第七話「STRIKE THE BLACK」
第七話「STRIKE THE BLACK」
餌場目掛けて隕石が降り注いだかと思えば、モニターが急にダウンしてしまうというトラブルにより、生徒はおろか教員までもが不安そうな顔をして取り乱し始めた。
当然、タケシも例に漏れず動揺する。
「くそったれ! あの場にはナナがいるってのに!」
「ナユタ君も近くまで来てましたわ。まさか、二人共……」
「んな事があってたまるか! サツキ、助けに行くぞ!」
「どうやって!?」
タケシとサツキが取り乱すのも無理は無い。ナユタは無事だろうから問題無いにせよ、隕石の直撃を受けた餌場にはナナとキララがいる。キララの方は知らないが、ナナの場合はそんな天災を防ぐ強力な大技を持っていない。
助けに向かったとして、発見したナナが生きている確率は限りなくゼロに近い。
「ナユタ君より後ろにいた<星獣>の帰りを待つしかありませんわ」
「海上バスは使えないのか? 無いなら他の船は?」
「バスは一旦サウス区のドッグに戻ってる」
ケイトがこちらに駆け寄って告げる。
「だが緊急用のホバークラフトなら、いま橋良さんが用意している」
「よし! だったら俺達も……」
「いや、駄目だ」
「どうして!」
ケイトが厳しい顔で首を横に振るが、焦燥に駆られたタケシは構わずまくし立てる。
「あの場所にはナナがいるんです! 一刻も早くナナを助けにいかないと俺は……」
「だからこそ、生徒を危険な目に遭わせる訳にはいかない。ここは僕が行く」
「ナユタだって近くにいるんだ、俺の<アステルジョーカー>と連携すれば」
「そんな事、させる訳ないでしょー?」
タケシとケイトの口論に、聞きなれない女の声が割り込んだ。どこから聞こえたものかと視線を巡らせてみるが、声の主らしき人物の姿はどこにも見当たらない。
だが、次に聞こえてきた別の悲鳴が、その人物の位置を知らせてくれた。
「はなせー! あたしに何の用だこの年増ー!」
「だーれが年増ですってぇ!?」
「イチル!?」
声の主らしき女は、タケシ達の頭上でイチルを羽交い締めにしていた。
黒い優雅なドレスを着た女は、上空に見えない足場があるかの如く直立し、艶っぽい視線でタケシ達を見下ろしていた。
タケシは頭上の女を見上げてから舌打ちする。
「ちっ……次から次へと、一体何だってんだ!」
「失礼、自己紹介がまだだったかしらー? 私の事は、ヒメカラスと呼んでくださいなー」
「あんたの名前なんざどうでもいい。イチルを離しやがれ!」
「それは無理。私達の用件は、商品の調達だものー」
女は意味ありげに、教員の指示で我先とこの場から退散していく生徒達の人ごみを見遣る。
「いま逃げている生徒の子達に興味は無いし……いや、中に物凄い可愛い男の子が何人かいたから是非お持ち帰りしたい所だけどここは我慢して、まあそれはともかく、私はいまこの八坂イチルちゃんをお持ち帰り出来れば、それでミッションコンプリートなの」
「待て待て待て。自分だけ楽しようたってそうはいかないかんな」
「厄介者を足止めするんでしょ? しっかりしてよね、もー!」
丁度他の生徒達が全員消えたあたりで、周囲の木陰からこちらを挟むように、自分達と同年代の男女が一人ずつ姿を現した。双方見た目は可愛らしく、男の方は漆塗りの柄に鍔が無い抜き身の刀を、女の方は全体的に銀色で浅いV字型のブーメランを、それぞれ手に携えていた。
彼ら二人の出現により、見覚えの無い三人組がそれぞれ頂点となって生まれた三角形の包囲網が完成してしまった。これでタケシ、サツキ、ケイトの三人はもう逃げられない。
タケシはさらに苛立ちを顔に出し、憎々しい目で少年少女を睨めつける。
「てめぇら、一体何なんだ? 明らかに俺達に危害を加える気満々じゃねぇか、えぇ?」
「それは君達の態度次第かな」
少年が肩を竦めて言った。
「ヒメカラスが言った通りさ。八坂イチルを誘拐して、君達をあの餌場にしばらく近づかせなければ、事は全て丸く済むのさ。あくまで君達が抵抗しないなら、の話だけど」
「お前達に構ってる暇なんてねぇんだよ!」
「勘弁してくれ。君達をうっかり殺したら、今度は俺がナユタに殺されちまう」
「どうやらナユタの知り合いみてぇだが、んな事はどうでもいい!」
タケシは<アステルドライバー>を腕に装着して、<ドライブキー>をドライバーに差し込んだ。サツキも同様の動作をして、ケイトもデッキケースから<メインアームズカード>を抜き出す。
「<アステルジョーカー>・<メインアームズカード>、ダブルアンロック!」
「「<メインアームズカード>、アンロック!」」
三人がそれぞれカードの力を開放した。
タケシの両手にはそれぞれ赤と青を基調としたグローブが装着され、サツキはいつも通り金色の大剣を召喚する。
ケイトの両手にも、手の平サイズの赤い光の輪が握られた。
「ほお。先生アンタ、元・ライセンスバスターの人か」
「よく分かったね」
ケイトが薄く笑うと、少年が楽しそうに言った。
「赤い光子によって構成された武装はS級ライセンスバスターの証。引退した後もその武装は記念品として貰えるって聞いた事がある」
「そう言う君も、その刀は<ランク外アームズカード>か。ウェスト区以外の区域では違法改造品の扱いを受けているカスタム品。つまり、君達は西の戦争屋だね?」
「当たり。俺は黒崎修一ってんだ」
少年は刀を片手で振り回し、腰を低くして構える。
「以後、お見知りおきを!」
修一なる少年が駆け出し、一瞬でケイトの懐まで潜り込み、目にも止まらぬ速さで立て続けに斬撃を見舞う。ケイトは様子見のつもりか、顔色一つ変えずに連撃をかわし続ける。
タケシは二人の戦いぶりを見て、時を忘れて目を丸くしていた。
「あいつのスピード、もしかしてナユタと張るんじゃねーか?」
「余所見とは余裕だよねー」
黒髪ロングの少女が呑気な声で言ってから、その場にどっかり座ってあぐらを組み始めた。
「早く愛しのナナちゃんを助けに行きたいんじゃないのー?」
「お前こそ随分余裕じゃねーか」
「当たり前じゃん。アンタ達みたいな雑魚に負けないってのー」
少女がひらひら手を振っていると、いつのまにかサツキが、既に彼女の脳天目掛けて大剣を振り下ろしたところだった。
少女は何でも無い風に、真上からの兜割りを、ブーメランの刃を使って防御する。
刃と刃が擦れ合って嫌な音が鳴る中、サツキは眉根を寄せて少女に詰め寄った。
「誰が雑魚ですって? 私達は人間であって、魚ではありませんわ」
「あ、突っ込むところそこなんだ」
「タケシ君、あなたはイチルさんを頼みます」
いきなりこちらに水を向けられ、タケシがぎょっとするが、サツキはこちらに目もくれず、ただ大剣の刃を敵の少女に押し付けようとしていた。
「この礼節がなっていない野良猫娘の相手は、私が引受けますわ」
「やめといた方が良いよー?」
少女が座った体勢のまま無造作にブーメランを一閃させると、サツキの体が弾かれたようにこちらに向かって飛んできた。タケシはサツキの体を受け止めると、丸くした目を立ち上がる少女に向けた。
「こいつ……!」
「あの細腕で凄まじい怪力だー、なんて感想は漏らさないでね? あたしこれでも一応、十三歳の乙女だから。それから、もう一つ忠告」
少女は空いている片手の指を一本立て、
「あたし達三人は西の戦場を旅して様々な戦争のお仕事をしてきた。殺しも盗みも戦も何もかも、食べる為なら何でもやった。あんた達みたいな温室育ちのお子様とは訳が違う」
指を畳み、ブーメランを大きく振りかぶり、こちらに狙いを定めてきた。
「あたしはユミ・テレサ。修ちゃんのカノジョでーす★」
●
ナユタは生まれた時から父親とウェスト区を旅しては、下宿先の街や難民キャンプ等で用心棒として働いて糊口をしのぎ、常に己を鍛えるような毎日を送っていた。だがある日何者かの奸計によって強化型の<星獣>と戦わされ、絶体絶命の危機に陥ったナユタを庇ったせいで、父親が<アステルジョーカー>となり、この世を去ったのである。
当時、まだ十歳だったナユタは孤独に砂漠を彷徨っていた。水も食料も底を尽き、最後に残ったのは自分の身を守る為の<アステルジョーカー>と心を満たす絶望のみ。
自分も父親の後を追うのだろうか。漠然とした死の予兆が迫る中、ついにナユタも砂漠のど真ん中で倒れてしまった。
『こんな所で居眠りか? 進路の邪魔だっての。Uターンして轢くぞ、このクソガキ』
生涯を何の感慨も無く終えようとしていたナユタに投げかけられた無粋な声の主は、自分の横に停車しているオンボロのジープの運転席でふんぞり返っている、筋骨隆々の野性味が溢れる三十代ぐらいの大男だった。
ナユタは一旦顔を上げ、運転席の男をぼんやり見上げた。
『あ? 何見てんだ?』
『旦那、こいつたしか、九条の倅じゃ……』
『言われてみりゃそうだな。髪が水色だ』
男は助手席に座っていた何者かの言葉から、どこか得心が行ったように頷くと、途端に態度を変えてきた。
『どうせ飯もロクに食ってねぇんだろ? いいぜ、乗ってけよ。助けてやる』
ここからナユタと大男――バリスタの関係が始まった。
●
「いやー、懐かしいぜ」
「何がだ」
燃え盛るフロートの上で、ナユタとバリスタは久方ぶりに対峙していた。
「手塩にかけて育てた部下と再会したんだ。上司としては嬉しくてね」
「それが自分を殺そうとした不貞の部下でもか?」
「むしろ弟子が師匠を乗り越えたっていう感慨もある。だから、あの時お前が俺に味わわせてくれた屈辱的な敗北は、むしろ喜ぶべきなのかもな」
バリスタは楽しそうに大きな肩を揺らした。
「しかしいまは生憎時間が無くてね。悪いが俺はこのまま退散させてもらうぜ」
「お前の目的はキララだけか?」
「俺の方はな」
「お前以外にも来てるのか?」
「さあな」
「俺がこのままお前の逃がすとでも?」
「見逃してくれなきゃ困る」
彼はきっぱり言ってから、腰のデッキケースから紫の意匠が施されたカードを抜き、
「<アステルジョーカー>、アンロック」
発動。バリスタの姿が、一瞬のうちに変化する。
ベースカラーの紫に黒いラインが入った、まるでロボットアニメのパイロットスーツみたいな格好と、首元に巻かれたマフラーが、一瞬だけ忍者を彷彿とさせる。
片手には黒と紫の自動拳銃。見た目はガバメントにそっくりである。
「お前が俺を見逃してくれたら、いま龍牙島に残ってる哀れなセントラル住民には手を出さないでおいてやる」
「見逃さなかったら?」
「皆殺しだ。こいつの力、知ってんだろ?」
バリスタはおもむろに銃口を天高く向け、発砲した。
少しだけ待ってみる。すると、バリスタの背後の空が一部だけ鉛色に染まる。
次の瞬間、鉛色の空が渦を巻き、雷鳴を轟かせ、直下の海に雷を撃ち下ろした。
「<アステルジョーカー№2 ブラストディザスター>。空にこいつの弾丸を撃ち込む事で、ランダムに災害を引き起こす。つまり俺は天候そのものに干渉出来る。お前がもし俺を追おうとするのなら、こいつの弾丸をこっから島の上まで飛ばすまでだ」
「下手な脅しだな。あの島にはタケシがいる」
「果たしてそのタケシ君とやらはアテになるのかな? それに……」
バリスタは銃口をナナに向ける。
「ターゲットは島の人間だけとは限らないぜ?」
「そいつは困るな」
顔だけでは笑っているが、こめかみの脂汗だけはごまかしきれない。
いまこの男は、この場にいるナナを含む、生徒全てを人質に取っているのだから。
「だから見逃してくれよ。な?」
「…………」
たしかに、ここはバリスタの言う通り、見逃してやっても良いかもしれない。下手に奴と戦って被害を拡大しても、こちらには一文の得も無い。
だが、いまバリスタの手元には、キララを閉じ込めた檻が握られている。このまま奴を逃せば、キララはもう二度と戻ってこない。
しかし、バリスタは何の為にキララを強奪したのだろうか? いや、この男の場合は恐らく仕事か何かでやっているだけで、クライアントからは詳細なんぞ聞かされていない。ただ命じられたまま動いているだけだ。
どのみち、四の五の言ってられる状況ではないが。
「…………分かった。行けよ」
「賢明だねぇ。じゃ、俺は帰るさ。いまから乗り物を召喚すっから、邪魔すんなよー」
バリスタがまた新たにカードを取り出して振り返る。多分彼は自前の<星獣>を持っていて、いまから使うのはそれを召喚するカードだろうが、早くこの場を離れてくれるなら何でもいい。
早く行け。もう二度と姿を現すな。
ナユタが強く念じた、その時だった。
「……返せ」
隣で膝を折って座り込んでいたナナが、か細い声で呟いた。
「キララを……返せ」
「ああ? 何だ?」
バリスタがめんどくさそうに振り返る。
ナナは立ち上がり、
「キララを返せってんだよ、クソ野郎!」
口汚い四文字言葉を吐いて、バリスタへと突進する。
「<メインアームズカード>、アンロック!」
走りながらカードの力を開放し、召喚された大太刀を手にし、バリスタの懐へと潜り込む。
一閃。刃はバリスタの首筋を確実に捉えた。
「……え?」
「何やってんの、お前?」
刃はバリスタの首の皮に触れているだけだった。彼は別に痛がっている様子も無く、大太刀の刃を素手でがっちり掴んでみせる。
「C級のアームズカードに、人への殺傷力はありませんって、学校で教わらなかったのか?」
「しまっ――」
ナナが反応するより早く、バリスタの掌底が彼女の腹部に直撃。弾かれるように飛ばされた彼女の体が、熱した地面に打ち付けられる。
背中を打った痛みからか、ナナが苦しそうに喘ぎ声を漏らす。
「あっ……ぐあ……っ!」
「ナナ!」
「安心しろ。女子供を痛めつける趣味はねぇよ。最小ダメージで済ましてある」
バリスタをよく知っているナユタからすれば、妙に説得力のあるセリフに思えた。
たしかに彼は態度も悪ければ口も悪いが、クソ真面目を絵に書いたような男である。女子供に自分から手を上げるようなクズでもなければ、人殺しが趣味の狂人でもない。
彼はただ、ひとかどの戦士だった。
「しかしまあ、変なお嬢ちゃんだ。キララを返せ? バカを言っちゃいけない。お嬢ちゃんがお友達呼ばわりしているそいつは、本来なら人を襲う化物だ。こんな島で飼育されてるのが異常なんだよ。お嬢ちゃんも人間だろ? だったら分かる筈だ。ここで楽しく宿泊学習に興じている二百人近い生徒の尊い命と、人を襲う恐ろしい化物一匹の命、比べるべくもねぇ」
「…………」
バリスタの言っている事は全て正しい。この男の行動が法理に反していなければ、尚更納得させられていただろう。
それでもナナは痛みに打ち勝って起き上がり、上ずった声で抗うように言った。
「アンタが何を言っても……あたしが諦める訳にはいかないんだ……!」
無力なC級カードの大太刀を握るか細い手が、微かに震えていた。
大きくて無垢な瞳が、滾る怒りで揺れていた。
そして彼女はいま、泣いている。
「あたしは友達を、絶対に見捨てない!」
「!」
この叫びから、ナユタの中で巡っていた迷いがすぐに消し飛んだ。
いま俺は何を考えていた? キララを犠牲にして、自分達だけ助かろうとしていたのか? だとしたら、俺はとんだ大馬鹿野郎だ。何を犠牲に何を得ようなどと難しく考えられる程、俺は頭の良い人間じゃないのに。
「待てよ」
腹を決め、ナユタは握り込んでいた<アステルドライバー>を腕に装着した。
「……何の真似だ?」
いましがた乗り物になる予定の物を召喚しようとしたバリスタが、ふいに振り返ってこちらを睨みつける。二度も退散する予定の自分を呼び止められて、少し苛立っているのだろう。その眼光の、何と鋭い事か。
だが、怖気付く訳にはいかない。ナナだって勇気を振り絞ろうとしたのだから。
「まさか交渉を投げて俺と殺り合う気か? お前に戦う理由なんざ、もうねぇだろ?」
「理由ならあるさ」
<ドライブキー>をセットし、デッキケースとのペアリングを開始。
「護れなかった後悔より、護らなかった後悔の方がずっと辛い」
ペアリング完了。<バトルモード>起動。使用デッキのステータスを表示。
「見殺しにした女から、そう教えられたからだ!」
『みんなを護ってあげてください』
彼女が自分に対して遺した最後の言葉は、きっとこの事だったのだろうか。
見殺しにするのは自分を最後にして、他の皆だけは最後まで護り抜いて欲しいと、彼女はそう言いたかったのだろうか。
身勝手な遺言だ。人を無敵のスーパーヒーローみたいに言いやがって。
俺はお前が思う程、格好良くもなければ強くもないのに。
「いくぞバリスタ! <アステルジョーカー>、アンロック!」
音声入力によるハンズフリーの発動から、ナユタの姿が一変する。
薄いフライトジャケットを彷彿とさせる青い上着と、両手両足の青いグローブとブーツといった、まるでいまにも空に飛んでいく気でいそうな風体である。
これがナユタの<アステルジョーカー№4 イングラムトリガー>である。
「ナナ、お前は下がってろ」
ナユタはすぐにナナの前に立ち、振り向かないままに言った。
「約束だ。俺がキララを必ず取り返す」
勿論、この言葉はただの気休めでしかない。本当はいまの自分がこの男と戦って勝てる見込みなどほとんど無いのだから。
お互いウェスト防衛軍を辞めた身とはいえ、バリスタの方は傭兵として現役で、ナユタの場合は平和の世界の中学生だ。キャリア的にも言わずもがな、どちらの体が鈍っているかなど一目瞭然である。
それに父親が死んで以降、自分に戦いのイロハを叩き込んだのは、紛れもなくこの男だ。
「……良いだろう。お前の腕に付いてるその妙ちきりんなデバイスも、オマケでクライアント様に献上してやるとしますかね」
「ワーカーホリックも大概にしとけ、この元・社畜」
二人の男がにやりといやらしく笑う。
「働く男をバカにすんじゃねぇ、この鳥の巣ヘッド!」
「俺の頭は鳥の巣じゃない!」
バリスタの銃口と、右手に召喚したナユタの<蒼月>が、同時に火を吹いた。
●
黒くて長いさらさらの髪。つぶらな瞳。小柄でスレンダーな体躯。アジア系の血でも混じっているのだろうか、純粋な日本人というには顔立ちに違和感が残る。ナナみたいにイギリス人の血が色濃く混じっていれば分かりやすかった気がする。
以上が、いまサツキが対峙しているユミ・テレサの外見的特徴である。
「うりゃ!」
彼女が腕を一閃し、手に持っていたブーメランを投擲する。銀色のブーメランは浅いV字から一瞬で円形の盤へと姿を変え、こちら目掛けて綺麗な軌道で飛んでくる。
サツキがさっと身を逸らして回避。ブーメランの軌道は大きく湾曲し、真上からユミの手元に戻る。
「どーしたどーした? 偉そうなのは口調だけ?」
「よく言われますわ」
「あらら、そーなの?」
ユミががくっと肩を落とす。
「しっかし良い動きするよねー。よく訓練されてるというか」
「それはどうも!」
彼女の軽口に構わず、サツキが剣を構えて突進。ユミは少し残念そうな顔をした。
「はあ……ちょっとはお喋りに付き合ってくれても良いじゃん。もしかしてコミュ障?」
「戦いの最中に御託捻る余裕が、こちらには無くてよ!」
「つまんねーの」
ユミが唇を尖らせ、ブーメランを真上に放り投げる。
「<風鼬>!」
彼女の号令が合図となり、回転しながら宙を突き上がるブーメランが姿を消した。
サツキは一旦立ち止まって、突然消えたブーメランの行方を目線で追おうとした。
「? 一体どこに……」
「探しても無駄無駄。だって、『風』になったんだから」
「はあ?」
ユミの妙な言い回しに、サツキが腰砕けになって口をぽかんと開ける。
風なった? 何かのレトリックだろうか。いま起きた現象が彼女の<メインアームズカード>の能力だとしても、武装そのものが自然と一体となる能力など聞いた事が無い。
惑うサツキを、ユミがいやらしい笑みで見つめていた。
「多分、アンタはいま、あたしの言葉を額面通りに受け取ったんだろうね。それ、正解だから」
「本当に風になったと?」
「試しに何か撃ってみ?」
「では、お言葉に甘えて。<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」
自分がいつも使っているカードを発動し、剣に大気を纏わせようとする。サツキの手には、いつも通り剣に纏った大気の奔流による重みがしっかりと――
「え?」
剣には、何も起きていなかった。白い大気を纏ってもいなければ、剣を握っている手に返ってくる筈の手応えも無い。
ユミがさらにいたずらっぽく笑った。
「あちゃー。風属性のカードを使用しちゃうとは。察しが悪いねぇ」
「まさか、本当に風と……!」
<ストームブレード>で大気を取り込めないという事故が発生する原因は、大きく分けて二つある。一つは使用している場所が宇宙空間で酸素自体が存在しない場合と、もう一つは大気そのものが何者かに支配されている場合だ。
今回の場合、恐らく後者だ。
「ならば、<バトルカード>・<サンダーブレード>、アンロック!」
今度は剣に稲妻を纏わせ、一閃。アステライト製の稲妻は剣から離れ、収束し、扇状の光線となってユミの胴体目掛けて直進する。
だが、今度はその光線が、ユミが立っている一歩手前で止まって消滅してしまった。
「嘘!?」
「おかしい事なんて無いよ。あたしの<風鼬>は、あたしから半径二百メートル以内の大気と一体化する事で、大気の流れそのものを操るっていう力を持ってるの。分かる?」
いちいち人を小馬鹿にしたような態度も、いまとなっては恐ろしい雰囲気そのものだ。
これがユミ・テレサの本当の力!
「<ランク外アームズカード>は法律的には西でしか使えないけど、その分カスタムは自由でね。<アステルジョーカー>に匹敵する規格外の力だって発動出来ちゃうんだよ」
ユミはおもむろに、修一とケイトが互角に戦っている場面に視線を移す。
「修ちゃんも同じカード持ってるし。ヒメカラスはまた別の種類のアームズカードを持ってるけど、最終的な能力値は大体似たり寄ったりかな」
「それを私にペラペラ喋って、どういうつもりですか?」
いくら温室育ちのサツキでも、相手にこちらの持つ手札の情報を開示するような行為はまずやらかさない。切り札は最後まで切り札として伏せておくのが定石だ。
単なるお喋り好きにしては、ユミの言動は明らかに度が過ぎている。
「ババ抜きで自分の手札を晒しているようなものですわよ?」
「やーだなー。あたしがそんな軽薄な真似する訳ないじゃん。尻軽女に思われたくないし?」
「いや、多分それ、意味違うから」、などと突っ込む気も起きない。
ユミはやれやれと首を振って言った。
「分かってないのはそっちだよ? こっちが相手に手傷を負わせる気が無い場合、全てを丸く収める方法って何だと思う? 相手に絶対乗り越えられないハードルを提示する事だよ。最初に言ったじゃん。あたし達はそもそもアンタ達とは育ってきた環境が違うって。なのにアンタ達は無謀にも乗り越えられると思って、あたし達に戦いを挑んできた。でもね……」
長広舌の末に、ユミの表情と声音に、暗くて冷たい雰囲気が纏われた。
「勝てないんだよ、アンタ達は、西の人間に。ナユタの友達なら、そんくらい分かるでしょ?」
「ナユタ君と、同じ……」
ナユタの名前が出た途端、背筋がゾクっとした。
こと戦いにおいてはセントラル最強を誇る、自分がよく知る実力者に匹敵する敵が、三人。
「はっ! ナユタ君が相手なら、私は既に立ってはいませんわ。ハッタリが下手ですわね」
「ハッタリかどうか、自分の体に聞いてみなよ」
ユミが無感動な声音で言ってから、片手の人差し指をくいっと動かす。
直後、真横から複数の砕かれた木の枝が飛来してきた。
「っ……!」
話に夢中で反応が遅らされたが、咄嗟に身を前に投げ出す事で、どうにか凶器と化した自然物を回避した。
と思ったら、今度は胸のあたりに薙ぐような気配が訪れる。
このままこの場所にいたら、危険だ。
サツキは本能でそう判断し、今度は後ろに身を逸らす。すると、胸の前を見えない何かが掠め、ブラウスのボタンが上からいくつか持って行かれてしまった。
はだけた胸元を気にする余裕も無く、サツキが剣を前に構える。
「かまいたち……!」
「当たり。よく避けたね」
言ってから、また胸のあたりに冷たい感触。多分、この気配こそが、ユミが放つ『かまいたち』の初期動作だ。
攻撃の感触を少しでも確かめる為に、今度は剣を盾にする。案の定、一瞬後には、黄金の刀身がバラバラに砕け散っていた。
サツキは散らばった刃の破片に目を落として言った。
「……なるほど。これがあなたの戦い方ですか」
「あれ? 主武装の剣が壊れたのに、随分と冷静じゃん?」
「ええ、まあ。この剣、ただの試作品ですから」
「はい?」
今度はユミが呆気に取られる番だった。
「試作品?」
「元々は皇族の方が護身用に使う為に開発された剣でして。私はお父様のお仕事の手伝いで、そのモニターを務めていたのですよ。だから何かに特化している訳ではありませんの」
サツキは不用品となった剣の柄を地面に放り捨てる。普段は戦いに出ない皇族用に開発された剣なので重量は多少軽めだったが、やはり耐久性に難があったか。これは少し、父親と相談する必要がありそうだ。
自分に明日があれば、の話だが。
「たまたまメンテナンスを終えて帰ってきた、とっておきのカードがございますわ」
「へぇ? 面白そうじゃん」
「その前に、一つ聞きたい事がありますわ」
「え? 何?」
「あなた、何で二回連続で私の胸を狙ったのですか?」
「…………」
あ、ちょっと不機嫌な顔になった。
「う、うるしゃい! 敵にそんな情報喋るか、このバカ!」
「なるほど、私の胸が羨ましかったから、と……」
「勝手にあたしの心境を捏造するな!」
「はいはい、そのうち大きくなりますわよー」
「人の話を聞け!」
ユミが乱暴に腕を振ると、また胸を狙ったかまいたちが来る。今度は大げさに身をかがめて風の刃を回避し、頭を両手で抑え、おどけたように言ってやる。
「なるほど、腕を使えば速力は二倍ですか」
「何でバレだ!?」
「あらやだ、いまのは適当言ってみただけですわ」
「こんにゃろー! ハッタリであたしをハメやがったなー!」
ユミが逆上し、勝手に顔を赤くして喚き立てる。良い傾向だ。これでペースはこっちに傾いた。
サツキは姿勢を正すと、<アステルドライバー>のディスプレイに唇を近づけた。
「<メインアームズカード>、アンロック」
突然だが、スペツナズナイフという武器をご存知だろうか。
通称『弾道ナイフ』と呼ばれ、見た目はただのナイフのようだが、鍔元のレバーを押す事で刀身ごと射出して対象を殺傷する、近・中距離戦闘用の攻撃兵器である。元は千何百年以上か前に存在していたソビエト連邦なる国の特殊任務部隊『スペツナズ』に属する兵士が主に使用していた事から、この名前が付いたという説がある。
いまサツキの片手に召喚されたのは、そのスペツナズナイフを日本刀サイズにまで伸ばしたような外見のソード型<メインアームズカード>だった。
「へぇ、スペツナズナイフね」
早くも武装の正体を看破されるが、そんな事はサツキも承知の上だ。
「さっきの大剣みたいにあっさり砕かれたら、ちょっとガッカリだよ?」
「あなたを満足させるイチモツとしては充分かと」
「わお、過激だねぇ」
ユミが頬を蒸気させ、下唇を小さく舐める。そんな彼女の所作を少し色っぽく感じたのは、きっと気のせいだろう。
「でもさ、スペツナズナイフって、一回刀身飛ばしたら再装填に時間掛かるんでしょ? 修ちゃんも一度イったら、再装填に時間が……」
「そこ! 余計な情報を与えるな!」
ケイトと渡り合ってる最中の修一が鋭い突っ込みを入れてきた。ケイトに彼を殺す気が無いとはいえ、元・ライセンスバスターの人間相手に余裕な事である。
サツキは失笑し、ユミの問いに答える。
「ご心配なく。長持ちしますわよ、これ」
サツキが刃の先をユミへ向け、鍔元のレバーを押し込み、大太刀並に長い刃を射出する。
刃は当然のようにユミの手前で停止し――すぐに突き抜けた。
「うっそ……!?」
ユミがようやく真っ青になり、急いで身を横に逸らし、ギリギリで刀身を回避。森の茂みの奥まで飛んでいき、行く手を遮っていた木々を貫通。刀身の姿が、完全に見えなくなった。
風穴を開けられた大木を見て、ユミがぽかんと棒立ちになる。
「……風の防御を突き抜けた?」
「まだですわよ」
勿論、これで終わりではない。
ユミの言う通り、スペツナズナイフの刀身射出は、一回行ったら再装填に時間が掛かる。だから本来は一発屋としての活躍しか見込めない。
だが、サツキが持つこの剣の柄には、既に新しい刀身が装填されていた。
「!? いつ再装填を?」
「あなたが目を逸らした、たった一瞬ですわ」
言いつつも、射出。直後、大気中のアステライトを吸う事により、剣の柄にはまた刃が一瞬で生成され、再び射出。
これを繰り返し、サツキはスペツナズナイフの連射という離れ業を実現させた。
「ちょちょちょ!? 待った、待った待った!」
防御が不可能だと判断したユミが、飛来する刀身の連撃を横に走りながら逃れ、真っ青な顔で喚き立てる。
「何なの何なの何なのこれぇ! 当たったら本当に死んじゃう奴じゃん!」
「私もこの<マルチブレードシステム>はあまり使いたくは無かったのです。扱いには細心の注意を払わねばならない代物ですから」
ユミの慌てぶりとは反対に、サツキが平然と言ってのけた。
「早く降参してくださいな。いい加減、これ撃つの疲れてきましたわ」
「誰がするか、んな事!」
叫んでから、ユミが地を蹴って方向転換し、目の前にいままで消えていたブーメランを出現させて横薙ぎに掴み取り、こちらへと肉薄してきた。
中距離戦が駄目なら、格闘戦で仕留める算段らしい。
「<バトルカード>・<ブレードパペット>、アンロック」
サツキは迫るユミと自分を隔てるように、巨大な刃の壁を出現させる。だが、ユミならこの程度、減速もせずに回り込んでから、こちらの懐に潜り込んで確実に首を獲りに来るだろう。
案の定、サツキの予知通りになった。
「? あの女、どこに……!」
彼女の行動は大体読んでいた。だからサツキは彼女が<ブレードパペット>を回り込むと同時に、自分自身も互い違いに回り込んで、お互いの位置関係を逆転させていたのだ。
目の前で巨大な刀身が砕ける。ユミがブーメランを一閃させ、力づくで破壊したのだ。
読んでいた。
自分の姿を見つけたユミがブーメランを振り上げる。十中八九、直接こちらの脳天を狙った斬撃をお見舞いするつもりだろう。
これも読んでいた。
サツキが迫る斬撃を自らの刀身で防御する。恐らく斬撃を防がれた瞬間、ユミなら蹴りを放つなどしてこちらにダメージを与えて体勢を崩しに掛かるだろう。そうなったらもう、次にユミが放つ攻撃を凌げる確率はゼロに近い。
だから相手のブーメランとこちらの刀身が触れ合うこの瞬間を、サツキはずっと待っていた。
「っ……!」
渾身の思いで、サツキがレバーを押して、刀身を射出させる。すると、丁度こちらの刃に触れていたブーメランを持つユミが、何かを察して身を半歩逸らそうとする。
だが、もう手遅れだ。
飛ばされる刃の勢いで、ユミの手からブーメランが持っていかれる。同時に、小柄なユミの体躯までもがバランスを崩し、体が少しだけ宙に浮いた。
「風いた……」
「イッツ、オーバー」
既に刃の再装填を終えていた剣を振り上げ、縦に一閃。
斬撃の直後、一瞬なのに、永遠のような時間が流れたように感じる。
時間の感覚が元に戻り、ユミが着地。いましがたサツキの斬撃を喰らった彼女が、しばらくしてからどさりと膝をつき、動きを止めて呆然とした。
「……あれ? 斬れてない?」
本来なら、サツキの剣はユミの体の中心線に沿って綺麗に切断されている筈なのだが、ユミの体は無傷だった。彼女は自分の胴体をまさぐり、首を捻ってばっかりだ。
「確実に斬れる間合いだったのに……」
「いいえ、たしかに斬りましたわ」
サツキが確信に満ちた声で告げる。
「――あなたの衣服を」
「はっ!?」
ユミがぎょっとなって、綺麗に真ん中で斬れていた衣服と下着を凝視し、はだけた胸元を隠す為に襟を急いで引き寄せる。
「ちょ……このスケベ! 何のつもりじゃワレェ!」
「さっきのお返しですわ。でも安心なさい。谷間が無い分、はだけても幾らか救いようがありますわ。貧乳の数ある特典の一つですわね」
「殺すぞゴルァ!」
「まだお相手する分には一向に構いませんわ。あなたがポロリを覚悟しているのなら」
「くっ……!」
ユミが己の身を再びかき抱いて、顔を真っ赤にして悔しそうに下唇を噛み締める。だが、やがて諦めがついたらしく、途端に彼女の態度が多少しおらしくなった。
「うぅ……分かったよぉ。あたしの負けだよー……」
「助かりますわ。あなたと格闘戦で勝てる算段がこれ以上無かったもので」
これは本心である。最初に見せたような怪力もそうだが、彼女自身の身体能力は相当高い。そんな相手にバカ正直に立ち向かう程、サツキも向こう見ずの命知らずではない。
ユミが女の子で良かったと、サツキは心底ほっとした。
「負けた……あたしがセントラルの住民如きに負けた……」
ユミが膝を抱えてぐすんと泣き始めた。その辺りはどうやら年相応らしい。
彼女の戦意が失せた場面を目の端に捉えたのか、ケイトが投げる光のチャクラムを回避し続けていた修一が、泡を食ったかのようにこちらへと飛びかかってきた。
「ユミ!」
「待ちなさい」
一瞬の焦燥が仇になったか、こちらへと駆け寄ろうとする修一の首根っこを、彼の背後に回っていたケイトががっちり掴み上げていた。
猫のように体がぷらんぷらんとぶら下がった修一が、気まずそうな顔を背後に向ける。
「……あのー、物は相談ですが、離しちゃくれませんかね?」
「国際級の犯罪者をみすみす逃がす訳が無いだろう、黒崎修一君?」
ケイトは教師らしからぬ凶悪な表情を作り出す。
「黒崎修一、ユミ・テレサのコンビは西の世界じゃ有名さ。セントラルでは賞金も出ている」
「俺達を飯の種にする気ですか?」
「いまの給料で事足りている。それより、君達を警察に引き渡さずに済む方法がある。この場で騒ぎが収まるまで大人しくしてくれたら、君ら二人は悪いようにはしない。どうだね?」
「……分かりました。降参します」
修一も戦意が失せたらしい、両手を上げて降参を表明した。
さて、これで残りはヒメカラスとかいう女だけだ。
「そういえば、イチルさんは?」
「ああ、あいつなんだが……」
本当ならヒメカラスと戦っている筈のタケシが、何故か気まずそうな顔でこちらの近くまで戻ってきていた。
「タケシ君? あなたの方も片付きましたか?」
「いや、俺の出番なんて無かった」
「は?」
サツキが首を傾げたのと同時に、森林の奥から爆発音が轟いた。
「……イチルの奴、自力で人質を逃れて、いまヒメカラスと戦ってやがる」
「何ですって!? じゃあ、早く助けに行かなきゃ……」
「あんな所にいたら、命がいくつあっても足りねぇよ!」
イチルが消えたと思しき森林の一角をタケシが指差すと、またその辺りで稲妻が発生し、爆発音が鳴り響き、一際高い大木群の何本かが倒れていったのを目視する。
サツキはぽかんと口を開け、握っていた剣をうっかり落としてしまった。
「……何が起きてるのですか?」
「ヒメカラスの奴、まさかターゲットを殺す気じゃねぇだろうな?」
修一が少し心配そうな声で呟いたのを聞いて、サツキは自分の背中に嫌な汗が流れたのを感じた。
●
「この貧乳貧乳貧乳貧乳!」
「年増年増年増年増ァ!」
イチルとヒメカラスの戦闘は、タケシ達がいる広場から少し離れた森林の中で熾烈を極めていた。
二人の女は適当な広場で一旦立ち止まり、荒くなった息を整えて再び対峙する。
「このっ……いい加減倒されなさいよ……!」
「アンタこそ、早く老衰しろ……!」
「だから、これでもまだ二十四だっつってんだろこのクソジャリ!」
ヒメカラスが素手の右に、アステライトで生成された光の刃を纏い、イチルへと肉薄する。イチルも負けじと<ギミックバスター>を<ブレードモード>に変形させ、激しく刃と刃で打ち合い始めた。
二人の怒号混じりの斬撃は、周囲の木々をなぎ倒し、空を裂き地を抉る。
「二十四歳が厚化粧するから年増に見られるんじゃワレぇ!」
「アンタもいつかこうなるのよ! 十年後も貧相な胸に悩むという特典付きでね!」
「あたしまだ大きくなる余地いくらでもあるしぃ?」
さて。そもそも、何でこんな事になったのやら。
このヒメカラスとかいう女に気配もなく背後から忍び寄られて人質に取られたのは不覚だった。その時は後からタケシが助けに入り、イチルを取り戻す為にヒメカラスに対してネゴシエーションなんぞを試みてくれたが、ヒメカラスの返答があまりにも適当なせいで、ただいたずらに時間が流れるだけの結果に終わってしまった。
故にイチルは一計を案じた。この謎に満たされた敵の一団にとって、取られたら一番困るこちらの行動とは一体なんだろう、と。その答えを探すのに、そう時間は掛からなかった。
『オバハン』
自分の自由を奪うヒメカラスにぼそっと言ってやった。それからは何度も何度も彼女をオバハン呼ばわりしてやった。挙句には年増、厚化粧、小じわ隠しきれてねぇぞ――自分のちっぽけな頭で考えうる罵倒の数々を、ひたすら繰り返してやった。
そして粘り強い罵倒の末に、ようやくヒメカラスが激昂し、その隙をついて彼女の拘束をようやく振りほどいたのだ。
「あんたなんてどうせおっぱいも垂れ下がってみっともない感じになってるんでしょー? 乳首だってどうせ黒いんでしょー? 下のお口も実は●●まみれなんでしょー!?」
さっきの罵倒が惰性で続き、いまはもうこのザマである。
「どう!? ナユタ仕込みの下ネタマシンガンを、まだ喰らってみる!? 弾切れになるまで待ってみる? なんなら耳を塞いでも良いんだからね!」
「こ・の・クソジャリ! 殺されないと思っていい気になりやがって!」
剣と剣がぶつかり合う中、ヒメカラスの額に青筋が浮かび上がる。彼女もいい加減こちらをぶち殺したくてたまらない筈なのに、いまだにこちらを殺す為の攻撃を仕掛けてこないのは、クライアントとやらの意向だからなのだろう。
これでよく分かった。やはりこの女を含む三人組が、こちらにされて一番困る行動は、ターゲットであるイチル自身が暴れ回る事だ。
イチルが周囲の木々を経由し、<流火速>を用いて高速移動で飛び回り、ヒメカラスの周囲を周回し始めた。実はイチルも<輝操術>の達人で、死んだ母親から「成人するまで人前では絶対使うな」と言われてきたが、この際は出し惜しみしている余裕は無い。
ちょこまかと動き回り続けるイチルを目で追い、ヒメカラスが舌打ちする。
「全く、うちのクライアントもとんでもない奴に目を付けたわねー。まあ、いいわー」
彼女は多少気分が収まったのか、すぐに冷静になり、デッキケースから変わったデザインのカードを一枚抜き出した。
黒い鳥の絵柄が描かれた<アステルカード>である。イチルはそれと似たカードに、どこか見覚えがあった。
「……あれは、まさか」
「ご名答。<ビーストカード>・<ヤタ>、アンロック」
号令に従い、黒いカードが力を開放し、ヒメカラスの姿は一瞬にして鳥人風に変化する。
黒々とした禍々しい形の双翼、両手両足の鋭いかき爪。纏っていたドレスも変化し、彼女の姿はどこか気高そうなハーピィーと化した。
イチルは一旦高速移動を止め、木の上で止まって彼女の姿を観察し始めた。
「やっぱり、ナユタと同じカード!」
「そういう事よーん」
彼女は威圧感たっぷりに、黒い双翼を大きく広げた。
「ふふーん、どういたぶってくれようかしら」
「あたしは殺さないんじゃなかったの?」
「相手が<輝操術>の達人なら、殺す気で掛かってあげないと」
言ってから、ヒメカラスが腕を一閃させる。すると、近くにあった大木の何本かが、綺麗に真ん中で切断されて派手に崩れ落ちた。
彼女は何時にも増して、鋭く眼光を閃かせた。
「さあ、行くわよー」
●
周囲の火炎が時の経過と共に収まり、空間の熱量が少しずつ下がっていく。
いまナナの目の前で繰り広げられている高速戦闘の激化に反比例するかのように、それ以外の全てが沈静化していくようだった。
バリスタが構える黒い銃が立て続けに火を吹き、射線から逃れようとナユタが忙しなく動き回り、肉薄。手にした刃を振り上げるも、バリスタは首を後ろに逸らす事で斬撃を無効とした。次に、バリスタが至近距離のナユタの額に銃口を押し当てる。あわや発砲といった所で、ナユタが片手で銃を横に押しのけ、放たれた銃弾は彼の頬を掠める。
二人の戦いはまるでロックンロールだ。お互いが違うリズムを刻みながらも、一点の隙も無い機動を繰り返し、轟く銃声と剣が風を薙ぐ音で絶え間ないバックサウンドを演出している。
今度はナユタが相手の腹を狙って膝蹴りを打つ。しかしバリスタは咄嗟に片足を上げて、同じく膝の皿で蹴撃を防御。反動でお互い距離を取り、次の一手の為に様子を見合う。
「けっ……まだ腕は鈍っちゃいねぇようだな」
「そりゃどうも」
ナユタがにやりと笑う。
「<モノ・トランス>=<バスター>!」
唱えるや、両手に一丁ずつ、青い自動拳銃が握られる。ナユタの<アステルジョーカー№4 イングラムトリガー>は、デッキ内のカードを一枚犠牲にする事で、こうした様々な武装を召喚して使用する事が出来る。しかも、いずれの武装もA級カード以上の力を誇っている。
召喚するが早いか、ナユタが片方の銃を発砲。青い光が銃口で瞬く。
バリスタは身を横に逸らして弾丸を回避。彼の背後の遠く離れた海上で、大きな水の柱が噴き上がった。
ナナがその威力に驚くよりも早く、ナユタが発砲しながらバリスタへと肉薄する。
「ガン=カタか。おもしれぇ!」
バリスタが今日何度目になるか分からない邪悪な笑みを浮かべ、ナユタの挑戦を受けて立った。ちなみにガン=カタとは、平たく言えば銃を用いた格闘戦術である。超近接戦闘に銃の攻撃力を加える事で、短時間で複数の相手を撃滅する事が可能となっている。
発砲、打撃、発砲発砲打撃発砲打撃打撃打撃――目まぐるしく移り変わる攻めと攻めの応酬に、ナナはつい魅入ってしまった。これの何が凄いかというと、これだけ発砲をを繰り返していながら、二人共ナナに誤って弾丸が当たらないように配慮して戦っている事である。
「……すごい」
ナナは改めて、ナユタの戦士としての一面を垣間見た。
いつもは<バトル>が超強いというだけのヒーロー的なキャラかと思っていた。だが、実際はとんでもない思い違いだ。それぐらいならサツキやタケシ達などと同列に過ぎない。
ナユタの場合は、既に次元が違っていたのだ。
「喰らえや!」
お互い一発も貰わないまま、バリスタが距離を取ってからすぐに頭上に発砲。という事はもう一回、あの攻撃がすぐにでもやって来るだろう。
ナナが見上げた頃には、頭上から小さな粉雪が降ってきていた。
「雪……?」
「おっと? こいつは困ったな。まさかのブリザードだ。あと十秒後にはここら一帯が大雪原に生まれ変わっちまうぜ?」
バリスタが両肩を竦めておどける。
「さあどーするナユタ君や。さっさとお嬢ちゃん連れて逃げた方が良いんじゃねーの?」
「あくまでそっちが狙いか」
言い合ってるうちに、雪風が徐々に強くなる。これではここにいる人間全員がお陀仏だ。
しかしナユタはそんな状況でも顔色一つ変えず、片方の銃口を頭上に向けた。
「チャージ」
天に向けられた銃口に、淡い燐光が球状に集う。光は徐々に肥大化すると、いつしか人の頭と同じくらいのサイズにまで成長していた。
「シュート」
発砲。球状の光は極太のレーザービームとなり、悪天候を生み出していた頭上の黒い雲を一撃で消し飛ばしてしまった。
一転して空が晴れたのを見て、バリスタは賞賛の口笛を鳴らした。
「変えた天候そのものを消し飛ばすか。相変わらず化物みてぇな力だな」
「殺す相手を間違えたお前のミスだ。ウチの親父が転んでもタダで起き上がると思ったか?」
「だろうな。だったら、こっちも手段は選んじゃいられねぇ」
バリスタがふっと短く笑うと、気のせいだろうか、銃把と手の隙間からドス黒いモヤが漏れ出し始めた。モヤは手からだけではなく、徐々に足元からも吹き出し、バリスタの体を薄く覆い隠す。
いまさら目くらましだろうか? それにしては何か様子が変だ。
「……? 何のつもりだ?」
「知らねぇか? こいつが<アステルジョーカー>の、本来の姿さ」
モヤが天高く立ち昇ったところで、彼は小さく呟いた。
「<黒化>」
モヤはもはやモヤではなくなり、黒い衝撃波に変化として周囲に吹き荒れ、凄まじい勢いで大気を震わした。その様はまるで、彼を中心として巻き起こる台風のようだった。
いままでに見なかったような現象に、ナナはおろかナユタまで目を瞠る。
「何だ!?」
「きゃあっ!」
ナナの体が一瞬だけ宙に浮きかかるが、ひび割れた地面に手を引っ掛ける事で、どうにか
海に放り出されずに済んだ。台風のようだ、という比喩で表現すべきではなく、これでは色が黒いだけの、本当の台風である。
やがて黒い衝撃波が弱まっていく。同時に、ナナの視線は自然と、この災害を引き起こした張本人であるバリスタへと向けられた。
「何……あの姿……?」
ナナは目を疑った。
いまのバリスタが纏う衣装は全身黒ずくめの忍装束に変化しており、いままで持っていた黒い銃のバレルの下部には、真っ黒で鋭い刃が備え付けられていた。俗に言う着剣である。
これも、バリスタが持つ<アステルジョーカー>の能力なのだろうか。
「<アステルジョーカー№X2 ヘイトディザスター>。一定の条件を満たす事で発動する、<ブラックアステルジョーカー>の一枚だ」
「<ブラックアステルジョーカー>……何だ、聞いた事ねぇぞ」
さすがのナユタも動揺を隠せない様子で呟いた。
「だが、要は強化形態だろ? だったらこっちも良いモン持って……」
「どこ見て話してんの、お前?」
バリスタは既にナユタの背後に回っていた。
「!?」
「おせぇよ」
呟き、銃を一閃。バレル下部のブレードの一撃を喰らい、ナユタの体が宙高く吹っ飛ぶ。
「ナユタ!」
「ノンプロブレーム!」
宙を舞うナユタは実際無傷だった。右手のバスターが真っ二つに切断されている所を見ると、どうやらそれを犠牲にして防御が間に合ったらしい。
「にしても、何て奴だ、畜生め! <ビーストカード>・<エスピミア>、アンロック!」
中空で逆さまになるナユタが悪態混じりに唱えると、彼の体もデッキ内にある<ビーストカード>の力で、全体的に青い意匠の鳥人風に変貌を遂げた。背中に生えた鋼鉄の翼、同じく鋼鉄の爪を備えたガントレットと、見た目は鋼鉄感に溢れている。
彼は姿勢の天地を戻すと、鋼鉄の翼を広げ、羽の隙間から青い光を噴射する。
「また力を貸してもらうぜ、アオイ」
「なるほど、そいつが<エスピミア>か。上等だ」
呟くと、バリスタの足元から紫色の波紋が広がり、次の一瞬で彼の姿がナユタの背後に転移する。
今度はナユタもすぐに反応し、振り返り様に鋼鉄の爪を一閃。バリスタが着剣でその一撃を軽々凌いだのを皮切りに、空中で激しい格闘戦が始まった。
ナナはバリスタの足の裏から断続的に発生する波紋を見て呟く。
「あれは……<流火速>……?」
どういう事なのか、バリスタも<輝操術>が使えるらしい。そうなると、同じ技が使えないナユタにとっては不利な戦いを強いられるように見える。だが、あくまでいまのバリスタは機動力を得ているのみの状態だ。ナユタも<ビーストカード>で機動力を上げた以上、お互いスピード勝負では大差が無い筈である。
だから不確定要素があるとすれば、バリスタがいま使ってる<ブラックアステルジョーカー>のスペックだ。
「<モノ・トランザム>=<キャノン>!」
腕を大砲に変形させ、発射。青いアステライトの砲弾が標的へと向かう。
対するバリスタは、砲弾に向けて一発だけ発砲。この一撃が、ナユタが放った銃弾を軽々と消し飛ばして貫通し、ナユタの肩の装甲を掠めた。
いや、掠めたというよりか、抉ったと言った方が正しい。
「……!」
「オラオラオラ、どうした!? この程度か!?」
叫びつつもバリスタが肉薄、再び近接格闘に挑む。<黒化>だか何だか知らないが、銃に剣が付いただけで、敵があそこまでイキイキとナユタに格闘戦を挑んで来るようになるとは、あまりにも想定外なバトルスタイルの変更である。
バリスタの斬撃を鋼の爪で凌ぎつつ、ナユタが悪態をついた。
「クソ! 何から何までどうなってやがる!」
小刻みな動きと、小柄な体躯を回転させる動きを併用しながらバリスタの猛攻をリズミカルに凌ぐも、そう長くは続かない。やがてナユタの動きが鈍くなり、ついにバリスタの剣が彼の胸を覆う装甲に横一文字の傷を刻み込んだ。
さすがにこれではマズいと思ったのか、ナユタが自慢のスピードで再び距離を大きく取った。
「畜生! <モノ・トランザム>=<ブレード>、<スラスター>!」
腕そのものを巨大な鋼鉄の刃に変化させ、ついでに自身の動きを高速化させる技を使用。目にも止まらないスピードでバリスタを攪乱し、時折通り過ぎ様に斬撃を加えるが、相手はその全てを軽々と受け流し、
「オラァ!」
動き回る的となったナユタに発砲。片翼が消し飛び、ナユタが大きく体勢を崩した。
「しまった……!」
「あーらよっと!」
いつの間にか頭上へ来ていたバリスタが、着剣に黒い衝撃波を纏わせ、銃を縦に一閃。かろうじて盾にしたブレードまで砕かれ、ナユタの体が勢いよく地面に激突した。
「かはっ……!」
「まだだ!」
これだけでもまだ足りないのか、バリスタはすかさず銃を空に向けた。
「<ブラック・ディザスター>!」
発砲。黒い残像を纏った弾丸が天に突き刺さり、青かった空を一気に黒く染める。
次の瞬間、まるで柱のような太い黒の閃光が、無数にこちらへと降りかかってきた。
しかもやたら速い。これではナユタも自分諸共――
「<モノ・トランザム>=<シールド>!」
直前で、ナユタが青い光の盾を、自身とナナの頭上に展開。次の一瞬で、シールドに黒い光が直撃し、その威力の余波と爆音がナナの三半規管をかき乱した。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
思わず両腕で頭を抱えて目をつむり、恐慌のあまり叫び出してしまう。周囲でも黒い光がフロートの床に直撃しているので、コンクリートの破片がちくちくこちらへと飛んできて鬱陶しかった。
やがて黒い光の暴威が止み、ナナはゆっくり頭上を確認する。
驚いた事に、ナユタが張ってくれた、この一見薄そうな青い光のシールドが、全ての攻撃から自分を守ってくれていたらしい。といっても、いまはかなりひび割れていて、あと一撃加えられたら本当に危なかったといった風体だが。
「……そうだ、ナユタは……」
いましがた自分の命を救ってくれた恩人を探そうと視線をフロート全体に巡らせる。
ナナが彼の姿を見つけるのに、そう時間は掛からなかった。
「ナユタ!」
問題の彼は自分から少し離れた位置で仰向けに倒れていた。見たところ殺傷的なダメージは無いようだ。<ビーストカード>が解除されているのは仕方ないとして、<アステルジョーカー>はきちんと彼の体に装着されている。という事は、まだ命はあるのだ、恐らくは。
ナナは急いで彼のもとへと駆け寄り、すぐに必死に呼びかけた。
「ナユタ! ナユタ、起きて! ねぇ、ナユタ!」
「死んじゃいねぇが、しばらく目ぇ覚まさないぜ、そいつ」
地上に降り立ったバリスタが無感動に言った。
「起き上がったとしても、その体じゃもう戦うのは無理だ」
「あんた、よくもナユタを……!」
「言いがかりだぜ、よしてくれや。そいつが大人しく俺を見逃してくれりゃ、大怪我なんてしないで済んだのによぉ。自業自得って奴さ。それでも俺がそいつとお嬢ちゃんを殺さないのは、単に俺が女子供に手を出すのが嫌いだからだよ」
「じゃあ、さっき生徒の人を皆殺しにするって脅したのも……」
「ハッタリだ。いまだから言うが、あまり脅迫は好きじゃない」
バリスタは一呼吸して、太い首をコキコキ鳴らしてみせた。
「んー、疲れた。じゃ、俺帰るわ」
「待て! キララがまだ……」
「しつこいと本当に殺す。こいつはハッタリじゃねぇぞ」
彼の殺気に満ちた本気の眼光に、ナナは思わず身を引いてしまった。
だが、バリスタは何を思ったのか、殺気を収めると少し考えるような仕草をして、そこらへんに積もっていたコンクリートの残骸を椅子代わりにして、どかりと腰を落ち着けた。
「お嬢ちゃん、この水色小僧のお友達だっけか? だったらいますぐ縁切っておいた方が良いと思うぜー? こいつとお前さんは、本当は敵同士の間柄なんだからよ」
「どういう意味?」
「口調も徐々に昔のお嬢様に戻ってるってか? 良いね。昔の記憶がどんどん蘇り始めたか。だったらオツムの方も実際冴えてきてんだろ? だったら良い事教えてやるよ」
これまた訳の分からない事を言うと、バリスタは下唇を軽く舐めてから言った。
「昔の話さ。まだ軍に所属していた頃、ある組織から依頼を受けて、そいつらが量産した<強化型星獣>の戦闘データの採取を担当する事になったのさ。ある時は野良<星獣>を相手に、ある時はスラム街で息巻いてるチンピラ連中を相手にさせたりしてな。挙句にはそこら辺を流離ってる西の猛者なんぞにも<強化型>の相手をしてもらった。その中に、ナユタとその親父も含まれてたのさ」
「じゃあ、ナユタのお父さんは……」
「実質、俺が殺したようなもんさ」
バリスタがしんみりと言った。
「だが驚くなかれ。俺は別に無作為に相手を選んでた訳じゃねぇ。クライアントから手渡されたリストに従って、<強化型星獣>の相手を指定していたのさ。ナユタの親父もその中に含まれていたってだけの話だ。さあ、そこでだ。んなしち面倒な事を頼んできたクライアントの正体が誰だって話になる。これだけ言えば、お前さんには大体想像がつくだろう」
「まさか……」
<強化型星獣>というワードから、ナナはそのクライアントの正体をいち早く察していた。
だが、あまりにも信じがたい事実である。
「あたしの……家が……?」
「正解だ。自分の家族が実はただのキチガイ集団だって知った感想はどうだい? それに記憶が戻りかけてるなら、ちょっとは理解出来る筈だぜ?」
信じられない、信じたくないという心理が働く一方で、バスの中で見た悪夢が徐々に現実味を帯びてきたという実感が、ナナの身をさらに強ばらせた。
たしかに、最悪の一族だった。
閉鎖空間の中で拷問のように行われてきた虐待的な訓練の光景が、彼女の脳裏に鮮明に蘇ってくる。鞭でぶたれるのは当たり前、酷い時はアンティークの自動拳銃で『おしおき』と称して足を撃ち抜かれた事さえあった。
あの時見た、両親を含む親族達の嗜虐的な顔といったら、思い出しただけで吐き気がする。
「ショックなのは分かるが、もっとショッキングなのはこれからさ」
バリスタが神妙な顔で続ける。
「本当なら九条カンタだけを狙う予定だったのに、<強化型星獣>の方が言う事を聞かなくてね。ついにナユタの方にまで手を出しやがった。さすがに俺もナユタを殺すのはやりすぎだと思って止めようとしたんだが、それよりも早く、九条カンタは自分自身を息子の<アステルジョーカー>に変えやがったのさ。結果的にナユタはその力を使って<強化型星獣>を一蹴して、どうにか生き延びた」
彼は大体の所を語り終えると、ゆったりと瓦礫の椅子から立ち上がり、ナナに背を向けて眼前に広がる海を眺め始めた。
「あの後、俺は砂漠を彷徨って死にかけていたナユタを拾って、自分の弟子にしてやったさ。だが奴はそれから二年以上経ってようやく、親父の殺害を手引きした犯人が俺だって事を突き止めてな。そっからはもう、本気の殺し合いよ」
言ってから、バリスタは肩ごしに気絶するナユタを一瞥し、再び視線を前に戻す。
「いま俺がそいつを殺さなかったのにはもう一つ理由がある。復讐さ」
「復讐?」
「ああ。そいつにはまだ、リカントロープ家に復讐する権利がある。何より、俺だけが半殺しの憂き目に遭うのは納得が行かねぇしな」
「そんな事の為に……!」
「ナユタもいつかは知る事だ」
バリスタがぴしゃりと言って、憤って立ち上がろうとするナナを制した。
「お前にはナユタを殺せはしないだろう。友達だもんな。だが、いつかその友情を後悔する日が必ず来る」
「…………」
たしかに、いまの自分にナユタを殺す事はできない。実力的な面だけではない。いまこうして満身創痍となって倒れている彼に止めを刺す事さえ躊躇している。
ナユタはタケシ共々、自分を救ってくれた恩人だ。
でも、ナユタの方はどうだろう?
彼が事の真相を知ったら、きっと自分の事を、いまも少しだけ思い出せないでいる家族の事も恨むだろう。目の前で暴威を振るってみせたバリスタを過去に半殺しにしたのだから、きっとリカントロープ家も同じ目に遭うだろう。
自らの命を護る為に、自分にナユタが殺せるのだろうか。
「勝手な事ぬかしてんじゃねーぞ……」
ナナが逡巡していると、目を覚ましたナユタが震えながら立ち上がった。
「ナユタ……」
「俺がこの程度でくたばるかってんだ」
「諦めが悪いのは昔からだな」
バリスタは勘弁してくれと言わんばかりに、片方の掌を自分の額に当ててみせた。
「どうせ寝たフリして話を聞いてたんだろ? だったら、その娘とはもうダチですらない筈だ。なのに、どうしてお前は立ち上がる?」
「何度も言わせるな」
ナユタは召喚した<蒼月>を構え、腰を落とし、標的を鋭い視線で睨みつけた。
「キララは絶対取り戻す。その誓いを破ったら、俺はダチ公どころか男ですら無い」
「……なるほど。そいつがお前の本性か」
バリスタは憐れむように言ってから、再びナユタと正面から向かい合う。
ナユタはまだ諦めていない。彼はあくまでも、キララを取り返すつもりなのだ。
なら、いま自分がすべき事は、一つ。
「……ナユタ、ごめんね」
ナナは可能な限りさりげなくナユタの前に立つと、彼の腹に回し蹴りを放った。
踵が鳩尾に直撃。彼の体は後ろに吹っ飛び、仰向けに倒れる。
「……っ! ナナ、お前……!」
「ナユタはそこで少し休んでて」
腹を抱えて呻くナユタに鋭く告げてから、すかさずバリスタに掌を向ける。
やれるかどうか分からない。
でも、やるしかない!
「ああん? 嬢ちゃん、いまさら何を……」
「キララ!」
念じて、鋭く、叫ぶ。
すると、バリスタの懐から、黄色く輝く一枚のカードがひとりでに飛び出した。
「!? 何だ!?」
「<ビーストランス>!」
唱えた直後、カードから無数の光の筋が飛び出し、ナナの体に纏わりついた。
光は数秒と経たずに、ドラゴンをイメージしたような鎧へと変形し、彼女が持っていたソード型の<メインアームズカード>を洋風の大剣へと変化させた。
その風体は、まるで竜騎士といったところだ。
「キララは返してもらったよ!」
「バカな……<ジェイルカード>からの<ビーストランス>だと!?」
さすがのバリスタもこれには動揺したらしい。顔には焦りの色が浮かんでいる。
「お前……まさか昔の技が……」
「まだ完全には戻ってないけどね、キララと再会した時から出来そうな気がしたんだ」
ナナは片手で大剣を振り上げ、
「ナユタの分、仕返しさせてもらうから」
縦に一閃。刃風が地を抉りながらバリスタへと襲いかかる。
バリスタもすぐに危険を察したか、<流火速>で横っ飛びに刃風を回避。だが、ナナもすぐに<流火速>でバリスタの正面、至近距離にまで追従する。
「逃がさない!」
「ちっ……!」
ナナがバリスタの頭をボールに見立て、大剣をバッティングの要領でスイングする。バリスタが着剣で防御するが、彼の体はまるで当然のように空高く打ち上げられた。
「<バトルカード>・<ストームブレード>、アンロック!」
お馴染みの風の刃を剣に纏い、一閃して発射。ドリル状の風がバリスタの腹に直撃し、彼の体をさらに上空へと巻き上げる。
C級レベルとはいえ、強力な風の刃をモロに喰らったバリスタが苦悶の表情を浮かべる。
「ぐ……そ……!」
「まだっ!」
ナナの攻撃は終わらない。
再び<流火速>で上空のバリスタと同じ高さまで飛び、さっきのナユタのように、通り過ぎ様に斬撃を喰らわしてから折り返し、また同じように斬撃を加えてから離れ、折り返すといった機動を繰り返し、着実に相手にダメージを加えていった。
思ったより手応えが重い。きっと、バリスタが纏っているあの黒い装束は<輝操術>の鎧なのだろう。
「調子に乗るんじゃねぇ、小娘ェ!」
ついに怒りが臨界点を越えたのか、バリスタも<流火速>で大気に足場を作り、高速で飛び掛ってくるナナに正面から突っ込んできた。
互いに至近距離に近づくや、剣と剣の打ち合いが始まった。
自分はナユタほど接近戦に長けている訳ではない。バリスタのように遠近こなせる程器用でもない。
だが、身体能力では誰にも負けていない。
その証拠に、単純な剣戟でも、ナナが力押しでバリスタを圧倒していた。
「くっそ……化物め……!」
「何とでも言え!」
大振りに剣を一閃し、再びバリスタを遠くに吹っ飛ばす。距離が再び離れた事で、こちらには大技を撃つ余裕が生まれた。
だが、それは相手にとっても同じだった。
バリスタが、再び銃を空に向けたのだ。
「ナナ、またあの攻撃が来るぞ!」
「分かってる!」
ナユタの警告に頷き、ナナも大剣にクリスタルのような黄色い光を纏う。
「ぶっつけ本番、必殺!」
<輝操術>・<基本四術>の一つ、<飛天>。
大気中のアステライトをかき集め、一定の形で具現化して放出する技だ。<アステルカード>の機能においては、肝心の武装を具現化するという大事な役割を担う。
「いっけぇええええええええええええええええ!」
剣を突き出し、纏ったクリスタルの刃をバリスタへと高速で伸ばす。
間に合うか――
バリスタが引き金に指をかけたと同時に、わずかに身を横に逸らす。剣の先が彼の脇腹を掠める。二回発砲、空が瞬く間に黒く染まる。
間に合わなかった。黒い閃光がさっきよりも数を増し、こちらへと降りかかってきた。
「終わりだ、ナナ・リカントロープ!」
「……!」
バリスタに言われるまでもなく、ナナの視界は暗闇に閉ざされた。
●
全てを思い出した。
<獣化>したショックであやふやになっていた記憶が、全て。
自分が一族の道具として育てられた事、自分の家族が外側に対してだけ上っ面が良かった事、アイリスの末路、キララが龍牙島に送られた経緯――
「そっか……アイリス、ちゃんと成仏したんだね」
逆賊の徒として、ナナの前に引きずり出されたアイリスが迎えた、見るも無惨な最期の光景を思い返し、ナナは寂しく微笑んだ。
彼女はタケシとナユタの手によって成仏した。人としての死を迎えても獣として顕界で苦しみ続けた彼女は、知らないうちに解き放たれたのだ。
またあの二人に借りが出来てしまった。死ぬまで返しきれないような、莫大な借金だ。
「やっぱ男の子はかっこいいなぁ……バカだけど」
自分達の水着姿なんぞに鼻の下を伸ばして、七輪で焼いた魚介類なんぞを海辺の隅っこでつついていたクセして、全く……。
「あたしも、あの二人みたいになれたら良いのになぁ……」
想い焦がれている間にも、トランスを強制解除して自分の盾になってくれているキララの体も、そろそろ限界――いや、死期が近い。
ナナはついさっき、キララを取り返した際に入手したジェイルカードを取り出した。
「ごめんね、あたしが不甲斐ないばかりに」
一筋の涙を流し、ナナは強く念じた。
神様、お願いします。あたしはあたしの大切な友達を全て護りたい。もう護られてばかりじゃいられない。いつかは借りを返さなきゃいけない。
だからどうか、その為の力を、あたしに下さい。
「いくよ、キララ」
ナナが呼びかけると、キララは力強く首を振った。
最後の最後まで、声を出さないまま。
「<アステルジョーカー>、アンロック」
キララの体が一層強く輝き、周囲の景色を覆い尽くした。
●
自分の体を盾に、ナナだけでなく地上で身動きが取れないナユタをも守っていたキララの体に異変が起きた。突然キララが強い輝きを放ったかと思えば、バリスタが仕掛けた上空からの攻撃を、全てかき消してしまったのだ。
だが、問題のキララの姿は、上空からは消えていた。代わりに、龍の体の各所を模したような銀色の飛行ユニットが空を舞い、<流火速>の応用技で空中に立つナナを中心に周回している。
嫌な予感がする――ナユタは目を凝らして、ユニットの姿を凝視した。
「……まさか、あれは」
飛行ユニットは七つあり、ドラゴンの頭、両翼、両手、両足がモデルとなっているようだ。ナナが握っている剣も、同じくドラゴンを模ったかのような流線形のシンプルな大太刀に進化している。
「<アステルジョーカー№6 ドラグーンクロス>」
ナナは剣の先を、呆然とするバリスタにぴたっと向けた。
「来るなら来なよ。叩き潰してあげる」




