贖罪
入学から一ヶ月が経った。
廊下を歩いてると、後ろから怜香に肩を叩かれた。
「おはよう、海斗」
制服のブレザーに身を包んだ怜香が満面の笑みを浮かべた。
海斗も挨拶を返し、思わず笑みを浮かべる。
いつもニコニコしており、気さくに他人に接するので、人見知りする海斗でも、彼女とは話しやすかった。
彼女が怜奈の妹じゃなかったら、気兼ねなく心を開いていたのだろうが、怜奈のことを思うと、怜香と仲良くなりすぎるのが怖かった。
そのため、怜香に下に名前で呼ばれるようになっても、海斗はいまだに意識して名字にさん付けで呼ぶようにしている。
「着替えてから校庭に行くんでしょ?」
怜香は着替えの入った海斗のカバンを見ながら尋ねた。
「うん」
「更衣室まで一緒に行こ」
そう言いながら怜香は海斗の背中を押した。
「もう移動するの? 今日は早いんだね。いつも遅刻ギリギリに現れるのに」
しばらく他愛のない会話を続けたあと。海斗は階段を降りようとしたが、怜香が突然足を止めた。
それまでニコニコしていたのに、一瞬だけ彼女の表情が曇ったような気がした。
「あっちから行かない?」
怜香は少し離れたところにある別の階段を指さした。
少し遠回りになる気もするが、特に断る理由もなかったので、海斗は彼女に従った。
怜香の指さした階段を下りて、上級生の使っている教室の前を通り過ぎていく。
怜香は楽しそうに海斗に話しかけてきたが、上級生とすれ違うたびに、一人一人に視線を向けた。
着替えを済ませて校庭に出ると、何体もの白龍が並べられていた。
いずれも体を起こした時の体高が5メートルほどの一般的な大きさの白龍だった。
今日は、この学校に入学してからはじめて、ドラゴンに乗る。
先日までは一角獣や牛もどきといった飛行能力のない生き物を操っていたが、今日から飛行訓練を始めることになったのだ。
ベルが鳴ると、教官の神宮寺が校庭に出てきた。
海斗たちは一斉に敬礼をした。
白い半袖のシャツと長ズボンを身につけており、少し体を動かすたびに鋼のような筋肉が隆起した。
神宮寺は海斗たちの方に向くと、敬礼をして口を開いた。
「今日から飛行訓練に移るが、やることは今までと基本的に同じだ。ドラゴンの体内に入ったあと、クレドスでドラゴンの脳に接続すればいい。ただ一つ問題がある」
そう言うと、神宮寺は近くにいる白龍の翼をコンコンと手の甲で叩いた。
「こいつには翼がある。当然、君たちにはそんなものはない。だから、翼を動かすという感覚が分かりづらいだろうが、基本的な動きはドラゴンの小脳が記憶しているから、一度イメージさえつかめれば、あとは簡単に動かせるはずだ。実際にやってみせよう」
神宮寺は左手を掲げると五本の指を広げた。
海斗の位置からでは視認できないが、神宮寺の手の平に微小な穴が空き、糸状の物体が出てきているはずだ。
体内に取り込んだクレドスは宿主の神経細胞と結合し、全身に張り巡らされていく。
宿主の意思で、髪の毛ほどの太さもない触手を体外に出すことができ、これがほかの生物の神経に接続するときの媒介となる。
神宮寺は、地面に伏せている白龍の背中に乗ると、左右に裂けた部分から中に潜り込み、手のひらから伸びた触手をドラゴンの体内から中枢神経に結合させた。
左右に避けていたドラゴンの背中が閉じていく。
ドラゴンはしばらく日本の後ろ足で前後左右に歩き回ったあと、翼を羽ばたかせて飛び上がった。
その様子を見ていた生徒たちから歓声が上がる。
ドラゴンは何度か旋回したあと、着地し中から神宮寺が出てきた。
「いきなり今みたいに高く飛べとは言わない。最初は地面から軽く足が離れるぐらいで十分だが、この授業が終わるまでには、君たちも今ぐらいのことはできるようになるはずだ。だが、飛行訓練では熟練者でも失敗して死ぬものもいる。心してかかってくれ。まずは一班から順にドラゴンに乗れ」
海斗は白龍の中に入っていった。
海斗が乗り込んだ白龍の背中がとじると、ドラゴンの白い体が銀色に染まっていった。
その様子を見ていた生徒たちの間でざわめきが起こる。
「ドラゴンとの同調がうまくいくと、このように輝きを帯びる。この感覚を身に付けるのは極めて難しいがこれぐらい同調がうまく行けば、ドラゴンの潜在能力を引き出すことができるだろう」
神宮寺の解説を海斗は複雑な気分で聞いていた。
褒められて悪い気はしないが、自分がこの能力を身につけた過程を思い出すと素直に喜べなくなる。
何より、自分がこの力を持っていながら、逃げ出したせいで、怜奈が死に至る原因の一つをつくってしまったことを思うといたたまれない気持ちになった。
神経を接続した海斗はドラゴンの青い目で、怜香が乗っている白龍を見た。
しばらく歩き回ったり、翼を動かしてみたり、低空飛行するように指示された。
しばらくすると高度を上げるように指示され、数体のドラゴンが地上を離れた。
互いに接触しないように気をつけながら、ドラゴンたちは旋回した。
慣れてくると地味な動作に飽きてきたのか、一体のドラゴンが宙返りしようとした。
軌道を読み間違えたのか、下を飛行していた怜香のドラゴンに接近しすぎてしまい、巨大な翼で起こした突風をモロに浴びせてしまった。
バランスを崩した怜香のドラゴンが溺れる子供のように4本の足をばたつかせながら落下していく。
一番上を飛んでいた海斗は地面に向かって垂直に顔を向けると、翼を羽ばたかせて急下降していった。 下を飛ぶ他のドラゴン達の間を縫うようにして通り抜けていく。
ドラゴンの体内にいた海斗の内臓に強烈なGがかかる。
内蔵が浮き上がるような感覚だった。
ふらふらと下降していった怜香のドラゴンに追いつくと、銀龍が抱き抱えるようにしてその巨体を支えたまま減速していった。
そのままプールに着水し、水しぶきが上がる。
咄嗟に彼女のドラゴンをかばうように自分が下敷きになってしまったため、ドラゴンの体内にいた海斗にも凄まじい衝撃がかかった。
薄れゆく意識の中、白龍から大慌てででてきた怜香が、ドラゴンの目によって海斗の脳に映し出された。