セルスロイと影
ぼんやりとただ人形のように佇むミーツェを部屋に残してセルスロイは部屋を出ました。
彼は本当にこれが望んだことなのか判らなくなっていました。
全ては望んだとおりに進んでいた筈でした。足の不自由になったセルスロイをミーツェは献身的に支えました。キジロの国民さえ二人の仲を噂していてこのままセルスロイとミーツェの結婚は進んでいくものだと思っていました。けれど、すんなりと頷く筈のキジロ王は決してセルスロイにミーツェを妻にすることを許しませんでしたし、当のミーツェも兄以上に自分に慕ってくることもありませんでした。
「これが切れたら。」
セルスロイはミーツェの部屋に焚き染めていた香の袋を見つめました。
早くミーツェを手に入れないとギルはすぐに自分とミーツェを見つけてしまうでしょう。セルスロイは焦りました。
「お前は私を一生恨むのでしょうね。」
果たしてそれはセルスロイにとって幸せなのか。セルスロイの心は揺れます。太陽のようなミーツェの微笑は有りません。それはセルスロイがもっとも愛したミーツェの姿でした。
「……。」
ーーー迷う必要があるか
ーーーお前はその娘を得るために今まで耐えて来たのだ
ーーーお前の両親はお前を国王に売ったのだ
ーーーそれどころかお前の母親も国王の愛人だったろう?
ーーー皆知っているさ。王宮で嘲笑われて
ーーー逃げ出すことさえ許されなかった
ーーー不倫する売女の……
「うるさい!」
下を向いたセルスロイは自身の影に怒鳴りました。
「ミミだけは私を受け入れてくれたんだ。ミミは……。」
ーーーそうだ。
ーーーお前にはミーツェ姫しかいない。
ーーー他の奴らはお前の上っ面だけに集ってくる蠅だ。
ーーーあんなに尽くしたのにキジロ王だってお前の欲しいものはくれないではないか
「そうだ……。」
ーーー自分の欲しいものは自分でつかむしかない。
ーーーいつだってそうしてきたじゃないか。
ーーーだれもお前に与えてくれる奴なんかいない。
ーーーあんな苦労知らずの青二才に渡してやるのか?
「ミミは私のものだ!」
ーーーそう、お前のものだ。
ーーーお前だけのものだ。
ーーー我がお前に力を貸してやる。
ーーーミーツェ姫を手に入れ、お前を嘲笑ったキジロのやつらに復讐を。
「……。」
ミーツェを渡したくない。そう思うとセルスロイは他の思考を振り切るようにただ、影を睨みつけました。そうするセルスロイに影は低く、楽しげに揺れ、その手の妖しい香袋はいっぱいになっていました。
*****
「フルパップだ。そこしか考えられない。」
「しかし、ギル様。昨晩から船が港から出た痕跡は一つもないのですよ?」
「正規のルートからだろう?キジロに隠れて乗り込んだときセルスロイは正面から船をつけたか?」
「ああ!」
「急ぎ、フルハップに向かう。デイの船に急ごう!」
ギルはそっとポケットに入れたリボンと指輪を握りました。ミーツェ姫がミミだと分かってからそっとしまっておいたものを出してきたのです。
「もう一度、俺にチャンスをくれないか。」
ミーツェがセルスロイを愛していたなら。この想いを終わりにしなければなりません。母を戻し、テルゼを救ってくれ、あまつさえ自分の瞳をも救ってくれた「ミミ」。彼女が大恩人であることは変わらないでしょう。
「ひと時しか会えなかった人を愛せる筈がないと思いとどまって……なんて無駄な時間を過ごしてしまったのだろう。」
ロゼが証拠品をもって現れてからギルは罪悪感でいっぱいでした。大恩人だと思っていたミミと名乗るロゼが自分に慕ってくれているのに、ギルは栗色の髪の娘をさがしていましたーーそう、思い込んでいたのです。自分でもこんなに誠意のない人間だったとはと落ち込んでもいました。けれどもどうしても栗色の髪の娘のことを忘れることは出来ませんでした。
「ミミ……。もっと早く君を見つけられていたら。どうか、無事で……。」
そう、言葉は出たものの、ギルは不安でいっぱいでした。