6話
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間もなく、一件の大きなお屋敷の前に着いた。腕から降ろされて、扉を開けて中へ入ると、突然誰かに抱きつかれた。誰かの肩越しに見えたのは安堵した表情のミーシャさん。ということは私に抱きついているこの人はラヴィーネさんなのだろう。金髪だし。
玄関ホールだというのに、奥の方にはうじゃうじゃと黒装束の人たちが死ぬほど。メイドの格好をした人たちや料理人っぽい人も紛れてるから、事実聴取か何かの最中らしい。
ラヴィーネさんが「ちょっと待っててね」といって私から離れてどこかへ行ったかと思えばすぐに戻ってきて、私の手を取って枷を外してくれた。脚のもすぐに取れた。
久々の自由な手足に気分が晴れる。
腕についた枷の痕など手足の自由に比べたらどうでもよいことだ。
とりあえず休め休めとラヴィーネさんに連れられどこかの部屋に通されて、浴場に連れていってもらった。そこでこのお屋敷の使用人さんたちに体を洗ってもらった。垢擦りしてもらっているときは死にたいくらい恥ずかしかった。約三日分の垢だ。少ないはずはあるまい。清潔な白のノースリーブのワンピースを着せてもらって、髪も梳いてもらって、最後に鏡の前に立った時には自分でも別人のようだと驚いた。ただ、頬に大きく貼られた湿布とガーゼは戴けない。ここまでしてもらうほどの怪我でもないから放っておいてもよかったのに。
部屋にはすごく大きい寝台があって、ラヴィーネさんとミーシャさんと私が寝ころんでも余裕があるくらいだった。ラヴィーネさんはパステルグリーンのパフスリーブのワンピース、ミーシャさんは髪の色とおなじ薄紫のネグリジェを着ていた。牢屋で会ったときは薄汚れて擦り切れた服だったのだが、どうも顔とは合ってなくて、でも今の二人を見るととてもしっくりきた。これが普段の彼女たちなんだろう。
最初はまず無事で良かったと言ってもらい、それからたくさんのことをお話した。
二人は計画通り牢屋に来たアキラスとライディーンに連れられあそこを脱出したので、私のことはまったくわからないままだったらしい。
あの屋敷の使用人は全員とらえ、もう選別作業が始まっているという。悪事を働いて板者も次々と暴かれているらしい。実際、なすりつけられそうになった人もいて、逆にその人が証人となって暴かれた罪も少なくないとか。当然の報いである。
他に何か聞きたいことはある?とラヴィーネさんが言ってくれたので、お言葉に甘えて「ここはどこなんですか?」と聞いた。
「ここは私とミーシャの二人で使わせてもらっている部屋よ」とラヴィーネさんが答えてくれたが、私が知りたいのはそれではない。「いえ、部屋ではなくて屋敷です。ここってどなたのお屋敷なんですか?」
もう一度言葉を改めて問うと、二人は目を丸くして固まってしまった。外からドゴッという物音も聞こえた。時が止まったようであった。
え?
そんなにおかしなことを聞いただろうか。
するとラヴィーネさんはスッと立ち上がり、入り口の方まで歩いていった。
「まさかなにも教えてないとは思わなかったわ、ねえハルト?」
そう言いながらラヴィーネさんが戸を手前に引くと、ノックをしようとした体勢のまま固まったハルトと、後ろで声を抑えて大爆笑しているアキラスがいた。ライディーンもいたけど扉が開いたその時からミーシャさんしか目に入っていないようだ。
横からアキラスに「おい、ご指名だぞ」と脇腹をつつかれ、ハッと我に返ると
「いろいろあって忘れていただけで、決して教えないつもりはっ」
と一息に言った後で、「あ、いや……その…すまなかった」と謝られた。あと「わざとじゃない」とも付け足された。よくわかったよ。その様子を見れば誰でも信じるから安心しなよ。
その場の空気を取りなすように、ラヴィーネさんが「こんな時間に乙女の部屋の前で盗み聞きなんてどういうことなの?」と聞いた。
茶化した答えを返そうとするアキラスを遮ってハルトが「主様からユラを連れて来るようにとのお達しだ」と答えたので、私は取りあえず寝台から立ち上がってハルトの方へ近づいていった。すぐ近くにしゃがみこんでいたアキラスに「もうつつけないね」と言われてちょっとムカついたので去り際に踏み出した脚の膝を偶然を装って顔にぶつけてやった。悶絶してる姿に心が清々しくなる。
「ちゃんと部屋に着くまでに説明してあげなさいよー!」というラヴィーネさんからの気遣いを背に受けて、私とハルトは「主様」という方の部屋まで歩き出した。
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「で、ここはどなたのお屋敷なんですか?」
早速本題に入る。質問を途中で遮られてしまったので先ほどから答えが気になっていたのだ。
「……なぜ敬語に」
「あなたと話し慣れていないからです、それで、ここはどなたの?私さっきから気になって仕方ないんですから早く教えて下さい」
焦らしているのだろうかと思うほどに答えにたどり着かないので、もうはっきり言ってしまった。
「…敬語をやめたら教えてやる」
なかなか食い下がるハルトに苛ついて、
「あーもうっーーわかったから早く教えて!!」
と勢いで答えてしまった。
満足げな彼の様子にしてやられた感がだいぶ否めないが、まあ今回は見逃してやる。
「ここは、フィダー公爵家の別館だ。主に公爵様が集め、作り上げた直属の隠密組織の拠点として使われている場だ。そして俺はその隠密組織の一員。さっきいた部屋のラヴィーネとミーシャ、あとアキラスやライディーンもそうだ。」
フィダー公爵家って言ったら、ハルトの実家ではないか。その隠密組織……あの黒装束はそういう仕事をする為の格好だったのか。
でもラヴィーネさんやミーシャさんは黒装束ではなく、普通の服を着ていた。
どういうことだろう?
「でも、ラヴィーネさんやミーシャさんは?あまりそういう仕事を得意としているようには見えないのだけれど」
「隠密組織と一概に言っても、全員が全員戦闘要員でいるわけじゃない。ターゲットの情報を掴む者がいて、ターゲットのいる場所を探るために潜入する者がいて、そこに入り込んでターゲットを釣るものがいて、そしてやっとターゲットを捕まえる者が動ける。そしてラヴィーネとミーシャはその中の『入り込んでターゲットを釣る者』の役目を担っている。言わば囮だな」
囮!!
まったくもって危険なイメージしか浮かんでこない。あの優しい二人が、囮役を引き受けているというのか。
「でも囮なんて、その、ターゲット?に気づかれたら危ないんじゃないの?いちばん近くで接触するんでしょ?」
「まったくもってその通り。だからこそアキラスとライディーンがいるんだ。あの二人は、ラヴィーネとミーシャの護衛役だ。」
護衛がいて囮をしているなんて、すごい信頼関係なんだろうな。くっ、アキラスのくせに…(私の中でアキラスの株は基本的に低い)
「もう質問は尽きたか?もうじき主様の部屋につくぞ」
なんだか、ハルトの表情が沈んでいる気がした。いつもより顔つきが暗い。
「ねえ、どうかしたの?なんか暗いよ」
私の言葉なんて関係なく、ハルトは歩みを止めた。やはりおかしい。どうしたというのだ?
「なあ、お前はここを出たらどうするか決めているか?主様の話はたぶんそのことについてだろうと思っている。これからどうしたいかについて聞かれるはずだ」
「これからどうしたいか…」
はっきりいって義母に振り回されっ放しの人生を歩んできた私にとって「自分で行きたい道を選ぶ」という行為はひどく不慣れなことだった。
「ーーでだ。おそらくその選択肢の中に『ここに残る』ってのもあると思う。お前、ここに残る気とか、ないか」
ここに残る気!?
ラヴィーネさんやミーシャさんと一緒に暮らせる!?それは願ってもない話だが。
「まあ別館に住むからには隠密もしなければならないが。そして、俺の本題はここからだ。」
本題?
私が道を選ぶことじゃないの?
「その…だな、ーーー俺と組んで囮役、やってみる気はないか?もちろん、強制はしない。ただ、俺はお前と組んでみたい。」
それだけ、覚えててほしい。
あまりの急展開に固まっていた。
オレハオマエトクンデミタイ?
呆然としながら歩いていたので、ハルトが歩みを止めたのにも気づかず、そのまた通り過ぎるところだったのを寸でのところで腕を掴まれて止められた。
数時間前まで不覚にもときめいてた私だぞ?爆弾落とすにも連続過ぎるよ!
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主様と呼ばれるフィダー公爵様のお部屋。扉を開けると、そこには私でもわかるくらいに風格に溢れた壮年の男性が執務机に座ってこちらを見ていた。
「ようこそ、待っていたよ。さて、道はお決まりかな?」
ハルト、あんたおそらくおそらくって全然おそらくじゃないじゃないの!話振っとけって言われてたと言わんばかりの入りよ、これ!
「私は……その、まだピンときていません。今までの生活に比べたら、私が今選ぶことのできる選択肢なんてみんな格が違います。どれをとってもきっと充実した毎日が送れるでしょう。ただ一貫して言えるのは、母のもとへ行くという選択肢だけはないということです。」
「ふむ…では、私のもとで働くという話は聞いたかな?自分で言うのも何だが、それなりに悪くない条件の仕事であると自負している。そこのハルトにはもう長くパートナーがいない。君はやってみる気はないかい?」
ん?もう長く?
私は、その前の方の代わりに誘われたの?バッとハルトの方を向くと、藍色の瞳は確実に前のパートナーを思い返していた。彼は今でもずっとその人のことを思ってると考えると、答えはもうすぐに出ていた。
「ーーーあの、私は普通のありふれた町の生まれで、将来もそこの町で生きていくものなのだと考えて育ちました。学校に通えたのも町の人々が寄付を募って学校を建ててくれたおかげだし、私にはあそこで生きて恩を返す、という義務があります。そしてなにより私は私を育ててくれた町に感謝してる。
だから申し訳ないけれど、そのお話をお受けすることはできません。」
そんなに大層な考え、全然いつもなんて考えてないくせに。ハルトが私に言った言葉があまりに嬉しかったから、公爵様の言葉が余計悲しくて、気がついたら断ってしまっていたのだ。
「そうか……まあ、故郷に恩返ししたいという気持ちは大変立派だと思うよ。それでは、君の町へ帰るということで良いのかな?」
「はい」
ハルトがすごい形相でこちらを見ているのがわかる。そうよね、私固まるほどハルトの言葉に反応返してたもんね。
目の前の公爵様は私の迷いない返事には満足げだったが、まだなにか言いたげな様子だ。なんだろうか。
「まだ何かおっしゃりたいことが…?」
「いや、そのだね。こちらとしては成り行き上ではあるがあのクソ伯爵あ、いや、失敬、…没落伯爵を君を囮にして捕まえてしまったものだから。少し負い目があってね。できればほかにしてほしいことはないかな?できる限りのことはしよう」
囮…そういえば、あの状況もそうと言えるか。
特に気にしてなかったし別に気にしなくても良いのに。それにしても、公爵様は意外と口の悪い方のようだ。
うーむ…してほしいこと……
あっ
「一つ、お願いしてもいいですか?」
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私は二日後の早朝、服を何着か頂いて公爵様の別館を後にした。本当は翌日には出発することも出来たのだが、公爵様に頼んだことをしてもらうためにもう一日だけ滞在させてもらった。
それとーーー、
あれからハルトとは一度も会っていない。
まあ私が早朝に出発することにしたのも、昨晩遅くまで仕事でいなかったので起きてくることはないだろう、というラヴィーネさんの助言に従った結果だ。
朝日がまぶしい。門出にはもってこいだな。
「じゃあ、お世話になりました。またご縁があったら、いずれどこかで」
「ユラぁあー絶対一緒に暮らせると思ってたのにぃぃいハルトのバカァ甲斐性なしぃ」
「ハルトを馬鹿にしながらおれを殴るのはやめてほしいなラヴィ。ーーーいてっ」
「うるさいのよ、アキラスのくせにっ」
「はいはいごめんって、いたたたたーーーあ、まーハルトのことは気にせず新生活頑張りなよ。この出発のことも絶対ハルトには伝わってないだろうから、気兼ねせず焦んなくていいから」
見送りには公爵様もいらっしゃってた。
「ユラ、君の『お願い』はしっかり聞き届けたからね」
「はい、ありがとうございます。楽しみにしてます」
「ーーーじゃ、しっかり頼むよ」
「了解しました。ではユラ殿、こちらへ」
私を町まで送るために手配してくれた憲兵さんに導かれて、馬に乗せてもらう。後ろに憲兵さんが乗って、準備万端だ。
「気をつけてね、元気でね、私のこと忘れないでね、あと、あとええと、まだまだ言いたいことがたくさんあるのにっ…!」
「ラヴィーネさん、何も今日が最後じゃないよ。今度会ったときにもっと話そう?」
「ええ、ええ、必ず!」
ラヴィーネさんの言葉を聞き終わる前に、馬は進み出していた。
懐かしい、数日ぶりの我が町へ向かって。
この後にエピローグを投稿して、一度終わりとなります。
今回もお読み頂いてありがとうございました。