女の剣を凌ぎ、

「クソがっ!」

 乱暴に銃を振って反撃。ナナはこの一撃を剣で防御。

 続いて、爪型のユニットが彼の背後から襲いかかる。

「ちっ……鬱陶しいんだよ!」

 バリスタが真下へと逃げ、銃口を空に向け、発砲。あの弾が天まで届くと、またあの強烈な攻撃がやってくる。

 しかしナナは、自分と爪型ユニットの間を通り過ぎようとした弾丸を、

「ふっ!」

 信じられない事に剣の一閃で真っ二つに叩き割ってしまった。

「バカな、銃弾を……!?」

「終わりだよ」

 ナナが剣を振ると、バリスタの横でスタンバイしていた頭部型のユニットが口を大きく開け、黄色いエネルギーをチャージし始めた。

「しまっ――」

「ファイヤ!」

 頭部型ユニットの口から、極太のドラゴンブレスが炸裂。黄色い息吹はあっという間にバリスタを巻き込み、覆い尽くす。

 腕をクロスさせて息吹をガードするバリスタが、目を剥いて叫んだ。

「畜生が! お前ら……この程度で俺を殺れたと思うなよ!?」

 あからさまな捨て台詞の直後、息吹が突き抜け、真っ直ぐ伸びて収束し、やがて息吹ごとバリスタの姿が消失した。

 文字通り、跡形も無く、である。

「……すっげぇ」

「ナユタ、大丈夫?」

 ナナがナユタの傍まで降り立ち、翼型ユニットによる回復の結界を解除する。

「ああ。けど、キララが……」

「いまならナユタとタケシの気持ちがちょっとだけ分かる」

 ナユタの言葉を遮り、ナナは寂しげに言った。

「大切なものを失うって、こういう事なんだって」

「ナナ……」

 ナユタにも、いまのナナの心境は想像に難くなかった。

 失ったものが<星獣>であれ人であれ、自分が大切にしていたものを失うのは、自らの半身を引きちぎられたかのように辛い。当然の事だ。

 彼女がキララを犠牲にする過程で、様々な葛藤があっただろう。誰かの命を犠牲にしてまで得る力に意味があるのか、あるいはこの力を使うのは自分で良かったのか、とか。

 ナユタだっていまだに煩悶としている。

 死ぬ間際に父親が自分を選んで、後悔しなかったのだろうか、と。

「……いますぐタケシ達の所に戻ろう。あいつらが未だに来ないって事は、向こうでも何かあったかもしれん」

「そうだね。ナユタ、立てる?」

「ああ。ありがとう」

 ナナから差し伸べられた手を握り、ナユタはゆっくりと立ち上がった。

 その折り、遠くの海上で大きな火柱が上がった。

「!?」

「何、あれ!」

 火柱は一瞬で収束したが、もっと驚くべき事がもう一つ生まれた。

 なんと、火柱が立った地点から遥か上空に、炎を纏ったドラゴンが現れたのだ。

「ナナ。お前、視力って良い人?」

「うん、まあ……」

「じゃあ、アレの上に乗ってるの、誰だか分かる?」

「……見なくても分かるよ」

 もううんざりだ、とでも言わんばかりに、ナナが首を横に振った。

 現れた灼熱のドラゴンにも驚いたが、もっと驚くべきは、その頭の上に乗っているバリスタの存在だった。

「あいつがさっきから用意しようとしてた乗り物ってアレの事だったのか!?」

「まさかとは思うけど、アレと一緒に戦う気じゃ……」

「いや、キララが<アステルジョーカー>になった時点であいつの任務とやらは失敗だ。いまさら俺達に挑んできても、何のメリットも無い筈だ」

 <アステルジョーカー>は使用者を限定する性質があり、基本的には生贄となった者が選ぶ権利を与えられるのだ。キララの場合は見ての通りナナを使用者に選んでいる為、いまバリスタが彼女の<アステルジョーカー>を奪ったとしても、使い道など万に一つも無い筈だ。

 バリスタも<アステルジョーカー>の使い手だ。それは百も承知の筈である。

「でもあいつ、一向に逃げる気配が無いよ?」

「全く、さっさとケツまくって逃げれば良いものを……いや、そうでもないか」

 たったいま、ナユタにはバリスタの意図を把握出来た気がした。

 こうなった以上、彼からすれば任務も何もあったものではない。だが、ここまで自分を追い込んでおいて、手ぶらでクライアントの所まで帰るのを、果たしてあの男のプライドが許すだろうか? いくら仕事に実直だからって、あの男にも個人的な意地はある筈だ。

 だったら、彼の望みは一つだけである。

「……ナナ。こっから先は俺だけで行く。お前は先に戻ってろ」

 この調子なら、さっきの回復能力で<エスピミア>も回復しているだろう。空中戦を行うなら自分一人でも充分である。

「どうして? ナユタ一人じゃ危険だよ!」

「俺が奴を殺し損ねなければ、お前はキララを犠牲にする必要は無かった。全ては俺の責任だ」

「…………」

 ナユタの言葉にナナは押し黙った。多分、こちらの意地を見通してくれたんだろう。

 しばらくしてから、ナナが口を開いた。

「……バカじゃないの?」

 意外にも、彼女の口から飛び出したのは、ただの罵倒だった。

「何だと? お前――」

「何度でも言ってあげる。バカ、バカバカバカ、バーカ!」

 ナナは顔をしかめ、面と向かって罵倒を繰り返す。

「ふざけないでよ。バカにしてるの? キララをあんな目に遭わせたのはあたしの責任だし、ナユタは全く関係無い。なのに、一人で無駄に背負い込んで、一人で勝手に傷を増やすの? もう沢山だよ、勘弁してよ!」

「だったらはっきり言ってやる。足でまといだ、失せろ!」

 思わず、叫んでしまった。本当なら我慢出来た筈の事なのに。

「お前達は俺やバリスタとは違う。これは俺の問題だ。西の連中が持ち込んだ、それこそお前らには全く関係無い戦いなんだよ、これは!」

「だったら何? あたしにだって、戦う理由がちゃんとあるのに!」

 ナナがさらに声を張り上げる。

「戦って傷ついて、苦しんでるのが一人だけだと思った? 自分が西の人間だからって、あたし達を除け者にするの? 違うでしょ? ナユタだってあたし達の事を護りたいように、あたしだってナユタと一緒に戦いたい! 失いたくないのは、あたしだって同じなんだよ!」

「…………」

 こんな事を言われたのは生まれて初めてだった。

 西の戦場で<星獣>と命のやり取りを行う時、一緒に戦っているのはナユタと同じような兵隊達ばかりだった。護る対象は難民キャンプ、その他市街地と様々あれど、常に護る側にしか立っていなかった自分にとっては、護られる側の意思などどうでも良かった。もっと言えば、護られる側は大人しくしてろ、と思ったくらいだ。

 でもいま目の前で自分に面と向かって己の意思をぶつける少女は、護られるだけでは気が収まらないと、はっきり口にしているのだ。

 新鮮だった。何より、心強くも感じてしまったのだ。

「……全く。とんでもない奴を助けちまったな。イカれてるとしか思えないぜ」

 ナユタはふっと口元を緩めた。

「もうあいつは油断してくれないぞ」

「最初から全力のあたし達には関係無い」

「違いねぇ」

 二人は視線を交わし、未だに滞空している灼熱のドラゴンを同時に見上げた。この段になってまだ逃げないという事は、彼は本当にナユタとナナとの戦いを望んでいるのだろう。

 良いだろう。決闘なら受けてやる。

「<ドラグーンクロス>・<フルアーマード>」

 ナナが剣を放り投げて唱えると、周囲を回遊していた飛行ユニットが彼女の周りに集まって陣形を組み、それらを頂点に光の殻を形成し、ある一つの形を完成させた。

 ユニットの形が変わっているので細部は違うが、造形はキララそのものだった。

 ナユタはドラゴンとなったナナの背中に飛び乗り、上空の標的を見据えた。

「行くぞ」

「うん!」

 短いやり取りの後、尻尾の先となった剣を振って地面に叩きつけ、ナナは黄色い光の翼を大きくはためかせた。

 やがて竜の体が浮き上がり、急速に上空へと舞い上がる。

「……? 何だ?」

 突然、<アステルドライバー>に通信が入った。タケシからだ。

「タケシか? そっちはどうなってる?」

『こっちも大変な目に遭ってるが、エレナさんが来てくれたおかげで一安心さ。そっちは? ナナは無事なのか?』

「安心しろ。さっきよりも元気になりやがった」

『はあ? ……まあ、無事ならそれでいいや。いま返り討ちにした西の戦争屋から話を聞いてる。バリスタって野郎はどうしてる?』

「いまからラウンド3を始める所だ。悪いがあとちょっとで通信出来なくなる」

『なら丁度いい。<アステルドライバー>にデータを転送した。お試しバージョンだから色々中途半端だろうが、無いよりは幾分かマシだ。使え』

「データ? 何の?」

『お互い話してる余裕はそんなに無いだろ。いまに分かるさ。じゃあ、ナナを頼むぜ』

「あ、ちょ、おま……」

 タケシが一方的に通信を切ると、ナナが不思議そうな声で訪ねてきた。

「いまのタケシから? 何を話してたの?」

「よく分からんが……ん? 何だこれ?」

 <アステルドライバー>の画面に、新たなアプリケーションが現れたのを見て、ナユタはさらに顔をしかめた。

 試しに開いてみると、さらに不可解なモードが表示される。

「<イングラムトリガー>・<フォームクロス>?」

 戦闘中に意味不明のデータを転送してきやがって、と思わなくもなかったが、自分の<アステルジョーカー>の名前が表示されている以上は、何かしら戦闘に使い道があるのだろう。

 いま画面に表示されているアイコンは二つ。

 <ウィングフォーム>。<ウィザードフォーム>。

「ナユタ、そろそろだよ」

「ああ」

 しているうちに、バリスタと同じ標高にまで上がり、彼の正面までたどり着く。

 バリスタは待ちくたびれた様子で言った。

「よう。遅かったじゃねーか」

「逃げないのか?」

「当たり前だ。ここまで俺を追い詰めた相手を、みすみす逃す訳にはいかねぇからな」

「諦めが悪いんだな」

「そいつはお互い様だろ」

 高所特有の風が吹きすさぶ。さっきから暑い所にしかいなかったので、クールダウンするにしては丁度良い居心地である。

 ナユタは右手に強化版の<蒼月>を召喚する。

「行くぞ。勝負だ、バリスタ!」

 ナナが再び翼を大きくはためかせ、猛スピードでバリスタと灼熱のドラゴンに突撃する。

「そう来なくっちゃなあ!」

 バリスタがハイになって銃を連射。狙いはドラゴンとなったナナではなく、その上に乗るナユタだった。

「<モノトランス>=<シールド>!」

 デッキ内のカード一枚の消費で、ナナと自分を覆うように青い光の殻を形成。銃弾を何発か受け止め、破裂する。

 光と炎のドラゴンが互いに組み付き、早速壮絶な殴り合いを始める。その中でもバリスタが発砲し、ナユタはドラゴンの狭い背中に足取りを苦戦しながらも、何とか射線を逃れる。

 やがてドラゴン同士が離れると、炎のドラゴンが大きく口を開け、火炎の大玉を乱射してきた。

「ナナ!」

「任せて!」

 意気込むや、ナナは装甲となった爪型ユニットを操り、ボクシングの要領で火炎の大玉を殴りつけ、消し飛ばした。

 続いて、今度はこちらのドラゴンが大きな口を開け、黄色い光線を発射する。

「避けろ!」

 バリスタが指示すると、炎のドラゴンは慣れたような動きで飛び回り、発射され続ける光線を回避する。よく訓練された動きを見て、少し関心してしまう。

 いよいよ、こちらも背中に乗ってばかりではいられなくなってきた。

「ナユタ!」

「分かってる!」

 今度はナユタが<蒼月>を横に振りかぶると、刃に青い光が収束する。

「<月火烽閃>!」

 横薙ぎに一閃し、刃に纏っていたアステライトを開放。三日月型の青い刃が飛翔し、炎のドラゴンに見事直撃した。

 あまりの衝撃にバランスを崩しかけたバリスタが悪態をつく。

「くそったれ……っ」

「もう一発!」

 また一発、三日月型の刃を発射。しかし、炎のドラゴンはその攻撃を、長くて太い尻尾の一撃で薙ぎ払ってしまった。

 今度はバリスタが銃口を真上に向ける。

「オラァ!」

 気勢を発し、発砲。空が再び黒く染まり、再び黒い閃光が無数に降り注ごうとしていた。

「やるならいましか無いってか? 上等だ!」

 ナユタは<アステルドライバー>の画面に唇を近づけた。

「<イングラムトリガー>・<ウィザードフォーム>!」

『トライアルバージョン起動。<ウィザードフォーム>、セットアップ』

 アナウンスがスピーカーから流れるや、すぐにナユタの姿が変化した。

 フード付きの青いコートを纏った魔法使い風で、右手には全身が赤い短刀、左手には銀の装飾が混じった青い長刀が握られた。

 ナユタはこの姿に似たものを、何度か目にしている。

「まさか、タケシの<アステルジョーカー>か!?」

「来るよ!」

「ええい、ままよ!」

 もはやヤケクソの域で叫び、青い長刀を真上に向ける。

「<円陣>・<盾陣>!」

 唱えると、剣の先に青い魔法陣が形成され、大きく広がってナユタ達の真上を覆い尽くす。

 同時に黒い閃光がこちら目掛けて降り注ぐが、青い魔法陣が盾として完璧に機能し、全ての攻撃を弾き返してみせた。

 ナユタがぎょっとして感嘆を漏らす。

「すげぇ! 本当に発動した!」

 ステータスだと各能力のバランスに優れて、特に防御力が秀でているとの評価だったので、もしかしたら発動するんじゃないのかと試しに撃ってみたが、どうやら正解だったらしい。

「よし、じゃあこれも行けるか? <円陣>・<破陣>!」

 今度は赤い短刀を敵に向けると、さっきと同じように剣の先で魔法陣が形成され、いくつかの赤い閃光を立て続けに発射した。

 放たれた閃光が、全て炎のドラゴンに命中。見た目が徐々に傷だらけになっていく。

「おお、タケシの奴、こんな便利な力を使ってたのか」

「感心してる場合じゃないよ! アレ!」

 ナナに警告されて敵の様子を見てみると、バリスタがドラゴンの上から飛び降り、<流火速>を使って回り込むように移動を開始した。どうやら自身とドラゴンで、こちらを挟み撃ちにする算段らしい。

「ドラゴンの相手は任せた。バリスタは俺が殺る」

「あ、え、ちょっと!?」

 ナナが驚くのを構いもせず、ナユタが彼女の背中から飛び降りる。体が自由落下する中、彼は再び<アステルドライバー>の画面を睨む。

「<イングラムトリガー>・<ウィングフォーム>!」

『<ウィングフォーム>発動の為、デッキケース内の<ビーストカード>・<エスピミア>の全データをドライバー内に移植します。宜しいですか?』

「は?」

 バリスタが遠距離から発砲。銃弾がナユタの右肩に突き刺さる。

「っ……しまっ――」

「この間抜けが!」

 バリスタが<流火速>で接近して剣を縦に一閃。どうにか青い長刀を盾に防御するが、ナユタの体は海面に向かって急加速していった。

「何でもいいから、さっさと発動しやがれ!」

『了解。<ビーストカード>・<エスピミア>のデータをダウンロード』

 ナユタが海面に落下するまで、あと三十メートル。

『<ウィングフォーム>、イニシャライズ』

 ようやく二番目の<フォームクロス>が起動し、ナユタの背中にバックパックみたいな装備が施され、鋭い形のスラスターが展開。光の翼を生み出し、再びナユタが上空へと突きあがる。

 さっきの<フォームクロス>とは違い、いまの獲物は<蒼月>一本のみだ。

「よっしゃぁ!」

 叫び、さらに加速。一瞬で敵の懐に潜り込んで、刃を腹に突き立てる。

 バリスタの吐血が、水色の髪に降りかかる。

「て……めぇ……っ!?」

「終わりだ!」

 顔が青くなったバリスタを蹴っ飛ばし、同時に剣を引き抜いて大きく離脱。

 すると、バリスタが往生際も悪く、再び銃を真上に向けようと腕を持ち上げた。

「まだ……まだ終わら……」

「いいや、これで本当の最後だ」

 ナユタが告げた直後、灼熱を纏う塊が横からバリスタに直撃し、勢い余って遠くへと飛ばされていった。

 見るや、丁度ナナが一本背負いの構えを解いているところだった。

「ナユタ!」

「でかした!」

 ナユタが絡まって飛んでいくバリスタと灼熱のドラゴンを見据え、剣を振りかぶる。<蒼月>の刃には、これまでで最大規模の青い光が集う。

 背中の翼もさらに大きな光を放出する。

「ブースト!」

 ナユタが再び舞い上がり、身をちぎられるような加速度に耐えながら、バリスタ達目掛けて流星のように落ちていく。

 そこへダメ押しと言わんばかりに、<蒼月>のブーストも加わる。

「月まで吹っ飛べ!」

 叫び、巨大な光を纏った剣を、敵の至近距離で一閃。

「<月火烽閃>!」

 最強威力の零距離攻撃が、一瞬でバリスタと炎のドラゴンを飲み込み、彼らの姿をこの空間から跡形も無く消し去った。

 あまりにも、一瞬の出来事である。

 死に行くかつての師を見送る暇さえ無かった。

 ナユタの体が、加速の勢いが余って宙でもみきりする。しかし、最後に<ウィングフォーム>のスラスターをかろうじて稼働させ、どうにか体勢を立て直す。

 ナユタは改めて、バリスタ達が消えた空を眺める。

「……俺達が勝ったのか?」

「そうだよ」

 いつの間にか近くに来ていたナナが、大きな首を縦に振った。

「なんだか惚れちゃうなー。強くてかっこいい男の子がモテモテな理由、何となく分かる気がするよー」

「ドラゴンの姿で言われてもなぁ……」

「あとでちゅーしてあげよっか」

「ドラゴンの口でか? ちょっとごめん被るわ」

「からかうつもりが、こっちがからかわれた!?」

 ナナがカビーンと、ドラゴンの口を大きく開ける。どうやら本来の彼女は小悪魔的なキャラだったらしい。

「バカやってる場合じゃない。愛しの王子様が観戦スペースでお待ちだ。早く戻るぞ」

「何でだろう、ナユタをからかおうとすると、こっちがダメージを負ってる気がする」

『アラートメッセージ。アラートメッセージ』

 突拍子もなく、<アステルドライバー>から甲高いアラームが鳴った。

『ユーザーの身体的負担が一五○パーセントに到達。これより、発動中の<メインアームズカード>及び、関連する<アステルカード>の発動を強制解除します』

「え? 何? 何の話? どういう事それ?」

 ナユタが当惑していると、纏っていた<アステルジョーカー>の衣装や<ウィングフォーム>のバックパック、<蒼月>の姿が徐々に薄れ、次の瞬間、ぱっと消滅してしまった。

 いまのナユタは、完全に丸腰だった。

「……あれ? え? お……おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?」

 <ウィングフォーム>による浮力も失ったが為に、当然のように重力の法則に則って、ナユタの体が落下し始めた。思った程高く飛んでいた訳ではないので、着水しても死にはしないが、それでも何らかのダメージは絶対に被るであろう。

「ナユタ! いま助け……あ、あたしもぉぉぉぉ!?」

 今度はナナの姿が一瞬で元に戻り、同じく落下を始めてしまった。どうやらナナも似たような理由で<アステルジョーカー>を強制解除させられたらしい。

 ナユタは平泳ぎの真似をしながら喚き散らした。

「ちょっと待って本当にお願い空気読んでええええええええええええええええええええ!」

「ソワカァァァァァァァァァァァ!」

 ナナが何をトチ狂ってイチルの真似をしたのかは知らない。

 二人は仲良くダイナミックに着水し、すぐに水面下から顔を出し、飲み込み掛けた海水をぴゅーっと噴き出した。

 沈まないように足をばたつかせながら、ナユタとナナは近くに寄って向かい合った。

「げほっ……何て日だ畜生……! 海水が肩の傷に染み込む、くそ痛い……!」

「全くだよ……ていうか、まさか島まで泳いで帰らないといけない訳?」

「んな体力あるかよ……お?」

 あるものを目にした瞬間、途端にナユタの心に活力が戻った。

 ナナはレース開始からいまに至るまで、ずっと学校指定の白いブラウスとスカート姿なのだ。だから彼女が纏う白いブラウスが水を吸って透けたおかげで、可愛らしいライムグリーンのブラに包まれた、文字通り瑞々しくてたわわな双丘を拝めたのである。

 心どころか、下半身まで元気になってきた。

「これはこれでアリかも……おや?」

 ナユタが下心を丸出しにしていると、次は龍牙島方面から白波を立ててこちらに向かってくる物体を視界に捉えた。

 やがて、少し離れた海中から、灰色の影が飛び出してきた。

「きゅいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」

「お……お前は――」

 なだらかな流線型の体に、両手と尻尾のヒレをたなびかせてやってくるそいつの事を、ナユタはよく知っていた。

 だから安堵のあまり、思わず涙を流して叫んでしまう。

「チャービルぅぅぅぅぅげぼふぉ!?」

 灰色のイルカによる愛情表現のダイビングアタックが炸裂し、一旦ナユタが水面下に沈むが、チャービルに引っ張られる形で再び水面の上に顔を出す。

 接触した一人と一匹が、感極まって互いに頬ずりしあう。

「チャービルゥゥゥゥ! 何でお前がここに居るんだあああああ!」

「きゅいきゅい!」

「何て言ってるか分かんねぇよおおおおおおおお!」

「ナユタが心配で、居ても立ってもいられなかったんじゃない?」

 二人の傍まで泳いできたナナが言った。

「よしよし、いい子いい子」

「きゅうううん」

 ナナが頭を撫でると、チャービルが気持ちよさそうに唸った。元々人懐っこい性格のようで、余程の事がなければ敵意は抱かないのだろう、きっと。

「丁度いい。俺達を島まで送ってくれないか?」

「きゅい!」

 チャービルはかしこまったように頷き、一旦潜ってナユタとナナを掬い上げるように背中に乗せると、全速力で島へと泳ぎ始めた。

 これで少なくとも、自分とナナの命だけは助かった。

 あとは、タケシ達次第である。


   ●


「何? バリスタがやられた?」

 ヒナタが突然動きを止め、ヘッドセットの音声に集中し始めた。

「……分かった。すぐ戻る。この作戦は失敗だ」

 彼はすぐに通信を切ると、ため息をついてからさらりと告げる。

「どうやら僕達の負けらしい。今日の所はさっさと引き返します」

「そうか? 私としては、まだ居てもらっても構わないのだが?」

 エレナが両手の刃を収めて飄々と言った。

「バリスタがやられたと言ったな。だったらナユタは生きてる筈だ。一度会ってみるといい」

「遠慮しますよ、ミス美山。彼と貴女を同時に相手にするのは骨が折れる」

 ヒナタは控えめに言うと、ふわりと身を翻してからこちらに背を向けて歩き出す。

「待って、ヒナタ!」

 イチルが叫び、手を伸ばして駆け出そうとした途端、彼の姿が忽然と消える。

 一方的に現れて場を引っ掻き回した挙句、別れの挨拶も無しに消えるとは、身勝手過ぎるにも程があると思った。

「……ヒナタ、どうして」

「君は彼の事を知ってるようだな、イチル」

 エレナが傍に寄ってから、神妙な顔で尋ねてきた。

「どういう関係だったんだ?」

「…………」

 本当は何て事のない関係だったのに、何故か返答に困って黙り込んでしまった。

 単に、過去に彼に告白され、自分が振ったというだけの間柄だというのに。

「……まあ、いい。後にしよう」

 エレナは諦めたように言うと、付近で倒れているケイトの傍に歩み寄る。

「……起きろ!」

 ケイトの腰に、エレナのブーツの裏が炸裂した。

「ふぐぉ!?」

「生徒のピンチを前に寝たフリとはどういう了見だ? ええ?」

「違うぞ? 素で気絶してたんだ。僕だって鉄火場に出るのは久しぶりだからね。反射神経が鈍りがちなんだ」

「じゃあどこからだ? どこらへんから目を覚ましたんだ? 言ってみろ!」

「君が現れた辺りからだ」

「良い顔で告げるな! バカか貴様は!」

「君がいれば大体の事が片付くだろう。下手に動けばそれこそどんな危険が及ぶか分からなかった訳だしな。それより、腰を集中的に狙うのは止そう。そろそろ痛い」

「ヘルニアでも患ってろ!」

 エレナのリンチが続く中、ケイトの顔はやはり平然としていた。

 ああ、そういえば、エレナとケイトは以前、ライバル関係にあったんだったか。

「……まあ、いい。今日の所はこれで許してやろう」

「はっはっは。昔はイキが良いだけの小娘だったのに、いまはこんなに立派に成長して、僕は涙がちょちょ切れそうだよ全く」

「もう一度蹴るぞ。今度はキ●タマ狙ってやる」

 エレナは忌々しげに吐き捨てると、次に観戦スペースの隅でハンスと一緒にいる修一とユミに目を向ける。

「そこの二人。サツキの容態は?」

「問題無いっす。外傷は見当たらない」

「軽い脳震盪を起こしてるけど、すぐに復活するよ」

 実はエレナとヒナタが斬り結んでる最中、こっそりタケシが<アステルジョーカー>の能力でサツキを安全な木陰までワープさせており、修一とユミに保護させていたのだ。

 エレナはほっとしたように言った。

「そうか。しかし、さっきまで敵側の人間だったのに、よくそこまで面倒を見てくれたものだ」

「あたしはサツキに負けちゃったしねー」

「そもそも裏切られたからな、ヒナタの野郎には」

 二人揃って肩を竦める、修一とユミのカップルなのであった。

 その様子をぼんやり眺めていたイチルは、突然ある事を思い出してハッとなる。

「そうだ、ナユタとナナちゃんは?」

「無事とは言い難いナリだが、どうやら生きてるみたいだぜ」

 タケシが親指をくいっと向けた先に、橋良職員に肩を借りて歩み寄ってくる、ずぶ濡れの男女の姿があった。

 案の定、ナユタとナナの二人だった。

「ナユタ、ナナちゃん!」

「イチル、無事か?」

 息も絶え絶えと言った様子でナユタが言った。彼の左肩に開いた黒くて細い穴からは、まるで蜘蛛の巣のように血が滲み出ている。

「ナユタ、その怪我……」

「オーライだ。貫通しているが、止血は済ませてある」

 とは言いつつも、血がにじみ出ているのを見ると、どうやら不完全な<回>による応急処置のみでの止血となっているようだ。ナユタは<輝操術>が使えないので、止血の為に<回>を施したのはナナという事になる。

 いや、いまは誰がやったとかはどうでもいい。

「橋良さん、ナユタを降ろしてください」

「あ……ええ。ほら」

 橋良は可能な限り丁寧にナユタの体を仰向けに横たえる。

「じっとしてて」

「お前、何を……」

「あたしの質問にだけ答えて」

 イチルがぴしゃりと言うと、傷口に右手を翳し、淡い緑色の光を照射する。

「何の攻撃を喰らったの?」

「……ガンナー型の<アステルジョーカー>による一発だ」

「傷は痛む?」

「ナナが<回>で麻酔を打ってくれた。いまは大丈夫」

「分かった。少し待ってて」

 傷口を覆う緑色の光がさらに輝きを増し、中でナユタの傷口を塞ぎ始めた。母親が自分にしてくれた技を見よう見まねで覚えたが、役に立って良かったと心底ほっとしている。

 やがて傷口は、完全とはいかないまでもきっちり塞がっていた。

「ナユタ、たしか血液型はB型だったよね」

「? ああ、そうだけど?」

「橋良さん、B型の輸血パックは?」

「ええ、少量なら置いてあります」

「いますぐ彼に輸血してください。傷を負ってからいまに至るまで、相当な量の血液を失ってる筈です」

「分かりました。他の職員にいますぐ手配します」

 中学生の小娘の指示に顔を引き締め、橋良が他の職員と連絡を取り始めた。あと五分十分かで、ナユタの血液量を回復させる準備が整うだろう。

 イチルがほっとしていると、タケシがいつもの無表情で歩み寄ってきた。

「よう、ナユタ。俺が送ったプレゼントは役に立ったか?」

「<フォームクロス>とか言ったな。何なんだ、アレは」

「どうやらデータリンク機能の一つらしい。ドライバーの仕様は貰ったその日に大体覚えてな、そのアプリも色々弄ってる中で見つけたものだ」

 タケシはその頭脳もさることながら、機械の扱いに関しては天性のモノを持っている。なら、有事の際に何らかの活路を開けるようなアプリを見出していてもおかしくは無い。

「だが、まさか<アステルジョーカー>を強化するアプリとはな」

「どうりでグランドアステルじゃ<アステルドライバー>が使えない訳だ」

「?」

 何の事かは知らないが、ケイトがわざわざ<アステルドライバー>の運用開始をこの島からと定めたのは、きっと想像を絶する何らかのシステムがドライバー内にインストールされていて、一回は人の目が触れない場所で実験して効果を実感しないといけなかったからではないだろうか、とイチルは予測した。

 そしてそれがあながち間違いではない事を、この時のイチルには知る由も無かった。

「何にせよ助かった。一つ借りだな」

「礼を言う相手を間違えてるぜ。ほら」

 タケシはイチルの背中をぽんと叩くと、身を翻してナナの方まで歩いていった。

 しばらくして、イチルから口を開く。

「……あのさ、とにかくその……ご苦労様」

「お前の方こそ、大丈夫か?」

「え?」

「顔、少しやつれてるように見える。何かあったか?」

「…………」

 さっきまでここであった事を、自分の口から話すべきなのだろうか。いずれナユタにも知られると思えば、いつ話そうが関係は無い気もするのだが。

 しばらく押し黙った挙句、イチルは首を横に振った。

「ごめんね。あとでちゃんと説明するから」

「……そうか」

 ナユタがぼんやりと目を空に向け、半分だけ瞼を閉じる。

「なあ、イチル」

「何?」

「ちょっと疲れた。寝てもいい?」

「目を閉じたら死んでました、ってオチにならなければ」

「バカめ。俺が死ぬ時は、てめぇら全員道連れだ」

 ナユタがふっと笑い、消え入りそうな声で呟いた。

「ありがとな、イチル。おやすみ」

「うん、おやすみ」

 ナユタはそれから、死んだように眠った。健やかな寝息と安らかな寝顔は、あのバスの時とそっくりだった。

「死ぬ時は道連れ……か」

 言い換えれば、皆が死ぬ時は自分も一緒だ、という意味なのかもしれない。

 つくづく呆れた奴である。

「ねぇタケシィ、何であたしから目を逸らすのぉ?」

「とりあえず何か羽織れ。お願いだから」

 少し離れた所から、タケシとナナの痴話喧嘩が聞こえてきた。

「もっとちゃんと見てて良いんだよ? 濡れ透けって案外貴重なんだし」

「オイ、ナユタ! てめぇどういう事だ! ナナのキャラが変わってるぞ! お前、こいつに何を吹き込みやがった!?」

「残念ながらこれがあたしの地の性格でーす!」

「ナユタァァァァ! どういう事か説明しろぉぉぉぉぉ!」

「あーもう、うるさいな! ナユタだったらもう寝ちゃったっての!」

 恐らくはこの一件で最大の労力を行使したであろうナユタを、あの二人はどうやら欠片も気遣うつもりが無いらしい。

 イチルは呆れ顔でため息をつき、もう一度だけ寝顔のナユタを見下ろした。

「……あんたはよくこんな騒ぎの中で眠ってられるよね」

「久しぶりに全力出して戦ったからじゃないか?」

 いつの間に近くに来ていたエレナが、からから笑って言った。

「まあ、寝かせておいてやれ。骨董品の壺の蓋を開けるのはその後だ」

「……はい」

 やがて輸血キットが届き、島の職員達はナユタへの輸血の準備に取り掛かった。





   ●


 『強く、清く、美しく。気高き咆哮が我らの凱歌なり』。

 グランドアステルの遥か頭上に浮かぶ『天空都市』・スカイアステルのとある一角に居を構える、リカントロープ家の家訓である。

 この家の妃であるリンダ・リカントロープは、これと全く同じ言葉を、鉄檻を隔てた一歩向こう側で苦しみもがく幼い少女に向けて投げかけていた。

 十にも満たない幼い少女の体は既にボロボロで、着ている衣服まで、布が腐って見える程にみずぼらしい。少女の腕や顔の至る所からは、狼のような体毛がうっすらと生えかけ、その瞳は若干血走っており、息遣いはとても荒々しい。

「さあ、早くその<星獣>を手懐けてみせなさいな」

「痛いよぉ……苦しいよぉ……もうヤだよぉ……!」

「我侭を言うんじゃありません」

 リンダが懐から銃を抜き、発砲。少女の肩に弾痕が穿たれる。

「がぁあああああっ!」

「<ビーストランス>が発動できない以上、あなたがここに存在する意義はありませんの。旦那様の愛人がクソのように拵えた子供に生きる希望があるだけ、まだありがたいと思いなさい。本当なら生まれてからすぐ、始末されてもおかしくなかったのよ、あなたは」

「うぅ……ううっ……」

 少女が地に伏し、無理矢理憑依させてやった狼型の<星獣>をどうにか体内で押さえつけようとして呻き続ける。

 リカントロープ家にはドラゴンやペガサスなどとった形の希少な<星獣>を飼育しているが、本来は狼型を専門に取り扱ってきた一族である。リカントロープ家の血脈を継ぎし者は、十歳を過ぎる頃までには狼型の<星獣>を必ず<ビーストランス>させられるのだ。

 逆にそれが出来ない人間は、一族の血を汚す不届き者として扱われる。

「私の実の娘は――ナナなら、五歳の時から習得していたのに。やはり、あの汚らわしい女の血が混ざった出来損ないは、精々体を成熟させてから肉奴隷として出荷させ――」

「これ以上は喋らない方が良い。貴族の奥方が放送禁止用語に触れますか?」

「誰!?」

 知らない男の声がしたので、リンダは慌てて背後に振り返った。

 いま彼女の視界を占領しているのは、見渡す限りの憲兵らしき集団だった。

「え……どうして、これは……」

 突然の事にリンダが驚いていると、郡を成す憲兵達の人混みから、さらに黒人らしき男が一人、こちらに歩み寄ってくる。

「<ウラヌス・エクスクワイア>のロットン・スミスです。そしていまここにお越しいただいておりますは、皆さんご存知正義の味方、警察組織<ウラヌス・クルセイダース>、強襲部隊の皆様でございまーす」

 黒い顔が眩しく思えるくらいに陽気な顔で、ロットンなる男はリンダに告げる。

「強制家宅捜索の許可、及びあなたへの逮捕令状が発行されました。いまここより先のフロアは、私のお友達が天井の瓦から便器のタンク裏まで、きっちりくまなく調べております。ああ、大丈夫。旦那様やその他の男児がベットの下に潜ませてる聖典などにつきましては、秘密裏に押収して我々の方でじっくりねっぷり確認させていただきます。もちろん、捜査の一貫として」

「警察はともかく、何で法曹界の人間がこんな所に……」

 <ウラヌス・エクスクワイア>は、主に<ウラヌス機関>に所属する法曹界の人間の総称である。主に弁護士や検事などを指すが、警察機関と一緒に殴り込みをかけた所を見ると、ロットンはそのどちらでもない。

 じゃあ何者か――答えはすぐに出てきた。

「一級執行官――ライセンスバスターからの生え抜き、警察と同等の捜査権限と、法律家としての知識を持つ、事件現場における最上級指揮官……!」

「ご存知なら話が早くて助かる。あなたには殺人教唆と幼児虐待、他多数の嫌疑が掛けられてる。ちなみに被疑者の権利としてあなたには黙秘権があります。それと弁護士を雇う権利も。しかしあらゆる陳述も裁判においては不利な証拠となりうるので、さっきみたいなお下劣な発言は我慢してください」

「あなた達、私達リカントロープ家にこんな事をして、タダで済むとでも!?」

「私は生憎、性根が腐った男より性根が腐った女の方が嫌いでしてね。これ以上喚きたてられても時間の無駄だし、有り体に言って迷惑です。……連れて行け」

「イエス、サー」

 極めて無機質ながらもリラックスしたような声で憲兵達が応じ、リンダを取り囲んでその腕を固め、息をするより簡単に手錠をリンダの両手首に装着してしまった。

 いま自分がようやく危険な目に遭っているという事を自覚して、リンダはロットンに向けて唾を吐きながら喚き立てる。

「この人でなし! いつか地獄の神ですら泣き喚くような罰をくれてやるわ!」

「ああ、汚い。唾吐かないで。あと息臭い」

 ロットンが煙たそうに手と顔を振った。

「まあ、何でもいい。釈明はノース区で聞きます」

「ふざけるな! 離せ! 離せって言ってるのが聞こえないの!?」

 いくら暴れた所で、状況が何も好転する訳でも無いのに、リンダはずっと混乱しながら叫び続けた。

 彼女の精神が落ち着いたのは、外でスタンバイしていた護送車に叩き込まれた後だった。

 何にせよ、これでリカントロープ家は、実質的に崩壊の道筋を辿ったのであった。


   ●


「きゅい! きゅいきゅいー!」

『おお……』

 ナユタの頭上でくるくると泳ぎ回っている小さいイルカのホログラムを、イチルとサツキ、それから修一とユミが感嘆を漏らしながら見上げていた。

「という訳で、今日からチャービルの住処はこの<アステルドライバー>の中だ」

 話は三日前の、龍牙島における命を賭けた決戦が終わった時まで遡る。全ての敵がいなくなった後、事態を重く見た学校側から即時帰還命令が下され、島にいた生徒全員がグランドアステルまで強制送還される事になったのだ。

 だから当然の事ながら、元は龍牙島在住のチャービルと、グランドアステル在住の九条ナユタは納得がいかない形でお別れするハメになってしまった。

『チャービルぅぅぅぅぅぅ! 達者でなあああああああ!』

『きゅい、きゅいきゅきゅい、きゅいー!』

 柄にも無く号泣したのは記憶に新しい。

 だが今日の放課後、何故か<ウラヌス機関>の科学研究所から学校経由でナユタに宅配便が届いたのである。少し怪しみつつも、ナユタは宅急便の封を解いた。

 送られてきたのは、イルカの柄がプリントされた<ビーストサモンカード>と、メンテナンスの為に一旦ケイトに預けていた<アステルドライバー>、それから二本の<ドライブキー>だった。

 ケイトによれば、<ビーストサモンカード>を専用のデッキケースに入れる事で、カード内に住処を移転したチャービルを<アステルドライバー>のナビゲーションアバターとして運用出来るとの事だった。ナユタも多少半信半疑だったとはいえ、一応は試してみた結果――

「チャービルの奴、小型化したら更に愛らしさが増大したな」

「きゅいいいい!」

 たったいま、SDモードのチャービルがホログラムとなって出現し、ナユタの部屋を所狭しと泳ぎ回り始めたのである。

 チャービルがイチルの頭の上に乗ってくつろぎ始めたのを見て、サツキが興味深そうに言った。

「しかし、よく島の人が許しましたわね。本来は龍牙島の<星獣>なのに」

「俺と別れた後、チャービルの食欲が減退したらしくてな。このままだと精神衛生的にも肉体的にも問題があるからって、俺に譲ってくれたんだ」

「ナユタ君には特に懐いてたましたからね」

 元々人懐っこい性格だったのだが、橋良職員によるとあそこまでチャービルが懐いたのはナユタが初めてとの事である。

 チャービルはイチルの頭を離れ、次に修一とユミの周りを泳ぎ始める。

「おいこらこら。そいつらに懐いちゃダメだぞ? 危ないから」

「ナユタ。これでもいまはお前のクラスメートだぞ、俺達」

「危険人物扱いとは失敬なー!」

 ユミがぷんすかと顔をしかめる。

 同じく先日の騒動でこちらを襲ってきた修一とユミは、いまや星の都学園中等部においてはナユタ達のクラスメートである。ケイトが拘束したこの二人に取引を持ちかけ、身柄を警察に引き渡さない条件として、監視という名目で星の都学園に編入させたのである。

 だから修一もユミも、いまは中等部の学生服姿である。

「黙れこの犯罪者カップル。ったく、何でこいつらとクラスメートやらにゃいかんのだ」

「まあまあ、昔のお友達なんでしょ?」

 イチルが宥めるように言うが、ナユタの顔は渋かった。

「冗談じゃねぇ。俺が何回修一に殺されかけたか」

「昔の事は水に流そうぜー。あの一件で、俺も晴れてカタギになれたんだ」

 修一が呑気に言った。

「それよか、贈り物とやらはチャービルだけじゃないんだろう?」

「ああ、<ドライブキー>か。あれは俺がバリスタとの戦いの時に発動した<フォームクロス>専用の変身アイテムだ」

 送られてきた<ドライブキー>は二つ。頭に魔法陣のような柄が描かれたもの、翼をモチーフにした形のものがあり、それぞれ<ウィザードフォーム>、<ウィングフォーム>に対応している。

 これらを通常の<ドライブキー>と差し替える事で、自由自在に<フォームクロス>を変更する事が可能というシステムである。

「なんだか変身ヒーローみたい」

 というイチルの比喩もあながち間違いではない。

「でも、何でナユタにだけこんなものを送ってきたんだろうね」

 ユミが首をかしげながら言った。

 たしかに、言われてみればそうである。同じく<アステルドライバー>の所有者であるタケシとサツキの手元には通常の<ドライブキー>しか無い。タケシに至っては、ナユタと同じ<アステルジョーカー>の使い手なのに、そんな彼にもこれといって特別な装備は送られてきていない。

 だが、その理由も何となく想像がつく。

「どういうつもりかは知らんが、こいつを送ってきた奴らは俺に何かをさせて、何らかのデータを採取したいらしい」

「不気味な話だな。けど、嫌な予感は不思議としない」

 修一が真面目な顔で告げる。

「何か怪しいと思ったら、運用をこっちで止めれば良いだけだ。深く考える必要は無いだろ」

「だな。あれ?」

 はたと気づいて、いまこの部屋にいる面々を見渡してみる。

「なあ、タケシとナナは?」

「そういえば、さっきから姿を見ませんわね」

 この場にいる全員が一斉に不思議そうな顔をして固まり――邪悪な笑みを浮かべる。

「……まーさーかー?」

「ですな」

 ナユタと修一が頷き合い、全員が目を光らせて立ち上がった。


   ●


 全ての棟に取り囲まれた場所にある中庭に夕陽が差す中で、タケシとナナはお互い浮かない顔をして対峙していた。

 ナナの綺麗な金髪が、夕陽に反射してさらに眩しく見えた。

「用事って何?」

「……謝っておきたい事がある」

 タケシは自分がいままで隠していた事を全て打ち明けた。彼女のお家騒動を極秘で調べたり、ナナが姉と慕ったメイドを最終的に殺害した事など、とにかく教えなければならなかった事を全て、だ。

 ナナは黙って話を聞いて、全ての事情を咀嚼し、やがてこう言った。

「タケシもナユタも、何も悪い事はしてないよ」

 彼女の態度は殊勝だった。

「アイリスは二人の手でちゃんと成仏された。そう考えれば、救われたのかもしれないよね」

「恨まないのか?」

「当たり前じゃん」

 ナナは眩しくはにかんだ。

「失うものなんて、誰にだっていくらでもある。ナユタがお父さんを失ったように、タケシがアオイちゃんを失ったように、あたしだってキララを失った」

 そしてその三人はいま、ぞれぞれのデッキケースの中で眠っている。

「イチルちゃんのように、無惨な形でお母さんを失った人もいる。でもね、その人の死を引き摺ってばかりじゃどこにも歩けない。前にも進めないし、後ろにも下がれない。だったらどうすればいい? って思った時、一番大事なのは乗り越える事だって、タケシに教えられた」

「俺に?」

「うん。前に、タケシがあたしを助けてくれた時にね」

 アオイを失った直後の戦いを、まだナナは覚えていたらしい。てっきり戦闘のショックで記憶があやふやになってて、単に『タケシが恩人である』という事実しか覚えていないものかと思っていたのだが、どうやら検討違いだったらしい。

「あたしがパニック起こして暴走した時、あたしを怖がらずに歩み寄ってくれたのはタケシだけだもん。好きな人を失った後なのに、凄いなって思った」

「あれは……勘がたまたま働いたからそうしただけだ」

「でも、嬉しかった」

 ナナは短く言うと、近づいてから額をタケシの胸板に置いた。

「今度はあたしがタケシを護る。だから、これからもずっと傍に居て欲しいな」

「……それは『お世話係』としてか?」

「彼女一択」

「はいはい。分かりましたよ」

 タケシはあの時戦ったみたいに、ナナの体を優しく抱き寄せた。

 が、すぐに突き放した。

「? タケシ?」

「出てこいやバカ共。順繰りになぶり殺してやる」

 タケシがぽきぽき指を鳴らしていると、次第に植生に身を潜めていたナユタ達が姿を現し、全員揃って両手を上げて降参の意を示した。

「いやー、あの、タケシ君? これはたまたまですよ? ええ、れっきとした偶然です」

「そうか。男二人と女三人が中庭の植物に身を潜めるという偶然が、この世に存在していたとはな。ラブコメの世界ですか、ここは?」

「よく気づいたなHAHAHA! そうさ、ここはラブコ……」

「悦に浸ってるところ申し訳ないが、よく見ろここは現実だ!」

 さて、どう料理してくれようか――と考えつつ、拳と掌をばしんと叩き合わせる。

「アカン! 狩られる!」

 ナユタがぞっとしたように叫ぶやいなや、その場にいたタケシとナナ以外の全員が、蜘蛛の子と散らすように逃亡を開始した。

 全く、こいつらと来たら。逃げるぐらいなら覗き見自体止めれば良いものを。

「ナナ。付き合い始めてから初の共同作業だ」

「何するの?」

「人の恋路を邪魔するバカ共にお灸を据える」

「了解っ」

 二人は逃げ惑うバカ共を視界に捉え、

「「逃がさん!」」

 仲良く気を発し、同時に駆け出した。

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